ラプンツェル   作:朱緒

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第十四話◇Verlorene Paradies

 公爵夫人からもたらされた情報は、取り扱いが難しい問題であり ―― イゼルローン攻略に向かったケンプとミュラー以外の幕僚たちが集められ会議が開かれた。

 会議場には幕僚以外には、当事者である公爵夫人と、ほとんど全てを知っているであろう下男と、一般的な皇族の代表として元皇女が呼ばれた。

 唐突に呼び出されることはめずらしくない彼らだが、配られた資料に目を通す際の表情は様々であった。

 書かれている内容は、彼らの常識から鑑みれば荒唐無稽としか思えない。

 

「信じられない者もいるであろう。公爵夫人、治療してもらえるだろうか?」

 

 書面だけではとても信じられるものではないのはラインハルトも理解しているため、まずは実物を見せようと、ナイフを取り出し自らの手を切ろうとしたのだが、当然のことながら皆に止められ、結局ビッテンフェルトになった。

 ビッテンフェルトは腕をまくると「なにもそんなに大きく深く傷つけなくても」と思われるほど思い切りよく切り、公爵夫人は傷を瞬時に治した。

 目の前で起こった出来事を否定するほど彼らの頭は固くはない。

 

「始めるとする。頼んだ」

 

 ラインハルトに言われて、下男は立ち上がり一礼する。

 

「御前さまより、これらに関して秘匿するなと仰せつかりましたので、こちらをご覧ください」

 

 「会議するから全部報告するように」命じられた下男は、祖父が報告書に記載していなかった能力が録画された映像を流す。

 

「こちらは、主さまと御前さまが、先の皇帝の元を訪れた際に撮影されたものです」

 

『カメラは此方に』

『お前を連れていけたら楽なんだがな』

『主さま』

 

 画面に映っているのは、彼らにも見覚えのある新無憂宮の一角。

 声の主は映ってはいないが、一人は下男、

 

『おっ、グレッグ。良いところにきたな。お前、ホームビデオの撮影係な』

 

 もう一人は曾祖父。

 曾祖父は下男が持っていたビデオカメラを掴み、向こうから歩いてきたミュッケンベルガー元帥に放り投げた。豪奢な天井が流れるように映し出され、受け取ったミュッケンベルガーが少し映り込み、カメラが構えられ公爵夫人と曾祖父を捉える。

 

『畏まりました、大公元帥。なに会合? 調整しろ、そんなこと言われずともするのが副官であろう。お待たせいたしました大公元帥、どちらへ』

 

 彼らが聞いたことのない、ミュッケンベルガーの丁重な物言いに、幕僚たちの空気が一瞬緩む。

 

『フリッツの薔薇園。戦乙女(曾孫)に見せたいんだそうだ』

『お供させていただきます』

『ちょっと行って来る。車で寛いで待ってろ』

『ごゆるりと』

 

「ここから少しの間、早送りさせていただきます」

 

 撮影係を務めるミュッケンベルガーを伴い薔薇園にたどり着くと、フリードリヒ四世がおり、

 

『どうだ?』

 

 待っていたとばかりに抱き上げられた公爵夫人は、相変わらず死ぬ思い(酒臭い)で薔薇の芳醇な香りなど分からないまま過ごした。

 

『どれか、気に入ったものはあるか? 戦乙女』

 

 フリードリヒ四世(恐るべき二日酔い)の問いに、公爵夫人は小さな手で薔薇を指さしかけたのだが、その時悲鳴にも似た声が聞こえた。

 ミュッケンベルガーが咄嗟に皇帝の盾になろうと、そちらを窺い移動する。

 すると画面に映ったのは、一人の造園業者。

 

「あっ!」

 

 同時にミッターマイヤーが声を上げた。

 ラインハルトが画像を止めるよう指示し、

 

「あれは小官の親戚です」

 

 理由を尋ねたところ、画面の中で薔薇を持っている造園業者は、彼の近くも遠くもない、付き合いのある親族であった。

 

「親戚は……視聴後に説明をさせていただきますので、続きを」

 

 ミッターマイヤーの言葉を受け、映像が再開される。

 フリードリヒ四世は自ら薔薇の手入れをしていたが、怠惰な皇帝があの大きな薔薇園の全てを手入れできる筈などない。彼がしているのは僅かな剪定だけで、他のことは大勢の業者が携わっていた。

 もしも彼が本当にあの広大な薔薇園を一人で手入れをし維持していたとしたら、皇帝のあり方との正否はともかく凡庸と言われるようなことはなかったであろう。

 悲鳴を上げた造園業者は真っ青な顔で、皇帝の薔薇園の薔薇を持っていた。

 

『陛下の薔薇を手折るとは!』

 

 ミュッケンベルガーの恫喝するような声と、顔色を失っている造園業者。このミッターマイヤーの親戚は薔薇の棘を取る作業をしていたのだが、誤って薔薇を切ってしまった。

 皇帝の薔薇園の薔薇一本と平民一人の命となれば、前者のほうが重い ―― 処刑されるレベルの大失態である。

 いきすぎでは? と思われるかもしれないが、舞踏会などで庭の薔薇の棘が残っており招待客が負傷した場合も、似たような処罰が下される。薔薇の棘ほど危険なものはない。

 真っ青になって必死に謝罪する親族と、不機嫌さを隠さないフリードリヒ四世。ミュッケンベルガーは連行するために兵士を呼ぼうとするが、こちらの異変に気付いた兵士たちはそれよりも先に動き出す。

 そんな状況の最中、公爵夫人が折れた薔薇を手に取った。

 

じょえじょえ(どれどれ)

 

 公爵夫人の黒歴史 ―― 二歳半なのに、なにを喋っているのか理解困難な己の映像に、普段であれば頭を抱えるところだが、キルヒアイスを救いそびれたことにうち拉がれ、もだえるような余力が残っていなかった。

 

ふい、なおや(ほれ、なおった)

 

 映像の公爵夫人が折れた薔薇を茎にくっつけて手を離すと、魔術としか言いようのない光景が映し出された ―― 折れた淡いピンク色の薔薇が元に戻っているのだ。

 

『……ひっ!』

 

 議場の幕僚、誰も聞いたことのないミュッケンベルガーの恐怖を含んだ声。

 

『衛兵、こっちに来るな。戻れ』

 

 特に驚きが感じられない曾祖父の声。

 薔薇と公爵夫人を交互に見るフリードリヒ四世。そして何事が起こったのか、見ていて分かるのだが理解できない造園業者。

 

まちょじょり(元通り)

 

 両手を挙げて自慢げに語る公爵夫人。

 

「これは、これは……まさか」

 

 公爵夫人が薔薇を元通りにしたことに幕僚たちは驚きはしたが、地球より持ち出された生物は全てナノマシンが組み込まれているので、治せて当然と取ったのだが、自分たちよりも詳しい事情を知っている筈の元皇女の、動揺が含まれているような驚きぶりが不思議に感じられた。

 同じように彼らよりも詳しいことを知っているファーレンハイトも、相当に驚いていることがラインハルトは気になったが、まずはこの映像を最後まで見るべきであろうと考えて視聴を続ける。

 

『凄いな戦乙女(ワルキューレ)

わゆきゅえゆにゅあ(ワルキューレ言うな)

『分かった分かった、戦乙女(ワルキューレ)

 

 ”こいつ、話聞かないなあ。他の奴らなら言葉が分からないせいかもと考えられるが、こいつだし”と見つめる公爵夫人。

 

 切れた薔薇を繋ぎ治した公爵夫人だが、自分がしたことの意味を正しく理解していなかった。

 公爵夫人以外の者たちは、公爵夫人が幼く、普通の人間はできないことを知らないために、当たり前のようにしているのだろうと考えた。

 それは当然の解釈だが、実際は違う。

 この頃には公爵夫人は自分がどこに存在しているのか、はっきりと理解していた。物語の中というのは、些か不思議ではあったが、とにかくかつて自分が生きていた時代よりも、かなり先の世界で科学が発達している。

 それを知っていたため「植木などは遺伝子かなにかが組み替えられ、地球の頃よりも丈夫で治りやすくなっている。ワープがあるのだ、切れた植物がくっついたところで、おかしくはない」と公爵夫人らしく解釈していた ―― それは間違いであり、また正解でもあった。

 

『大公元帥。その者の処遇はいかがいたしましょう』

 

 とんでもないことをしでかした自覚のない公爵夫人を余所に、周囲の大人たちの話が続く。その者とは薔薇を折った造園業者のこと。

 

『俺に聞いてどうする、グレッグ。で、どうする? フリッツ』

『薔薇は元通りになったが、元通りになったのを見られたからにはなあ』

 

 先ほどまでの不愉快さはなりをひそめたフリードリヒ四世が、今度はやや困惑の面持ちで地べたに額をすりつけている造園業者を見下ろす。

 薔薇は元通りになったが、国家第一級の秘密を目撃してしまった平民。秘密を守るためには、処分してしまうべきだが ――

 

『ふいっちゅの、ちょっちょいいちょこみちぇみちゃい!』

 

 ”こいつ、まだ薔薇の花が折れたことに腹立ててるのかよ”

 一人状況を理解していないが、頭脳だけは大人に近い公爵夫人が、怒りを収めて許してやれよとフリードリヒ四世に話し掛けた。

 

『ふいっちゅの、ちょっちょいいちょこみちぇみちゃい! ふいっちゅの、ちょっちょいいちょこみちぇみちゃい!』

 

 ただ非常に滑舌が悪いため、語彙はあれど発音できない単語が多く、自分が発音できる単語を組み合わせて説得しようとしたところ ―― リズム感は抜群だがとても説得しているとは思えない、ある種難解な文章が出来上がった。

 ちなみに一般人なら笑い出しそうな場面だが、さすがは帝国の重鎮たち、誰一人表情筋をぴくりともさせずに画面を見つめている。

 

『戦乙女は余になんと言っているのだ?』

 

 ”ふいっちゅ”が自分のこととは分かっているフリードリヒ四世が、曾祖父に尋ねると、

 

『”フリッツの、ちょっと良いとこ見てみたい”と言っているようだ』

 

 間違わず、だがそのまま翻訳した。

 

『良いところとは?』

 

 ここは意訳して伝えるべきところだが、敢えてそうしないのが曾祖父(あの野郎)である。

 

『さあ? ご自分でお考えくださいまし、陛下。というわけで、フリッツの! ちょっと良いとこ見てみたい!』

『ふいっちゅの、ちょっちょいいちょこみちぇみちゃい!』

『フリッツの! ちょっと良いとこ見てみたい!』

『ふいっちゅの、ちょっちょいいちょこみちぇみちゃい!』

『フリッツの! ちょっと良いとこ見てみたい!』

『分かった分かった。ミュッケンベルガーよ、任せたぞ。己の裁量に自信がなければ、大公に聞くがよい』

『ふいっちゅ、ふいっちゅ、ふいっちゅ、ふいっちゅ』

 

 ミュッケンベルガーに処理するよう命じたフリードリヒ四世だが、処罰の内容は曾祖父に聞き取り計らうよう指示を出す。

 

『御意』

『戦乙女。フリッツが良いところ見せてくれたぞ。じゃあ、次は爺さんが良いところ見せてやるな』

いやにゅ(要らぬ)

『そうか、楽しみか。ちょっと待ってろ』

いやにゅといっていにゅ(要らぬと言っている)

 

 言葉を理解しながらも無視し、自分の首からロケットペンダントを外し、そのロケットもチェーンから外し、指にはめていた卒業記念リングをチェーンに通して、

 

『催眠術掛けてやるぞ』

きゃきゃるわきゃにぇいじゃろ(かかるわけないじゃろ)

 

 曾祖父はネックレスを公爵夫人の前へ持ってきて、古典的な催眠術よろしく振り子のようにして、

 

『あなたはだんだん眠くなる、眠くなる』

『………………』

 

 公爵夫人はあっさりと眠りに落ちた。

 曾祖父は眠ってしまった公爵夫人の耳元に何かを囁いたが、それは小さすぎて音声は拾われておらず、視聴している彼らには分からなかった。

 言われた公爵夫人本人は、眠りの中で聞いた言葉ゆえ覚えてはいない。

 画面の中の幼い公爵夫人は、曾祖父の腕の中で気持ちよさそうに眠る。

 

『目を覚ました時には忘れているはずだ』

『そうか』

『上手くいけば、植物をつぎ直すようなこともしなくなるはずだ』

『上手くいくであろうよ。なにせお主だからなあ』

『まあな。ところで職人。詳細は教えんが、この通り、当人自身の記憶を操らなくてはならない程の大事をお前は目撃したことになる。本来であれば、即座に処刑されるべきところだが、陛下のご温情によりお前は生をまっとうする幸運を得た。陛下への感謝を気持ちを忘れずに生きてゆくがいい』

『余は殺すつもりだったがなあ』

『ところでグレッグ。俺としては、やっぱり陛下の薔薇を手折った罰は負わせるべきだとおもうのだが』

『大公元帥の仰るとおり』

『退職金なしで職務解任はもちろんのこと、全財産没収でどうだ』

『よろしいかと』

『で、職人。お前は妻子がいたなあ。妻子に全財産を持たせて離縁しろ。離縁したら妻子には累は及ばぬし、財産は没収せぬよ。猶予は三日でどうだ? グレッグ』

『そのように取り計らわせていただきます』

『説明する必要もないだろうが、一応言っておく。今日ここで見た出来事は、決して口外するなよ。口外しても良いことは何一つない』

 

 ミュッケンベルガーはカメラを置き、職人を連れて行き、公爵夫人を抱いている曾祖父とフリードリヒ四世はカメラから離れてゆく ――

 

 下男が編集してきた映像はここで一度途切れた。

 

「まずはこれが第一陣でございます」

 

 第二陣はなにがあるのだろうか? 逸る気持ちと同じほどラインハルトは違和感も覚えていた。その違和がなんなのか? 下男に聞けば直ぐに分かるのだが、気づけないのは負けたような気分になるのでと ―― 違和感を押し込めて、ラインハルトは先ほど疑問に思ったことを下男に尋ねた。

 

「御老公は随分と驚いていたが、どうしてだ?」

「宰相殿、あの薔薇の状態を思い出していただきたい」

「状況? 切り花のような状態になっていたように思うが」

「あれを人間に置き換えるとどうなるか?」

「……外科手術が必要な損傷か」

 

 彼らの手元の資料には、かなりの大けがでも治せるが、千切れてしまったものを繋ぎ治すのは不可能と記されている。

 

「あれは人間でいえば、胴体が真っ二つになっている状態。卿らの手元の資料にあるように、ネオ・アンティキティラは千切れてしまった場合、傷口を塞ぐことはできますが、接続は不可能」

 

 元皇女が下男の方を見ると、心得たとばかりに彼が口を開く。

 

「通常のnull型であればそうでしょう」

「公爵夫人は、人間であっても治せるのか」

「わたしめは拝見したことはございませんが、可能であると主さまと先の公爵さまは仰いました。お二人ともご自身の体で試されたそうです」

 

 人目に触れさせるわけにはいかないので、曾祖父と祖父が自分の体で実験していた。それが更なる能力の存在を明らかにすることになる ――

 

「そうか。治療できる存在を知っている者が、映像を観て殊更驚いたのはそのためか。第二陣を視聴する前に、ミッターマイヤー、卿の親族はどうなった?」

 

 ラインハルトから話を振られたミッターマイヤーは、親族は映像にある通り、大失態をしでかしたと言い、妻子に全財産を譲り別れ、以来ミッターマイヤーの稼業などを手伝うなどして細々と暮らしていた。

 

「一ヶ月に一度、命の恩人の御屋敷で働かせてもらっていると申しておりましたが、もしかして公爵夫人の御屋敷で?」

「はい、まめに庭のお手入れに来て下さっておりました」

 

 公爵夫人もこの使用人(ウォルフの親族)のことは覚えていた。公爵夫人にとっては、偶に来る通いの使用人で自分とは話そうとしなかったこと、そしていつの間にか来なくなったこと。

 

「親戚は三、四年前に体調を崩し、日常生活もままならなくなりまして。……その、言いつけを守らず離縁した妻が世話をしに家に居着くようになりました。そのことについての叱責は小官が承りますゆえ、どうぞお許しください」

 

 邸の手入れに行けなくなったことを、親戚は今も気に病んでいるという。

 公爵夫人はわたしが治せることを知っているのだから、治して欲しいと人を寄こせばいいのにと、軽い気持ちで言ったものの、そういう訳にはいかないと皆に諭された。

 その後ミッターマイヤーは感謝を述べ着席し、次の映像が流されることになった。

 

「第二段ですが、これを信じていただくのは難しいことかと存じますが……これは、御前さまが三歳と四ヶ月頃の出来事です。その日、主さまが”カメラを持ってこい”と命じられたので、用意して向かったところ……」

 

『ただいま参ります』

 

 カメラに電源を入れた下男が、彼を呼んだ主の元へと急ぐ。景色は視聴している幕僚たちにも見慣れた元帥府 ―― 公爵夫人が住んでいた邸。

 声がした場所にたどり着いた下男は、

 

『……主さま? 見事なご変装ですな』

 

 感動に満ちた声を上げた。

 ”変装”という単語と、画面に映っている二人。映し出されているのは曾祖父と祖父のみ。

 

『ほら。やっぱり騙されなかったぞ』

『お前の忠義は見事なものだなあ』

『坊ちゃま? 忠義とは?』

 

 下男は明らかに曾祖父に向かって”坊ちゃま”と声を掛けた ―― 下男がそう呼ぶのは、祖父だけである。

 

『入れ替わった』

 

 祖父が自分自身を指さして、下男に語りかける。

 

『入れ替わった……のですか? 主さま』

 

 下男は祖父に向かって曾祖父()と呼びかける。

 

『大丈夫か?』

『あの……何を仰っているのか』

 

 下男の台詞は今視聴している幕僚たちの心の内を、見事に代弁していた。

 

『俺と息子の中身が入れ替わった』

 

 そんな彼らの内心を()()()()()見た目”祖父”がそう言えば、

 

『信じられぬであろうが、親父さまがわたしの体の中にいる』

 

 見た目”曾祖父”も続く。

 

『一気に老けた気持ちはどうよ、息子』

『別に』

『了承いたしました。わたしめはなにを』

 

 画面に映ることのない撮影者の下男が尋ねる。

 

『この状況を撮影し続ける』

『はい。畏まりました。ところで、何故このような状況に?』

『戦乙女の仕業……仕業はおかしいか。戦乙女がしようと思ってした訳ではないからな』

 

 祖父はそう言い、籠の中に入って眠っている公爵夫人に視線を落とす。

 

『御前さまですか』

『おう。人類の夢を実現してしまった、末恐ろしい曾孫よ』

『親父さまも怖ろしい男だが、孫もそれに似たり寄ったりで、凡夫たるわたしには手に余る』

『坊ちゃまがご自身を凡夫と仰っては、世の中の人間の99%は凡夫になるかと』

『安心しろ。わたしは常々世の中の99%の人間は凡夫だと思っている』

『本当に中身は坊ちゃんなのですね』

 

 元皇女は「見た目養父だが、中身は間違いなく義弟だな」と独り言を呟く。

 画面の中の見た目祖父だが中身が曾祖父は、唐突に下男に問いかけた。

 

『医療用名ナノマシンの最終目的はなんだったと思う?』

『見当も付きませぬが』

『うん。お前はまっとうな男だからな。分からなくて当然だ。では教えてやろう。医療用ナノマシンの最終的な目的は、全てを手に入れた権力者が最後に望むもの”不老不死”を実現することだ』

『不老不死……』

 

 下男の驚きの声が、室内に木霊する。

 

『戦乙女は記憶らしきものを、コピーするかなにかして入れ替えることができる……と思われる。そうだな?』

 

 数多の権力者が求めた不老不死を、公爵夫人は実現させることができるのだと、彼らは語る。

 

『おそらく。不確かなことは言いたくはないが、研究するにしても時間はないしな』

『お前、その体だと、あと二三年で死ぬぞ』

『それはそれで、構いはしませんがな、親父さま』

『戻らないのですか?』

 

 下男の質問はもっともなこと。

 

『心配するな、戻る』

『親父さま、断言しましたが、根拠でも?』

『俺の推測だが”平民を治療してはならない”と”治療した平民は即刻処分廃棄する”ことが定められている理由がコレだろう』

『言いたいことは分かりました。最悪戻らなくても、特に問題はありませんしな』

 

 その後、祖父と曾祖父は「入れ替わりごっこしているから付き合え」か「え? 中の人などいないぞ。なにを言っている、俺は俺だ」のどちらで公爵夫人を誤魔化すかを話し合い始め、映像は途切れた。

 完全に言葉を失っている彼らに、

 

「七日後に主さまと先の公爵さまは、元通りになられました」

 

 下男は元通りになったことを告げた。

 公爵夫人は映像を観ながら、そんなことあったかなあ? と、記憶を探るが、この辺りの記憶も催眠術で靄がかかったようにされているため、はっきりと思い出すことができなかった。

 

「御前さまは人格を入れ替えることがお出来になります。聞かされたところで、信用する方はいらっしゃらないことでしょう。ですので話半分で聞いていただきたいのですが、この入れ替え、先の公爵さまによると”御前さまが治療した者”のみが受けられる恩恵となっております。閣下も御前さまの治療を受けたとお聞きしましたが」

「そうだ。ということは、わたしとビッテンフェルトが入れ替わる可能性があるのか?」

「そこなのですが、先の公爵さまは”それははっきりとは言えない”と仰っておりました」

「何故だ?」

「”おそらく”御前さまが治療した者のネオ・アンティキティラに、御前さまのオルヒエーデのタグかなにかが付いたことにより、人格の書き換えができる。ただもう一つ可能性がございます。それは血縁だから。特に御前さまと主さまは血が非常に近いこともあり、そちらが要因かもしれないと。ただこれに関しては人体実験をするわけにはいきませんので、データはございません」

「null型ネオ・アンティキティラ所有者のみ、人格交代が可能という可能性は?」

「それは歴史的に見てないのではと仰っておられました。不老不死の研究をしていた頃には、null型ネオ・アンティキティラは存在しておりませんでしたので、特殊個体ではなくとも入れ替えは可能かと。補足いたしますと、平民の中には御本人すら自らの出自を知らぬ、貴種の御落胤もいらっしゃいますので、平民を簡単に平民と括るわけにもいきませぬ」

 

 貴族や皇族の隠し子は、それこそかなり存在するので、平民同士でも同じことが起きるのか調査するには、膨大な時間を掛けて平民の身上調査を行わなくてはならない。そのため実験は行われなかった ―― そうでなくとも、行いはしなかったであろうが。

 

「その当時、邸にいて血がつながっていないのは、そこな若の義弟(ファーレンハイト)陛下の亡き母君(黒縁眼鏡)くらいか。若の義弟ならば信頼できるが、陛下の亡き母君はそこまで信用できぬであろうしなあ。兄弟もこればかりは協力できぬしな。なあ兄弟」

 

 絶対に口を割らない下男だが、彼はカストロプ本邸で生まれ育った存在ゆえ、null型ネオ・アンティキティラの性質は、祖父よりも公爵夫人に近い。

 

「兄弟と呼ばないで下さいませ、と言いたいところでございますが、今回ばかりは否定いたしませぬ兄弟殿」

「素直でよろしい。して宰相殿、考えは纏まられたか?」

 

 話の内容が内容なので理解どころか、飲み込むまでかなり時間が掛かるものだが、

 

「ふむ……映像の中で”平民を治療してはならない”と”治療した平民は即刻処分廃棄する”と言っていたのは、貴族と平民の人格の入れ替わりを防ぐために、そのように定められたわけだな」

 

 ラインハルトは衝撃から直ぐに立ち直り下男に質問する。

 

「はい」

「では過去に、一度は人格入れ替えがあったと考えて間違いないな」

「はい。ネオ・アンティキティラ第一世代のころ、研究施設において男女の人格が入れ替わり、こちらも七日後には元に戻ったとのこと。この二人の子孫のみに発生するといことはございません。この二人は現王朝とその貴族には何ら血縁関係はございませんので」

「なるほど。ネオ・アンティキティラが稼働すると引き起こす()()というわけだな」

 

 権力者、独裁者が最後に求める不老不死も、ラインハルトにとっては何ら魅力はなかった。

 

「閣下が弊害と仰るのでしたら、弊害かと」

「情報を整理しきれてはいないが、他になにかあるか?」

「先の公爵さまによりますと、これも確証はないとのことですが、御前さまは人間の記憶を入れ替えることができますが、ご自身が入れ替わることはないとのことです。これはネオ・アンティキティラの形も違いますし、機能も違うので、書き換えることは不可能だろうとのことです」

「他人に不老不死をもたらすことはできても、自身は不老不死になれないわけか」

「そのようです。同じタイプの医療用ナノマシンを持つ人間が現れたらどうなるかは、先の公爵さまでも分からないとのことです」

「まあ、そうだろうな」

「故にこの能力を亡き辺境伯(中二病)さまは失楽園と名付けました」

 

 キルヒアイスが救えなかったことに落ち込んでいた公爵夫人だが、人格入れ替え能力が失楽園と名付けられたと聞いて ―― いつも通りになった。要するに「中二ヤメロ」である。

 さらに失楽園と言われても、幕僚は誰一人頬を緩めることなく真顔で聞いているので、いたたまれなさが倍増してゆく。

 

「閣下。ここで()()()()()()()()()()と御前さまに、主さまからのメッセージを視聴していただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

「構わん」

 

 先ほどまでの映像は平面であったが、メッセージはホログラフのため、機器を設置しなおして、

 

「それではまず、()()()()()()()()()()から」

 

 ラインハルトにも感じ取れない棘を微量に含んだ口調で、下男は映像を再生する。

 ホログラフは公爵夫人の父親で、

 

『これをお前が見ているということは、俺は死んでいるということだろうが……』

 

 良くある挨拶から始まり、体調を気遣ったり、無理はしないようになど幾つかの一方的な質問のあと、公爵夫人について語り出した。

 公爵夫人の記憶は祖父(曾祖父)が催眠術で封じたこと、自分と父親(祖父)は催眠術を掛けることはできない。

 解き方は簡単で、祖父(曾祖父)がかけた時と同じように、古典的な振り子で解けるが、その振り子の重りの部分は、士官学校の卒業記念リング、それも主席のものでなくてはならないと告げた。

 公爵夫人の能力が戻ったのは、何のことはない、髭そりの練習のために、ファーレンハイトの襟元まで開けてケープを装着させた際に、首に父親の卒業記念リングが下がっていたためである。

 あとは締めだが、事前に告げなかったのは敵を騙すにはまず味方からという諺通りに、教えなかったこと。

 元々は敵同士なので、この先敵対しても良いことなどを告げて、父親は陽気に別れを告げた。

 そんなファーレンハイトに向けてのメッセージを脇で聞くことになった公爵夫人は、父親が思いの他まっとうに喋っていて、かなり本気で驚愕していた。

 

「次は御前さまに」

 

 そんな驚いている公爵夫人に、下男が再生したホログラフは曾祖父で「なにかを喋った」が、公爵夫人以外は理解できぬ言語で、だが、どうも怒りを誘うものだったらしく、公爵夫人は手袋を脱ぐと全力でホログラフに叩きつけ ―― 当然すり抜けていった。

 公爵夫人がなにを怒っているのか分からない彼らだが、

 

「……」

「いかがなさいました? 閣下」

 

 ラインハルトが首を傾げ思案の表情を浮かべているのに気付いたオーベルシュタインが声を掛ける。

 ラインハルトは制するように手を動かし、そして、

 

「先ほどの公爵夫人の能力に関する記録映像だが、あれは所々、吹き替えたのか?」

 

 最後の曾祖父から公爵夫人へのメッセージを聞き、理解はできなかったが、視聴している間に感じた違和感の正体を突き止めた。

 

「はい、その通りでございます閣下」

 

 公爵夫人は結婚するまで日常の会話は宮廷語で、普通の言葉はほとんど使用しなかった。無論、普通の言葉も喋れるが、それよりも遙かに難しい宮廷語のほうが馴染み、咄嗟に出てくる。その理由は、家庭内での公用語が宮廷語だったため。父親がファーレンハイトに宛てたメッセージすら宮廷語なのだ ―― ならば、ホームビデオの映像に通常の言語はおかしい。

 

「この映像は公爵夫人向けではなく、我々向けに編集しなおしたものなのだな?」

 

 ミッターマイヤーの親族に話し掛けている時や、ミュッケンベルガーが副官に話し掛けている部分は吹き替えは行われていない。

 あと公爵夫人の喋りも ――

 

「null型ネオ・アンティキティラについて詳しくない方には、此方の映像を使うよう申し使っておりました」

「皇子、卿の言う所の主殿の命か」

「はい。閣下、私感を申し上げてもよろしいでしょうか?」

「構わん」

「主さまは、御前さまが門閥貴族や皇族を伴侶に選ばぬこと、また、選ぶ相手は帝国随一の頭脳の持ち主であると予測していたかと。そうでなければ、吹き替え版を作ったりはしないでしょう。なにせホームビデオで吹き替え版を作ったのは、この二本のみですので」

 

 ラインハルトは頬杖をつき、

 

「それに関しては、卿に全面的に同意する。それにしても、卿は役者だな。二度目というのに、あれほどまでに驚いた声を上げるとは」

「主さまのご命令ゆえ、努力いたしました」

 

 投げつけ素通りした手袋を拾い上げ、握り締めて怒りを堪えているらしい公爵夫人に視線を向けた。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「出頭いたしました」

 

 公爵夫人の能力が明らかになったあと、ラインハルトは能力の有無について確実に知っているミュッケンベルガーを呼び出した。

 

「ご苦労。秘書官は下がれ。ミュッケンベルガー、フリードリヒ四世の薔薇園に咲いていた、淡いピンク色の薔薇についてだが」

 

 秘書官のマリードルフ伯爵夫人を退出させてから、ラインハルトは公爵夫人の能力について質問したが、ミュッケンベルガーはそのようなことは知らないと言い張る。

 これは拷問にかけても口を割らないだろうと ―― ラインハルトは質問を変えた。

 

「そうか。ところで、リヒテンラーデ最後の当主クラウスは、このことを知っていたと思うか」

「失脚したとは言え、帝国宰相にまでなった男。知らぬはずがない」

「なるほど。では卿に尋ねるが、あの男はなぜ公爵夫人に皇帝の治療を依頼しなかったのだ」

 

 公爵夫人の能力を持ってすれば、心臓麻痺も多臓器不全も回復させることは可能。その能力の存在を知りながら、なぜリヒテンラーデ公は手をこまねいていたのか? そして誰もそのことを責めなかったのか?

 

「公爵夫人が御殿医長の座に就いて下さらなかったからであろう。帝国宰相は御殿医長を任ずる権限はない。正確には”正統なる”黄金の血公爵家の当主を御殿医長に任命する権限は、ただの人臣ごときにはない」

 

 リヒテンラーデ公の権力を持ってしても、公爵夫人を皇帝の主治医にすることはできない。

 

「皇帝の命なれば?」

「ご下命を賜れば、公爵夫人も引き受けたであろうが、亡き陛下はなさらなかった。それが全てだ」

 

 生きながらえる方法を知り、手に入る立場にありながら、なぜそれを無視して死んでいったのか? ラインハルトはフリードリヒ四世の心の内を知る術はない。

 あの男(フリードリヒ四世)を自らの手で殺したかったという思いを抱きながら帰宅した。

 

「黄金の血公爵家の人間は、()()()()()()()で皇帝の主治医になれるそうだ。なる?」

 

 三次元チェスを打っていた公爵夫人に告げた。

 もちろん無条件は無条件ではなく、null型ネオ・アンティキテイラを所持していることが絶対。それを皇帝が認めれば、その座に就くことができる。

 ラインハルトの言葉に、公爵夫人は首を振って否定した。

 

「そうか……。あの、一つだけ聞いてもいいだろうか?」

 

 ラインハルトは彼らしからぬたとえ話をする。

 

「俺が自らの手で殺そうと思っている相手が死にかけている。()()()治療してくれと頼んだら、あなたは治してくれるか」

 

 公爵夫人の答えは「否」であった。

 

「そうだな……」

 

 答えはまさに即答で、ラインハルトが呆気にとられるほど。もう少し悩んでくれてもいいのでは? と思わなくもなかったが、この果断さは好ましさの一つでもあった。

 ラインハルトは「もしかしたら、あの男をこの手で殺せたかもしれない」という考えをきっぱりと捨てて、

 

「話は変わるが、腕枕というものを知っているか? ……あ、……その……どうだろう?」

 

 ベッドで腕枕して寝ませんか? と、ためらいがちに誘った。

 言われた公爵夫人は、腕枕の一つや二つと了承したのだが、肝心の「腕枕したい」の解釈を完全に間違い、ベッドに横になり腕を伸ばして、自らの二の腕をぽんぽんと叩き「どうぞ」と ―― ラインハルトは公爵夫人()腕枕をしたかったのだが、公爵夫人()腕枕になってしまった。

 

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