「髪長姫の想い人とは、一体誰なのか」
ラインハルトは居もしない公爵夫人の想い人に頭を悩ませていた。ちなみに口から出任せを言った張本人は、ただいま三次元チェス大会に出場すべく、フェザーンに向かっている途中。
そんな独り言を呟いているラインハルトの側にいるのは、唯一事情を知っているオーベルシュタイン。
「どれほど調査をしても、見つかりません。まことに申し訳ございません、閣下」
オーベルシュタインとしては、公爵夫人はラインハルトにとってこれ以上ない好条件の伴侶なので、二人の離縁を防ぐべく、公爵夫人の想い人を秘密理に処分してしまおうと考えひたすら捜していたのだが ―― さしものオーベルシュタインでも、居ない者は見つけられない。
【公妃の想い人】という、非常にデリケートな問題ゆえ、軍務尚書自ら指揮を執り、僅かな人員で調査を進めていた。
公爵夫人としてはそんな些細なことに、オーベルシュタインが関心を持ち、自ら捜しているなど考えてもいない。
そんなことを考えていたら、フェザーン行きの宇宙船で、精力的に歯科助手の資格取得に励んでなどいられない。
「では下男が言っていた、最終手段をとるか」
架空の存在に頭を悩ませて居る二人のうちの一人、ラインハルトが”これで分からなかったら諦めてください”と言われた人物に話を聞くことに決めた。
「最終手段ですか?」
「ああ。髪長姫の下男がファーレンハイトならば、なにか知っているかもしれないと言っていたのだ」
「なぜファーレンハイト提督が?」
「ファーレンハイトは元は子爵の令息で……手紙を読んだほうが早かろう」
ラインハルトは下男からの手紙をオーベルシュタインに差し出す。それに目を通したオーベルシュタインは、これならば知っているかもしれないと納得したのだが、一つ気になる点があった。
「失礼いたします……なるほど。ところで閣下、手紙の日付を見ると、随分と前になっておりますが、なぜ今まで出頭させ尋問しなかったのですか?」
日付はリップシュタット戦役が終わって直ぐなので、かなり放置していたことになる。
「髪長姫が嫌がるからだ」
「何故ですか?」
「髪長姫は昔、ファーレンハイトととあることで、喧嘩別れしたそうだ。詳細は教えてはもらえなかったが、言いたくないことを無理に聞き出すわけにも行くまい」
”そこは重要です。聞き出しましょうよ閣下”と、
「喧嘩別れ……ですか。いつ頃のことで」
「ご両親が亡くなった頃だとか」
「ではファーレンハイト提督に出頭命令を出します」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「卿は公爵家に世話になっていたとか」
出頭命令を受けたファーレンハイトは、今頃になってその話題に触れられたことが、かなり不思議であった。
「はい」
ファーレンハイトは
そのことを知る者は少ない。隠してはいないのだが、当時のことを知っている者はことごとく鬼籍に入っており、僅かに残っている知る者は仲違いしているため語ることがなく、そのため、公爵夫人とファーレンハイトの関係は、オーベルシュタインですら掴み損ねていた。
「わたしの妻の幼いころについて、卿は知っているか?」
特に公爵夫人の邸に出入りしていた頃、ファーレンハイトは別の姓を名乗っていたことも要因の一つである。
「たしかに少しは存じておりますが、公爵夫人のことについてならば、あの下男に聞くべきかと」
「あの下男が知らぬことだ」
「ならば小官には分からないでしょう」
「なによりあの下男が”もしかしたら、御前さまに最も年齢が近い、かの子爵がご存じかもしれません”と、紹介してくれたのだ」
公爵夫人は同い年の子供と遊ぶことはほとんどなく、召使いたちに囲まれて過ごしていた。召使いたちは昔から仕えており、年齢はかなり上。
彼女を囲んでいた者たちのなかで、最も年齢が近かったのが居候だった、没落して一族に見放され途方にくれていた
ただし彼でも公爵夫人とは十六歳離れている。
「それは……では、お聞かせ願います」
ファーレンハイトは下男の「かの子爵」の部分に含まれている毒と棘を、黙って受け入れた。
「卿は髪長姫が片思いしている男について、心当たりはあるか?」
「公爵夫人の不倫の相手ですか? 存じませんが」
夫が妻の好きな相手を聞く ―― 政略結婚ならば恋人の存在は多々あることゆえ、聞かれた内容の真の意味をファーレンハイトが理解できなかったとしても、それは彼を責めるべきではない。
「いいや不倫ではない。髪長姫はわたしと結婚するより以前から、想う人がいるのだ」
「…………閣下、何を仰っていらっしゃるのですか?」
「それほど深刻に考えなくて良い。髪長姫の初恋の相手は誰だったかを尋ねているのだ」
ファーレンハイトの脳裏に蘇る公爵夫人は、海でなまこを捕まえてそのまま頬張る衝撃の二歳児だったり、曾祖父と一緒に密造酒造りに精を出している天才三歳児だったり、やはり曾祖父とあと下男とともに、大貴族の荘園に忍び込み兔をお手製ブーメランで捕らえて持ち帰って調理しているサバイバル力に満ちあふれる四歳児だったり、軍鶏と睨みあい
先ほどの不倫も、言葉にしてみたが、自分で何を言っているのか、よく分からなかったほど。
「戦乙女……公爵夫人の初恋ですか? 小官は聞いたことはありませんが、なにか手がかりはありますか」
公爵夫人がラインハルトのことを好きで結婚したのではないことは、薄々気付いていたファーレンハイトなので、その初恋の相手が気になった。
「平民だと言っていた。それしか分からん」
「それはあり得ないかと」
「何故だ?」
「あの邸に出入りしていた者は唯一の例外である小官をのぞき、全て有爵貴族。あの下男も一目で分かる生まれ。戦……公爵夫人が平民を見初めることはないと存じます」
「そうなのか。卿も知らぬか」
手がかりはもうないのかと、ラインハルトは頬杖をつきため息を吐き出す。
「一つお伺いしたいのですが」
「なんだ、ファーレンハイト」
「公爵夫人の初恋の相手を見つけて、いかがなさるおつもりで?」
「それについて、色々と悩んでいるところだが……初恋の相手がいいというのならば……約束してしまった手前、添い遂げさせぬ訳には」
「ファーレンハイト提督。公爵夫人から聞き出してはもらえぬだろうか?」
オーベルシュタインは話し掛けたいと思い、いつも機会を窺っているのだが ―― 三十半ば独身中年男性が、十代半ばの人妻(契約)に声をかけるのは、なかなか難しいもの。変に声を掛けたら、
そのため、もともと公爵夫人にとって警戒人物ナンバーワンの座についていたのに、そろそろ至高のオンリーワンになりそうなくらいに。
「それは……無理だろう」
「無理なのか?」
「……一つ聞かせていただきたいのですが、公爵夫人は閣下に資金援助を求めましたか?」
「髪長姫が求めていたのは身の安全だ。門閥貴族たちが、あの血筋を求めて暴力的に既成事実を作ろうとしていて困り果て、わたしに庇護を求めにやってきた。資金はその次だな」
「そう……でしたか。今の話を聞き、確信いたしました。公爵夫人は決して小官とは話して下さらないでしょう。資金援助ならば小官にも可能でしたが、一切そのような話はありませんでした。小官は完全に見捨てられた存在です。当然の報いではありますが」
「そうか。卿と髪長姫になにがあったのかは知らぬし、無責任なことは言えぬが、髪長姫はわたしと違って寛大な女性だ」
「たしかに寛大でしょうが、寛大さには限度があります。小官は限度を超えてしまった自覚があります」
ただファーレンハイトは公爵夫人のことが嫌いになったわけではなく、むしろずっと心配しており、「次こそは」困った時には手を貸そう、その時に謝ろうと考えていたのだが、その「次」も逃してしまい ―― ファーレンハイトが考えていた次とは、公爵夫人がラインハルトに身の安全を求めた頃。
その時こそ、
公爵夫人がここ以外、住む場所がないことを知っていたファーレンハイトは、なにか連絡が来てはいなかったか? 忙しさにかまけて見逃していたかと、手紙を漁ったがなにもなく、一縷の望みをかけてメールを確認したが、こちらも当然なかった。
「俺に話し掛けるな!」と喧嘩別れしてから四年後の出来事。
その時どころか喧嘩した時から後悔しているファーレンハイトに、連絡なく消えたという事実に彼はうち拉がれた。
こうして謝りそびれた上に不義理に不義理を重ねて早七年。最早謝ってどうにかなるような時期は過ぎていると本人は考えている。
そんな彼に舞い込んだのが、三次元チェス大会の公式パンフレットの応援メッセージ。
「話し掛けられんが、祝いの言葉を認めるくらいならば……」
色々と文面を考えて、最後に自分のせいで殺されてしまった
それを読んだ
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
公爵夫人の曾祖父は元皇太子だった ―― 妹の家でその夫と飲んでいた際に、ルッツがその事実に驚いたと語ったところ、
「義兄さん、本当に知らなかったのですか」
「ああ」
義弟のエルスハイマーは
「義兄さんに目をかけてくださった方のご令嬢のことですよ。気にならなかったのですか?」
「俺はあまり出自は気にしないほうだからな」
「少しは気にかけてください……たしかに、公妃さまの父君は、あまり血筋を自慢なさるようなお方ではありませんでしたが」
「良いところの出なのは、俺にも分かってはいた。なにせ皇太子殿下の親友だったからな……そういえば生前、皇太子殿下は”辺境伯のほうが血筋はいいんだぞ”と語っていたが」
「なぜ気付かなかったのですか」
「母方の血筋の話だとばかり」
「たしかに皇太子殿下の生母は……義兄さん、よろしければお教えいたしましょうか?」
原作で後々新領土の民事長官として赴任するエルスハイマー。彼はラインハルトの登極以前より、文官としての才能を遺憾なく発揮していた。
ゴールデンバウム王朝下で才能を発揮するために必要なものの一つに、貴族の出自を抑えておくことが挙げられる。
「ああ。だが詳しくは必要ない。公妃殿に失礼がないように接するために必要なことを教えてほしい」
公爵夫人本人が聞けば「近々居なくなるから、無駄なことは覚える必要ないよ、コルネリアス」だが、当然ルッツはそんな事情は知らない。
「また無茶なことを言われますね、義兄さん。……では一つ。陛下の婚約者は公妃さまでした」
「エルウィン・ヨーゼフ二世?」
「はい。父親が親友同士ですので、お互い子供が生まれた結婚させようと。血筋は公妃さまのほうが上ですが」
即位している皇帝よりもよい血筋を持つ存在は、めずらしいことだが、歴史上何人か存在しており、公爵夫人はそのめずらしいに分類される存在であった。
「待て。公妃殿のほうが十歳くらい年上ではないか」
「義兄さん、妃が年上など珍しくはありませんよ。婚約といっても、口約束のようなもので、陛下がお生まれになるより前に辺境伯が亡くなられ、その後はごたごたがあり……で、正式な婚約が定まることはなかったようです」
「それはよかった。公妃殿はエルウィン・ヨーゼフ二世にはもったいない」
「義兄さん。おそらく、皇太子殿下がご存命でいらしたら、陛下ももう少し……」
公爵夫人の父親と仲の良かった皇太子は、気さくで人柄も良く、才能があれば平民でも登用し ―― あのエルウィン・ヨーゼフ二世の父親とは思えないほど。
惜しむらくは皇太子に後ろ盾がいなかったこととされているが、皇太子本人は後ろ盾などには興味がなく、一切それを望まなかった。
「まあな。皇太子殿下は良いお方だった。事故にあって亡くなられたのが、悔やまれたが……いまはローエングラム公がいらっしゃる」
才能ある皇太子だったのだが、事故により既に故人である。
事故の詳細は分かってはいないが、ブラウンシュヴァイク公爵かリッテンハイム侯爵の工作によるものではないかとずっと噂されていた。
「はい」
「そう言えば、皇太子妃殿下はいまだに入院なさっているのか?」
夫を失った皇太子妃は、半狂乱となりそのまま精神病院に入院 ―― ルッツもそこまでは知っていたのだが、
「義兄さん。皇太子妃殿下は、五年近く前に病院で亡くなられましたよ」
とうの昔に亡くなっていた。
「即位を見ることは叶わなかったのか」
ルッツは皇太子妃の姿を思い描こうとしたのだが、何度も見た記憶があるに関わらず、全く思い出すことができなかった。一目見たら忘れられない
「喜べる即位でもありませんでしたが……」
その後、義弟から色々と説明を受けたルッツは、なんとか公爵夫人の近辺について詳しくはなれた。
「お二人の間に御子が誕生したら、俺たちも安心なのだが」
エルスハイマーの説明を聞けば聞くほど、ラインハルトに相応しい女性だと確信を深めたルッツは、最後に帝国人として、最高の忠誠心が籠もっている台詞を吐いた。
同盟でそんなことを言ったら大問題だが、専制君主の後継者を産むのに相応しい女性というのは、その社会体制ではこれ以上ない褒め言葉なのだ。
「義兄さんの言いたいことはわかりますが、まだお二人ともお若い。なによりローエングラム公より十以上年上でありながら独身の義兄さんがいっても、説得力の欠片も」
「ほっとけ! ……そうだ、応援メッセージにそれとなく書いておくか」
こうしてルッツは義弟とともに、チェスの応援と、かつて
後日公式パンフレットが配布され、オーベルシュタインがぶっちぎっているのを見て「俺もこの位は書きたかったのだが」と ――
それを読んだ公爵夫人は
勿論「跡取りは他をあたれ」の姿勢は微塵も揺るいではいない。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ラインハルトの説得に応じて家臣となったシュトライトは、彼が知っている重要な秘密について、打ち明けるべきかどうかを悩んでいた。
―― 皇太子殿下が存命なのをお教えするべきか……
彼はこの件について概要と結果は知っているが、詳細については知らない。だが秘匿すべきではないと考えているのだが、そうなると詳細を知っている人物の名も挙げる必要がある。
彼が知っている全容を知る者は、皇太子の亡命に協力したブラウンシュヴァイク公と公爵夫人の祖父と下男の三名。
三人のうち二人はすでに故人で、最後の一人は普通に聞いたところで喋りはしない。
―― 公爵夫人を通さねば下男は口添えしてくれないだろうが、公爵夫人が信じて下さるかどうか
あの下男は基本、人とは喋らない。無口なのではなく、奴隷は身分ある人と話をしていはいけないのだ。
主は命じ、奴隷は返事を許されるだけ。会話するなど以ての外、余計なことを喋ろうものならばぶたれる。公爵夫人の下男はよく躾けられているので、シュトライトが話し掛けたところで答えはしない。
ラインハルトの問いにしっかりと答えているのは、事前に公爵夫人からラインハルトにはしっかりと受け答えするようにと言いつかっているため。
元皇女との会話に関しても、養女として迎えられた際に曾祖父から、会話してもよいと許可を出されていたためである。
手紙も同じで主の許可なく返信など行わない。
なにより奴隷は基本手紙など書けず ―― 公爵夫人の下男は身分こそ奴隷だが、その身分を解放さえすれば上級使用人になることが可能なほど、教養を身につけている。
それらの許可が出ていないシュトライトが、躾けられている下男に口添えしてもらうためには、公爵夫人の許可を得る必要があるのだが、ではその公爵夫人が自分の話を聞いて信用してくれるかとなると、シュトライトには自信がない。
話せば分かってくれる相手だとは思っているが、話を聞いてもらえるかどうかとなると別。
―― わたしは昔から存じ上げているが、公爵夫人は他家の使用人など知らぬであろうし
公爵夫人は世間的には深窓の令嬢 ―― たしかに深窓の令嬢であった。邸の奥、人目に付かないところで軍鶏を飼ったり、畑を作ったりしていた令嬢という意味で。
公爵夫人の実情はともかく、シュトライトは悩んでいたのだが、その悩みは近々解消されることになる。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「閣下。メッセージ長すぎませんか?」
公爵夫人の公式パンフレットに掲載する応援メッセージを、勝手に読んだフェルナーの正直な一言。
だがオーベルシュタインは気にせず仕事を続ける。
「いやいや、長すぎますよ。小官が添削しましょうか」
「要らん」
放っておくと、本当に添削してしまう部下に止めろと。なにせこの長文、オーベルシュタインとしては意味があった。
「ですが」
「誰も提出しなかった時のために、長文にしたのだ」
言いたいことをこれに乗じて全て伝えようという私心はあったが、第一の理由は応援メッセージが期限内に提出されない可能性を考慮し、その穴埋めのために、公爵夫人が引くレベルの長文を認めたのだ。
この応援メッセージ、オーベルシュタインが書くよう各提督に直接要項を配布したのだが、その際彼らの表情は総じて引きつっていたので、提出期限に間に合わぬ者もいるやもしれぬと ―― 彼はそう考えて、埋められるよう認めたのだ。
「閣下への応援メッセージなら、それはあり得ますといいますか、きっとそうなるでしょうが、公妃は諸提督方にも評判がよろしいですから、まずその心配はないかと」
歯に衣着せぬ男の部下は、やはり歯に衣着せぬ男であった。
「確かにな。短文も用意しておこう」
「そうですか。ところで閣下は、公妃の父君の部下でいらっしゃったのですか?」
「ああ。仕事に戻れ」
「畏まりました」
その後はフェルナーの言う通り、全員からメッセージが届けられたので、オーベルシュタインは自分のメッセージも短文のほうを乗せるよう、
「送るように」
「畏まりました、閣下。あとは小官にお任せください」
フェルナーに指示を出した。その結果が、一ページ丸ごとオーベルシュタインからのメッセージが載る公式パンフレットの完成である。
「閣下が折角心を込めて書かれたメッセージですから、掲載してもらうよう働きかけました」
なぜ私はこの部下に、最終発送を任せてしまったのだろう ―― オーベルシュタインがそのように考えたかどうかは不明だが、何も言わず咎めることもせず、冷徹なる軍務尚書は仕事に戻った。
オーベルシュタインのメッセージに「あ゛あ゛あ゛……」と精神を削られた公爵夫人だが、短い方も父親の部下だったということは書かれていたので、削られ具合は変わらなかったことであろう。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ラインハルトの元帥府は、元は王侯が住んでいた宮殿である。末期は
大貴族の邸には様々な施設が併設されており ――
公爵夫人が帝国の三次元チェスの大会に出場したことで、一部の者たちが財宝の在りかに気付き、
公爵夫人が彼らに示した財産とはワイン。
元貴族の邸だった元帥府にはワインセラーがある。それも由緒正しく、定期的に銘酒が供給されていたことも判明しており、さらに知識がある者は「二本しか作られない白ワイン」の一本が残っているかもしれない……等、とにかく希少なワインが揃えられているに違いないとされるワインセラーに、一攫千金の夢を抱くものが続出した。
抱くだけで実行に移さないもののほうが多かったが、当然移す者もいる。
外から忍び込む者は、受付であらかたはじけるが、元帥府の職員となると、ラインハルトと公爵夫人の住居部分近くなので、易々とは言えないが、それでも忍び込むよりはずっと簡単に近づくことができる。
そんな彼らが最後に突破しなくてはならないのは、暗証番号と網膜と指紋の承認システム。
登録されているのは、公爵夫人と下男の二名だけ。
そのうちの
下男に口を割らせようとして、傷害事件が発生し、憲兵隊が元帥府内を走り回るといった事態に発展した。
「覇王よ。もう少々、下級兵士を鍛えたほうがよろしいかと。わたしめのような老骨に軽くいなされるとは、情けのうございます」
「申し訳ない」
幸い下男は身を守る術を持っていたため、事なきを得たが、元帥府内で自分の妻の私物盗難未遂事件及び暴行未遂事件にラインハルトは怒りを露わにし ―― 情報を整理することにした。
「あのワインセラーの中身と、訳の分からぬ噂について教えて欲しい」
ただ窃盗未遂犯が求めているものがごちゃごちゃしており、また来歴云々と、まとまりがないので、事情をほぼ完璧に知っているであろう下男に説明を求めた。
「覇王よ。わたしめのような奴隷に聞かずとも、そちらにいらっしゃいます、由緒正しき侯爵閣下が全てご存じかと」
下男は由緒正しき侯爵閣下ことファーレンハイトに説明してもらうよう告げる。この時、部屋にはラインハルトの麾下の将校が全員揃っていたので ―― 全将校の部下が盗みを働いていたので、呼び出されていた ―― 下男が語りづらいのであろうと考えて、その意見を採用した。
「ファーレンハイトの説明で分からぬところがあったら卿に聞く。良いな」
「御意にございます」
「ではファーレンハイト、説明を」
「……畏まりました」
下男からキラーパスされたファーレンハイトは、部屋の隅に用意された椅子に腰を降ろしている元皇女と、素知らぬ顔で立っている下男を一瞥してから、宝について語り始めた。
「この元帥府のワインセラーに希少なワインが大量に保存されているとされる理由は、大ツークツワンクにあります。先々代オトフリート五世は、大の三次元チェス好きで、大ツークツワンクが優勝するたびに、高価な赤ワインを一本下賜していました。大ツークツワンクは何本か飲まれたようですが、全ては飲んでおらず、ワインセラーに幾本か残っている……はずです。小官は現在のワインセラーの状況は知りません」
「残っているのか?」
ラインハルトに問われた下男は頷き答える。
「はい残っております」
オトフリート五世のワイン下賜は、元皇女が臣籍降下した頃からで、元皇女が性転換のためにオーディンを離れた後は、その費用を出したことに対しての補填の意味を込めて、帝室においても希少価値が高いワインを下賜した。
さらに高価なワインが下賜されたことについてだが、その頃ちょうど、大ツークツワンクは父親である小ツークツワンクの記録を越したため、前人未踏の大記録を更新したこと、また更新し続けることに対しての褒美だろうと解釈されていた。
オトフリート五世亡きあとも、ワインの下賜は続いた。フリードリヒ四世の下賜理由は、皇太子の養育にの対価だろうと考えられており、事実そうであった。
ファーレンハイトは皇女の性転換のあたりには触れなかったが、それ以外は隠さず告げた。
「下賜品のリストは、現在は閲覧自由になりましたので」
元々誰がどんな品を下賜されたのかなど、平民は分からなかったのだが、ラインハルトが実権を握り、情報の開示をした結果、公爵夫人の手元には大量の銘酒があることが判明したのだ。
「三九二年ものベルガフォード赤ワインですが……あります。小官も
公爵夫人が以前ラインハルトと食事をしたレストランで
それは曾祖父が持っていた元皇太子というブランドの他に、彼の妻である曾祖母が
「ベルガフォードと言えば第三皇女家の領地では? 公妃殿の曾祖母の姓は別だったような」
公爵夫人の曾祖父が元皇太子だったと知らされた彼らは、その後独自に公爵夫人の系図を調べていたが、第三皇女家の曾孫だとは分からなかった。
「もう一歩踏み込んで調べるべきだったなミュラー。曾祖母殿は第三皇女家の生まれだが勘当された。その後曾祖父殿と結婚するために、父方の遠縁に養女に入った」
第三皇女家とは異称の一つで、他にも第一皇女家から第四皇女家まであり、それはルドルフの娘たちが嫁いだ家のことを指す。
例えば長女エリザベートが嫁いだノイエ=シュタウフェン公爵家は
「では公妃殿は途絶えたとされている第三皇女家の血縁か?」
「血縁というよりは当主だな。もちろん途絶えたとは言われていたが、門閥貴族たちは皆知っている。なにより曾祖母殿は、第三皇女家の長女で、ワイン造りが大好きだったそうだ。公爵令嬢にしては変わった趣味だが、才能もあられた。卿らも好きであろう? オーディン産410年ものの赤ワイン」
今から七十八年前にオーディンのどこかで作られた赤ワイン。
これが公爵夫人の曾祖母が最後に作った赤ワインでもある。
「なるほど。そこまでワインに縁が深ければ、愚か共がワインセラーの中身に浮つくのも分かる」
「浮ついたからといって、盗みを働くなど以ての外だがな、ロイエンタール」
「それはそうだミッターマイヤー。ところでファーレンハイト、二本しか作られていない白ワインとは?」
「第三皇女家で行われていた、娘の誕生を祝う行事です、ロイエンタール提督。第三皇女家では、娘が生まれた年に白ワインを二本だけ作り、一本は初夜に夫となる相手と開けるそうです。あそこで作られる白ワインはこの二本だけで、これが飲みたくて娘を皇后に迎えた皇帝もいたとされる程の品だ」
公爵夫人としては
以前はワイン好きなラインハルトに宇宙を征服した暁に「お世話になりました☆」の気持ちを込めてプレゼントしようかと考えたこともあったが、ラインハルトの部下に
「皇帝の権力で取り上げたりは?」
「飲みたければ娘を妃に……と言われて終わりだ、ワーレン。それで、曾祖母殿はこの元帥府に嫁に来た。その際持参したのが白ワイン二本と、ベルガフォードの葡萄の種。種はこの邸の庭にまかれ、お二人はご結婚なされて一本は開いたが、もう一本は残っているのではないか。そして半世紀以上ぶりに生まれた
公爵夫人の白ワインの残りが
「曾祖母殿の白ワインはともかく、公妃殿の白ワインはそれほど価値があるのか?」
ベルガフォードのワインが幻とされるのは、四○○年に突如発生した病原菌により、その惑星の固有種だった葡萄が全滅してしまったことが原因である。いくつかの汚染されていない種が持ち出され、栽培が試みられたのだが、環境もそうだが育て方を知っている者がいなかったため育つことなく、絶滅してしまった ――
「おそらく、公式パンフレットが配布されるまでは、専門家たちにとっても自家製白ワイン程度の認識だった筈だ、ビッテンフェルト。だが……お二人の写真、元帥府の葡萄の木の前で撮られましたね。あの木と葉を見れば、少しワインをかじったものならば、直ぐに分かります」
そのなくなったはずの葡萄の木を背に、ラインハルトと葡萄の木を育てることも得意だったとされる女性の末裔が一緒に写っている。撮影場所について調べれば、その木が間違いなく本物だと分かってしまう。
「それで卿が、巡回を依頼してきたのか……まあ、巡回させていた
公式パンフレットを見たファーレンハイトは、葡萄の木が切り刻まれて売られることを防ぐ必要があると考え、ケスラーに依頼したものの、大金に目がくらんだ憲兵が切ろうとしているところに、
「警備の人員を増やすより、立ち入り禁止にしてしまったほうが良いようだな」
ラインハルトは立ち入った者には厳罰を加えるようにし、その辺りを封鎖した。
公爵夫人がそれを聞いたら「
ちなみに下男がと元皇女が元帥府に来ていたのは、ワインの管理の他に、ラインハルトの健康管理のために、甘酒を飲ませるよう指示を出していたためである。
「どうぞ覇王。お飲み下さい」
公爵夫人はラインハルトの健康に気を使い、直ぐに栄養が取れる甘酒をラインハルトに勧めていた。
もちろん甘酒は
「もらおう」
大概のことは公爵夫人と互角の下男だが、甘酒造りに関しては後塵を拝している。
「御前さまほどの旨さが出せぬこと、お詫びいたします」
「気にするな。悪くはない。おそらく髪長姫が上手過ぎるのだろう」
「はい。僭越ながら、生誕を祝う白ワインに関してですが、覇王が銀河を統一した際に開けると仰っておりました」
もちろんこれは白ワインが二本、セラーに残っていると下男が心配するだろうと考えて公爵夫人が考えた嘘。
「そうか。分かった」
下男に対しての嘘であることは、ラインハルトも察しはついたが、言うわけにもいかないので、甘酒を飲みながら軽く返事をした。
この一件のせいで、白ワインの逸話と残りが二本なことを知った各幕僚は、自分たちが書いた応援メッセージの締めが正しかったことを確信。
そして「帰国後には、是非とも白ワインをご持参の上、公に迫ってください」と ――
帰国後、白ワインにまつわる話が、将来の七元帥と戦死者予定将校たちに知られたことを知った公爵夫人は、契約満了後どこか遠くに逃げることに決めた。