どこか言葉が足りない気がするので、また今度書き足すとしましょう。
強い風が誰かを責め立てるように、窓をガタガタと揺らしている。
しかし舞鶴鎮守府の廊下には、その雑音を吹き飛ばすような怒号が響いていた。
「だぁかぁら、お前は兵器の癖に飯食ってどんな気分だって聞いてんだよ! なぁ!」
一人の士官が、栗毛色の髪を大きなリボンを後ろで縛り、額には鉢巻きが銀色に光っている少女に怒鳴っていた。
「何か答えろよ!」
士官の怒声に少女は何も答えなかった。ただ士官の目をジッと見つめるだけだった。士官は少女の瞳の奥に、鋭い光と暗い炎が見えるようだった。
「てめぇ!」
士官が脇差に手を伸ばすと、その士官の肩に手が置かれた。
忌々し気に後ろを振り返った士官は、慌てて手を引いて敬礼をした。
「お疲れ様です、毛利少将!」
毛利武蔵は、敬礼を辞めるように指示をし、ギロリと視線を士官に向けた。
「貴様は何をしているのだ……?」
武蔵は身の丈は特別高くないが、その瞳に宿る濁った光と、どこか猫科動物のようなするりとした身のこなしは、言い知れない威厳を周囲に振りまいていた。
つい先日この鎮守府に配備されたこの士官は、今まさにその身のこなしを初めて見た。かねがね噂を聞いていたが、いつ後ろを取られたのか、まったく理解できず、背中に冷たい汗が流れた。
しかし、士官はもう一つの噂を思い出し、ニヤリと笑った。
「この兵器紛いの小娘を詰問していたのであります」
士官はその発言を何も恥じることなく、堂々と言ってのけた。そう言えた理由に、武蔵にまつわる噂があった。
『毛利武蔵少将は唯一の艦娘嫌いの提督だ』という噂を。
「そうか……。貴様、その刀を見せてみろ」
武蔵は士官に命じ、士官は言われた通り、脇差を抜いた。もちろん模造刀ではなく、真剣だった。
「ふむ、良い刀だ」
士官が刀を横にして持つと、その刀の刃を人差し指で撫で、自分の指から流れる血をペロリと舐めた。
士官は目を細め、内心その行為に嫌悪を抱いた。
「艦娘は確かに兵器だ。しかし、そいつらが食事をするのは、この刀に油を塗り錆を防ぐのと大して変わりはないと思っている」
士官がその言葉を反芻して、意味を理解した時にはもう遅かった。
士官の持っていた脇差は武蔵の手の中にあり、その切っ先は士官の喉元に突き付けられていた。
「貴様は自分の刀に塩水を塗りたくるような真似をこの俺がさせると思うのか? もしそう思うなら貴様の臓物でこの無名の刀に拍をつけてやろうか。まぁそんなものが付いても二束三文だろうがな」
士官は腰を抜かしていたが、喉元に突き付けられた刀のせいで倒れることも許されなかった。
「軍人が兵器を貶めるな。それがなければ貴様はそこらのゴロツキと変わらないということを胆に刻んでおけ」
そう言って、武蔵は刀を廊下に投げ捨てた。それと同時に士官は床にへたり込んだ。
「神通、行くぞ……」
武蔵の言葉に、神通は頷いて武蔵の後ろを歩いていった。
武蔵が執務室に向かって歩く後ろ姿は、死地に向かう軍人のそれとよく似ていた。
毛利武蔵の朝の始まりは、鎮守府に作られた提督用の寮の庭で木刀を奮うことから始まる。
彼はそこで木刀を奮うたびに、ある一つの場面が脳裏に浮かぶ。
彼が鎮守府に提督として着任する直前、彼を提督に推薦した上官の電話を聞いてしまったのだ。随分と長い間熱弁をふるっていたが、それを要約すると、こうだった。
『艦娘と呼ばれる存在と深海凄艦は同一の存在である』
あくまで仮説なのだが、かなり有力な説らしい。この仮説を知っているのは、おそらく提督の中だと、武蔵だけだろう。
他の鎮守府の提督の様子を見ていると、それが良く分かる。
艦娘と冗談を言い合い、時にスキンシップを交え、友好な関係を築く。
冗談じゃないと、武蔵は思う。
敵だと思って闘っているものが、自分の手元で微笑みを見せる少女と同じ存在だと言うのだ。
提督として着任した武蔵を迎えたのは、瞳に強い光を宿す少女だった。
武蔵は、濁った眼で彼女を見ようとして、目を逸らした。
あの仮説を彼女は知っているのだろうか?
知ったら、どうなるのだろうか。
きっとそれを考慮して、国の上層部のみがあの仮説を広めないようにしているのだろう。
武蔵は、提督になる前には軍人をしていた。しかし、それは国についてのものではなかった。
やとわれの傭兵として、世界の闇を撃ち殺してきた。
そんな武蔵が日本に帰って出逢ったのは、鏡の向こうに地獄を映した世界だった。
武蔵は思考を巡らして、今自分がどれだけ酷い舞台の上で踊っているのかを再確認する。これなら戦場で部隊に属していたほうがどれだけ良かったかといつも思う。
地獄という綱を渡る提督という仕事を、武蔵は捨てれずにいる。
その理由に思考が移ったところで、誰かが武蔵に声をかけた。
「提督、おはようございます」
庭の入り口に、神通が立っていた。その姿は、とても儚げで今にも消えそうだ。
「あぁ。どうした、珍しいな。話しかけてくるなんて」
提督になって数か月が経ったが、秘書艦である神通とは一日数回事務的な言葉を交わすのみだった。
他の艦娘、長門や筑摩とは、最初の挨拶ぐらいで、あとは神通を通しての指示のみだった。それを考えると、確かにあのような噂が流れるのは無理もないと思った。
実際、あの噂も的外れとは言えないものだ。
「昨日はありがとうございました」
「あぁ。それだけか? 起床ラッパまでまだまだ時間がある。まだ来なくていいぞ」
武蔵は再び刀を奮う。しかし、神通はその場から去らず、逆に武蔵に近づいてきた。
「……なんだ」
武蔵は言うことを聞かない神通に、少しの威嚇を込めた視線をぶつけた。
神通はそれを気にせず、砂利をザッザッと踏み鳴らし、武蔵の前に立った。
その手には、一本の木刀が握られていた。
「なんのつもりだ……」
「提督、あなたは何を思ってそこに立つのですか? その立ち位置は辛そうに見えます」
神通の言葉に、内心後ずさる。しかし、虚勢を張り、逆に食ってかかった。
「それは俺に提督を辞めろということを遠回しに言っているのか?」
「いいえ、違います。私はあなたに提督を続けていただきたい。しかし、あなたが辛い顔をしているのが何故なのか、私はそれが知りたいのです」
神通が木刀の剣先をこちらに向ける。その剣は一切のブレがなく、神通の実力の高さをうかがい知れる。消えそうだった存在感も、今は痛いほどの殺気を伴って、武蔵の眉間を射抜いていた。
「私は、あなたの腕を信用しています。命を預けるなら、あなたがいい」
「で、刀を交えて意志の疎通を図ろうってのか」
頷く神通を見て、武蔵は笑いをこらえられなかった。
「ははは、まったくいつの時代の話だよ。まぁいい。俺も考えに詰まってたんだ」
武蔵もまた刀を構えた。
二人の間に、ピリピリとした空気が流れた。
雲に隠れた太陽の光が、二人のあいだに射した。
「ッ!」
「ふぅッ!」
先に動いたのは武蔵だった。神通はそれを避けるつもりだったが、あまりの速さに受けるしかできなかった。
「俺は……お前らに戦うことを強いているが、それが正しいことなのか分からない。できることなら俺自ら深海凄艦と戦いたいもんだ」
「それは……させられません。深海凄艦を倒すのは、わたし達でないと」
剣を受け流し、神通は体制を整え、そのまま武蔵の懐に潜り込み、剣を突き上げた。
それをすんでのところで避ける武蔵。
「なぜだ?」
「胸がざわめくのです。あれらに対峙すると、自分が抑えられなくなる。あれを倒すのは我々艦娘でなくてはいけないのです。きっと、何か繋がっているんでしょうね。戦う時、倒した時、心のどこかで、寂しい気持ちが油膜のようにこころを包むんです。これを他の人間に任すことはできません」
二人が再び向き合い、視線を交錯させた。
「俺は俺がこの提督という立場を捨てない理由が自分でも分からない。こんなところより、砂漠の真ん中でAK担いでいる方が楽だ」
二人の剣が再び交わった。今度は同じタイミングで、つばぜり合いのような形になる。
「でも今、なんとなく分かった気がする」
武蔵は神通の刀に自分の刀を乗せ、神通と数センチの近さで睨みあいになった。
「どうしてですか?」
「お前たちがいるからだ。人間でありながら兵器。そんなお前たちが良く分からない敵と戦う姿を見て、苦しくなる。まるで、街燈につられた蛾みたいに、敵と戦うお前たちを見たくない」
神通は苦しい顔で武蔵の刀を押しのけようとした。しかし、その刀はそこで固まったように動かない。
「俺はお前たちを見ているだけだった。覚悟は決めた」
武蔵は刀を引き、体勢を崩した神通の刀を空高くに打ち上げた。
「俺がお前たちを導く。その先に何が待っていようと、共に行こう」
その場に座り込み、木刀の切っ先を向けられた神通は、両手を上げ、降参の意を示した。
「では提督、今日はどうなさいますか?」
「いつも通りだ。いつも通り地獄の綱渡りをするだけさ。ただ」
武蔵が神通に手を差し伸べる。
「今日からはお前も一緒だ」
神通は武蔵の言葉に、微笑みで返した。