歌と爆弾 ~コズミック・イラ 東京異聞~   作:VSBR

18 / 25
第十六話 変わる空気

 朝焼けの空は、天気の崩れを告げているのかもしれない。火災が起きていたり、高熱の物体が放置されてあったりする状況なので、降雨も一概に悪いとは言えない。だが、怪我人の救助や治療を考えると、雨を良い事態だとは言えない。

 手渡された資料に目を通し、指示を出す。発煙筒の煙は、先発隊が上陸地点を確保した事を知らせるものだ。目を凝らすと、応急の整地作業とテントの設営が始まっているのが見える。

「お嬢、分かっておられるとは思いますが」

「ダル、私はもう子供では無いのです」

 果たすべき役割は承知しているといって、視線を川の向こうに向けた。日本人特別居留区は、全域が薄い黒の靄に包まれているようだった。ほんの数時間前まで、激烈な戦闘が行われていたのである。

 ナタリア・ファリロスは、ダルウィーシュ・ダルを伴って船を降りる。甲板の昇降機が唸りを上げて、満載されていた物資の荷降ろしが開始された。この日に備えて、備蓄を続けていた医薬品や毛布、それに水と食糧である。対岸からはさらに二艘の船が物資を運搬してくるのだが、足りない事は明白であった。

 自分達のような支援団体は他にもあるが、数も組織も不十分であり、何より特別行政区自体がそのような団体を危険視している。彼女らのように迅速な対応が出来る所は無いであろう。少なくとも、外出禁止令を無視して物資の運搬作業を開始するような組織は、ファリロス・ファミリアをおいて他には無い。

 彼女らがトウキョウに進出したのは、特別居留区に対する人道支援のためである。孤児院の経営はあくまでも付帯業務であった。

「自分達が必要とされる事が、不幸な事だというのは・・・」

 自動小銃を手に周囲を警戒するダルに、ナタリアはそっとつぶやいた。「つらい事です」とは答えず、遠くを見つめるダルの厳しい視線はどこまでも頼もしい。

 物資を運び込んでいる荒川の河川敷は、主戦場とならなかったとはいえ、戦闘終了の直後である。日本軍は殺気だっているであろうし、脱出できなかった東アジア軍もいるかもしれない。野戦陣地と見紛うばかりの野戦病院が、急ピッチで設置されていく。

 別の船から車が降ろされたのを確認して、ナタリアは病院設営と平行して救助活動の指揮を執り始める。先発隊として乗り込んでいたオートバイの部隊が戻り始め、特別居留区内部の様子が少しずつ分かり始めたのだ。徐々に、想像を上回る事態だという事が明らかになっていく。

「医療団の病院船は、正午過ぎに夢の島に到着の予定です」

「飛行許可は下りません。トウキョウの全管制権を一時的にヨコタが握っているようです」

「タマユラ地区内の二病院が重傷者の受け入れを約束してくれました」

 次々と入ってくる報告を処理しながら、周囲が騒々しくなってくるのを感じる。既に人が集まりだしているのだろう。表に出て、包帯巻きの一つでも手伝いたいという思いをしまいこんで、ナタリアは次の指示を出す。設営作業が完了したら、ただちに特別行政区に戻り、物資と人手を集めるための準備に取り掛からなくてはならない。

 

 

 

 

 

 マンションの地下駐車場から表に出ると、夜が明けていた。開ききった瞳孔に、朝日は強烈過ぎる。ゴミ集積所にゴミ袋が積まれているところを見ると、外出禁止令は解除されたようだ。

 ようやく慣れてきた目で辺りを見回す。住宅街のど真ん中といった感じで、まだ人通りは少なかった。途中何度か水の流れている通路を通ったため、靴とズボンが気持ち悪く濡れている。人に見られたら間違いなく怪しまれるだろう。信号機を見上げていたカズヤ・イシが、ようやく場所を把握したようだ。

「上野の近くに出るつもりだったが、歩きすぎたようだ。浅草橋だよ」

 彼らは一晩中、地下の道をペンライトの僅かな光をもとに歩いていたのだ。ルーイは頭の中に地図を思い浮かべてみる。一度も地上に出る事無く、直線距離にして10km近くもある場所まで移動できたことになる。しかも、地下鉄の構内などは警戒されている恐れがあると、そういった広い通路は極力避けて移動していた。

 こんな迷路のような通路が、東京の地下全体に張り巡らされているのだ。表同様に得体の知れない都市だと思う。

「電車は動いているのだろうか?」

 キリル・ローレンスと名乗った男性がカズヤに聞く。プラントの非営利組織職員と言っていたが、多分違うのだろう。歩いている途中も、盛んにメモを取っていた。自分達と同じ種類の人間か、もっとヤバい仕事をしているのか。どの道、深く関わらない方が良いだろうとルーイは考える。

 外出禁止令が解かれてすぐに電車が動き出す事もないだろうと言うカズヤに、キリルは口を引き結んで考え込むような表情を見せた。だがそれはルーイも同じである。ホテルのあるところまで、再び歩かなくてはならないと思うと気が滅入った。

 少し行った所に仮眠くらいは取れる場所があるとカズヤが言うので、ルーイはそこで休憩を取る事にした。検問や取締りの類はまだ残っているかもしれない。下手に出歩かない方が身のためだ。

 だがキリルという男性はその申し出を断る。一刻も早く戻らなくてはならない用事があると言った。カズヤに礼を言って、握手を交わした彼は、そのまま踵を返して南の方へと歩いていく。

「君達、何をしている?」

 不意に呼びかけられ、ルーイとカズヤは振り返る。濃紺の車両から降りてくる、濃紺の防弾服は、伝統的なトウキョウの警察官の戦闘服であった。遮光バイザーを下ろしたまま身分証だけ示して、もう一度何をしているかを聞いてきた。

「ジャーナリストです。外出禁止令の出たトウキョウの様子を、ね」

 留置所で仮眠を取る気もないと言うカズヤが素直に警察の質問に答えると、あっさり解放される。ルーイは背後の視線を気にしながらカズヤについていった。

「いいんですか?」

「あぁ、本当にブン屋だよ」

 気にする事もないと部下に言って、シュウ・サクラはバイザーを上げた。煙草を咥えると、火をつけて一気に吸い込む。一晩ぶりの煙草は、流石に爽快だった。

 

 

 

 

 

 東京湾の真ん中に停泊していたグレートバリアリーフ号は、もといた桟橋へと進路を取っていた。東アジア軍による特別居留区攻撃と、トウキョウ全域に出された外出禁止令をうけて、ひそかに埠頭を離れていたのだ。軍警察が強制捜査にやってくる危険性があった。

 実は複数のルートから、東アジア軍の動向については情報が入っていた。だが、その確証を得るための調査を行っている最中に攻撃が開始されたのだ。各調査員との情報共有に難があった事もあり、キリルを始めとする数名の人間がまだ戻ってきていない。

「間抜けな話だよ、それにしても」

 エリック・リブーは、衛星とのレーザー通信で入ってくる情報に耳を傾けながら、冷めたコーヒーを流し込んだ。彼も、東アジア軍の動向について、ジュンコ・ヤオイからいくつかの情報を入手していた。

 おそらく彼女は、その正確な日時も知っていただろう。その上で、彼にそれを教えなかったという事は、それに見合う情報をザフトが彼女に提供できなかったという事だ。彼女が不実なのではなく、全てがギブアンドテイクの世界では当然の事なのだろう。過ぎた事をこれ以上考えるのは非生産的だ。

 今、彼らがしなくてはならない事は、今回の軍事侵攻に伴うトウキョウ情勢の変化と、東アジア情勢の推移を予測する事である。だがこちらは、さらに大変な作業であった。

「まず、正確な情報がないのだからな・・・」

 一番大きな会議室に、船に乗っていた全ての課員を集めて対応策が協議されているのだが、話は全く前に進んでいない。

 レーザー通信で入ってくるのは、各国で報道されているニュース速報に毛の生えたようなものであって、情勢分析の足しになるようなものではない。トウキョウに取り残された課員が、どれだけ有用な情報を持ってきてくれるかに掛かっていた。

 諦めに似た沈黙が続く会議室で、エリックは挙手をせずに言う。

「これで、終わりだと思っている人はおられますか?」

 互いに顔を見合わせるが、どの顔もそうは思っていないと言っていた。エリックも同じである。しかし、もしこれが始まりなのだとしたら、次は何が起こるというのだろうか。

 再度の軍事侵攻や大規模な報復テロと考えている者もいないであろう。彼らがトウキョウで収拾した各種の情報には、そのような『普通の展開』を予想させるものは全くなかったのだ。軍事侵攻などという『普通の展開』の方が、予想外だったのだから。

 おそらく、仕掛けたはずの東アジア軍は、逆に嵌められたのだ。この日本人特別居留区攻撃を引き金として、何かを仕掛けようとしている者がいる。

 それが何者かについては、全員の意見は一致しているであろう。だが肝心の、何を仕掛けるのかについては、全く予測がつかなかった。

 今は一刻も早く埠頭に戻り、出来るだけ多くの情報を収集して次に備える事である。会議室の電話が鳴り、埠頭の連絡事務所にキリル・ローレンスが到着している事が伝えられた。

 

 

 

 

 

 怒る気力さえ失われた、そんな雰囲気が漂っている。ヨコタは基地機能全体が茫然自失しているかのようだ。テロリストの掃討を目的に、大規模なMS部隊を投入した今回の作戦は、おそらく戦史に残る大敗北を喫したのだ。

 MSによる市街地での戦闘というのは前例が少なく、しかも敵はゲリラ戦を仕掛けてきた。トラップや待ち伏せといった基本的な戦術のみならず、都市構造を利用した陣地構築や兵器の移動、携帯火器の効率的な運用など、日本軍は入念な準備を持って東アジア軍を待ち構えていた。

 投入兵力の六割以上を失うという結果は、ヨコタの機能自体にも大きな影響を与えかねないものであった。それはトウキョウ特別別行政区に駐留する東アジア軍そのものの影響力に直結する事態である。

「その上だ・・・!」

 ユ・ケディンは思わず机を叩いた。同時に行われた、特別行政区内での反東アジア活動家の摘発に際して、想定外の抵抗が各地で行われたのだ。日本軍のメンバーによる妨害工作などは予測していたが、マフィアが組織だった抵抗を行う事は予想外であった。

 善隣幇と菱丘組の提携という情報は入っていたが、それがこのような形で機能するとは考えられていなかった。コウキ・ヨシオカなどを使って、マフィア組織の切り崩しなども図っていたが、ほとんど効果がなかったのだろう。それらの情報を活用できなかったのは、完全に自分達の失態である。結果として、反東アジア活動家の摘発は十分な成果を挙げたとは言いがたく、無駄な犠牲者を出しただけだった。

 さらに、東アジア軍の今回の行動は特別行政区からの不信感を増すことにもなってしまった。ヨコタは外出禁止令の延長を計画していたのだが、特別行政区はそれを押し切り当初予定通りの時間で、外出禁止令を解除してしまったのだ。公共交通機関も早々と動き出している。

「せっかく減った敵がまた増えたって事だ」

 ヒューは自室で茶化すように言った。目の前にいるのはヨコスカから来たと言う、大西洋軍のエージェントであった。ヨコタの混乱は末端のレベルまで広がっているようだ。

 彼の持って来た情報によると、今回の戦闘では日本軍も深刻な打撃を受けているという。招聘した傭兵は全滅し、準備されていた重火器や航空機の類も使い尽くしてしまったようだ。さらに日本人特別居留区と特別行政府の間にかかっていた橋のいくつかは、使用できない状態になり、人道支援物資の搬入も困難になっている。

 日本軍の兵士は言うに及ばず、住民にも大きな被害が出ているのだが、救援活動すらままならないのが現状であった。窓の外を見ていたエージェントの視線がヒューの方を向いた。

「東アジア軍には負けに等しいが、現実は相打ちだ」

 トウキョウに存在した二つの軍事組織が同時にその機能を失い、今は奇妙な空白が生じている。その空白に、何かを捻じ込もうとする人間がいるのだ。ヒューは確認をこめて聞いた。

「次の舞台は、トウキョウ全域って事か?」

「そのために君がいる」

 トウキョウに滞在、居住する大西洋連邦の国民の安全確保。今度こそ、本当に必要となるのだろう。ヒューはエージェントを丁重に部屋から送り出した。

 

 

 

 

 

 詳細な情報は、エヴィデンスが戻ってくる前から入っていた。ハニス・アマカシの使っていたコンピューターは、ハーモナイズコミュニティのサイトに自動的に接続するようになっており、それを介して施設内でも映像が見られるようになっていたのだ。

 深夜であったにもかかわらず、ツクバの地下基地の職員は固唾を呑んで、東アジア軍と日本軍の交戦を見つめていた。どんな深夜番組よりも興奮できる映像である事に間違いは無い。

「ハニスは・・・動いていなかったな」

 そんな夜の興奮が鎮まらない施設の中で、チン・ヤンチャンは朝のコーヒーをすすっていた。就寝前に少しだけ映像を覗き、彼はいつもどおりの時間に寝た。カフェスペースの話題が、昨夜の戦闘一色に染まっている中、彼は自分の身の振り方を考える。研究生活の中で政治センスが磨かれるというのも、おかしな話しだ。

 今回の事態を、程度の差こそあれ日本自治政府は当然知っていたはずだ。だがツクバに対して、それに対応した動きを取るようにとは伝えられていない。ハニスは単独で動いていただけである。彼は、オーブにいた頃からつながりのある組織の意向で行動したのだろう。

 自治政府は、日本軍に対する側面支援としてツクバを動かしてきたのであるし、利根川を越えてトウキョウ特別行政区へとロケット弾攻撃を行うテロ組織も黙認してきた。それが今回は全く動かなかった。

 日本軍の意図と自治政府の意図に、重大な齟齬が生じている可能性が高い。ヤンチャンはそう判断した。そして自分はどう振舞うべきかを考える。

「博士は見られましたか!?」

 寝不足を感じさせない顔でミツネ・ササが聞いてくる。曖昧に答えておいたのだが、ミツネはお構いなしに話し始めた。プラントとの戦争が終わって二十年近くがたつ。地球圏の各地で紛争が起こっているとはいえ、「生の戦争」を見た事のない世代は着実に増えているのだ。

 あの映像を配信していたのはプラントの組織だという。成人年齢の早いプラントでは、戦争を知らない世代が早くも社会に出ているのだ。だから、戦争をコンテンツとして消費できる。

 自分のやってきた研究の事を考えると、そんな彼らを不謹慎だとは絶対に言えない。だが、嬉々として戦争を話す年若い科学者の姿に、普通の大人として寒々しいものを感じるのも事実だった。

「・・・研究はどうなっているかね?」

「? 順調ですか・・・何か?」

 そろそろ仕上げに取り掛かった方がいい、ヤンチャンはミツネにそう言って、コーヒーを飲み干した。

 

 

 

 

 

 寒い季節では無いので、完全防備の服は暑い。それを一晩着ていれば、否がおうにも臭いが出る。加えて彼は、煙草を吸うのだ。性に合わないと思いつつも、シャワーを浴びる。庁舎内を歩くには相応しくない風呂上りのラフなスタイルで、シュウ・サクラは鑑識のオフィスを訪ねた。

 いつものように甘すぎるコーヒーが差し出される。女性に帰らなかったのかと聞くと、残業をしていたら外出禁止令が出たとの事だった。

「ま、当分帰れないわ・・・色んなもの、持ってきすぎ」

 昨夜の騒ぎで、大量の証拠物件が鑑識に運び込まれていた。通常の刑事事件として扱うべきではない事件であるにも関わらずだ。

「上の方針が固まる前に、俺の分だけでも調べとけ」

「・・・大丈夫じゃない? 桜の代紋は取られたって、プライドくらいは残ってるでしょ」

 心底つまらなさそうに、女性は言う。おかわりを素直に受け取りながら、シュウは横目で女性を見た。今回の一件で、保安局は完全に面子を潰されている。その上、特別行政区の内部でも、東アジア軍の強引なやり方への反発が表面化していた。外出禁止令の解除はその影響であろう。軍からは、外出禁止令を延ばすようにと圧力があったはずだ。

 特別行政区域内での軍警察の展開などはまだ続いているが、それらはあくまでも特別行政区と保安局による「特別な配慮」に基づくものであり、正式な手続きや権限に基づくものではなかった。つまり保安局は、いつものように自らの職務権限に基づいて行動できるのだ。

 特別行政府の権限を停止して東アジア軍がトウキョウの全てを掌握するには、戒厳令を敷くしかないが、日本人特別居留区攻撃に失敗した今、ペキンが更なる強硬策に出るとは考えにくかった。今回の攻撃でさえ、反対派の押さえ込みには時間がかかっているのだ。

「戦争か・・・」

 昨夜は菱丘組と善隣幇の構成員が、各所で軍警察や軍の特殊部隊と銃撃戦を繰り広げていた。マフィアもこの日に備えていたのだろう。だが、それでお終いになるとは思えない。むしろ軍が及び腰になっている今こそ、マフィアにとってはチャンスであるはずだ。積極的な攻勢に出る可能性が高い。

 その時、保安局はどう動くか。いや、どう動くべきなのか。単なるマフィアの抗争であれば、そんな事は考える必要もない。だが、そうでは無いとしたら。

「何で、ヤクザ屋さん達が軍とやりあったりしていたの?」

「○暴の連中の方が詳しく教えてくれる」

 空きっ腹には丁度いい砂糖とミルクたっぷりのコーヒーを飲み干して、シュウはカップを返した。早いところ警備部長に掛け合って、機動隊の全部隊に待機命令を出してもらわなくてはならない。

 廊下ですれ違った刑事部の知り合いに、特別強襲部隊の準備をしておくように声を掛ける。言われなくてもやっていると答えた刑事は、背広の前を開いてみせた。防弾チョッキと拳銃を既に装備済みである。

 考える事は、皆同じのようだ。

 

 

 

 

 

 住宅街の一角にある小さな喫茶店。外側からは店を構えている事はほとんど分からず、近所の人を相手に半分趣味でコーヒーを振舞っている店なのだそうだ。いかにも民家を改造したといった感じの店内に、ルーイは足を踏み入れた。寝不足気味の頭にコーヒーの香りが染みる。

 店主や常連客とカズヤは知り合いらしく、一声掛けるだけで店の奥へと入っていった。ルーイが追いかけると、ソファーの置いてある個室のような部屋が広がっている。そこには先客がいた。

「モリくん、区内にいたのかね?」

「イシさん・・・キリロフさんも!?」

 驚いた顔のヨシト・モリに、カズヤが昨夜の事を手短に話した。ヨシトも特別行政区に入ったところで、外出禁止に巻き込まれてしまったのだ。それでも、夜の間にかなりの場所を歩き回ったようである。

 彼は神妙な面持ちで言った。今回の一件は特別行政府の住民に対して、非常に大きな意味を持つ物になるだろうと。彼は、手にしていたノートパソコンを開く。保存されている映像は、昨夜ネットを介して流されていたものだそうだ。

 ルーイはその映像を凝視した。日本軍と東アジア軍の戦闘が、昨夜リアルタイムで配信されていたという事実も驚きであるが、そこに付けられている各種のコメントはさらに驚くべきものであった。『ナショナリズム』という旧世紀の亡霊が、ネット上に蘇ったかのようだった。

 街中を身分証確認ゲートで分断され、公共交通機関のダイヤも気まぐれのように変更される都市。それでも住民は、不平を口にする事無く、ただ淡々と日々を過ごしていた。休日になれば量販店がにぎわい、放映されるテレビにはスポーツとバラエティー番組が並び、アイドルのコンサートに熱狂する。そんなどこにでもある都市の姿しか、ルーイは見ていなかった。

「・・・こりゃ、寝てる暇もなさそうだな」

 店主から渡されたおしぼりでゴシゴシと顔を拭いていたカズヤが、そう言って鞄の中の携帯レコーダーの電池をチェックしていた。彼の顔は驚きというより、納得の顔であり、このような状況になる事をある種当然だと感じているようだった。

 その映像はトウキョウの住民の多くが触れられる環境にあり、現にヨシトが取材をした公民館では、外出禁止令によって帰宅できなくなっていた人達が、この映像に熱狂していたという。

 さらには、区内に展開していた軍警察とマフィア組織の銃撃戦の映像などは、付近の住民が密かに撮影したものがアップされており、そこにも大きな反響が寄せられていた。カズヤが耳を澄ませる。店内に客が入りだしたようだが、どの客も一様にこの映像の話題を口にしていた。

「ゼネストもあり。てか、うちの組合の人そんな事を前から言ってましたよ」

 参加するしかないでしょ当然、とモーニングセットを注文した客が話をしている。

 カズヤがルーイにメニューを渡した。パンとコーヒーしか無い店だが、まずは腹ごしらえだと言う。戦争などより、よっぽど取材のしがいのある対象にめぐり合えそうだと、カズヤが真顔を窓の外に向けていた。

 そこから見える庭木ですら、不穏な空気に揺れている、ルーイはそんな事を思った。

 

 

 

 

 

 渋谷に建つ高層ビル。その最上階からは、まだ煙を上げ続ける日本人特別居留区の様子がうっすらと見える。昨日の夜は、そこが赤々と燃えていたのが見えただろう。先ほどまで幹部がそろっていたその部屋は、今一人の老人がたたずむだけである。リ・ウェンは感慨のため息を押し留めて窓の外を睨んだ。

 これは、発端に過ぎない。昨夜の戦闘は、日本独立を達成するための号砲なのだ。日本で生まれ、日本で育ち、日本語を話す。そんな彼が日本の独立を願うのは当然であり、日本の独立を目指すのはある種の義務であった。しかし同時に、彼はかつての日本を取り戻そうとしているのでは無い。

「リ・ウェン・・・か」

 それは父祖より受け継いだ名であり、一族の歴史を継ぐものである。華僑とは同族の水平的なつながりであると同時に、過去から未来へと繋がる時間的なつながりでもあるのだ。それは、国籍などという国民国家の枠組みによって寸断されるものではなく、自分自身の存在と共に背負ってゆくものだ。

 彼にとって、自分が華僑である事と日本人である事は全く矛盾しない。例えその感覚が、かつての日本においては理解されない感覚であったとしてもだ。

 彼が独立させる日本は、血で日本と結ばれた人間を国民とする国では無い。自らの良心を「日本」に結びつけた人間を国民とする国家だ。国民とは、血縁や国籍などの形式や手続きによって決まるのではない。自ら選び、自ら引き受けるものだ。そして国民である事を選び引き受けた者によってのみ、国家は形作られる。

 彼の語る日本は、東アジア共和国政府に屈従し、自治区という隷属を受け入れ、日本を手放してしまった人間を相手とするものではない。自らが日本人である事を深く受け止めた人々こそが、今から生まれる日本を担うのだ。

「それが、今始まる」

 ウェンは椅子に深く腰を掛けた。ビルの周辺にはすでに保安局が到着しており、警備を始めていた。昨夜はここでも銃撃戦が起こっていたのだ。狙われる事は分かっていたので、善隣幇の実戦部隊の中でも選りすぐった精鋭をヨコハマから呼び出して軍警察に備えさせていた。

 彼にとって嬉しい誤算だったのは、ギャングと呼ばれる一団がそこでの戦闘に加わっていた事である。元々は、都内の繁華街にたむろする複数の不良少年グループであり、普段は互いに抗争と呼ばれる無意味な暴力沙汰を起こしたりしている連中だ。

 その彼らが、軍警察との戦闘に味方として介入してきた。火炎瓶程度しか持たない彼らであるが、圧倒的な土地勘によって軍警察を翻弄し、陽動としてはこれ以上ない働きを見せてくれた。

 軍警察が撤退した時、彼らは口々に「日本万歳」を叫んでいたのだ。その報せを聞いたとき、ウェンは涙がこみ上げてくるのを感じた。トウキョウの住民が、ここが日本の首都・東京である事を思い出したということなのだ。

 東京に住む全ての人々が、日本軍が東アジア軍と対峙し果敢に戦う姿を目撃した。東アジア共和国の野蛮さを目の当たりにし、それに立ち向かう「日本」という理性を見たのだ。それが、人々の目を覚まさせた。

 自ら何を引き受け、何を受け止めるのか。

 今、東京の人々は、自ら日本を選択し、日本人である事を引き受けた。それこそ、彼が夢見る日本独立を成し遂げる人々だ。

 もはやヨコタは機能を失い、東アジア軍は形骸と化した。日本独立といううねりを押し留める力は、トウキョウには残されていない。あとはそのうねりがトウキョウ特別行政府を押し流すのを見守るだけでいい。

 

 

 

 

 

 少し早めに出勤したのは正解であった。病院はいつも以上に混み合っている。昨夜は、さらに修羅場だったというのだ。この近所でも銃撃戦が何件か起こっていたらしい。個室には、運び込まれたマフィアの構成員が何人か入れられているという。

 待合室に設置されたテレビは、いつものように朝のニュースを流していた。トップニュースはユーラシア連邦との外相会談の話題である。だから、人々はその放送がまがい物である事をよく知っていた。老年の患者ですら、ネットにアクセスし生の情報を入手できるのだ。

 待合室の話題は、昨夜の映像で持ちきりであった。誰の口調も高潮し、日本軍の勝利を祝っていた。

「カグタさん、401号室の検温お願い」

 アメリは婦長に頼まれ、外来から病棟へと足を向けた。同僚の看護婦とエレベーターを乗り合わせる。彼女も、昨夜の映像の話を聞いてきた。アメリは、パソコンを持っていないと苦笑いをしておいた。

 そして、おおっぴらに東アジアへの批判を口にしても大丈夫なのかと聞いた。少なくとも今までは、そのような話題が街で堂々と話されていた事がないのだ。同僚の看護婦はハッとしたような表情を見せるが、すぐに表情を緩めた。

「個室のヤクザ屋さん、軍と戦ったのよ」

 そして見事に軍を追い払ったのだという。それが何になるのかは分からないが、少なくとも今までのような東アジア政府や特別行政府に対する配慮を必要としなくなったということだ。

 トウキョウに来てからかなりになるが、アメリもこの街の人々の鬱屈を感じていた。表面的な不便さに対する不満、そういったものとは異なる次元の怒りや憤りのようなものが、間違いなく存在した。しかしその思いは、特別行政府や東アジア軍を前にして、表からは見えなくされていた。

 それが昨夜の一件で、あちこちから頭をもたげ始めているのかもしれない。ナースステーションの話題も医師の話も、軒並みあの映像の話だったのだから。入院患者の一部にも、映像を見ていたものがいるのだ。

「就寝時間はちゃんと守ってくださいね」

 アメリは体温をチェックしながらそう注意する。いつものように一息入れる暇もないままに午前中を過ごし、慌しく昼食を取る。事務員がビラを回覧用の掲示板に張り出していた。みんなそこに集まっている。

 それは、病院職員や看護師の組合によるデモ行進を呼びかけるものであった。東アジア軍の非道を糾弾し、日本人特別居留区住民の救済を訴えるためのデモ行進だという。アメリもそれに誘われる。

 彼女は、試験の日が近いという理由で断った。アメリには、ちゃんと試験が開催されるかどうかの方が心配なのだ。

 

 

 

 

 

 夜の街も活気づいていた。いつもより速いペースでボトルが入り、普段は笑わないママの目も、流石に笑いを隠せないでいた。ただ、客層には違いがあった。普段は軍関係者とマフィアの関係者が半々といったところなのだが、今は軍関係者の姿が見えない。その分、マフィアの武勇伝には尾ひれが付いて舞い踊っている。

「チャカなんざ、玉が無くなりゃ玩具だ。だけどおいらの白鞘は違うぜ。腰抜け兵士のマシンガンをこう、すぱんと・・・」

 マフィアの中でも下っ端の下っ端が来る店である、話は九分九厘嘘であろう。そしてマリアの仕事は、その嘘に付き合い客に気持ちよく酒を飲ませることである。男のろれつが、いよいよ怪しくなってくる。彼女は、最後にもう一本ボトルを入れさせると、その場を後輩に任せて店の奥へと戻った。

 水を飲み、パンとバナナを頬張る。時間が遅くなってくるにつれて、酒以外の注文は減ってくるのだ。化粧直しを終えるのを見計らったかのように、フロアから呼ばれる。指名ではなくヘルプのようだ。

 着ている服はセンスもよく、まだそれほど酔っていないような様子の男。見覚えが無いが、チーママが相手にしているという事は上客なのだろう。挨拶をして男の隣に座る。何も言わずに、マリアの名前でボトルを一本入れてくれた。笑顔を浮かべているチーママが、警戒しろという視線を彼女に向けていた。

 男は当たり前のように昨晩の映像の話を切り出す。私も見ていましたと話を合わせるが、男は自分の武勇伝を語りに来たわけではなかった。

「もっと凄い事が起こるよ」

 その時、トウキョウ市民は目撃者ではなく当事者になる。男はまるで予言のような口調でそう言った。

「怖いわ、そんな事」

 丁寧にしなを作って言ったチーママに、男は静かに笑ってみせた。

「君達も、東アジア政府の拙劣な政策の被害者じゃないか」

 テーブルを拭きに来た黒服がマリアを別の席のヘルプへと回す。代わりにママが男の席へと向った。マリアは、ほとんど酔いつぶれている客の介抱をしながら、先ほどの男の様子を見つめていた。

 小一時間ほどで静かに帰って行った男を見送ると、マリアはママに男の正体について尋ねてみた。ママは関わりを持つな言う。

「幇の関係者よ・・・ただ、最近の幇は、やってる事が妙なのよ」

 店の外で煙草を一服しながらママがつぶやくように言った。店を構える時、いやその以前から幇には色々と世話になっている。トウキョウの特別な基盤を持たない人間にとって、幇は頼もしい存在である。だからこそ、幇の変化には敏感なのだ。

 昨夜以上の事態がトウキョウで起こると男は言った。それはおそらく、起こすという事なのだろう。それがこの店で働く娘達にとって、何らかのメリットとなる可能性は極めて低い。だからせめて、関わるなと言うのだ。

 煙草を消して店に入ったママの背中を見る。マリアの手には、男が帰り際に密かに渡した名刺が握られていた。




 次回は、火曜日に投稿します。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。