晴れ上がった空に、ポンポンと花火が上がる。甘い香りや香ばしい匂いが、色んな方向から漂ってくる通りは、たくさんの人でごった返している。掬い上げた金魚を誇らしげに見せる子供に、両親が微笑みを向けている。中学生らしき幼いカップルが、露天の少し怪しげなアクセサリーを手に取っている。
屋台の前に設えられたベンチには、ビールを片手に談笑する男性がいる。向こうのテーブルには、マージャンを打っている人達の姿が見える。模造紙に書かれた即席のトーナメント表に従って、囲碁と将棋の試合が始まった。
大通りの頭上には、提灯をぶら下げた電線が渡され、ビルの壁面にも垂れ幕や幟が飾られている。色とりどりの屋台からは、絶えず威勢のいい掛け声が聞こえてくる。街灯にくくり付けられたスピーカーから案内が流れた。
「11時より、特設ステージにおきまして、のど自慢パフォーマンス大会が開催されます。飛び入り自由です。こぞってご参加下さい」
ギターを抱えた二人組がステージに向った。大道芸人が口から火を吹き、見物客から歓声が上がる。似顔絵屋の前で、女の子が澄ました顔を見せている。ラムネのビンを持ったまま転んだ男の子が泣き声を上げ、近くにいた老人がそれをあやす。スピーカーは迷子の子供の事を伝えていた。
隣り合うたこ焼き屋がしのぎを削り、駐車場に止まっているクレープの移動販売店には、若い女性が列を成している。ヒーローのお面をねだる子供の横で、怪獣の人形を買い求める大人がいた。
スピーカーから流れていたBGMが途切れ、ステージの様子が伝えられる。演歌の熱唱を終えた女性が拍手と共に舞台袖に下がった。中年男性によるビッグバンドの、玄人顔負けの演奏が喝采を浴びている。
近所の中学校の吹奏楽部が演奏し、ステージ前では小学生がマーチングを披露する。合唱曲には、観客も声を合わせた。
全てのパフォーマンスが終了すると、ステージに設置された画面が切り替わる。
「みんなぁ~! 楽しんでるぅ~?!!!!!!」
ステージを見物していた客だけでなく、道行く人や屋台に並んでいた人達までもが、画面を見て声を上げた。トウキョウでのライブコンサートを成功させたプラントの歌手。彼女の存在は、その時と比べても格段に知名度が上がっていた。
別の場所でライブを行っている彼女の様子が映し出され、彼女の歌がステージのスピーカーから流れる。彼女がいる場所まで届くのでは無いだろうかというほどの、掛け声と歓声。リズムに乗った人々がジャンプするたびに、本当に地面が揺れているような音がする。
「家族と恋人と友人と、みんなで楽しんでぇ! 私も・・・みんなと一緒に楽しんじゃう! 行くよ、新曲!!」
人の流れが滞らないよう、制服姿の警官が交通整理を始める。その警官に、町内会の詰め所からジュースが差し入れられる。
トウキョウは、その全域が祭の最中にあった。それは突然始まったにもかかわらず、人々は待ちかねていたように街に繰り出していた。
第一報が入ったのは、朝の8時を過ぎた頃だ。しかし、しばらくの間はその報告の意味が分からないままであった。一時間ほど後に映像の配信が始まり、それを通じてようやく事態が判明した。しかし、それが何故そうなったのかは、すぐに分かる事ではなかった。
計画では、トウキョウ特別行政区の全域でストライキが決行され、それに応じて労働組合や学生自治会、市民団体などが各地で抗議集会を起こすはずであった。善隣幇は菱丘組と共にそれに呼応し、軍を中心として東アジア関連施設への襲撃を敢行する予定である。
そうすれば、各抗議活動はそのまま暴動へと変化する。トウキョウに駐留する東アジア軍にそれを抑える力は残されていない。そして、新宿の庁舎から特別行政区長官を追い出し、ヨコタから東アジア駐留軍司令官を撤退させる。後は堂々と東京の独立を宣言し、日本自治政府との連携を表明すればいいのだ。
「タチバナ・・・先生か」
リ・ウェンは呻くようにいった。安全を考慮する幹部の言葉に従って、ヨコハマに戻った事が失敗であった。自分の企ての全容をどの時点で把握していたのかは分からないが、僅かな準備期間でこれだけ大掛かりな事をやってのけるのは、ブンジ・タチバナのコネクションをおいて他には存在しない。
彼のコネクションはリ・ウェン自身も利用したものであるし、彼を完全に味方側だと思っていたわけでもない。だが、どれほどの警戒を払ったところで、このような発想に対処できたとも思えなかった。
東京に立ち込めていた積年の不平や不満、それを暴動というエネルギーへと転化させるために行ってきた準備を、土壇場でひっくり返された。ブンジ・タチバナは、祝祭という形でエネルギーを発散させようというのだ。市民の流血を避ける、それだけが目的であろう。
配信されてくる映像は、ゼネストによって出勤の必要がなくなった市民が家族と共に、通りという通りで行われている祭りに参加する姿だ。音楽関連のイベントを中心に組んでいるという事は、ハーモナイズコミュニティが関わっているのだろう。
あまりの奇策に、対応策が思い浮かばない。善隣幇の実働部隊に軍への襲撃を実行させたところで、これでは何の反応も起こらない。むしろ反発を呼ぶだけだ。
「・・・読まれて、いるだろうな」
映像の中には、保安局の機動隊が警戒に当たっている様子も映し出されていた。東アジア軍による何らかの介入行動に対する備えであろうが、それは同時に「東アジア軍を騙る者」への警戒行動でもある。保安局には実働部隊メンバーの情報もそろっているだろう。
この祝祭はエネルギーを発散させるだけではなく、別のエネルギーをも生み出すだろう。トウキョウに今までは違う新たな不安定さを生み出すという事だ。だがその新たな不安定さを、再び実際の反東アジア共和国行動へとつなげるための引き金は、リ・ウェンの元にない。
通りの人だかりがその密度を増した。今までの熱気とはまた違う熱気が、人だかりの向こうの方から流れてくるのが分かる。今さら向きを変えようにも、この人の流れに逆らって動く事は難しいだろう。
公共交通機関が軒並みストップしているため、自分の足を使って移動するしかない。人通りのない道を選んで歩けば良かったのだろうが、地図を完全に把握していない以上、迷う可能性もあった。だから、多少人が多くとも広い通りを歩く事にしたのだが、完全に裏目に出た。
総武本線の高架をくぐったあたりから、人の動きは完全に止まっていた。外堀通りも人で埋め尽くされている。ルーイは、屋台と屋台の隙間を抜け、その裏側のスペースで一息ついた。
「おう、ごくろうさん」
「ハ、ハイ」
日本語で話しかけられて、咄嗟に言葉が出なかった。屋台のものを買い求められる状態では無いので、店の人も一服しているようだ。ルーイは、何が始まるのかを聞いた。店の人はなまりのある共通語で教えてくれる。
「神田祭の神輿が出るのさ。時期は外れちまったが、ここんところシケた祭ばっかだったんでな、みんな張り切ってやがるわけよ」
そのまま祭の由来を話し出しそうな雰囲気だったので、ルーイは礼を言ってベビーカステラを一袋買い求めた。そしてこの人だかりを抜ける方法を聞く。一度戻って、靖国通りを西に行き、白山通りを北に上がれば、とりあえずは大丈夫だろうと教えてくれる。
ただし、ドーム前は同じように込んでいるかもしれないと付け加えられた。プラントから来た歌手がライブを行っているのが東京ドームなのだ。ルーイはもう一度礼を言って、通りに出る。
カステラを口に入れながら、何か飲み物も買わなければと思った。幸いにも、売っている場所はいくらでもある。ルーイは足を速めながらも、周囲をキョロキョロと見回していた。
一晩で様変わりししまったトウキョウの様子に、なかなか感想の言葉が出てこない。道行く人々の様子に、昨日までの歪な熱気は感じなかった。同じ熱気でも、今のものはルーイを不快にはさせていない。
しかし同時に、この熱気はトウキョウの人達のものだとも感じた。色とりどりの屋台が通りの両側を飾り、大きな交差点には野外ステージが設置されている。老若男女関係なく街に繰り出しその祭を楽しんでいるが、
「ノリに・・・ついていけない」
それがルーイの感想だった。街の人々の様子は、何の予告もなく唐突に始まったこの祭を、心のどこかで祝う準備をしていたという事だろう。少なくともルーイは、一緒になってこの騒ぎを楽しもうとは思えないのだ。それは一種の疎外感のようなものであり、不安を呼び起こすものだ。
彼は道を急ぐ。アメリに寄り添っていたいと、寄り添っていて欲しいと感じていた。
当てが外れるにも程があった。少なくとも今のトウキョウの街は、ヘルメットや防弾ジャケットを着て歩き回れる場所ではない。
「アキバなら、ミリオタのコスプレで通るかもしれんがな」
ヒューの言葉も、どこに向けていいか分からないものだった。ともかく、今しなくてはならない事は、在留大西洋邦人の居所を確認する事である。だが、トウキョウ中で謎のフェスティバルが開催中であるため、多くの邦人がそれに参加したり見物に繰り出したりしている。映像で流れる街の人ごみを見て、ヒューは周りの部下と共に深くため息をついた。
大西洋連邦は、トウキョウ特別行政区におけるゼネラルストライキ実施の情報を入手し、それが反東アジア暴動へ発展すると予測していた。ヨコスカでは大型ヘリや飛行艇を準備、区内に潜入させた部隊によって暴動発生後速やかに邦人を三浦半島の基地まで脱出させる事になっていた。
ヒューはその水先案内人なのだが、まさかの事態になかなか次の行動に移れないでいる。ゼネストを一大フェスティバルにしてしまうなど、前代未聞の事だ。
「だから、先に脱出させておけばよかったんだよ・・・」
服を着替えながらも、ヒューの愚痴は止まらない。暴動まで予測しながら邦人への退去命令を出せないのは、連合内におけるユーラシアとの主導権争いを有利に進めるため、東アジアとの関係を悪化させたくないからだ。治安面に不安があるのでトウキョウへの渡航を制限するなどと言えば、メンツとやらにこだわる東アジア政府との関係がきしむのは目に見えている。
実際に暴動が起これば、多少の領域侵犯を行っても東アジアは文句を言えないと踏んでいるのだ。その方がヨコスカの存在意義も強調できるだろうという、軍の思惑もある。だから実際に暴動が起こる事を前提としながら、対処療法的手段しか用意していないのだ。
普段着に着替えたところで、この祭を楽しめる雰囲気ではなかった。身分証確認ゲートは現在完全に運用が停止されている上、この人ごみであれば自分達の素性が知れる事もないだろう。だが彼らは、その人ごみの中から特定の人を見つけ、その人を速やかに自宅へと帰さねばならないのだ。
はっきり言って、どうやってそれをやればいいのか分からない。とりあえず、全在留邦人の自宅住所を尋ね、在宅か否かの確認から始める。電話は繋がりが悪い上に、東アジアによる盗聴の危険が付きまとう。
「・・・ま、酒だけは飲むな。せめて、な」
ヒューはおどけてそう言ってみせた。部下達も愛想笑いを返す。街に繰り出し、ビール片手に野外ライブでも楽しめたら、どれほど素敵な事か分からない。
それでも、暴徒化した市民と破れかぶれの軍隊とが殺し合いをする街中を走り回る事に比べれば、人探しの方が格段にマシだと思う事にする。ヒューはまず、持っている紙幣を細かくする事にした。何を買うにしても、その方が格段に便利だ。
これはおそらく、世界史に残る一級の謀略であろう。これに至った経緯を解明する事は、ザフトにとって計り知れない知識をもたらす事になる。最新鋭兵器を幾度となく敵に盗まれ、先端技術が簡単に漏洩してしまうザフトにとって、この種の謀略はもはや神の領域と言っても過言ではない。
これまでトウキョウで集めてきた各種の情報を洗い直す。断片的な情報も、一つの筋書きが見えれば不思議なほどスムーズに繋がるものだ。最終的にその筋書きは、市民による暴動と東アジア軍の撤退という形に結びつくはずだったのだろう。それを、直前でひっくり返した者がいる。
おそらくその人物は、東京市民の心情、日本人の心理を誰よりも深く知っている者なのだ。人だかりの中を練り歩く神輿の様子が映し出されている。大きな神社だけではなく、ごく小さな神社でも同じような事が行われているらしい。
「こういうのは・・・プラントにゃないからな」
今後ともザフトは、地球各地で活動していかねばならない。現地の住民が何を考えどう行動するか、それを感覚的に察知できない以上、正確な情報と的確な分析に基づくアプローチが必要となるのだ。エリック・リブーは、諜報活動の真髄に触れたような気がした。
だから彼には、キリルの姿が不真面目なものに見える。しかしキリル自身は、それに気がついていないだろう。彼は電話を掛けていた。
「キリル?」
「よかった・・・繋がった」
マリアの声を聞き、キリルは安堵の息を漏らす。電話口の彼女は少し笑った。何を心配していたのかと。
キリルは口を濁す。彼の不安の正体ははっきりとしていない。だが豹変したトウキョウの様子は、例えそれが祝祭であったとしても不気味なものだ。本当なら、彼女の元に駆けつけたいくらいなのだが、今の彼はここから動く事ができない。
「少し外が賑やかで勉強の邪魔だけどね」
「そうか、試験か・・・」
「ええ、明日」
キリルは思わず聞き返した。今の状況で、試験など可能なのであろうか。一応ゼネストの実施中であり、公共交通機関などはみな止まっている状態だ。マリアが言う、この祭は日本人のためのもので、自分達には直接関係がないと。
その言葉に、返す言葉が無かった。受話器からは外からの音が漏れ聞こえてくる。キリルが一言謝った。
「どうして?」
「その・・・邪魔をしてしまった」
「いいの、声が聞けて良かったわ。もう少し、がんばれそうよ」
電話口での苦笑いは、彼女に伝わってしまったのだろう。受話器から彼女の穏やかな微笑が伝わってくる。会いたい、その一言を飲み込んで、キリルは受話器を置いた。
ネットで配信される映像は次々と更新されており、また個人による動画や写真の投稿も増え続けていた。少なくとも、山手線の内側部分はほぼ全域で何らかの催し物が開催されているようだ。それより外側でも、駅周辺などでは同じようにイベントが行われている。
この騒ぎは、ハーモナイズコミュニティという組織が単独で仕掛けたものでは無いだろう。当然、これまでの様々な反東アジア活動を背後から支援していた勢力によるものでもない。
「そして、日本自治政府が関与しているものでもない・・・」
チン・ヤンチャンは、綺麗に整頓された研究室の一角で、書き上げたばかりの論文の束を見つめながらつぶやいた。
不安定だったトウキョウ情勢が、一気に不透明になった。それに対して、日本自治政府はどのような対応を取るのか。その時、ツクバにいる自分達にはどのような処分が下されるのか。
ヤンチャンらの行っていた事は明確なテロ行為であり、そう簡単に無罪放免されるものでもないだろう。だが、次の研究環境を求めて就職活動を行うモチベーションを、彼は持っていなかった。
書き上げた論文はSEED現象に関する研究の一部であるが、彼は行き詰まりのようなものを感じているのだ。自分自身の研究を振り返れば、それは常に何かの後追いだったような気がする。そして一度も、追いつくことはなかった。
SEEDの研究も、彼が先鞭をつけたものではない。もちろん、宗教的であったりオカルトチックであったものを、科学として捉え直す事はした。それが科学的な考察に耐えうるものであり、次の成果を生みうる物である事も認識している。
現にミツネ・ササは、ヤンチャンの打ち出した仮説に基づいて、SEEDコンバーターの原理解明につながる理論を構築し、それを実用に可能なレベルにまで仕上げている。そんな若い研究者の姿が、ますます彼のモチベーションを失わせていた。自分にもあんな時期があったのだろうかと。
若い才能への羨望や、自身の衰えに対する不安ではなく、彼が自分のような科学者になってしまう事を考え、憂鬱になるのだ。彼のような才能が、アカデミズムから最も離れた場所に埋もれてしまっている事を嘆くのだ。受話器を取って内線に繋ぐ。
「ミツネ君を・・・ああ、済んでからでいい」
出撃直前のエヴィデンスの調整を行っていると言うミツネを、ヤンチャンは呼ぶ。パイロットのハニス・アマカシは、ハーモナイズコミュニティの人間だ。トウキョウの騒ぎに、彼も参加する予定があるのだろう。
MSで参加できるようなイベントを期待しているのだろうか。ヤンチャンは、トウキョウの様子を映し出しているパソコンの画面を消した。
「じぁあ、都心環状から三号渋谷線に入って。六本木の駅の場所分かる? 営団地下鉄の日比谷線。そこに簡易のリフト設置してるからそれで地下まで降ろして、大江戸線使って移動して。学校の近くで上に上がれるはずだから」
ひっきりなしに掛かってくる電話は、区内各地における物資の消費状況を知らせるものだ。バッテリーやプロバンガスのような燃料、氷や食材、機材の部品、その他諸々様々なものをここで差配しているのだ。
トウキョウの街の上を走る高速道路と、街の下に張り巡らされた地下鉄が、その物流を支えていた。ゼネストによって高速道路は一般車両通行禁止であり、地下鉄は全て運休である。そこを利用して、迅速に物を運んでいるのだ。
ジュンコ・ヤオイは、壁に貼られた地図を見ながら受話器に向って指示を出し続ける。
ジャンク屋組合といっても、扱うものが機械だけとは限らないのだ。傭兵が機械を食べて生きていけるわけでもない。
しかし今回の仕事は、流石に規模が違った。何しろ、トウキョウに住む人間全てを相手にしなければならないのだ。準備期間も異常に短く、余裕を持って物資を手配する事が出来なかった。だからこそ、限りある量を上手にやりくりしなければならない。
「三田線から南北線に移れるでしょ。飯田橋で上に出て、五号池袋線に上げて。トラック回しておくから。で、そっちには巣鴨の余分を回す」
人々は祭を楽しんでいるようだが、ジュンコにその余裕は無かった。だが、彼女にとっては、こういった仕事の方が余程面白い。何より、予算を気にせずにパフォーマンスだけを向上させればいいのだから。
物資の購入もその輸送も、ただ同然の価格で行えていた。いったい、どのような手品を使ったのかは知らないが、どの業者も喜んで協力してくれるのだ。東京を舞台としたこの祝祭を、市民は一丸となって成功させようとしている。それだけ、人々は鬱屈したものを抱えていたのだろう。
声の出しすぎで乾いてしまった喉を水で潤して、一瞬電話の止んだ事務所で椅子に腰を下ろす。いつも事務所にいる男は、別の場所でトラックの配車を行っていた。窓から見えるアキハバラの姿は、いつにも増して混沌としていた。
食べ物などを売る屋台が出ている事は当然だが、ある一角では自作の本をテーブルに並べて売っていた。中には、長蛇の列が出来ているテーブルもある。
もはや普通の服がコスプレに見えるほどに、誰も彼もが何かの衣装を着ていた。人気アニメのOPを再現している集団があるかと思えば、往年の人気ナンバーを熱唱している者がいる。アイドルらしき少女の歌に合わせて、そろいのTシャツにハッピを着た男達が踊っている。
普段は屋内でひっそりと行われている事を、路上で行っているのだ。かつて存在したという歩行者天国の再来であった。アングラがそのまま噴出したような光景は、なかなかに壮観である。
逆を言えば、トウキョウ特別行政区は、東京の持つこの力をずっと押さえ込んできたという事だ。
「敵うわけがない・・・」
再び電話が鳴り出し、彼女は僅かな休憩を切り上げて再び指示を送り始める。
夜空に花火が打ち上げられている。隅田川の川面に色とりどりの花が映り、夜そのものが明るくなる。上空に吹く僅かな風が絶えず煙を海側に流しているため、絶好のコンディションで花火は開き続けていた。
屋上を開放するビルも多く、見物人は屋台の食べ物を手に花火を見物している。こんな大規模な花火は、久しく開催されていなかった。
「時期外れとはいえ、隅田川の花火は風情がありますな」
川に浮かべられた船の中で、猪口を傾けながら老人が言った。目の前で揚げられる天麩羅に舌鼓を打ちながら、杯を重ねる。花火見物のための船は一艘だけであった。隅田川は日本人特別居留区との境界線であり、そこへの立ち入りは原則禁止なのだ。花火の打上げ音にブンジ・タチバナが、外を見る。
音さえ聞こえてきそうなほどに、西岸部は明るい光に満ちていた。祭は夜になっても続いているのだ。銚子を手にした彼は、酒を正面の人物に勧める。初老の男性は、居住まいを正してそれを受けた。
ブンジが笑い、かしこまらなくてはならないのはこちらだと言った。
「いえ、全ては先生のご尽力の賜物」
「いやいや。親分さんにも、色々と無理をお願いした」
「まさか、これが私らの仕事です」
男性は菱丘組の構成組織の一つで、トウキョウのテキ屋を統括する極星会の会長である。今日、トウキョウ中に出店している屋台の七割以上が、彼の組織に何らかの形で関連しているのだ。
ブンジ・タチバナが発案したこの祭典は、ハーモナイズコミュニティの企画力と情報力、極星会の行動力を車の両輪とし、穏健派労働組合がそれをバックアップする形となっていた。今のところ、その推移は順調である。
リ・ウェンの筋書きのように市民と軍が流血の事態を招かないようにとの思惑はもちろんあるが、それ以上に彼はトウキョウを何とかしたいと思っていたのだ。監視と管理の中で心を閉ざしてしまったようなこの街を、記憶の中にある活気溢れる街にしてみたかった。
神田祭や三社祭に代表される東京の祭や、隅田川の花火大会など、多くの人で賑わうはずのイベントは、治安上の懸念があるとの理由で、当局によって厳しい規制がかけられていた。特にここ五年ほどは、花火を打ち上げるどころか、神輿を引き出す事すら出来なかったのだ。
それだけに、人々はこの祭典に期待を掛けていた。無理なスケジュールでも間に合わせる事が出来たのは、東京の人々の思いがそれだけ強かったということだ。
花火見物に招かれたブンジは迎えの車を断り、朝早くに家を出て東京の街を横切るように隅田川まで歩いた。流石に足腰には堪えたが、道行く人々の表情や街の活気は、彼が取り戻したかった物であった。
「後は・・・」
ブンジの視線が反対方向に向けられる。西岸部とは全く逆に、死んでしまったかのように静まり返る東岸部、日本人特別居留区に思いを馳せた。
せめてもの慰めは、イベントを通じて行われている募金活動が順調に進んでいる事であろうか。いや、そのようなものは何の慰めにもならない事は、ブンジもよく分かっていた。何もかもが、今この瞬間に必要とされているのだから。
外の物音は一向に収まる気配を見せない。ドンチャン騒ぎという表現が日本語にはあるが、まさにそんな音が聞こえてくるのだ。一通りの作業を終え、集中力を弛緩させたユンディ・ミナカミには、その音が耳障りで仕方がない。組み上げたプログラムのチェックを行わなければならないが、再び集中力を取り戻すのは難しそうだ。
目薬の最後の一滴を瞳に落とすが、もはや効果を感じられないほどに目が疲れているのが分かる。指は吊りかけており、肩はガチガチに凝っていた。そろそろと全身を伸ばして、明るい夜空に視線を向ける。
「ったく、のん気なのか何なのか」
通りには夜店が立ち並び、食欲をそそる匂いが風に乗って漂ってくる。素人バンドの演奏だろうか、あまり上手くないギターの音が聞こえてきた。タマユラ地区でも、トウキョウ特別行政区の祭典に呼応するように、様々なイベントが開かれている。
「花火が上がってる」
部屋の扉を開けたタルハ・アンワール・ガニーがそう言って、窓から首を出す。同じように外を覗くと、遠くの空に大輪の花が咲くのが見えた。今聞こえてきた音は、きっともっと前に打ち上げられた花火の音だ。
しばらくそれを眺め、二人は部屋に引っ込んだ。タルハの買ってきたものを食べながら、テレビを着ける。どの局も祭の中継を行ってはいるが、そもそもこの祭が何なのかを説明してくれる局はなかった。
タマユラ地区の北側にそびえる分離壁、その向こう側ではついこの間大規模な戦闘があったばかりである。それにもかかわらず、このような事が出来るのは何故なのだろうか。あの壁の向こうでは、今も多くの人々が助けを求めているはずだ。
ユンディは首を捻るが、今は別の事を考えなくてはならない。タルハに機材の状況を聞いた。
「ザフトの連中とは連絡がつかなかった・・・が、警備会社の人が接触してきた」
「・・・?」
彼の話では、タマユラ地区で大規模な騒乱が起こる可能性があるのだと言う。日本軍シンパと、タマユラ地区における権益保持を狙うグループが共通の利益のもとに行動するらしいのだ。
ふっと言葉を切ったタルハに代わって、ユンディが自分の予想を述べる。
「その騒乱にも、うちの製品が使用される。警備会社には、それに対処する手段がない」
「だから協力してもらえないか、と」
タルハが最後の言葉を引き取った。相手方の申し出を断る理由などどこにもなく、むしろ自社製品の問題であるため、こちらこそ協力を求めるべき立場であろう。問題は、その方法である。
こちら側のプランを伝えたところ、それにぴったりの機材を用意してくれるという事であった。ユンディはそこに引っかかりを感じた。タルハも腕組みをして考え込んでいる。
確かに、背に腹は代えられない事態ではあるが、
「モルゲンレーテの実験とかに利用されるんじゃ・・・ないわよね」
どうにも、生臭い世界に足を突っ込んでしまったようだ。だが、これ以上は自分達が考えても、どうしようもない世界である。食卓の後片付けをタルハに頼むと、ユンディは再びパソコンに向う。
外からは、相変わらず賑やかな人々の声が聞こえてくる。
重機の搬入が始まって、瓦礫の撤去作業に手を付けられるようになった。まだ圧倒的に数は少ないが、とりあえず平らな場所を確保する事はできるだろう。死体と怪我人が並んで寝かされている状態だけでも解消しなければ、いよいよ感染症の懸念が現実のものになる。
ファリロス・ファミリアが設営した野戦病院は、際限なく増加する人の数に対応しきれなくなっていた。他にも複数の団体が、日本人特別居留区で救援活動を行っているが、機材などが最も整っていたファリロス・ファミリアの病院が、それらの活動の中心にもなっているのだ。
「お嬢、ご苦労さまで・・・」
「私への挨拶は構いません」
色の変わってしまった白衣の男性をそう制して、ナタリア・ファリロスは状況を見て回る。特別行政区内での資金集めを一段落して、こちらの様子を見に来たのだ。幸いにも、目標額は余裕で達成している。
テントすらない河川敷には、怒声とうめき声、そして泣き声が満ちていた。多くの人達が懸命の救護活動を行っているが、それを上回る数の人が集まってきているのだ。日本人特別居留区は、半分が焼け野原でありもう半分が瓦礫の山になっていた。少しでも安全な場所を求め、人々はここを目指して来ている。もはや河川敷だけではなく、土手の上まで人で埋まっているのだ。
ナタリアの裾を引く手があった。彼女は素早く屈みこみ、その手の主を診る。だが、うめき声がかすかに言葉を発すると同時に、その人は事切れてしまった。まだ幼さの残る少年は、日本軍として戦っていたのだろうか。実弾の入った弾倉がいくつか、腰のベルトに残っていた。
彼女は歯を食いしばって顔を上げた。血と泥とし尿の臭いが入り混じる空気を吸い込んで、涙をこらえた。少年の目を閉じさせ、手を胸の前で組ませる。
立ち上がった彼女の視線の先、そのはるか遠くに花火が上がった。高い建物が軒並みなくなり、隅田川の打上げ花火が、荒川の側からも見えるのだ。音もなく開く美しい花に、ナタリアは涙を溢した。
「ダル、行きましょう」
傍らの男性にそう言って、彼女は足を進める。涙は拭わず、流れるままにする。不条理を、こんな悪趣味な光景として現したものは、一体誰なのだろうか。
いや、これは不条理などではない。トウキョウの人間は全て、この惨状を知っているはずだ。爆撃の音を聞き、戦闘の光景を映像として見ていたのだ。そこで人が暮らしている事を知っているはずだ。そんな全てを知っていてなお、あのように浮かれられるのであれば、それはもはや異常だ。
ナタリアの背筋に、冷たいものが触れた。トウキョウの騒ぎが何故起きたのか、それは彼女の与り知らぬ話である。だがどんな理由があろうと、あの騒ぎは異常なのだ。何かきっかけがあれば、その異常さは惨状へと姿を変えるだろう。
そんな思い付きに確信めいたものを感じ、彼女は体を震わせる。焼け焦げたMSのシルエットが、花火の光に淡く照らされた。
次回は、土曜日を予定しています。