緊急幹部会が再度招集される。解散寸前だった対策室には再び人が戻り始め、基地に出した待機命令解除の命令を停止する。会議室のスクリーンには、現在のトウキョウの様子が映し出されていた。急変が相次ぐ事態に、集まった者は一様にうんざりとした表情をしている。
「ともかく、各部隊には当初の計画通りの行動を」
「ツクバの接収も急がせろ」
オオサカにある日本自治区行政院では、一週間以上前からこの日に備えた準備を行っていた。東アジア軍による日本人特別居留区攻撃、それがどのような影響をもたらすかを正確に予測した上で、対応策を練っていたのだ。
東アジア共和国中央政府への働きかけは奏功し、トウキョウ特別行政区への部隊増派は阻止する事ができた。オーブや大西洋には、この問題に対して一切の関与を行わないとの約束も取り付けている。
あとは駐留東アジア軍の能力欠如という事実を持って、日本自治区軍のトウキョウ進出の理由とすればよい。ゼネストがそのまま市民暴動へ発展すると、自治政府は予測していた。
その予測は、希望的観測に基づいたものでも、誤った情報に基づくものでもなかったはずだ。少なくとも、リ・ウェンはそれを画策していた。だからこそ、彼の思惑を利用する形で、計画を立案したのだ。
それがあのお祭り騒ぎである。実際の展開は全く異なるものだったのだ。おそらくは、全く別の場所で全く別の思惑が動いたのだろう。
「部隊移動は二時間を目途に完了します、しかし・・・」
言いよどんだ言葉を促すと、東アジア軍部隊にも動きが見えるという。残存のMSなど大型兵器を中心に、多摩川と利根川の両方面へと部隊が動いていると言う。たいした数は残っていないが、橋梁破壊などの工作を行われると厄介な事になる。
「こちらが呼応していると思われているわけか・・・」
日本自治区軍と駐留東アジア軍との交戦は、流石に避けなくてはならない。もし交戦が不可避であるのならば、相手側に100%非がなくてはならない。しかし、ここで手をこまねいて時間を浪費すればいれば、リ・ウェンのシナリオ通りの展開となるだろう。それもまた、避けなくてはならない。
だが、ゆっくりと考えている余裕は無かった。犠牲者の数は、今も増え続けているのだ。当初計画では、暴動発生から自治区軍のトウキョウ突入まで一時間となっていた。しかもその暴動は、新宿と市ヶ谷を結ぶ線を中心に局所的に起こるものと想定していた。
トウキョウからの第一報が入って既に一時間、部隊移動に二時間、さらに東アジア軍による何らかの抵抗を受けながら特別行政区に入るとなると、さらに三時間は見積もらなくてはならないだろう。時間だけでも六倍、暴動の規模が予測よりも大きいため、犠牲者数は想定の十倍では済まないだろう。
スクリーンに映し出されるのは、炎上する車であり、爆発するガスボンベであり、火の着いた瓶を投げる男であり、銃を水平に構える兵士であった。燃え残ったタコ焼きの屋台の飾りが、その光景に言い様のない寒々しさを与えている。
盾に当たる銃弾の音は、半端なものではなかった。防弾仕様とはいえ、軍用の小銃弾を想定したものではないのだ。後方から撃ち込まれた催涙ガス弾に、敵が怯んだ隙に部隊を後退させる。車両の陰に隠れて、状況を確認した。近くの公衆電話の端末に差し込んだ部品からケーブルと受話器が延ばされ、都内各所との連絡が取れるようになっているのだ。
受話器についているボタンを押しながら、次々と入ってくる情報を聞き取る。都内に配備していた機動隊はほぼ全てが何らかの交戦状態に入っているようだ。
「いいか、やり返すのは構わん! だが、やり合うな!」
ひたすらそれだけを命令する。今のシュウ・サクラに細かな事など指示している余裕は無い。彼の頭上も銃弾が飛び交っているのだ。後退してきた隊員が合図を出す。
部隊が身を隠していた三台の車両から一斉に放水が行われ、同時に刺激臭が立ち込める。催涙ガスの原液を混入した水を高圧放水しているのだ。激しかった自動小銃の音がピタリとやむ。覗き込むと、激しい水流に追い立てられるように、カーキ色の軍服が走り去っていく。
真ん中の車両で放水装置を操作していた隊員が、体を仰け反らせて落下した。ビルの上から狙撃されたのだ。ボンボンというガス弾を発射する音とガラスの割れる音が響き、ビルに催涙ガスが撃ち込まれる。
ガスマスクのような装備を有していない兵士は、煙から逃れるように非常階段に飛び出し、そこを高圧放水銃で狙い撃ちされる。階段の踊り場から、二人の兵士が転落した。
「地図!」
シュウは負傷者の救護と、部隊の取りまとめを命じる。その間に、彼は先ほど聞いた情報を地図上に並べた。次に行くべき場所を決めなくてはならない。再び受話器を取る。
「目黒は完全に制圧か・・・そこの人達は動かすなよ、騒ぐのは全員ヤーさんだ。検挙しろ」
「主戦場は靖国通りですか?」
「新宿の庁舎を見捨てたって事は、市ヶ谷に集中するって事だろうな」
暴動を起こしている市民と、それを鎮圧しようとする軍の間に入り、市民への被害を最小限に食い止める、それが保安局警備部のとりあえずの方針であった。だがその方針を貫けるような状況ではない。東アジア軍は、ほぼ無差別に攻撃を繰り返しており、一般市民の避難誘導などを行っている保安局員も標的とされている。
そのため、機動隊はそれに対する応戦を行わざるを得なかった。幸いな事に、練馬と朝霞の両駐屯地から派遣された東アジア軍部隊は、化学戦を想定した部隊ではなかったため、機動隊のガス弾が比較的有効に利いていた。さらにはマフィアの実働部隊が、ゲリラ戦さながらに東アジア軍部隊を襲撃している。
しかし目黒の駐屯地では、市民と軍との戦闘により既に百人を超える死者が出ている模様だ。今新宿の特別行政府庁舎周辺に集まっている人達が、駅を越えて市ヶ谷方面に向かえば、その比ではない惨事となるだろう。
「動ける部隊を全て外苑西通りに集めよう。富久町西と四谷四丁目で暴徒を止める。御苑にから溢れる人間は、神宮の方に誘導」
シュウは、整列している部隊に移動を命じた。問題は、どれほどの部隊が、実際に動ける状況にあるかという事だ。
一つ一つを聞き分ける事ができれば、それは人の声かもしれない。だがそれらが合わさりうねる様に聞こえると、もはや人の声とは違うものになる。それは、一頭の巨大な生き物の咆哮のようなものだ。
環七通りを行進していたデモ隊の先頭は足を止めるが、後方にはそれが伝わらない。そのため行進している人の間の距離は狭くなり、さながら満員電車のような様相を呈していた。鹿浜橋を渡って都心部に入ろうとするデモ隊の前に、即席のバリケードが築かれている。東アジア軍は橋を通さないつもりだ。
デモ隊を先導する様に歩いていた機動隊員が、盾を構えて隊列を組む。デモ隊を後退させ、その場を収めるのが彼らの役割だ。だが、環七通りを埋め尽くすような人の圧力を止められるわけもなく、通りから周辺へとあふれ出たデモ隊の一部が軍のバリケードに対して投石を開始した。
それを合図とするように軍の発砲が始まる。機動隊の拡声器は、人々に下がるようにと必死になって指示しているが、銃声と悲鳴、硝煙の臭いに混ざる血の臭いは、人々の理性を失わせるのだろう。足を止めかけていたデモ隊が前進を始めた。
「隊長・・・!」
隊員の叫びと共に、紺色の機動隊車両が跳ねるようにして爆発した。バリケードの裏側から現れた装甲車が重機関銃を向けている。辛うじて小銃弾に耐えていた機動隊の盾も、もはや役には立たない。声を上げるまもなく、機動隊員が文字通りに消し飛ばされていく。
デモ隊は先頭から順に人々が倒れていき、逃げようとする人は何も分からずにただ進もうとする人達とぶつかりあう。重機関銃だけでも止めようと突進した機動隊の車両が、横転して炎を吹き上げる。
「よし。前進して暴徒どもを蹴散らせ!」
バリケードの中で指揮を取っていた軍人が号令をかける。小銃を構えなおした兵士達は、突如頭上で巻き起こった音に視線を向けた。
バリケードを設置する鹿浜橋の上に掛かる首都高速川口線。その高架から壁を突き破ってトラックが落下してきたのだ。一人の兵士は、その運転席の男と目を合わせた。その目が笑っている事に恐怖を感じるより早く、爆風がバリケードを満たした。トラックの直撃を受けた装甲車は押しつぶされ、爆発によって兵士達の反撃能力は失われた。
デモ隊が唸り声とともにバリケードを乗り越える。踏み潰される兵士、殴り殺される兵士、引き摺られ川に投げ込まれる兵士、生死を問わずに殺された。
熱狂の波に飲み込まれながら、ルーイは必死に理性を奮い立たせる。橋を渡りきったところでデモを抜けて横道に入った。トウキョウ全体が、このような惨状を呈しているのだろう。
アメリを探し、助け出さなくてはならない。ルーイは震える脚を叱咤して走り出した。
何事においても、初動というものが肝心である。その点において、ヒューはミスを犯したと言わざるを得ない。だがこの突発的な騒乱に対して、どのような初動を行えばミスではなかったと言えるのだろうか。
唯一の救いは、昨日のうちに在留邦人全員に接触し、彼らが大西洋軍から派遣されている理由を伝えておいた事だ。そのため多くの人が、今日の外出を控えてくれた。騒乱が確認された時、居場所の分かっている人達は速やかにトウキョウから脱出させる事ができた。
問題は警告を行ったにもかかわらず、フラフラと祭り見物に出かけた人である。家の近所のイベントに行っているのであればまだしも、都心部に出かけられていればその安全を確保するのは容易ではない。
「国際問題になっても知らんぞ!!」
ヒューは力いっぱい手榴弾を投げると、立ち上がって自動小銃を乱射する。手を挙げて部下の射撃を止めさせると、人通りのなくなった道を駆け抜けた。倒れた兵士の部隊章を横目で確認し、軍部隊の区内での展開の様子を推測する。
伊達に東アジア軍に潜り込んでいたわけではない。非常時における区内での部隊展開について、MSの運用も前提としたプランの策定に携わったりしていたのだ。今回のはMSを使わないプランであろうが、それでも予測は容易になる。問題は、予測できたところで完全に戦闘を回避できるわけでは無いということだ。ヒュー達が探している対象は、軍が鎮圧対象としている人達の中にいるのだから。
火炎瓶やコンクリート片を投げつけている人が立て篭もるビルの前に、装甲車が進み出てきた。部下の一人が背中の筒を下ろして肩に担ぐ。ボスッという低い音と共に発射されたロケット弾が装甲車を突き破った。爆発した装甲車に歓喜の声が上がる。
ヒューはそれを無視し、ハンドマイクを使って大西洋の公用語で呼びかけた。聞きなれない言葉での呼びかけにビルの歓声が止んだが、それに応じる声は聞こえない。
「・・・っそ、全員なんて見つけ出せるかよ」
部下の気持ちを代弁するように吐き捨てる。ヨコスカからは応援の部隊が派遣されているがこれ以上人数を増やせば、間違いなくバレる。だが、現行の人数で居場所の分からない在留邦人を全て探し出すなど、不可能な話であった。
破壊された装甲車に付けられていた番号から、それがヨコタ所属のものだと分かる。ヨコタに残存していたMSは日本自治区への牽制のため出撃しているはずだが、戦車や装甲車の類の一部は都心の制圧のために動かされているのだろう。今まで以上に、動きにくくなる事は明白だ。
自分達の安全を考えれば、これ以上の活動は出来ないと判断した方が良さそうだ。ヒューは地図を頭に思い浮かべながら、脱出用ヘリとの合流ポイントまでの道順を考える。そこにたどり着くまでに一人でも在留邦人を見つけられたらラッキーであり、見つけられなかったとしても最善は尽くしたと言えるはずだ。
部下にそれを伝えようと立ち止まった彼は、道に影が通り過ぎるのを見た。部下達も一斉に空を見上げる。
空を横切ったそのMSに、ヒューは見覚えがあった。
本郷三丁目から営団地下鉄東大前にかけての一帯は区内でも有数の激戦地となった。東京大学のキャンパスで抵抗していた学生団体に対して軍が攻撃を行っていたのだが、その背後から東京ドームに集まっていた市民が襲い掛かったのだ。さらに、上野や浅草を拠点としていたマフィア組織がそこに合流し、事態が悪化した。
機動隊が別の場所へと移動した事から、市民と軍が直接ぶつかり合う事態になっていたのだ。通りのビルは軒並みガラスが破れ、並んでいた屋台も全て潰され燃え落ちている。火炎瓶の直撃を受けた車両が急停車し、中から兵士が転がりだした。薄暗くなった街の中、その炎は不気味に明るい。
圧倒的な数の差によって、軍部隊は各個に包囲殲滅されている。数名ずつで東大の各建物を一つずつ制圧していく作戦が完全に裏目に出ていた。投石や火炎瓶だけでなく、化学薬品や携帯用のガスボンベを利用した火炎放射器で抵抗する学生、拳銃や短刀で武装したマフィアに攻撃を受け、それに怯んで後退すれば湧き出るように現れる無数の暴徒に取り囲まれる。
死体の山を築きながら軍部隊を押し返していく暴徒の群れに、軍部隊は退路すら奪われていった。
「・・・あれ、戦車じゃないですか!?」
撮影拠点としているビルの屋上から、ヨシト・モリの指差す方向にカメラを向ける。白山通りを下ってきた戦車三両が、西片交差点で向きを変えるのが望遠レンズの向こうに見えた。そのまま道沿いに向ってくる戦車の砲塔が、僅かに向きを変える。
振り返ってシャッターを切った。戦車砲の直撃を受けて大きく抉れたのは、東大の中心にそびえる安田講堂。カズヤ・イシは、周囲の様子を写真に収めるよう指示し、シャッターを切り続ける。
時折銃弾が飛び去る音が聞こえるが、構っていられる事態ではない。本郷弥生交差点で再び向きを変えた戦車は、人間を蹴散らしながら爆走する。無限軌道に巻き込まれる人間の写真と、戦車砲を浴びせられ崩れていく東大の建物の写真を、交互に撮っていく。どこからか投げつけられた火炎瓶が戦車の上で燃え上がるが、全く意に介さないように、戦車は進む。
背後でうめき声が上がった。ヨシトがもんどりうって倒れる。肩を押さえる彼に駆け寄ろうとした時、カズヤはダンプカーが猛スピードで走るのを見た。彼は再びカメラを構える。
荷台にガスボンベを満載したダンプカーが、東大正門前のT字路目掛けて突っ込んでいく。砲塔を東大側に向けた戦車がそれを旋回させた時には、ダンプカーは一両の戦車に衝突していた。同時に、積まれていたガスボンベが一気に爆発する。
音ではなく衝撃波そのものが襲い掛かる中、カズヤはそれをカメラに捉えていた。道路が直径二十メートルくらいの大きさで陥没し、他の二両の戦車もその穴の中で沈黙している。
口の中に入った砂利を吐き捨てるが、この凄惨さがもたらす不快感は残ったままだ。カズヤは急いでヨシトの応急処置を始めた。
ボディーガードにとって、黒いスーツとサングラスは制服のようなものなのだろうか。いかにもといった感じの男達が、硝煙のくすぶる拳銃を下ろして合図を送る。プラントの警備会社から雇った人間である、相手が正規の軍人であってもナチュラルであれば遅れをとる事は無い。
「見るな! 走れ!!」
警備責任者の声に追い立てられるように、数名の男女が通路を走り抜ける。ハーモナイズコミュニティのメンバーと、つい数時間前までここでコンサートを行っていたアイドルである。
コンサートに集まっていた観客が、暴徒に変貌するのにたいした時間はかからず、彼らはその騒ぎに巻き込まれないよう、身を潜めていたのだ。情報では、北西方向が比較的落ち着いており、いったんそちらに退避した後、イケブクロの本部から避難したメンバーとともに脱出する予定となっている。
会場となった球場を横切る形で移動する。暗い中にそびえるセットが、とても寒々しい。ここで歌を聴いていた人達が、今はトウキョウの各地で暴れている。彼らはそこに恐怖のようなものを感じた。
会場となっているドームを出る。すぐ横の庭園の中に車を隠しているため、そちらに足を向けようとする。会場周辺の様子も、変わり果てたものとなっていた。当たり前のように、動かなくなった人間が倒れている。
「・・・歌わなきゃ」
「はぁっ!?」
足を止めようとしたアイドルの手を、メンバーの男性が無理やりに引っ張る。彼女が何を言ったのか理解できない。
「止めなきゃ・・・こんなの・・・」
「止まるかよ! 早く走れ!」
「だってミーアは・・・」
「あれは、火が着かないように歌ったんだ。俺達とは逆でな!!」
融和と共存、自由と正義、それを伝えるために彼らは活動していた。サブカルチャーによるカウンターでメインカルチャーを揺さぶる。アングラのムーブメントで社会にうねりを生じさせる。それは全て事態を動かすもの、火を着けるものだ。
だが、一度動いてしまった事態はどうする事もできない。自分達の作り出したものだからといって、それは制御できるものではないのだ。着火と消火は全く別物なのだから。
この事態に、彼らは直接的な関与はしていないかもしれない。だが、トウキョウに満ちていたエネルギーに一つの方向性を与えたのは、彼らの活動だ。人々の漠然とした不平や不満に、自由の希求や愛国心という形を示した。そしてそれが、このような形で表現されたのだ。
その形は、彼らの目指す表現とはあまりにも異なっていた。だから彼らは、このような事態を想像すらしなかった。
今ならラクス・クラインの愚かさも理解できる。このような事態を打開できるのは、これを上回る圧倒的な暴力だけなのだ。それを持たない彼らは、ただ逃げる事しかできない。
喧騒の中心は都心部へと向かったのであろう。住宅街は静まり返っていた。だがそれは、不気味で空虚な静けさだ。ブンジ・タチバナは家政婦を呼んだ。近所の様子を見てきて欲しいと言う。女性や子供、老人がちゃんと避難できているかを確認しておきたいのだ。
「先生に付いて行ってもらえば大丈夫でしょう」
彼が先生と呼ぶボディーガードの男性に、床の間に飾ってあった刀を渡す。コレクションもずいぶんと少なくなってしまった。ブンジの身を案じる家政婦に、もっと危険な事もしてきたものだと笑った。
人のいなくなった邸宅で、ブンジはパソコンを起動させる。都内の様子を映し出しているサイトは複数存在し続けており、そのどれもが酷い情景を映し出していた。こうなる事を恐れて、あれだけ大規模なイベントを企画したのであるが、結局は一日半程度の時間を稼ぐ事しかできなかった。
騒乱の発端は、代々木における爆発事件だという話である。情報は錯綜しているが、その点は概ね間違っていないようだ。爆発したビルにいた人に、かなりの犠牲者を出したようだった。
あれだけの人出である、パニックが起こるのは半ば必然である。そしておそらく、リ・ウェンはその機を逃さなかったであろう。菱丘組も動いたはずだ。爆破事件は東アジア軍の工作員によるものという噂はあっという間に都内を駆け巡り、祭に来ていた人達はそのまま東アジア軍への抗議活動の参加者となった。
市ヶ谷や目黒の駐屯地では、もはや戦闘と呼べるような事態にまで発展し、朝霞や練馬の駐屯地を出発した部隊も、各地で銃撃戦を行っているという話である。善隣幇や菱丘組の構成員がその中心だと思いたいが、マフィアにそこまでの度胸があるとも思えなかった。
新宿の特別行政府庁舎は、既に暴徒化した市民が侵入しており、その機能は完全に麻痺している。そして、東アジア中央政府から派遣されてきた上級幹部達の行方は、不明のままであった。
「どこで・・・」
間違ったのか。誰がこの事態を望んだのか。それを論じても、今は意味のない事である。現に、事態は最悪の方向に進んでしまったのだから。
トウキョウ特別行政府という体制が、このような事態を生み出す潜在的な圧力を有していたのは明らかである。だが、その政治的無策の被害者たる東京市民が、この暴動の被害者となるのなら、それは不条理であろう。東アジア中央政府の政策にどのような正当性があろうとも、人命が失われる事態とは比べられない。
パソコンのディスプレイに映るのは、道路の上で倒れたまま動かない人の姿だった。その人の姿は、リ・ウェンの語った理想の底の浅さ、薄っぺらさを如実に示している。彼の語る独立とは、結局このようなものでしかなかったのだ。
ブンジは嘆息と共に立ち上がった。そよ風に揺れる庭木は鮮やかな緑のままであり、夕空はただ晴れ渡っていた。それが、どうしようもなく悲しく見える。
かき集めた機動隊車両で作ったバリケードが次々と突破される。拡声器で割れた声も、群集の唸り声の前にかき消される。シュウ・サクラが最後に聞いたのは、明治神宮や新宿御苑に誘導した群集が再び市ヶ谷方面に向かいだしたという連絡であった。
「シャレにならん!!」
新宿の特別行政区庁舎を占拠した群集は、庁舎から脱出した東アジアの要人や残存する軍部隊が立て篭もる市ヶ谷駐屯地に向けて前進した。それでも、市ヶ谷の基地に一機だけ残っていたMSは、大きな威嚇効果を示してくれていた。先回りした機動隊が群集を市ヶ谷に近づけないように誘導した時、予想外にスムーズに進んだのは、その威嚇効果ゆえである。
だが、上空に遊弋していた謎のMSが飛び去る瞬間、市ヶ谷の基地に立っていたMSが、まるで上から踏まれたように潰れてしまったのだ。群衆からは歓声が上がり、同時に駐屯地を遠巻きにしていた人達が動き始めたのだ。
当初予定していた外苑西通りで群集の足止めが出来ていれば良かったのだが、実際には靖国通りの住吉町交差点と、外苑東通りの片町交差点手前の高架でバリケードを張る事しかできなかった。既に片町交差点は、東アジア軍が簡易の陣地を構築している。このバリケードを突破されれば、間違いなく群集と軍の戦闘になる。
それが分かっていながら、シュウにはどうする事もできなかった。靖国通りを埋め尽くす群集をどう制御しろと言うのか。爆発音と銃声に、シュウは命令を変える。
東京湾の中ほどに退避していたグレートバリアリーフ号の船内が慌しくなる。房総半島側の港に停泊していた東アジア海軍の艦船に動きが見えたのだ。都市部に対して、艦砲やミサイルを放つとも思えないが、今は何が起きても不思議では無い状況である。レーザー通信によって絶えず入ってくる区内の情報は、どれも想像を絶するものであった。
そんな中で、ハーモナイズコミュニティのメンバーから救援要請が入ったのだ。プラント市民である彼らを保護する責任はザフトにある。艦長はMSの発進を指示し、さらに救助したメンバーに対する尋問の準備も行わせた。
トウキョウで起こった様々な事象、そこに彼らの影が見え隠れしていたのだ。この機を逃す理由はどこにもない。艦長はブリッジの慌しさの中でつまらなそうに言う。
「助けられた側に口を閉ざす権利はないよ」
人員輸送用ユニットを搭載した可変MS・ドゥルが、後部デッキにせり出してくる。普段はステージやデッキチェアが並べられている場所だ。整備員が船内に入ったのを確認して、ドゥルは上昇していく。空中で変形した機体が飛び去っていくと。それを追うようにもう一機のMSが海中から飛び出した。
キリルの乗るガルバルディが、護衛の任についてた。だが彼が守るものは、目の前を飛ぶ可変MSでもなければ、それに乗せられる人間でもない。キリルはペダルを踏み込む。
東アジア領内をザフトのMSが勝手に飛行している、普通であれば戦争になってもおかしくない事だろう。だがガルバルディのモニターは、大西洋連邦のマークを付けたMSに守られる大型ヘリの一団を映していた。そのまま三浦半島の基地へと向うのだろう。あれが、正規の外交ルートで了解を受けた部隊だとも思えなかった。
「マリア・・・今行く」
そうつぶやいてドゥルを追い越した。ハーモナイズコミュニティとの合流地点は、茗荷谷近くの学校という事になっている。コクピットのモニターに地図を呼び出した。
マリアが試験を受けていた場所から帰宅するには、明治通りを北上するのが普通だ。だが区内の混乱を避ける事を考えれば、明治神宮、東宮御所、皇居と日本人であれば騒乱を起こさないであろう場所を伝っていくだろう。無理をして帰宅するのではなく、どこかで難を逃れている可能性の方も高い。
彼女はガルバルディの姿を知っている。見れば反応を示してくれるはずだ。夕闇が迫りだし、機体各部の警告灯を点す。周囲を警戒しながら、八角形のホールの横に着地した。
かつてこの国の元首が住んでいたという場所は、不思議なほどに静かであった。だが、この薄闇に包まれた街では、今でも凄惨な戦いが続いている。外部マイクを入れると、遠くから声が聞こえる。キリルはその方向に向けて、ガルバルディのモノアイを回した。
「!!」
距離にして二キロも離れていない場所に、翼を広げたMSが浮かんでいるのが見えたのだ。下からのサーチライトを浴びて陰影深く浮かび上がるその姿は、傲然そのものといった様子である。
きっと同じ人を探してここにいるのだ。キリルは奥歯を噛み締め、感覚を確かめるようにレバーを握り直した。
区内のあちこちから煙が上がり、よく晴れた空だというのに視界は心なしか澱んで見えた。もっとも、これから暗くなれば視界の有無など、意味を成さなくなってくる。暗くなる前に、探しものを見つけておかなくてはならない。
モニターに表示されるマークは、コンピューターがフル回転で仕事をしている事を示している。カメラが捉えた映像の中から、対象となる人物を検索するシステムを使って、トウキョウの人ごみを探し回っていた。あの声の持ち主の写真に合致する人物がいれば、たちどころに分かるはずだ。
東アジア軍が航空機やMSを区内に展開していなかったのが幸いし、エヴィデンスは目撃者に驚きを与えたものの、さしたる邪魔を受ける事無くトウキョウ上空を飛行する事ができた。心配なのは、この騒ぎの巻き添えを食って、彼女が死んでいるのではないかという事くらいだった。
「それは・・・もったいないなぁ」
人の持つ進化の種、それを芽吹かせる事の出来る声など、そうそう手にはいる物ではない。プラントが有していた膨大な数の遺伝子情報を蓄積したデータベースは、レクイエム戦役時に宇宙要塞ごと消えている。いまや、あの声の正体たる遺伝子を持つ者がどこにいるかを知る者はいないのだ。
眼下に広がるのは、人の愚かな営みの中でも最低のもの。宇宙というフロンティアを目前にしながら、いまだに人類は地面の上でのた打ち回っている。
そんな人類にとって、彼女の歌声はまさに福音となる。
人類にとって最後の可能性、広大な宇宙へと乗り出すために不可欠な能力。ジョージ・グレンが発見した地球外生命体の痕跡は、人類に一つの扉を与えたのだ。あとはその鍵を開けるだけでいい。
SEED、それこそが宇宙への扉の鍵であり、彼女は人類の内に隠された鍵を取り出す者なのだ。ハニス・アマカシの瞳が、どこまでも深くなった。モニターに拡大された群集の映像の中で、四角いカーソルが揺れながら停止している。
「見つけた」
群集に流されながら、彼女は少しずつ通りの端へと寄っていく。そのまま人の流れから抜け出し、人のいない小さな路地に身を隠すように立ち止まった。ハニスは、小さく舌を鳴らす。
隣に男がいたのだ。何か言葉を交わしているようなその様子に、あの声の価値も分からない者が、と毒づく。エヴィデンスをゆっくりと旋回させ、彼女の方へ向おうとする。下からうるさく警告を繰り返していたMSは、先に踏み潰しておいた。ハニスは改めて目標を定める。
「・・・邪魔をするな!!」
エヴィデンスが腕を振るうと、一条のビームが放たれた方向へと弾かれる。ビームを放ったMSはそれを予期しており、跳ね返されたビームは八角形の建物を貫通する。夕暮れに溶け込むような暗色系の色に塗られた機体は、見覚えのあるものだ。
ハニスはサブカメラの一つに標的の映像を追尾させるよう設定し、自分の意識は向ってきた機体へと集中させる。ピンク色に光るモノアイは、睨みつけるようにエヴィデンスを凝視していた。
「伏せて!」
ルーイはそう叫んでアメリに覆い被さるように道に倒れこんだ。頭上を突風が通り抜け、近くのポリバケツが空高く舞い上がる。
殺気だった群衆からようやく抜け出たと思ったとたんに、MSの登場である。ルーイはアメリを抱えるように起き上がらせると、商店と商店の隙間に身を潜ませる。彼女を気遣うように、震える肩を抱いた。
怪我人の避難所のようになっていた学校の校庭でアメリを見つけたのは、偶然以外の何物でもない。試験会場から騒ぎの中心を避けるように逃げるだろうという予測は立てていたが、この広いトウキョウの無数の人の中で彼女を見つけ出せたのは、非常時でなければ運命だろう。
ルーイは彼女を連れて、その学校を後にした。人の流れが市ヶ谷方面へと向っているので、外堀通りを渡って北西方面へと抜ければ、比較的安全だろうと踏んだのだ。結果としてそれが裏目に出た格好になる。もっとも、あの場に留まっていて安全だったかどうかは分からないが。
「歩けそう?」
コクリとうなづいたアメリの手を取る。遠くで響いている重い金属のような音は、きっとMS同士が戦闘をしている音だ。二人が足を踏み出した時、再び突風が襲った。巻き起こる砂埃に、ルーイの気が一瞬だけ逸れる。緩んでしまった彼の手から、アメリの感触が滑り落ちるのを感じた。
「アメリ!!」
彼の叫び声を遮断するように、崩れ落ちるビルの壁面が狭い道を分断する。
次回は、水曜日を予定しています。