歌と爆弾 ~コズミック・イラ 東京異聞~   作:VSBR

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第一話  ポップスハーモナイズサマーライブ

 見渡す限りの人の頭。オオサカの都心部から少し離れた公園、広大なはずの記念公園が人で埋め尽くされていた。おそらく、主催者の側の集客予想を大きく上回っているのだろう。この手のイベント開催に慣れていないという事も原因の一つかもしれない。現地スタッフとはぐれないようにするだけで一苦労だ。

 会場の様子をリポートするために出てきたが、これではリポートも何もあったものでは無い。取材関係者としてメインステージのイベントなどの映像は押さえられるが、それ以外の取材は困難であった。来場者にインタビューを行おうなどという発想すら出てこない。

 メインステージ以外にも、会場のあちこちにサブステージが設けられ、また通路や広場にはパフォーマンス用のスペースが設けられている。種々雑多な音楽やダンスパフォーマンスが繰り広げられ、そのたびに観客が足を止めるため、スムーズに歩く事も難しかった。

「あかん、これ出直したほうがええわ・・・キリロフさん、どないします?」

「僕はもう少し歩いてみます。ハンディでも、修正かければ使える映像もありますし」

 ルーイも現地の言葉、日本語の聞き取りなら出来る。だが、独特のイントネーションはやはり聞きづらい。連合の公用語で答えると、現地スタッフは後で連絡すると言って人ごみの中に分け入って行った。

 音楽だけではなく、映画などの映像コンテンツやファッション、絵画や彫刻のようなアート作品までもが寄せ集められた、無秩序で混沌としたイベント。それも、いわゆる大家や大御所、トップスターが集まるのではない。それぞれの世界で、ニッチを開拓したものやカルト的人気を集めるもの、マニアックで評価の対象となるのかどうかの評価すらされていないようなクリエイターと作品が世界中から集まっているのだ。

 ポップスハーモナイズサマーライブ。

 サブカルチャーをもってカウンターとし、オタクネットワークのコスモポリタン的うねりでメインカルチャーを揺さぶり飲み込み乗り越える。そんな大仰で意味不明なお題目も、この人ごみを見れば理屈抜きで納得してしまいそうだ。

 何より、集まっている人の種類が多い。極東の島国のイベントに、まさに世界中の人間が集まっているかのようだ。人種、民族、国家、遺伝子、それらの枠組みはここには無いのであろうか。

『コスプレとは共通理解に基づく共同体的ペルソナであり、それを身につける物は即座にその共同体の一員として、承認され抱擁される』

 昨日行われていたファッションのイベントで、新進気鋭と呼ばれているデザイナーの一人がそんな事を言っていた。ルーイはただ、その言葉を疑問を持って聞いた。承認され抱擁されるのは、ペルソナであってそれを身につけている者のパーソナルではないのではないかと。

 周囲の人達が時計を気にしだしている。そろそろ時間であった。このイベントの目玉、プラントミュージックシーンを揺るがせている新人アイドルの到着時間だ。ライブは二日後だが、今日はステージでトークイベントが行われるはずだった。

 ルーイは、人に押されるようにメインステージの方に流されていく。少なくともこの人の多さは、十分に放送に値する映像だ。

 

 

 

 

 

 

 近くにある地方空港からはヘリでの移動となった。そこの空港がMSの発着許可を出さなかった事に、キリルはほっとしていた。もし許可が下りていたら、間違いなく自分がそのパイロットとしてアイドルを乗せなくてはならなかっただろう。

 バイコヌールから特命を受けて、豪華客船に派遣されたと思ったら、命じられた任務はアイドルの護衛であった。確かにペディオニーテ動乱後、プラント・連合間の緊張緩和が劇的に進んでいるとはいえ、コーディネーターに対する排斥運動やテロが無くなったわけではない。

 プラントは相変わらず積極的な移民の受け入れを表明しているし、連合加盟国は様々な政策を組み合わせてコーディネーターをプラントに送り出そうとしている。むしろ分断が進んでいると見る事もできるのだ。緊張緩和など、それまでの比較対象が最悪以下だったからに過ぎない。

 だが、そうであればわざわざ自分を呼んだりするであろうか。護衛ならザフトのしかるべき部署がやればいい。それをわざわざ別の者にやらせるという事は、何か別の目的があると言うことだ。

「あれが太陽の塔ね」

 前の席に座っているアイドルが、無邪気に指を差す。キリルも窓の外を見た。

会場となっている公園にそそり立つ奇妙な物。今行われている奇妙なイベントに相応しいモニュメントだった。旧世紀に作られた物だというが、これは永遠にアヴゥンギャルドでいられるだろう。

 臨時のヘリポートが近くの野球場に作られている。ヘリのローターが巻き起こす風の中、主催者側のスタッフや日本自治区の行政機関職員、プラント当局者がゾロゾロとやってきた。外の道路にはパトカーがずらりと並び、それなりの警備体制が敷かれているようだ。

 実はすぐ北側にあるゴルフ場をザフトは貸し切っており、そこにMSを隠しパイロットを待機させていた。キリルはそちらとの連絡のため、一人で別の車に乗る。

「何も無ければそれでいいさ」

 クラブハウスで待機していた隊長が、事も無げにそういう。テレビではイベントの様子が生中継され、パイロット達がアイドルの登場をいまや遅しと待っている。その弛緩した様子に、キリルは文句を言う。

「こうやって生中継を見ていれば、お前さんがたから連絡を受けるより早く動ける」

 キリルは一度強く相手を睨みつけ、ゴルフ場を後にした。膝を付いた姿勢のグレブが三機、木立の中に擬装ネットを被せられている。気を取り直してアクセルを踏む。地上のザフトの士気が低いのは今に始まった事ではない。

 現在のザフトは地上軍を縮小し、カーペンタリアとジブラルタルに機能を集中させている。軍事費の縮小や、連合との関係改善による物資の安定供給の目途がたった事などがその要因であるが、結果としてザフト地上軍は閑職になってしまったのだ。そのため地上への派遣はイコール左遷であり、一部の高級将校を除いては、兵士の士気は一様に低い。

 キリルにとって、そんな現状はどうにも耐え難いものだった。

 

 

 

 

 

 

 拍手と歓声がどよめき、まるで地響きのように聞こえる。ステージ上に現れたアイドルへの声援が、津波のように聞こえてきた。スタッフがせわしなく走り回るステージの裏で、キリルは同僚とともに周囲を警戒する。だがこの熱狂ともいえる人々の姿に、彼は自分の興味の範囲の狭さを思い知る気分だった。

 プラントの音楽シーンはラクス・クラインの絶対視、正確に言えばミーア・キャンベルという虚像の崩壊に伴うラクス・クラインという偶像の確立によって、非常に硬直化したものとなっていた。プラントで供されるべき音楽とは、ラクス・クラインが歌った物と同じ方向性の物だけであり、それ以外の音楽は極端な話ブルーコスモスやザラ派、デュランダル派のような遺伝子原理主義者の音楽だと見なされるようになっていた。

 今ステージの上で手を振っているアイドルが歌うのは、キリルからしてみれば稚拙なラブソングに過ぎない。プラントでの当初の評価はそれ以下であり、そのステージパフォーマンスがミーア・キャンベル的であるとして批評家からのバッシングを受けたりもしていた。

 そのため彼女の歌は、少数のファンが作った複数の音楽配信サイトからの発信が主であった。そのサイトの管理人の一人がカーペンタリア勤務となった際、地上での音楽配信も始めたところ、爆発的な反響を得たのだ。その理由は後世の音楽史家なり、風俗研究家に任せねばならないとして、地上での爆発的な人気がプラントに逆輸入される形となり、彼女は今プラント音楽シーンの台風の目となっている。

 そしてそのような彼女のあり方こそが、このイベントの理念に合致するのだろう。メインカルチャーを揺さぶるカウンターとしてのサブカルチャー。

「だが、これが・・・カルチャーか?」

 ここに来るまでの間に叩き込んだ資料の中身と、この目の前で繰り広げられる熱狂の間には何らかの落差がある。少なくともここに集まっている連中に、カルチャーの現状に対する危機意識や、サブカルチャーの持つ可能性への期待感のような物は全く感じられない。数が多いだけで、そのエネルギーを外部に発信する気がないような気がするのだ。

 もちろん、こういうイベントを企画する側にはそれなりの考えもあるのだろう。だが大多数の人間は、その考えを共有はしていない。ただ一時の祝祭として、このイベントは消費されてしまうだろう。

 確かに、これをきっかけにプラントと地球での人的交流を活発化させようという機運が盛り上がるかもしれない。政治経済的な要請ではなく文化面の交流が、相互理解の基盤となる事は十分に考えられる。そういう意味では、このイベントを無駄だとは思わない。

「だが融和も共存も、ここからは生まれない」

 アイドルに向けられる野太い声援に、キリルは確信めいたものを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 人の流れに押されながらも、巧みにその本流ではなく支流の方に体を流していく。メインステージ方向への人の流れが一段落したころ、ルーイはようやく人ごみの中から脱出していた。

 この人の流れを捌き、将棋倒しのような事故を起こさないでいる警備員や誘導スタッフはたいしたものだ。自動販売機の周りには、疲れた顔の人々がほっと一息入れている。自分も同じ顔をしているだろうと、硬貨を入れながら思った。

 遠くから聞こえてくる唸り声は、おそらくメインステージの歓声だ。缶の炭酸飲料に口をつけながら、彼はとりあえず報道関係者用のスタッフルームに戻ろうと思う。缶をゴミ箱に捨てるとき、ベンチに腰を下ろしてしきりに足をさすっている女性の姿が眼に入った。声を掛けてみたのは、彼女が日本語を話す人に見えなかったからだ。

「ちょっと、くじいてしまったみたいで」

 帰ってきたのは連合の公用語。だが、パッと見ただけではどこの人間か分かりにくい。

「歩けますか? なんなら人を・・・」

「いえ、大丈夫です」

 外国人二人の会話に居心地が悪くなったのか、同じベンチに座っていた日本人が席を立つ。この辺りの排他性は旧世紀以来の伝統らしい。ルーイは彼女の横に座って身分を明かす。そして、インタビューを申し込んだ。

 快く応じてくれた彼女は、トウキョウから職場の同僚とともこのイベントを見に来たのだと言う。日本へは、仕事のために来ているという話だった。

「何か、目当てのイベントが?」

「タダ券をもらったというのが最大の理由ですけど。でも歌は好きですし、自分でも歌ったりするんですよ」

 そしてこのイベントの理念に興味を引かれたのだと付け加えた。

「サブカルチャーでメインカルチャーを揺るがす?」

「難しい言葉はよく分からないけど・・・歌で世界を変えてみようって、事でしょ」

 変わりますか、というルーイの問いかけに、彼女は小さく笑った。そして、ナチュラルとコーディネーターが長い間互いに殺し合って何も変わらなかったこの世界を、歌が変えてしまえるのであれば、それはどんな奇跡よりも素敵な事だろうと言う。それを素敵だと思える人は、きっと素敵な人に違いない、そう言って彼女は視線を空に向けた。

 ルーイもつられるように空を見る。明るくとも厳しさのない日差しが、高く澄んだ空を満たしている。

 不意に彼女が立ち上がって手を振った。どうやら一緒に来ていたという同僚らしい。ルーイは礼を言って立ち上がる。今のインタビューを番組で使わせてもらうかもしれないと言い添えて、彼はそこを後にした。

「素敵な事・・・か」

 何か、とてもいい言葉を聞いたような気がする。立ち止まって振り返るが、もはや彼女の姿は見えなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 宿泊先は、現地テレビ局の社員寮だった。あの人出である、都心部はおろか相当遠くのホテルまで軒並み満室であろう。ベッドではなく、畳という植物性の床材を敷き詰めた部屋に木綿のマットレスが敷き詰められている。一緒に来ていたディレクターは、ビール一本を空けると早々に寝てしまっていた。

 テレビの配線を終えると、ルーイは今日の分の映像のチェックをしておく。本社に戻ってから行えばいいのだが、一通り目を通しておきたい。よく撮れているとはいいがたいが、ハンディの方も使えるレベルには収まっているようだ。

 しかし、これだけの人を集められるイベントを企画したのは、いったいどんな集団なのだろうか。ふと、そんな事が気になった。資料には、東アジアの有名企業が協賛として名を連ねているが、こういうところは最後の最後に広告として名前を載せるだけだろう。

 ぬるくなったビールに口をつけながら、ルーイはもう一度資料を読み返す。プラントから歌手を呼ぶにしても、それなりのパイプを有していなければ不可能だろう。いまだにプラントから地球に降りるには、ザフトの許可がなくてはならないのだ。

「まぁ、書類手続きだけだとは言うがな・・・」

 Nジャマーによる電波障害によって、無線によるマスメディアは退潮し、代わりに有線によるメディアが台頭した。それは旧来のテレビ局のように巨大資本が一元的に発信する情報ではなく、個々人がパーソナルに情報を発信するという形のメディアであった。そしてネットワークがそのパーソナルな情報を繋ぎ、個人の限界を突破させる。

 メディアは巨大資本による寡占から解放され、同時に孤立し遊離する個人の無責任な情報の発信は自律性を持つネットワークの中で抑制される。少なくともそれが理念であった。

 しかし実際は、少数の匿名者が多数を装う無責任のネットワークが拡大し、巨大資本はその資金力によって常にネットメディアに情報を供給し続けた。

 そんな歴史を勘案すれば、このイベントを企画したハーモナイズコミュニティなる集団も、どこぞのメディア企業が資金提供を行っている組織だと勘ぐられても当然だ。ルーイは自分の頭の中を探す。

 その手の噂に心当たりがないのだ。ハーモナイズコミュニティはもともと、プラントの歌手を地球で紹介するための個人サイトが発祥だと言う話は聞いた事があるし、それ自体は裏付けもある。そしてこの企画の発端は、プラントの歌手を地球に呼んでライブを行うという、そのサイトの計画にあったという。

 やがて、そのサイトを中心に様々なサブカルチャー集団が計画を持ち寄り、この企画が進んでいったというのが、もっぱらの噂だ。もし、どこかの企業が資金提供を行うという話があれば、当然その情報は噂レベルであっても流出するはずだ。

「・・・経済部の仕事だな」

 ルーイはテレビを消し、部屋の明かりを落とす。彼の所属する文化部の仕事は、このイベントが現代文化に与える影響のあるなしを論じる事であって、この企画の収支報告書を分析する事ではない。

 明日は、プラントから来たアイドルのライブを取材しなければならないのだ。人の数は今日よりも断然多くなるであろう。ゆっくり休んでおかなければ身が持たない。

 

 

 

 

 

 

 アイドルのために最上層部の三フロアーが貸し切られたホテル。本当に必要なのかどうか分からない関係者が、大きな顔をしてうろついている。ようやく任務から解放され、シャワーでも浴びようと思ったキリルに内線がかかってきた。警備の責任者ではなく、ザフト外交部から来た責任者からの呼び出しである。

 小さな会議室に集められた者は彼と同様に怪訝な顔を浮かべているが、全員が豪華客船からの派遣組である事が分かると、その表情が薄れる。アイドルの護衛という任務は何らかの目くらましだったのだろう。

 程なくして現れた責任者は、コピーしたてのまだ温かい紙を配る。簡単な資料であるが、会議後焼却処分の判が押されていた。席について一息入れると、口を開いた。

「君達にはトウキョウに向ってもらう」

 レコード会社の社員という肩書きでハーモナイズコミュニティに接触し、その実態を調査する事が任務の一つであった。今後のプラント・地球間の文化交流を促進させるため、その交渉相手としてこのイベントを企画した組織がどのようなものかを調査する事が目的とされている。

 しかしそれだけが目的であれば、わざわざザフトの制服を着る彼らを呼ぶ必要は無い。彼らの本来の任務は、東アジア共和国日本自治区とトウキョウ特別行政区の動静を探る事にあった。全員の顔が引き締まる。出席者の一人が質問をする。

「ザフトは戦略目標をどう定めているのでしょうか」

「新たな橋頭堡の確保。君達には、それが可能かどうかの調査を命じる」

 現在、プラントが持つ連合とのパイプは細く、地球各地の情報を迅速に正確に収集できているとは言い難い。しかもそのパイプは大洋州のみに依存しているのが実態だ。ジブラルタルのあるユーラシア、大戦時から特殊な関係にあったオーブ、その両国とも「戦略的パートナー」以上の関係ではない。得られる情報は限定的なものだ。

 デュランダル政権下で、中央アジアから小アジアを経て中東までの地域に広がった親プラントの流れも、連合が主導しユーラシアが後押しする自治独立の動きの中で雲散霧消した。南米の親プラント勢力も、今や過激派としてその名残を残すのみである。

 だからこそ、プラントは新たな足がかりを欲していた。プラントと連合の緊張緩和などは政治的駆け引きの結果であって、将来にわたる保証などないのだ。不測の事態を察知するためにも、またそれに備えるためにもザフトは地球に強固な拠点を必要とする。

「情勢は不透明だと聞きますが」

「それも調査の対象だ」

 キリルの問いに、責任者は苦々しく答えた。まさに、手探り状態からのスタートと言う事になる。参加者の一人が、プラント外務省との連携について質問するが、それに対しても十分な回答がなかった。

 肩こそすくめないが、全員が顔を見合わせる。どうやら、レコード会社社員という肩書きは、味方をも欺くためのものであるらしい。

 プラントと東アジアとは、現在でも微妙な関係が続いている。その国内での諜報活動に、本国からどれほどのバックアップがあるのか。上の方の縄張り争いだけでも解決しておいてもらいたいものだった。

 アイドルの護衛の方がマシな仕事かもしれない、キリルは手渡された鉄道の切符を眺めながらそんな事を思った。

 

 

 

 

 

 

 車内アナウンスが流れた。アイマスクを外して窓の外を見ると、美しい独立峰が微かな煙を吐き出しながら悠然とそびえているのが見える。西暦からCEに切り替わる頃に、小規模な噴火を起こしたこの山は今も時折噴煙を上げるのだ。プラントでは決して見る事のできない風景の一つであろう。

 オオサカを出て二時間あまり、キリルは腕時計を確認する。目的地であるトウキョウの二つ手前の駅で降りる事になっていた。彼らの活動拠点に立ち寄り、今後の方針を決めなくてはならない。

 隣の席の同僚が車内販売のワゴンを止め、ビールとつまみを注文した。冷やかしの言葉を、きっちりと連合の公用語で切り返した社内販売員に感心しながら、キリルは同僚を注意する。

「固いなぁ・・・これは勤務時間外だぜ」

 缶のタブを引き上げながら、同僚は眉をひそめた。そしてスモークチーズの包みをキリルに差し出す。きっぱりとそれを断った彼に、同僚は大げさなため息をつく。それではスパイは勤まらないぞという言葉を無視し、代わりにヘッドホンからの音漏れにも注意をしておいた。

 しぶしぶとヘッドホンをしまう同僚に、キリルは聞こえないように舌打ちをする。自分よりもいくつか年上のはずだが、言動は全くと言っていいほど子供だ。酒を飲める分、たちが悪い。技術畑の人間で、アカデミーから軍需企業のキトラ社に就職した後にザフトに招聘されたという経歴の持ち主だった。有能ではあるのだろう、ただ自分とはウマの合うタイプではない、キリルはそう判断していた。

 用意された指定席がたまたま隣り合う席だったというだけであるが、初っ端から余計なストレスを背負わされてしまった。キリルはアイマスクを降ろし、僅かな時間だけでも眠ろうとする。

「何でそんなに気張ってんだ」

 そんな事を言う同僚には、逆の問いかけをしたい気分だった。何故、そんなに弛緩していられるのかと。

 あと十年ちょっともすれば、CEは一世紀を迎えることになる。この百年の間に、人は種の限界を突破し、重力のくびきを脱し、その可能性を地球規模から宇宙規模へと広げたはずであった。そして優れた人間が計画し指導する社会で、人類はより力強く発展していくはずであった。

 コーディネーターとは、まさにそのために生まれた種のはずだ。科学者の好奇心の結果でも、医学研究の延長線でもない、確固たる理想とともに生まれた種のはずだ。

 しかし現実は違った。コーディネーターの存在は旧世紀同様の人種差別を引き起こし、プラントの存在は旧世紀同様の国家間対立を生み出したに過ぎなかった。それも地球規模ではなく宇宙規模でだ。

 プラントは旧世紀の遺物ともいえる議会制民主主義を導入し、大衆の無責任を政治的決定となすシステムに飲み込まれた。そして旧世紀同様のパワーポリティクスを巧みにこなす事こそが政治となり、社会の理念も国家のビジョンも「現実」という言葉の前に捨て去られる事となる。

 そこにあるのは宇宙に浮かぶただの国であった。コーディネーターであれば、そんな現状に忸怩たる思いを抱いて当然であろう。少なくとも、キリルはそう考えていた。アナウンスが、降りる駅名を告げる。

 

 

 

 

 

 

『恋より早く駆け出した 私の鼓動はもう止まらない

足踏みしている私の恋を 置き去りにして加速中

踏み出せ私の恋心 あのドキドキを捉まえて

飛び出せ私の恋心 あのトキメキを抱き締めて』

 

 会場の熱気はまさに最高潮であった。観客の声援が空気をどこまでもどよめかせている。観客がアイドルともにジャンプした時には、間違いなく地面が揺れた。その喧騒は報道関係者の詰所にまで聞こえてくる。

 もっともライブの最中にここに詰めているのは、機械関係の技術者を除けばルーイくらいなものである。もともとこの手に歌に興味はなかったし、あの観客に対して取材できる事などあるわけもなかった。

 モニターに映るアイドルの映像を眺めながら、ルーイは紙コップを傾ける。ただのアイドルコンサートにしては、ずいぶんと大げさな舞台設定だと思った。この歌に、メインカルチャーを揺るがす力があるとも思えなかったし、そもそもメインカルチャーなるものがどんなものかもよく分からない。この企画の主催者には、そういった点を聞いてみたいところだった。

「すみませんね、一回モニター切りますよ」

 工具を腰にぶら下げた初老の男性が、配電盤の裏に回りながら言う。ルーイは構わないと言って詰所を出ようとする。ふと見ると、テーブルの上の電話が鳴っている事に気付いた。ベルの音が小さくほとんど聞こえないのだ。

「もしもし」

「近畿3チャンネルの者です、お世話になっております」

 共同取材を行っている現地のテレビ局からの電話だった。話を聞くと、どうやら用があるのは自分達らしい。ディレクターは会場に行っているのでとりあえず話を聞く。ユーラシアの本社からの電話が回された。彼の所属する文化部ではなく、政治部の部長からの電話だ。

 部長はニュースにアクセスできるかどうかを聞いた。モニターが映るようになったので、会場の様子ではなく外部の放送を受信するようにチャンネルを代えた。昼間の情報番組の画面に速報のテロップが流れる。日本語のテロップなので、瞬時には内容を把握できない。部長が代わりに内容を伝えてくれる。

 トウキョウでテロと見られる大規模な爆発事件が起こったのだ。そして部長は、その事件の取材を命じると言う。

「待って下さい、僕は・・・」

「文化部の方には了解を取ってある」

 有無を言わせない調子には理由があった。日本自治区内の特別行政区であるトウキョウは、自治政府ではなく東アジア共和国の中央政府が直接行政官等を派遣して統治を行っている。そして、特別行政区内への外国人の立ち入りは厳しく制限されているのだ。ましてやテロの直後である、国外メディアによる報道や取材が簡単に許可されるわけがない。

 しかしルーイ達は現在、報道の査証と在留資格を持っている。それがあれば、特別行政区にも入る事ができる。それを使わない手は無いと考えたのだ。ユーラシアの外務省にも既に連絡をつけているようだった。

 もはや断れない状況になっている中、ちゃんと業務命令と言ってくれるだけこの部長はマシなのかもしれない。文化部の部長なら、まず間違いなく本人の希望という形にするであろう。

 詳しい話は、近畿3チャンネルに戻ってからと言う事になり、会場に出ているディレクターとカメラマンを早急に呼び戻すように言われた。受話器を置いたルーイは、ため息とともに立ち上がる。

 

 

 

 

 

 

 現場には未だに関係車両が群がり、それを遠巻きにする野次馬を警備の警官が追い払っていた。この品川の現場の他に、御茶ノ水と代々木でもほぼ同時刻に爆発が起こっていた。後者の二ヶ所では、ここよりも大きな騒ぎになっているだろう。

 だが現場検証を行うにつれて、この現場の方がより深刻な事態である事が判明してきた。既に軍関係の車両が入りだし、上空にはヘリコプターが旋回を始めている。

「ようやくか・・・捜査員を全員呼び戻せ、あとは交通課の仕事だ」

 爆発事件の捜査を軍が引き継ぐと言う正式な命令が伝えられ、警察関係者は付近の交通整理を除いて撤収する。さらには捜査員の各員に緘口令が敷かれた。だが捜査員は、誰もがその命令を鼻で笑う。既に噂は広まっているだろう。最近、トウキョウでまことしやかに語られる「幽霊MS」の噂だ。

 実弾もビームも通用せず、スラスターを使う事無く宙に浮く。一切の武装を持たないにもかかわらず、そのMSが手を振るだけで対峙した機体は潰されるという。

 日本人特別居留区に侵攻する東アジア軍のMSは、このMSに遭遇してことごとく撃墜されているという。軍は必死になってその情報を隠蔽し、またその謎のMSの行方を追っているが、未だに足取りすらつかめないと言う。

 この爆発事件も、そのMSによって起こされたのだと、野次馬が声を潜めるようにして話していた。

「それならいいんですがね」

 軍の指揮車両の中にいたスーツの男が眼鏡を拭きながら言う。御茶ノ水と代々木の方の捜査はあらかた終了し、使用された爆弾の種類やその手口も過去の事件との一致点が見つかっている。

 しかし品川の事件は、それらが異なっているのだ。同時間に起きたとはいえ、場所も離れており、別の事件と考えるのが妥当である。さらに問題なのは、使用された爆薬の種類である。

 詳しい分析結果はまだ出ていないが、どうやら東アジア軍で使用されているものと同種であるらしい。それが事態を深刻なものとしていた。軍内部にテロリストと結託するものが存在する可能性が出てきたのだ。スーツの男が資料を手に取る。

 ただ気になる点としては、その爆薬が特殊部隊などが使用する類のものであって、軍内でも普通に入手できるものでは無いということだ。

「まぁ、それに関しては分析待ちですか」

 トウキョウでの爆弾テロは、珍しい話ではない。過去にはもっと犠牲者を出した事件も起きている。ただ、ここ最近のトウキョウの様子は何かが異質だと、関係者は肌で感じている。

 連合とプラントの緊張緩和、それはCEを長らく支配してきた大きな対立の構図が変化したという事である。大きな対立の沈静化が小さな対立の眼を覚ます、これは旧世紀でも起こっていた事だ。

 今のトウキョウはまさに眼を覚まそうとしているのでは無いか、そんな事を誰もが無意識に感じていた。

 

 

 

 

 

 

 日本自治区とトウキョウ特別行政区の西側の境は多摩川である。そのため現在、東海道新幹線、リニア中央新幹線ともに、品川まで行かない列車がほとんどである。直通は基本的に政府専用車だ。中央の線路を走り抜ける車両を横目に、ルーイはホームの階段を下りる。

 ルーイが勤めるユーラシアのテレビ局のBNNは、親会社に当たる持ち株会社が新聞社も所有している。その新聞社は他の新聞社と共同して、ヨコハマに通信社を構えていた。彼のトウキョウ取材にはそこのスタッフが協力してくれると言う。

 改札口にいたのは、ルーイよりも若い感じの日本人の男性であった。目印に赤い風船を持っているという、一風変わった男である。

「ルーイ・キリロフさんですね。ヨシト・モリです、よろしく」

 軽く握手を交わすと、とりあえず通信社に向かう事になった。しっかりと話は通っているようで、ルーイから説明をする必要は無かった。ただ、特別行政区内部まで入れる在留許可を持てるのは非常に幸運な事らしい。

 ヨシトの持っている許可証では、ルーイの行動範囲に追いつかない場合があるかもしれない事を注意される。最悪の場合は一人で行動となるのだ。

「表向きの治安は悪くないですけどね・・・」

 語尾を濁すのは、表向きでない部分の事を言っているのであろう。実際にトウキョウに入る前に、しっかりと状況を把握しておかなくてはならないようだ。ヨシトの運転する車は繁華街を抜けて港の近くまで進む。

 雑居ビルのような小さな建物が通信社の社屋であった。こんな通信社でも、当局のマークは厳しいらしい。ルーイは窓から見える港の様子について尋ねた。何でも、大洋州の豪華客船が寄港しているそうだ。

 グレートバリアリーフ号は、その優美な威容を誇るように停泊していた。艦長に到着の報告を行うため、キリルは船内を歩いている。着任時にはいたアイドル関係の乗客がいないため、静かな船内であった。

「ご苦労だったな。キリロフ中尉、リブー中尉」

 ザフト内部で進む軍制改革の一環で導入された階級で呼ばれる事に、違和感を覚えながら、キリルは敬礼する。同じ列車だったエリック・リブーは早々に敬礼の手を下ろしている。

 彼らの到着が最も早かったようで、他のメンバーが集まってから今後の方針について話し合う事になると、艦長の隣にいる男が言った。ただ、今後は二人一組での行動が基本となるため、今回の移動で同じ列車になった者同士がペアとなる事を付け加えた。

 よろしくなと言うエリックに、キリルは苦々しく口の端を歪める。




 改行をなくしてみました。

 次回の投稿は木曜日になると思います。
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