歌と爆弾 ~コズミック・イラ 東京異聞~   作:VSBR

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第二話  トウキョウ特別行政区

 薄暗い照明の下では、安物のドレスも華やかなものに見えるのであろうか。ボディラインと胸元を強調するデザインのドレスを着た女性達は、笑顔を浮かべながら指名のあったソファに向う。そこで、かいがいしく酒を注ぎ、男の話を大げさに喜んで見せ、その視線と手の動きに耐える。

 水商売の女性にヒエラルキーがあるのならば、彼女らは最下層では無いが下層の存在であろう。来る客の質が如実にそれを物語っていた。胸をまさぐっていた手から逃れるように体を翻した女性が、笑顔で次の席へと向った。

 途中で尻を触ってくる手を払う事無く、指名された場所に向う。すっかり酔っ払っている事の分かる男が、さかんに手招きをしていた。

「今日はマリアちゃんを朝までご指名!」

 上機嫌でそんな事を言う男に、マリアと呼ばれた女性は内心でほっと息をつく。もう少し飲ませれば、朝までぐっすりだろう。そうすれば今晩は男の相手をしなくても済む。しなを作りながら、水割りの濃さを調整した。

 作り笑顔も媚びた嬌声も、いつの間にか板についてしまい、傍から見れば何らの不自然さもなく男の相手をしているように見えるであろう。ここに来る客にとってはそれだけが重要であり、彼女らの仮面の裏側になど興味は無い。

 それでもこの仕事は、彼女らのような女性がトウキョウで生活していくための確実な方法の一つである。水割りのグラスを煽る男に、女性は見え透いた感嘆の声を上げてみせた。

 下手に酔い潰せば、彼女は別の男を相手にしなければならない。ギリギリの線を見計らって、男を促す。カードを受け取ると、体を支えるようにして店を出た。呼んでおいたタクシーに男を押し込み、自分も乗り込む。

「昨日はラッキーだったじゃん」

 翌日、店の控え室で彼女はそんな事を言われる。それを軽く聞き流して、彼女は本を広げた。他にも、同じように本を広げている女性は多い。開店後も、客が来て指名があるまではそうしている。無駄に出来る時間は無いのだ。

 店のマネージャーが、テロの影響で今日は客が少ないだろうと話していた。外出禁止令は出ていないが、一部区域ではそれに近い措置がとられている場所もある。そういえば、駅でそんな話をしていた人達がいたのを思い出す。

 その手の事件が報道されない事は常であり、むしろ報道されない事の方が普通だった。人々は地域コミュニティによる情報伝達を発展させて、そういった状況に対応しているのだが、そのような地域コミュニティを持たない彼女らのような人には、極端に情報が伝わらない。

 マネージャーの話と、今日の電車の運休状況を重ね合わせて、大まかな推測を立てる。住んでいる場所からとりあえず離れていると判断できるので、それ以上は考えるのをやめておいた。考えてもどうしようもないのだから。

「はい、指名入りました」

 その声に、女性たちは一斉に本を閉じる。手早く鏡をチェックして臨戦態勢を整えた。客が少なくとも、やる仕事は同じであり、その辛さに変わりはなかった。

 

 

 

 

 

 

 先日のテロの影響か、電車の路線のいくつかは事件現場付近の駅を避けるように折り返し運転を行っていた。街に慣れていないものにとって、指示された以外の路線を使って目的地にたどり着くのは至難の業だ。ましてやここは、世界有数の鉄道網を誇る巨大都市である。

 路線図を前に腕を組んでいる男の後ろで、ペットボトルを傾けている男がうんざりした口調で言った。ジーンズに付けた鎖飾りをジャラジャラと鳴らす。

「だからタクろうぜ」

「黙っていろ」

「俺らは調査員だ、スパイじゃない・・・それにな、スパイだってタクシーは使う」

 そしてスピード狂の運転手とともに悪の組織とカーチェイスをするのだと笑った。エリック・リブーは、ずっとこんな調子だ。キリルは極力彼を無視するように路線図を読み解こうとする。

 彼らの任務の性質を考えれば、目立った行動は慎まなければならない。都市の大多数の人間として行動し、その人ごみの中に姿を隠さなければならない。タクシーのような、使用者の特定が簡単な方法は避けるべきなのだ。

 ようやく乗り継ぎ方法を見つけて、その方向に足を向ける。エリックが付いてくるかどうかなど気にもしなかった。トウキョウのターミナルステーションは、歩けど歩けど駅である。

 改札口を通るとブザーが鳴った。キリルが振り返ると、スーツの男が数名の駅員に取り囲まれている。身分証の提示と所持品検査が求められていた。

「ありゃ・・・兵士だな」

 いつの間にか隣を歩いていたエリックが、視線を合わせる事無く雑踏に紛れるような声で言った。駅員の中の一人は、動きが非常によく訓練されていた。見るものが見れば一目で軍人だと分かるであろう。この駅には、そんな人間が多数配置されていると言う事だ。

 キリルはポケットから自分の身分証を取り出した。超薄型コンピューターチップの内蔵されたそれは、このトウキョウを歩く時に欠くべからざるものなのだ。頭の後ろで腕を組んでいるエリックが、再び小声で言う。

「プラントの技術をなめんなって、完璧だよ」

 身分証をしまいこんだキリルは小さく舌打ちする。端的に言えば、彼らの持つ身分証は偽造であった。少なくとも末端レベルでの照会で見破られることは無い。

 現在のプラントと東アジアの関係を考えれば、例え純粋なビジネス目的であってもトウキョウ特別行政区での身分証など発行されるわけが無い。その発行を求めて、東アジア当局と粘り強く交渉するなどという事を、ザフトがするわけもなかった。

 今まで、幾度と無くくぐってきた改札を全てパスしているのである。その信頼性は折り紙つきであろう。キリルが考えるのは身分証の信頼性ではなく、そんなものを使用する自分達の信頼性の事であった。

 

 

 

 

 

 

 多摩川を越えてすぐの駅で、乗客は全員が列車を降りる。線路自体は繋がっているのだが、これより先に向う電車は別のホームから出発するのだ。乗り換えホームに向う階段で、ルーイは鞄から在留許可証を取り出す。鞄の奥の方だと、通信用の電波が届かず改札口で引っかかる可能性があると言うのだ。

「Nジャマーの濃い日は、直接改札口に投入しなきゃならないんですよ」

 自分より一つ下なだけなのに、多分にあどけなさを残したヨシト・モリという青年が笑う。彼はそのまま、ルーイの取材に協力してくれる事となったのだ。彼は自分の持っている身分証を見せる。

 その違いを説明しながら、ルーイの許可証の方がトウキョウでの立ち入り範囲は広いだろうと言った。下手をすると、ルーイが単独で行動しなければならない場面も出てくるかもしれない。

 外国の報道機関に、このレベルの在留許可証が交付されるのは奇跡に近いと、通信社の局長も言っていた。ルーイの勤め先がオオサカでの音楽イベントを取材するという計画を提出していただけなので、向こうにも油断があったのだろうと推測している。

 だからこそ千載一遇のチャンスは逃すなと、はっぱをかけられた。ルーイは小さくため息をつく。

「やっぱ現場には直接行けないみたいですね・・・」

 行けるところまで行ってから歩くか、それとも先に宿泊地まで行くか、ヨシトは問いかけていた。

 何かを撮って戻るのが最低条件である。ならば、先にそれを済ませておきたいとルーイは思う。立ち入りが規制されているのであれば、それを撮ればお終いであろう。それ以上は取材出来ないのだから。

 ルーイは現場近くまで行くと告げる。ヨシトの後ろについて、目的のホームに向った。

 駅の構内を歩く人達の姿に、別段の変わりは無い。人種的な差異を除けば、ユーラシアの大都市と同じ光景があるだけだ。外国メディアを厳しく規制し、情報を当局が管理している閉鎖都市だというユーラシアでの噂が、どうにも信じられない。

 そんな事をつぶやいたら、ヨシトはだんだんとそれが分かってくるだろうと言った。その顔に笑みは無く、努めて無表情でいるかのようだった。

 東アジア共和国日本自治区とトウキョウ特別行政区。かつて日本と呼ばれていたこの地域は、再構築戦争における地域レベルでの再編が最も上手く行かなかった地域の一つであった。オーブの成立にも関わるこの地域の歴史的な問題が、そのままの形で現れているのだ。

 オオサカから来る途中で読んだ資料にそんな事が書いてあった。ルーイは窓の外を見つめる。しかし彼が、トウキョウという街の現状に思いを馳せる事は無い。彼は、そんな生き方を厭う事を選んでいた。車内アナウンスが、列車運行の変更を告げている。

 

 

 

 

 

 

 山を切り開いて住宅地が拡張されているとはいえ、トウキョウに比べればずいぶんとのどかに感じられる風景。街から見える山並みも、綺麗な緑色を見せている。例えその地下に、強力な防空陣地網が形成されていようとも、一目見ただけではそうとは分からない。

 しかし、海の方に目を転じると、そこに浮かぶのは大小さまざまな軍艦の威容である。MS専用の駐機場には、ウィンダムⅡばかりか、ダガーシリーズらしき機体の姿も見えた。ここに陸軍の部隊も展開されている証拠である。

 横須賀港はかつてより軍港であったが、再構築戦争後その横須賀を中心とし三浦半島全体が大西洋の基地となったのだ。厚木や座間の機能も集約され、今では大西洋の一大軍事拠点となっている。

「まったくもって忌々しい」

 車の中から外の景色を見ていた男が、はっきりとした口調で言う。眼鏡を拭き直し、前を見据えた。かつてこの国は、自国領内に外国の軍隊を駐留させて平気でいられる精神を有していたのだ。さらには、その駐留軍に治外法権を与え、土地や生活インフラの使用料すら請求せず、逆に毎年多額の資金を駐留軍のために使っていたのだ。

 世界史的に見ても異常な状態が保たれ続けていた事が、再構築戦争での問題複雑化に拍車をかけた。極東における大西洋の軍事的プレゼンスを排除したい東アジア共和国と、西太平洋からインド洋に至る権益を擁護する最も安上がりな拠点を失いたくなかった大西洋は、日本列島の基地を巡って壮絶な外交的綱引きを続けていたのだ。

 当時は、ユーラシアの前身が極東に進出を開始しており、北海道や中国東北部の一部が併合されるという事態まで招いていた。そのため、東アジアは大西洋と直接的な衝突を起こす事が出来なかった。結果として、東アジアはトウキョウの首筋に大西洋の軍事基地を認めざるを得なかったのだ。

「カデナとミサワは連合による共同管轄、取り返せたのはサセボとイワクニとヨコタ・・・この要塞群とは釣り合いが取れない」

 男はそうつぶやいて、車を降りる。車は市庁舎の前で止まっていた。

 プラントとの戦争中はこういった問題も目立たなかったが、それが無くなってしまった以上、再び連合内部の確執が表面化することになる。対コーディネーターの強硬姿勢という点などで、戦争中の東アジアと大西洋は良好な関係を保っていた。だが、JOSH-Aの事件以降、それは表面的なものに留まる事となる。

 大西洋が東アジアの国内問題に直接的な介入を行う可能性は、現実的に考えれば限りなくゼロに近いであろう。だが品川で起こった事件の奇妙さは、その限りなくゼロに近い可能性にまで目を向けたくなるものであった。

 軍内の調査と平行して、横須賀の動向も注視する必要が出てきていた。ヨコハマの後背地であり東京湾の出入り口という立地条件は、東アジアの政府としてみれば神経をすり減らさざるを得ないものだ。

「ヨコスカ市は積極的な情報公開を行っております」

 市長と握手を交わしながら、ユ・ケディンは名刺を差し出す。今は軍関係の肩書きではなく、東アジアの国営通信社・報央社の記者という肩書きであった。

 

 

 

 

 

 

 旧世紀には、サブカルチャーの一大集積地であり発信地であった街。特別行政区が発足してから、サブカルチャーの聖地としての意味合いは薄れてしまったが、電気街としては、今でも十分な存在感を持っていた。

 大通りを少し奥に行けば、とたんにマニア以外には意味の分からない電子部品が無造作に並べられた店が立ち並んでいる。エリックが歓声を上げながら、店員と話しこんでいた。キリルはそんな彼を無視して指示された建物に向う。

 雑居ビルの薄暗い階段を上って、表札の無いドアをノックする。中から聞こえてきた声に、指定された合言葉を言う。

「シーナちゃんの抱き枕が手に入ると聞いたのですが」

 鍵が開けられる音が聞こえ、ドアの隙間から男が顔を覗かせた。何やら可愛らしい絵がプリントされたTシャツを着た、スキンヘッドの屈強な男がドアを開けてキリルを招き入れる。

 部屋の真ん中にいた女が会釈だけをする。しかし一重まぶたの細いつり目は、キリルを注意深く見つめていた。女の妖しい雰囲気といい、男の筋肉質な体といい、この部屋の雰囲気とは似つかない。狭い部屋には、男の着ているTシャツと同じような絵のポスターが所狭しと張られていた。

 キリルがここに来た目的は、特別行政区の調査のための現地協力者と接触するためである。彼の困惑は顔に出ていたのだろう、女は席を勧めもう一人が来たら説明をすると言った。そのエリックは30分も遅れて、到着した。紙袋一杯に部品を買い込んでいる。

「なかなかに面白い街ですね・・・ここは」

 椅子に座ったエリックがいきなり切り出す。女は口の端を引き上げて笑った。ジュンコ・ヤオイと名乗った女は、ザフトへの協力は上からの要請であると言う。キリルがその事について問いただすと、それに関する追求はするなと釘を刺された。

「上といっても組織的な上下関係じゃない・・・取引先であり、仕入先であり、スポンサーです。ビジネスの信用関係を保つための協力ですので、その点はご心配なく」

 納得いかない顔をしているキリルとは対象的に、エリックは軽く頷いていた。今後、彼女らと定期的に接触する事、特別行政府の動きに関する情報をレポートして週に一度のペースで送る事が決められる。

 話を進めたのはエリックで、キリルは不審の眼差しを女に対して向けるだけであった。そんな彼の様子にエリックは、後でゆっくり説明してやるよと言う。差し当たり、先日のテロ事件に関するレポートが保存されたチップを手渡される。

 用が済んだとばかりに立ち上がるキリルを見て、ジュンコが言う。

「私達は、ザフトの値踏みをするようにと上から言われています。あなただけなら、私はザフトは協力の価値が無いと判断するでしょう」

 その場を取り繕うかのようなエリックの言葉を無視して、キリルの足はドアの方に向かった。今まで黙っていた男が突然彼の前に立ち塞がる。キリルが身構えた。男の腕が振り上げられる。

 そして上の棚から大きな包みを取り出すと、それをキリルに渡した。透明の袋に入れられたそれは、男が着ているTシャツと同じ絵の描かれた抱き枕であった。後からエリックの笑い声が聞こえる。

 その時、部屋の片隅のパソコンがアラームを鳴らした。ジュンコが場面に映し出される文字を読む。芝浦で爆発事件が発生したらしい。

 

 

 

 

 

 

 品川の駅周辺は、周囲五百メートルに渡って交通規制がなされていた。兵士や警察官が、路地の一本に至るまで警戒の目を向けており、周辺の高い建物にまでパトロールの対象となっていた。緊張感も高く、下手にカメラを構えればその場で捕まってしまいそうな雰囲気であった。

 ヨシトは規制線に沿って回ってみようという。無駄だとは思いつつ、最寄りの駅まで行くにしても同じコースを歩く事になるらしい。ルーイは彼の後をついて歩いた。それが幸運の選択だったのかどうかは分からない。品川駅の北側に出た時、爆発音が聞こえた。最初は何か分からなかったが、立ち上る煙でその音の正体を知ったのだ。

「水処理施設・・・いや、運河の方か。行ってみましょう」

「この線路渡れるのか?」

 線路を渡れる場所まで走る。幅が100メートル以上ある線路の下を走り抜ける途中、何人もの逃げる人とすれ違った。道を抜けて煙の方へ足を向ける。ヨシトの足が予想以上に速く、ルーイは置いて行かれないように本気を出してしまう。

 荒い息を吐きながら前を見ると、向こうの橋のたもとで車だったであろう物が火を吹き上げていた。一瞬事故かと思うが、道路が深く抉れているらしいところを見るとそうではないのが分かる。

 サイレンの音が近づいてくるのを聞き、ヨシトがコンパクトカメラを手早くしまいこんでいた。そして爆発現場が見渡せる場所を探す。ルーイが指差す場所を目指して再び走った。

 ルーイは視界の隅をかすめた物に、反射的に身を屈めた。そしてヨシトの腰にしがみつくようにして、彼を道に伏せさせる。ガードレールの陰に身を寄せながら、慎重に下の様子を窺った。

 彼らがいる場所も橋であり、運河の水面とその護岸は下になる。そこに人がいるように見えたのだ。それも普通の格好をした人ではない。そういう趣味を持った同好会でなければ、間違いなく軍やそれに類する者達であろう。

「しょぼい仕事だ。もっとパーッとしたのないわけ」

「また地下鉄の構内でドンパチしたいのか。今度はお前が死ぬぞ」

 はっきりした内容が聞き取れたのはそれだけだった。ルーイは物音を立てないように、耳だけをそばだてる。下にいるのは最低でも五人、どう考えても今の爆発事件に関係のある人間だ。自分達の存在に気付かれれば命が無いのは、考えなくとも分かるシチュエーションである。

 声が遠ざかっていくのを聞き、ルーイは静かに息を吐く。伏せていた体を起こそうと、頭だけを上げた時、彼は見た。

 コンクリートの護岸を上るのではなく、運河に浮かぶ小さなボートから道路まで一飛びで飛び上がってくる人間。彼らは、出来の悪いワイヤーアクションのように、信じられない跳躍力で下から上ってくるのだ。着ている物はごく普通のものだが、間違いなく先ほどまで下にいた連中である。下で着替えていたのだ。

 最後の男が飛び上がると、ボートは上手い具合に転覆して沈んで行く。着ていた服も水の底だろう。彼らは何食わぬ顔で、その場を立ち去って行った。

 ヨシトに写真を撮ったかどうか尋ねる。彼はただ首を振るだけであった。

 

 

 

 

 

 

 パトカーと消防車、救急車が入り乱れる中に、深緑の軍用車両まで集まりだした。特殊な作業を行う事ができる消防車と救急車は、そのまま作業の継続が出来るが、パトカーはそうもいかない。感度の悪い無線で、怒声が飛び交う。

 特別行政区の上層部は東アジアの中央から派遣された人間であるが、現場での実際の業務は従来の行政組織がそのまま引き継いでいる。警察機能は名前こそ保安局に改められたが、かつての警視庁が担う事となっていた。しかし最近では、駐留東アジア軍がテロ対策を名目に、しばしばその領域を侵すようになっている。

 らちの明かない無線でのやり取りを後ろに聞きながら、くたびれたスーツを着た男はオレンジ色の服に話しかける。

「車の出火原因を調べてくれ」

「やっている、それが俺らの仕事だ」

 消防庁の調査員はそう言うと目配せをした。車の炎上は火災であり、その調査は消防庁の人間でも可能なのだ。少なくとも法制上はそうなっている。ここに来る軍人は、警察以外の行動について厳しいマークは行っていない。火災調査の報告はその後警察にも回ってくるのだ。

 その報告書に、テロリストが使用した火薬の分析や各種の手口が載せられていたとしても、その報告書をもとに捜査を行うのは警察が通常行うべき業務である。男は軽く手を挙げて自分の乗ってきたパトカーに戻る。軍との問答も切り上げ、周囲の交通整理の指示を出しておいた。

「サクラ警部、通信です」

 上司からかと思って嫌な顔をした男は、雑音の向こうから聞こえる声に表情を緩めた。

「シュウちゃん、いい報せと悪い報せが同時に来た」

「両方同時に教えろ」

 保安局刑事部鑑識課科学分析室からの連絡は、以前旧墨田区で行われた作戦において確保した謎の襲撃者の分析結果であった。彼の指揮によって被害の拡大は免れたのだが、両国駅に配置した部隊はほぼ全滅であった。しかし、撤退のために仕掛けたトラップによって、襲撃者二名の殺害に成功していた。一名は完全に瓦礫の下敷きとなっていたが、もう一名は比較的良好な形で死体が残った。

 保安局はその死体の存在を上には知らせず、密かに分析をしていたのだ。両国駅に配備した部隊の僅かな生き残りの証言から、その襲撃者が通常では考えられない動きをしていた事が分かっていた。

「ま、予想通りにコーディネーター。だけど第一世代だし、遺伝子型に珍しいのがチラホラ・・・詳しい分析はまだだけど、コーディネート方法の一部に非グレン型を使ってるね。しかも、それだけじゃない」

 一般にコーディネーターの遺伝子改変方法は、ジョージ・グレンが公表した方法で行われている。だが、それ以外にも様々遺伝子改造技術は存在し、それらは総称して非グレン型と呼ばれていた。それが一般化しないのは安全性や経済性の問題など様々であるが、少なくともそんな技術を有しかつ使用できる組織は限られてくるだろう。

 さらに、その死体からは奇妙な化学物質が複数検出されていた。体内で代謝された結果生じる物質なので、元の薬品が何かはこれも詳しい分析待ちであった。しかしそれだけ分かれば、現場としては十分である。

 特殊な遺伝子改変技術によって作られたコーディネーターにドーピングを施した人間。訓練された特殊部隊員でも敵う相手ではなかったという事だ。

 両国での襲撃事件で敵が使用していた銃弾、品川の事件で使われた爆弾、そして今回の爆発事件。おそらく、分析結果は一本に繋がるだろう。シュウは確信を持ってこう言った。

「このヤマは・・・デカいなんてもんじゃねぇぞ」

 少なくとも保安局全体の意思統一を行って対処しなければならない事態であろう。軍とのつまらない縄張り争いの延長線上にある事件などではない。

 

 

 

 

 

 

 古くから港町として栄えていたこの街には、不思議な趣がある。トウキョウとも近く、また同じような大都市を形成しているように見えながら、決してトウキョウに飲み込まれること無く、一線を画した存在感を持っている。そのヨコハマの存在感は、トウキョウ特別行政府が発足して以来、さらに際立つ事になる。

 高層ビルの立ち並ぶ駅周辺から少し離れた場所、古い街並みを残している界隈の一角が会合の場所であった。その街並みは、彼の住んでいる土地では、既に捨て去ってしまったであろう姿を保っていた。それを時代錯誤と捉えるのか、伝統の維持と捉えるのかは思想の違いである。

 そしておそらく、その思想の違いこそが、彼が今からやろうとしている仕事の判断基準となるのだろう。

「ミスター.カヲ。よくいらして下さった」

「はじめまして、リ先生」

 時代がかった服装の老人と握手を交わし、カヲ・ツォピンは勧められた席に着く。数ヶ月前に銀行の頭取を後任に譲り、定年前の最後の仕事としてヨコハマに赴いたのだ。この老人が代表者を務める会社は古くからの顧客であり、老人の個人資産の管理も行っていた縁もある。

 だが、それだけであれば彼が出向く必要は無い。彼が出向かなくてはならないのは、それなりの理由がある。雑談の方向をゆっくりと本題に近づけていく。特別行政区でのテロの情報は当然老人の耳にも届いているようだ。

 会話がよどみなく続くという事は、老人も本題を理解しているということであろう。カヲは息を継ぐように茶を口に含んだ。

「最近は、事業拡大も積極的に行っているようですね」

「お恥ずかしい。この年になっても欲の皮が突っ張っておりまして」

 老人が代表を務める企業は、総合商社を中心に複数の企業を傘下に収めている持ち株会社であるが、傘下企業の子会社が特別行政区に設立されたのだ。現在の日本自治区とトウキョウ特別行政区の関係を見れば、それが極めて異例の事だというのが分かる。

 再構築戦争によって成立した東アジア共和国の中でも、トウキョウの持つ政治的経済的影響力は非常に大きい。それ故に、東アジアの中央政府が直接統治するという形が取られているのだ。そして日本自治区との交流を制限し、かつ積極的な公共投資や優遇政策によって、トウキョウを文字通りの「特別」区へと変えていった。

 その裏で何が行われていたのかは、墓の中まで持っていかれた話を掘り起こさねば分からないだろう。だがこの老人は、まだ墓の中に入っていない。

「我々としては、自由に商売が出来るに越した事は無いのですが、それもなかなか・・・」

 一銀行マンとして、老人の愚痴には理解を示す事ができる。だが自由な経済を拡大するために権力を志向する事は、厳しく戒められなくてはならない。それが上海第七銀行の頭取となった時にカヲが幹部に伝えた事である。

 ましてや、それを非合法な手段を用いて行う事など、断じて許されない。それはビジネスに携わる者以前のモラルである。

 

 

 

 

 

 

 ホテルに着いてからも、ヨシトは興奮気味であった。通信社の方には滞在延長の連絡をいれ、特別行政区内で活動している知り合いとも連絡をつけると言っていた。ルーイが軽い眩暈を覚えるようにベッドに座り込む。

 何かとんでもない事に巻き込まれた、そんな気がするのだ。ただ目の前でテロ事件とテロリストを見たと言うのではない。これから、もっと大事に巻き込まれるのではないか、そんな事を漠然と感じるのだ。大して高くない天井を見つめながら、ルーイは舌打ちをする。

 世界は平和に向っているはずではなかったのだろうか。連合とプラントは関係改善に向けて進み、コーディネーターとナチュラルの諍いは無くなっていくのではなかったのか。

『そんなに簡単なわけ無いでしょ』

 不意にそんな声が聞こえたような気がして、彼は首を振った。今考えるべき事は、この事態をいかに乗り切り無事に帰るかだけである。しかし、一体何をどこまで取材すればOKが出るのだろうか。

 とりあえず、ヨシトとはそのあたりから打ち合わせしておかなくてはいけないだろう。部屋に戻ってきた彼は軽食も持ってきてくれた。パックの牛乳にストローを差しながら、ルーイは聞く。

「どこまでって・・・特ダネをゲットするまでですよ」

「その特ダネってのは、何だよ」

 ルーイの投げやりな口調に、ヨシトは驚いたような表情を見せた。そして、文化部の人でしたものねと言って、何か納得したような顔に変わる。そして再び真面目な顔に戻って言った。

 報道機関に勤めると決めた時に何を思ったのかと。ジャーナリズムというものに関わろうと決めた時に何を思ったのかと。特ダネとはそう言うものだと。

「知り合いの紹介だよ・・・就職口が無くってな」

 飲み干した牛乳パックを無造作に捨て、ルーイはベッドに横たわった。ヨシトが黙って彼を見る。何を言われるにしても、それは慣れっこになっていた。そう思うルーイは、ただ明日の予定だけを告げて部屋を出て行った彼の背中を見る。

 マスコミ関係者が全員高い志を持っているわけではない。そのほとんどは、ただの選択肢の一つとして、そこを選んだだけであろう。そこに夢や理想を抱く事を悪いとは言わないが、それを要求するのはやめてもらいたかった。

 ルーイは寝返りを打つようにして毛布に包まる。何かを考えるのもバカらしく、ただ寝る事にした。どうせ明日も朝早いのだ。

 

 

 

 

 

 

 川を上ってきた船が岸辺に乗り上げるようにして止まる。隅田川の川辺に作られた親水公園であるため、積荷を降ろすための施設などは無い。船は、そういった場所でも荷物の積み下ろしが出来るように設計されたものであった。船腹に設けられた扉が開き、待機していたフォークリフトが船の中に入っていく。

 粗末な木製パレットの上にビニールでぐるぐる巻きにされた積荷が、次々と降ろされていった。数名の人が、付けられた荷札を書類と付き合わせてチェックを行っている。遠巻きにそれを眺めるのは、特別行政局の職員と東アジア軍の係官である。

 降ろされる荷物は、毛布や防水テント、食料品や医薬品、そして簡単な建設資材の類である。ここで仕分けされた物資は、隅田川を渡って対岸の区域に人道支援物資として送られるのだ。

 こちら側の岸に一旦降ろすのは、その物資を検査するためである。建設資材、特に鉄筋・鉄骨関係は当局の目も厳しかった。

「アメリさん、いつもありがとうございます」

 フォークリフトから降りてきた男性がそう言って頭を下げる。がっしりした体つきの初老の男性で、ヘルメットを被っているがここの責任者であった。スーツを着込んだ係官には、この手の強面が効果的なのだ。

 彼は、大洋州に本拠を置くボランティア団体の人間で、女性はその手伝いをしているのだ。親プラントの大洋州と東アジアとは関係が良好ではなく、政治的な色合いが無いはずのボランティア団体も、当局の監視対象であった。それでも厳しい監視を受けながら、このように活動を続けている。

 だが本当は、トウキョウ特別行政区に人道支援が必要な区域が存在するという事、それ自体が大きな問題なのだ。そしてそのような状況こそが、このトウキョウを巨大な閉鎖都市にしている。

 鉄パイプ類の輸送に待ったをかけようとしている職員に、男性が話を付けに行った。迫撃砲やロケット弾への転用が可能という理由である。もっとも、直径が大きな物はもともと差し押さえられる事を前提として持って来た。ここに来る職員もノルマがあるのだ。

 しばらくして、小さな鉄パイプとメッシュ筋の輸送の許可が下りた。フォークリフトが、荷物をトラックへと積み替える。アメリと呼ばれていた女性も、その作業のサポートに回った。

 必要な物資も必要な場所に送られなくては意味が無い。ましてや限られた援助物資である、必要とする人の手に確実に届けなければ生命の危機にも直結する。

 トラックの積荷と行き先の最終チェックを終え、女性は出発するトラックを見送る。しかしトウキョウでこのような活動を行うという事は、相応の覚悟が必要だった。特別な許可を得た外国人であればまだしも、この街で暮らしている者が海外のボランティア団体で活動するなど珍しいどころの話ではなかった。当局は、そういった人をも監視対象としているのだ。

 だが彼女は、別段それを気にする様子も無い。ただ淡々とした表情で、家路に着くだけであった。




 次回は、日曜日に投稿できるかと思います。
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