テロの起こった現場に向おうとするキリルをエリックが止めた。土地勘の無い場所でうろついて時間を浪費した挙句、現場周辺は完全に規制されて近づく事が出来ないに決まっている。至極もっともな意見に、キリルも従わざるを得なかった。
二人で抱き枕を抱えて、雑居ビルを後にした。途中でエリックがそれを現地の通貨に換金してくれる。意外な額になったと財布を見せる彼は、思った以上に目端が利くようだ。ますます好きになれそうな相手ではない。
駅の改札では、また身体検査を受けている人がいた。テロの影響だろう、緊張した雰囲気が嫌でも伝わってくる。改札を抜けようとするエリックは足を向ける方向を間違っている。キリルがそれを指摘すると、エリックはうんざりした声で言った。
「おい、時間を大幅にオーバーしてんだぜ。明日にしようや」
「それは貴様のせいだろう」
エリックが電気街で余計な買い物などしていたせいで、時間をロスしたのだ。今日中に回ると決めたところは回っておかなくてはならない。だったら別の駅まで歩いた方が楽だぞと言うエリックに、思わずキレそうになった。
彼にその駅の場所を聞いて、もと来た道を引き返す。不承不承ついてくる彼を無視して先に行きたいところだが、どうやら地図という点では彼の方が有能らしい。
路線図を覚えているのだろうかというキリルの疑問を感じたのか、電子回路の図面よりよっぽど楽だとエリックは言う。駅のアナウンスが、午後5時を告げる。そして注意を促す放送が流れた。
「本日は、午後6時よりゲートレベルの引き上げが行われます。利用路線の身分証レベルをもう一度ご確認下さい」
背後のエリックが立ち止まった。キリルは怒鳴りたい気分を抑えて振り返る。路線図の描かれたディスプレイが、その表示を変化させていた。エリックは身分証とそれを見比べている。そして、帰るしかなくなったぞと言う。
今もっている身分証では、港の最寄り駅まで戻れなくなるのだという。空いているホテルでも見つけられれば話は別だがと言って、エリックは付け加えた。
「ちなみに、ダブルの部屋はお断りだからな」
言いたいことがありすぎで言葉にならない。しかし、ここで彼に怒鳴り散らしたところで、何がどうなるわけでもない。ともかくは戻らなくてはならないだろう。キリルは急ぐエリックの後をついて歩いた。
同じように帰路に着く人達はいたって普通の歩調である。周りの人を見る限り、このような事は日常茶飯事であり、慣れてしまえば別段の不便も無く過ごせるのかもしれない。しかし、そうではない者にとっては、相当なプレッシャーとなる。
明らかに周囲の人間と歩調の異なる二人は、マークの視線が増えている事を感じた。よそ者である事を示しながら歩いているようなものだからだ。それが更なるプレッシャーとなる。
上手く出来てるよこの街はさ、電車に滑り込んだエリックが吐き捨てるようにつぶやいた。自分達を尾行している人間が、二人は電車に乗り込んでいるようだ。
パンと卵とオレンジジュースという最低限の朝食を食堂で済ますと、ルーイ達はホテルを出る。ホテル八丁堀、錆の目立つ看板にはそう書いてあるらしかった。ホテルで配られていたゲート予定表を見ながら、ヨシトは回る先を考えている。
通勤時間とは少しずれた時間帯なのだろう、噂に聞いた通勤ラッシュというものを体験せずに済んだようだ。そんな話題を振ると、今は決まった時間に通勤ラッシュが起きるのではないと教えてくれた。昨日のような突発的な事態で急遽ゲートレベルが変更されると一部区間でラッシュになるが、それ以外ではラッシュにならないようゲートが調整されているのだという。
「僕のパスじゃ、京葉線をこっちからは通過できないかもしれないですね・・・半蔵門線もこの前ゴタついたらしいし」
少し乗換えが多くなるが、通過しやすいコースを選ぶ事になった。向う先は清澄庭園、そこでフリーランスのジャーナリストと接触する事になっていた。その庭園のある区域、旧江東区は現在特別行政府の一角でありながら、オーブの租借地となっている。
大西洋岸ほどではなかったにせよ、ブレイク・ザ・ワールドによる津波は日本にも到達し、埋立地や低地では大きな被害が引き起こされた。連合もプラントも、その被害からの復旧・復興支援活動を行う事となる。
その中でオーブは、トウキョウ特別行政区の中でも特に被害の大きかった旧江東区の大部分を一時的に借り上げ、集中的な資金投入によって短期間での復旧・復興を行うと発表した。東アジアの中央政府は当然反対を表明したが、日本自治区はそれを歓迎、大西洋の後押しもあって、東アジア政府の意向を押し切り、旧江東区はオーブの租借地となったのだ。
当時、親大西洋であったオーブのセイラン政権が発案したその計画は、政権が変わってからも続けられていた。租借期限は一度延長されており、現在再度の期間延長を認めるか否かの交渉が続けられていた。
「・・・よく分からん話だな」
旧世紀の国家という枠組みと、再構築戦争によって生じた国家の枠組みとが、複雑に入り組んだ話なのだ。ルーイは窓に映る自分の顔をぼんやりと眺めた。それ以上深い話は考えないようにしている。
東アジア政府は、オーブの租借地であっても東アジア共和国領である事には変わりないとしている。往来の制限も厳しく、警察権その他も特別行政府が有していた。しかし実際にそうであるかどうかは別である。
電車の扉の前に改札口と同様の装置が設置されていた。身分証のレベルが合わなければ、電車から降りる事も出来ないのだ。
「でも、降りたら楽ですよ」
ヨシトはそう言ってルーイの横に並んだ。トウキョウ特別行政区・オーブ連合首長国租借地、通称タマユラ地区には、特別行政区が設置している身分証確認ゲートが存在しないのだ。地区内であれば、誰でも何処にでも行く事ができる。
駅を出た人達が、一様にホッとした顔をしているのはそのためだろうか。ルーイはヨシトの後をついて歩く。
トウキョウ特別行政区、西の境は多摩川であり北は圏央道が大体の境界線となっている。東は利根川を境とし房総半島一帯も特別行政区の区域であった。その利根川の東側、かつて万博も開かれた事のある都市は、今でも先端研究などが盛んに行われている学園都市であった。
その中心街から少し離れた場所、今では使われなくなった施設の跡地に数台の車が止められている。施設から出てくる者が、車を中に案内した。別段変わり映えのしない建物の中に車は吸い込まれていく。
「結局、用意できたのはアッザムだけか」
「それに随伴用MSが二機。大西洋製です」
地下に現れた巨大な格納庫には、直径にして三十メートルほどの栗に四本の足を取り付けたような奇妙な機体が鎮座していた。宇宙艦の大気圏内運用のために必要な浮遊システムのテストベッドとなっていた機体・アッザムだ。連装ビーム砲を四基と連装レールガンを四基も搭載し、移動トーチカとしての使用も可能という触れ込みであるが、説得力の無い見た目であった。
だがMS三機を格納できるスペースを有しており、限定的ながらミラージュコロイドの使用ができるとあれば、満足しなくてはならないだろう。今までのように列車やトレーラーによるMS運用には限界があった。
車から降りたのは、まだあどけなさが消えないような青年である。だが、周囲の人間に話しかける口調はぞんざいだった。彼はアッザムには興味を示さず、格納庫を見渡す。そして歩いてきた白衣の男性に大声で呼びかける。
「俺のフリーダムは? 今度こそ羽根、付けてくれたんだろ」
「アッザムに積んでいる」
白衣の男性はうんざりした調子で言う。嬉々としてアッザムに向う青年を無視するように、白衣の男性は周囲の人間に指示を出していった。そして近づいてきた数人の者を案内するように建物の入り口に向う。
彼らは日本自治区から派遣されてきた人間であった。そしてとりあえずの報告だけをしておいた。
「両国の一件以降、欠員は出ていません。今のような活動である限り、欠員の心配もないでしょう」
「我々としてもあまり派手に動くのは本意ではありません」
そしてMSの運用には細心の注意を払って欲しいと付け加えた。この施設を貸与しているのも、それらの存在を人目から遠ざけるためである。
旧世紀には粒子加速器が設置されていたこの施設も、その必要性が失われてからは放置されていたのだ。機器の撤去の後に残ったトンネルなどの構造物を、彼らが秘密拠点として再利用している。
その他に細かな打ち合わせをいくつか行い、日本自治区の人間は席を立つ。その中の一人が釘を刺すように言った
「チン博士、くれぐれもスタンドプレーだけはなさらぬよう」
それはMSのコクピットではしゃいでいるだろう人間に言ってくれ、チン・ヤンチャンはそう思った。
ホテルの一室から臨む東京港は、薄闇の中に幾多の光を明滅させている。視界をゆっくりと南の方に向けると、日の出埠頭にはひときわ目立つ白亜の船が停泊していた。大洋州の豪華客船、グレートバリアリーフ号。船会社が、世界一周クルーズの売り込みを東アジアで行っており、その一環としてトウキョウにも寄港しているのだという。
予定ではかなり長期間、トウキョウに留まる事となっている。10日に一度くらいのペースでクルーズの説明会を船上で行っており、つい先日も資産家などを対象にしたパーティが開催されていた。
富裕層に対する根本的なやっかみを除けば、別段変わった事はしていないようにも見える。しかし、この船がザフトの拠点となっている事を、東アジア軍の諜報機関は掴んでいた。
「確証まで掴むのがそちらの仕事だと思いますが」
双眼鏡から目を離したユ・ケディンが背後の男に言う。トウキョウ特別行政区に駐留する東アジア軍の中で各種の諜報活動を統括する部局にいる彼は、中央から派遣されてきた諜報機関の男に冷たい視線を向けた。
だが、視線を向けられる方は平然としている。そして、そちらの縄張りを荒らさないための配慮だとうそぶいた。ケディンは、苛立ちに口の端を歪める。ザフトまでもが特別行政府に目を付け出したという事実の重大さを、理解していない相手への苛立ちだ。眼鏡を外して目を押さえる。
大西洋ですら南米を抑える事は容易ではなく、ユーラシアもヨーロッパ地区以外は広範な自治を認める方向に向っている。再構築戦争によって肥大化した国家が、元に戻ろうとしているかのようだ。それは東アジアでも同じ事であるが、その規模は比べ物にならないだろう。
大西洋やユーラシアのように歴史的・民族的・言語的・宗教的、その他諸々の「統合の基礎」となるべきものを東アジアは持っていないのだ。安定的な経済のみが東アジアの紐帯となりうるのであるが、それを確保するためには安定的な政治が必要である。
東アジア共和国でもっとも不安定なこのトウキョウを、大西洋やザフトにかき回されれば、それは特別行政区の混乱のみならず、東アジアの瓦解にすらつながりかねない。そこまで考えて自分の仕事を行うべきであろう。部局間の縄張り争いなど、言い訳にすらならない。
部屋にいた男を下がらせ、ケディンはネクタイを緩める。人員の配分を練り直す必要が出てくるかもしれない。彼はもう一度窓の外を見た。今日はグレートバリアリーフ号での催し物は無かったはずだ。
ならば今、真っ直ぐ船に向っている二人組は何者であろうか。この距離ではその姿を十分に確認する事が出来ない。まずは監視のための場所を確保する事から始めなくてはならないだろう。
フリージャーナリストと聞いたので、もっと典型的な姿をしているのかと思っていたが、ごく普通に街に溶け込めるような中年の男性であった。腹回りも額も少し広がりだしたといった感じの男性で、穏やかな笑みを浮かべたまま何度もお辞儀をしていた。
庭園の中に少し入り、人通りの少ない場所を探す。聞かれてマズい話をするわけではないが、おおっぴらに話せる話題でもない。ベンチを見つけると、そこに腰をかけた。男性はさっそく分離壁の北側、旧墨田区での軍の動きについて分かっている事を教えてくれた。
行政府内で何件かのテロ事件が起こっているにもかかわらず、それに対する報復の軍事行動は抑制されているという。男性は声をひそめて言った。
「最近のテロは日本軍の仕業ではないと、行政府は踏んでいるのかもしれません」
タマユラ地区における保安局のパトロールが強化されたのも、別の勢力の介入を警戒しているからでは無いだろうかと言う。ただ、利根川対岸からのロケット弾攻撃が増えている事もあり、そちらへの対処に力を注いでいるだけかもしれないと付け加えた。
話を聞いていたルーイは説明を求める。通り一遍の資料では分からない事が多すぎるのだ。質問に答えようとするヨシトに男性が時間を聞く。
「・・・あ、帰りの時間」
ヨシトの持つ身分証では、タマユラ地区には午後7時までしかいられないのだ。しかも今はその時間が一時間繰り上げられている。それをオーバーすると、最悪の場合身分証の没収と特別行政区からの退去命令を出されるのだ。
電車も遠回りしなければならないため、早めに動かなくてはならない。そこで男性が提案した。ルーイの持つ身分証であれば、タマユラ地区での滞在も可能であるので、今日はヨシトだけホテルに戻ればいいと。男性の滞在している宿にはまだ空きがあったはずなので、宿泊にも問題は無いそうだ。
一晩あれば、色々な疑問への説明も可能だろう、男性はそう言う。ヨシトが賛成する以上、ルーイに反対する理由は無かった。
「それじゃ、明日同じ場所で」
駅でヨシトを見送って、ルーイは改めて男性に挨拶をする。カズヤ・イシと改めて名乗った男性が、まずは食事にしようと言う。駅の近くの居酒屋、なじみの店なのかカズヤが店員に声をかけると、奥の個室に通してくれた。
現地の言葉で書かれたメニューでは流石に注文できず、生魚以外なら食べられると告げて任せる事にした。冷えたビールでささやかに乾杯を交わす。しばらく雑談で過ごし、注文したものが一通り出揃ったところでカズヤが切り出す。
何から説明したら良いかとの問いに、ルーイは一瞬考える。そしてトウキョウ特別行政区を特徴付けるであろう、身分証確認ゲートについて聞いた。
トウキョウの環状鉄道である山手線の内側に入ると、とたんに移動が困難になる。それは歩道の各所に身分証を確認するためのゲートが設置されているからだ。それは駅の改札のような形で、Nジャマー濃度が低い時は身分証を服のポケットにでも入れておけば、無線通信で身分確認が出来るため普通に歩く分には支障が無い。
だが、レベルと呼ばれる身分証の種別によって通過できるゲートが限定されるため、それを把握していないと目的地にたどり着けないのだ。地図上では一直線の道でも迂回しなくてはならない事も多々ある。
鉄道は全ての路線で改札口がこのゲートの役割を果たしている。車道にはゲートはないが、道路に埋め込まれた装置によって全ての車の位置は把握され、乗っている人の身分証のレベルによって通れる道が決められている。それに違反すると、すぐさまパトカーが現れる仕組みだ。
「軍人さんですか、こりゃいいや」
タクシーの運転手が、そう言って車を出す。タクシーには身分証を挿入する装置が設置されており、そこに客が身分証を入れる事によって通過可能な道がナビゲーションに表示される仕組みになっていた。なお運転手は、身分証のレベルと合わない地区では車から降りる事が許されていない。
東アジア軍の軍人は、通過可能な道が一般人に比べて格段に多く、運転手としても楽なのだ。運転手は、チラチラと後部座席に座る客を鏡越しに見ている。それに気付いた男がニッと笑った。
東アジアの軍人の身分証を持ちながら、こういう肌の色をした者は少ないだろう。日焼けではなく、もとからの黒い肌を持っているその男は運転手の疑問に答える。
「雇われだよ、MSの操縦を買われてね」
幾分か納得した顔を見せる運転手に、男は再度笑って見せた。その話自体は別に嘘ではないが、裏のある話であった。
装置から身分証を引き抜くと、自動的に料金の精算も行われる。電子マネー機能まで持たされた身分証なのだが、男はいつも思う。通信に使われる電波と暗号解読を組み合わせたら、街を歩くだけで人の電子マネーをスリ取る装置が作れるだろうと。一度で良いからそんな楽な仕事をしてみたいものだとつぶやき、彼はビルの中に入った。
最近進出してきた企業のビルだが、一体どういう仕事をしているのかはよく分からない。そもそも、自分がこうして足を運ぶのである、まともな会社だとも思えなかった。男は受付で要件を告げる。
通されたのは最上階、トウキョウが見渡せそうな展望の部屋だった。その内装は彼の知識でいえば、中華風といったところだろうか。茶を運んできた女性の青いチャイナドレスの深いスリットに思わず視線が釘付けになった。
「お待たせした、ジョセフ・ロギライ」
部屋に現れた老人が自分の本名を呼んだので、思わず嫌な顔をする。よく調べたものだと感心するが、それをひけらかすのは感心しなかった。
青と赤のチャイナドレスを着た美人にかしづかれながら、老人は正面のソファーに座る。二人の女性がボディーガードである事は、その動きから容易に見て取れる。おそらく目の色はカラーコンタクトではないだろう、二人ともコーディネーターだ。
通り一遍の挨拶をしてから、軽く身構える。彼が上からの指示でこの老人、リ・ウェンと接触したのは、特別行政区内で自由に動ける者が自分を含めて数名しかいないからであるが、それだけに慎重にならなくてはならない。ただのメッセンジャーではなく、自分たちの組織の代表者である事が求められるのだ。
そんな彼の様子に、老人はただ愉快そうに笑う。そして時間があるのなら昔話に付き合って欲しいと言った。
「うわっ・・・ホントに壁なんだ」
見上げる先にあるのは巨大な壁である。夜の暗さを引き立てるように、のっぺりとした壁がそびえている。その壁は高速道路の高架下を完全に埋める形で作られていた。分離壁と呼ばれているそれは、首都高速7号小松川線を境にしてこの区域を南北を分断している。
これより南側がオーブの租借地であるタマユラ地区である。そしてこの分離壁の北側と荒川、隅田川に囲まれた区域が日本人特別居留区、通称・旧世界である。現在のトウキョウを象徴するものの一つであり、東アジア共和国の脆さを示すものであった。
カメラを探そうとする女性を促して男性が足を進める。二人は仕事でこの街に訪れ、その合間に街を見物していたのだ。機械メーカーに勤める彼らは、市場動向と使用実態の調査を目的にトウキョウに来ていた。
不意に遠くから聞こえた爆発音に、二人は身をすくませる。久々に聞く戦争の音、二人は苦い顔を見合わせた。慌てて、近くの人に聞く。
「あの、大丈夫なんですか?」
「ええ、壁の向こう側ですから」
壁と言ってもMSであれば簡単に跳び越せる高さであり、ビームライフルなら一発で撃ち抜ける。大丈夫という言葉が、あまりにも頼りない状況だ。だがそこの人々の様子は、そんな事態にすっかり慣れてしまっているという感じだった。きっと危なくなるか否かが、皮膚感覚として分かるのだろう。爆発音はすぐに聞こえなくなったが、二人はじっと壁を見つめていた。
トウキョウでは、未だに再構築戦争が終わらずにいるのだ。男性は、アタッシェケースから資料を取り出す。それは、東アジア共和国の成立に遡る話だ。
「この日本という国は、立ち位置が微妙でしてね」
すこし赤くなった顔でカズヤは話を続けた。串に刺された鶏肉のグリルをつまみながら、ルーイは視線を泳がせるようにして話を聞き続ける。
各種資源の枯渇や環境の限界が招いた構造的な不況が世界を覆い、各国はブロック経済圏を構築してそれをやり過ごそうとしていた。それがそのまま再構築戦争の構図へと繋がるのだが、どの国がどの経済圏に組み込まれるかは、単に地理的要因で決定されるのではなかった。
その最たるものがこの日本であった。政治経済的に、現在の大西洋連邦と密接な関わりのあったため、現在の東アジア共和国の反対を押し切る形で大西洋連邦に組み込まれるという見方が当時は大勢であった。
だが両者が太平洋の両端にあるという地理的要因が問題であった。エネルギー価格の際限のない高騰に伴う物流コストを肥大化によって、例え大西洋連邦に組み込まれたとしても、日本の経済的苦境は続く可能性が高いという見方もあったのだ。またワシントンも、物流コストの増加によって日本が経済的な脅威にならない事を見越して大西洋連邦に組み込む事を考えていたという。
そして日本では、大西洋連邦に参加するか東アジア共和国に参加するかで、国論を二分する事態となった。世界各地で紛争が頻発し始めたのもその頃である。
当初は、大西洋も東アジアも日本政府の決定を尊重するとの姿勢を示していた。自国領内でも問題を抱えている以上、他国への過度の介入は不可能だったのだ。しかし事態は意外な方向から暗転した。
当時まだユーラシア連邦は西側しか成立しておらず、のちにユーラシア連邦に組み込まれる国が、シベリアからの南下を画策したのだ。それは結果として、中国東北部や北海道の占領という事態を招いた。東アジア共和国が、強い危機感を持つのは当然である。
それでも旗幟を鮮明に出来ない日本政府に対して、東アジア共和国は強攻手段に打って出た。親東アジア勢力を支援してクーデターを起こさせたのだ。それによって日本という国は、東アジア共和国の日本自治区となった。
客船だと言われなければ、そこを高級ホテルか何かだと勘違いしても仕方ないであろう。ザフトとはいえ、所詮はしがない公務員である。このような場所で勤務する事が出来る者は数えるほども無いであろう。キリルは落ち着かない顔で自分の部屋を見ている。
彼に割り当てられたのは、三等船室というこの船の中では最もランクの低い部屋であるが、それでも今まで自分が暮らしてきた中で最も立派な部屋であった。三食ともに船の厨房で調理されたものが出されるのだが、それもプラントの独身寮の食堂とは比べ物にならないレベルだ。
「役得じゃねぇの」
リビングでワイングラスを傾けているエリックがそう言った。ルーイは昼間の鬱憤を晴らすように怒鳴る。
「俺達は、豪華客船に宿泊するために地球に来たのではない! 俺達は、プラントの安全保障に関わる重大な任務を帯びているんだ! それがザフトの使命であり、俺達の仕事だ! プラントの命綱を確保できるかどうかという任務なんだぞ!!」
これ見よがしに耳を塞いでいたエリックは、肩で息をするキリルを確認して手を下ろした。そして分かってると言うと、椅子を勧めた。一緒に勧められたワインを断り、本題に入るように言う。
「気張ってる割には頭悪いよな・・・いや、固すぎるだけか」
その言葉を真正面から受け止めるような勢いのキリルの表情に、エリックは内心たじろぐ。そして咳払いをして話を始めた。日本自治区とオーブの関係である。
親東アジア勢力によるクーデターによって、日本は東アジア共和国に参加する事となったのだが、当然の事ながら反発は強かった。デモや暴動、そして軍部隊同士の戦闘などが各地で繰り広げられた。さらに国民の一部からは、東アジア共和国内に住む事をよしとせず、海外に脱出しようという動きが起こった。
旧世紀における地球温暖化で水没の危機にさらされたため住民全てが移住を余儀なくされ、そのまま無人島になってしまった南太平洋の島々に、新たな国家を作ったのだ。それがオーブである。
現在、特別行政府の一部がオーブの租借地になっているのも、そういった歴史的経緯が背景にあるのだ。さらに、別の繋がりも見えてきたとエリックは言う。
「アングラのネットワークだよ」
彼は、昼間買ってきた電子部品を取り出してテーブルに置く。そしてそれが、アストレイシリーズの共有部品であると言った。キリルはその言葉の意味を理解するのに時間を有した。
路地に面した電気店にそんなものが置いているわけが無いという彼の反論に、エリックは機械屋の目にはリンゴとミカンの区別をつけるより簡単な事だという。そして自分くらいの機械屋でなければ、その区別はつかないと付け加える。
オーブが自国の外注戦力としてジャンク屋組合を設立したのは公然の秘密であり、それを通じて各国の軍事技術がモルゲンレーテに還流されたのもまた常識であった。世界各国の紛争地帯にMSなどの兵器を拡散させる要因にもなっていた事から、ジャンク屋組合はプラントと連合による共同作戦によって全ての金融資産を凍結されて機能を停止し、実力部隊も大西洋によるギガフロート攻撃によって壊滅させられた。
だがもともとが個人事業主の集まりであったため、組織としての機能が失われたところで、個々の人間の活動は当然続いている。それらが仕事の便宜を図るために互いにネットワーク化を進めるのもまた当然であった。
そしてこのトウキョウは、そんなアングラネットワークの拠点の一つなのだ。オーブは、表裏の両面でトウキョウに食い込んでいる。
「川を越えて空爆すればいい」
怒りを抑えた口調でそう言った。もちろん彼にその権限はなく、あったとしてもそれは不可能であろう。利根川を越えた向こう側は日本自治区の領内であり、東アジア軍であっても行動には事前の許可が必要なのだ。例え、そこがロケット弾の発射場所であると分かったとしても、捜査などの権限は特別行政区には無い。
都心部で立て続けに起こった複数の爆破テロ事件。そこに人員を割かねばならないタイミングで、利根川越えのロケット弾である。最近はその数が減っていただけに、明らかに都心部の事件に呼応したものであろう。
放置すれば北側でも同様の事態が起きかねない。だが日本自治区は、テロリスト確保のための捜査を継続中であると、定型の文書を送ってくるだけであった。ユ・ケディンはその紙を破り捨てた。
東アジア共和国参加後も混乱する日本では、オオサカに置かれた自治政府がペキンの中央政府に対していくつもの要求を突きつけることになった。域内統合が他の国に比べて遅れている東アジアとしては、日本の混乱をこれ以上深刻化させる事はできなかった。日本の経済力や技術力は東アジアにとっても欠くべからざるものであり、混乱による経済の疲弊やオーブへの人材流出は防がなくてはならなかったのだ。
結果として、日本自治政府は広範な自治を手にする事となった。トウキョウ特別行政府は、ペキンが勝ち取った数少ない権益なのだ。だがそれも今となって考えれば、自治政府によるトラップだったのではないかとさえ思う。
「解説してくれないか?」
「それはシュウちゃんの仕事でしょ」
保安局科学分析室で、分析官の女性がコーヒーをすすっていた。アイロンのかかっていないワイシャツを着た男性が、渡された資料を睨むように読んでいる。芝浦の爆発事件で使用された爆薬の分析結果は、予想通りであった。
これで両国の事件と品川、芝浦での爆発事件は同一組織の犯行である可能性は強まり、同時にその組織が日本軍で無い事もほぼ確定された。この分析結果がきちんと採用されれば、しばらくは保安局も旧世界に出向かなくて済む。
禁煙よという声を無視して、タバコを取り出した。もはやこんなものを咥えるのは絶滅危惧種であろう。
日本自治区からの数々の要求をほぼ丸呑みせざるを得なかった東アジア共和国も、日本経済の中枢であるトウキョウを直接統治する方針だけは曲げなかった。逆を言うと、この方針を貫徹するために他の要求を全て譲歩するしかなかったとも言える。
ともかく、トウキョウを特別行政区として日本自治区から切り離し東アジア中央政府による直接統治を行う事になったのだが、反発は当然残った。それまではバラバラだった反東アジア活動は、特別行政区の発足に合わせるように一本化され、彼らは日本軍を名乗って武装闘争を開始した。
日本の独立を掲げる彼らにシンパが多いのは当然であり、その摘発に特別行政府は頭を悩ませる事となる。
その解決策として考えられたのが、身分証確認ゲートである。特別行政区住民を反東アジア共和国活動への関与度に従って細かく色分けし、それに応じた身分証を作る。そしてゲートを使って住民同士の接触を制限するのだ。
そして反東アジア共和国活動に直接的に関与していた者、それが濃厚に疑われる者を隔離するために作られたのが、旧世界と呼ばれる日本人特別居留区である。かつて、日本自治区が成立した時に東アジア国籍を拒否した人とその子供や孫の世代が主な住民であった。
その後、テロ容疑者として逮捕されながら証拠不十分だった人達、無許可の集会やデモに参加した人など、身分証の再発行が許可されなかった人達が追放される形で、特別居留区に送り込まれる事になった。テロリストを一箇所に封じ込めることで、その活動を補足しやすくするという目的だったのだが、今では完全に日本軍の拠点と化している。
「彼らはテロリストと呼ぶが、独立闘争は正戦でしょう」
茶を口にしたリ・ウェンが息をつく。出来るだけリラックスして話を聞くよう心がけているのは、ボディーガードの美女が殺気のこもった笑顔を向け続けているからだ。末端の人間にまであからさまな警戒を示すほどに、彼らは大西洋を信用していないのだ。
日本自治区が成立する時、大西洋連邦はそこに一切の介入をしなかった。存在したはずの安全保障条約は空証文となり、ヨコスカをはじめとする軍の権益だけを確保して日本を見捨てたのだ。
日本を捨てたオーブ、日本を見捨てた大西洋、彼らはどちらも信用していない。いや、それは敵視に近いのかもしれない。危険な相手である事だけは、報告に値する事実だろう。
「ヒュー・レペタ、大尉でしたかな。ともかくは心配無用とだけお伝え下さい」
老人は、彼の所属する部局のトップの名前を挙げてそう言った。軍内で複雑に出向や転籍を繰り返した上で、東アジア軍に潜り込んでいる彼の経歴を綺麗に洗ったという事だろう。その手の内を晒すような事を言うのは、それ以上の事が行えるという自信に他ならない。
ヒューは冷や汗で冷たくなったシャツの気持ち悪さとともに、部屋を後にする。美女の視線は、背中にまとわりつくようだった。
次回は火曜日に投稿できるかと思います。