ここしばらくのあらすじ
百年祭の準備(現在進行形)
あえて飛行能力は使わない。まずは使わず拳法の動きを把握してそれから飛行能力と組み合わせるのがいいだろう、という師匠の方針に従っている。「さっさと強くなるためには最初から飛行と合わせていくほうが早いんですがね・・・」なんて苦笑していたが。
そんなわけで地を蹴って進む。そうして着地と同時に構え完了。まっすぐ突く。あえて下半身からの力の伝達を意識して拳に力をこめる。正直に力任せに腕をふるったほうが力が強いと言ってみると、「最初はそうでしょうけど、習熟度が上がれば本来の力を技術に乗せられるようになるので最終的には強化になります。慌てず続けましょう」ということだった。これこそ師匠を持つ醍醐味だ。誰が自分から力を落とすようなことをする?それが強化につながるという師の言葉と師への信頼がなせる奇跡。
(もともと弱い人間が強くなったって言うんじゃなくて妖怪が言うからこその説得力よね)
雑魚が前よりましになったと言ってもああそうかと踏みつぶしていただろう。語り手の存在力に言葉の重みは依存するのだ。
突きはあっさり受け流されるがそれはよい。体が師匠の脇を通り過ぎようとするのでその勢いのまま膝をひきつけ膝蹴りに持ってく。受け止められる。が、これも想定の範囲内!
膝と受け止めた掌を起点に体をまわす。膝から腰、背中を通して腕、そして拳へ。万全の突きほどの威力はなくとも十分な火力。師匠の顎を拳を振り下ろすように打ち抜く。すっとんでいく師匠。縦に二回転してから地に足をつけてすべりつつ踏みとどまろうとしている。
当然追撃に入っている。完全に顎を砕いたと思ったがいなされた。顎で拳受け流すとか化け物か。まあ、疑問はあと。一歩目で距離を詰めつつ加速。地に足をつけてすべり始めたのをみて二歩目でさらに加速し飛行能力で空中でさらに加速しつつ飛び蹴りで腹を打ち抜いた。
決まった。いい感じの手ごたえ。
(おーい、死んだんじゃない?)
もう一人の私の声がする。二重人格として生まれてきてからいろいろ世話になっている。今回みたいに冷静なツッコミがたまにある。
(まずいかなー)
(完全に容赦ない飛び蹴りでしょ?並みの妖怪は真っ二つでしょ)
(まあ、師匠だし)
弟子が師匠を信じなくてどうするというのだ。そう思いつつ壁にぶつかってくしゃくしゃに丸まってる師匠の様子を見に行く。これは、
(寝てるわね)
(気絶とも言う)
(細かいわね、ベッドにいれときましょうか)
(まあ、いいんじゃないかな?)
どうにもあきれた感じが伝わってくる。とりあえずベッドに師匠を放り込むべく抱え上げた。
(静かにいれてあげなよ?)
あいあい
本体は紅美鈴のことをかなり信頼している。それは悪いことではないし、私が表にでるより紅美鈴の信頼は得やすくいい傾向だろう。それは、いいのだが、美鈴はいつまでもつのやらという気がしなくもない。ただ、今の今まで原型をとどめて生存しているのだから耐久力は立派なものだ。これからもぜひ頑張ってほしい。
それはそれとして、本体の格闘のセンスはかなりのものだ。とどめの飛び蹴りは私でもできるが、その前の間合いを詰めて正拳突き、いなされた勢いのまま膝蹴り、受け止められたのを利用してなぐりかかる。この流れるような連続技はなかなかできない。相手が正拳突きをこう受け流すし膝蹴りの対処はこう、と初めからわかっていたら私もできる。しかし、わからないまま本体は敢行し、達成した。しかも感情の共有からわかるが、ほとんど無意識にやっている。勝手に体が動くというやつだ。しかも長年訓練したわけではないのに、膝を起点に正拳突きの応用までやってのけた。それに無意識に動いてはいるのだが頭が空っぽというわけでもない。言語化する以前でとどまっているがなにかしら考えている。無意識を無意識のまま意識が扱うような異様。感覚に任せるか訓練して条件反射を使うかして戦いの能力を一般的にはあげるが、感覚に任せて場数をこなすのではなく、感覚を感覚のまま制御している。まぎれもなく天才。
(そんな褒められると照れるな)
本体がくすぐったそうな感情とともにそんなことをいってくる。
(いや、本心だ。だからこそ私は戦いでは補佐にまわるべきだな。そのためには・・・)
(そうねぇ、魔法よね)
(本体が戦っている間に魔法を私が使う。本体の死角を私が補う。かなり理想的じゃないか?)
(たしかに、戦いつつ相手の隙をつくったりこっちの隙をうめたりするのに妖力爆発使ったり、)
(本体が能力を使って壊して、私が魔法で再生を封じたり、な)
(今のところの理想形ね)
二人ではなく一人に二つの人格があることのメリットだ。そのためにも
(魔法の習得。拳法は順調よ?)
(わかっているよ、相棒)
(私も手伝うわ)
私は久々に分身を作り出してこれまた久々にパチュリーの書いた「こうもりでもわかる魔術入門」を手に取った。あいも変わらず第一章しかない。
「第一章以外読める?」
「いいや、一章だけ」
「まあねー、魔法とか魔術とかそれ以前にまず魔力がわからないんじゃあねぇ」
そう、まずは魔力を感じるところからなのだ。そもそも魔力と妖力ってどう違うんだろうか。魔力とは?妖力とは?そんなことを考えていたら本のページがめくれていく。目を向けると、
「第零章、魔力とは」
あー、参った。そうだよねぇ、あのパチュリーがこうもりでもわかるってうたうのだから、魔力の定義くらいかいてあるよね・・・・
(魔力の扱いで散々苦労したら教科書に書いてあったってわけね)
(とりあえず読みましょうか)
二人で寄り添って本を覗きこむ。
この章にたどり着く読者はそうはいないわ。なぜなら第一章の魔力の感じ方で魔力を扱えるようになって魔術を学んでいく者が大半でしょうから。あるいはこうもりがこの本を読んで文字を読めなくて悪戦苦闘してこの章にたどり着くかもしれないわね。
「そういえばこうもり文字読めないじゃん・・・・」
「そう考えるとこのタイトルかなり大それたタイトルか」
魔力とは魔法に干渉する力よ。そして魔法は魔の法則よ。物理法則の対抗概念といっても言いわ。一般人がなぜそうなるのかわからない、説明できない出来事を説明する法則。妖怪が人間の恐れから発生するようにわからないものをわからない理屈で動いているんだろうと説明しようという、未知への恐怖を乗り越えようという人間の思いから発生したのが魔法よ。そして魔法に基づいて何かをする技術が魔術ね。そして魔術をもとに何かをなした結果が魔法ね。一般に魔法といえばこちらをさすわ。
「魔法と魔術の違い書いてあったね」
「お見通しって感じ?」
だから魔力は魔法に干渉できさえすればいいから、もとが霊力だろうと妖力だろうと神力だろうと魔力足りうる。だから魔法使いは人間からもでてくるし、魔法使いという妖怪にもなりうるわ。だからこそ魔法を使うための力を己の中に見出そうとするうちに魔力として使えるようになる。もともとあった力が魔力としても使えるようになるというのが魔力との出会いの正体なのだから。
想定される疑問としては妖怪の使う妖術は魔法とは異なるのかというのがあるわ。これに関しては広義には魔法であるといえる。一般人ではどういう理屈かわからないけど、何かをやっているという意味ではまごうことなき魔法。違うのは使い手の意識。魔力は前身が霊力でも妖力でもいいことからわかるように霊力も妖力も世界に影響を及ぼすことができるわ。本人が魔の法則を意識して使うか法則を意識せずに使うかで魔法か妖術かは変わる。
これだけ聞くと魔法のほうが万能のように聞こえうるけど、必ずしもそうではない。なぜなら魔の法則という形で理屈を決めてしまえばそこで魔法という限界を迎えてしまう。妖力のまま扱うことで魔法にとらわれずに力を行使できるから場合によっては魔法ではできないことをやってのけることになる。妖力のまま扱えれば一点突破ですごいことができるかもしれないが、魔法にしたがって力を行使すればいろいろなことができるようになる。そのかわり、魔法は魔法に縛られる。妖力のまま力を扱う技と魔法は紙一重で表裏一体。でも魔法使いからみれば決定的な差よ。
「これはとんでもないわね」
「ここまでとは思わなかったわ」
パチュリーの語る世界の真理、法則に引き込まれた。魅入られたといっても良い。この知識を得るためにどれだけの対価がいるのだろうか。これは少なくとも常識ではない。魔法が使えるやつがいてそいつがなんで魔法を使えるのかは謎のまま、魔法への向き不向きで考えられていたのだ。それは、この魔法とは、という部分が理解されていなかったからなのだ。この魔法そのものが何かという知識、これこそが魔法の神秘の秘奥といっても過言ではない。神秘に魅入られ震えていた。これだけの知識が広まってしまえば魔法は力さえあれば誰でも使えるようになる。この知識の存在が漏れてしまえば大地が血の海に沈むであろう。血が出尽くして流れなくなるまで血が流れてもおかしくない。とくに人間からすれば喉から手が出るほどほしい知識だろう。存在に気が付ければ。重たい。知識も本も。
だからこそ必然であっただろう、目を覚ました紅美鈴と二人とも目が合うなんてことは。
なんとなく魔術という言葉を使って、東方が魔法で用語統一している現実に直面する
1.魔術を魔法に修正する
2.伏線をしいたことにする
なんという無駄。なんという回り道。
だが、それがいい。無駄を嫌うくらいなら小説など書くものか