絶海の戦士たち   作:小湊拓也

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第7話

 黄金の煌めきが見えた、ような気がした。

(誰……まさか、黄金聖闘士の……どなたかが……?)

 だとしたら、この上ない失態だ。青銅聖闘士・艫座の勇魚は、そう思う。

 やはり青銅聖闘士には任せておけぬ。

 黄金聖闘士たちに、そう思われてしまったのだとしても、まあ無理はない。

 自分も、それに竜骨座の漁牙も、ルルイエ表層部の戦いで、こうして力尽きてしまった。

 ルルイエ内部へと向かった海斗とナギの小宇宙も、今やほとんど感じられない。

 青銅聖闘士4名が、力尽きるまで戦って辛うじて成し得た事は何か。

 人々を狂気の夢に迷い込ませる邪神を、一時的に眠らせただけではないのか。

「狂気の神が、一時的にせよ眠りについた……君たちの力によるものか」

 黄金の煌めきを放つ何者かが、言った。

 言葉と共に、圧倒的な小宇宙が勇魚の全身を包み込む。

 祈りを捧げる、美しい乙女の姿が見えた。

 視覚が死んでいても、幻覚は見えるのか。

 視覚だけではない。五感も、第六感も、破壊された。

 辛うじて機能していた7番目の何かも、今や燃え尽きようとしている。

「さすがはアテナの聖闘士……と、認めるしかないようだな。本来、私がやらなければならない事を君たちがしてくれた」

「貴方は……うぐっ!」

 激痛が、勇魚の全身を駆け抜けた。

 感覚が、蘇ったのだ。

 痛みを、肉体で感じられる。

 潮の匂いを嗅ぐ事も出来る。舌を動かして、ものを喋る事も出来る。

「貴方は、僕たちに……治療を施して……くれている、のですか……?」

「君たちならば、戦力として利用出来そうなのでな」

 相手の肉声を、耳で聞く事も出来る。

 勇魚の五感は、回復していた。

 黄金の煌めきをまとう青年の姿を、目で確認する事も出来る。

 勇魚と面識のある黄金聖闘士数名の、誰でもなかった。

(違う……黄金聖闘士、ではない……?)

 とてつもない小宇宙の持ち主、ではある。

 だが黄金聖闘士とは何かが異なる、その青年がさらに言う。

「ホーリーメイデン・プレイア……6つの獣を従える、乙女の聖なる祈り。私の7番目の技だ」

 攻撃ではなく、癒しをもたらす技。

 それが、勇魚だけでなく漁牙の身体にも、黄金の光となってキラキラと降り注ぐ。

 祈りを捧げる、美しい乙女の姿を、勇魚はじっと幻視していた。

 ひらひらと揺れる衣の下に、しかし何か凶悪なものたちが潜んでいるようでもある。

 6つの獣を飼う乙女。

 そんな小宇宙を立ちのぼらせる青年に助け起こされながら、漁牙が呻く。

「う……ん……さ、沙織お嬢様ぁ……俺、今日はブタになりますからあぁ……」

「その男は、海にでも放り捨てて下さい」

「フッ……そうもいくまい。見たところ君たちは2人で1人前のようだ」

 黄金聖闘士と似て非なる、その青年が、周囲を見回した。

「いや。もう何人か、いるのか?」

「あと2人。今は、ルルイエの中に……そうだ、こうしてはいられない!」

 勇魚は、竪琴を掻き鳴らした。

「漁牙、起きろ!」

「ぐわああああ! さっ沙織お嬢様の歌が、俺の脳ミソを破壊するうぅぅ」

 聴覚の回復した漁牙が、両耳を抑えながらのたうち回り、目を覚ます。

「……と思ったら、おめえかよ勇魚。死んでまでテメーの演奏聞かされるたぁ」

「残念、君はまだ生きてるよ。この人が助けてくれたのさ」

「助かったのなら、さっそく私に協力してもらおうか」

 6つの獣を飼う乙女、そのもののように美しく禍々しい青年が言った。

「私も君たちも、最終目的は同じ……はずだな」

「……ルルイエの奥底に眠る神を、斃す」

 黄金聖闘士にも等しい、と思える小宇宙を持つ青年を、勇魚はじっと見据えた。

「僕たちは、アテナの聖闘士として、それを行う。貴方が……それをしなければならない理由は?」

「おぞましい出来損ないの神を、ポセイドン様の聖域より取り除く。それも我らの使命」

 アテナの聖闘士にとって、冥王ハーデスと並ぶ警戒対象である神の名が、青年の口から出た。

「……この南太平洋は、私の管轄だからな」

 

 

 ユトグサのひょろ長い全身から、暗黒が噴出した。

 何も見えなくなった。ルルイエの陰鬱な迷宮風景も、その中に佇むダゴンの姿も、死体寸前の有り様で倒れる青銅聖闘士の少年少女も。

 さしあたって直接、戦わなければならない相手である、ユトグサの姿もだ。

 海闘士・カリュブディスのガニメデは今、闇の中にいた。

 何も見えない。ルルイエ内部に充満している潮の臭いも感じられない。潮臭い空気が皮膚に触れてくる感触もない。

 恐らく自分は今、耳も聞こえなくなっているのだろうとガニメデは思った。

 ただ、不快な意思は伝わって来る。闇の中からだ。

『何も見えまい、聞こえまい、感じられるまいがぁクッヒヒヒヒ。五感の全て、いや第六感すら封じ込める真の暗黒! その中に1人取り残された気分はどうだ』

「……なるほど、な。見事なものだユトグサ。貴様の薄汚い意思は感じられても、存在は全く感じられん」

 ガニメデは、とりあえずは誉めてやった。

「暗がりに隠れるのは、たいそう上手いようだな」

『虚勢を張るな小僧、恐くば泣き叫べ! 痛ければ泣き喚け! 我らの神に、死と絶望を捧げ奉るのだ喰らえぇいファントム・デプスマッシャー!』

 暗闇のどこかから、攻撃が来た。無数の鞭あるいは触手で打ち据えるかのような、超高速の連続打撃。カリュブディスの鱗衣の上から、容赦なく叩き込まれて来る。

 ガニメデは吹っ飛んだ。

 吹っ飛び続けているのか、どこかへぶつかって倒れているのか、この暗黒の中では何もわからない。

 1つわかっているのは、自分がまだ生きている、という事だ。

「俺を……殺せる、とでも思っているのか。この程度の攻撃で」

『一撃で殺せねば、嬲り殺しにするまでよクヒヒヒヒ、喰らうがいいファントム・デプスぐげべっ』

 ユトグサの思念が、潰れた。

 ガニメデが、闇の中に拳を撃ち込んでいた。

『こっ、小僧……貴様、私の居場所がわかるとでも』

「この暗黒の中で、貴様の存在を感知するのは確かに難しい。視覚、聴覚、味覚に嗅覚、触覚そして第六感までもが閉ざされてしまう闇……だが、7番目の感覚を用いれば」

『な……7番目、だと……』

「セブンセンシズは、聖闘士どもの専売特許ではない」

 暗黒の中から、ユトグサの怯えが伝わって来る。

「俺とて完全に目覚めているわけではないが、貴様の存在を掴む事くらいは……な。ふん、そこか」

『ひい……っ』

「もはや暗闇に隠れても無駄だ。カリュブディスの大渦からは逃げられん……!」

 ガニメデの小宇宙が、激しく渦を巻いた。

「海の怒りに呑まれて消えろ! スパイラル・ギガブラスト!」

 暗黒が、ユトグサもろとも砕け散った。

 細長い悲鳴を引きずりながら、闇の破片が渦を巻き、消滅してゆく。

 潮臭く陰鬱な迷宮の風景が、戻って来た。

 ダゴンが手を叩いている。

「見事……さすがだな。ユトグサの暗黒を、こうも見事に粉砕するとは」

「次は貴様を粉砕する」

 ガニメデは、ダゴンと対峙した。

「俺を殺さずにいた、その理由は聞かん。貴様らなりの思惑があったのだろうが、それが命取りとなったな」

「……かも知れん。私としては、貴様を殺しておきたかった」

 ダゴンが言う。

「殺す機会を逸した結果、貴様は生きている。蘇ってしまった。ゆえに言おう……カリュブディスのガニメデよ、我らの同志となれ」

「そういうのを、世迷言と言うのだ」

「これは貴様ら海闘士だけではない。アテナの聖闘士、ハーデスの冥闘士どもに対しても言える事だがな」

 ダゴンの口調が、眼光が、強まった。

「己の仕える神を盲信するだけではなく、少しは自分の頭で考えてみてはどうだ」

「何……」

「考えれば、わかるはずだ。いや、すでに気付いて、見ぬふりをしているのか?」

「ダゴン貴様、何が言いたい。命乞いにしては回りくどいようだが」

「わからぬなら、はっきりと言ってやろう。少しは気付け。己の頭で考えてみろ。オリンポスの神々が、どれほど傲慢で冷酷で利己的で、仕えるに値せぬ存在であるかをな」

 黙らせるべく、ガニメデは拳を放った。

 その一撃が、ダゴンの左手で弾かれた。さすがにユトグサとは違う。

「あのような者どもに、お前たちが命を懸ける価値などあるまい。我らの神に仕えるのだ、ガニメデよ」

「貴様らの神だと。それは、この海の底で惰眠を貪りながら悪夢を振りまくだけの、おぞましい怪物の事か」

 ガニメデは嘲笑って見せた。

 ダゴンの秀麗な顔に、獰猛な怒りが浮かぶ。

「貴様……!」

「そういう事だ。己の仕える神を愚弄した者は、生かしておけん。そういう事なのだよ、俺も貴様たちも」

 怒りの形相を正面から見据え、ガニメデは言った。

「己の仕える神のために、ただ戦う。俺たちには、それしかあるまいが!」

「……確かにな。お前たちにとっては我らの神など、醜悪な怪物でしかなかろう」

 ダゴンの小宇宙が、静かに、激しく、渦を巻く。

「我らにとっては、オリンポスの神々など……醜悪な怪物、おぞましき暴君、破壊者、もはやいかなる言葉でも追いつかぬほど厭わしき存在よ。生かしておけぬ! まさに、そういう事か」

 それは、カリュブディスの大渦にも匹敵する激しさだった。

 


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