八幡はいじめにあっていました。   作:良薬

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はたしてそれは涙であった。

「——————————。」

 

 

 俺が体験したこと、経験したこと、享受したこと、思ったこと、それらすべてを平塚さんに話した。そういえば大人の人にこのことを話したのは初めてかもしれない。

 

 ひとつ、またひとつと、我が身に起こった出来事を話すたびに、体から、何か黒くて暗い、おおよそ毒気と呼ばれるようなものが、雫みたいに零れ落ちていくような清々しさを感じた。

 

 ぴちょん。と手首のあたりに温かい液状の何かが落ちた。

雨か。と思って辺りをみた。雨ではない。そういえばここは職員室だった。

雨漏りか?と思って天井を見る。そもそもここは一階だった。

涙か?と思って、左の眼頭の、下から唇の横にかけてをなぞってみた。

指先に手首と同じ感覚が触れた。

———————はたしてそれは涙であった。

 

「比企谷…」

 

平塚さんは立ち上がり俺の一歩手前まで近づくと、右手の親指の腹で俺の涙を拭い、背中を優しくそれでいて悲しげに叩いてくれた。

それは泣いた我が子をあやすようなしぐさだった。

 

「比企谷、君は一人じゃない。少なくとも今、このときこの場においては私がいる。私がすべてを受け止める。吐き出して、楽になれ。」

 

あぁ、ああ…。

 

「辛かった…。」

 

「ああ。」

 

だめだ…。

 

「悲しかった…。」

 

「ああ。」

 

もう、抑えられない。

 

「嫌だった。泣きたかった。重かった。暗かった。きつかった。痛かった。苦しかった。吐き出したかった。逃げ出したかった。放り出したかった。……死にたかった!」

 

涙は関を切ったようにぽたぽたと落ちはじめた。

それら一粒一粒が流れるたびに、だれかから許されているような気がした。

 

気づいてくれる。知ってくれる。解ってくれる。俺の異変を、叫びを、危険信号を———。

 

「なんで、何もしてないのに、いるだけなのに、黙ってるのに、がんばって、努力して、ここに来たのに、なんで、なんで、またいるんだよ、もう嫌なのに、痛いのは、苦しいのは、」

 

文節も文脈も調子も発音も、全部全部ほうり捨てて、俺の気持ちをなんの建前もなく告げた——いや、吐き出した。

 

 

 

 

 

 五分ほどしてようやく気持ちが収まった俺は、今までの一連のながれを思い出して少しばかり考えていた。

 

 俺は、どうなるのだろうか。先生は俺を部活に入れると言っていたが、さすがにさっきの話を聞いたうえで俺を集団の中に放り込むことはしないだろう。

だとしたら、俺は何をすることになるのだろうか。流石に課題の書き直しはするだろうし…。

 

 そんなことが、頭の中でぐるぐる回っている。眼が腫れてきて、ひりひりと痛むせいか、思考が鮮明になっている

 

ふと、先生のほうに視線をやる。何やら深く考え込んでいた。

先ほどの俺の独白が終わってからというもの先生はずっとこの調子だった。

何かを言い出そうと口を開いたかと思うと、固唾をのむように言いよどみ、口を噤む。

聞きたいことがあるのに相手のことを思うと聞けない、そんな感じだ。

 

「どうしたんですか?この話についてはほとんどすべてを話しましたし、今さら隠そうと思うようなこともありません。聞きたい事なら何でも答えますよ。」

 

 いいかげんじれったく思い、先生が言いやすいように会話を促した。

先生は一瞬苦虫を噛み潰したような顔になったが、すぐさま表情を作り直して質問をした。

 

「…、君はさっき『なんでまたいるんだ』といったな。あれはどういうことなんだ?もしかして、この学校にお前の言ういじめの加害者がいるというのか。」

 

 先生は少し語尾を強め、はたから見れば怒っているような口調で問いただしてきた。

しかし、つい先ほど先生のやさしさの一端に触れてしまった俺からは、なんとなく悲しんでいるように見えた。

 

 ああ、そういうことか。

 

 いじめの内容を話すとき、俺は俺をいじめてきたやつら——所謂いじめ加害者——の名前を明かさずに説明をした。なぜなら、この話が俺が小学生の時から中学校卒業のときまでの、先生の知らない期間の出来事である以上、名前を明かす必要がないからだ。

そもそも名前を思い出したくもない。

 

 

「そうです…。」

 

先生はやはりといった表情で頷き、またしばらく考えていた。

 

「それが誰か教えてはくれないか。」

 

 心臓がキュッとなる。

 

 やはり聞かれるか。

 

 そいつは、加害者の中心に立ち、周囲を従え、案を出し、それを自らによって決定、時には自らが進んで俺に危害を加えた。今では顔すら思い出せない、覚えているのは名前と性別だけ。きっと体が記憶することを拒否したのだろう。

 

 そいつがこの学校にいると知ったとき、俺は何と思っただろうか。それすらも思い出したくもない。

 

「う、あの。」

 

 名前を言おうとするが上手く口が回らない。

 

 名前を言うだけなのに、口を開け、のどを震わせて、舌を動かすだけなのに。

なぜだか、躊躇われる。

 

「言いたくないなら、無理に———」

 

「言います。」

 

 先生の言葉を聞き終わる前に、自然と言葉がでた。

 

 なにを躊躇しているんだ。いまわかったばっかりではないか。

俺にだって味方がいる。理解してくれる人がいる。

 

 

 

 

 

 

 

「雪ノ下、雪乃です。」

 

 

 

 

 

 

 

 口から出てきた言葉は今までの中で最も毒々しいように感じた。

 

 




小学生のいじめってブレーキがないですよね。
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