––––にこ!部活一緒に頑張ろうね!
––––にこ、私達もアイドル好きだけど……
––––ごめんね、もうにこについていけない
いつも来ているはずの学校。しかし今日は敷地内に入る事を躊躇した。
いや躊躇したのではなく、立ち止まってこの場所を少し離れた場所から一望したいと思ったのかもしれない。
卒業式の日の、ヒラヒラと舞っていた桜の花を思い出していた。
もちろん今日は舞ってなどいなかったが、それでもこの敷地内に入ろうと思った気持ちはあの時と同じで、眺める景色もあの時と同じように見えた。
入った教室もいつもと同じだった。
入り口から全体を見渡す。
正直言って親友と呼べる子はここにはいない、でもここに集まる子達は良い子達で、挨拶を返してくれるし、楽しい話だってしてくれる。
けどあの時から。あのスクールアイドルを始め、一度辞めてしまったあの日から。
矢澤にこは壁を作ってしまった。
それは誰よりも自分が知っている。
自分はそれを演じなければならない。
自分から声が出せなくて、孤独を作ってしまった自分を。
けど今日は違う。
今日はあの時の“矢澤にこ”ができなかった事を、私がする日。私があの時の気持ちを伝える日。
だから彼女は、あの時一緒にアイドル研究部を建ててくれた子の前に、覚悟を持って立つことができた。
「おはよう、ちょっといい?」
「お、おはよう、にこちゃん、どうしたの?」
「お願いがあるんだけど、今日の放課後……」
––––26話 感謝の言葉を添えて【→あの日を過ごした仲間へ】
いつも通りの生活はいつも通りの時間の進み方で、気が付けばあっという間に終わりを迎える。
学校に来て、HRを終えれば授業が始まる。
そして4時限目までの授業を終えれば、わいわいと騒がしいお昼休みが訪れる。
もっともそれは周囲の話、昼食をとって後は席に座り外を眺める、そんな静かな時間を彼女は過ごす。
部室にいる時もあるが、今日は少し教室の雰囲気に浸っていたかった。
そして昼休みが終われば、6時限目までの授業。特別授業に身が入るわけでもなく、やはり授業も気が付けば終わっていた。
今日が最後だというのに。
最後の授業はいつも以上にあっという間に感じて、時間の早さに思わず苦笑いをした。
さて、ここからが本番だ。
向かったのは部室……ではなく、今日は使われる予定のない講堂。クラスはバラバラになってしまったが、今日の朝全クラスを回って、皆にそこに集まって欲しいと頼んだ。
一度だけ一緒に立ったあのステージで、過去の自分が向き合えなかった事を謝る為に。
緊張し、思わず手に力が入った。
今日訪れた講堂は、ステージの明かりは付いているのだがいつもより暗く感じた。
息を呑んだ。何とも言えない緊張感がさらに襲いかかる。
まだ彼女達の姿はない、だがこれから自分が行おうとしている事、謝るという行動、その意味はにこにとって大きい。
原理や理屈なんて分からないが、タイムスリップした目的はこれにあるから。
しかしいざその時がくると、アイドルとして活動している時よりもその緊張は重く感じた。
罪、という言葉は大袈裟かもしれないが、彼女にとってアイドルについての価値観、想いを無理強いさせてしまったという行為は、アイドルが大好きだからこそ、その言葉が不適切ではなくなる程に大きい罪悪感として残っている。
後悔した、μ'sという大切な仲間を得た後も、心にずっと引っかかっていた。
もし、あの事で彼女達がアイドルを嫌いなっていたら……
私は謝らなければいけない。
一歩一歩考えながら階段を降り、ステージに立った時には、緊張よりも決心が勝っていた。
「にこちゃん来たよ」
ドアが開く音と共に、4人の少女達が中に入って来た。
いよいよだ。
ぎゅっと手を握りしめた。
「わざわざここに集めてごめん!でも、どうしてもここで、皆と踊ったこの場所で……謝りたいことがあって」
ちゃんと伝えよう、その気持ちで出した声は講堂中に響き渡る程大きなものだった。
けれどそんな彼女に段々と、謝ることの恐怖が湧いた。
言ったとして、それが何なんだ。彼女達にとって私からの謝罪なんて無意味なものなのではないか?
何故かそんな発想が今になって出てきた。
視線が下がる、言おうと思っていた言葉が喉元まで出かかっているのに、そこから出てこようとしない。
……ダメ、言うんだ。
必死に自分に言い聞かせる。
後悔しないように、この気持ちを!
流れ落ちそうになる涙を振り切り、しっかりと視線を彼女達に向けた。
「アイドル研究部やってた時、皆に無理強いしちゃってごめん!私がどんどん勝手に決めちゃって、皆に辛い思いをさせて、本当にごめん!」
大きな声と共に、深々と頭を下げた。
たった少しの言葉、だが何年も言うことができなかった『ごめん』という謝罪の言葉を、今ここでようやく言うことができた。
やっと、やっと言えたんだ。
あの時の自分の行為を今更なかった事にはできない。寧ろあれがあったからこそ、今の自分がいる。あれが無ければμ'sに入ることはなかったかもしれない。
けれど心残りがあったのは事実、そしてその心残りが全て消える事はない。
でも、この言葉を伝えたかった。伝えられた。
私は、もう……
–––––私達も謝りたかったの!
再び零れ落ちそうになった涙は流れ落ちる前に止まった。
思わぬ言葉に動揺しつつも、しっかりと彼女達の言葉に耳を傾ける。
「私達、あの後よく考えたんだ」
「にこについていけなくなった、その言葉に嘘はなかったけど」
「すぐに辞めるんじゃなくて、もっとにこと話し合えば良かったって」
「にこのアイドルになりたいって気持ち、分かってたはずなのにさ……」
どんな言葉を返せば良いのか、全く頭が働かなかった。
–––––だから、ごめん!
私が謝らないといけないのに、どうして彼女達の方が謝っているのだろう。
そんな疑問と共に涙がいよいよ湧いて出た。
その場に固まったまま、涙を抑える事なくただただ流す。
「ごめん、ごめん!ごめんね!」
その場に泣き崩れ、ようやく出てきた言葉はやはりその言葉だった。
階段を降り、ステージに上がり、そんな彼女を優しく包み込むように囲み、1人が頭を撫でた。
アイドルとして頑張ってきた未来のにこの我慢が外れた、そして積年の思いをつけることができた瞬間であり、今いるはずのにこが学生生活を通してずっと気にかかっていた事の終わりを告げた瞬間だった。
あぁ、言えてよかった。
今の涙はその嬉しさからくるものだった。
––▽––▽––▽––
「にこはいつもらしくアイドルっぽく笑っていた方がいいよ」
「う、うるさいわね」
一頻り泣いた後は、いつの間にか5人の間で笑い声が出るようになった。
普段見せる事のない、にこの泣く姿。いくら友人達の前とは言え、それを見せてしまった事に少し恥ずかしさを感じそっぽを向いていた。
「にこ、私達の事気にさせちゃってごめんね」
「もういいわよ。というより、私の方が謝らないと……って、これじゃあ何度も謝り合いしてしまいそうね」
「そうだね。じゃあ、もうお互いいっぱい謝ったし、もうめでたしめでたしって事にしよっか!」
そう言って笑う4人に、にこも笑顔で返す。
お互いに心残りは消えた。
–––––いや、まだ。
「ねぇ。まだアイドルは好き?」
彼女のあと1つの心残り。
あの時、あの瞬間、もし自分が彼女達のアイドルが好きという気持ちを消してしまっていたら……
「もっちろん!大好きだよ」
とんだ杞憂だった。
その言葉と共に見せてくれた彼女達の笑顔はそう確信させてくれた。
良かった。
安心感に包まれたような居心地の良さと共に、本当の意味で今日、笑った。
––▽––▽––▽––
講堂の入り口、4人は他の部活をしていたので、各々部活を行うためその場で別れた。
そして1人になった時感じる、肩が軽くなったような感覚。
終わった。
にこの頭の中にその言葉が浮かんだ。
しかし、彼女の身に何かが起こったわけではなかった。
未来に戻るかもしれないと思っていたが、その予想は外れた……いや、違う。
まだ終わってないのだろう。
にこは依然荷物を教室に置いたまま、すぐに向かう。
まだあそこにはやる事がある、そう今彼女が行先はただ1つ、アイドル研究部。
それが終わるまでが私がここにいる意味なんだ。特に根拠はないが、確かな自信が何故か存在した。
放課後のチャイムが鳴ってから約30分程経った。
あの時通りに彼女達は、穂乃果達は私が部室に入るのを待っているだろう。
駆け足でその場へ向かった。
今日から私はμ'sには入るんだ。
ふと、何度も考えた事だが、部室が視認できる距離まで来たところで、またそれを考え始めた。
そして改めてそう考えると、今までの記憶が溢れ出てきた。
一年の時にスクールアイドルを始め、一度は断念したものの彼女達に救われて、そして最終的には9人になってラブライブ!優勝にまで至った。
そのおかげもあって、私は目指していた宇宙No.1アイドルに、皆を笑顔にさせる人になれた。言い過ぎかな?
でもμ'sのメンバー、家族、私を支えてきてくれた皆には、胸を張って誇れる。そんな、アイドルになれたと思ってる。
そんな私の全てはここから再び始まる。
さっき部活の友達と一緒にどこか行こうって、楽しそうな声が聞こえてきた。
昔の私は多分、余り良い気持ちにはなれなかった。
そんなことない? ううん、そうだった、私はこの時孤独だった。
強がりで壁を作ってしまって。
でも、大丈夫、これから私は––––
明るく輝く未来へ続く、第一歩。にこはゆっくりそのドアを開く。
そして視界に映ったのは……
「待ってたよ、にこちゃん!」
「ほ、穂乃果?」
にこを出迎えたのはμ's皆ではなく、穂乃果だけだった。
あの時と全く違う為予想が外れ目が点になっていたが、
「ちょ、ちょっと穂乃果!これどういう事よ!まずいでしょう!?」
現状を理解したにこは驚きと共に、彼女に近づいて叱る。
それもそのはず、穂乃果は過去を変えてしまったからだ。
もっとも過去を変えてはいけないと決まっているわけではないが、分からないからこそやってはいけないものだと、互いに認識してきた。だからこそ、この行為は叱るべきものであった。
「にこちゃん聞いて。言いたいことも分かるよ、こんな事しちゃっていいのかなって考えたよ」
その言葉を聞いて、少し落ち着いて考える。
叱る事も必要だろう。彼女は危なっかしい所がある。
けれど、誰かの為にと考えて行動する子である事は知っている。そう、だからこの行動にも理由があるのだろう。
私はそれを聞かなければならない、にこはそう直感した。
「でもね、どうしても。にこちゃんには安心して……ううん、それだけじゃない、笑って帰ってもらいたいなって思って」
「笑って?」
「うん。余計なお世話かもしれないって思ったけど、こうしなきゃって思ったんだ。ついてきて!」
「え、ちょ、穂乃果!あんた、一体何を!」
穂乃果はにこの腕を掴むと、急に走り出した。
一体どういうつもりなのか、その真意が分からないまま連れていかれた先は……
「屋上に行くの?」
屋上に続く階段の踊り場で穂乃果は走るのをやめた。
これから向かう場所は分かったが、どうしてそこなのか、それが分からない。
そんな時、混乱の中ある音楽が聞こえてきた。
「START……DASH?」
何度も聞いた、何度も踊った曲、『START:DASH!!』
静かな屋上で、ただそれだけが流れていた。
「にこちゃん、一緒に踊ろう?」
「な、何言ってるのよ!?私は、まだ!」
「それは何とか言えば皆納得してくれるよ!それよりも、今、私はにこちゃんと、皆と踊りたい!」
踊りたい。
にこもその気持ちがないわけではない。せっかくこの時間に戻れた、そんな奇跡が起きた。なら一度くらい彼女達と一緒に踊りたい。そんな風に思う事はあった。
けれど、だからと言ってその気持ちを認めてしまっていいものか。
その誘いを受けてしまっても……
「考えても、どうすればいいか分からなかったんだ」
「え?」
「にこちゃんに笑って帰ってほしい、そう思って色々と考えても何が良いのか、どれが正しいのか分からなくて。
そんな時浮かんだのが、あの時みたいに一緒に踊ろうって。
もっと良い方法はあったかもしれない、だけど私は、穂乃果はこれが良いって。
これが笑顔にできる事だって、そう思ったの!」
穂乃果はそう言って笑う。
タイムスリップした後様々な事を考えられる事を強いられた。
もちろん何も考えずに、あの時通り過ごしても良かったのかもしれない。しかしにこは考える道を選んだ。
何が正しいのか分からない毎日が続く中で、ようやく今日という日を迎えた。
少し空気を吸った。
懐かしい、昔私が通っていた学校の空気だ。
先程まで混乱していたし、今の瞬間まで難しい事ばかり考えてきた。
少しそれをやめてもいいかな、今の私。
今は穂乃果と、皆と笑顔で踊りたい。
屋上へと続く扉が開いた。
これが彼女にとって、矢澤にこにとっての本当の意味での第一歩となる。
「皆、にこ先輩連れてきたよ!準備はいい?」
流れている音楽を止め、再び巻き戻し、いつでも再生可能な状態にする海未。
ことりの指示の下、穂乃果が提案した『7人』で踊る隊形を作る花陽、真姫、凛。
そして全員が準備を終えた時、穂乃果は連れてきたにこの方を向いた。
「にこ先輩、さっき話した通りです。一緒に踊ってもらえますか」
「1度だけ、1度だけよ。ただし、全力で」
「ふふ、はい!もちろんです!」
にこと穂乃果も配置につく。
それを確認した海未は、再生ボタンを押した。
正直言って、今のμ'sメンバーのダンスはまだまだだった。
穂乃果は大丈夫だが、1年生は実際に踊った数が少ないし、海未とことりもにこが見た事のある2人よりもまだキレが悪い。
だがそれでも心から楽しめた。楽しんでダンスを踊ることができた。
未完成であっても、皆で踊る楽しさは絶対に変わらない。
絶対に変わることのない、大切なもの……
「にこ先輩!」
全員が良い汗をかいて、息を切らしていた。
たった一曲。その一曲に全力をかけた証拠だった。
それでも皆、疲れた表情ではなく笑顔に満ちていた。
「私達にはにこ先輩が必要です!だから、私達の、μ'sの!7人目のメンバーになってください!」
『お願いします!』
彼女達の目は、あの日と変わらなかった。
真っ直ぐで、輝いていて。 皆を笑顔にできる。
そう確信できた、最高の仲間になると思えた、あの時と同じ。
今の私も見ているはずよね。
この最高のアイドル、μ's達の顔を。
「厳しいわよ」
「分かってます!アイドルへの道が厳しいことぐらい!」
「分かってない。あんたは甘々、あんたも、あんたも、あんた達も!」
これから最高の時間が待ってるわよ、矢澤にこ。
「いい?アイドルって言うのは笑顔を見せる仕事じゃない、笑顔にさせる仕事なの。それをよーく自覚しなさい」
『はい!』
にこの言葉に全員が笑顔で答える。
そして7人目のメンバーが入った事で、全員がその場ではしゃいだ。
その中にはもちろん穂乃果もいた。
タイムスリップで悩んでるなんて思わせない程の爽やかな笑顔、これからまだまだ多くの出来事がある。けれど最後は多分今みたいに笑っているだろう、そう確信できた。
もう心配は存在しなかった。
「7人のSTART:DASH!!成功して良かったね!」
「えぇ、穂乃果が急に何を提案するかと思えば、にこ先輩といきなりSTART:DASH!!を踊ろうなんて……」
「あの時はできるかどうか心配でしたけど」
「とりあえず、無事できたから良かったんじゃない?」
「にこ先輩凄いにゃ!いつの間に覚えてたんですか?」
「え、ま、まぁ、何度も見てたから」
やはりそこをつっこまれたじゃないか、と穂乃果を見るにこ。
そんな彼女に明らかに誤魔化し笑いをする穂乃果。
計画性も何もありゃしない、と少し呆れた。
だがおかげで精一杯笑う事ができた。
心にできた隙間に何かストンと収まった気がした。
あぁ、もうこれで思い残す事は本当にない。そう確信した。
「それじゃあ早速、にこ先輩の名前も書いて、生徒会に書類を提出しよう!」
穂乃果を先頭に、
掛け声と共に元気よく追いかける凛、
慌てながらもついていこうとする花陽、
あまりの元気さに少しため息をつきながらも笑顔で追う真姫、
突然の掛け声に驚きながらも何とか付いて行こうとすることり、
階段は走っては危ないと注意しながら追う海未。
それぞれ個性的で、本当に面白い子達ばかりだ。
そんな事を思いながら、彼女達の後ろ姿を眺める。
「これから再スタート、か」
ふと見上げた空、1枚の白い羽根がゆらゆらとゆっくり落ちてきた。
それが示すものは何か、にこは分かっていた。
そしてそれを受け入れる準備もできていた。
「穂乃果、皆、本当にありがとう」
そう言うと、彼女はその落ちてきた白い羽根をしっかりと手に握った。
「にこちゃん、どうしたの?書類届けに行こうよー」
付いてきていないにこに気付き、他のメンバーには部室で書類を書いてもらっている間に、穂乃果が彼女を呼びにきた。
にこは空を見上げていたが、穂乃果に気付くと、軽く咳き込んだ後
「まだ私はにこ『ちゃん』って呼ばれ慣れてないから」
そう言った。
姿も声も変わっていない。
しかし、彼女のその言葉は穂乃果に彼女に変化があった事を伝えていた。
それに対し、穂乃果は少し驚きながらもすぐに笑って、
「にこ『先輩』改めてよろしくお願いします!」
元気よくそう言った。
そんな彼女を見たにこは、いつも通り笑って返した。
「えぇ、こちらこそよろしく、穂乃果!」