美女と野獣と剣と魔法のファンタジスタ   作:添牙いろは

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美女とか野獣とか

 突如闇の底から現れ、全ての人間を滅ぼさんと世界中を恐怖に陥れた魔王は、勇者の活躍により、再び闇の底へと沈んでいった。魔王によって地獄から呼び出された魔物は土へと還り、理性を持たぬ故に操られていた猛獣たちも、各々本来の生存活動圏へと帰っていった。

 魔王の侵略によって世界は荒れ果ててしまったが、それでも人間たちは、彼らの世界を、平和を取り戻すことが出来たのだ。

 それから三年、魔王の恐怖も徐々に薄らいでゆき、かつての姿に蘇りつつ街には、人々の穏やかな笑顔で溢れていた。

 

 市街地から少し離れた片田舎の農村ガライダール。人口こそ少ないが、肥沃な大地を持ち、そこに実る穀物によって人々は生計を立てている。

 この村の唯一の商店『虹の雫亭』は、村人たちから収められる農産物と、村の外から仕入れてくる日用雑貨の取引を一手に担っていた。

 そして、村の人々の生活の根幹を司る重要な拠点を支えているのは、まだ二十も満たない少女なのである。

 彼女の名はローラ。元は店の看板娘として家族の店を手伝ってきたが、両親は仕入れの途中、魔王の手の者によって殺害された。突然孤独な身となってしまった彼女だったが、父の店を守るために大人たちとも対等に立ち回り、一人で店を切り盛りしてきた。

 混乱に乗じて、店の商品を略奪されそうになったこともあった。親を失ったのをいいことに、店ごと乗っ取られそうになったこともあったし、可愛らしい容姿と明るい笑顔が仇となって村の若い衆に手籠めされそうになったこともあった。それでも、彼女がこうして心身ともに営んでこれたのは、『うら若き看板娘』とは別の、もう一つの顔のお陰である。

 

 日の出と共に店を開き、来客の波が引くのはお昼過ぎ。夕飯の用意のために買い出しに来る時間までは比較的業務に余裕があり、ここでローラは一息つく。

『休憩中』の札を外のドアノブに引っ掛け、その裏側で手早く昼食を摂るのが彼女の日課だ。今朝仕入れてきたばかりの葉野菜を、村の自慢の小麦を練って焼き上げたパンで挟み、白い丸皿に盛りつける。

 カウンターの下から愛用のティーポットを取り出し、丸皿の隣に置くと、開いた右手をかざして呪文の詠唱を始める。

「生命の源よ、集まりてその形を成せ」

 ぐっ、と彼女が握り拳を固めると、圧縮された大気中の水分が拳大の塊となってポットの上に現れる。そして、それは重力に従ってポチャンと器の中に雫一つ溢れず収まった。

 閉ざした拳を再び解き、先ほどとは別の魔法を詠唱する。

「天照らす光の力を彼の者に」

 机の上に置かれたティーポットの中の水から気泡が沸き、あっという間に湯気が立ち上り始めた。

 これに一匙の茶葉を流し込み、後はティーポットに綺麗な赤色が滲んでいくのを眺めるだけだ。この僅かな時間は彼女にとって安らげる一時なのだが、その静寂を破る残念なドアベルの音が店内に響き渡った。

(休憩中ってゆってんだから、少しは遠慮して欲しいなぁ)

 と内心思いながらも、商人たる彼女は、嫌な顔一つせず来客に応対するため食事の準備を中断して、ティーポットから顔を上げる。

 が、来客の正体を視認すると、彼女の営業スマイルはみるみる歪んでいくのだった。

 

 その日の夜、月明かりも届かない暗闇の中に、ローラの姿はあった。人目を避けるように頭からくるぶしまですっぽりとローブに覆われた彼女は、まるで真夜中の聖職者かのようだ。

 その手には行く先を照らすランプが下げられているが、深く被ったフードの奥の表情は、弱々しい光では窺い知ることはできない。

 辛うじて照らされる足下の傾斜と、膝まで伸びる草々によって、ここが山林であることは判る。が、一寸先は闇であり、夜目を持つ梟でもない限り、周囲を見渡すことは出来ないだろう。

 そんな深淵の中から、彼女は手頃な切り株を見つけ、そこに腰を下ろす。切り株の傍に火が消えないよう慎重にランプを置き、一息ついた。

 彼女にとってはようやく訪れた小さな休息。だが、この小さな光に誘われるように、ガサガサ、ガサガサ……と草木を掻き分けて近付いてくる音が聞こえる。闇からの刺客に彼女は恐れる様子はない。ただそれを受け入れるように、座ったまま待ち構えている。

 そしてついに、さざめきの正体は姿を現した。丸々太った腹肉を揺らし、その重量を支える逞しくも短い二本足は狼の毛皮を鞣した腰巻きによって覆われている。丈夫で立派な代物ではあるが、手入れが全くされていないようで、土埃にまみれ、毛並みもボサボサに絡まり合っている。

 おそらく、その背丈は彼女の倍はあるだろう。ローラの足下に置かれたランプの灯りでは、その異形の者の全容を照らすことが出来ない。しかし、その下半身を見ただけで、この者の質量はローラの倍どころではないことが判る。この汚らわしい巨体を前にしても、彼女は全く怯むことはない。顔の見えぬ怪物をキッと睨みつけると、凛然と言い放った。

「あのオッサン、ホントいい加減にして欲しいわ!」

 彼女の声に呼応して、巨大な尻肉は野草を下敷きに地響きを立てながら腰を下ろす。ここでようやく現れた者の全貌が明らかになった。

 腹肉に劣らぬほどたわわに垂れ下がる胸肉。丸太のような両腕。そして、両目は顔の前面ではなく、最早側面に位置しているといえるほどかけ離れ、その間に聳える鼻は大きく突き出している上、鼻の頭は押し潰されたように平らになっている。

 その人間離れした容貌は、まさに豚そのものだ。しかし、豚と呼ぶにはあまりに大きく、その腕が一度振り下ろされれば、ローラの華奢な身体など、軽々と吹き飛んでしまうだろう。

 そんな相手に彼女は一歩も引き下がらない。

「村長だからって融通してれば調子に乗ってさ! 今度の依頼は流石に無茶苦茶だわ!」

「ブヒブヒ」

 豚の化物は、豚らしい鳴き声で彼女に応じる。

「よりにもよってマイラトームと徹底的にやり合うだなんて……ちゃんと聞いてる!?」

「聞いてるブヒ」

 豚の鳴き声を交えながら人間の言葉で返す化物に、彼女の怒りは頂点に達した。身に纏っていたローブの奥から飛び出した細い腕はしなるように化物の頬を打ち付ける! ペチンッと肉に平手打ちした音は情けないほどか細い。木々のざわめきにも及ばず、山林の暗がりへと吸い込まれていった。化物にも動じた様子は全くない。

 そんな己の非力さに苛立ちを抑えきれず、ローラは目の前の豚の化物相手に感情的に当たり散らす。

「その語尾やめて、ってゆったでしょ! 鬱陶しいわ!!」

「これは、オークたる我々と、人間たる貴女の立場の違いを弁えていただきたく、あえて付けたのですが……」

 それまでの豚のような濁った声ではない、まるで彼女と変わらない人間の若者のような透き通った美声で、オークと名乗る豚の化物は丁寧に彼女を諭そうとする。

「わぁーってるわよ! あたしだって何とかこの『副業』やめて、お店の経営に集中したいっちゅーねん!!」

 副業、それは『魔物使い』としての仕事である。が、彼女には特別な血筋が流れているわけではなく、人ならざる者たちと言葉を交わす特殊能力を持っているわけでもない。

 

 彼女とこのオークの出会いは五年前まで遡る。それは、人間と魔族の戦争の真っ只中だった。

 人類の存亡を賭けた戦いの中、彼女は私怨に駆られて、この山地に足を踏み入れた。両親の敵を討つためだ。

 猛獣が出るから、と村の掟で近付いてはならないとされる山だけに、彼女はすぐさま豚の化物と遭遇する。

「お父さんの……お母さんの敵ーーー!!」

 台所から持ち出した包丁を二足歩行の豚を目掛けて付き出した! 彼女なりの全体重を乗せた一撃は、豚の腹に深々と突き刺さった。

「よくもお父さんを……! お母さんを返せっ! 返せよーーーーー!!」

 刺された腹から血を流しながらも、化物は斃れない。こんな一刺しで斃れるようなら、端から人間は彼らを恐れたりはしない。

 化物の目と鼻の先で、彼女の命は風前の灯火だった。しかし、悔いは無い。ここで死んでも、両親に逢えると信じていた。一矢を報いたと誇るつもりだった。

 しかし、豚の化物からの反撃は、彼女の身体を打ちのめすことはなかった。

「ゴ……メ……ン……」

 牙の生えた喉の奥から漏れてきたのは、彼女もよく知る謝罪の言葉だった。

「ゴ……メ……ン……」

 意外な反撃は、彼女は身体ではなく心を打ちのめされ、思わず包丁から手を離す。

「謝るなら……最初からお父さん殺すなよ! 何でお母さんを殺したんだよ!」

 未知の恐怖に後退りながらも、ローラはオークへの殺意を緩めない。

「ワ、タ、シ、ノ、ム、ス、メ……シ、ン、ダ……」

 オークの言葉を理解して、ローラの中に次第に罪悪感が湧き始めた。

「ニ、ン、ゲ、ン……ム、ス、メ……コ、ロ、シ、タ」

 ここで、ローラは自分の行いがいかに愚かだったか思い知らされた。自分の両親を殺したのはこのオークではないし、オークの娘を殺したのも、自分の両親ではない。

 自分のしたことは、単なるやつ当たりだった。それも、一歩間違えば取り返しの付かないくらいの過ち。

 彼女は泣きながらオークに謝り、ここで待つように伝えた後、村に戻った。そして、決して安くもない売り物の医療品を持って、オークの傷を癒やすのだった。

 

 それから、彼女はこのオークに『アレフス』と名付け、オークのアレフスと人間のローラの交流が始まった。

 アレフスは、かつて人間が山中に忘れていった荷物の中に残されていた加工食品を一口食べ、その深い味わいにすっかり魅了されてしまった。

 それ以来、人間に興味を持ち、何とかして人間から食べ物を得られないかと、人間を観察しているうちに、カタコトの言葉を覚えたらしい。

 ローラはお詫びの印として、アレフスに人間の食料だけでなく、書物や、衣服などを与えた。アレフスはその知識をみるみる吸収し、腰巻きの暖かさに感動した。

 アレフスを通じて、ローラも彼らのことを知ることになる。

 人間たちが害獣と忌避しているオークたちだが、決して理性を持たない野獣ではなかった。彼らは彼らなりの知恵と秩序を以って群れを作って山の中で生活している。但し、一度人間が彼らの縄張りを荒らそうとするならば、それは人間離れした腕力で徹底的に排除し、時には勢い余って人里まで乗り込んでしまう者もいたようだ。それでも、積極的に人間と敵対する意思はなかった。

 お互い、知らなかった文化を知り、交流を深めていたが、ある日、その様子を村の青年に目撃されてしまう。

 ローラは、アレフスの素性を知っている。しかし、この若者は知らない。

 危険だといわれる山の麓で相対しているこの両者を見て、彼はローラがオークに襲われているものと思い込んだ。そして、ローラにいいところを見せるため、男を上げる好機だと錯覚し、手に持った鍬を振り上げて、オークに向かって一直線に突き進んだ!

 さすがのオークも、凶器を持った人間に襲われては堪らない。立ち上がって臨戦態勢に入る。

 この一触即発の緊急事態に、少女は思わず叫んでいた。

「伏せ!!」

 アレフスに向かって、その手を振り下ろした! アレフスも人間の本から、これが犬の躾の一種だと知っていた。ゆえに、甚だ不愉快であった。しかし、状況が状況だけに空気を読んでこの場を丸く収めるために、あえて地べたに突っ伏した。

 このやり取りを見て、血気盛んな青年は何が起きたのか解らず、混乱のあまり振り上げた鍬を手を滑らせて落としてしまった。

 行き場をなくした若者の勢いは急速に衰え、緊張の糸が切れるのと同時に、彼女の前に膝をついた。

「ローラ! 何なんだよコレ!? どうやったんだよ!!」

 成り行きとはいえ、オークと男の二人を平伏させた彼女は、つい気が大きくなってしまった。そのノリで大ボラを吹いてしまったのだ。

「実はあたし……魔物使いなんだよ!!」

 

 一歩間違えれば、彼女は魔王の手先として断罪されたかもしれない嘘だった。しかし、彼女には、若く麗しい美貌があった。皆から好かれる愛嬌と健気さがあった。そして、村の生活を担ってきた信頼があった。

 これらが合わさって、彼女は『良い魔物使い』として、衆目を集める存在となった。

 当時、人間の村には、オークを恐れるあまり、殺される前にこちらから根絶やしにするべきだ、という過激派が少なくなかった。一方のオークの集落でも、魔王の瘴気に当てられて、手当り次第に荒れ狂っていた者もいたらしい。

 この両集落の架け橋となるべく、アレフスは同胞を宥めて回った。ローラはアレフスに村の力仕事を手伝わせた。彼女はその力を独占すること無く、村人たちからの依頼も聞き入れた。

 表では魔物使いとしてオークを使役させているように装い、裏では人間の食べ物をご馳走することで、この関係を保っていた。アレフス一人だけに手伝わせている限りは、上手くいっていた。

 

 この夜、アレフスはローラが手ぶらでやって来たことを不自然に感じた。彼女も商売人の端くれだ。報酬もなしに自分に仕事を依頼しに来るとは思えない。

 察するに、今回の仕事は自分一人では済まない話であり、つまりは……

「また、”我々”の力を必要とするのですか?」

 自分一人の助力で済む事案であれば、アレフスも構わなかった。人間の食べ物を持って帰れば妻も喜ぶし、来たる厳しい冬も、人間が鞣してくれた毛皮があれば穴倉でも寒さに震えることもないだろう。ローラに融通してもらえれば、先日新たにもうけた我が子を飢えさせることもなさそうだ。

 しかしそれは、彼の一家だけで収まるからこそ許される『贅沢』だ、とアレフスは考えていた。たが、人間は彼が思う以上に強欲で、自分勝手な生き物だった。

「実はあの水害以来、村長のヤツ調子に乗っちゃったみたいでねぇ……」

 

 それは、前の夏のこと。ガライダールに前代未聞の嵐が迫っていた。暴風と豪雨を伴う異常気象は、全てを薙ぎ倒しながら、ガライダールに近付いてくる。聞いたこともないような大災害に、村人たちは絶望した。魔王が消え去り、田畑もようやく整い、今年こそはついにかつてのような豊作が期待できる、と熱望していた矢先の悪天候だったからだ。

 地域一帯の天候を操作する大魔法も世の中には存在する。が、この村にはそんな高尚な魔法使いどころか、文字を読める者すら疎らで、人智を超える能力を持ち得るのはローラただ一人だった。

 この時村長は初めて、『魔物使い』としての彼女に仕事を依頼した。自分の人生の半分にも満たない幼い少女に対して、初めて頭を下げた。屈辱に顔を歪めながら。

 無茶な願いであることは、誰の目にも明らかだった。しかし、村全体の頼みでもあるし、ローラ自身もどうにかしたかった。

「アレフス、アンタ『空』の魔法使えたでしょ。あの雨雲、何とかならない?」

『空』の魔法は『空間』を司る。物体を転移させたり、消し去ったりする壮大な力であり、人間でも扱える者は限られる。かの勇者も『空』の魔法を駆使して魔王と渡り合ったと伝えられる。

 そんな高レベルな魔法を、つい数年前まで言葉すらまともに喋れなかったオークたるアレフスが扱えることについて、ローラは納得しがたいものはあった。

「こういう時はローラ、貴女の『水』魔法の方が有用ではないですか?」

「うっさい! あたしはもう魔法の勉強は辞めたの!」

 彼女は、アレフスが興味を示した『魔法』を、彼と共に学んでみた。しかし、才能の差は歴然としており、一緒に練習を始めた『火』の魔法にローラが悪戦苦闘している間に、彼は躓くことなく基本をひと通り修め終わり、希少属性たる『空』に加えて、人の身体能力や治癒力に作用する『識』の属性まで習得してしまった。

 この現実は、村で唯一魔法を使えるようになったというローラの自信を根本からポッキリとへし折った。結局火を点けることもできないまま、物を『熱する』だけで火の勉強を投げ出し、続いて手を出した水の魔法も、コップ一杯の水を生み出せたところで魔法の勉強を止めてしまった。商売人は商売人らしく、金勘定を学ぶべきだ、と気持ちを切り替えて。

「そうなのですか……。人の叡智の結晶たる魔法学の修練を止めてしまうとは、私には些か勿体無く思えるのですが」

 アレフスは、それからも一人魔法の修練を積んでいるようだ。

「経営学だって人の叡智の結晶だっちゅーねん!」

「そういう意味では、知識を後世まで広く伝える書物は、須く人類の宝だと、私は思いますね」

 魔法学も、経営学も、文書によって前世から引き継がれてきたものだ。オークの社会には文字も数字もない。その場限りを生き、それを積み重ねる手段がなかった。オークに学ぶ知性があることは、アレフスが証明している。しかし、何度かオークの社会に文字を普及させようとしたものの、日々の中で食べる役に立たない学問は、オークの社会には受け入れられなかったようだ。人間でさえ、文字を扱える者は多くない。アレフスが特別勤勉なのだ。

「んでね、人類の宝たる伝承の本によると、こういう嵐によって滅んじゃった村もあるようよ。村が滅んじゃうとアレフスも困るでしょ? ホント何とかならない?」

 滅んだなら滅んだで仕方ない、とアレフスは思う。過去からの積み重ねがなく、その日暮しのオークにとって、過去からの遺産にはそれほど気を払わない。彼女からの人間文化の恩恵を受けられなくなっても、それは仕方のないことだと簡単に割り切ることはできる。

 しかし、彼は人間の文化も理解していた。彼らは積み重ねることで生活を豊かにすることを幸福だと感じ、これまで発展してきた。出来ることならば、何とかしてやりたい。

 ローラには『今回だけは特別』と念を押した上で、アレフスはオークの仲間たちに助力を求めた。彼らは一丸となって嵐の中で水路が決壊しないよう水門を支えた。危険な作業ではあった。しかし、彼らは人間と身体の作りが圧倒的に異なる。

「ブヒブヒ(冷たいなぁ)」

「フゴッ!?(痛ェ! 今なんかぶつかったぞ!?)」

 人間では抗うことすら叶わず押し潰されてしまうような濁流の中、超重量を持ったオークはしっかりと底に両足で踏ん張り、人間に衝突すれば大怪我を負うような漂流物も、苦言一つで耐えきった。

 そして、嵐は去った。

 多くの作物が強風に煽られたが、全てを洪水で流されるという最悪の事態だけは避けられた。

 他の村々の惨事を耳にしていた農民たちは、戦々恐々と畑の様子を伺ったが、驚くほど健在な自分らの作物たちを見て、ローラに対して拍手喝采の大称賛を送った。

 オークたちに対する報酬は膨大だったが、このまま収穫を迎えられれば、この比ではない収益を得られるだろう。人々からの賛辞に包まれて気を大きくしていたローラは

(アレフスも今回だけ、ってゆってたし)

 と、これを特別な好機と捉えて、割増して村長から報酬を請求したりしていた。

 この時、才覚はあれど、経験に乏しい彼女は気付いていなかった。人は、高額な支出を伴うと、逆に『金さえ払えば相手は何でも言うことを聞く』と錯覚することに。

「橋の改築を依頼したい。金なら払うぞ」

「建設資材の調達を頼めんかな。金なら払うぞ」

「マイラトームまでの護衛を頼みたいのだが。金なら払うぞ!」

 村長は、ローラの『魔物使い』としての能力を、我が物顔で使役するようになっていた。夏の嵐ほどの大規模な依頼はなかったので、これまではアレフスの一家だけ何とか完遂することはできていた。

 しかし、今夜の依頼は一家では収まらない大事業であり、最悪の所業であった。

 

 それは、隣町マイラトームとの全面戦争に、オークたちの力を借りたい、とのことだったのだ。

 

 これには、アレフスも呆れて言葉もなかった。

「……かつて、魔王が自分の都合で人間に戦いを挑んだように、今度は貴女の村が魔王となるつもりですか?」

 化物を率いて人の街を蹂躙するなど、人の所業ではないことはローラも解っていた。

「とはいえねぇ……仕方ないところもあるんよー……」

 今回の大嵐で、近隣の農村は壊滅的な大打撃を受けた。それこそ、古文書にあったように、村自体が存亡の危機に瀕しているところもある。

 そんな中で、ガライダールだけは、比べ物にならないほどの軽傷で『済んでしまった』のであった。

 深刻な食糧不足の前に、各村々はとある一つの村に標的を合わせた。皆が空腹に苛まれようとしている時に、一つだけ裕福に食料を抱え込んでいる村に。

「やはり、我々の力は行使すべきではなかったのかもしれませんね……」

 アレフスは歴史書も多数目を通していた。人類は繁栄を求め、互いに力を蓄え、その均衡が崩れた時、人間同士で殺し合い、奪い合うことを繰り返してきたことを知っていた。自分がその火種になってしまったことを、とても申し訳なく思った。

「でも、みんなで不幸になるより、誰か一人でも助かった方が希望はある、ってあたしは思うよ」

『希望』。オークにはない概念である。この考え方に、アレフスは興味を惹かれる。が、惹かれた上で、アレフスはその希望の一部を潰さなくてはならない。

「申し訳ないですが、今回は我々を動員することは難しいですよ。何故なら、今は『実りの秋』ですからね」

 オークは今を生きる。過去を振り返らない。あの夏頃と異なり、今は山の幸に溢れていて、わざわざ他所から食べ物を得る必要を、オークたちは感じていないのだ。

 人間と違って、その時、目の前に食べ物があればそれでいい。それが、オークの生き方だ。

「ああ、うん。それはいいよ」

 ローラも隣町と戦争したいなんて思っていない。村人たちも、誰一人としてそんなことは望んでいない。魔王が去り、ようやく安心して農業に従事できるようになったのだ。何が悲しくて鎌を剣に持ち替えねばならんのだ。持ち回りで村の警備は行っているが、『外周や村長の家で槍持って突っ立ってる暇があったら農作業に戻りたい』というのが当番の本音だ。

「では、貴女の言う『希望』とは、何ですか?」

「それを相談しに来たんだよ! 戦争を『未然』に防ぐ方法だよ!」

 意気揚々と立ち上がると、彼女の足下でカチャンとガラス瓶が転がる音がする。それと同時に、辺りは真の闇に包まれた。ローラには目の前に座っていたはずのアレフスの巨体すら見えない。

「ぎゃあ! ヤッバ! お願いアレフス!」

 闇の中の唯一の光すら自分自身の手で消してしまうローラの危うさに一抹の不安を抱きつつも、オークの夜目でランプを手に取り、アレフスは呪文を詠唱する。

「地に渦巻く紅き大蛇よ、その尾の欠片を我の手に」

 指先に灯った火の玉がランプに燃え移り、ローラの瞳を再び赤々と照らし始めた。

「ん、ありがと」

「このくらい自分で出来るよう、『火』の勉強を……」

「いらんっちゅーねん! あたしはお店で忙しいの!」

 彼女が誇る『商才』でこの事態は救えるのだろうか? 前途多難な未来を感じつつも、アレフスは今出来ること、今すべきことを彼女に指し示すのだった。

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