美女と野獣と剣と魔法のファンタジスタ   作:添牙いろは

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野獣は野獣に

 商人同士の約束は、非常に強固で、それでいて脆い。たった一枚の紙切れに記されたサインが、両者の運命を左右してしまうこともある。それどころか、今回は二人だけに留まらず、二つの集落を丸ごと巻き込む大惨事となりかねない。

 この問題は自分の不始末だ、とローラは自責の念を強く感じていた。老齢で現場を引退した村長が、まさかこんな商人の真似事に手を出すとは思ってもいなかった。そういうことは、先ず自分に話してもらえるものと信じていた。村長にとって、自分が相談に値する相手ではないと判断されたことは、未熟の至りだ。

 だから、これは自分の手でケリを付ける、と決めていた。アレフスに手伝ってはもらうが、最後は自分が痛みを負わなくてはならない。それが、ローラにとってのケジメだった。

 

 ゆえに、今回の作戦を話した時、アレフスに賛同は得られなかった。

「質量操作もせずに、二階から飛び降りるなど、人間の貴女には無理です! 一つ間違えば死に至る危険性もありますよ!」

 アレフスの空魔法を使えば、村長の部屋に忍び込むことは容易い。しかし、今度は漠然とした情報収集ではなく、村長が持つマイラトームとの契約書を破棄する、という明確な目標がある。昼間のような体たらくでは、羊皮紙一枚引き千切るのも難しい。

 ならば、質量はそのままに目的を果たし、脱出は……飛び降りるしかない。人間としての質量のまま、重力に従って。

「なぁに、大丈夫よ。即死しなければアレフスの魔法で治してもらえるでしょ?」

「そういう問題ではありません! 私のところまで逃げてこれるかも判りませんし、打ちどころが悪ければ後遺症が残ったり、最悪治癒が間に合わないかもしれません!」

 ローラは、アレフスの大きく岩のような指先を両手で包み込み、左右に離れた彼の両目を交互に見つめる。

「お願い。やらせて。あたしがやらなきゃいけないの」

 ここで自分が協力しなければ、それこそ自力で乗り込んで、より危険な行為に及ぶだろう。説得は無理だな、とアレフスは諦観した。

 今の彼女に、かつて自分を刺した時の自暴自棄の色はない。命に替えてもやり遂げる覚悟と、その上で生き延びようとする強い意思を、彼女の瞳からは感じられた。アレフスは、彼女が無事自分のところに帰ってくることを祈って、ローラの案を承諾したのだった。

 

 

 その日の晩、二人は早速実行に移す。ルビトの言い分から察するに、既にあの無茶で幼稚な関税契約は結ばれた後であろう。この情報が外に漏れる前に、全てを終わらせなくてはならない。彼女の信頼が失墜することは、彼女一人だけの問題に留まらないのだから。

 ローラは、黒のワンピースを着て、無駄に広い町長の屋敷の裏手に回る。

「二階のあの部屋が村長の書斎のはずなんだけど、飛ばせる?」

 裏庭にも高い外壁が聳え立っている。とはいえ、直線距離さえ届けば、間にどんな障害物があろうが空魔法の前ではその意味を成さない。

「本当に大丈夫ですか? 収納に鍵などかかっていませんか?」

「大丈夫。そんな家具納品してないから」

 調度品の入荷も全てローラが担っていた。ゆえに、手当り次第に漁れば必ず見つかると信じていた。

「では、いきますよ。ローラ……ご武運を」

 足下の小さな少女に手をかざし、目を閉じる。

「我が地よ、彼の地よ、神の理を超え、共にあらん……」

 ローラは、今度は忘れずに右手で黒い布地を握りしめたまま、アレフスの空魔法の詠唱を聞いた。

(ありがとう……必ず戻るよ……!)

 次の瞬間には、頼もしいパートナーはどこにもいない。あるのは白い壁に囲まれた密室だけだ。

(早く探さなきゃ!)

 自分の足下を映すピカピカの大理石が敷き詰められたこの部屋は、来賓を招く際にも使われるらしい。書斎につきものの巨大な机だけでなく、同じくらいどっしりとした応接テーブルは、ゆったりとしたソファに挟み込まれている。

(他には……?)

 本棚や引き出しはいくつかあるが、そんなところに大切な書類を仕舞うだろうか? 応接間も兼ね、代わる代わる様々な人が行き来するこの部屋の、簡単に触れられるような場所に保管するはずがない。

 ローラ自身、契約というものの重さは熟知している。今でも、大きな取引の前日は食事も喉を通らないこともある。商売に慣れていない村長なら、その緊張は自分の比ではないだろう。

 ならば、この中で触れる人間が最も少ない場所、変化があればすぐに気付く場所といえば……どう考えても書斎机だ。

 袖机の前にしゃがみ込んで、手早く一つ一つ開けていく。上から一つ、二つ、と引いては覗き込み、三つ目を開けると、中には書類の束が詰まっていた。

(この中に……!)

 祈りながら、一枚一枚内容を確認していく。納税の領収書、ローラの店からの納品受領書……

(……あった!)

 マイラトーム町長と交わした関税に纏わる書類を、ローラは予定通り見つけ出した!

 しかし……

(ぎえぇ……っ!?)

 その中身を見て、ローラは吐き気を催す。書面慣れしていない辿々しい言葉遣い。狂気とも思える条件。そして、屈辱に震える手で記されたマイラトーム町長のサイン……。

 ローラの目には、これは契約書には見えなかった。もしこれが契約書だとしたら、商売人を馬鹿にしているとしか思えない! これは、ただの脅迫状だ!

(こんなもの……塵一つ残しちゃいけない!)

 バラバラに破り散らかしただけでは生温い。絶対に修復できないように灰にしなくてはならない!

 証書を怒りの握り拳で掴んだまま、アレフスの待つ屋敷の外へと飛び降りるため、これから襲い来る激痛にも恐れず立ち上がった。

 が、しかし、机の影から顔を出したローラは、そこにあるはずのない者の姿を見る。

(どうしてこんな時間に……)

「貴様! 何者だ!!」

 その不快な嗄れ声に、ローラは不測の事態を認めざるを得なかった。

(何で村長がここにいるの!?)

 音もなく部屋に現れたのは、見間違いようもなく、寝間着姿の村長だった!

 ローラは、根っからの商人である。ゆえに、農民が抱く『心配性』を見誤っていたのだ。

 人間が相手の商売人と異なり、農民は大自然を相手にする。雨が降れば根腐れしないか心配し、風が吹けば苗が薙ぎ倒されないか心配する。陽が照れば旱魃を憂い、雲が覆えば暖かな光を乞う。

 全ては天の采配を待つしかない。そんな不安に震え続けるのが、土と共に生きる農民なのだ。

 その農民の長は、マイラトーム町長に突きつけた見積書を紛失しないか不安で仕方がなかった。この契約書は、彼の余生も同然だからだ。

 持ち歩けばどこかに置き忘れていないか心を砕き、夜になれば書斎に盗人が入らないか、気が気でなかった。その心痛のあまり、毎晩応接テーブルの裏に布団を敷いて就寝する程に!

 そして、村長の不安は的中してしまったのだ!!

(ヤッバ! 窓は……向こう側!?)

 脱出口を背にして、飛び掛からんとする勢いで迫ってくる村長相手に、ローラは一戦交える覚悟を決めた。

(左手でも……いけるかっ!?)

「生命の源よ、集まりてその形を成せ!」

 詠唱の完了と共に彼女は手の平を閉じる。魔法の力によって生み出された水の玉は、ローラが拳を突き出す先、村長の進撃を遮るように床にぶち撒けた。

 ゴッ!! 大理石に浮かぶ水溜りは容赦なく村長の足を掬う! 反転するかの勢いで衝突した後頭部が部屋に鈍い音を響かせる。

「ぐあっ!?」

(よしっ!)

 頭を押さえてのたうち回る村長を躱し、窓へと辿り着く。が、施してあるはずの錠が見つからない。

(まさか……はめ殺し……!?)

 押しても叩いても、そのガラス戸は開く気配すらない!

(嘘でしょ……!? 何の冗談よ……!!)

「まだだ……まだ終わらんよ……!」

 背後では気を取り直した村長が頭をグラつかせながら応接机まで這いずっていく。

「貴様、マイラトームからの刺客か!」

 叫びながら、テーブルの天板の裏から取り出したのは……!

(猟銃!?)

 銃口を突きつけられた彼女は、それに向かって咄嗟に左手を突き出す。

「天照らす光の力を彼の者に!!」

「あっ!? 熱ッ……!!」

 冷たい鉄の筒は瞬時に熱の塊となり、村長の手から離れる。

 しかし、事態はそれだけでは収まらず……

 バォンッ!

 銃に仕込まれた火薬が熱によって爆ぜ、鉛の弾丸を意図せぬ先に解き放った!

(ヤッバ!!)

 思わず頭を抱えて伏せるローラだったが、炸裂音が過ぎて顔を上げた時、変わり果てた窓ガラスの様子に気が付いた。

(ヒビ……! イケる……っ!!)

 埋め込まれた黒点からは、そこを中心に細かな白い筋が幾重にも走っている。考えるより先に身体が動いた。鈍く輝く蜘蛛の巣に向かって、ローラは全体重を乗せて飛び込んだ。

 ガシャアアアアン!!

「っ……痛ぅぅぅぅ!!」

 身体を守るように抱え込んだ両腕両足に鋭い痛みが走る! いくらかガラス片も刺さってしまったようだ! しかも、次に待つのは自由落下! 落下の衝撃に備えてローラは身を竦ませる……!!

 

「我が地よ、彼の地よ、神の理を超え、共にあらん!」

 

 浮遊感の中で、ローラは気を失ったのかと思った。が、意識はハッキリしている。彼女の目には見慣れた豚っ鼻がしっかりと映っていたのだ。

「お疲れ様でした。ご無事で何よりです」

 アレフスは彼女の手から羊皮紙をひょいと取り上げると、

「地に渦巻く赤き大蛇よ、その尾の欠片を我の手に」

 ボッ、とそれを火の玉に変えた。そしてそれは、一筋の黒い煙となって夜の闇夜に吸い込まれて消えた。

「無事……ねぇ……? これが無事に見える?」

 強がっては見ても、彼女手足は鋭い破片に切り裂かれ、今も血が滴っている。

「生きとし生ける者に宿りし魂よ、その器をあるべき姿に」

 ローラは無骨な腕の中で温かなものが湧き上がってくるのを感じた。そしてそれは、彼女の身体の真紅の筋をみるみる閉ざしていくのだった。

 これで失血はないが、刺さったガラスは……と両腕を眺めるが、光る破片は一つもない。

(あー……さっきの空魔法で右手の契約書以外は全部置いてきちゃったのねー……)

 便利なもんだわ、と感心したところで、ガラス片と一緒に大切なものも剥ぎ取られたことに気がついて、慌てて縮こまる!

「服っ! 服! どこよ!?」

 アレフスは、やれやれ、と人間の習性に呆れながらも、本来彼女が落下するはずだった窓の下まで彼女を担いでいくと、尖った破片を踏ませないよう、慎重に場所を選んで彼女を下ろした。

「服! 良かった! 着れそう!」

 彼女が黒い土の床から黒い布地を拾い上げたのを確認して、最後の詠唱を始める。

「我が地よ、彼の地よ、神の理を超え、共にあらん」

「へ? ……アレフス……何で……!?」

「さようなら。どうか達者で」

 別れの挨拶も聞き終わらぬうちに、ローラは高い塀の向こう側へとその身を移されていた。

「アレフス! コラ! アンタ何考えてんの!?」

 壁の向こうから聞こえてくる罵声に、アレフスは答えない。

 ローラは自分のことに必死で、何故アレフスが敷地の内側にいたのか考える余裕はなかった。

 

 ローラを送り出した後、アレフスは堂々と正面から入ってきたのだ。但し……

「古の炎龍よ、その牙を今一度現世に刻まん!」

 アレフスの手の中から轟音と共に灼熱の大剣がその姿を現す。その一閃を打ち下ろされた鉄の大扉は、熱と、鋭さと、彼自信の怪力によって真っ赤に砕かれる。その破片は無数の焔玉となって舞い散り、周囲の木々も赤々と染めていく。

「なンだ今の音……って火事だーーー!」

「消せっ! 消せーーー!」

 秋の夜は冷えるから、と館の中でうたた寝していた警備係が飛び出してくるより先に、アレフスはローラが飛び降りてくるであろう裏庭に待機していたのだった。

(事の発端は我々がしでかしたこと。ここは私の手で締めるべきでしょう)

「ブオオオオオオオオオォォォォン!!」

 大地を震わすオークの咆哮! 自分はここだ、と村中に知らしめるものだった。

 正面の火災に、館の警備係は大混乱に陥っていたが、この叫び声を聞けば、そこに集わざるを得ない。

 アレフスには、ローラとは別に、自分なりの引け目を感じていた。

 今回の襲撃はオークによるもの。全ての罪を自分負ったまま警備兵によって倒されれば、それでこの事件は収束する。彼女が現場に居さえしなければ、得意の話術で誤魔化すことは容易だろう。

 槍を持った警備兵が続々と集まり、アレフスに向かって鋭い切っ先を向ける。ここで下手に人間を傷付け、怨嗟を生むのは本懐ではない。

「ブオオオオゥ!」

 アレフスは威嚇するように鼻を鳴らす。決して自分からは手を出さず、人間たちの勇気を待つ。

「コラ! 警備係! 早くやらんか!」

 二階の割れた窓から、恐る恐る、顔を半分くらい出した村長が村人たちに発破を掛ける。

「やるって……このオークをです……?」

「捉えて会議に掛けます? 余所者どころか、人ですらないンですが……」

「こンな化物と戦って怪我でンしたら、明日からの作業に支障が……」

 槍を持っただけの農民は、誰も彼も槍を向けたままオークに近づこうとしない。

 人間の愚かさ、いや、賢さと称するべきかもしれないが、ともかく、アレフスの思い通りに事は進まなかった。人間たちと向かい合ったままフゴフゴと鼻息を漏らすばかりだ。

 この均衡を破ったのは、少女の叫び声だった。

「伏せーーーーーーっ!!」

(どうして戻ってきたのです……!?)

 こんなことなら、ちゃんと自分の作戦を話すべきだったか、いや、話したところで聞き入れてもらえるはずもない。

 しかしここは……『魔物使い』たる彼女の命に従うべきなのか……!?

 アレフスは威嚇を止め、言われたとおり、両手を地面に突いた。

 颯爽と現れた黒衣の魔物使いは、うつ伏せに這いつくばるオークの耳元に顔を近づけ、そっと呟く。

(バカアレフス!)

 アレフスは、彼女の苦言に片目を閉じて応える。

(勝手にさよならなんて……しないでよ)

 喉を震わせながら訴える彼女のために、今度は両目を閉じる。

 目尻に涙を溜めながら、ローラは初めてアレフスの頭を撫でる。今まで高く、手の届かなかった耳に触れると、むず痒そうにピクピクっ、と震わせる。

「山に……帰りなさい!」

 彼女の一声に、アレフスはガバッと立ち上がり、獣らしく四本足で駆けていく。

「さよーーーーーーーーーならーーーーーーーーー!!」

 アレフスは振り返らない。使役される魔獣として、ただただ彼女の命に準ずる。

 走り去っていくアレフスを見送りながら一筋だけ涙を零したが、それを手の甲で拭って、村人たちの方に向き直る。

「オークの遠吠えが聞こえたから慌てて来てみたけど……何があったんです?」

 巨獣の姿が見えなくなったことで、警備担当たちはようやく安堵の表情を浮かべる。

「あ……やぁ、ローラちゃんが来てくれて助かったよ!」

「突然オークが現れてねぇ。どンなることかと思ったわ」

 そこに、地上の危機は去ったと見た村長がようやく下りてきた。

「ローラや……あのオークは一体……む? その出立ち……まさか……?」

 侵入者と同じ黒服姿のローラを訝しんだが、

「どうしました? これはあたしの『パジャマ』ですけど?」

 部屋着には違いないが、彼女はシレッと半分くらいの嘘を吐く。

「でンも、何で畑でなく、村長さんのとこに来たンだがな?」

 何気ない村人の呟きに乗じて、ローラは村長に釘を刺す。

「さっきのオーク、本当に野生ですかねー? もしかしたら、他所の街にもあたしと同じような魔物使いがいるのかも……?」

 そんなことは考えもしなかった村長は、マイラトームにもローラと同じ能力を持つ者がいる可能性に見を震わせた。

「村長さン、他所でなンかしたンか?」

「せ、せ、せんわ! するはずがあるまいっ!」

 明らかに何かした顔で、村長は真っ青になってブルブル震えている。

 ローラの父の生前、村長は何度か父の商売に対して強欲に干渉しようとしてきたが、父は全く取り合わなかった。その父がいなくなり、小娘程度なら出し抜ける、と勝手に交渉を進めようとした村長だったが、何故ローラの父が応じてくれなかったのか、この夜襲で我が身を以って理解した。

 商売人による商売の枠を超えると、その外側による実力行使が待っていようとは、村長は知りもしなかった! そのギリギリを渡り歩く商売人とは、何と豪気な生き物だろう! 自分には到底真似できぬ! もう二度と手を出すものか!

「ロ、ローラや……これからも取引は、そなたに任す……。この村を……どうか、この村を栄えさせてくれ……」

「はいっ、それがあたしの役目ですから!」

 

 それでは、明日もお店があるので、と後片付けは警備担当の方々に任せて、ローラは一足先に失礼させてもらった。

 強大な力で砕かれた鉄扉を潜り、友が走り去っていった、誰も近付かない魔の山を臨む。

「今まで本当にありがとう……さようなら……」

 一人になった時、ローラは商売人でも、魔物使いでもなく、ただの少女に立ち戻る。年端もゆかない彼女の瞳は、もう涙を留めることはできなかった。

 

 

 この事件を機に、村長はローラに魔物使いとしての仕事を依頼することはなくなった。彼女自身もその仕事を事実上廃業し、帳簿との格闘に専念する日常を送っていた。

 ただ、彼女の身の回りで時折不思議なことが起こった。

 先日も、古くなった塀を塗り直すために資材を外に置いておいたところ、一晩明けてみると、やりかけだったはずの壁の修復が、誰かの手によって完全に済まされていたのだ。

 それを見てローラは、綺麗になった壁の傍に干し肉と、魔導の教本をそっと添えるのだった。

 

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