幻想世界をバック・ドロップ!   作:セミドレス

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第十三話 方舟 Ⅱ

 

 1

 

 どうして、こんな事になったのか。

 和泉玲奈は夕食を摂りながら、内心で頭を抱えていた。

 荒沢蛮や一条晴彦と共にバス型のファントムに化かされてから、十五分程が経過している。

 自宅の居間だ。

 二十畳以上の広さがある。三人の家族で使うには、広すぎるくらいの部屋だ。

 部屋の中央に、玲奈が座っている六人がけのテーブルが設置されている。木製の重厚なテーブルだ。

 そのテーブルを取り巻くようにして、壁際に並ぶ物がある。

 もう随分長いこと使われていない、黒塗りのピアノ。

 高そうな洋酒の瓶が並ぶ、ガラスの扉がついた棚。

 大きく引き延ばされた、マンハッタンの夜を映す空撮写真。

 そういった物が、整然と玲奈をとり囲んでいる。

 玲奈の左隣に、父が座っている。

 この父が、おかしい。

 いや、父が玲奈の隣にいるというだけなら、いつも通りだ。

 どこか怖いところがあり、あまり玲奈と会話らしい会話をしない父だが、それでも夕食だけは必ず一緒に食べている。

 ただ、今日の父は、部屋の中にいるのに、なぜかサングラスをかけている。薄いオレンジのレンズがついた、ティアドロップ型のサングラスだ。

 髭を生やした強面の父がそんな物を身につけると、シャレにならない威圧感があった。

 普段と違うことは他にもある。

 玲奈の正面だ。

 常は母がいるその席に、晴彦が縮こまるようにして座っている。

 そして、晴彦の隣、玲奈の父の正面を、荒沢のどっしりとした巨体が塞いでいた。

 玲奈がファントムに憑かれてしまったことを両親に伝えるためにこの家を訪れた二人は、父に勧められ、夕食を振る舞われることになったのだ。

 ちなみに、いつも晴彦と一緒にいる妖精ファントムのルルはこの場にいない。玲奈の父に恐れをなして逃げ出したからだ。

 玲奈は、父が荒沢と晴彦を引き留めたのは、純粋な好意からではないと思っている。

 二人が玲奈についた悪い虫であったなら、脅して追い払ってやろう。

 そんな父の意気込みが見え隠れしているのだ。

 父の意図を察しているのか、晴彦は居心地が悪そうに見える。

 しかし荒沢は、どういうわけか、妙に機嫌が良い。

 

「で、件の川神さんなんですが、どうも玲奈さんに頼りきりみたいでしてね。まぁ、これは仕方が無いと僕は思いますがね。余裕の無い生活をしているところに、玲奈さんのような寛容で優秀な特異能力者が現れたのですから。ついつい頼ってしまいますよ」

 

 こんな具合に、玲奈の学校での様子や人間関係を、饒舌に父に語っている。

 玲奈は胃が痛かった。

 荒沢が脳機能エラー対策室(クラブ)での玲奈の様子をベラベラと父に報告しているからだ。

 玲奈はクラブに入ったことを、両親に隠していた。

 父がファントムをいかがわしいものだと考えており、玲奈に関わることを禁じていたからだ。

 それなのに、荒沢は玲奈の秘密を洗いざらいブチまけてくれているのだ。

 ずっしりと腹の何になにかが沈殿している。

 まるで、胃の中に鉛を流し込まれたかのようだ。

 数分かけて、荒沢は一通りのことを話し終えた。

 

「ありがとう、荒沢君。君の話を聞いて、安心できた。玲奈がうまくやれているか、心配していたのだよ。なにせ、一貫教育が行われている学校に途中編入したものだからね」

 

 父が言った。

 この言葉に、玲奈は少しほっとした。

 後からファントムに関わった事について叱られるだろうが、これ以上、この場で学校での様子を暴露されることはないと思ったからだ。

 しかし、そんな玲奈の期待は、

 

「どうかね、もしよければ一杯付き合わないかね? できれば、もっとゆっくり君と話をしたい」

 

 という、父の言葉に凍りついた。

 

「は?」

 

 玲奈は一瞬、父が何を言っているのかわからなかった。

 一杯付き合う? お酒を飲むと言うことだろうか?

 厳格な父が、未成年にそんなことを勧めるわけがない。そもそも、玲奈は父が酒を飲むところを見たことがなかった。

 だから、何かの聞き間違いだろうと思った。

 しかし、荒沢は嬉々とした表情で、

 

「お伴させていただきます」

 

 と、答えた。

 父は頷きながら立ち上がり、居間の一角に備え付けられた棚から、グラスと洋酒の瓶を取り出した。未開封の酒瓶だった。

 父が再び席に着くのと同時に、キッチンにいた母が、氷の入った金属製の容器を運んで来た。

 コロリと太い氷を、父と荒沢の前にあるグラスに、ひとつずつ入れた。

 

「では」

 

 荒沢が、洋酒の瓶を手に取り、父のグラスに注いだ。

 蜂蜜のような、琥珀色の液体だった。

 

「うむ」

 

 同じように、父が荒沢のグラスを満たした。

 

「では」

「うむ」

 

 父と荒沢は、一度目の高さまで持ち上げてから、グラスに口をつけた。

 二人とも、グラスを打ち合わせようとはしなかった。

 玲奈は信じられないものを見た気分だった。

 困惑しながら晴彦を見ると、玲奈と同じように、どうすればよいのかわからないという顔をしていた。

 母を見ると、クスクスと笑いながらキッチンへ戻るところだった。

 部屋の中に、透くような、しかしどこか甘ったるい香りが広がっていた。

 

 2

 

 まったく、これはなんなのか。

 玲奈はため息を漏らしながら、夕食を腹に詰め込んでいた。

 

「――で、名前を尋ねたら、『アメリカではシノと呼ばれていました』って。いい名前だなって褒めてやったら、顔を真っ赤にしちゃうんですよ。一事が万事そんな感じだから、面白くて面白くて」

 

 荒沢が、玲奈の隣に座る父に向かって、ヘラヘラとした態度でそんなことを言っている。

 昨日戦った柔術ファントムに惚れられて困ったという、一種の自慢話だ。

 玲奈は話半分に聞いている。

 酔っぱらいがする、くだらない、真偽すら定かではない話だからだ。

 玲奈の白けた視線に気づいた様子もなく、荒沢はグラスをひょいと持ち上げ、琥珀色の液体一息に飲み干した。

 そして、己と玲奈の父とのちょうど真ん中に置いてある洋酒の瓶を手に取った。スコッチウイスキーの瓶だ。

 手元にあるペットボトル入りの炭酸水と併せてソーダ割りを作る。

 手慣れている。

 高校生の癖に、酒を飲むことに慣れているらしい。

 荒沢の動作につられるように、父もグラスの酒を飲み干した。

 そして、荒沢から酒瓶を受け取ると、水割りを作り始めた。

 まずグラスの三分の一の高さまでウイスキーを注ぎ、次に三分の二の位置まで水を注ぐ。

 定規で測っているかのような、正確な動作だった。

 荒沢も父も、飲み始めた時は互いに酒を注ぎ合っていたが、ほどなくして手酌となった。

 いつのまにか、七百ミリリットル入りの瓶に満たされていた酒が、三分の一ほどまで減っていた。

 父が、舐めるように小さく酒を飲んでから口を開いた。

 

「可愛らしいお嬢さんじゃないか。そういえば、私と交際を始めた頃の家内も、手が触れあっただけで紅くなってしまっていたなぁ。控えめで美しい、絵に描いたような大和撫子だったよ、妻は」

 

 静かな口調だったが、中身は小っ恥ずかしい嫁自慢だった。

 父は、先ほどからずっとこの調子だった。

 惚気話を、延々と繰り返しているのだ。

 玲奈の中の父親像は、現在進行形でガラガラと崩壊し続けている。

 父も荒沢も、外見上は特に酔っているようには見えない。

 顔色も変わっていないし、口調がおかしいわけでもないのだ。

 しかし、確実にこの二人は酔っている。

 話の内容がとにかく酷いのだ。

 先ほどなど、荒沢が風俗で当たりの()を引いただのなんだのという、高校生にあるまじき話を始め、それに応じるように、父が夫婦の夜の生活について語りだしたのだ。

 母親の性感帯について父親が淡々と語るのを聴かなければいけないなんて、私が何をしたというのだろうか。

 親に隠しごとをしていたことに対する罰としては、あまりにも重すぎる。

 玲奈の胸には、そんな怒りとも嘆きともつかない感情で満たされていた。

 男という生き物が、ここまで阿呆だとは思っていなかった。

 荒沢は、まだいい。

 性風俗サービスを利用していることに嫌悪を感じはするが、そこに意外性はない。

 日頃から同級生の川神舞に痴漢行為を繰り返しているような男なのだ。

 いやらしい店に出入りする、屑のような男だった言われても、まぁ、納得できる。

 問題は父だ。

 普段はあんな怖そうな雰囲気を纏っている癖に、中身はこんなだったのか。

 無口で無愛想な髭面なのに、母にここまで()()()()だったとは――

 もちろん、夫婦の愛情が深いのは良いことだと頭ではわかっている。

 しかし、それをこのような形で知らされると、妙にやりきれない気持ちになる。

 失望というと言い過ぎかもしれないが、それに近い呆れが玲奈の中にあった。

 はぁ、と大きくため息をついた玲奈は、虚ろな視線を正面に向けた。

 晴彦が心底気まずそうな顔をしていた。

 彼はこちら側の人間なのだ。

 本当に辛い時というのは、同じ思いをしている仲間がいるというだけでも、随分と気持ちが楽になる。

 彼がここにいてくれて助かった。

 しかし、このような場に連れてきてしまって申し訳ないという罪悪感もある。

 玲奈は、また深々とため息をついた。

 それと同時に荒沢が、

 

「おっと、もうこんな時間か。すみません、そろそろお暇させて頂きます」

 

 と、立ち上がった。

 それに、これ幸いと晴彦も続く。

 玲奈は父と共に、二人を見送くるために席を離れた。

 

「荒沢君、久しぶりに若い人間と話せて楽しかったよ」

「いえ、こちらこそ貴重なお酒と美味しい料理を振る舞っていただき、時間を忘れる思いでしたよ」

「そうか、それはよかった。家内にも伝えておくよ」

「では」

「うむ」

 

 荒沢と父が、玄関でそういったやりとりをしている。

 なぜ父と荒沢が短時間でこうも打ち解けたのか、どういう風に波長が合ったのか、玲奈にはてんでわからない。

 正直、狐につままれているような気分だった。

 そんな玲奈の心を知ってか知らずか、荒沢は最後、大仰に頭を下げてから、晴彦を伴って玲奈の家の門をくぐった。

 家の外の空気は、ぶ厚く曇った空のせいか、季節の割に蒸し暑かった。

 まだ五月だというのに、背中や額に汗が浮かぶほどだ。

 そんな空気の中、玲奈は父と共に、荒沢と晴彦の背中が見えなくなるまで佇んでいた。

 そして、父と二人きりになった玲奈は、ニッコリと笑いながら言った。

 

「お父様、少し、お話があります」

 

 3

 

 翌朝――

 大きな影が、ホセア学園へ続く道を、ゆったりとしたペースで歩いていた。

 荒沢だ。

 疎らな雨が降っている。

 霧のような、細い雨だ。

 荒沢はその中を、傘をささずに、ゆっくりと進んでいるのだ。

 そのまま、しばらく歩いて学園の門をくぐった荒沢は、少し脚の動きを速くした。

 傘をさして歩く玲奈の後ろ姿を見つけたからだ。

 

「おはよう、和泉」

「っ……おはようございます、荒沢さん」

 

 荒沢が足早に背後へと近づき、声をかけると、玲奈は驚いたそぶりを見せてから振り向いた。

 

「昨日はすまなかったな。ファントムのこと、何も解決できなかったのに、晩飯ご馳走になっちまって」

「いえ、お気になさらず」

 

 頭を下げる荒沢に、玲奈が平坦な声で返した。

 そして、すぐに背を向け、歩き出す。

 普段の玲奈からは考えられない、素っ気ない態度だ。

 荒沢は困ったように頬を掻くと、小走りで玲奈に追いつき、隣を歩きながら尋ねた。

 

「和泉、ひょっとして、昨日のことで怒ってるのか?」

「別に、怒ってはいませんよ?」

 

 荒沢の顔を見上げ、笑みを浮かべる玲奈。

 冷たい笑みだった。

 笑ってはいるが、荒沢を捉える視線は、ゴミ虫を見る時のそれだった。

 

「あー、ちょっと話題が下品過ぎたか? ほら、和泉って俺が川神に色々やってるの見ても、だいたい平気な顔してるから、そういうの大丈夫だと思っちまって……」

 

 荒沢が、目を泳がせながら言い訳を始めた。普段は温厚な玲奈にこのような態度を取られるのは、さすがに堪えるらしい。

 

「いえ、ですから怒ってはいません。ただ、荒沢さんのこと、ちょっと最低な人だなぁ、とは思いましたけど」

「めっちゃ怒ってるじゃねえか…… いや、本当にすまんかった」

「いえ、私が荒沢さんのことを誤解していただけですから。お金を払って女の人にいやらしいことするとか、そういうことは絶対にしない人だと誤解していました」

「いや、あの…… ええと、そうだ、アレは実は酒の勢いで言ったホラ話で……」

「まず、高校生がお酒を飲むことがおかしいとは思いませんか?」

「……返す言葉もありません」

 

 笑顔のまま責め立ててくる玲奈を前に、肩を落として項垂れる荒沢。

 

「では、良い一日を」

 

 玲奈が白々しい口調でそう言って、荒沢から離れようとした。

 その時、

 

「待ちなさい!」

 

 と、鋭い声が横手からかかった。

 荒沢と玲奈は、驚いて声のした方を向いた。

 そこには、人形のように整った顔をした少女が立っていた。

 水無瀬小糸だ。

 小糸は眉間にしわを寄せていた。

 常は無表情を貫いている小糸が、このように苛立ちを露わにするのは、珍しいことだった。

 小糸はさしていた傘を畳むと、ツカツカと玲奈に歩み寄り、言った。

 

「あなた、何をしたの?」

「へ?」

 

 小糸の質問に対し、玲奈は何の話かわからないというように、ぽかんと口をあけた。

 それを見て、小糸の双眸が、すぅっと、刃物のように鋭くなった。

 いきなり、玲奈の胸ぐらを掴んだ。

 

「ひっ!?」

「水無瀬!?」

 

 玲奈が短く悲鳴を上げ、荒沢が驚いた声を出した。

 ガサ、と音を立てて、玲奈がさしていた傘が地面に落ちた。

 そういったもの全てを、小糸は気にも留めない。

 

「答えなさい。あなたが何をしたのかを」

 

 そう、玲奈を詰問した。

 しかし、玲奈は怯えるばかりで、小糸の問いに答えない。

 いや、そもそも小糸が何の話をしているのかすら、わかっていないようだった。

 

「おい、水無瀬、落ち着け。ワケがわからんぞ、説明しろ」

 

 荒沢が、玲奈から小糸を、強引に引き剥がした。

 小糸は荒沢を見上げると、能面のような無表情を作ってから言った。

 

「あのバスのファントム、その子から完全に外れて、あなたに憑いているわ。それも、その子に憑いていた時よりも、ずっと深く喰いついてる。危険なくらいに」

「なんだと?」

「普通じゃありえない事よ」

 

 小糸は、困惑する荒沢にそう言うと、踵を返して足早に立ち去った。

 

「荒沢さん……」

 

 玲奈が、雨に濡れながら、不安な声で荒沢の名を呼んだ。

 先ほどまで荒沢に向けていた、忌避するような態度は微塵もない。

 本気で心配し、同時に、責任を感じてもいるようだった。

 

「ああ、大丈夫だ。とりあえず、川神だな……」

 

 荒沢は、低いで玲奈へ言葉を返した。

 霧のような雨が、二人に纏わりついていた。

 

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