幻想世界をバック・ドロップ!   作:セミドレス

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第十五話 方舟 Ⅳ

 

 1

 

 川神舞が荒沢蛮の父親、荒沢光頼(みつより)と初めて出会ったのは、小学一年生の時だった。

 二学期が終わり、翌日から冬休みが始まる日のことである。

 雲ひとつない青空の広がる、季節の割に暖かい日だった。

 

「今日、()()の道場に来いよ、舞。お父さんもいるからさ」

 

 昼前に終業式を終えた後、荒沢蛮にそう言われて連れて行かれた、アークプロレスリングというプロレス団体の道場。

 そこで、思い思いのトレーニングをこなす十数人の男達の中の一人が、光頼だった。

 優しそうな顔をした、背の高い、小太りの中年男。

 それが、舞が光頼に対して抱いた第一印象だった。

 この時、光頼は緑色の短パンに白いTシャツという格好をしていた。

 Tシャツの腹の部分が、ぽっこりと前に膨らんでいた。年相応の脂肪が、皮膚の下に蓄えられているらしかった。

 身長は百八十五センチくらいあったろうか。日本人としては、かなり大柄な体格だった。

 

「おう、蛮、遊びに来たのか。そっちの可愛らしいお嬢ちゃんはどうしたい?」

 

 道場の中に舞と荒沢が入ったことに気づいた光頼は、トレーニングを中断して荒沢の前まで来ると、そんなことを言った。

 体重が百十キロはありそうな光頼がのっしのっしと歩く様子は、まるで(ヒグマ)のようだった。

 光頼の顔立ちは、太かった。

 目や、眉や、鼻や、唇が、太い。

 歴史の教科書に載っている、西郷隆盛の肖像画によく似ていた。

 もし、無表情に黙っていたなら、相当な迫力がありそうな顔のつくりだ。

 だが、光頼はその口もとに、柔らかな笑みを浮かべていた。

 それで舞は、光頼を、優しそうな人間だと思ったのだ。

 

「舞だよ、お父さん。こないだ話した、中国拳法の」

「ほぉ……」

 

 荒沢の言葉を受けて、光頼は嬉しそうに目を細めた。

 と、その時、道場の奥から、

 

「社長、今日のちゃ()()()の味付け、どうしますー?」

 

 という、若い男の声が聞こえた。

 それに光頼が、

 

「柚子で頼む!」

 

 と、大きな声で返事を返した。

 そのやりとりを聞いた舞は、隣に立つ蛮に尋ねた。

 

「ねぇ蛮、アンタのお父さん、ここの社長なの?」

「うん。アークは、お父さんが作った団体なんだ」

 

 幼き日の荒沢は、誇らしげな顔で、そう答えたのだった。

 

 2

 

 光頼がアーク(方舟)の名を冠したプロレス団体を立ち上げた経緯は、複雑なものだった。

 もともと光頼は、全国プロレスというメジャーな団体に所属するレスラーだったのだ。

 それも、頻繁にメインイベンターを務めるスター選手だ。

 当然、会社からは厚遇されていた。

 給料もよければ、マッチメイクに口を出すことも許されていたのだ。

 プロレスラーという職業人としては、最大限の扱いと言ってもよい。

 そのような立場にあった光頼が、なぜ会社を辞め、多大なリスクを背負ってまで自らの団体を立ち上げたのか?

 それは、同僚である自分以外のプロレスラーのためだった。

 光頼が辞める直前の全国プロレスは、賃金格差が非常に激しかった。

 光頼のようなメインイベンタークラスの人間が八桁の年俸を受け取る一方で、若手や人気の無いベテランの給料は非常に安かった。

 中には、学生が少し熱心にアルバイトをすれば稼げる程度の額しか受け取っていないレスラーすらいた。

 実力主義と呼ぶには、あまりに厳しい現状に、光頼は心を痛めていたのだ。

 また、全国プロレスには、所属レスラーの団体に対する不信を煽る要素が、他にもあった。

 経営の不透明性だ。

 具体的には、選手が受け取るべきグッズ売り上げのマージンが、一部の役員の懐へと流れているのではないかと言われていたのだ。

 プロレスラーは、個人やユニットでTシャツ等のグッズを発売することがよくある。

 そして、そのグッズの売り上げの何割かは、レスラーのものとなることになっている。

 会社から大した年俸を払われない前座レスラーでも、グッズのプロモーションを工夫すれば、かなりの額を稼ぐことができるシステムとなっているのだ。

 しかし、そのシステムに会社が不正に手を入れてしまっていたら――

 真偽の程は定かではないが、そういった疑念が囁かれるくらいに深い溝が、全国プロレスの経営陣とプロレスラーの間にはあったのだ。

 そして、その対立の結果、レスラーからの人望が厚かった光頼は、レスラーのためのプロレス団体として、アークプロレスリングを作ることになったのだ。

 アークの旗揚げには、三十人いた全国プロレスの所属レスラーのうち、二十六人が参加したのだった。

 

 3

 

 旗揚げ当初から大きな注目を集めていたアークだが、さらに一年が経過する頃には、その人気を確固たるものとしていた。

 試合に特色があり、それが客にウケたからだ。

 受け身技術の高さを背景に、危険な投げ技を連発するような試合を、アークのレスラー達は行ったのだ。

 担ぎ上げた相手を、脳天から垂直にマットへ落とす。

 リングの中で最も硬い外縁部――エプロンサイドへ、相手を思い切り叩きつける。

 リングのロープを越えた場外へ、相手を真っ逆さまに放る。

 そういったことを、アークのレスラー達は、頻繁にやったのだ。

 危険な行為であった。

 しかしこれは、会社が、光頼がやれと言ったわけではない。

 選手達が、自主的に始めた事だった。

 客に、自分の凄さをアピールするためである。

 プロレスは人気商売だ。

 団体にしても選手個人にしても、客を魅了する事だけが、成功への道である。

 アークの選手達は、危険な技を放ち、あるいは受ける事で、自らの超人性をアピールしようとしたのだ。

 しかし、これは麻薬にも似た行為だった。

 単純な過激さに、人は容易く慣れる。

 客はより過激な試合を求めるようになった。レスラー達も、それに積極的に応えようとした。

 いや、もしかしたら、レスラー達は客の声に従っていたわけではなかったのかもしれない。

 アイツはあんなことまでやっている。ここで日和れば、俺は取り残されるのでは――

 あの人はああいった事をやっているのか。なら、これをやれば追いつけるんじゃないだろうか――

 そういった、レスラー間の競争意識が、自縄自縛的な過激さの追求を生み出していたのかもしれない。

 なんにせよ、試合の危険度は、年を追うごとにエスカレートしていった。

 本来なら、団体の長たる光頼が、歯止めをかけなければいけない状況だった。

 しかし、光頼はそうしなかった。

 選手のための団体――

 そういう理念を持ってアークを設立した光頼は、レスラーが自主的に行っていることに、口を挟みきれなかったのだ。

 むしろ、団体の顔を務めるレスラーとして、そういう試合に付き合い続けた。

 そして、旗揚げから九年目の冬に、それは起こった。

 

 4

 

 地方巡業中に行われた、これといって大きなテーマを持たない興業の、第三試合。

 前座の、六人タッグマッチの中でのことである。

 開始から十分が経過し、試合も中盤かというあたりだ。

 バックドロップだった。

 バックドロップを受けた光頼が、起き上がってこなかったのだ。

 光頼の全身が、真っ青になっていた。

 ただならぬ事態の発生を察知した選手達が、光頼の周りに駆け寄った。

 

「動けるか!?」

 

 誰かが、そう尋ねた。

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 光頼は、そう言ってから、意識を失った。

 救急車で病院に運ばれた。

 そこで、死亡が確認された。

 頚髄離断――

 首の肉の中で、骨や神経が、バラバラになっていたのだ。

 光頼の首を撮ったレントゲン写真は、凄絶なものだった。

 光頼がバックドロップを受けたのは、比較的クッションの効いた、リング中央だった。

 受け身も、きちんととれていた。

 後頭部をマットに突き刺すような、急角度のバックドロップでもなかった。

 光頼は、バックドロップによって殺されたのではない。

 プロレスラーとなってから二十年以上、数千もの試合をこなす中で蓄積された長年のダメージが、光頼を殺したのだ。

 享年四十五歳。

 一人息子の荒沢蛮は、まだ小学六年生だった。

 

 5

 

「そういうことがあって、荒沢のお父様は亡くなって…… それでアイツは、天涯孤独ってやつよ」

「そんなことが……」

 

 川神舞は、物憂げな表情で俯く和泉玲奈から視線を外し、窓の外を見た。

 重く、ぶ厚い雲に空は覆われていた。

 舞と玲奈がいるのは、ホセア学園の食堂である。

 荒沢に取り憑いたファントムが造り出す幻の世界を確認した翌日、舞は玲奈と昼食を共にしながら、荒沢の父親についての説明を行っていたのだ。

 玲奈は押し黙っている。

 舞が語ったことを、どう受け止めればよいのか迷っているらしい。

 重苦しい沈黙があった。

 

「舞お姉様」

 

 数分の時間が過ぎてから、玲奈がおずおずと口を開いた。

 

「荒沢さんが天涯孤独になったとおっしゃりましたが、その、荒沢さんのお母様は……?」

 

 玲奈の質問に、舞はため息をついてから答えた。

 

「荒沢が小学校に入る前に、荒沢の母親はお父様と離婚したそうよ。巡業ばかりで家にいる時間が短いプロレスラーは、離婚する事も多いらしいわね。もっとも、そんな父親側に親権が行ってる時点で、色々察してしまうわ。アイツ、ファザコン拗らせてる節があるんだけど、正直笑えないのよね……」

「それは……」

 

 玲奈の脳裏には、やけに嬉しそうに自分の父親と接する荒沢の姿が思い出されていた。

 玲奈は静かに呟いた。

 

「お父様を亡くした後、荒沢さんは酷く落ち込んだのでしょうね……」

「落ち込んだというより、おかしくなったって感じだったわね。あの頃のアイツは」

 

 6

 

 父が死んでから、荒沢は狂った。

 己を鍛えることに、異常な執着を見せるようになったのだ。

 荒沢は、自由に使える時間のほぼ全てを、体を動かして過ごした。

 毎日、学校が終わると、まっすぐにアークの道場へと向かう。

 そこで、スクワットをやり、バーベルを持ち上げ、受け身の練習を行い、スパーリングをやる。

 ぶっ倒れるまでだ。

 プロレスに必要な筋肉と技術を練りあげる事に、荒沢は全てを費やし始めたのだ。

 多くは語らず、ただ、ギラギラとした昏い双眸で周囲を睨めつけながら、黙々と体を動かし続けた。

 一年も経たないうちに、荒沢の肉体は、そこらの若手レスラーよりも出来上がったものになっていた。

 プロレスラーとなって、父親の跡を継ぐ――

 そういう、強固な信念がまざまざと見てとれた。

 これは、荒沢の独りよがりな行動ではなかった。

 光頼亡き後のアークの首脳陣も、荒沢が中学を卒業すれば、すぐにリングに上げるつもりだった。

 新たな象徴、求心力を、団体として求めていたのだ。

 光頼の死後、アークのチケット売り上げは、落ち込んでいた。

 それまで()()にしていた、過激なプロレスをやらなくなってしまったからだ。

 いや、やらなくなったというより、できなくなったと言った方が正しいだろう。

 光頼の死を受けて、レスラー達が危険な技を使うことに対し、萎縮してしまったのだ。

 当たり前のことだ。

 誰だって死にたくはないし、仲間を殺したくもない。

 むろん、アークも客が離れていくのを、手をこまねいて見ていたわけではない。

 過激さに代わる()()を模索し、様々な工夫をこらして集客を保とうとした。

 その切り札の一枚と位置付けられていたのが、荒沢だった。

 日本人離れした巨体。

 高い身体能力。

 そして何より、光頼の息子という話題性。

 リングに立てば、間違いなく客を呼べる存在だった。

 しかし、荒沢が中学三年生になった夏――

 結局、アークは解散することとなった。

 団体が行った新たな試みが一つとして実を結ばず、あまりに売り上げが悪くなったからだ。

 アークが最後に行った興行の来場者数は、六十七人だった。

 関係者にタダ券をばらまいた上で、この人数である。

 金を払ってチケットを買った客は、五十人もいなかったことだろう。

 十一年の航海の末、方舟は、哀しく沈んだ。

 それは、父の死から三年間、ただひたすら己の肉体を虐め抜いた荒沢が、その力をぶつける先を失ったことも意味していた。

 

 7

 

「あの時は、荒沢もしばらく塞ぎ込んでたわね。まぁ、すぐに立ち直ったけど」

 

 アーク解散の経緯を語った後、舞はそう言った。

 それに対し、玲奈は疑問符を返した。

 

「立ち直りが早かったのですか? 何か切っ掛けが?」

「ええ。アークに所属してた選手達が他の団体に入ってプロレス続けてるのを見て、いつまでもウジウジしてられないと思ったらしいわ」

「なるほど……」

 

 玲奈は静かに頷いた。

 そこへ、舞が思い出したように、ポツリと付け加えた。

 

「そういえば、荒沢の特異能力は、アークが潰れたショックで目覚めたのよ」

「え……」

 

 舞の発言に、玲奈が驚いた顔をした。

 特異能力の覚醒は、それとわかる理由もなく自然に起きることが多い。

 しかし、生命の危機などの非常に厳しい状況に追い込まれることで、急な覚醒が起きる場合も稀にある。

 つまり、アークの解散は、荒沢にとってそれほど大きな衝撃だったということなのだろう。

 そのアークと、そして父親の幻を創り出すファントムのことを知れば、荒沢は何を思うのか――

 玲奈は、おそるおそる舞に尋ねた。

 

「舞お姉さま。荒沢さんに、ファントムが造っていた幻の事は、もう話したのですか?」

「教えたわ。ブチ切れて、めちゃくちゃ不機嫌になってる」

 

 舞は、うんざりしたような顔でそう言いながら、視線を窓の方へ向けた。

 玲奈も、それにつられて外を見る。

 相変わらず、空は黒々とした雲に覆われていた。

 




 お久しぶりです。
 投稿間隔がえらく開いてしまいました。申し訳ないです。

 さて、この物語はフィクションであり、登場する団体・人物などの名称は架空のものです。
 今回の投稿には、プロレスに詳しい方からすれば、明らかに現実の団体・人物をモデルとしているだろうという存在が複数登場しています。
 しかし、それによって特定の団体・人物・思想を賞賛しようとする、あるいは貶めようとする意図は、僕にはありません。
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