幻想世界をバック・ドロップ!   作:セミドレス

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第四話 最強のふたり Ⅰ

 

 1

 

 ホセア学園の広い食堂は、人でごった返していた。

 昼休みになり、小等部から高等部までの生徒が一斉に昼食を摂りに詰めかけているのだ。

 そんな混み合った空間の隅っこに、体の大きな青年が立っていた。

 身長が百九十センチ近くある。肩幅も、胸の厚みも凄まじい。体重は百キロを大きく超えているだろう。

 このような生徒は、ホセア学園に一人しかいない。

 荒沢蛮だ。

 周囲の生徒が白を基調とした制服を着用している中、荒沢は一人だけ緑色のジャケットを身につけていた。

 前面に、フラップ付きの大きなポケットが四つ備えられたジャケットだ。

 ジャングル・ファティーグ・ジャケット――ベトナム戦争の頃にアメリカ軍が使用していた戦闘服である。

 ここ一年ほどで上半身に筋肉を付けすぎて、入学時に買った制服を着るとまともに動けなくなってしまったため、このジャケットを着て登校する許可を荒沢は教師から受けているのだ。

 荒沢は、食堂の端で携帯電話で会話をしていた。相手は佐々木という、ファントム対策局の局員である。

 

「はい、資料は既に。はい……いえ、それはこちらで……ありがとうございます。では失礼します」

 

 その野性的な顔立ちに似合わない、畏まった態度のまま通話を終える荒沢。

 携帯電話をしまうと、悩んでいるような表情を浮かべた。

 その表情のまま数秒間、何かを考えた後、ふぅ、と息を吐き、歩き出した。

 そのまま、大きな歩幅で食堂を後にする。

 向かう先は、高等部一年の教室が並ぶ階だ。

 食堂からは、比較的近い棟にある。

 

「あ、蛮先輩、こんにちは」

 

 目的の場所に到着した荒沢に、声をかける者がいた。

 細身の体に、女性的で端正な顔立ち。

 一条晴彦だった。

 一緒にいることが多い妖精ファントムのルルは、珍しくいないようだ。

 

「よう、一条」

「はい。先輩、一年の教室に用が?」

「ああ。ちょいと水無瀬に用があってな」

「こないだ話していた、水無瀬小糸さんですか?」

「おう」

 

 気の知れた様子で挨拶を交わした後、荒沢が出した名前に、晴彦が視線を揺らした。

 

「あの、俺もついて行っていいですか?」

 

 妙に気合の入った顔で、晴彦はそう言った。

 

「構わんが、あいつを勧誘するのは無駄だと思うぞ」

「いえ、チームに誘うつもりはないんです。ただ、ちょっと気になってて」

「ほう、気になるか」

 

 何気ない表情で晴彦が発した言葉に対して、荒沢がニヤリとした。

 

「確かに、水無瀬は美人だからな。しかし一条、おまえ和泉の時といい、マジでガツガツしてるな」

「そんなんじゃありませんって」

 

 からかいの言葉に対して困った顔をする晴彦。

 それを見た荒沢は、笑いながら歩き出した。

 

「すまんすまん。じゃ、行くか」

 

 そう言って、一年一組の教室に足を踏み入れた荒沢は、入り口から教室の中をぐるりと見渡した。

 そして、すぐに目的の人物、水無瀬小糸を見つけた。

 小糸は、一番後ろの、窓際の席に座っていた。

 ヘッドホンで音楽か何かを聴きながら、頬杖をついて窓の外を眺めている。

 荒沢は晴彦を従え、のしのしと巨体を進めてその傍らに立った。

 小糸は、人形のような少女だ。

 すっきりとした輪郭の顔に、鼻梁がすぅっと、美しく通っている。

 肌は陶器のように滑らかで白く、二つの瞳は丸く大きい。

 眉と唇は普通よりも少し薄いだろうか。しかしそれは特徴と言うほどではなく、見た者へシャープな印象を自然に与える程度である。

 美しい少女だ。

 しかしその美しさは、どこか無機的なものがある。どこかに空虚さがあるように感じられる。

 表情が抜け落ちているからだ。

 大抵の人間は、ただ立っているだけ、あるいは座っているだけという状態でも、その顔に何かしらの表情を浮かべている。

 昨日寝るのが遅かったから眠いだとか、朝食を抜いたせいで腹が減っているだとか、今晩放送されるドラマの最新話が気になるだとか――

 そういうとりとめの無い思考、あるいは心の動きが常にあり、それが小さく顔に出る。

 平時の小糸には、それがないのだ。

 そのため、温度を持たない人形のように見えてしまうのだ。

 むしろ、そういった温度は、小糸自身よりも、その所有物の方が持っている。

 例えばヘアピンだ。

 小糸は目にかからないよう前髪をピンで留めているのだが、そのピンには黄色い星型の飾りが付いている。

 高校生が身につけるには、幼さなすぎるくらい可愛らしいデザインのヘアピンだ。

 ヘッドホンもそうだ。

 薄いピンクを基調に、パープルの模様が入ったヘッドホンは、いかにも女の子なデザインをしている。

 そんな少女を見下ろしながら、荒沢は口を開いた。

 

「よう、水無瀬。ちょっといいか?」

「…………」

 

 荒沢の声に、小糸は一切の反応を返さなかった。

 無視を決め込んでいるのだ。

 たとえノイズキャンセリング機能の付いたヘッドホンで音楽を聴いていたとしても、目の前に立つ相手から声をかけられて気づかないということはまずない。

 なので、荒沢は少し語気を強めてもう一度声をかけた。

 

「やい、水無瀬」

「…………」

 

 だが、やはり小糸は反応を返さない。

 無表情に窓の外を眺めている。

 そこへ今度は晴彦が声をかけた。

 

「こんにちは水無瀬さん。昨日、廊下ですれ違ったよね。俺、三組の一条晴彦」

「…………」

 

 にこやかな態度で、唐突に自己紹介を行う晴彦。

 だが、やはり小糸は反応しない。

 代わりに、荒沢が関心した声をあげた。

 

「一条、お前すげぇな。廊下ですれ違っただけで自己紹介する奴なんて初めて見たぞ」

「あはは」

 

 荒沢の言葉に、照れを誤魔化すように笑う晴彦。

 そして、荒沢が動いた。

 

「さて……おい、コミュ障美少女」

「ッ……!」

 

 小糸が初めて反応を返した。

 荒沢が、小糸が付けていたヘッドホンを、ひょいと取り上げたからだ。

 キッ、と鋭い視線を荒沢に向ける小糸。

 顔が整っているため、そのような表情をすると非常に迫力があった。直接視線を向けられたわけでもない晴彦が思わずたじろいだほどだ。

 だが、荒沢はまっすぐにその視線を受け止めた。

 

「ファントム対策局から、機械関連の依頼が来てるだろ?」

「ええ」

 

 荒沢を相手に突っ張っても無駄だと悟ったのだろう。

 小糸はキツい表情を引っ込め、短く言葉を返した。澄んだ水のような声だった。

 

「その仕事の補助をやって欲しいと俺にも依頼が回って来てる。いつ行く? お前に合わせるが」

「必要ないわ。私は独りでやれる」

「そういうわけにもいかんだろ。俺に依頼を回す判断をした局や佐々木さんの顔もある」

「…………」

「まぁ、手を出すなというなら、俺はただ見てるだけでもいい。お前なら大抵のファントムに遅れを取ることはないだろうからな。危なくなった時だけ助けてやる」

 

 荒沢の言葉に、小糸は、はぁ、と憂鬱そうな溜息をついた。

 

「今日の放課後に行くわ」

「オーケー。迎えに来るから、逃げんなよ?」

 

 そう言うと、荒沢は取り上げていたヘッドホンを小糸の首にかけた。

 そして小糸に背を向ける。

 

「うっし。行くぞ、一条」

「え、はい。じゃあ、水無瀬さん、また明日」

「…………」

「先輩、今回はどんな依頼なんですか?」

「ある企業からファントム対策局を介しての依頼だ。これ以上は俺の一存じゃ教えられないな。気になるなら姫野先生に聞いてくれ」

「企業からの……気をつけてくださいね?」

「なに、心配するな、大したことはない。それより一条、飯はまだか?」

「ええ、まだです。一緒に学食行きますか?」

「おう。そうだ、今日は驕ってやるぞ。今回の依頼、突っ立ってるだけで大金貰える仕事になりそうだからな」

「ありがとうございます。あ、それ、舞先輩に自慢しちゃダメですよ? きっと怒りますから」

「馬鹿、自慢するに決まってんだろ。川神なぞ恐るるに足らず!」

「そろそろ本当に潰されちゃいますよ?」

「……男には、譲れないものがあるんだ」

「くだらないにも程がありますよ! 男の価値を下げないでください!」

 

 騒々しく立ち去る荒沢と晴彦。

 二人は気付いていなかったが、その背中を、小糸がじっと見つめていた。

 

 2

 

 その日の夕方、荒沢と小糸は、高い鉄柵に囲まれた建造物を前にしていた。

 かなり大きな建物だ。敷地面積は一万平方メートルを超える。

 人々がファントムを知覚する原因を作ってしまった医療企業、荒耶識社の研究施設だ。

 施設の出入り口は完全に閉鎖されている。

 警備ロボットがファントム化し、この施設を占拠してしまったのだ。

 それを掃討するのが、今回の荒沢たちの仕事である。

 午後六時。既に日は沈みかけている。

 

「おい、水無瀬」

 

 荒沢が小糸に声をかけた。

 学校を出てから、初めての会話である。

 この施設に着くまでの、電車と徒歩で二時間の道中、二人は一言も言葉を交わしていなかった。

 

「なに?」

 

 聞き返した小糸に対し、荒沢は無言で施設を囲む鉄柵に背を向けて腰を落とすと、組んで上に向けた状態の両掌を突き出した。

 小糸はそれを見て頷くと、一旦距離を取ってから、荒沢に向けて駆けだした。

 そして、荒沢の手前で跳躍し、荒沢が突き出す掌に足をかける。

 次の瞬間、ぐん、と荒沢が両掌を跳ね上げた。

 その勢いに乗って小糸は高く舞い上がり、ひらりと、三メートル以上の高さを持つ鉄柵を飛び越えた。

 そして、とん、と小さな音を立てて猫のように着地した。

 それを確認した荒沢は、金網に向き直ると、身体強化を発動させるパロールを唱えた。

 

「AJ-loading.The phenomenal one.」

 

 そして、無造作にアスファルトの地面を蹴った。

 それだけで、百キロ以上ある荒沢の体が、軽々と宙に浮かび、鉄柵を飛び越えた。

 どん、と重い音を立てて着地した。

 

「行くか」

「ええ」

 

 歩き出す二人。

 小糸が前を進み、荒沢が後ろについている。

 閉まっていた扉を蹴破り、二人は施設の内部に侵入した。

 広く、そして薄暗い通路が続いていた。窓はなく、天井に設置された照明は全て消えており、足下の非常灯だけが薄緑色の光を放っている。

 二人はファントムを探すため、黙々と通路を進む。

 その足取りに、何かを気負った様子は一切ない。

 どのようなファントムが現れようと問題は無い――二人ともそう思っているらしい。

 しばらく歩いたところで、小糸が立ち止まった。

 

「来るわ」

「なに?」

 

 小糸の言葉を受けて、荒沢は通路の先に目を凝らした。

 しかし、どのようなファントムの影も見えない。

 

「何もいないぞ」

「まだ見えないけど、確実にファントムが近づいてきているわ。私はファントムの気配を感じ取ることができる」

「マジか。お前、そんな便利能力まで持ってたのかよ」

 

 驚いた顔をする荒沢に頷くと、小糸は通路の先へ向き直った。

 そして、朗々とパロールを唱え始める小糸。

 先制攻撃を加えるつもりらしい。

 

「開け開け、開け開けよ、天地開闢の調べ」

「む……」

 

 まだ小糸が詠唱を終えぬうちに、通路の先からファントムが現れた。

 直径五十センチ程の浮遊する円盤――警備ドローン型のファントムだ。

 数は多い。ざっと見ただけでも五十以上はいる。

 それほどの数を前にしても、小糸は動じることなくパロールを唱え続けていた。

 

「調べ調べ、調べ調べて、焔を知らしめせ」

『侵入者発見 侵入者発見』

 

 小糸と荒沢の姿を確認したドローンファントムの群れが、電子音声を発しながら、猛烈な勢いで二人に突撃してくる。

 かなりの速度だ。

 どの程度の質量を持っているかはわからないが、直撃すればただでは済まないだろう。

 しかし、小糸は恐れの感情を欠片も見せなかった。

 その形の良い唇を開くと、

 

 Ahaaaaaaaaaa!

 

 と、歌うように声を発した。かなりの声量である。

 それから一瞬遅れて、その力強い震動に触れたドローンファントムが、次々と真っ赤な炎に包まれた。

 そして、ものの数秒で五十を超える数のファントムが完全に消滅してしまった。

 凄まじい攻撃力だった。

 声を媒介にして浄化の炎や光の鎖を生み出す。それが小糸の特異能力である。

 攻撃の規模は、確認されている全ての特異能力の中でも最大クラスである。

 

「相変わらず凄えな」

 

 一瞬で数十のファントムを消滅させた力に、荒沢が感嘆の声をあげた。

 だが小糸はそれを気にも留めず、ファントムが浮遊していた辺りをじっと見つめている。

 

「残骸が無い……物質に取り憑いていたわけじゃないわね」

「ああ。どこかにいる本体を潰さないと無限に湧いてくるタイプか。面倒だな」

 

 荒沢と小糸はそんな会話を交わした。

 先ほど現れたドローンファントムは、この施設に元からあった警備ドローンがファントム化した、あるいはファントムに操られていたものではなく、本体であるファントムが一種の使い魔として生み出した存在であるということを二人は言っているのである。

 

「水無瀬、さっき言ってた気配で本体の位置を探れないか?」

 

 荒沢がそう尋ねると、小糸は首を横に振った。

 

「そうか……ちょっとまて」

 

 荒沢が携帯電話を取り出し、画面を確認した。

 

「電波状況は問題ないな。分かれて探すか?」

「そうね」

「じゃあ、二十分ごとに定時連絡を入れることにしよう」

「わかったわ」

 

 簡潔なやりとりを終え、歩き出す小糸と荒沢。

 二人は最初の分かれ道で、別の通路に進んだ。

 

 3

 

 小糸は、暗い通路を独りで歩きながら、ほっとしていた。

 荒沢蛮。

 小糸は、あの体の大きな青年が苦手だった。

 いや、苦手を通り越して、嫌いと言ってもいいほどだ。

 意図して他人を遠ざけている小糸に、ずけずけと遠慮無く接してくるからだ。

 今日の昼もそうだった。

 ヘッドホンで音楽を聞きながら窓の外を眺める――誰も私に関わるなという、小糸の精一杯の意思表示。

 それを完全に無視して、あの青年は小糸に話かけてきた。

 そういうことをできる太い神経が、気に入らない。

 もっとも、今回はファントム対策局からの依頼という、どうしても話しかけなければならない理由があったから仕方がないのかもしれない。

 だが、それにしたって、もう少し遠慮がちな態度で話しかけるべきだ。

 それに、あの青年は今回のような理由ではなく、もっとくだらない理由――例えば、小糸の髪の中に白髪を一筋見つけただとか、前歯に青海苔が着いてるのに気がついただとか、そういう理由からでも、平気で小糸に絡んでくるだろう。

 本当に嫌いだ。

 嫌いではあるが、それが小糸があの青年に抱く感情の全てというわけではない。

 少なくとも、その能力は全面的に認めていた。

 半年ほど前に、二人で組んでファントムを討伐したことがある。

 その時に、その力を見せつけられた。

 北海道での話だ。

 

 4

 

 およそ半年前――九月のある日、北海道東部にある屈斜路湖(くっしゃろこ)に、巨大なドラゴン型のファントムが現れた。

 蛇のような長い首を持ち、四本の脚で歩くドラゴンだ。翼はなかった。尻尾の先から頭までの長さは、およそ二十メートル。

 口元に鋭い牙が備わっていたり、四肢の先から長い爪が伸びていたりと細部は異なるものの、緑灰色の鱗に覆われたその姿は草食恐竜のブラキオサウルスによく似ていた。

 最初は、このドラゴンファントムを観光の目玉にしようという話も地元にはあったのだ。

 しかし、その話はすぐになくなった。

 草食恐竜に似ていると言っても、それは外見だけで、ドラゴンファントムは人を食らう凶暴なファントムだったからだ。

 発見から一週間が経とうとしていた日に、観光資源として利用しても問題がないかを観測していた調査隊が、皆殺しにされたのだ。

 それまで一日の大半を水中で過ごし、時たま湖岸で日光浴をする以上の動きを見せていなかったドラゴンファントムが、突然、湖岸近くにいた二名の調査隊員を襲い、丸呑みにしたのだ。

 現場はパニックとなった。

 そんな中、調査隊の護衛役としてファントム対策局から派遣されていた三人の特異能力者が、ドラゴンファントムに攻撃を開始した。

 ドラゴンファントムに殺到する無数の岩石弾、雷撃、風の刃――

 効かなかった。

 ドラゴンファントムの強靱な鱗と巨体は、ファントムとの戦闘に慣れた特異能力者の一斉攻撃に晒されても、カスリ傷程度のダメージしか受けなかった。

 しかし、カスリ傷でも、傷は傷だ。

 ドラゴンファントムは激昂し、特異能力者たちに襲いかかった。

 三人の特異能力者うち、二人は踏み潰され、一人は食い殺された。

 ドラゴンファントムはそれだけで飽き足らず、現場から研究員を乗せて逃げようとする三台のミニバンにも追撃を加えた。

 全長二十メートル、体重五十トンの超巨体が、時速六十キロ以上の速度で大地を駆け、三台の車両を蹴散らしたのだ。搭乗していた調査員は、ほぼ全員が即死した。

 空が真っ赤に染まった、秋の夕刻の出来事だ。

 その日の夜になって事態を把握したファントム対策局は、ドラゴンファントムを迅速に討伐すべき対象とみなした。

 そして翌日の午後には、局に所属する特異能力者達からなる討伐隊を編成し、北海道へと派遣した。

 しかし――

 討伐隊は敗走した。

 死者こそ出さなかったものの、十二人の能力者のうち、三人が重傷を負った。

 それだけの被害を出しながら、ドラゴンファントムに致命傷を与えることはできなかった。

 ドラゴンファントムは、対策局の予想を大きく上回る恐ろしいファントムだったのだ。

 唯一の幸いは、ドラゴンファントムがこちらから手を出さなければ湖から離れようとしないことだった。

 しかし、それがいつまで続くのか。もし、ドラゴンファントムが湖を離れ、陸で活動するようになったらどうなるか。

 屈斜路湖の湖岸周囲は、大部分が森林となっているが、一部には農地や集落もある。

 ドラゴンファントムの目と鼻の先で、日々を営む人々がいるのだ。

 放ってはおけない。

 しかし、ドラゴンファントムは対策局の精鋭部隊を返り討ちにしてしまった相手なのだ。

 闇雲に戦力を投入して、負傷者を増やすわけにもいかない。

 そこで対策局は、小糸と荒沢に、ドラゴンファントムの討伐を依頼したのだ。

 ファントム対策局がコネクションを持つ特異能力者の中で、小糸と荒沢は、広範囲攻撃と身体強化という二つの方向性における最強の特異能力者だったのだ。

 そして調査隊が襲われた三日後、小糸と荒沢は、ファントム対策局のスタッフ数人と共に、屈斜路湖の湖岸にある駐車場に停車したキャンピングトレーラーの中にいた。

 ドラゴンファントムが湖岸に現れるのを待っているのだ。

 前回の討伐隊から受けた傷のためか、ドラゴンファントムは水中でじっとしている。

 ドラゴンファントムの動向はソナーによって容易に把握できていた。

 屈斜路湖には付近の源泉から酸性の温泉水が流入しているため、魚がほとんどいないからだ。

 ドラゴンファントムが活動を再開し、湖岸へ上陸する素振りを見せれば、車で先回りして迎え撃つことになっていた。

 それまでは、キャンピングトレーラーで共同生活を送ることになる。

 その日、ドラゴンファントムは動かなかった。

 次の日も動かなかった。

 ドラゴンファントムが動き出したのは、五日後だった。

 小糸と荒沢は、上陸予想地点の近くに身を潜めていた。

 荒沢の体からは、雄の汗の臭いが漂っていた。

 ドラゴンファントムが動き出したという連絡が入る直前まで、荒沢は筋力トレーニングを行っていたのだ。

 ずん、ずん、という重い音が響き始めた。

 湖の中から、ドラゴンファントムが陸に上がってきたのだ。

 大きかった。

 小糸は、記録映像をはじめとする前回の討伐隊が作成した資料には全て目を通していた。

 しかし、実際に見ると、ドラゴンファントムは資料から想像していた以上の巨体だった。

 

『水無瀬、一発で焼き殺せるか?』

 

 隣に座る荒沢が、そう尋ねてきた。

 この五日間でそれほど多くの言葉を交わしたわけではないが、互いの能力の概要くらいは把握できていた。

 

『わからない』

 

 小糸はその時、正直にそう答えた。

 小糸も多くのファントムと戦ってきたが、ドラゴンファントムほど大きな相手と戦うのは初めてだった。

 

『そうか』

 

 小糸の答えに荒沢は立ち上がると、

 

『俺が動きを止める』

 

 と言って、小糸の返事も聞かずに、ドラゴンファントムに向けて走り出した。

 凄い速さだった。

 人の形をしたものが大地を蹴ることで、これほどのスピードに達することができるのか。

 小糸は驚愕していた。

 荒沢はその驚異的なスピードのまま、いや、更に加速しながらドラゴンファントムに向かって正面から突っ込んで行く。

 そして衝突するかと思われる直前、荒沢は、とん、と跳躍した。

 そのまま荒沢の体は、一本の矢のように地面と平行に飛ぶ棒となり、ドラゴンファントムにぶち当たった。

 ドロップキック――ドラゴンファントムの前脚の右膝を、正面から捉えていた。

 容赦の無い、痛烈な一撃だった。

 めじ、という膝の靭帯が引き伸ばされる音が、小糸の耳にも聞こえてくるようだった。

 ドラゴンファントムが、つんざくような叫びをあげ、崩れるように膝をついた。

 大雑把な見立てだが、荒沢の体重は百キロ、ドラゴンファントムの体重は五十トン程度だろう。

 たった一発の蹴りで、荒沢は自分の五百倍の体重を持つ相手に膝をつかせたのだ。

 信じられないことだった。

 さらに、荒沢はそこで止まらなかった。

 ドラゴンファントムの体に跳び乗ると、その長い首をよじ登り始めたのだ。

 怒り狂ったドラゴンファントムは、頭を振って荒沢を弾き飛ばそうとした。

 できなかった。

 荒沢は、鉤爪のように曲げた両手の指を、ドラゴンファントムの堅い鱗に突き刺し、文字通り肉を掴みながら登っていたのだ。

 荒沢が進んだ後には、赤い血を流す傷痕が点々と残っていた。

 二十秒もかからず、荒沢はドラゴンファントムの頭に辿り着いた。

 先ほどの蹴りにしても、今の登攀にしても、尋常ではない力だ。

 ただただ、すごい。

 離れた場所から全てを見ていた小糸は、これほど強力な特異能力を持つものがいたのかと、感動に近いものを覚えていた。

 小糸が見守る中、荒沢は這うようにしてドラゴンファントムの眉間に貼りついた。

 次の瞬間、小糸は、うっ、と声をあげそうになった。

 荒沢が、無造作にドラゴンファントムの右の眼窩へ手を突き刺し、眼球を抉りだしたからだ。

 ドラゴンファントムが凄まじい悲鳴をあげながら、猛烈な勢いでぶんぶんと頭を振った。

 それによって、神経の束にだらりと吊された状態となっていた眼球が、宙で跳ね回った。野球ボールよりも一回り大きいくらいの眼球だ。

 しかし、荒沢は離れなかった。

 それどころか、揺れるドラゴンファントムの頭の上で体勢を整えると、今度は左眼を抉り取ってしまった。

 二度目の悲鳴と共に、ドラゴンファントムが、どう、と地に倒れた。

 呻きをあげながら、悶え苦しんでいる。

 荒沢はひらりと跳んで降りると、ゆっくりと歩いて小糸の近くに戻ってきた。

 両腕が、血で真っ赤に染まっていた。

 その臭いに小糸は嘔吐感を覚えたが、顔に出さないよう必死にこらえた。

 荒沢に対する奇妙な意地のようなものが、心の中にあったからだ。

 

『後は頼む』

 

 荒沢はそう言って、小糸の隣に胡座をかいた。

 小糸は無言で一歩前に出て、のたうち回るドラゴンファントムを見据えながら、パロールの詠唱を始めた。

 

『開け開け、開け開けよ、天地開闢の調べ』

 

 ドラゴンファントムは、これまで相対してきた中で、最大のファントムだ。

 

『調べ調べ、調べ調べて、焔を知らしめせ』

 

 故に、これまでで最大の一撃、全力の炎を放つ。

 

 Ahaaaaaaaaaa!

 

 小糸の歌うような叫び。

 同時に、炸裂するように炎が現れた。

 地獄のような炎だった。

 ドラゴンファントムは全身を炎に包まれていた。それだけでなく、その周囲一帯の地面も、轟々と燃え盛っていた。

 ドラゴンファントムは、炎に包まれながらも激しく動いていた。

 その動きも、時間と共に、次第に鈍くなっていく。

 六十秒後に、ドラゴンファントムは動かなくなった。

 

『すげぇな、おい……』

 

 荒沢が、そう呟くのが聞こえた。

 

『あなたも、似たようなものでしょう』

 

 小糸は、反射的にそう返していた。

 

『まあな』

 

 荒沢は、妙に余裕のある態度で頷いていた。

 

 5

 

 自分と荒沢は、同類だ。

 研究施設の暗い通路を歩きながら、小糸はそんなことを考えていた。

 同類――人間が一人で持つべきではない強大な力を持ってしまった者同士という意味である。

 小糸が特異能力に目覚めたのは、小学生の頃だ。

 学校で飼育されていた兎に給餌していた小糸は、兎を食おうと狙って現れたファントムに襲われ、その時に特異能力が覚醒したのだ。

 他に類を見ない、強力な能力だ。怪物と言ってもいい。

 その怪物性を、小糸の周囲にいた人間は皆恐れた。

 教師も、友人も、親もだ。

 当然のことだと小糸は思う。

 声を出すだけで人間を簡単に焼き尽くす炎を発生させる力。恐ろしくないわけがない。

 その結果、小糸は独りになった。

 周囲も小糸も、それを望んだのだ。

 強すぎる力を持つ者は、独りでなければならない。

 小糸はそう、納得していた。

 しかし――

 今日の昼に見た光景を小糸は思い出す。

 一条晴彦と名乗った少年と、荒沢は実に親しげな様子であった。

 気に入らない光景だった。

 もちろん、特異能力や他人への向き合い方が、個々人によって違うのは当たり前のことだ。

 強力な能力を持ったもの同士とはいえ、小糸が独りの道を選んだからといって、荒沢も独りを選ばなければならないという道理はない。

 荒沢は小糸ではないのだ。

 そういったことが、頭ではわかっている。

 わかっているのに、荒沢に対して、許せないような、裏切られたような、屈折した負の感情を小糸は抱いている。

 よくないな、と小糸は思った。

 自分は荒沢に嫉妬しているのだ。

 自分と同じ強すぎる力を持っているのに、自分と違って独りではない荒沢を、羨ましいと思っているのだ。

 はぁ、と小糸は憂鬱な溜息を吐いた。

 荒沢が羨ましいと思っても、荒沢のように今さら他人と馴れ合うことは、自分にはできない。そうしようとも思えない。

 独りというスタイルが、骨の髄まで染みついている。

 結局、自分は自分なのだ。

 荒沢を羨ましいという想いがあるのは確かだが、自分は自分のままでいいという想いもあるのだ。

 どちらも自分なのだ。

 ならば殊更に自分の在り方を意識する必要も無いだろう。

 今の自分のままでいようとする。今と違う自分になろうとする。

 どちらも自分には必要のないことだ。

 歩きながらぼんやりと走らせていた思考に、そう結論を出した小糸は、ぴたりと立ち止まった。

 ファントムの気配が近づいていることに気付いたからだ。

 通路の先に目をこらす。

 先ほどと同じ、数十のドローンファントム。

 そして、それらの後ろから進んでくる、高さ一・五メートル程の、太い円筒形の機械。

 

「警備ロボット……こちらが当たりだったようね」

 

 小糸は小さく呟くと、パロールを唱えて能力を発動させるべく、小さく息を吸い込んだ。

 

 6

 

 小糸が新たなファントムの群れと接触した時、荒沢もまた、暗い通路で立ち止まっていた。

 通路の先に、首も体も付いていない女の顔が浮かんでいたからだ。

 その異様な光景に、荒沢は身構えた。

 一拍の間の後、荒沢は女の顔が浮かんでいるわけではないと気がついた。

 全身を黒い衣に包んだ女が立っていたのだ。

 女が纏う黒が周囲の闇と同化していたため、荒沢は女の顔だけが浮かんでいると、勘違いをしてしまったのだ。

 驚くほど肌が白く、美しい顔をした女だった。

 その白い顔の中で、瞳と、唇だけが紅い。

 瞳は、ただ紅いだけでなく、燻る炎に照らされたルビーのような、妖しい光を宿していた。

 人間が絶対に持ち得ない、妖艶な灯火だった。

 黒衣の女ファントム――

 彼女は、紅い唇をきゅうっと吊り上げながら、(わら)っていた。




 すごくどうでも良い情報ですが、オリ主のパロールは仮面ライダーゴーストに登場するメガウルオウダー及びプロトウルオウダーの音声を参考にしています。
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