おまけは上から順にゾンビマン・フブキ・無免ライダー・バング・金属バット・サイタマ視点です。
俺は正直、「バレンタイン」というイベントに今まで興味がなく、チョコレートの数で一喜一憂している男を見て馬鹿だと思っていた節さえある。
そのバカにしていた時のことを本気で謝罪したい。
俺もバカの一員であることを今日、思い知らされた。
甘いものは嫌いではないがさほど好きでもないので、チョコレート自体はどうでもいい。というより、チョコレート自体ならもう、言葉通り腐るほどもらっている。
ヒーロー協会経由で送られてくるファンレターと一緒に、今月に入ってから毎日バカみたいな量を送られてきて辟易しているぐらいだ。
……それの所為だろうか?
もしかしてこの量のチョコレートを見て、「これ以上は仮に甘党だとしてももういらないだろう」と思われているんだろうか?
思っていそうだ。エヒメさんなら。
本命だなんて自惚れも通り過ぎた恥ずかしい妄想でしかないものをもらえるとは当然思っていなかったが、一月前からお菓子作りの本を読んでいたりネットでレシピ検索をしていたり、ここ数日はだいたい台所で色々とチョコレート菓子を作っていたのだから、「いつもお世話になってます」程度の義理ならもらえるだろうと思い込んでいた。
物を作るのが好きな人で、そしてそれを人にあげることも好きらしいので、義理チョコはもらえて当然だと信じて疑っていなかった。
そして実際、エヒメさんは毎年きちんとあげている先生にはフォンダンショコラを、ご友人のゼンコさんとその兄の金属バットにはホワイトチョコやイチゴなど多種多様なトリュフを、バングとその弟子チャランコにはこしあん入りの和風生チョコを、無免ライダーさんにはバナナ入りチョコレートマフィンを、フブキ組にはチョコムースケーキを、タツマキや童帝、その他S級全員にヒーロー協会経由でブラウニーを送ったらしい。
エヒメさん、作りすぎです。どれだけ多種多様に作ってるんですか。
……そんなツッコミさえも俺には入れる気力はない。
何故なら俺は本日エヒメさんから、チョコレートを一欠片どころかココアを一口すらもらっていないのだからな。
……現在の時刻は午後8時。いつものように先生宅で夕食をいただき、その後片付けを手伝っている最中だ。
そしてこの片付けが終わるとエヒメさんが入浴するので、その前に俺は隣の自分の部屋に帰る。……帰るのだが、今帰ったら部屋の中で一人、泣きそうだ。俺に泣く機能はさすがに博士も搭載しなかったので泣けないが、生身ならたぶん現時点で既に泣いている。
……エヒメさん、うっかり俺に「既に渡したと思い込んでる」だけですよね?
渡すことを前提で、でも身近すぎて渡したと思い込んでいるだけであって、そもそも俺を数に入れてなかったとかじゃないですよね!?
そう言って問い詰められたら、どれほど楽か。
そんなこと出来る訳もなく、モヤモヤとしながら俺は食器を洗う。
渡し忘れ、渡すつもりだったがファンからのチョコレートでもういらんだろうと思われたのなら、まだいい。
ないとは思うが、……ないと信じたいが、「え? 欲しいんですか?」とか、「ジェノスさんにあげなくちゃいけないんですか?」などと答えられたら、俺はもう立ち直れない。
「……あの、ジェノスさん。お皿はもうないですよ」
エヒメさんに控えめに指摘されて、俺はひたすらスポンジでゴム手袋をはめた自分の手を洗っていることに気付く。
エヒメさんが俺に、「大丈夫ですか? 今日のジェノスさん、心ここにあらずって感じですよ」と心配してくれるのも、そこに気付いてくれるのもありがたいが、全部貴女の所為です。貴女は何も悪くないけれど、貴女の所為です。
そう言えるのであれば、もうとっくの昔に俺は「俺にはチョコレートをくれないんですか?」と訊けている訳で、俺は「大丈夫です」と誤魔化すしかない。
……もう今日は帰って、明日辺りに「ごめんなさい! 昨日、渡したと思い込んでました!」と言ってもらえることを期待しよう。
それさえもなければ余計に立ち直れない気もするが、もう明日の事は明日考えればいい。
そんなポジティブなのかネガティブなのかよくわからないことを考えていたら、先生が漫画を読みながらエヒメさんに言った。
「そういやエヒメ。お前、ジェノスにチョコやったのか?」
特に他意のない雑談か、俺の心ここにあらずな理由を察したのかはわからないが、先生の言葉はありがたいと同時に「ないとは思う」と言い訳しつつ目をそらしていた事実を目の当たりにしかねない恐ろしさで、身が竦む。
きっと俺が、どんなに貴女からの答えに戦々恐々しているかなんて知らないエヒメさんは、先生からの問いに気まずげに笑い、俺に向って答えた。
「あー……えーと、ごめんなさいジェノスさん。ジェノスさん、今月に入って凄い量のチョコをもらってたじゃないですか? それでもう、チョコレートはいらないかなーって思ったんです」
返ってきた答えは想像していた中で一番マシな方だったことに、とりあえず安堵する。
良かった。忘れていたわけでも、初めからあげる気がなかった訳でもなく、あげることが前提だったが気を遣っただけだった。
残念ではあるが、気にかけてもらえていたことには間違いないから、それで良しとしよう。ただ、来年からは絶対に一つも受け取らない。全部協会に送り返そうと決心したところで、エヒメさんは言葉を続けた。
気まずげな笑みが、いつの間にか恥ずかしそうな紅潮に変化していることに、俺は気付いてなかった。
「……思ったんですけど、いつもお世話になってるジェノスさんにはどうしても渡したくって、どんなのなら食べてもらえるかなーと思って色々作ったんですけど……」
「え?」
全く想定していなかった言葉が続けられ、俺が呆けているとエヒメさんが誤魔化すように笑って、今日俺に一度も開けさせなかった冷蔵庫を開ける。
「あはは……今思えばチョコレート以外を作ればよかったんでしょうけど、何故かチョコにこだわっちゃって」
言いながら、台所に並べられたのは、ブラウニー、チョコムース、チョコレートマフィン、生チョコ、トリュフ、フォンダンショコラ。
「……なんか、ただでさえあの量で大変なのにさらに大変にさせちゃいました」
他者にあげた物のあまりではなく、俺がどんなチョコレートならまだ食べれるかを考えて、そしてこれだけ作ってくれた。逆に他の人間こそが言葉は悪いがついでのあまりだったことに、くすぶっていた醜い嫉妬が消えて、温かな想いがコアの中に満たされる。
「ジェノスさんは優しいから、見せたら全部食べるって言って迷惑をかけそうで、でもどれならいいかわかんなくなって渡せなくて……何か本当に本末転倒ですね。
……あの、無理しなくていいですから! 私が自分で食べますから、いらなければ気にせず……」
「……いえ」
俺に気を遣って、食べなくてもいいと言うエヒメさんの言葉を遮って俺は答える。
「いえ、あの……欲しいです。全部。全部、一生大事にしますからください!」
「いえ、食べてください」
「いや、食べろよ」
エヒメさんだけではなく先生からも至極当然なことを突っ込まれた。その通りだ。何を言ってるんだ俺は。
ただ、俺の頓珍漢な返答が俺に気を遣わせて悪いと思っていたエヒメさんの罪悪感を吹き飛ばしたのなら、恥をかいた甲斐があった。
エヒメさんは一度、おかしそうに笑ってから「でも、ありがとうございます」と言ってくれた。
エヒメさんからもらったチョコレートを紙袋を詰めてもらい、俺は玄関に向かう。
同じような重みでも、協会から届けられたファンからのチョコは邪魔としか思えなかったのに、彼女からだとむしろあの意味不明な「一生大事にします」を実現してしまいそうだ。現金で単純な自分に呆れる。
エヒメさんがいつものように玄関まで俺を送ってくれたので、俺はもう一度チョコレートの礼を言い、お返しは何がいいかを訊いてみたが「好きでやった事なので、気にしないでください」と言われて答えてはくれなかった。
そんな訳にはいかないので、これから一か月かけて俺はエヒメさんが一番喜ぶのは何かをリサーチしようと心に決めると同時に、エヒメさんはふわりと微笑んで俺に訊いた。
「ジェノスさん。来年はどんなチョコレートが良いですか?」
彼女の中で来年も俺が側にいることが決定事項というだけで、このコアのその「来年」までエネルギーが尽きないだろうと確信する熱量を得た。
* * *
(ブラウニー)
ヒーロー協会本部の会議室に入ったら、タツマキと童帝と豚神の3人でやたらと殺気立ったじゃんけん大会が繰り広げられてた。
「……これはどういう状況だ?」
とりあえず、頭痛を堪えるような顔して黙り込んでいる閃光のフラッシュに尋ねてみたら、奴は無言で会議机の中央にある箱を顎で指す。
その箱の中をのぞけば、丁寧に個包装された手作りらしきチョコレートの焼き菓子がいくつか入っており、その菓子に添えられたメッセージカードでこの意味不明な戦いを理解する。
『S級の皆さん、お疲れ様です。いつもお世話になっています。
もし余ってしまったら、甘いものが好きな方がもらってください』
そう書かれたカードの末尾に添えられた名は、シババワの予言で集められた時、何故か新入りが連れてきていた女の子だろう。俺は興味がなかったので覚えてないどころか多分そもそも名前を聞いていないが、そうとしか思えない。
何故か以前から面識があったシルバーファングや金属バットはいいとして、プリズナーやアトミック侍、童帝どころかキングやタツマキまでもがやたらとあの嬢ちゃんを気に入って、先日も会議そっちのけで意味不明な戦争が起こったところだ。
間違いなくこのじゃんけんは、どこにいるかわからず渡せないブラストと、興味がないから受け取らないであろうメタルナイトという、確実に余る二つを誰がもらうかの争奪戦だ。
っていうか、童帝とタツマキはもういいとして、お前も参戦するのか豚神。食べ物なら何でももらえる分は欲しいのか、餌付けされたのか……。
またS級にあの嬢ちゃんのファンが増えたことで、少しは協調性が出来たことに喜べばいいのか、面倒事が増えたことに頭を悩ませたらいいのかわからず、とりあえず小腹が減っていたので、俺はありがたく箱の中から自分の分を一つ取って口の中に放り込んだ。
……やべぇ。一瞬争奪戦に参加しようかと思うくらい美味いわ、これ。
* * *
(チョコレートムースケーキ)
「フブキ様、本当にいらないんですか?」
「……えぇ。私はいいわ。あなた達で切り分けて食べなさい」
本日、クール便で送られてきたチョコムースのケーキを持って、リリーが私に尋ねる。
マツゲや山猿が「一口くらいはいかがでしょうか?」とか言うけど、何を言われても私の答えは同じ。
「気にしないで。あなた達が食べなさい」
……せっかく送られてきたものを、一口も食べないのは悪いとは思ってるわよ。
でもね、食べるわけにはいかないのよ!
あの子の料理が美味しいのはわかってるのよ! 最近、入り浸ってるから! ついつい後で後悔するのをわかってるのに、お茶菓子が並べられたらつまんじゃうのよ!
その所為で、さいきん太ったのよ! 体重自体は変わってないけど、少し余裕があったスカートのウエストがぴっちりになっちゃったのよ!
だから、食べるわけにはいかないのよ。
って言うか何で寄りにもよって手作りなのよ。美味しいのがわかってるのに、カロリー計算がしにくいじゃない!
「あのー、フブキ様?」
私がエヒメに対して、八つ当たりなのか正当な怒りなのか我ながらよくわかんないことを考えてたら、再びリリーが声をかけてきた。
「まだ何か?」
ついついつっけんどんな対応をしてしまった私に、リリーは怯えるような躊躇うような様子で自分のケータイを差し出す。
「何?」
言いつつ画面を見てみたらメール画面開かれており、そこに書かれていた文章はシンプルだった。
『あのケーキ、生クリームを使わずに作りましたからカロリー低いですよ』
リリーが何をエヒメに訊いたのかは、わざわざ見直さなくても一目瞭然だった。
「……リリー。他のフブキ組……というか男にこのことは?」
「もちろん、言ってません!!」
さすがに女同士、阿吽の呼吸で理解が出来ていたわ。
「……小さいの一切れだけ、持ってきて頂戴。ついでのコーヒーも」
「はい!」
ケータイを返して私が命じたら、リリーは嬉しそうに走って行った。
* * *
(バナナチョコレートマフィン)
「よう、無免」
公園で少し休憩していたら、スティンガー君とイナズマックス君の話しかけられた。
本来ならC級の僕とA級上位の彼らとは同じヒーローとはいえ立場がかなり違うから、話しかけられることもないんだけど、彼らは深海王の件で少し親しくなった。
「やあ。……さすがA級上位だとすごい量だね」
僕はあいさつを交わしながら、思わず苦笑する。二人は両手にかなり大きな紙袋を持っていて、その口からは色とりどりのリボンや包装紙が溢れ出ている。
さすがはA級。A級というだけでアイドル的な側面を持つのに、この二人は普通にかっこいいから今日は見回りで歩くだけでもすごいことになってる。
この分だと、協会経由で送られてきたものも合わせたらもうチョコレートは見たくないレベルだろうな。
「そういうお前も、すごいじゃないか」とスティンガー君が僕のジャスティス号の荷台を見て同じように苦笑する。
「ははっ、ありがとう。けど、どれも全部義理だよ。君たちみたいに可愛い子から告白は無縁だよ」
普通に感謝の気持ちを表したチョコレートはこの上なくうれしいけど、僕も男なので本心から羨んだら、二人もいやいやそんなことないと互いに謙遜しあう。
「っていうか、お前が今食ってんの手作りじゃねーか。そんなのくれる子がちゃんといて、何がうらやましいだ」
イナズマックス君がちょうど小腹が減ったからおやつ代わりに食べてたマフィンを指さし、からかうように言う。
「なんだ、無免も隅におけねーな」とスティンガー君も悪ノリしてきたから、僕は否定しておく。しておかないと、あとでジェノス君が怖いから。
「いや、これこそ義理中の義理だよ。エヒメちゃんが、いつもお世話になってますって言ってくれたものだから……」
「「一番羨ましいやつじゃねーかっ!! 俺にもくださいお願いします!!」」
僕の言葉に二人は盛大にキレつつ、懇願してきた。
……まだ、諦めてなかったんだね、二人とも。
* * *
(あんこ入り生チョコレート)
「チャランコや。休憩するぞ。渋めの茶を淹れてくれ」
「はい!」
やれやれ、鍛練よりも休憩のときばかり良い返事をするな。まぁ、以前は返事すらも出来んくらいじゃったから、多少は体力がついてきたのはいいことか。
「チャランコ、喜べ。今日の茶菓子は特別じゃ」
「え? 何すか? また先生のお兄さんから送られてきたものですか?」
技よりも茶を淹れることがうまくなった弟子を縁側に呼び、今朝送られてきたばかりの菓子を開ける。
「エヒメ嬢から、『いつもお世話になってます』と送ってもらえた手作りのチョコレートじゃ。ありがたくいただきなさい」
「マジっすか! いただきます!!」
いつも以上に姿勢を正して食べるチャランコの現金さに苦笑しつつも、わしも爪楊枝に一つ刺して口に運ぶ。
「ふむ……。あの子は本当に、気がよく利く子じゃのう」
「なんかやたらと緑茶に合いますけど、チョコレートの甘さじゃないですよね、これ?」
チャランコの言うとおり、エヒメ嬢から送られてきたチョコレートの甘さはくどくなく、緑茶に合う優しい甘さとかすかな渋みがチョコレートの苦みによく調和しておる。
「あんこでも混ぜておるな」
「あー、なるほど。俺、あんこってあんまり好きじゃなかったですけど、これは良いですね」
チャランコにとってはあまりなじみがなくて珍しいじゃろうが、わしにとっては洋菓子よりなじみ深い味じゃ。
一度も洋菓子はあまり好まんと言った覚えもなければ、和菓子の方が好きかと訊かれた覚えもないが、そういえばあの子の入院中、見舞いに来たとき菓子を勧められてもあまり口にはせんかったな。
あれでだいたい、察しておったのじゃろう。
「……エヒメさんって、マジで理想の嫁って感じですよね。穏やかで優しくてかわいいし、料理美味いし気が利くし……」
チョコレートを食べながら、チャランコは浮かれたようにそんなことを言い出した。
「何じゃ、チャランコ。エヒメ嬢に懸想か?」
「い、いや! そんなんじゃないっすよ! ……ただ、もうちょっとお近づきしたいなーとか思ったり……」
否定しておきながら、下心を隠しきれんのは情けないが、まぁ気持ちはわかる。わしも60年若ければ、ぜひとも嫁にしたい子じゃ。
そしてほとんど偶然とはいえ、最後に残ったこの弟子のことをわしはそれなりに可愛いと思っておる。
だから、本気ならわしにできる範囲で協力してやってもいいのじゃが……
「近寄りたいのなら、勝手にするがいい。ジェノス君を敵に回す覚悟があるのならな」
「あ、無理っすわ」
一瞬で諦めたこの現一番弟子の頭を、一発どついて縁側から落としておいた。
その程度の気持ちであの子に近寄りたいなど、100年早いわバカ弟子が。
* * *
(トリュフチョコレート)
「お兄ちゃんお兄ちゃん! 見て見て!!」
家に帰るとゼンコが頬をリンゴのように染めて、なんか箱を持って来た。
「どうしたんだよ、ゼンコ?」
「へへ~、おねーさんが送って来てくれたんだ~」
ゼンコの「おねーさん」で現金に俺は怪人退治の疲れを吹っ飛ばして、期待する。
「ほら、見て! すっごく美味しそうだし、綺麗でしょう!」
ゼンコが明けた箱の中には、綺麗な球状にして飾りをつけたチョコレートが10粒くらい詰まっていた。
普通のチョコレートに、ホワイトチョコとイチゴチョコを基本に、ホワイトチョコにイチゴのハート形のチョコをくっつけたのやら、ホワイトチョコで目やひげを書いて猫みたいにしたチョコやら、ゼンコが喜びそうな食べるのがもったいない可愛いチョコレートだ。
……うん、そう。……ゼンコが喜びそうなチョコレートだ。
添えられてる可愛いメッセージカードにも、「ゼンコちゃんへ」と綺麗な字で書いてある。
わかってた! わかってたよ! このチョコレートはゼンコへの友チョコであって、俺宛てじゃないことくらいわかってたよコンチクショーッ!!
「……あぁ。すっげー可愛くて、うまそうだな……。良かったな、ゼンコ。ちゃんとお礼を言っとけよ」
わかってたけど、それでもつい期待してしまい、ゼンコは何も悪くないけどテンションがダダ下がりになった俺は、何とかそれだけ言って自分の部屋に戻ろうとする。
「あ、待ってよお兄ちゃん!」
するとゼンコが俺の服の裾を引っ張って止める。止めないでくれ、ゼンコ。兄ちゃんにだって泣きたいときはあるんだ。今はそっと一人にしてくれ。
「何わけわかんないこと言ってるの? 早くこっちに来てよ。お兄ちゃんの分も見ようよ」
「へ?」
俺の心の声はダダ漏れだったらしく、ゼンコは若干引いたような目で言うが、今は気にならない。
っていうか、え? 俺の分?
「おねーさん、お兄ちゃんの分もちゃんと送って来てくれたんだよ。お兄ちゃんのだから、勝手に開けてみたら悪いと思ったから待ってたのに」
俺が尋ね返すと、ゼンコが少しむくれながら答える。
話を聞かなくて悪かったゼンコ! そしてありがとう、エヒメさん!
俺はさっそく台所に置いてある俺の分のチョコレートを開ける。ゼンコのと比べるとだいぶ箱が小さいけど、気にすんな!
綺麗に包まれた包装を解いて、箱を開ける。
その中身を見て、俺とゼンコは一度顔を見合わせてから笑った。
「すごく、お兄ちゃんらしいチョコレートだね」
「あぁ。そうだな」
長方形の箱に三つ並んでいるチョコレートは、真っ白なホワイトチョコに普通のチョコレートで丁寧に縫い目が掛かれてた。
三つの小さな野球ボールは、なんとも俺らしいチョコレートだろう。
* * *
(フォンダンショコラ)
もう日付もそろそろ変わる時間だというのに、内の部屋の中でやたらと甘いにおいが充満している。
「お兄ちゃん、少し早いけどいる? 焼きたてが一番おいしいよ」
そう言って、エヒメが焼き上げたばかりのなんとかショコラとかいうチョコケーキを俺に見せる。
ちょうど小腹が絶妙に減る時間だったので、俺は遠慮なくもらった。
カップケーキくらいの大きさだったから、フォークを刺してそのまま齧ろうとしたら「お兄ちゃん、中のチョコレートが熱いから火傷するよ」と注意された。
言われてフォークで割ってみたら、中から溶けたチョコレートがドロリと出てきた。
なるほど。確かにこれは、焼きたてが一番うまそうだ。
俺はアツアツのチョコケーキを食いながら、洗い物をするエヒメに訊く。
「エヒメ、ジェノスに渡しに行かねーのか?」
エヒメの動きが、一瞬止まる。
「……もう夜遅いし……」
「焼きたてが一番うまいんだろ?」
「レ……レンジであっためることも出来るし……」
俺から目をそらし、私に行かない言い訳を並べる妹を見ていてため息が出てきた。
まぁ、気持ちはわからなくはない。あんだけ2月に入ってから毎日大量のチョコレートが届けば、これ以上やるのはむしろ迷惑じゃないかと、ネガティブなこいつじゃなくても普通に思う。
まぁ、普通に考えたら確かに迷惑だろうけど、お前相手じゃ迷惑じゃねーよ。
むしろやらないと、あいつがショック死すんぞ。
そこまで教える義理もねーし、どうしても渡せなかったら俺が言えばいいだけだと俺は結論付けて、これ以上この話を続けるのはやめる。
「ごちそーさま」
俺はケーキが乗ってた皿とそれを食ったフォークを台所に持っていく。
「美味かったよ」
毎年のやり取りなのに、エヒメはこの上なくうれしそうに笑う。
今年は少なくとももう一回、この笑顔が見れるのは嬉しいけど……、それが俺相手じゃないのはなんだか複雑だ。