「やめてくれ!」
「ごめんなさい!ゆるしてください!」
「違う!俺じゃない!」
「俺はやってない!」
「やめろ!」
目を開けると見慣れた天井。
「……嫌な夢見ちゃったな」
木目がはっきりと見えるTHE・木造建築と言える天井。
確かめるまでもなく、俺の家の天井だ。
築50年の激安ボロアパート。
それが今の俺の家だ。
管理人がかなり不真面目でアパートの手入れをサボり、ここまでボロボロになってしまった。
そのおかげで入居者も減り、家賃も安くなった。
だからこそ俺もここを選んだわけだが。
寝汗がひどく、服がべちゃついて気持ち悪い。
目が覚めた俺は朦朧とした意識の中、ほぼ無意識で洗面台まで向かった。
錆び付いて動きにくい蛇口を無理やり回して水を出し顔を乱暴に洗う。
冷たい水が心地いい。
眠気がなくなっていくのを感じた。
覚醒した意識の中、鏡に映った自分の顔を見る。
「ひどい顔だな……」
鏡に映ったゾンビのように痩せこけた顔と何も映さない淀んだ瞳はこれまでの俺の人生を表しているようで。
白髪が見え隠れする乱れた頭を掻いて思わず乾いた笑みを漏らした。
黒島 裕二。それがこの35歳になるおじさんの名前である。
現在無職、借金まみれの端から見れば社会のゴミと言われてもおかしくはない人間だ。
この人間の人生を一言で言い表すとするなら、『理不尽』ほど的確な言葉はないように思える。
幼少期からいろんな理不尽な目に遭い続けてきた。
初めに家庭内暴力。
俺の両親は俗に言うクズ親だ。
殴る、蹴るは当たり前。
食事も1日1食あればいい方。
そんな生活のおかげで当時の俺はガリガリなもやしっ子だった。
暴力によるあざもできていたりしたが、親は変なところで頭が回るので服で隠れる部分にしかあざは残さなかった。
次にイジメ。
俺も最初の頃は学校生活に希望を持ったりしていた。
友達100人できるかな、という歌があると思うが、俺はそれを真面目に達成するつもりでいた。
でも現実は非情なものでガリガリなもやしっ子の俺は周りには随分と不気味な奴に映ったらしい。
周りと違う人間は排除されるのが社会の常。
それは子供の世界でも同じ。
よって俺は学校でも家と同じような扱いを受けることとなった。
そんな俺も恐ろしいことだが慣れてしまい、成人になった。
せめて勉強は負けるかと独学ながら猛勉強しレベルの高い大学を出て、有名な会社の内定ももらった。
この時は不幸続きの俺の人生もやっと風が吹いてきたかと舞い上がったものだ。
だが現実は残酷だった。
さらなる理不尽。
それは痴漢の冤罪だ。
満員電車に乗っていると突然前に立っていた女が
「この人、痴漢です!」
と俺の手を挙げ、声高らかに宣言した。
もちろん俺も否定した。
だけど誰にも信じてもらえなかった。
もちろんそれで内定も取り消し。
痴漢を犯した犯罪者というレッテルを貼られ就職もできなくなった。
だがそんな俺にも心の支えがいた。
それは一人の親友だ。
友達100人は出来なかったが、親友は1人できた。
こいつはいつも俺を励ましてくれた。
痴漢冤罪の時もこいつだけは信じてくれた。
ある時そんな親友から借金の代理人になってくれと頼まれた。
もちろん引き受けた。
彼のことは誰よりも信用していたから。
だがそれも裏切られた。
それがさらなる理不尽。
親友は夜逃げしたのだ。
おかげで俺が借金を肩代わりすることになった。
職もないのにどうやって返せというのだ。
何度死にたいと思ったかわからない。
自殺しようと何度思い立ったことか。
だが悲しいことに俺には自殺する勇気すらなかった。
自殺サイトなるものに応募して数人で自殺すれば怖くないと思ったが、周りの奴らが死んでいくのを見て怖気付き、逃げ出してしまった。
そんなこんなで今まで生きてきた。
こんな俺でも自分で言うのもなんだが真面目なので職は探していた。
だがこんな俺を雇ってくれるところがあるわけもなく、ついには俺自身も諦めてしまった。
今では寝て起きての繰り返しになっている。
今日も例に漏れず起きたがやることも見つからずただただぼーっとしていた。
「散歩でもするか。」
唐突にそんなことを思い立った。
たまには日の光でも浴びないと身も心もカビてしまいそうだしな。
いい機会だ。
思い立ったが吉日。
早速出かけよう。
着古してボロボロになったジャージから同じく何年も買い換えていないジーンズとTシャツに着替える。
外に一歩出るとそこはもう別世界。
いきなり目に飛び込んできた強い光に思わず目を閉じてしまう。
真昼間の日差しと熱が俺を襲い、軽い立ち眩みを起こした。
目も慣れてきて少しずつ開くと、やっと外の景色が見えるようになった。
木々の緑の葉が風に揺られ揺れている。
「そういえばもう夏か……」
思わずそうつぶやいてしまった。
カレンダーなんてもういつからか見なくなっていたし、寝てばかりいたから時間の感覚がなくなっていたのかもしれない。
なんだか出て1分も経たずに出てきたことを後悔してしまった。帰りたい。
でもせっかく出てきたんだから出かけるか。
「なかなか散歩も悪くないな。」
散歩をし始めてから1時間近く経過した。
暑さにも慣れ、しばらく外に出ていなかったから街のいろんなところが変わっていてそれがまた面白かった。
今俺がいるのは都会の中心部で人がまさにゴミのようにひしめき合っている場所だ。
最初は俺をゴミのような目で見てくるのが鬱陶しくてたまらなかったがもう気にならなくなってきた。
たまには外に出てみるものだ。
なんだか元気をもらった気がする。
俺は家を出た時とは比べ物にならないほど清々しい気持ちで歩いていた。
もし神がいるとしたら俺はこんな気持ちになることすら許さないのか。
そう思えるような出来事が突然起こった。
何かが俺の背中にぶつかった感覚。
次いで俺の横腹あたりに違和感が沸き起こった。
そして声にならないほどの激痛。
「っ!」
痛すぎて叫び声すらあげられなかった。
何事だと思い振り会えるとそこにいたのはニヤニヤと誰もを不快にさせるような笑みを浮かべた青年。
なんなんだこいつは。
知らないやつだぞ。
一体さっきの痛みはなんだ。
いくつもの疑問が頭の中を駆け回る。
横腹に手を当てると、べちゃと嫌な音がした。
(おいおい……嘘だろ)
その手を恐る恐る見る。
手にはやはり予想通り赤黒い液体がべっとり付いていた。
言うまでもなく俺の血だ。
それを自覚した途端に頭が急激に氷で冷やしたように冷たくなる。
足に力が入らずに立っていられなくなる。
擦り傷とか今まで痛くなかったのに気が付いた瞬間痛くなり始めるあれだ。
「きゃぁあああああ!」
「うわぁぁああああ!」
俺が倒れたことで殺人犯に気づきパニックになる周りの人々。
「はははははははははは!」
俺を刺したやつは狂ったように笑っている。
そいつは俺から包丁を抜いて、他のやつに切り掛かる。
抜かれた時にさらに激痛が走るがそれどころではない。
あいつは俗に言う通り魔というやつなんだろう。
最後の最後まで理不尽だ。
それにこの出血量だ。
俺は助からないだろう。
朦朧とした意識の中他の奴らが切られているのが見える。
みんな必死で逃げているので俺ほど致命傷のやつもいないが、切り傷を負ったやつがチラホラ見える。
そういえば走馬灯見えないな。
まああれはこの状況を打開する方法がないか脳が過去を思い出しているだけだし、俺の過去にどうにかできるヒントがあるとは思えないからまあ、当たり前かな。
そんなどうでもいいことを考えていた。
案外死ぬときは落ち着いているものだ。
それとは同時にやっと死ねると何処か喜びのようなものを感じてさえいた。
「まったく……ろくな人生じゃ……なかったな」
かすれかすれの声でそうつぶやいた。
そのまま俺の意識はなくなっていった。