「――――! ベルッ! 前に跳べ!」
「―――へっ? うわぁ!?」
『ヴゥムゥンッ!』
行き止まりである四角形の空間を前に立ち尽くしていた俺とベル。背後から追ってきていたミノタウロスがとうとう俺たちに追いつき、俺の体2つ分はあるのではないかという豪腕による強襲が地面を抉る。
なんとか拳による直撃は前方に跳ぶことによって避けられたが、衝撃の余波で体が前に吹き飛ばされ受け身が取れず、ごろごろと地面を転がった。
「……痛ってぇ………おいベル、無事か」
「う、うん……なんとか……」
ベルの方も攻撃自体に反応はできていなかったものの、ミノタウロスが手前にいた俺を狙っていたようで、ベルに直撃はせず俺と同じように余波で吹き飛ばされただけのようだ。
2人無事で何より………と言いたい所だが……、
(状況は最悪だな……)
ちらり、と地面に這いつくばったまま後ろを見る。
後ろには〈ズゥゥゥン……〉という効果音がついてそうな壁。
再び前に視点を戻してみる。
前には『ブモオォ……』と、いかにもやる気満々ですって感じに唸っているミノタウロス。
……うーん………詰んでる?
「―――グス、うう、グス」
「………ベル?」
俺が冷静に現状の分析をしていると隣からすすり泣く声が聞こえた。
声に釣られて隣を見ると、やはりベルが泣いていた。
いや隣にベル以外の人、知らないおじさんとか泣いてても嫌だけど。
それにしても、
「なんで泣いてるんだ?」
「だ、だって……」
ベルは地面に腕を敷くようにして、そこに顔を埋めて泣いている。
確かにベルは泣き虫で弱虫で英雄バカだが、ところ構わず泣くような奴ではない。いくら今の状況が絶望的で、助かる可能性がゼロに等しいからといって泣くなんてことはしないと思うのだが………。
「僕じゃなくてシンがあの時道を選んでいたらこんな事には………」
「………ああ」
なんだそんなことか。
「安心しろ、ベル」
「………えっ」
ベルは俺の言葉を聞くと、責められるとでも思っていたのか驚きの声を発するのと同時に、腕の中から顔を上げた。
そして俺は、泣き顔のベルと目を合わせると、ニッコリと微笑み、言ってやった。
「俺もあの時頭の中で右の道選んでた」(ニッコリ)
「聞きたくなかった!」
「やっぱり俺たちって双子なんだな」(ニッコリ)
「嬉しくないよ!」
ベルはそう叫ぶと今度は別の意味で、頭を抱えて地面に突っ伏してしまった。
あの時どっちが道を選んでいても結果は変わらなかったという現実を知りたくなかった様子だ。
俺もベルの立場で聞かされたらムカついただろう。おそらく。
「さて……無駄話はこれぐらいにして、本格的にこの状況をどうにかしないとな」
俺は両腕を柱のように地面に突き立て、腕力で這いつくばった体を起き上がらせる。
服についた土や砂を手で払い、前を向く。大きな影。一つしか無い出口を遮るように立ちそびえるミノタウロスは、既に勝ったつもりでいるのか心なしかにやついた面で、悠然と大きな足音を立てながらこっちに歩いてくる。
それにしても
(………ムカつくヤローだ)
自分の勝利が揺るがないと思っているのだろう。後は料理するだけと思っているのだろう。余裕綽々と言った表情だ。
俺は、その腹が立つ牛面を一発ぶん殴ってやろうと、腕に力を入れ、ぐっと拳を握りしめ一歩踏み出そうとした、が。体が後ろに引っ張られた。
振り返るとベルが縋るように膝立ちで腕にしがみついている。
「シン……まさかミノタウロスと戦うつもりなの!?」
「……あぁ、そうだけど」
「無理だよ! あんな奴に勝てっこない!」
「……俺だって勝てると思わない」
「ならなんで……!」
体を反転させて、俺の腕を掴むため膝立ちになっているベルと向き合う。未だ腕を掴んでいるベルの手をゆっくりと解くと、目を合わせた。どうやらベルは俺が玉砕覚悟で戦うんだと勘違いしているらしい。
「ベル、俺は『戦う』とは言ったが、『勝つ』とは言っていない」
「………へ?」
「俺のスキル、ベルも覚えてるだろ?」
「………あ」
「あれを上手く使えばあのヤロ―の横を通って逃げるくらい出来るだろ」
「で、でもあのスキル使ったこと無いんじゃ……」
「まぁ、普通に冒険してりゃ今回みたいなイレギュラーでもない限り、使うことなんてそうそう無い代物だからな」
掌を見つめて、握る、開く、を繰り返す。
不本意にも俺とベルの主神である駄女神に神の恩恵を受けた日、最初から記されていた俺のスキル。今まで使うことは無く埃を被っていたが、恐らく今この状況を打開できる、おそらく唯一の手。
しかし、このスキルを使っても正直助かるとは言えない。助かる確率は五割……いや、多く見積もっても四割程度。使い方を誤れば――
「でも、それじゃあシンが……」
「そりゃ俺のスキルだから俺が一番危険だろうな」
もろ戦闘系だし。
「他に方法は……」
「無いな、少なくとも俺には」
それに……
『フゥー、フゥーッ………!』
「相手さんももう待ってはくれなさそうだ」
「ヒィッ!」
立ち上がった俺に警戒して歩みを止め、再び鬼ごっこになることを恐れたミノタウロスは、俺がベルと話している間も一つしか無い出口への通路を塞ぐようにして、逃すまいとギラついた目でこちらを睨みながら立ち塞がっていた。が、ミノタウロスも我慢の限界のようだ。口から涎をだらだらとだらしなく垂らして、今にでも突っ込んできそうだ。
やっぱり俺がスキルを使って戦うしか……、いや、まてよ?
「ベル、お前確か敏捷の値、俺より高かったよな」
「う、うん。モンスターから逃げまわってばかりだったから……」
「じゃあ最初のミノタウロスの攻撃は見えたか?」
「最初……、ううん見えなかった。 でもなんで今――」
「よし分かった、じゃあ立て」
「………へ?」
よーし、うん。これならいけるかもしれんな。
俺のスキルとベルの敏捷があれば上手いこと事を運べるかもしれん。
………ん?
「ベル早く立て、奴さん今にも飛びかかってきそうなんだから」
「………もしかして僕もなにかやるの? シンみたいに戦えないよ?」
「……んー、……もしかしたら一番危険かもな」
「え゛」
「……嫌だったら別にいいけど、俺がミノタウロスとタイマンするだけだし」
「………因みに勝率は?」
「良くて一割だな」
「…………ああもう! 分かったよやるよ! 僕だってシンの兄なんだからね」
ベルは勢い良く立ち上がる。さっきまで泣いていた姿はどこへやらとやる気に満ち溢れ、勢いそのままに俺の前までズンズンと歩きミノタウロスと向き合った。……若干やけくそ気味だし、ミノタウロスと向き合って足ガクガクしている気がするが………まぁ気にしないで行こう。
「それで僕は何をやればいいの!」
「細かな説明は省く。疑問に思っても口にだすなよ時間がない」
ミノタウロスさん慎重になりすぎて鬱憤溜まってんだから。
「ふ、不安だけど、……わかった」
よしゃ、言質とったり。
「よし、じゃあとりあえず、持ち物全部ここに置いてなるべく体を軽くしろ」
「え、」
「あ、ナイフは俺にくれ」
「あの、」
「次はミノタウロスの方を向け」
「ちょ、」
「目をつぶって」
「まっ、」
「全神経を走ることに集中してミノタウロスに向かってダッシュ!」
「ちょっと待って!」
最後の指示を聞いてグルンと振り返るベル。
残念ながら待ちません。
「ベル! ……俺を信じろ」
「………! わかったよ……シンは決して僕を貶めたい訳じゃないんだね……?」
「……よし、俺が合図だすからそのタイミングで跳べ」
「否定してよ! もう!」
ベルは腹を括ったのか、それともやはりやけくそなのか、はたまた全てを諦めたのか定かではないが、覚悟を決めたようだ。再びミノタウロスと対峙し瞳を閉じた。ミノタウロスも何か仕掛けてくると悟ったのか警戒こそしてベルを睨みつけているが、表情や気性から感じ取れる苛立ちのせいで視界は狭く冷静な判断も出来ないだろう。
好都合だ。
「フゥ………」
ベルは更に集中力を高めるためか大きな一息を吐くと、前に倒れるようにして両腕を地面に立てて体を支えた。その姿は一見四足歩行の獣に見えるが獣のような荒々しさはなく、綺麗な、まるで走ることにのみ特化したような前傾姿勢だ。
ベルは直ぐには走りださず、落ち着いて集中力を高めてくのと同時に両足に力を込めていっている。
静粛
先までのやり取りが嘘のようにこの空間は静まり返っていた。パラパラと降ってくる小石の音すらも聞こえてくる程だ。後ろから見ているだけだがベルの集中力も限界まで高まってきているのもわかった。汗がベルの頬を伝っていく。
恐らく最後であろう一息を、ベルが吐き出した。
すると、
(――2秒後走る)
「………?」
何故か、俺の頭にベルの走りだすタイミングがふと浮かぶ。
双子のシンパシー? なんてものは信じちゃいないが、何故か、今この時ばかりはほぼ確信めいた直感。……いや、直感なんかじゃない、まるでベルと言葉通り一心同体になったと思えてしまうほど、『確実に走る』、外れる可能性など考えず、余りにも自然、まるで自分の思考のから出てきたようなその思いを俺は信じて疑わなかった。
そして―――
1秒
カチッ
2秒
カチッ
ベルの頬を伝っていた汗が空へと置き去りにされた――