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ドレイ。それは、主人の所有物。
ドレイ。それは、永遠の労働者。
ドレイ。それは……SMのM担当?
「「…………」」
と、そんなくだらないことを考えながら、俺こと有明錬と遠山キンジは無言でいた。
ていうか、目の前にいるこのちびデコ、今なんつった?
「ドレイになりなさい」、だと?
俺は一瞬その言葉が聞き間違いじゃなかったかどうかを吟味してから。
ぺちっ、とアリアのおでこに右の掌を当てた。
「うにゃ!? い、いいいきなりなにすんのよ錬!」
「いやわけのわからんことを言い出したから熱でもあんのかなと」
突然のことに赤面するアリアに、俺は真面目な顔して言ってやる。
うーむ……熱はないみたいだな。
ということは、こいつは正気で今の発言をしたというわけだ。
……馬鹿だろ、こいつ。
俺が呆れ返ってジト目になる中、アリアはソファにボスンと座りながら、
「ふん、そんなことよりさっさと飲み物ぐらい出しなさい! お客に対するマナーがなってないわね!」
と、そんな命令をしてきた。
いやそもそもお前は客じゃなくて押しかけただけだろとか、マナーという言葉の意味を辞書で引いて自分の行動を当てはめてみろとか思うことは多々あったんだが、そんな俺の心情はこのおちびさんには関係ないのである。
彼女はビシッと指を突きつけて、
「コーヒー! エスプレッソ・ルンゴ・ドッピオ! 砂糖はカンナ! 1分以内!」
なにそれ呪文?
「いや、1分って。お前、傍若無人すぎるだろ」
「あたしがやりなさいといったらやる! ドレイでしょ、あんた?」
「なるとか言った覚え一言もないんですけどねぇ!?」
と抗議しつつも、どうせごねたところでこいつが意見を翻すはずがないことはとっくにわかっていたし、そもそも従わなかった場合また銃弾が飛んでくるので、俺はおとなしくキッチンに引っ込む。くそう、負ける俺も俺だが、なんだあの暴君は。
ぜんぜん変わっちゃいねぇ、と心中でため息をこぼしつつ準備をしていると、アリアと2人きりになるのが耐えられないらしいキンジがやってきた。
キンジは一切手伝うそぶりなんて見せず(ぶっとばしてやろうかお前)、俺に尋ねてくる。
「錬。お前、あの呪文みたいなコーヒー作れるのか?」
「んなわけねぇだろ。エスプレッソまでならわかるが、そのあとの注文がよくわかんねぇ」
パウダー状のエスプレッソの豆はある。エスプレッソマシーンもある。時雨と俺のルームメイト・
で、一方俺はコーヒーにそんなこだわりはなかったんだが、使い方だけは習っていた(というより覚えこまされた)。やたら複雑だったが。
しかし……ルンゴとドッピオってなんだっけ? 聞き覚えはあるんだが。
以前暇つぶしに時雨がエスプレッソを作っているのを見学していたときに、あいつはそんなことを言っていた気がする。あの時あいつ、なんて言ってたっけ。
……まあいいや。もう俺の適当な感じでやろう。文句を言われても作れないものは作れないのだ。
「あいつは小学生みたいなナリだから、苦いのダメそうだな。薄くなるように長めに抽出すっか。あーでも、エスプレッソって1杯じゃ少ねぇんだよな。2倍ぐらい入れとこう」
こちゃこちゃとエスプレッソマシーンを操作し、俺自身なんと呼べばいいのかわからないコーヒーが製造されていく。
これはこれでいいとしても……カンナってのはなんだ? 砂糖っていってたが。
もういいか、なんでも。砂糖なんてどれも同じだろ。豆の隣においてた、この何語かよくわからんパッケージの砂糖を使おう。この前時雨が使ってたのを見た。
アリアの好みなんて知ったこっちゃないので、感覚で適当にカップに投入していく。ここまで来ると実験みたいでちょっと楽しくなってきていたのは内緒だ。
というわけで、実に適当極まりない作り方で俺流エスプレッソ・ルンゴ・ドッピオ(笑)は完成したのだった。
……お、おお。ブチ殺されるかもな、俺。こだわりを持ってる奴に下手なコーヒーはホントにやばいからな。前に喫茶店で天真がブチギレていたのを思い出す。
割と洒落にならない不安を抱えながら、俺はアリアにお手製実験ドリンクを差し出す。
アリアがそれを一口飲んだ瞬間、俺が逃走のために足裏に力を込めたとき。
「あら、ちゃんと出来てるじゃない。あんた、コーヒー作れたのね」
と、信じられない感想をアリアが言った。
ええ、マジで?!
文句を言われることしか想定してなかっただけに、俺は胸中で驚きに驚いた。
ば、バカな、あんな適当な製法で褒められるなんて。
……いや、待て。こいつ、ちゃんと味を分かって言ってんのか? ホントは見栄はってなんか知ってる名前言っただけじゃねぇの?
あー、なるほど。それなら納得だ。背伸びしたい年頃なんだな、こいつは。
ちゃんと子供らしいところがあるじゃねぇか、と俺は妙に安心しながら、俺も乗ってやることにした。プライドを傷つけるほど、俺は鬼畜じゃないんでな。
「そりゃどうも。たいした出来じゃねぇけどな」
「謙遜するのはよくないわ。過小評価は、過大評価と同じくらい愚かなことよ」
などと、片目をつぶって薄く微笑みながら言うアリア。
おーおー言うねぇ。そんなちっちぇくせに、大人びた台詞を。
……とは、無論口に出しては言わないのが俺である。
「お前の持論はどうでもいいがな。それより、だ」
と、こちらも俺が作ったなんちゃってコーヒーを飲みながら、キンジが言った。
「今朝助けてくれたことには感謝してる。それにその……お前を怒らせるようなことをしてしまったことは謝る。でもだからって、なんで俺たちのところへ押しかけてきた? 知り合いは知り合いだが、ここまですることはないだろ?」
あー、そういやそうだった。流れに乗せられてすっかり忘れてたが、そもそもこいつは俺たちを調べまわる必要なんざねぇだろ? 再会の挨拶や朝の件で怒られるってことならまだしも、なぁ。
再び顔を出した疑問に内心で首をかしげていると、逆にアリアがキンジに聞いた。
「分かんないの?」
キンジも答える。
「分かるかよ」
そりゃそうだ。質問したのはキンジの方なんだから。
キンジの返答をどう思ったか、アリアは「あんたならとっくの昔にわかってると思ったのに」とやたらと理不尽な感想を零した。
で、今度は俺の方に顔を向け、
「錬は? あんたもわかんない?」
俺もかよ。
いきなりのフリに、俺は頭の中でどう返答したものか考える。とりあえず、まずははっきりさせたいことがあるので、そこから聞いてみよう。
「質問に質問を返すことになるんだが、お前が今朝言いかけた用件ってのはさっきのドレイがどうちゃらってやつか?」
「正解。いいわよ、そうやって会話で情報を引き出すのは武偵の重要な技能だわ」
おい。そんなゲーム感覚で採点してんじゃねぇよ。
辟易としながら、続ける。
「じゃあ、次だ。それはそのまま俺たちの情報を集めていたことに繋がっていて、ついでに言えばここに乗り込んできた理由にもなっている?」
「それも正解。うん、だんだん近づいてきたわね」
だんだんと、アリアの笑みも深くなっていくんだが。あれ、これ大丈夫なのか? なんかどんどん自分から泥沼に嵌っていってるような感覚がするんだが。
ま、まあいい。さらに考えを進めていこう。では今度は、なぜこのタイミングなのかということだ。調べようと思えば、こいつは3学期から転校してきたのだから、いくらでも調べられたはずだ。
ではなぜそうしなかったか?
今日突然、ということは当然そこにはなにかしらのきっかけがあったはずだ。そしてそれは、今朝の事件以外はありえない。あそこでアリアは、俺たちがこの学校にいることを知ったんだろう。
だとすれば。
「最後の質問だ。お前が俺たちを急に調べ始めたのは、なんらかの理由で俺たちに目をつけたからか? もちろん、旧知だという理由以外で、だ」
「――正解。では、そこから導かれる答えは?」
すっかり先生気分なのか、気をよくしたアリアは笑顔を隠さなくなってきた。
こいつに乗せられるのは癪だが、まあ考えてみよう。
つってもなぁ、今の質疑応答でわかった情報程度じゃ、結局答えはわかんねぇんだよな。でもこの流れ、今更わかりませんでしたとは言えない雰囲気だし。
――いや、でも待てよ? そもそも、もとはノーヒントからの出題だったんだ。てことは、こいつは既にヒントを提示している、もしくは簡単に手に入る情報からわかる解答ってことか?
だとしたら、もう俺はその答えに片足をつっこんでいることになる。
思い出せ。今まで得た情報を。
推理しろ。それらを元にして。
パシパシと、頭の中でなにかが形づくられていく。漠然とした情報郡が、一つの完成図を描く。
瞬間、俺の脳裏に一筋の閃光が走った。
「…………」
そうか……そういうことだったのか……。
答えは、どうでもいいと思っていた情報に隠されていた。「重要ではないと思っていたものこそ重要なものである」と、時雨が言っていた通りだ。
俺は、キンジと交わした情報交換、その最後を思い出す。夕焼けの中交わしたなんでもない雑談の中に、正答は潜んでいた。
アリア。つまり、お前は――
「仲間が欲しいってところか? 貴族様?」
俺は、ある種の確信を持ってアリアに告げた。
やばい……あまりにも切ない真実に、思わず目元がうるみそうになってくる。
キンジは言っていた。アリアは、昼ごはんをいつも1人で食べるほど孤独なやつなのだと。
だが、実はこいつはそれを寂しく思っていたのだろう。口ではなんと言おうが本当に孤独に耐えることは、人間には出来ない。
つまりこいつは、友達が欲しかったのだ。
しかし生来の性格のためか、アリアはなかなか友達を作ることができないでいた。だから、顔見知りでありまた同級生でもある俺たちと友達になろうと画策したわけだ。おそらく、席を隣にしたのも昼休みに机をくっつけて飯を食べるためだろう。なるほどその光景は確かに友達らしい。ただわからねぇのが、なんでそのために俺たちの経歴を
しかしなんて不器用な女だ、神崎・H・アリア。あまり協調性のあるやつじゃねぇのは知ってたが、まさかこれほどだったとは。わがままであると同時に寂しがりやなんて、最悪の組み合わせじゃねぇか。
しかも照れ隠しのつもりだろうが、いきなりドレイ呼ばわりはねぇだろうドレイ呼ばわりは。素直に友達になりましょうとも言えねぇのか。
まあ、本気でドレイにするつもりだったってオチよりは、よっぽど可愛げがある。遺憾に思う気持ちがないでもないが、まあかなり泣けるオチだったので水にながすことにしよう。
あ、ちなみに最後につけた貴族様ってのは、俺なりの皮肉だ。別に言う必要もなかったんだが、これで溜飲を下げるということで。
なんで貴族かといわれれば、女王様にしちゃチビガキすぎるし、王女様には(幻想と知りつつも)清楚なイメージがあるから除外。あと、昔後輩の
以上が、俺の推理。一片の隙もない、完璧な理論だといえよう。
そしてそれを聞いたアリアは、パチンと指を鳴らした。
「ビンゴ! なによやるじゃない、錬! しかももうそこまで調べてたなんて……仕事が速いじゃない」
俺の推理が正鵠を射ていたからか、アリアは上機嫌そうに口元に笑みを浮かべ、そう言ってきた。きっと、素直に言えなかった真意(友達になりたい)を俺が正確に見抜いてやったから、それが嬉しいんだろう。
どうだ、見やがれ蘭豹。お前俺が転科するとき「お前は頭使うより銃使うほうがよっぽど向いとるやろが」って言ってたけどな。俺にだって、推理の1つや2つできんだよ。
「お前、いつの間に……あ、さっき俺と別れた時か!?」
自分の中に眠っていた推理力に内心俺も少し喜んでいると、キンジが驚いたようにそう言ってきた。
へ? いつの間にってなにが?
何を言っているのかよくわからない俺が疑問符を浮かべる中。
「キンジも早く錬に追いつきなさい。ただし、安易に錬から聞こうとしてもダメよ。武偵なら、自分で調べるの」
アリアが腕組みしながらキンジにそんな指示を出す。
おいおい、自分で言えよそんぐらい……とは思ったが、まあそれを言うのは酷ってもんだろう。きっとこんな方法でさえ、アリアには精一杯だっただろうから。
「はあ……俺は、錬みたいに優秀な武偵じゃないんだけどな……」
キンジがそんな台詞と共に息吐いて、肩をすくめる。いやいや、たまたまだよキンジ君。
と、その時。
くきゅ~~と、なにやら可愛らしい音が聞こえた。
俺は、その音の発生源に目を向ける。やはりというかなんというか、そこにはブラウスに包まれたアリアのお腹があって、
「……も、もう夕食には丁度いい時間だわ! だ、だからこれは、おかしなことでもなんでもない!」
あー、そうだね。別にそんな真っ赤になって言い訳する必要もねぇだろうに。
俺はキンジに視線をやって、
「どうするキンジ? そろそろ飯にすっか?」
「そう、だな。話もまだ終わってないし、俺も今日はいろいろあって腹が減った。続きは食いながらにするか。お前、晩飯は?」
「から揚げ弁当を買ってる」
「じゃあ俺たちは下のコンビニでなんか買ってくる。財布が部屋にあるからな、一回戻るわ。ああ、鍵開けとくから俺の部屋入ってていいぞ。……ほらいくぞ、アリア」
犬歯をむき出してがるるると唸るアリアを引きつれ、キンジは部屋を出て行く。その後ろについていきながら、俺も外へと向かう。そのついでに、靴箱の上に放置していた俺の晩飯を確保する。
まあ……朝からなんだかんだで、やっとあいつとも落ち着いて話せるんだ。積もる話や聞きたいこともある。
だって、あれから半年も経っているのだから。
そんなことを頭の片隅で考えながら、俺は弁当片手にキンジの部屋へと向かった。
* * *
「あら、ちゃんと出来てるじゃない。あんた、コーヒー作れたのね」
と、神崎・H・アリアは錬が出してきたコーヒーを一口飲み、素直にその味を賞賛した。
もちろん、それは実家で味わったプロが淹れたものとは比べるべくもない出来ではあったのだが、まさか注文に沿ったものがきっちり出てくるとは思っていなかった(もっとも、エスプレッソぐらいは作れるだろうとタカをくくってはいたが)のだ。これは想定外の収穫といえた。
思いがけない錬のスキルを快く思いながらソファに身を沈める彼女に、同じく錬のコーヒーを飲むキンジが尋ねてきた。
曰く、なぜ自分たちを追いかけるのか、と。
(おかしいわね? もう調べてると思ったのに。キンジはもしかして、戦闘専門なのかしら?)
頭の中でそんな推測を立てながら、アリアはパートナー候補であるキンジに聞き返すことにした。
実を言えばそんなことはなく、むしろヒステリアモードならば知能こそが本領となるキンジだが、当然それはアリアの与り知るところではない。
「分かんないの?」
「分からん」
間髪をいれないキンジの返答にアリアは一瞬眉根をよせ、ならばと今度は相手を変えて同じ質問をする。
その向かう先は、有明錬。もう一人のパートナー候補である。
「錬は? あんたもわかんない?」
問われた錬は、一瞬なにかを考えるように黙りこみ、そしてアリアに逆に訊きかえした。1つ、2つ、3つ。アリアはその一つ一つにイエスと答えていく。
そして聞くべきことを聞き終えた錬は、静かに腕を組んだ。
その様は、まさしく真剣といった様子だった。きっとそれだけ、アリアの質問を真面目に考えているのだろう。
室内に静寂が流れたのは、一体どれほどの間だったろう。鋭利とも言える錬の眼差しに、アリアはいつしか時間の感覚を忘れていた。
やがて錬は腕組みを解き、スッとアリアを見据えた。
瞳が、合う。
あたかも、今朝と同じように。
(もしかして)
と、アリアの感覚が囁く。
それは期待。否、直感的ではあったが、半ば確信にも近い。
アリアには、錬の眼差しが語っているように見えた。自分にはわかっている――と。
そして。
アリアの確信は現実の物へと変わる。
「仲間が欲しいってところか? 貴族様?」
その口調は、疑問系でこそあるが確信に満ちているように思えた。
さらに、彼の目にはこちらを労わるような、心配するような、どこか優しい色がたたえられている。
(あの目……もしかして、ママのことまで調べたの? だから、錬はこんな風にあたしを心配してくれているような目で見るのかしら……?)
アリアの脳裏に浮かぶのは、彼女の母。神崎かなえが、アクリル板越しにこちらを見つめている光景だった。
無論、錬に
中途半端な力は、神崎・H・アリアには必要ない。そういう領域に、この16歳の少女はたった独りで立っているのだ。
だから代わりに、アリアは後半の台詞について思考する。
(あたしが貴族ってことを知ってるのは、せいぜいあかりや
神崎・H・アリアは、冗談抜きで貴族である。『H』家と呼ばれるイギリス人ハーフの父親の家は、イギリス国内でもかなり高名な一族だ。さらに、祖母がデイム――王室から叙勲される称号を持っている。そして、その『H』家の嫡女であるアリアもまた、英国貴族なのだ。
が、武偵高でその事実を知るものは限られてくる。少なくともアリアが知っている限りでは、後輩である
しかし、その情報をすでに錬は得ていた。それも、彼女と出会ってたった1日の間に。学校があったことを考えれば、もっと早いだろう。
確かに優秀な武偵(
やはり、自分の目は間違っていなかった。パートナーにするかどうかはともかく、錬は間違いなく今まで出会った中で最高クラスの武偵だ。
アリアは、考えていたなかで最良の結果が出たことに指を打ち鳴らし、
「ビンゴ! なによやるじゃない、錬! しかももうそこまで調べてたなんて……仕事が速いじゃない」
内心から溢れる喜びをもはや隠そうともせず、少しはしゃぎながら錬の推理を肯定した。
そんなアリアをよそに、キンジもまた驚いていた。
(ど、どういうことだ? 帰りに情報交換した限りじゃ、こんなこと全然言ってなかったってのに……)
まさか、キンジに隠していたのか。いや、それはない。メリットもなければ、そんなくだらないことをする奴でもない。そんなことは、去年パートナーだったキンジには分かりきっていた。
が、だとするとなぜ?
「お前、いつの間に……あ、さっき俺と別れた時か!?」
錬に尋ねる最中、キンジは気づいた。
そういえば、錬は最後まで一緒に帰ったわけではない。途中で、別れたはずだ。
(てことは、あの時からさっきまでの、たったあれだけの時間で調べ上げたってのか……!)
早い。早すぎる、といってもいい。
錬が優れた実力を備えていることは百も承知だったが、まさかここまでだったとは……。
未だ底が見えない元・パートナーにキンジは戦慄した。
「キンジも早く錬に追いつきなさい。ただし、安易に錬から聞こうとしてもダメよ。武偵なら、自分で調べるの」
すっかり上機嫌になったアリアは、弾んだ口調でキンジを叱咤した。といっても、別に調べがつかないならつかないでも構わない、と思っていたが。
(キンジは多分、根っからの
パートナーに選ぶかはまだ保留にしていた彼女の思考が、いつの間にか浮かれてついつい先走り始めていたことに、本人は気づいていなかった。もしも彼女の頭の中を覗ける日本人がいたら(というか武偵高にはいるのだが)、『取らぬ狸の皮算用』ということわざを教えてあげたかもしれない。
それはともかくとして、キンジが弱気な返答を返し、その後ちょっとしたことを経て彼らは夕食をとることにした。
* * *
「あーんっ……ふみゅ~」
『ももまん』。
それは、松本屋が生み出した桃みたいな形をしたあんまんだ。ぶっちゃけただ形が違うだけじゃね? と俺は思っていたのだが、一昔前はこれがブームになったりしたんだ。世の中、何が当たるかわかんねぇな。
が、俺はそのももまん全盛期でさえ、一気に3個も4個も平らげるような奴は知らない。
そう。今目の前で丁度4個目を食べ終えて幸せそうな顔した、神崎・H・アリア以外には。
「……なあ、キンジ。ありゃ、あんなうまそうに食えるほどのもんだっけか?」
「まずくはなかったし、普通にうまいといえばうまかったが……あそこまではちょっとな。見てるだけで胸焼けしそうだ」
「だよな」
とかなんとか言ってる間にもアリアは5個目を食いにかかっていて、俺とキンジは同時に胸のあたりを押さえた。
――今俺たちは、キンジの家のダイニングでテーブルについている。キンジとアリアがコンビニで買い物を終え、思い出話を交えながらの夜飯にするためだ。
で、その席で俺はさっき買ったから揚げ弁当(結構うまい。自炊がめんどいときはこれでいいかもしれない)、キンジはよく買うハンバーグ弁当を食っている。そんで最後にアリアが、ももまんを7個も買って今すべてを食い尽くそうとしているのだ。
ちなみにこれは完璧な蛇足だが、食事を始めるに際して、俺たちは再会を祝して祝杯(麦茶だが)を上げていたりする。これは俺が冗談で提案したことなんだが、思いのほかアリアが食いついてきて、結局実行した。キンジはまあしぶしぶといった様子だったのだが、それでも乗ってくるあたりこいつもこの再会にはいろいろと思うところがあったのかもしれない。
俺は残り3つになったから揚げの数をさらに減らしつつ、アリアに問いかけた。
「んぐっ……そういやよ、アリア。あれからアガンベン家はどうなったんだ?」
「当然、裁かれたわよ。一族郎党とまではさすがにいかないけど、それでもあれだけのものが出てきちゃったわけだしね。存在を黙認していただけでも軽い処分が下って、利用していた連中は根こそぎ逮捕されたわ」
「うわー、怖ぇなそれ。外国の刑罰ってなんか重そうじゃねぇか。なあ、キンジ?」
「重そうっていうか、お前世界の刑罰についてなら、全学科共通の教科書に書いてただろ。読んでないのか」
「あー……そういや、そんな気もするな。意外と真面目だな、お前」
「無駄に内申を下げたくないからな」
「というか、錬は教科書の内容くらい、ちゃんと覚えてなさいよ」
他愛もない話を続けながら、俺たちは箸をすすめる。
と、ひと段落ついたと思ったのか、キンジがアリアに割り箸を向けながら言った。
「……ところで、アリア。お前が言ったドレイってなんなんだよ。あれはどういう意味だ」
それはねキンジ君、友達のことだよ。
という具合に解説してやってもよかったんだが、アリアが婉曲に言っている以上、俺がどストレートに言うのは躊躇われた。やれやれ、気を使うってのも大変なもんだ。
アリアは5個目のももまんを制覇し、6個目をひとかじり。あたし幸福ですと言わんばかりの笑顔を顔に浮かべながら、
「あむ……強襲科であたしのパーティーに入りなさい。そこで一緒に武偵活動をするの」
……ん? なんか、ちょっとちがくね? 友達になるだけじゃねぇの?
とそう思ったんだが、すぐに思いなおす。これはあれだ、束縛というやつだ。友達が少ないやつは、そいつらが他の友達(自分が親しくない相手)といるのを好ましく思わない場合があると聞く。だから、少しでも一緒にいられるように転科しろってことだろう。
ウチのカリキュラムじゃ、午前4時間が
……って、あれ? これよくよく考えたら、俺にも言ってね?
と、今まで気づかなかった事実に思い至っていると、キンジがいきなりおろおろと慌てだした。
「な、何言ってんだ。俺は強襲科が嫌で、一番マトモな探偵科に転科したんだぞ! それに、俺は一般高校に転校して、武偵自体やめるつもりなんだよ。……それをよりによって、あんなトチ狂った所に戻るなんて――無理だ」
ああ、そういやそうだったっけ。
キンジは、来年の3月をもってこの武偵高を辞めるつもりらしい。まあ、
……俺? 俺は辞めないさ。まだ、
とまあ俺の話はどうでもいいが、アリアはキンジの発言を受けて、いきなり話をぶっとばした。
「あたしにはキライな言葉が3つあるわ。『ムリ』、『疲れた』、『面倒くさい』。この3つは人間の持つ無限の可能性を、自ら押し留めるよくない言葉。あたしの前では二度と言わないこと。いいわね?」
……どうしよう。しょっちゅう言ってるんだけど。3つとも全部。
ま、まあでも言ったからどうなるってわけでも……い、一応聞いてみるか。念のため。
「ちなみに、言ったら?」
「風穴」
うん、実に予想通りかつシンプルな回答をありがとう。
これからは絶対言わないようにしよう。
「お前が嫌いな言葉はよくわかった。だけどな、なんで俺なのかがわからん。自慢じゃないが、俺はお前が仲間に引き入れるほどの武偵じゃない。錬はともかく、俺じゃ役者不足だ」
「おい、キンジ。お前今、なにげに俺を売らなかったか?」
「気のせいだ」
そうか。ならいい――って、んなわけねぇだろ!? 友達を平気で差し出してんじゃねぇよ! アリアじゃねぇけど、風穴あけてやろうか、アァン?
と言った場合、キレてベレッタが出てくるかもしれないので黙っていると、アリアがいつのまにか7個目のももまんを食べ終えながら言った。
「ウソいいなさい。半年前とそして今日、あんたが優秀だってことはもうお見通しなんだから。それに、あたしはもう決めたの。仲間にするなら、あんたたち2人とも一緒だって」
そりゃそうだろ。友達が欲しいなら、1人より2人の方がいいに決まってる。
だが事情を知らないキンジは、アリアに訊き返す。
「だから、なんでだ?」
「あんたたちが元・『パートナー』だからよ。いい? 優れたパートナーは、相棒の能力をずっとずっと引き上げてくれる。これは、
スッ――と、ももまんを食っていたときの表情はどこへやら、アリアは真剣な目をして俺たちを見据えていた。
なんだ、やたら力こもってんな。こいつにも昔、そう思わせてくれるようなパートナーがいたんかね?
だがまあ、確かにパートナーってのは悪いもんじゃない。実際俺は去年、キンジに助けてもらいっぱなしだった。だからアリアの言うことも、分からねぇでもねぇんだが……。
俺は一つ吐息を零し、
「……つってもな、アリア。俺たちのコンビはもう解消したんだ。俺とキンジが組むことはもう無ぇんだよ」
「……錬の言うとおりだ。終わってるんだよ、俺たちは」
キンジもまた、何かを諦めたように呟く。
コンビを組むことはもうない。
そう。
だからもう、俺たちは組まない。そういう約束だからな。
……だってのに。
「やだ!」
「「はぁ!?」」
たったの2文字でこのちびっ子は俺たちに反論した……というか、単に駄々をこねたというか。
「やだやだやだ! あんたたちは、あたしのドレイにする! これは決定! 絶対の絶対にそうするって決めたの!」
いやいやいや。そんな手足をバタバタしながら言われても困るんだが。そしておそらくテーブルの下ではスカートが大変なことになっているだろうが、この場面で下を覗き込んだら、きっといろんなモノを失うよなぁ。
「ふ、ふざけんな! とにかく、お前もう帰れ! いくら知り合いだっていっても、そこまで従う義理はないぞ!」
おお、すごいぞキンジ。珍しく男を見せたじゃねぇか。
立ち上がって玄関を指差すキンジ(帰れという意思表示だろう)に、アリアはふくれっ面になりながら、
「言われなくても、そのうち帰るわよ。キンジと錬が強襲科であたしのパーティーに入るって言うまで、だけどね」
え、えー。なにコイツ、頑として退く気ねぇな。
でもなぁ、と俺は窓の外に目を向ける。そこにはすでに夜の帳が広がっており、見えるのは東京の灯りだけだった。
「おいアリア、つってもおめぇ外見てみろよ、真っ暗だぜ。いくらなんでも、こんな時間まで女子が男子寮にいるわけにはいかねぇだろ。まさか、泊まっていくわけじゃあるめぇし」
「あら、やるじゃない錬。よくわかったわね」
…………はい? 何が?
あっさりと言い返された俺は、今自分が何を聞いてしまったのかと首を捻る。
そんな馬鹿な俺に優しいアリア様は懇切丁寧に説明してくれやがりました。
「あたし、ここに泊まるから。もちろん、あんたたちが首を縦に振るまでよ」
「「はあああああああああああああああ!?」
男2人の絶叫が、夜の第1男子寮に響き渡った。
な、なにこいつ怖すぎるだろ!? 俺たちへの執着心マックス?!
い、いくらなんでもそれは度がいきすぎてねぇか……?
まさか、これが噂のヤンデレってやつか。「2人がうんって言ってくれないなら、あたしが風穴あけてあげるね……」とか言いながら病んだ瞳でガバメントを抜くつもりか。げに恐ろしきはヤンデレなり、という格言ができそうだ。
……っていうか、そもそもこれがアリアの友達獲得計画だって推理は本当に当たってんのか? なんか、そこはかとなく前提から勘違いしてるような気がしてきたんだが。
「ちょっ……ちょっと待て、何言ってんだ! 絶対ダメだ帰れ!」
「うるさい! 泊まってくったら泊まってくから! 長期戦になる事態も想定済みよ!」
キンジの抗議を一顧だにしないアリアがビシィ! と指差したのは、リビングに置いてあるトランプのマーク柄のトランク。ああ、見覚えねぇもんが転がってると思ったらアリアのだったのか。
なんつー手回しのよさだよ、と俺の額を冷や汗が流れる――が。
よくよく考えれば、こいつは
俺はキンジの肩にポンと手を置き、
「諦めろ、キンジ。もう大人しく降伏して、こいつを泊めてやれ」
「はあ!? 何言ってんだお前、他人事だと思いやがって! できるかそんなこと!」
「俺がどうとかいう問題じゃねぇよ、お前こいつが素直に言うことを聞くような奴だと思うか? こいつがそんなに殊勝なやつなら、俺たちはあそこまでボロボロになって帰国するようなこともなかったろうよ」
「ぐ……!」
俺の言い分の正しさを理解したのか、キンジは黙り込む。
……よしよし。これでキンジにアリアを押し付ける作戦は成功だ。後は自室で悠々自適に「じゃあお前も泊まれよ!」ってはあ!? 何言い出すんだこのネクラ男め!
「い、いやわざわざそんなことする理由はねぇだろ。俺は自分の家があるんだし。そ、それにアリアだって何人も男が同じ部屋で寝るのは嫌だよな?」
「別に構わないわよ。あんたたちなら」
「な……!?」
う、嘘だろ……こいつ、そこまで感性がお子様なのか!?
想定外の事態にどうにかして逆転を図ろうとするも……駄目だ、キンジのやつが据わった目で俺を睨んでやがる。死なばもろともとはよく言ったもんだぜ、おい。
…………はぁ。しかたねぇよな、もう。
「……わかった。キンジはアリアをここに泊める。で俺もここに泊まる。そういうことでいいな?」
「……ああ」
「うんうん。やっと素直になったわね。その調子よ」
今満面の笑みを披露しているこいつにグロックを向けたらどうなるだろう。
そんなくだらない考えがよぎる中、アリアはさらに傍若無人さを発揮する。
「じゃあ、あたしはお風呂に入ってくるわ。ホントならあんたたち2人とも出て行ってもらうところだけど、大人しく言うことを聞いたから出なくてもいい。ただし覗いたら、風穴カーニバルを開催するから、覚悟しときなさい」
なんだその全世界から批判を浴びそうなカーニバルは。というか、その単語を俺の前で出すな。嫌な思い出が蘇る。
トランク片手に本当に風呂場に入っていったアリアを見送り、俺とキンジは顔を見合わせ、
「「……はあ」」
と、大きくため息をつくのだった。
* * *
始まりがあれば終わりがある。それが当たり前のことであるように、騒動だらけだった今日という日もまた、終わりを迎えようとしていた。
学園島を静かに月明かりが照らす。その光は第1男子寮の一室にも降り注いでいて、遠山キンジを優しく癒していた。
(疲れた……)
寝室に2つある2段ベットの一つ、その下段に横たわりながら、遠山キンジは深い深いため息をついた。
疲れた。切にそう思う。
キンジは今やっと、本当にやっと休息を得ていた。肉体的には言わずもがな、主に精神的な意味で。
なにせ、ついさっきまで騒ぎの連続だったのだ。最前も、アリアが風呂に入っている間に白雪がやってきてどうにかアリアの存在を誤魔化したり、アリアと錬がどちらが2段ベッドの上段で寝るか争い(珍しく錬はこだわりを見せた)結局どちらも上で寝ればいいという結論に落ち着いたり、せめてもの仕返しなのか錬がアリアを怪談話で脅かそうとしたり(不覚にも自分もちょっと参加してしまった)、最後の最後まで騒がしかったのだ。
そしてその全ての原因であるツインテール娘は今、もう一つのベッドの上段で、スヤスヤと幸せそうに寝息を立てていた。
「…………」
ちらりと、アリアがご就寝なさっているベットに目を向けると、その床にはマジックで「ここから入ってきたら殺す」という実に物騒な警告(これが冗談ですまないのが武偵高たるゆえんだ)がかかれており、ついでに地雷も数個仕掛けられていた。
本人は念のためにやっているだけでほとんど冗談みたいなものだと言っていたが、おそらく越境した瞬間本当にトラップ(とアリア)はキンジを殺しにかかるだろう。
(なんつー理不尽だよ……)
と、キンジは一人ごちる。
こいつは悪魔かなにかだと悪態をつきながら、キンジはこの押しかけ少女――神崎・H・アリアという女の子について、頭を巡らせ始めた。
(本当に、なんなんだこいつは……。久しぶりに会うなり、いきなり押しかけて、好き勝手ほざいて、おまけに強襲科に戻って一緒に武偵活動しろだと?)
ふざけるな、と言いたい。
アリアにはアリアの事情があるのだろうが、そんなことは知ったことではない。たかだか3日(今日を入れても4日)程度の付き合いしかない人間のために自分の都合を押し殺すほど、キンジはお人よしにはできていない。自分の頭上で眠りこけている男ならばわからないが。
それに、とキンジはさらなる批判材料を思い浮かべる。
アリアは言ったのだ。キンジに向かって、「錬と再び組め」ということと同義の台詞を。
(錬とまた組む……いや、それは無理だ)
知らず、アリアに禁じられた言葉を胸中で呟く。
キンジにはもう、錬と組む気はなかった。
ただ、これは別に錬が嫌いだからという理由ではない。むしろ、去年の1年間に2人で越えた死線を考えれば、親友とさえ言える。
だから、落ち度は錬にはない。あるのは……自分だ。
なぜなら、キンジは――
(……なに考えてんだ。別にもう関係ねえだろ。俺はアリアの申し出を受ける気はないし、そもそも武偵自体辞めるつもりなんだから)
思い浮かべた情景をカットして、キンジは強く目を瞑る。
そう。キンジはいずれ――より正確には、来年の3月には武偵を辞めて一般校に転校する。そのための申請書もすでに持っている。
(俺は将来、特にやりたいことはない。何になったっていい。何にもなれなくたっていい)
遠山キンジは、既に未来を見ていない。未来を見ずに、ただ『今』から逃れる方法だけを、強く渇望していた。
転校して、武偵をやめて、非日常から日常へ逃げ込んで、そうしてキンジはすべてを吹っ切りたいと願っていた。
(もう武偵だけにはなりたくない。
キンジの頭に、『兄』の――
今の自分を見て、金一はなんと言うのだろう。
決して叶わない仮定を胸に、キンジの意識は深く深く沈んでいった――
* * *
誰もが真意を胸に秘め、ゆえに誤解は加速する。
彼らが進む先に待つ結末がいかようなものか。
――それはまだ、誰にもわからない。
では、また次回。