偽物の名武偵   作:コジローⅡ

13 / 33
ここらへんが折り返し地点ですかね。ここを境に、シリアスっぽい感じになると思います。


12.一つの事実、数多の意味

「――あ。言い忘れてたけど、あたし今日寮の方に帰るわ」

 

 と、アリアが思い出したように言った。

 クレーンゲームのあともいろいろ遊びまわり。ゲーセンの喧騒を後にして、じゃあ家に帰るかという段になって、アリアは冒頭の台詞を述べた。

 つーか、どうでもいいがこいつ、ゲーセンにどハマリしてたな。まさかガンシューティングのゲームで筐体2つ使ってプレイしだすとは思わなかった。『双剣双銃(カドラ)』の面目躍如ってところか。

 空に藍色が顔を出し始め、星が瞬く天蓋の下、俺は足を止めずに、

 

「寮……ってのは、女子寮のほうか?」

「そうよ。ちょっと、あたしの後輩――戦妹(アミカ)が気になってね」

「ふーん」

 

 なんだ、こいつ戦妹(いもうと)がいたのか。どんな奴なんだろうな。

 俺はアリアを挟んで右隣にいるキンジに顔を向け、

 

「じゃあ、俺も今日は自分ちに帰るわ。あんまり空けて汚れてたら、天真の奴にぶっ殺されちまう」

「それは構わんが……式ってそんな奴だったか? 俺の記憶どおりなら、かなり礼儀正しかった気がするんだが」 

「……お前らにはな」

 

 嫌なことを思い出してしまい、俺は苦々しく顔を歪める。

 と、アリアがたたたっと俺たちの間から駆け出して、数歩進んだかと思うとくるりと振り返り、

 

「じゃ、あたし行くわ。――また明日ね!」

 

 それだけ言い残して、またアリアは走り去っていった。

 薄暮の中に溶けていく小さな背中を見送って、

 

「また明日……か」

 

 と小さく呟きながらキンジに顔を向けると、こいつもまたこちらに顔を向けていた。

 目が合って、軽く肩をすくめる。

 いつの間にか……なんつーか、あいつがいるのが当たり前になりつつある。それはいいことなのか、それとも悪いことなのか。それはわからないが、アリアは確実に俺たちの生活に少しずつ入り込んでいる。

 といっても……今日の件で、友達としてはともかく、武偵としての俺は見限られちまったかもしんねぇけどな……。

 そんなことを思っていると、あー……恥ずかしながら、尿意が襲ってきた。

 俺はきょろきょろとあたりを見回し、すでにお馴染みになりつつある、いつものコンビニに目をつけた。

 

「キンジ。俺ちょっとそこのコンビニ寄ってくるわ」

「ん、ああ。それはいいんだが……問題、ないのか?」

 

 は? なんのことだ?

 いきなりの確認に心当たりを探すも、見つからない。まさか、尿意は問題ないのかという意味だろうか。

 まあ、いい。よくわからんが、とりあえずここは、後輩に教わった言葉で答えておこう。

 

「大丈夫だ、問題ない」

「そうか……わかった」

 

 よし、これでいい。

 頷くキンジを後にして、俺はコンビニへと足を向ける。

 で、コンビニでトイレを借り、少し店内を物色してみたあと、俺は店外に出た。

 そんな俺を、こんな会話が出迎えた。

 

「ぱ……ぱんちゅーが!」

「なっ、なんなんだお前は!」

 

「…………」

 

 ……いや、お前がなんなんだよ、キンジ。

 えーと、どういう状況だこれは?

 俺の視界に映るのは、両手で目を覆うキンジと、スカートを手で押さえた武偵高の女子である。

 状況と台詞から察するに、多分キンジが彼女のスカートの奥に隠された花園を目撃してしまった(この時点でホルスターに手が伸びた俺を誰が責められよう)といったところか。

 ……お前はなんで、こんな短時間でそんなラッキースケベ的展開に発展させることができるんだ。 

 半眼で俺がキンジを眺める中、奴は唐突に叫びながら走り去っていった。

 

「しっ、師匠! お気を確かに! 傷は浅うござる!」

 

 呻きながらその場から逃げ出すキンジ(お前俺のこと忘れてんだろ)の後を追うように、近くの街路樹の枝から、一人の女子が飛び降り、着地するやいなやキンジを追っかけていった。

 武偵高の制服が隠れるほどに長いマフラーに、白いリボンで括られた同じく長い黒のポニーテール。でもって、あのへんてこな忍者言葉は……キンジの戦妹の1年・風魔(ふうま)陽菜(ひな)か。なんでここにいんだあいつ。

 相も変わらず、ホントこの学校はよくわからんことばかり起こるな。

 まあ、それはそれとして、

 

「――で、だ。お前、キンジの知り合いか?」

「ッ!?」

 

 離脱していくキンジたちを呆然と見送っていた女の子に声をかけると、彼女はおどろいたように振り返った。

 そして、

 

「あ、あー! 有明錬! ……先輩!」

 

 と叫びながら(なんだそのとってつけたような「先輩」は)、俺を指差した……つもりなんだろうが、なんかそれまで持ってたらしい拳銃がそのままこっち向いてるんですけど。

 あまりにも唐突に銃口を向けられた俺は、咄嗟のことにリアクションを取ることができなかった。

 ななな、なにこれ。なんで俺いきなり照準(ねら)われてんの?

 頭の中が混乱するのを感じつつ、

 

「……なんで俺の名前を知ってんのかしらねぇけどな、まずはそいつを下ろせ」

 

 と、なるべく彼女を刺激しないように冷静かつ静かな声で指示する。

 ホントは、「止めてお願い撃たないで」と懇願したいところだったが、それはさすがに先輩としてのプライドが勝った。

 

「え? ……あっ!」

 

 俺の言葉でようやく自分が構えていたことに気づいたのか、彼女は拳銃――このまえ俺たちを狙ったUZIの小型版・ミニUZI、よりさらに小さいマイクロUZIを慌ててレッグホルスターに収めた。

 あー、ビビッた。

 

「もっぺん聞くぜ。お前誰だ、キンジの知り合いか? それと、なんで俺の名前まで知ってんだ?」

 

 危機が去ったことにそっと胸を撫で下ろした俺は、改めて質問しながら彼女の姿を観察する。

 身長はかなり小柄だ、パッと見中学生にしか見えねぇ。大きめのリボンで茶髪をツインテールにしていて……背と相まってどことなく、アリアを彷彿とさせる。

 彼女は、瞳に険を混ぜ、俺を睨んでいた。

 いきなりそんな真似される覚えはねぇんだがな……誰だ、こいつは。

 おそらくは後輩だろうが、と当たりをつける俺に、女の子はキッと目じりをきつくして、

 

「……あたしは、1年・間宮(まみや)あかりです。有明先輩は、あたしのことを知らないだろうけど、あたしは先輩たちを知ってます」

「へぇ」

 

 威嚇してますよと言わんばかりの険悪な口調に、俺は気の抜けた返事を返す。銃さえなきゃ、ただの女子だしな。ビビるこたねぇよ。

 しかし……1年の間宮、ねぇ。やっぱりしらねぇ。

 だがまあ、とりあえず向こうはこっちを知ってるらしい。ま、良くか悪くか俺たちの名前は結構広まってるらしいからな、おかしなことじゃねぇがだからっつって、一体なにしに来たんだか。

 なかなか目的が見えてこないことに内心で首をかしげた瞬間、その答えは簡単に返ってきた。

 他ならぬ、間宮の台詞で。

 

「先輩たちは、アリア先輩につく悪い虫です!」

 

 はい!? 

 

「……あ?」

 

 とんでもない台詞に、俺は耳を疑って間抜けな声を出してしまった。

 今なんつった、こいつ? 悪い虫? 俺とキンジが?

 まさか、俺たちがアリアに言い寄ってるとでも思ったのか?

 ……大丈夫か、この子。思わず、ジト目になっちまったぞ。

 すると彼女はなぜか一瞬身を竦ませて、怯えたような目線を俺に寄越した。え? 今そんな目向けられる場面あったか?

 

「ッ! こ、答えてください! 有明先輩は、一体アリア先輩の何なんですか!」

 

 何かを振り払うように、声を荒げる間宮。

 いや……まずお前がアリアのなんだよ。

 まさかとは思うが……ストーカー、とかじゃねぇよな。

 まあ、ありえないセンじゃない。あいつは、見てくれはとんでもない美少女だからな。そこだけ見れば、男はおろか……なんつったっけ? あ、そうそうレズだ。そういうタイプのストーカーが現れても不思議じゃない。

 だがだとすると、ここであんまりぺらぺら喋るのはよくねぇんだよな。ストーカー相手に対象の情報を与えるのは危険だと、探偵科(インケスタ)で習った。

 

「俺とアリアの関係性、ね」

 

 さてどう答えたもんかと俺はわずか言いよどむ。

 このままはぐらかしても、この手の奴は引かないだろう。なら適当に情報を与えるのが手っ取り早い。

 が、そうなると、言い回しに気をつけなきゃな。彼女を刺激することなく、最低限の情報で俺たちの関係性を伝えなけりゃならねぇ。

 となると……、

 

「そうだな、あいつにとって俺は……得がたい存在ってところだろうよ」

 

 このあたりが落としどころだろ。

 得がたい存在=友達。孤独らしいアリアにとっちゃ、友達はきっと得がたいものだろうからな。

 ナイスだ、俺。うまくぼかせたぞ。

 これなら彼女を無駄に刺激することなく、お帰りいただくことができるだろう。

 ――と、思ったんだが。

 

「なっ、なっ、なっ、なんですかそれ――――――ッ!」

 

 なぜか間宮は即座に踵を返してどこかへ走り去っていった。

 ……あれ? な、なんで?

 突然すぎる間宮の奇行に、反応が追いつかない。何キッカケであんな行動に走ったのか、さっぱり検討もつかなかった。

 ――つっても、

 

「まあ……武偵高の生徒だしな。あんなこともあるか」

 

 遠ざかっていく間宮の背中を見ながら、俺は呟いた。

 その台詞は俺が武偵高に大分染まったことを如実に表していたのだが、生憎俺はそれに気づくことはなかった。

 

 * * *

 

 1年A組所属、強襲科(アサルト)Eランク武偵・間宮あかりは、神崎・H・アリアの戦妹(アミカ)である。

 ――『戦徒(アミカ)制度』。

 これは、先輩が後輩とコンビを組み、1年間指導し指導される、二人組(ツーマンセル)特訓制度の名称だ。契約を結べば、互いの部屋の鍵を交換したり、任務をコンビで受けるようになったりと、まさにパートナーとも呼べる存在になる。パートナー制度ということなら『繋友(チェイン)』というシステムもあるのだが、後進を育てるという意味合いにおいては戦徒の方が重宝されていた。

 ちなみに、男子は戦兄弟(アミコ)、女子は戦姉妹(アミカ)と呼び習わすのが通例なのだが、たいていは『アミカ』で一くくりにされている。生徒間ではもっぱらややこしいと不評を買っているのだが、これも様式美というか慣例というか、とにかく昔からの決まりなのだった。

 あかりはつい先日、アリアから出された課題をクリアし、晴れてアリアの戦妹となった。もともとあかりはアリアを尊敬(なかば崇拝の域だが)していたこともあり、アリアも目をかけていることもあって、互いが互いに別ベクトルでの親愛を持つことで、この2人のコンビは上手く回っていた。少なくとも、あかりはそう思っていたのだ。

 ――今日、この日までは。

 本日の、午後のことである。武偵高のカリキュラムでは午後は専門学科の授業に入ることになっている。となればあかりを始めとした強襲科生は、強襲科の専門施設である黒い体育館に集まって各々訓練を行うことになる。そして授業終了時刻になるまで、それぞれが己の技を磨くのだ。それが、毎日の習慣だった。

 が、今日はそこにイレギュラーな因子が飛び込むことになった。

 去年のエースコンビ『アルケミー』の帰還。それは、もはや叶うことはないだろうと目されていた椿事であった。

 あかりもまた、それには驚いた。先輩たちから『アルケミー』の話は聞いてはいたが、すでに解散したコンビだと教わっていたからだ。

 体育館の2階、トレーニングスペースから、あかりは眼下を見下ろす。そこには、1階で訓練していた2年生たちが築く人だかりが出来ていた。

 その中心にいるのは、2人の男子生徒。一見普通そうにも見えるこの2人の少年こそが伝説のコンビ『アルケミー』の両翼であった。

 しかし、あかりはあの人だかりを構成する先輩たちのように騒ぐことをしなかった。なぜならあかりにとっては、あまり彼らに興味はなかったからである。いくら伝説だと言われたところで、あかりには所詮伝聞でしかない。せいぜいが、有名人が来てるんだ程度の認識だった。

 だからこそ、この話はここで終わるはずだった。伝説のコンビが強襲科に来た。それをあかりは眺めた。それだけの話で、あとには続かないはずだった。

 だが。

 訓練が終わり体育館を出て、入り口にアリアが立っているのを見て捉えて――その次の瞬間、そうも言っていられなくなった。

 なんと、自分が尊敬するアリアが、今まで見たこともないような楽しげな様子で『アルケミー』の2人――名前は知っている、有明錬と遠山キンジだ――と話し、あまつさえそのままゲームセンターまで同行し、笑いながら遊戯に興じていたのである。

 

(な、なんなの、あの人たち……!)

 

 それを見たあかりの形相は、鬼もかくやといった具合だった。

 繰り返しになるが、あかりは崇拝レベルでアリアを尊敬し、また懐いている。そんな憧憬の念を向ける先輩が、どこの馬の骨(いやまあ只者ではないとは知っていたが)とも知れない男共といちゃいちゃ(あかり視点)しているとなればこれはもう気に食わないどころの騒ぎではなかった。

 嫉妬、と一言で断じてしまえる感情のもと、なにがどう転んでそうなったのか、あかりは錬とキンジを調べることにした。平たく言えば、尾行を慣行し始めたのだ。

 途中、同学年の風魔陽菜に邪魔されたり、そのせいで錬とキンジを見失ったりしてしまったが、なんとかキンジを見つけることに成功した。

 そしてあかりは、キンジに尋ねた。キンジとアリアはいかような関係なのか、とストレートに。

 キンジはそれに「俺はアリアに追われて迷惑してるんだ」とにべもなく答え、続けて言った。

 

「これで満足か? そしたらもう俺……いや、俺たちを尾けるな。今の俺たちはEランクだが、探偵科だ。1年の尾行ぐらいさすがにわかる。錬が大丈夫だというからには、お前に危険はないんだろうが……次はシメるぞ。俺は錬みたいに、武偵高の仲間だからってだけでなんでも許すほど、甘くない」

 

 さすがは先輩というべきか、威圧感のある立ち振る舞いに怯えながらも、あかりはキンジの言葉の中に聞き逃せない違和感を発見する。

 

(Eランク……? 伝説なんて呼ばれてた人たちが?)

 

 確かに、ランクが上下すること自体はよくある。だが、Sランクは伊達ではない。間違ってもEまで落ちることなど、普通ならありえない。

 これはおかしいとキンジに尋ねるもはぐらかされ、風魔が再び現れ……いろいろあって、風に舞ったスカートの中身をキンジに見られてしまった。

 慌ててスカートを押さえるあかりに対し、キンジは唐突にひどく狼狽しながら風魔ともどもほうほうの体で逃げ出していった。

 あかりはその光景に呆気に取られた。そして、これは怒るべき場面なのだろうか、と少しずれたことを考えたとき、

 

「――で、だ。お前、キンジの知り合いか?」

「ッ!?」

 

 突如、背中にかけられた声に、あかりは慌てて振り返る。

 そこにいたのは、もう一人の『アルケミー』――有明錬であった。

 今の今までいなかったはずの人間の登場に、あかりは動揺を隠せない。

 

(い、いつの間に……もしかして、ずっと様子を伺ってたの?)

 

 武偵用語で、伏兵(アンブッシュ)という言葉がある。

 これはその名の通り、隠れながら隙をうかがう役割のことなのだが、それと一緒だ。おそらく錬は、もしもあかりがキンジたちに危害を加えようとした場合に備えて隠れ潜んでいたのだろう。

 そこまで考えたところであかりは目の前の男が誰なのかを再認識し、指差しつきで声を上げた。

 

「あ、あー! 有明錬! ……先輩!」

 

 アリアをたぶらかす仇敵とあってか、思わず呼び捨てにしてしまい急いで先輩をつける。

 しかしそれがまずかったのか、若干錬の顔が曇った。

 と、錬はあかりの手元を指差して、

 

「……なんで俺の名前を知ってんのかしらねぇけどな、まずはそいつを下ろせ」

(そいつ?)

 

 一瞬意味がわからなかったあかりだったが、いつの間にか自分が錬にマイクロUZIを向けていたことに気づく。さきほどキンジたちと話していたときに抜いていたのだが、仕舞い忘れていたのだ。

 指摘に従い、焦りつつもホルスターに収めながら、あかりは気づいた。

 

(ていうか、この人全く動じてなかった……。この距離で銃口を向けられてたのに、迎撃もしないなんて)

 

 舐めているのか、自信があるのか。いや、初対面だからと舐めてくれるほど易しい相手ではない。そんなことはわかっていた。現に、つい先ほど友人である火野(ひの)ライカも言っていた。

 ――「あの人はたぶん、本物の強さを持ってる」、と。 

 

「もっぺん聞くぜ。お前誰だ、キンジの知り合いか? それと、なんで俺の名前まで知ってんだ?」

 

 これが格の違いかと慄然とするあかりに、錬は再度問いかける。

 ひるむな、と自分を鼓舞しながらあかりは答えた。

 

「……あたしは、1年・間宮あかりです。有明先輩は、あたしのことを知らないだろうけど、あたしは先輩たちを知ってます」

「へぇ」

 

「それが?」と語尾に付きそうなほど、軽い口調だった。まるで、「俺たちの何を知ってるって?」と問いかけられているような錯覚を、あかりは覚えた。

 適当なその態度に、あかりは僅か苛立ちをにじませる。

 その感情を素直に、言葉に乗せて言い放った。

 

「先輩たちは、アリア先輩につく悪い虫です!」

 

 言ってやった。あかりが、思っているとおりのことを。

 だが、彼女はすぐに後悔することになる。

 

「……あ?」

 

(ひうっ!?)

 

 瞬間、低く轟く声とともに、錬が瞳を細めた――否、睨んだのだ。

 ズ……ッ、と、圧力すら伴う眼光があかりを射抜く。こんな視線、強襲科ですら向けられたことがない。殺気を出さずにこれほどの威圧をかけられるのか、とあかりは背筋に冷や汗を流した。

 しかし、それでも気丈にあかりはもう一度訊く。

 

「ッ! こ、答えてください! 有明先輩は、一体アリア先輩の何なんですか!」

 

 声が震えていたのは、我ながら情けないと思いつつもしかたないとも思う。言うなれば今、自分というネズミが錬というライオンに相対しているようなものなのだ。総身を貫く怖気を、あかりは抑えられない。

 そして――ふっと圧力が消えた。

 同時に、強張っていたあかりの四肢からも力が抜ける。意図せず座り込んでしまいそうなところを、あかりは堪えた。

 あかりが見れば、錬は何かを考え込むようなしぐさを取っていた。どうやら、あかりの詰問にどう答えるかを思案しているらしい。

 が、それは数秒のことで、錬は言った。

 実にあっさりと、なんでもないことのように。

 

「俺とアリアの関係性、ね。そうだな、あいつにとって俺は……()()()()()()ってところだろうよ」

 

 得がたい存在。錬はそう言った。

 はて、それは一体なんだろう、とあかりは思考する。

 知り合い? まさか、そんなのが得がたいわけがない。

 では友達? いや、だったらこんな回りくどい言い方はしないだろう。

 それならば恋人とかだろうか? ああなるほど、確かにそれは得がたい――

 

(……え?)

 

 自分で考えて自分で思い至ったことに、あかりは呆然となった。

 コイビト? コイビトってなんだっけ……あ、愛している者同士を指す、あの恋人か。

 と、そこまで思い至ったところで、

 

(…………って、ええええええええええええええええええっ!?)

 

 絶叫。心の中で、だが。

 脳内の混乱メーターは一気にフルスロットル。完膚なきまでに間宮あかりは混迷の渦中に突入した。

 

(こここ恋人!? 誰が?! 誰と?! アリア先輩がこの人と?!)

 

 思考はどんどん空回り、どんどん意味がわからなくなってくる。

 どういうことなのかわからなくて、一生懸命考えてまた恋人という単語に行き当たり、そしてまたどういうことかわからなくなる。まさしく悪循環であった。

 もはや、オーバーヒートといった体のあかりは、

 

「なっ、なっ、なっ、なんですかそれ――――――ッ!」

 

 最後にそう叫んで、だだだっと駆け出していった。

 ちなみに。

 最終的に電柱に突っ込んでしまったのは……あかりしか知らないことである。

 

 * * *

 

 ジリリリリリ、と朝のしじまをぶち破るような騒音が鳴り響いた。

 その発生源に大いに心当たりのある俺は、発生源こと目覚ましを叩き止め、寝ぼけ眼をこすりながら身を起こした。

 

「ん……朝か……」

 

 ふぁ……あ。眠てー……。

 欠伸を噛み殺しながら、一つ背伸びする。

 昨日は久々に強襲科に行ったり、間宮とかいうよくわからん後輩に会ったり、いろいろあったからか、なんかどっと疲れが出たなぁ……。

 気だるい体に活を入れつつ、俺はとなりのベッドに目を向け、

 

「……飯にすっか。おい、アリアー。お前何が――」

 

 食いたい? とまで言うことはなく、俺は思い出していた。そういや結局、あいつ昨日は女子寮に泊まったんだっけな。

 俺は一人登校する準備を整えながら、朝食の用意を始めた。現在時刻は7時10分。いつもならこのあたりでキンジが来るのだが、今日はなぜか呼び鈴が鳴らない。ま、どうせ寝坊だろ。

 簡単に朝食を済ませ、帯銃し、忘れ物がないかを一度確認してから俺は家を出た。

 マンションの通路に出た俺は、外に見える曇天からしとしとと雨が降りしきっているのを目撃し、顔をしかめた。

 雨、か……。傘は……まあ、バス停はマンションのすぐ前だしな。いらねぇだろ。

 そう結論づけた俺は視線を隣の部屋の扉へと転じる。キンジを誘うか少し迷ったが、まあいいか。あいつも遅刻するほどねぼすけじゃねぇしな。

 エレベーターを降りて、エントランスから自動ドアをくぐって外に出る。瞬間、幾多の雨粒が頬を打った。

 うえー……思ったより降ってんなぁ。

 バスが来るまでまだもうちょいあるし、傘を持ってこなかったのは失敗だったかと悔やんだ時、俺はバス停に見覚えのある背中を2つほど見つけた。おまけに、傘を差している。

 俺は少し駆け足でその人影に近づき、

 

「よ、亮、剛気。悪ぃんだが、どっちか傘に入れてくんねぇか?」

 

 ポンと2人の肩を叩いた。

 その内の1人、不知火亮はいつもの微笑で振り返って、

 

「おはよう、有明君。僕のでよかったら、遠慮なく使ってよ」

「悪ぃな」

 

 一言謝りを入れ、俺は亮の傘の下に入れてもらう。

 なんとか濡れずに済みそうだと安堵する俺に、もう片方である武藤剛気が尋ねる。

 

「よお、錬。キンジはどうしたんだ?」

「さあ? 寝坊だろ、どうせ」

「マジか。でも次のバスが、授業に間に合う最終便だぜ?」

 

 え、マジ?

 普段はバスじゃなくてチャリだったから知らなかった。悪い、キンジ。つーか、寝坊したお前の責任だけど。

 そうこうしている内に、バス停前に一台の学園バスが停車する。腕時計を見れば、7時58分だった。なるほど、これが最終か。覚えておこう。

 俺が脳内のメモ帳に記載して、さて込み具合はどんなもんかなと傘から少し顔を出して車窓に目を向けると、どういうわけか幾人もの女子がガラスの向こうからこちらを凝視していた。

 ど、どうしたんだ、これ?

 このバスは巡回コース上、先に女子寮を回ることになる。ので、女子がいること自体はなんらおかしなことじゃない。だが、それはこの異様な光景の説明になってない。

 理解不能の事態に俺が困惑するなか、プシューとバスの乗り降り口が開いた。

 途端、

 

「きゃー! 見て見て、有明君と不知火君が相合傘してるわ!」「鋭い目つきの有明君に、柔和な笑みの不知火君……描ける、これは描ける!」「あれ、でももし隣の武藤と有明が相合傘してたらどうしたの?」「あんた馬鹿ね、それはそれで楽しみ方が……」

 

 と、洪水のように黄色い声があふれ出してきた。

 ……の、乗りたくねぇー!

 何を言ってるのかはわからない。だが分からないからこそなにかおぞましい印象を受けてしまい、俺はたじろぐ。

 が、まさか乗らないわけにもいかないので、躊躇しながらも俺は傘から出てタラップを上がった。

 その後ろを、バス停にいた男子たちがぞろぞろと続く。

 なんとも言えない視線を感じながら、それは極力無視していると、やがてバスは発進を始めた。

 バス特有の揺れの中、亮が話しかけてくる。  

 

「昨日は有明君たちが帰った後も、みんな君たちの話題で持ちきりだったよ。さすがの人気だね」

 

 これ幸いとばかりに、俺は会話に乗る。とりあえずなんでもいいから気を紛らわすようななにかが欲しい。 

 

「あいつらが? どーせ、みなっちゃ……水瀬あたりが騒がしかったんだろ」

「自由履修だっけか? お前ら、そのうち強襲科に戻る気かよ?」

「いや、そういうわけじゃねぇんだが……ま、ちょっとした約束があってな」

 

 剛気の質問に返しながら、俺は考える。

 結局、約束の件はどうなんだろうな? 例の『最初の一件』が起こったとして、俺は果たして呼ばれるのか。

 まあ……それも、その時がくれば分かるか。

 と、そのことについてはひとまず保留した俺の耳に、ピリリリッという電子音が飛び込んできた。

 職業柄無意識に視線を向けた先で、通路側の座席に座っていた女子が鞄をごそごそと漁りながら、

 

「ごめんなさいっ。あたし、マナーモードにしたはずなのに……」

 

 と謝罪しつつ、ピンク色の携帯電話を取り出した。

 おいおい、こういう公共の場じゃケータイはきっちりマナーにしとけよなぁ。

 そんなことを思いつつ、まあ入れ忘れくらい誰にでもあるかと思い直し、俺が再び剛気たちとの会話に戻ろうとした時だった。

 

『この バスには 爆弾 が 仕掛けて ありやがります』

 

 なんというか非常に聞き覚えのあるというかぶっちゃけこの前の爆弾事件で耳にした合成音声が車内の空気を振るわせた。

 発信したのは、さっきの女子が持っていたピンクのケータイ。

 

「…………」

 

 えーと……か、変わった着メロですね。

 

 * * *

 

 なぜかいつもの時間に部屋を訪ねても錬が出てこなかったせいで朝食を食べ損ねたキンジは、腹の虫を鳴かせつつ、7時58分発の学園バスに乗るため、男子寮前のバス停へと足を進めていた。

 とはいえ、特段焦っていたわけではない。家を出たときに確認した腕時計の文字盤では、まだバスの到着まで余裕があることを告げてくれていた。

 だからキンジは走ることなどせず、悠々と男子寮を出た。空は生憎の雨模様。だが、バスの時間を考えればさほど憂慮することもない。キンジはそんなことを思いつつ、バス停に目を向けた。

 その視線の先で、丁度今、バスが白煙を上げながらゆっくりと滑り出し始めていた。

 

(……ん?)

 

 疑問を感じたのは、わずか1、2秒。

 刹那、キンジは叫び声を上げた。

 

「――ちょっ、なんでもう出発してんだ!?」

 

 おかしい、自分は確かに早めに出発したはずなのに。

 理不尽さを感じつつキンジが慌てて追いかけるも、時すでに遅く無情にもバスは走り去っていった。

 タッチの差、というにはいささか遅く、思わず伸ばしたキンジの手は空しく空を切る。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 遠ざかっていくバスを見ながら、キンジは荒くなった息を整えた。

 顎をしたたる水滴をぬぐって、キンジはしかたなくエントランスに引き返した。

 学園島は基本的に一般の交通がないとはいえ、毎日全く変わらぬ時間にバスが到着するわけではない。ないが、それにしても早すぎだとキンジはごちる。

 とはいえここで憤ったところでバスが引き返してくるわけでもない。納得いかない気持ちを抱えながら、キンジは一度自室に戻り、傘を手に取り、そこから徒歩で一般校区まで向かうことにした。

 

(自転車を爆破されたのが、こんなところで響いてくるとは……) 

 

 悪いことは重なるものだが、片方は明確な犯人がいるだけに歯噛みするしかない。自然、足取りも重くキンジは雨音をBGMに歩いていった。

 そしてその徒歩通学も20分ほどした頃、いっそ1限目は丸々フケるかと考え始めたキンジの携帯電話に着信が入った。

 ポケットから携帯電話を取り出し、折りたたみ式のそれを開く。

 液晶画面に映った名前は――『アリア』。

 

「…………」

 

 一瞬出るかどうか悩むが、出なかった場合それが故意かどうかを問わず風穴が開くことになるので、キンジは諦めて通話ボタンを押した。

 

『キンジ、あんた今どこにいるの!』

 

 開口一番あいさつも無しのアリアのアニメ声が、キンジの鼓膜を震わせる。

 キンジは、それに呆れながらも返す。

 

「どこって、強襲科のそばだが……何の用だ?」

 

 ちらりと目線を右隣に向ければ、そこには確かに黒い体育館の姿があった。

 というか、そもそもアリアは今頃授業中のはずだが、なぜこうして電話を寄越しているのか。

 首を捻るキンジに、アリアは端的に指示した。

 

『そう。丁度いいわ、なら強襲科でC装備に着替えて今すぐ女子寮の屋上に来なさい』

 

 アリアの口から出た、『C装備』。

 それは、武偵が強襲を行う際に着込む武装とされている。TNK(ツイストナノケプラー)製の防弾ベスト、強化プラスチック製のヘルメット、フィンガーレスグローブなどなど、その内容は非常に物々しい。

 キンジは、なぜそんな物が必要なのかと疑問に思いながら(同時に嫌な予感がしながら)も、とりあえず思い当たった考えを口にする。

 

「なんだ、自由履修は午後からだぞ」

『違うわ』

 

 アリアはキンジの希望的観測を短く否定し――

 告げた。

 

『――事件よ』

 

 * * *

 

 どうやら、俺はまた巻き込まれちまったらしい、と気づいたのはすぐだった。

 しかも、チャリジャックからレベルアップして、今度はバスジャック。泣いていいかな、俺。

 だがさすがにこれだけの乗客がいる中で泣き出したら、変人以外の何者でもないので、俺はおとなしくみんなと一緒に車内に爆弾がないかを捜索する。

 と、その時、俺のズボンのポケットが震えた。そこに入ってるのは、俺の携帯電話だ。

 ……まさかまた、『お前が〇〇したら 爆発 しやがります』みたいなこと言われねぇだろうな……。

 ビクビクしながらケータイを取り出し、通話ボタンを押すと、聞こえてきたのはアリアの怒声だった。

 

『錬、今あんたがいる場所を教えなさい!』

 

 キィン、と耳が痛む。う、うるせぇ……。

 というか、んだよやぶからぼうに。自由履修の件か? こっちゃ、それどころじゃねぇのに。

 不満げに思いながらも、俺は素直に答える。

 

「バスん中だ。それも、バスジャック中のな」

 

 吐き捨てるように言う俺に、アリアは、

 

『こ、行動が早いのはいいことだけど、先走りすぎよ!』

 

 と、なぜか怒鳴ってきた。

 うん、なんで怒られたんだろうね俺。

 あまりの理不尽さに怒ることすらできない俺に、アリアはさらに続ける。

 

『まあ、いいわ。それよりも、そっちの状況を教えて』

 

 状況、か……。

 周囲を見回し、現状を改めて認識してから、俺はアリアに返す。

 

「……とりあえず、車内に犯人はいねぇ。手口から、この前俺たちのチャリをヤッた奴と、同じ相手だろうな。今は、指示に従わせて乗客が車内の爆弾を探してんだが、今んとこ見つかっちゃいねぇ」

 

 ちなみに指示を出したのは俺じゃなく、剛気だ。あいつはこういう時、何気にリーダーを張れる。俺なんかよりよっぽどすげぇ奴だ。

 

『わかった。これから、あたしとキンジがそっちに行く。火砲支援(カノンサポート)にレキも配置してる。だから、錬は無茶しないこと。いいわね?』

 

 確認するように問うアリアに、俺は眉根を寄せる。

 無茶するなもなにも、ハナから俺がどうこうしてどうにかなる状況でもねぇんだが。爆弾の場所もわからない、犯人もいないってんじゃ、こっちとしては手詰まりだ。

 とはいえそれを正直に話してもしかたないので、とりあえず俺はアリアに肯定を返そうとして――突如、車内に鋭い大声が響き渡った。

 

「――みんな、伏せろッ!」

「――ッ?!」

 

 亮の叫び声に続いて、バスの窓ガラスが一斉に砕け散った。連続する発砲音がガラスの破砕音をかき消していく。

 クソ、銃撃か!

 慌てて伏せようとするも、それよりも一瞬早く、ビシッ! と1発の銃弾が俺のケータイにぶち当たり、俺の手からケータイを弾き飛ばした。ああ!? 先月買い換えたばかりだぞ、オイ!?

 幸か不幸かなんとか被害はそれだけに留まり、俺は急いで横壁に身を隠す。ガラスはともかく、この車体は防弾性だ。こうしていれば、追撃があっても防げる。

 

「チッ、やっぱこの前の犯人(やろう)か……!」 

 

 屈む前に見えたが、バスの側面にはオープンカーが並走していた……ありゃ、ルノー・スポール・スパイダーか。おまけに助手席から顔出してたのは、またもやUZI。合成音声と合わせて、これで確定的だった。

 と、憎憎しげな声を漏らした時、うめき声が聞こえてきた。

 

「だ、大丈夫か、君」

「痛ッ……! あんにゃろう、防弾制服っつっても当たるとイテェんだぞ……!」

 

 会話に視線を向ければ、そこでは剛気が運転席に背を預けて座り、腕を押さえながら苦悶の表情をしていた。

 あいつ、運転手を守ったのか。彼だけは伏せることが出来ないから……!

 

「おい! 無事か、剛気!」

「なんとかな……」

 

 クソ、お構いなしじゃねぇかよ。

 いや……だが、悪いことばかりじゃねぇ。もうじき、援軍(アリア)たちが来る。そうなれば、この最悪な状況も動く。

 つっても、それまで何もしないわけじゃねぇ。出来ることはある。これでも、遺憾だが『アルケミー』なんて呼ばれてもてはやされてたんだ。少しぐらい、何かやっとかねぇとな。

 俺は、おもむろに防弾制服を脱ぎ、シャツ姿になる。これは言うまでもなく危険な行為だが、さっきも言ったが車体には銃弾が通らない。射線に出ない限りは大丈夫のはずだ。

 それでもやはり若干の恐怖は感じつつ、俺はブレザーを剛気に投げ渡し、

 

「剛気! それ、運転手に着せてろ! 上から羽織らせるだけでもいい!」

「な……!? それじゃ、お前が危ねえだろ!?」

「心配すんな。俺は、問題ねぇ」

 

 さすがに、この状態じゃ、大人しくせざるを得ない。

 情けないのは百も承知だが、このまま亀のように伏せ続けるしかない。

 

「クソ、無茶しやがって! ああ、わかったよ! お前を信用してやる!」

 

 剛気はやたら熱い台詞を吐きながら、俺の指示通り運転手に防弾制服を羽織らせる。よし、これで少しは役に立てた。

 後は心苦しいが、アリアたちに任せよう。アリア、キンジ、レキ。元も含めりゃ、Sランク3人だ。きっと、何とかしてくれるはずだ。

 頬を伝った冷や汗をぬぐって、俺は絶対に体を射線にさらさないように気をつけようと決意した。

 

 * * *

 

「剛気! それ、運転手に着せてろ! 上から羽織らせるだけでもいい!」

 

 突然の声に武藤剛気が反応して顔を向けると、何かが自分に向かって飛来してきていた。

 反射的に手を伸ばし、武藤はそれを掴む。咄嗟には何かわからなかったが、よく見ればそれは防弾制服の上着だった。

 武藤はこれが飛んできた方向を見る。そこにいたのは、シャツ姿になってしゃがむ有明錬であった。

 防弾制服の持ち主は彼だろう。そしてその指示は、一側面から見れば頷ける部分はある。運転席から離れられない上にこのジャックされたバスの手綱を握っているとなれば、運転手を守ることの重要性は確かに高かった。

 しかし、

 

「な……!? それじゃ、お前が危ねえだろ!?」

 

 武藤は友の身を案じ、抗議する。

 有明錬は、元Sランク武偵にして、伝説のコンビの1人である。そして彼自身何度かその実力を目撃している。そして同時に、大切な友人でもあった。信頼できない、などとは口が裂けても言えはしない。

 だが、いかに凄腕の武偵であろうが、結局のところは人間なのだ。秒間10発以上もの速度で攻勢をしかける弾幕を相手にシャツ1枚など、紙で銃弾を防げと言われているようなものだ。正気の沙汰とは思えなかった。

 が、にもかかわらず、錬は言ってのけた。

 

「心配すんな。俺は、問題ねぇ」

 

 はっきりと。一切の淀みなく。

 その表情には、一片の迷いも恐れもない。あんな顔、弾丸が自分に当たることはない、とでも思っていなければできないだろう。

 

(マジかよ、オイ……なんつー度胸と自信だよ……!)

 

 常軌を逸した錬の態度に、武藤は驚きを禁じえない。

 これが、Sランク。

 これが、『アルケミー』。

 遥か高みの存在に、武藤の総身が震える。

 伝説の名が伊達ではないことを武藤は肌で感じ取り、声を荒げて言った。

 

「クソ、無茶しやがって! ああ、わかったよ! お前を信用してやる!」

 

 武藤はこの台詞に、錬への激励も込めた。

 これほどの武偵が、この状況で黙っているわけがない。それに、さっき錬が電話していたことも気になる。

 おそらく、今は雌伏の時なのだろう。錬は、反撃に転じるべきタイミングを待っているのだ。

 そして一度事態が動くその時こそ、『アルケミー』・有明錬は己が力を振るうのだろう、と武藤は確信を持って予想した。

 

 * * *

 

 アリアは今、いつかのように女子寮の屋上にいた。

 雨に打たれて濡れる前髪を払いのけ、視線は険を帯びている。

 その服装は普段の防弾制服とは違い、キンジに指示したのと同じC装備で固められていた。小柄なアリアがそんな格好をすればひどく違和感を感じるが、それを指摘する人間はここにはいなかったし、現状を考えればまさにこれこそ最適な格好だった。

 彼女の数メートル後ろ、階段の(ひさし)の下には、狙撃科(スナイプ)Sランク・レキが体育座りで待機している。彼女の背には、いつものようにドラグノフ狙撃銃が背負われている。が、それを抜きにしてレキもまた『事件』に向けて集中(コンセントレーション)を高めていた。

 アリアたちがここにいるのは、他でもない。今より10分ほど前、アリアは『武偵殺し』が犯行に使う際に発する電波をキャッチした。そしてその出所を調べてみると、なんと武偵高のバスがジャックされたことがわかったのだ。

 アリアはすぐさま強襲準備を整え、事件解決のために人員や足の確保を始めた。その過程でレキを加え、キンジには先ほど連絡し、そして今3人目のメンバーに電話をかけていた。

 携帯電話のマイクに向け、アリアは大声で訊く。 

 

「錬、今あんたがいる場所を教えなさい!」

 

 通話の相手は、アリアの言葉通り錬だった。アリアが直接コンタクトできるSランク(とアリアの中では決まっている)、最後の一人だ。

 早く全員を集めて事件に臨もう、と意気込むアリアに、錬は通話口の向こうで答えた。

 

『バスん中だ。それも、バスジャック中のな』

(えっ!? もう乗り込んでるの!?)

 

 錬の言葉に、アリアは驚愕に目を見開く。

 事件発生から、まだ20分も経っていない。にもかかわらず、すでに現場に急行しているというのか。

 アリアは少し詰まりながら、

 

「こ、行動が早いのはいいことだけど、先走りすぎよ!」

 

 先を越されたことにか、自分に何の指示も仰がなかったことにか、定かではなかったがアリアは少し不機嫌になりつつも、人のことを言えない叱咤を錬に飛ばした。もしかしたら、パートナーと決めていた錬に一人で動かれたことがアリアの心を突いたのかもしれない。

 しかしすぐに、そんな場合ではないと思いなおし、

 

「まあ、いいわ。それよりも、そっちの状況を教えて」

 

 錬に改めて、車内の様子を尋ねる。

 怒ったことに憮然としているのか、錬は一瞬黙る。確かに、今の場面で怒鳴りつける必要はなかった。悔やむアリアに、錬は淡々と告げる。

 

『……とりあえず、車内に犯人はいねぇ。手口から、この前俺たちのチャリをヤッた奴と、同じ相手だろうな。今は、指示に従わせて乗客が車内の爆弾を探してんだが、今んとこ見つかっちゃいねぇ』

(犯人はいない……でしょうね、『武偵殺し』の犯行は遠隔操作だもの)

 

 これまでで得た情報を頭に浮かべながら、アリアはこちらの状況と独断専行を抑制する注意を錬に投げかける。

 と、突如、アリアの耳朶を数多の銃声とガラスが砕ける音が叩いた。アリアは柳眉をひそめる。どうやら、動きがあったらしい。

 そして、アリアの携帯電話は通話切れになった。まさか、錬に限って大事には至っていないだろうが、携帯電話は弾き飛ばされるかなにかされたらしい。

 その時、ギィと背後で屋上のドアが開く音が聞こえた。

 待ち人の到着に、アリアは振り返りつつ言った。

 

「集まったわね。これから、この3人で追跡するわよ。火力不足はあたしが補う。急ぐわよ、錬はもう現場に着いてる」

「追跡って何をだ。何が起きた?」

「バスジャックよ。武偵高の通学バスがジャックされた。キンジのマンションの前に7時

58分に停留したやつよ」

 

 C装備で現れたキンジに、アリアは状況説明(ブリーフィング)を行う。

 キンジはジャックされたバスに心当たりがあるのか驚愕に表情を変えながら、アリアに尋ねた。

 

「犯人は、車内にいるのか」

「いいえ。先行してる錬の話じゃ、車内にはいないそうよ。それから、錬が指示して爆弾を探してるみたいだけど、今のところ車内には見つかってない。多分、外装に貼り付けてるんでしょうね――キンジ。これは『武偵殺し』。あんたたちの自転車をやった奴と同一犯の仕業だわ」

 

 アリアはそこで一息入れ、

 

「最初はバイク。次がカージャック。その次があんたたちの自転車で、今回がバス。『武偵殺し』は乗り物に()()()()()()()()()()()を仕掛ける。そして、それを遠隔操作して犯行に及ぶんだけど……その時に発する電波を、あたしはキャッチしたの」

 

 アリアの説明に、キンジの脳内である情報が浮かび上がる。

 それと照らし合わせれば、アリアの言には矛盾があった。

 

「『武偵殺し』は、逮捕されたんじゃないのか?」

 

 キンジの言葉は、正しい。確かについ最近、ニュースでそう報道されていた。すなわち、武偵殺しはすでに留置所の中にいるのだと。――()()()では、だが。

 しかし、アリアは知っている。それが真実ではないことを、誰よりも。

 だから彼女は反論する。

 

「それは、偽物。真犯人じゃないわ。だけど、この背景を説明してる暇はないし、あんたは知る必要はない。このパーティーのリーダーはあたしよ。とにかく、ミッションはバス車内の全員を救助すること! それだけ頭に入れなさい!」

 

 あまりといえばあまりな、アリアの簡潔すぎる説明にかみつくキンジにアリアが怒鳴ったとき、雨音さえもかき消す音とともに、上空から車輌科(ロジ)のシングルローター・ヘリが降りてきた。

 キンジがそれを見てやっと折れると、アリアが()()()()()言った。

 これこそまさに、自分が望んだ状況だというように。

 

「キンジ。さっきも言ったけど、錬はもうバス内にいる。つまり、これが約束の、最初の事件になるのよ」

「大事件だな。とことんツイてないよ」

 

 アリアの笑みに、心底嫌そうにキンジが答えて。

 そして、いよいよ。

 神崎・H・アリア。

 遠山キンジ。

 レキ。

 有明錬。

 Sランク武偵4人が挑む――ミッションが、幕を開けた。

 

 * * *

 

 おいおいおい、どうなっちまうんだよこれ……! 

 バスは暴走状態のまま走り続け、例のボーカロイドの命令に従い、ついに台場に入った。マズイぞ、これは。どんどん都心に近づいてってやがる。

 ただ、さっきとは状況が違っている。俺たちを銃撃していったルノー、あれがどういうわけか退いたんだ。まるで、何かが来るのを待ってるみてぇに。

 とはいえ、現状はいかんともしがたい。車内に爆弾が無かった以上、当然車外にあるんだろうが……それを解体しにいったとしても、その最中にルノーがまた来たら、狙い撃ちだ。

 それがみんなもわかってるからこそ、誰も動けずにいた。

 ――が、

 

「みんな、無事か!」

 

 そんなこう着状態を動かすように、窓から一人の男が入ってきた。

 強襲科でよく見たC装備に身を包んでるのは……キンジじゃねぇか!

 キンジは周囲を見回しながら、

 

「錬! いるか、錬!」

 

 どういうわけか俺を呼んでいる。

 俺はもう一度ルノーがいないか確認して、キンジの下へ駆け寄った。

 

「おう、ここだ」

「ッ!? お前、武装は……っていうか、防弾制服はどうした?!」

「武装なんざしてる暇あっかよ。制服は運転手にやった」

 

 暇がないっていうか、そもそもできなかったんだけどな。

 

「お前な……いくら仲間が被害に遭ってるからって、急ぎすぎだ。せめて、最低限の装備くらいしておけよ」

「しかたなかったんだよ」

 

 なんせ、俺に出来ることといやこのくらいしかなかったからな。……しかし、急ぎすぎってのはどういうこった? まるで俺が後から駆けつけたみたいな言い方だな、おい。

 っと、それよりだ。

 

「アリアはどうした?」

「今、車外に爆弾がないか探してる。俺はひとまず錬と合流しろと言われて――ああ、こっちは錬と合流した。見る限り、重傷者もいない。そっちはどうだ?」

 

 途中で俺ではなく、インカムを通してアリアに語り始める。

 そして、それが数十秒続いて……キンジが顔を青くした。

 ……嫌な予感しか、しないんすけど。

 俺はその予感を振り切りながら、

 

「どうしたんだよ、キンジ?」

「……アリアが、車体の下に爆弾を見つけたらしい。種類(タイプ)は俺たちのときと同じ、C4。炸薬は、3500立方センチはあるそうだ」

 

 ……んだよ、そのふざけた容積は。

 思わず、開いた口がふさがらない。イカレてやがる。

 どうやら、この爆弾をしかけた奴はかなり素人らしいな。バスを爆破するレベルの炸薬量を計算できなかったのか、間違って戦車を爆破するレベルになってやがる。今回は、犯人のバカさ加減が俺たちにとって裏目に出たというわけか。

 さすがに俺も血の気が引き始めた。

 と、その時、突然バスの後方から衝撃が突き抜けた。座席の背もたれに手をかけ、体を支える。

 何かが、追突したのか……?

 急いでバックウィンドウに目をやると、映ったのは短機関銃つきのオープンカー――ルノーが、帰ってきてやがる!

 

「大丈夫か、アリア! ――クソッ、さっきの追突でやられたか」

「――ッ!? バカ、伏せろッ!」

 

 のん気にインカムに意識を寄せるキンジの頭を抑え、2人で即座に屈む。

 瞬間。

 再び側面についたルノーによる掃射が、頭上を駆け抜けた。

 うおおおおおおおっ!? あ、危なかったぁ!?

 

「ぐあっ!?」

 

 耳が悲鳴を捉え、視線を動かすと、バスの運転手が顔を苦痛に歪めていた。撃たれたのか!

 それでも運転をやめないのはさすがだ。あの人も必死なんだろう。すげぇ根性だ。

 

「クソ……! 武藤、このヘルメット運転手に被せてろ!」

「わ、わかった!」

 

 と、キンジが立ち上がり剛気に自分のヘルメットを投げ渡したかと思うと、また窓から身を乗り出し始めた。

 なにやってんだよ、オイ!

 突然のキンジの奇行に、俺は制止をかける。

 

「おい、どこ行く気だお前!」

「屋根に上ってアリアの様子を見てくる! お前は来るな!」

「あっ、おい!?」

 

 引き止めるも、キンジは聞かずにホントに屋根まで登りやがった。

 バカかあいつ!? さっきの見てなかったのか。屋根になんか登ったら、格好の的じゃねぇか!

 

『アリア! お前、ヘルメットはどうした!』

『あんたこそ、してないじゃない! 危険だわ! なんで無防備に出てきたのよ?!』

 

 窓の外から、屋根の上で合流したのだろう、アリアとキンジのケンカが聞こえてくる。 

 バスは今、レインボーブリッジを走っている。もうこれ以上行くと都心で爆発するってのに、なにやってんだあいつら!

 

「――クソッタレ!」

 

 俺は罵倒を一つ飛ばし、後方にも側面にもルノーがいないことを確認してから、キンジと同じように窓に手をかける。

 正直なところを言えば本当は嫌だが……心底怖ぇが……今頼りにできるのは、あいつらしかいねぇんだ。そのあいつらがまとまってなけりゃ、事件解決なんざできるわけがねぇ。

 だから俺は、あいつらのケンカを仲裁するために、屋根に上る。

 豪雨で煙る視界の中、視線を巡らせると――いた。アリアとキンジが丁度運転席の真上あたりで、言い合っている。

 俺は、屋根の上に立ち上がり、2人に向かって歩きながら、

 

「おい、テメェら! 何やってんだ――」

 

 ――ケンカしてる場合か!

 そう、続けるつもりだったのだが。

 雨で濡れた足場、そして走行中ゆえの強風。

 なんというか、そうだな。ここまで条件が揃ってれば――まあ、滑るよな。

 

「――うおっ!?」

 

 意識しない動きに、俺の喉をこじ開けて声が漏れる。

 昔、学校の大掃除でワックスがけした廊下のように、バスの屋根は見事に俺の足を滑らせた。

 俺は前のめりに倒れ始め、しかし倒れてなるものかと1歩2歩3歩と足を出す。が、抵抗むなしく、俺に背を向けたアリアめがけて――倒れこんだ。

 

「ッ! キンジ、後ろっ! 伏せなさいよ! なにやって――きゃっ!?」

 

 なにやら向かい合うキンジに説教していたアリアを、ドンッと後ろから押してしまい、さらにそのせいでアリアはキンジを押し倒すことになり、ついでとばかりに俺もその上に重なりそうになった――その刹那。

 

 タンッ、と短い音が聞こえて、俺の右肩に火のような激しい熱が生まれた。

 

「……?」 

 

 なんだこれ――と、思ったのは一瞬。

 直後。

 俺の脳髄に激しい痛みを報せる電気信号が走った。

 

「――――――ガ」

 

 思わず、叫び声を上げる――より早く、さらにもう一度短く音がしてバヂッッ! と右側頭部を衝撃が掠めていった。

 脳が、揺れる。ドロリとした粘性の何かがこめかみを伝う。

 その正体に触れることができないままで、突如俺の体を浮遊感が包んだ。

 朦朧とし始めた頭が、起こった現象を理解する。

 落ちたんだ。バスの上から、バスの前方へ。

 落下する視界に、ルノーの姿が映る。こいつ、後ろでも横でもなく、前に陣取ってやがったのか。

 明滅する意識の中、俺の身体はルノーの運転席だか助手席だかに落ちた。その時、なにかが折れるような音が聞こえたんだが……よく、わかんねぇ。

 ああ、クソ……痛ぇ。

 痛みには、それなりに慣れてたつもりだったんだが……どうやら、そうでもなかったらしい。

 右肩を蝕む焼けるような痛みを感じながら、どんどん俺の意識は塗りつぶされていく。

 視界がブラックアウトしていき、完全に意識の糸が切れる、その寸前。 

 

 ――遠くで、誰かの声が聞こえた気がした。

 

 * * *

 

 武偵高の仲間が狙われたからか、武装さえする時間がないほど即座にバスに乗り込んでいた錬と合流したキンジは、突如背後から追突してきたルノーの衝撃でやられたアリアを心配し、バスの屋根へと上った。

 バスの速度はすでに法定速度を越えている。激しい風圧と、それに追随するように叩きつける雨が、キンジを襲う。

 そんな中、無事だったらしいアリアがワイヤーを伝ってキンジ同様に上がってきた。

 キンジはアリアの姿を認め、しかしそこに足りないものがあることに気づく。 

 

「アリア! お前、ヘルメットはどうした!」

 

 車体下に潜っていた時にはつけていたはずのヘルメットを、アリアが着装していないことを指摘すると「あんたこそ、してないじゃない! 危険だわ! なんで無防備に出てきたのよ?!」と逆に激怒された。 

 

「なんでそんな初歩的な判断もできないのよ! すぐに車内に隠れなさい!」

 

 なおもアリアの言は止まらず、キンジは言われるがままになっていた。アリアの言っていることは間違っていない。キンジの取った行動は、危険だと咎められてもしかたのないものだった。

 ――と、その時。

 キンジの目が、屋根に上ってきた錬の姿を捉えた。

 

(あいつ、なんであんな格好で出てきて……!?)

「――! ――――」

 

 激しい雨が屋根を叩く音でよく聞こえなかったが、錬は何かを叫びながら、こっちに向かってきている。

 と思いきや、いきなり加速して走りこんできた。

 

(なんだ。あいつ、一体なにを)

 

 錬の行動の意図が読めず、キンジはただ錬の動きを見ていて、

 

「ッ! キンジ、後ろっ! 伏せなさいよ! なにやって――」

 

 眼前で突如アリアが自分に何かを伝えた――瞬間、錬がアリアの背を突き飛ばした。

 

「――きゃっ!?」

 

 アリアの短い悲鳴とともに、小さな体がキンジに覆いかぶさってくる。不安定な足場ということもあって、キンジはあっさりと自分よりずっと小さな女の子に押し倒されてしまった。

 そして、次の瞬間。

 キンジの耳が、2発の銃声を捉えた。 

 

(発砲……!? どこからだ?!)

 

 キンジは仰向けの状態でアリアを腹の上に乗せながら、顔だけ動かしてバスの前方を見た。

 そこに――いた。ルノー・スポール・スパイダーが。

 いつ回り込みやがった、とキンジが驚愕する最中、ルノーの運転席にとりつけられたUZIが射線を修正するように、銃口を動かす。

 それは、例えるならば死神の鎌。キンジの命を刈ろうとする、冥府からの使者だった。

 

(マズイ! もう一度来る!)

 

 この体勢からじゃ避けられない、とキンジは戦慄する。

 この期におよんで、よもや装填されているのは非殺傷弾(ゴムスタン)であるなどと思うことはできない。籠められているのは、間違いなく無慈悲な鉛の弾丸だろう。

 あれがひとたび吐き出されれば、遠山キンジの、そして神崎・H・アリアの人生は間違いなく終わる。

 もはやここまでか、とキンジの脳裏に諦めがよぎった刹那、

 

 ルノー目掛けて落ちていく、錬の姿が視界に映った。

 

 咄嗟だった。キンジは状況が理解できぬままで、錬に呼びかける。

 しかし、

 

「――れ」

 

 ん、とさえ言い切れぬ時間を経て、錬はルノーの助手席へと落下した。その際、錬の右手が運転席についたUZIをもぎ取るのが見えた。こんな事態は想定してなかったのか、設置は甘かったらしい。

 ――いや、そんなことはどうでもいい。

 

「錬! おい、錬! クソ、おいアリアどけ!」

「ん……なによ、今の――って、え!?」

 

 アリアにも状況が飲み込めたのか、両目をいっぱいに見開いてルノーに横たわる錬を見ている。どうやら、錬は気絶しているらしい。

 キンジはすぐさまアリアを身体の上から退けて、未だ前方を走るルノーの運転席に飛び降りた。

 運転席に着地したキンジはハンドルを切ってルノーをバスの進行上から退かし、ブレーキを踏み速度を落とした。UZIがない以上、すでにこれはただの車だ。遠隔操作していたらしいが、どうも手動でも運転操作は出来るらしい。

 レインボーブリッジの真ん中で停車したキンジは、すぐに隣の錬の容態を調べる。

 

(被弾してる……!)

 

 まず見えるのが、肩に1発錬は銃弾を受けていた。防弾制服を着用していなかった分、銃弾は錬の生身を貫いていた。

 だがもっとまずいのが、錬のこめかみから血が流れていることだ。発砲音は2回だった、1発は肩に、そしてもう1発は側頭部を掠めていったのだろう。もしあと数センチずれていたらと想像して、キンジは心臓を凍らせた。

 錬が気絶しているのも、おそらくこちらが原因だろう。目を開いているところを見るに、脳震盪を起こしているのかもしれない。

 ここまできて、キンジはようやくなぜ錬が屋根に上がってきたのか、そして何を叫んでいたのかを理解した。

 おそらく、錬は車内から見たのだろう。ルノーが、バスの前面に躍り出たのを。だから彼は自分たちのところまでやってきて、避けろあるいは屈めと警告するために叫んだのだ。

 だが、そのメッセージをキンジたちは読み取れなかった。だから錬は、代わりに力ずくでキンジたちを凶弾から救ったのだ。自分を、盾にして。

 その上で、錬は追撃を防ぐため、自らルノーに飛び込みUZIを無力化したのだ。

 

「バカ野郎……お前、いつも、なんでそこまで……!」 

 

 あの時のように、という言葉は隠して。

 ルノーの座席を赤く染める錬に、キンジは聞こえぬ問いを投げかけた――

 

 * * *

 

 アリアは、屋根の上にぺたんと座り込みながら呆然としていた。

 ただひたすらに、黒い雲から流れる雨に打たれながら、彼女は遠ざかっていくルノーを眺めている。

 原因は言うまでも無い、錬の負傷である。

 

(錬が、怪我した……)

 

 それは、特別おかしなことではない。錬は、人間だ。ケガの一つもする。

 だが今回は……その原因は、()()にあった。

 

(あたしとキンジを助けようとして、怪我した)

 

 そう。自分たちが、迫るルノーに気づくのが遅れたから、錬は2人を助けに入ったのだ。

 もちろん、錬にも落ち度はあるだろう。そもそも、防弾制服すら着ずに銃口の前に立つなど、武偵としては落第物の行動だ。

 だが、それを差し引いても……『仲間』が自分のために傷つくということを初めて経験したアリアは、自分の心に暗い影が落ちるのを自覚した。

 今までだって、即席とはいえパーティーを組むことはあった。その中でメンバーが負傷することも、もちろんあった。

 だがアリアにとって、先ほどのように誰かが自分を庇って負傷するなど、一度もなかったのだ。半年前のあの日でさえ。

 呟きが、アリアの小さな唇から零れる。

 

「あたしは……」

 

 その後に、何を続けようとしたのか。それは、本人さえ分からなかった。

 ――と。

 雨を切り裂くローター音が聞こえ始め、見ればアリアの要請したヘリが、バスと並走して飛んでいた。

 そのハッチは開かれ、そこには狙撃科の麒麟児・レキが、ひざ立ちで狙撃銃を構える姿があった。

 

「レキ……」

 

 アリアが呟くなか、インカムからレキの声が流れる。

 

『――私は一発の銃弾』

 

 それは、誰かに向けたものではない。あえて言うなら、自分に向けたものだ。

 声は、続く。

 

『銃弾は人の心を持たない。故に、何も考えない――』

 

 それは、レキが狙撃の際に諳んじる『詩』だった。自己暗示の一種なのか、それとも何かの願掛けか。それは誰にもわからない。彼女は誰にも語ろうとはしない。

 ただ一つ、誰もがわかっていることは。

 レキが放った弾丸が外れることは、ないということだ。

 

『――ただ、目的に向かって飛ぶだけ』

 

 ドラグノフの銃口からマズルフラッシュが3つ迸り、次いで3発の銃声がアリアの下に届く。

 数瞬後、バスの下から着弾の衝撃が響いた。視線を向けるアリアの双眸に、車体の下から先ほどアリアも確認した爆弾が転がり出たのが映った。 

 

『――私は一発の銃弾――』

 

 最後に、もう1発銃声がして。

 爆弾は、レインボーブリッジの下に広がる海へと撃ち落とされた。

 ――直後、

 

 腹の底に響くような轟音と共に、巨大な水柱があがった。

 

 まるで、天を衝くかのようなその光景に、しばしアリアの目が奪われる。

 そして、その間にもバスは徐々に速度を落とし――やがて、停まった。

 アリアはそれを確認し、無言で濡れた路面へ飛び降りる。

 

「――大丈夫か?!」

 

 いち早くバス内から出てきた武藤が、地面に降り立ったアリアに訊いた。

 うつむき、目線をピンクの髪で隠したまま、アリアは答えた。

 

「――あたしは、大丈夫」

 

 それは小さく、消え入りそうな声で。

 まるで……自分に、言い聞かせているかのようだった。

 

 * * *

 

 こうして。

 Sランク武偵を4人動員したバスジャック事件は幕を閉じた。

 負傷者は1名。名前は、有明錬。

 報告書の上では、ただそれだけのこと。

 しかしそれは、受け取る者によって意味が変わる……大きな、事実だった――




ではまた、次回。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。