「アリア――帰ってこい!」
願いを込めた一声と共に、キンジはアリアの
――『
それが、今アリアの心臓に流れ込む復活薬の名前だった。
――錬に足止めを頼んだあの後。キンジは側頭動脈を切られたアリアを連れて、彼女の部屋までとってかえしていた。そして、ベットに横たえて間もなく止まったアリアの鼓動を蘇らせるため、キンジは武偵手帳から取り出したラッツォを打ち込んだのだ。
その効果は絶大だったようで、アリアはやがて意識を取り戻した。その時、ラッツォを打つために服を脱がしたことにキレられたり、ラッツォが持つ興奮作用でアリアは単身理子の下へ突撃しようとしたり、いろいろあったのだがここでは詳しく語らないでおく。アリアの尊厳的に。
とまれ、未だ興奮状態が続き、キンジに喚き始めたアリアをどう宥めるべきか、キンジは焦っていた。
両手は暴れるアリアの二丁拳銃を押さえるために塞がっていて、使えない。口で言っても、きっと黙らない。遠山家の隠し技で強制的に黙らせるという手もあるが……それでは意味がないし、そもそも女の子相手に使うような技じゃない。
となると――
(ああ……絶対、あのモードになっちまうだろうな)
たった1つ、思いつく。アリアを静かにさせる方法を。
今も理子をくい止めてくれている親友を想いながら、
兄を破滅させたあのモードを頭に浮かべながら、
――キンジは、アリアにキスをした。
* * *
あーあ……なんだって俺は、いつもこんな損な役回りばっかなんだよ……。
そんなことを思いつつ、俺はホルスターからグロックを抜いた。
「錬と
「……だなぁ。あん時ぁ、こんなことになるなんざ、思っちゃなかったよ」
余裕のつもりか軽口を叩く理子に、俺も返す。こんなところまで、入試ん時と一緒じゃねぇか。
もっとも……
ゴリゴリと銃床で頭をかく俺に、理子は「くふふっ」と笑んで、
「それはあたしも同じだよ。さっきも言ったけど、あたしはお前までこのステージに引っ張り出すつもりはなかった」
「だったら、見逃して欲しかったもんだな。こうして武偵と犯罪者として向き合っちまった以上は、戦るしかねぇだろ」
本当は、めちゃくちゃ嫌なんだが。こいつ、なんで
げんなりする俺に、理子は一度目をつぶり、
「そうだね。あたしとお前は、もう敵同士なんだから。……それよりも、肩の怪我はどうなった?」
「矢常呂先生の腕は知ってんだろ? ま、満足に動かすのは無理だけどな」
つか、やったのお前だろ。なんでんなこと訊くんだ?
心配してる……ってわけじゃ、ねぇよな。
「そう。じゃあ――遠慮は、いらないよね?」
ニィと口元を歪めながら、理子は言った。ほらみろ。
……はぁ。しゃあねぇな、もう。これは、どうあっても止まらない。戦るしか、ない。
――っと。
「戦るのは構わねぇが……その前に、一個聞かせろ。お前、なんでこんな手段を取った? こんな、
自転車をジャックしてみたり、バスをジャックしてみたり。あげくの果てにゃ、飛行機までジャックして、一般人も武偵も関係なく巻き込んで。
お前なら、真正面から戦ったって、勝てるかもしれねぇのに。ましてや、お前が超偵――
それとも、なにか他に理由があるのか……?
「はあ? 不意打ちってなーに? 錬って、今までの武偵人生で誰にも不意打ちされなかったの? うっらやましぃー!」
「それとこれとは話が別だろ。お前の狙いから言えば、もっと正々堂々とすりゃいいじゃねぇか」
俺は、茶化すような理子の台詞を、あっさりとぶった切る。
そう。理子のやり方は、おかしい。
よくは分からんが、先祖を超えたいっていうんなら。それを本当に証明したけりゃ、掛け値なしの真剣勝負じゃなきゃ、意味ねぇだろ。
という意味で、俺は実に正論を言ってやったんだが、
「ッ! お前に何がわかる! あたしにはもう、そんな余裕ないんだよッ!」
「ッ!?」
ええ?! そ、そこまでキレんの!?
今までとは打って変わっていきなり激怒した理子。そんなになるほど、その『証明』とやらは切羽詰まってんのか?
いやいや、待て待て。いくら切羽詰まってたとしても、こんな手を使っていいはずがねぇ。
理子は、実は犯罪者だったとはいえ、今まで武偵――つまり、仲間だったんだ。
なんとか思いとどまるように説得しないと。
「……俺は、お前が何をそんなに焦ってんのかはしんねぇけどな。これだけは言える。お前は――間違ってんだよ」
「ッ!」
「こんなやり方、いいわけねぇだろ。お前だって本当はわかってんだろ? こんなやり方に意味がねぇことくらい」
「……そんなこと、お前に言われなくてもわかってる。でも、しょうがないじゃん?! あたしにはもうこの道しか残されてないんだからッ!」
理子は、ここにはいない誰かに訴えるように叫んだ。
俺には、あいつが何を抱えていて、どんな事情があるのかはわからない。
それでも、俺にはなんだかあいつが無理をしているように見えた。これは俺の願望かもしれないけれど、本心から望んでいるわけではないように見えた。
だったら俺は、分かったような振りをしてでもあいつを止めたいと、そう思う。
峰理子が犯罪者で、有明錬が武偵だからじゃなく。
峰理子が、有明錬の友達だから。
それに、
「いいや、まだお前は戻れるはずだぜ。思い出せよ。お前はまだ、
そう。理子は……『武偵殺し』は、俺が知る限り、誰一人として殺めていない。
これは、中学時代に特別講演に来た元軍人の人の受け売りだが。
「人が人に戻れなくなるのは、誰かを殺した時だ」。そう、言っていた。
その意味で言えば、理子はまだやり直しがきくはずなんだ。
……いや、まあ。俺がそんな偉そうなこと言っても、説得力がねぇんだけどな。殺すとか、怖すぎてやれっつわれてもできねぇし。
理子は俺の言葉に何を思ったか、その端整な顔立ちを歪めて、
「……結果論だ、そんなのは」
「そうだな、結果論だ。……でも、事実だろ?」
「…………」
ありゃ、黙りこんじまった。
……しゃあねぇな。
「わかったよ。お前がどうしても戻れないって主張するなら、もう俺はこれ以上は何も言わない。その代わり――止めるぞ。口で言って止まらねぇって言うんなら、そんぐらい譲れないものがあるってんなら、俺は力づくでもお前を止める。こんなふざけた真似は止めさせる」
「……やってみなよ。お前が立ちはだかったって、あたしがやることは変わらない。やれるもんならやってみろ」
「ああ……やるさ」
それがきっと、友達ってもんだろ。なあ、理子?
――直後、
シャンデリアにライトアップされたバーに、発砲音が響き渡った。
* * *
峰理子が有明錬との会話に応じたのは、当然ながら単なる気まぐれなどが理由ではない。
ただ、わかっていただけだ。目の前にいる男――有明錬が時間稼ぎに残った以上、自分ではどうあがいても短時間で倒しきることはできない、と。
そして、同時に余裕もあった。先ほどの戦闘でわかったことだが、現状理子の実力はアリアのそれを上回っている。これが尋常の勝負ならばまた分からなかったが、今はその見立ては正鵠を射ていた。
以上の理由から、理子は急いで勝負を仕掛ける必要はないと判断した。むしろ、逸っても返り討ちに遭うだけだろう。いくらなんでも、『オルメス』がそこまで甘い存在でないことはわかっている。ましてや、そばにはあの遠山キンジもいるのだから。
それに、敵との会話も、それはそれで有利に働かせることもできる。
例えば、
「そうだね。あたしとお前は、もう敵同士なんだから。……それよりも、肩の怪我はどうなった?」
「矢常呂先生の腕は知ってんだろ? ま、満足に動かすのは無理だけどな」
このように、敵状を調べることもできる。無論、
「そう。じゃあ――遠慮は、いらないよね?」
理子は獰猛に笑い、会話を打ち切りにかかる。もとより、相手の実力はよく知っている。これ以上の情報は期待できないだろう。
が、足止めとしては当然の選択ではあるが、錬はさらに会話を続けようと試みた。
「戦るのは構わねぇが……その前に、一個聞かせろ。お前、なんでこんな手段を取った? こんな、
――不意打ち。
錬は、理子の行動をしてこう評した。
理子はそれを侮辱だとは思わない。錬が言っていることは、間違っていないのだから。
(誰よりも知ってるよ、そんなこと。知っててやってるんだ、あたしは)
理子だって、なにも本心からこんな卑怯な手を取りたいわけじゃない。
というよりも。
戦わずに済むのなら、誰も傷つけなくていいのなら……むしろ、理子はその選択肢を選ぶだろう。
だが、状況が、理子を縛る『条件』が、理子を望まぬ方向へ進ませる。
「はあ? 不意打ちってなーに? 錬って、今までの武偵人生で誰にも不意打ちされなかったの? うっらやましぃー!」
「それとこれとは話が別だろ。お前の狙いから言えば、もっと正々堂々とすりゃいいじゃねぇか」
「ッ! お前に何がわかる! あたしにはもう、そんな余裕ないんだよッ!」
内心を隠して、おどけたように言う理子に、錬はあっさりと言い返した。
それに理子は激しく反応する。たとえ、錬には関係ないのだとしても、まるで自分のことをわかっているかのように言われて、それが理子の逆鱗に触れた。
烈火のごとき怒り。
しかしそれを受けてなお、有明錬は反論する。
「……俺は、お前が何をそんなに焦ってんのかはしんねぇけどな。これだけは言える。お前は――間違ってんだよ。こんなやり方、いいわけねぇだろ。お前だって本当はわかってんだろ? こんなやり方に意味がねぇことくらい」
「……そんなこと、お前に言われなくてもわかってる。でも、しょうがないじゃん?! あたしにはもうこの道しか残されてないんだからッ!」
慟哭が、雷鳴をBGMにバーに響き渡る。
胸に浮かぶのは、一つのシルエット。おそらくは、自分がこの世界でもっとも憎み、そしてもっとも恐れる怪物の姿。
『奴』は言った。ホームズ4世を
――本当は。
そんな手で『奴』の支配を抜け出すのではなく、自身の手で自由を掴みたい。武偵法も、教師の教えも、人間としての倫理さえ捨て去って、この手で『奴』を殺してやりたい。
――それが、叶うのならば。
でも、理子には力がないのだ。圧倒的に。絶対的に。『奴』を倒すほどの力が。
(だから、あたしは進む。仲間に罵られようと。泥にまみれようと。この最低最悪の道を、突き進んでやる)
理子は右手を固く握り、より一層覚悟を決める。
そんな理子に、しかし錬は強く語りかけた。
「いいや、まだお前は戻れるはずだぜ。思い出せよ。お前はまだ、
その指摘は、真実だった。
理子は、『武偵殺し』として、誰かを殺したことなどない。しかし、一歩間違えば、確実に誰かが死んでいた。
だからそれは、
「……結果論だ、そんなのは」
否定する理子の声は、小さかった。
それがなぜかは、わからない。もしかしたら、こんな自分に未だにそう言ってもらえたことが、嬉しかったのかもしれない。
あるいは。
「そうだな、結果論だ。……でも、事実だろ?」
気のせいか、錬の声には哀しさがあったような気がした。
まるで、自分とは違ってまだやり直せるのにどうしてそうしないのか、と問われているようだった。
だからか、無言になる理子に、
「わかったよ。お前がどうしても戻れないって主張するなら、もう俺はこれ以上は何も言わない。その代わり――止めるぞ。口で言って止まらねぇって言うんなら、そんぐらい譲れないものがあるってんなら、俺は力づくでもお前を止める。こんなふざけた真似は止めさせる」
その、言葉に。
いろいろな感情を振り切って、理子もまた強く返す。
「……やってみなよ。お前が立ちはだかったって、あたしがやることは変わらない。やれるもんならやってみろ」
「ああ……やるさ」
そして、
理子・峰・リュパン4世は、引き金を引いた。
* * *
――ファーストアタックは理子が先だった。
先手必勝とばかりに、ワルサーから銃弾を吐き出す。俺は、理子が拳銃を振り上げると同時に横っ飛びしたため、俺がさっきまでいた足元が爆ぜるだけで済んだ。
お返しとばかりに、俺もすぐにグロックを構えて発砲する。
「ッ!」
射線を読まれたか、あるいは俺と同様の方法か。理子はたやすく俺の一発を避けると、そのままこちらへと肉薄してくる。
アリア同様、アル=カタ戦に持ち込む気か!
「チッ!」
そうはさせじと牽制にもう一発打ち込むも、再びハズレ。あっさりとクロスレンジへと接近を許してしまった。
クソ! 俺はアル=カタ得意じゃねぇんだぞ!
「――シッ」
内心で文句を言いつつも、俺はゼロ距離で銃弾を叩き込むためにグロックを握る左手を前に突き出す――も、それは同じく突き出された理子の拳銃を握った右手に弾かれる。
それだけならまだよかった。しかし、理子には――
「ぐ……ッ」
もう一丁ワルサーがある。それを持った左手が伸びると同時、容赦なく俺の腹目掛けて発砲しやがった。
金属バットで殴られたような衝撃と痛みが俺の腹部を襲う。
いってぇええええええええ! ああもう、これだから銃は嫌だっつんだよ!
たまらずバックステップを使い、俺は距離を空ける。だけど、こんなのは無駄だ。どうせすぐにまた詰められて――こない?
「……?」
どういうわけか、理子は攻め手を止めて、その場に立ち尽くしていた。彼女の顔はだらりと下がり、煌くハニーゴールドの髪が表情を隠している。
なんだ? なにかの作戦か?
あいつの行動の真意が分からず俺が眉をひそめると……理子は顔を上げ、低い声で言った。
「……ふざけてるの、錬? それとも、それって何かの作戦?」
「あ? なんのこった?」
ふざけてるもなにも、俺は真面目にやってんだが……。そりゃ、テメェらみたいな高ランク武偵から見りゃ、ふざけて見えるかもしんねぇけどよ。
「お前、言ったよね? あたしを力ずくで止めるって。だったら――どうして、本気ださないの?」
「……本気だ。これでも今は、な」
今はもなにもない。そもそも昔からこんなもんなんだが、俺にも多少はプライドでもあったのか、そんな格好つけた言い方になってしまった。
それが気に食わなかったのか、理子は俺をギラリと睨み、
「いくら右腕が上手く使えないっていっても、それにしたってあんな簡単にお前が喰らうわけがない。……もしかして錬はまだ――」
その先を何と続けようとしたのか、俺には分からなかった。
理子は何かを振り払うように2、3度頭を振り――ジャキリ、と二丁拳銃を構えた。
さらに、
――フワリ、と。
再び、理子のツーサイドアップテールが意思を持っているかのように浮き上がる。その両端、左右の毛先には、小ぶりだがしっかりとナイフが握りこまれている。
「もし、錬がそういうつもりだったとしても、だからってあたしは矛を収めない。だから、なれよ……本気になれよ有明錬!」
理子が吼えた、直後。
2丁のワルサーが火を吹いた。
2発の銃声が轟くも、着弾点は俺の背後の壁だった。
ここは今までの経験が生きた。興奮状態にある犯人が銃を所持している場合、自分を鼓舞する意味も込めて、叫びながら発砲することがままある。だからこそ俺は、反射的に動くことができた。
「あああああああッ!」
裂帛の叫び声を上げながら、理子はもう一度俺に迫ってくる。と同時に、理子の右テールが揺らめいたのを俺は見た。
来る――と思った瞬間に、理子が上段から右テールに構えたナイフを振り下ろす。
「お、お――ッ!」
俺はそれを辛くも身を斜めにすることで避ける。速度が速くなかったのが幸いした。これならアリアの時みたいな不意打ちでもない限り、一度くらいならかわせる。
そう―― 一度は。
「はぁッ!」
俺の回避を見て取った理子はすぐさま今度は左テールを仕向けた――が、そう来るだろうとは思っていた。
間に合えよ……!
俺は右テールの一撃を避けると同時に、すばやくダガーナイフを1本取り出していた。動きが制限された右手だから不安だが、四の五の言ってられねぇ。
今までの武偵人生の中でもトップクラスに入る集中力で、俺は自身のダガーナイフを左テールのナイフに合わせた。
鋭い音。そして右手につたわる衝撃。
と同時に無理に動かしたせいか右肩が痛み、ダガーを取り落としてしまった。
「チッ!」
しかたなく俺は再び威嚇の意味も込めて、グロックを向けるも――理子は即座にバック転で距離を開け、着地と同時にワルサーの照準を向けてきた。
ヤベェ!?
「クソッ!」
俺は全力でその場を離脱し、遮蔽物を探す。どっか、どっか壁はねぇのか……!
――あった! カウンターだ!
ここに来たときに理子が座っていたバーカウンター、その本来はバーテンダーがいるべきスペースに身を躍らせる。
よし、これでなんとか防げる――と思った、刹那。
「ん……?」
一瞬の後、何かガラスの割れるような音が響き、次いでなにかの液体が俺の頭にかかり、シャワーのようにすぐさま俺の顔を伝い始めた。
その時。荒くなった息を整えるために口を開いていたせいで、その液体が俺の口内へ侵入した。水じゃない。この独特の味、そしてこの匂いは――
「…………酒?」
あ、そっか。理子の弾丸が酒瓶をぶち割って、その中身が俺にかかったっていうことか……やべぇ。
事実を認識した瞬間、
――クラリ、と。頭がふらついた。
「う、お……ッ!?」
マズイ……マズイ、マズイ、マズイ。酒は、俺は酒だけは本当に駄目なんだ。匂いだけだったとしても、すぐさま当てられてしまう。それだけならまだしも……やばい、眠気が……。
――クソ。こんなことでオネンネしてたまるか。そんな場合じゃねぇだろ、今は……!
俺は意識を持ち直し、低姿勢で床を這い、本来のカウンター入り口から外に出て、ゆらりと立ち上がる。
ぼやけた視界に、理子の姿が映った。さっき同様、またもなぜか追撃はしなかったらしい……いや、なにかがあるかもしれないと勘ぐってくれたのか。運がいい。
「――――。――――――?」
理子が何かを言っている……が、上手く聞き取れない。ああ、もう。なんだってこんなに酒に弱いんだ俺は。
こうなりゃ、いっそ一発くらいもらった方がいいかもしれない。そっちの方が目が覚めそうだ。
――と、どう考えても悪手な考えを採用するくらい、今の俺の頭は酩酊していた。
「…………」
ふらつく足元に気をつけ、俺は歩を進める。
どうせ何もしなくても撃ってくるだろうが、一応挑発くらいはしとくか。弾丸じゃなくナイフでこられたらやばいし。
「撃ちたきゃ撃てよ」
短く、それだけ。
それだけ言って、俺は歩き続ける……っとと、危ね。思わずこけかけた。
ぐらつく身体を立て直し、俺は進み続ける。一歩、二歩、三歩、四歩。その間にも、何度か体勢がくずれたが、それでも倒れることなく進行を止めない。
というか、なんだ? さっきからヒュンヒュン耳鳴りが聞こえる。うるせぇなぁ……。
「――――! ――! ――! ―――――――――!」
うるさいといえば、理子も何かを叫んでいる。やっぱり靄がかかった頭ではうまく認識できないんだが。
そんな中を、俺はさらに進み、結局一度も理子が発砲しなかったことで――理子の、真正面まで来てしまった。
…………んん? なんで? なんで撃たねぇの、こいつ?
と、疑問に思った時だった。
ぐらっ……と、俺の身体が倒れた。
――前に。
あ、これ倒れる……とどこか他人事のように思い、
「――え……?」
しかし、俺が地面に倒れ伏すことはなかった。その前に、俺の身体はつっ立ったままの理子にもたれかかっていた。
ハニーブロンドのふんわりとした髪から、いい匂いがする。こんなときに何考えてんだ、俺。
あー……やばい、マジで眠てぇ。
そもそも俺、なんで理子と戦ってたんだっけ……。そうだ。こいつを止めたかったから俺は戦ってたんだろ……。
白濁していく思考の中、俺は理子に言った。
「もう、止まれよ理子……」
戦おうにも、意識がもう途切れかけている。言葉で制止をかけるしかない。
それでもまだ止まらないというのなら、せめて――
「(俺の)目を覚ましてくれ、理子……」
そうしたら、ちゃんと戦うから。
――そして。そのままの状態がしばらく続いた。それが数秒だったのかあるいは数十秒ほどだったのかはよくわかんねぇが。
「――――」
理子が何かを呟いた、瞬間。
ズドンッ、と。
胸の辺りを、衝撃が貫いた。
―― 一瞬で、覚醒する。これは俺の望んだ結果だ。一発くらいもらえば目を覚ますかも、と思ったとおり、理子は俺を撃ったんだ。
だが。
俺は即座にそれを後悔する。
なぜなら――
「ぐ……!?」
覚醒通り越して、今度は純粋に気絶するほどの痛みが襲ったからだ。防弾制服だろうと、この距離なら普通に骨くらいいくこともある。
「理、子……!」
どう考えても、俺がバカだったんだが、それでも反射的に理子に文句をつけながら……俺の意識は千切れ始める。
どさりと、体が倒れた感覚がした。
それから数秒して、頬になにかの感触を感じ、
――助けて、と。
誰かが言った、気がした。
* * *
バーカウンターから転がり出てきた錬を見やりながら、理子は自分がイラついていることを自覚していた。
その理由は明白。だから理子は、緩慢な動作で立ち上がった錬に向けて言った。
「いつまで経っても防戦一方。もういい加減、その甘い考えを捨てなよ?」
――甘い考え。
理子は、有明錬という男をよく知っている。知っているからこそ、錬が本気を出さず、また威嚇程度の攻撃しかしない理由を悟っていた。
つまるところこの男は――ここまでされて、まだ理子を『仲間』と見定めているのだ。
錬の性格、あるいは性質を理子は熟知している。すなわち、彼は仲間を決して傷つけないということを。
これが甘い考えでなくて、なんだと言うのだ。自分はすでに……否、ずっと前から、犯罪者だった。いまさら仲間だなんて、到底呼べない。呼べるはずが無い。
だというのに。
それでも錬は、攻撃のそぶりさえ見せず、親しい友人の下へ歩み寄るように、一歩を踏み出した。
そして、言う。こともなげに。
「撃ちたきゃ撃てよ」
(――ッ!)
あっさりと告げたその一言が、理子に引き金を引かせた。
上等だ。そこまで言うのなら、どうしても自分に手を出さないというのなら、無様に撃たれて転がっていろ……!
全てを断ち切るような理子の思いを乗せた弾丸は――
――スッ、と。
冗談みたいに呆気なくかわされた。
(な、ん……!?)
まさに紙一重といった、ごくわずかな動きで避けられた。先ほどまでの大仰な動きとは正反対だ。
変わった。
何かが、明確に。
――まさか。
実践し始めたというのか? つい先刻の理子の「本気になれ」という言葉を。
(ふざけるな……)
理子はさらに、二発、三発と射撃を重ねていく。
だが、当たらない。距離が近づくごとに、着弾までの時間は短くなるというのに、一切変わらない余裕さで錬は弾丸をかいくぐり進んでくる。
(ふざけるな!)
ここでアル=カタ戦に持ち込むという選択もあっただろう。理子にはまだハニーブロンドに輝く武器がある。有利になるのは理子のはずだ。
それでも。
なぜか、理子にその選択肢は採れなかった。意地か。あるいはそれ以外の何かか。とにかく、理子は我武者羅に撃ち続けた。
「やめろ、それ以上近づくな! 止まれ! 止まれ! ッ止まれぇぇぇぇえええええええええええ!」
――そして。
ガチン、と弾切れを知らせる音を理子は聴いた。二丁拳銃の、両方ともが。
と同時に……有明錬が、理子の眼前まで到達した。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
荒く、喘鳴さえ伴って息が吐き出される。
これほど……これほど、この男と自分には差があったのか。本気を出せば、こうもあっさりと詰め寄られるほど、彼は強かったのか。
(ああ……これであたしの負けかぁ……)
ゲームオーバー。理子が好きなゲームのように、そんな文字が頭の中で躍る。
最初から、きっと勝ち目なんてなかった。相対した時点で、敗北は決定していたのかもしれない。
今、思えば。あれほどまでに、いっそ無意味と言えるほど会話を行ったのは、もしかしたら情報収集が目的だったのではなく……、
(最後に、錬と話したかっただけなのかな……)
負けが前提の戦い。だからこそ、自分はそこに別の意味を見出そうとしたのではないか。
今となっては、もうそれはわからない。わかっているのは、ここで終わりということ。多分、せめてもの手向けとして優しく意識を奪われて、それでこの事件は幕を引く――はずだった。
「――え……?」
突如、理子は存在感を示す重みと、そして確かな温かみを感じた。
その正体は――自分を抱きすくめる、錬のものだった。
(え……えっ?! な、なんで――)
訳もわからず、理子は混乱する。突然のことに、羞恥からわずかに頬が紅潮した。
そんな理子に、錬は優しく言葉をかける。
「もう、止まれよ理子……」
ぴくり、と身体が反応した。
同時に、気づく。
これはきっと、錬の最大限の譲歩だ。自首を促し、ぎりぎりで踏みとどまれるように、理子を説得しているのだ。
「目を覚ましてくれ、理子……」
止まれ。目を覚ませ。
たった、これだけだ。だがだからこそ、その言葉には何よりも真摯な思いがこもっていた。
――ぐらつく。
今まで理子を支えていたものが。自分が解放されるため、という免罪符が。強固に塗り固めたはずの決意に皹が開くのを理子は自覚した。
もしかしたら。
ここが、ターニングポイントなのかもしれない。ここで頷いて、大人しく捕まって、その上で、それでも、錬に助けを求めれば……彼は自分を救い出してくれるかもしれない。
その先には、光に満ちた人生が待っているのかもしれない。彼に感謝し、光の中を生きていけるかもしれない。友達と楽しく話したり、学校生活を謳歌したり、ひょっとしたら恋をすることもあるかもしれない。
いつか夢見た、そんな幻想。普通の、ただの女の子としての峰理子を手に入れられるかもしれない。
――だが。
「――ごめんね」
ただ一言で、理子は全てを
ここで泥の道を歩くことを諦めて錬にすがる――ことを、諦めた。
次の瞬間――理子は、右手に握っていたワルサーを床に落とし、続けてその右手を制服の胸元につっこんだ。
やがて取り出されたのは、
そして。
直後、理子はデリンジャーを錬の胸に押し当て、引き金を引いた。
ダンッ! と、反動が体に伝わる。
「ぐ……!?」
うめき声。さしもの錬も、さすがにこの距離から喰らってただでは済まない。
錬は最後に理子の名を呼び――そして、ドサリと倒れこんだ。
「…………」
静寂が訪れる。互いの銃声も自分の怒声も、そして錬の声も消えうせた。
理子は数秒間、床に伏す錬を見つめる。
そして理子は、しゃがみこんで錬の頬に掌で触れた。
――もしも。
もしも、許されるなら。
「助けてって……言ってもよかったのかな?」
聞こえていないと知りつつも。聞こえていないと知っているから。
ほんの少しだけ、理子は本音を口にした。
それから理子はワルサーを回収しつつ立ち上がり、クルリと踵を返した。
これで終わりではないのだ。自分はもう、止まらないと決めた。今度は、アリアを倒さなければならない。
(……ごめん)
胸中で、もう一度謝罪して。
理子は、燦然と輝くハニーブロンドをなびかせ、バーを後にした。
その瞳からこぼれた雫を知るものは、本人以外には誰もいなかった――
* * *
「――イテッ!?」
突如、後頭部に鈍い痛みが走り、俺は目を覚ました。
ぐ、あ……た、たんこぶできたんじゃねぇか? これ。
えーと……なにが、どうなってんだ?
頭がガンガンするが……なんとか思い出してみる。俺は確か、理子に撃たれてその場にぶっ倒れたはずだ。それがなんでこんな壁際にいるんだ?
と、
グラ……ァ、と足元がふらついた。
頭痛のせいかと思ったが、違う。これは、床……というか、飛行機自体が傾いたんだ。
「う、お……!? せ、旋回してるのか?!」
というより――急降下か!
そうか、この揺れのせいで俺は壁まで転がってったのか。で、頭を壁にぶつけたと。
……なんか、情けねぇなぁ。
しかし、こんなことになってもアナウンス一つねぇってことは……、
「……どうやら、まだ終わってねぇみてぇだな」
まあ、そんなことは着陸してない時点でわかってたんだが。
「とりあえず……理子を探すか」
これでも一応、キンジから任された身だ。それに、理子本人にも止めると約束した。
たとえもう遅かったとしても、それが走らない理由にはならない。
「待ってろよ――理子」
俺は、痛む身体を無視して、キンジたちが向かった方向へ走り出した。
* * *
――峰理子と、遠山キンジとアリアの勝負は、キンジたちの勝利で終わる
アリアとのキスでヒステリアモードと化したキンジが待ち受ける部屋へ、錬を下した理子は入っていった。
それを見たキンジは、少なからず驚いた。理子がいるということは、つまり『あいつ』が倒されたということに他ならないからだ。もっとも、彼がまだ理子を仲間と見ているのなら(といいつつもキンジはほぼ確信していた)、むしろこれは自然な展開なのかもしれなかった。
やがて始まった戦闘は、キンジの策によりアリアをダブルブラフの
しかし、そこで不幸――否、理子が遠隔操作のリモコンで飛行機の運転を乗っ取るという荒業を使用され、まんまと逃走を許してしまった。
急降下を始めるANA600便。最悪の事態を防ぐため、キンジはアリアをコックピットへと移動させ、自身は理子の追撃を始める。
目ではなく音――足音を聞き分けてキンジが飛び込んだのは、誰のともしらぬ客室だった。
その、横壁。円状に爆薬が仕掛けられたそこに、理子は背を預けて立っていた。
ベレッタを油断なく構えるキンジに、理子は語りかける。
「ねえキンジ。この世の天国――イ・ウーに来ない? 1人くらいならタンデムできるし、連れて行ってあげられるから。あのね、イ・ウーには――お兄さんも、いるよ?」
「これ以上、俺を怒らせないでくれ。衝動的に9条を破ってしまいそうになる」
武偵法9条――武偵活動中の殺害を禁じる法律。それを持ち出すほど、キンジは冷静ではいられなかった。
そんなキンジに理子はおどけたように、こう言った。
「うーん、じゃあしかたないか。アリアにも伝えてて。あたしたちはいつでも、2人を歓迎するよ?」
「2人……錬のやつは仲間ハズレかい?」
キンジにしてみれば、それは半ばただ相手に合わせただけの軽口だった。
だがそれを聞いた瞬間、理子の顔が曇った。
「錬は……あいつは、いいんだ。ううん、違う。
「理子……?」
いぶかしげにキンジは理子の名を呼ぶ。
すると、理子はまた口元に笑みを貼り付け、
「――じゃ、そういうことで。バイバイ、キンジ」
(ッ! マズイ――!)
慌てて、キンジが駆け出そうとする。しかし、時はすでに遅い。
理子は、右手に持った起爆スイッチを押し込む――
「ちょっと待てコラァァァあああああああああああ!」
――よりも早く。
この場にそぐわない、乱暴な台詞が響き渡った。
* * *
適当に走り回ったすえに、俺は一室、扉が開いている部屋を見つけた。
慎重に近づき、こっそりと中を覗くと――いた。キンジと理子だ。
『錬は……あいつは、いいんだ。ううん、違う。あいつはこれ以上、巻き込みたくない』
『理子……?』
ん? なんだ、あいつなんで俺の名前出してんだ……?
それよりも、あいつが寄りかかってる壁の周りにある粘土みたいなのはなんだ?
――いや、待て。たしか、1年の風魔が見せてくれた
あれは確か、破壊工作に使われる――爆弾だ。
そこまで思い至ったとき、俺の耳が、理子の台詞を捉えた。
『――じゃ、そういうことで。バイバイ、キンジ』
バイバイ。理子はそう言った。
つまりあいつは、この場から消え去る……いや、俺たちの前からすらも消え去る――?
そう、思ったとき。
止めるとか言っといて結局こんなことになった自分の無様さとか、とりあえずそういうのは脇においといて。
――俺の脳裏を、ある記憶が駆け巡り、
気づけば、俺は飛び出していた。
「ちょっと待てコラァァァあああああああああああ!」
「「ッ!?」」
キンジと理子が驚いたような顔で、こちらを向く。
だが、そんなことはどうでもいい。問題は理子だ。
俺は理子のほうへ歩きながら、
「理子。テメェ、そのままそこから逃げるつもりかよ」
理子は一瞬、顔を何にかゆがめて、
「……そうだよ。あっはは、残念だったねぇ、レンレン! 力ずくでも止めてやるー、とか言ってたのに、結局こうなっちゃったね」
「ああ、そうだな。……だけどな、理子。それでも俺は、お前がそのまま俺の前から消えることは許さねぇ」
そう。俺には、まだ理子に用がある。
より正確に言えば――
「お前にはまだ、返してもらってねぇもんがあるだろ」
「返してもらってないもの?」
隣でキンジが疑問の声を漏らすが、悪いが今は無視する。
俺が、理子に貸しているもの。
去年の1年間で積もりに積もったもの。
それは――
――12万4600円、である。
つまりは、借金だ。俺はそれだけのお金を理子に貸している。
去年、俺はそれなりの実入りがあった。なんの間違いかSランクに格付けされ、それに見合った
そしてまた、俺はたまに理子に「1人で行ってもつまんないから」とアキバまでギャルゲー購入をつき合わされていた。だが、おっちょこちょいなのか、あるいはわざとなのか、こいつはちょくちょく財布を忘れていた。で、当時調子に乗っていた俺は、ほいほいそれを「しかたねぇなぁ」とか言いながら立て替えていたわけだ。
当時なら、それでもよかった。だが今はEランク。10万オーバーはでかい。できるなら……というか、確実に返してもらいたい。
そんな俺の心境を知ってか知らずか、理子は言った。
「そっか……うん、そんなのもあったね。――ごめんね、それもちょっと返せそうにないや」
いや、おいふざけんな!? ごめんて、なにそれ軽すぎだろ!
と俺が抗議するよりも早く、
「――本当に、ごめん。じゃあね、錬」
「ッ! じゃあねじゃねぇんだよバカ野郎!」
瞬間、俺は駆け出す。借金の返済と、止めると言った約束を守るために。
だが。
直後、壁に張り付いた爆弾が一斉に起爆し、丸く吹き飛んだ。
そこに生まれた穴から――理子は空中へと踊りだした。俺は咄嗟に、遠ざかる理子に手を伸ばした。
――それが、いけなかった。
高高度を飛ぶ飛行機に穴が開くとどうなるか。答えは簡単、気圧差の問題で、飛行機内の空気が外へと押し出されることになる。
それはつまり、空気だけでなく、同時に飛行機内のものも吹き飛ばされることになるということで……、
「――え?」
気づけば。
俺は。
一瞬で。
――天空に、投げ出されていた。
いよいよ、次で一章は終了です。
では、また次回。