偽物の名武偵   作:コジローⅡ

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すいません、バイトで投稿が少し遅れました。
理子戦が主軸となる入試編3話目、よろしくお願いします。


4.Examination ③

 ――ちょっと、待ってくれ。

 試験官を名乗る女の言葉に俺が思ったことは、それだった。

 3月17日、9時40分。レインボーブリッジ南方に浮かぶ人口浮島に建設された東京武偵高・探偵科(インケスタ)棟。その一室は、俺の認識によれば、本日行われる入学試験……その会場のはずだった。

 ただし、棟に冠された名の通り、探偵科の入学試験の会場だ。……と、()()思っていた。

 だが、だとしたらあり得ないはずの台詞を、教卓でニヤリと豹のように笑いながら、試験官――蘭豹は言ったのだ。

 つまりは……これが探偵科()()()()強襲科の試験である、と。

 はっきりそう言ったわけじゃない。ないが、文脈から類推するにほぼ間違いなくそういう意味であり、さらに続けて蘭豹が述べた説明により、それは確定的となった。

 曰く、

 

「ああ、そういえば、なんで強襲科(アサルト)の試験会場が強襲科の体育館やなくて探偵科棟で行うか言うとらんかったなぁ。一昨日くらいに送った紙見て、疑問に思ったモンが大抵やろ。あれは、対外的な印象を考えた結果や。やからお前ら、ウチが今から教えるホンマの理由、親にチクったりすんなよォ? ……実はなぁ、先日強襲科(うち)のバカ共が爆弾の取り扱い間違って、体育館半壊させてもうてな。そこで急遽、こういう形で試験することになったってわけや。……あーメンド。なんでウチがこんなこと説明せなアカンのや。撃ち合うんならどこでもええやろが」

 

 だとよ。

 ところどころ腑に落ちないところがあったり、最後の部分で目の前の女傑の危険さが若干垣間見えたりしたが、それはともかく、つまりはそういうことらしい。

 だがこの現状――探偵科の試験を受けに来たら強襲科の試験を受けることになった――は、話を聞く限り学校サイドのミスではなく(多少の責任は否めないが)、単純に俺のミスだ。

 なぜならば。

 

「……マジかよ、おい」

 

 蘭豹から衝撃の事実を突きつけられた俺は、とある心当たりに行き着いて、慌てて持参していた学生カバン(防弾性)からクリアファイルを引っ張り出し、そこから一枚のB4用紙を抜き取った。

 それは、一昨日急に武偵高から送付されてきたものだ。その時はちょっとした用事もあって、後で見ようと思い机の上に置きっぱなしにしてたんだが、俺はそれを今日の朝まで忘れていた。だから家を出る前にカバンに仕舞い込み、こうして今始めて目を通すことになったわけである。

 俺が持つそのプリントには、こんな文面が踊っていた。

 

『試験会場変更の通知  東京武偵高校・強襲科の体育館が使用不可になったので、強襲科の試験会場を探偵科専門棟へと変更する。なお、それに伴い探偵科の試験会場を一般校区(ノルマーレ)A棟へと変更する。各人、間違いがなきよう確認すること』

 

「は、ははっ……」

 

 思わず、俺は乾いた笑いを零した。

 書いてる。完全に、きちんと。今しがた蘭豹が言った事が。

 薄っぺらい紙切れが、如実に「読まなかったお前が悪い」と語りかけてくるようだった。

 ……オーケー、認めよう。こいつは、完全に俺のミスだ。――が、まだリカバーはきくはずだ。

 自らが犯した過ちを承知した俺は、しかしそれでも言うほどこの状況を問題視しちゃいなかった。

 なぜならば、言ってしまえばこれはただ教室を間違えたというだけの話なんだから。

 探偵科でも試験はすでに始まってしまっているかもしれないが、今ならばまだ間に合う。当然ペナルティやらなにやらはあるだろうが、どうせすでに合格(しんがく)は決まっている身だ。となれば響くのは武偵ランクの方だろうが、別段そこまでこだわりがあるわけじゃねぇ。せいぜい、スタートダッシュが切れなくて残念、程度だ。ゆっくり遅れを取り戻していけばいい。

 だから俺が取るべき選択肢は至極簡単なものなんだ。ただ一言蘭豹に、「すいません間違えました」と伝えればいいだけだ。

 よし、と脳内で方針を固め、俺はパイプ椅子に座る蘭豹に目を向ける。さあ言うぞ、と意気込んだところで、さすがは強襲科教官と言うべきか視線だけで気づいた蘭豹が俺に向かって小首を傾げ、ドスの効いた声で訊いた。

 

「なんや、そこのお前。なんか用でもあるんかい?」

「いえ」

 

 即答である。

 俺自身でさえ無意識のうちに、彼女に反抗(というのもちょっと違うが)する心がへし折られていた。

 猛禽類のように鋭い眼光、全身から滲み出る強者の貫禄、そして極め付きに手慰みのつもりかクルクルと手の内で回る大型拳銃・M500。

 これらすべての要素を持つ蘭豹には、従順に従う以外の選択肢などない気がした。特に、S&W(スミス&ウェッソン)が『世界最強』を目指して開発した回転式拳銃(リボルバー)・M500――使用弾丸は市販品では最強を誇る.500S&W弾だ――をまるで玩具のように扱うところにそこはかとない危うさを感じる。口答えなどしようものなら、その威力を我が身で体験することになるかもしれない。……実際、中学時代に聞いた話だが、教師が生徒に発砲することはあるらしい。恐ろしや、武偵高。 

 そんなこんなで現状を打開するチャンスを逃してしまった俺に、蘭豹が言った。

 

「ははぁん、なるほどな。ウチは探偵科やないけど、これくらいは推理できるで。お前――ウチに見とれとったんやろ。この、マセガキがァ」

 

 ちげぇよ、バカ。

 とっさに口を突いて出かかった言葉を俺は慌てて飲み込んだ。

 一歩間違えばお陀仏もあり得たことに戦々恐々とする俺とは対照的に、蘭豹はにまにまと口元を歪める。それがまたリアルに豹が笑ったように見えて、俺だけじゃなく他の生徒もビビらせているわけだが、当人は気づいていない様子だ。

 というか、あいつまさか喜んでんのか? 

 あんなナリでも、どうやら男に興味を持たれるのは嬉しいらしかった。

 

 * * *

 

「やったー! 1番! 理子(りこ)、1番だよー! 1班のみんな、りこりんをよろしくねー!」

 

 と、やたらとハイテンションな声で宣言したのは、ふんわりとゆるやかに波打つクリーム色の長髪をツーサイドアップテールに纏め上げた、天真爛漫な少女だった。元気だなぁ、おい。

 なにが嬉しいのかくるくると教卓の前で回る彼女を見つつ、俺はチラリと手に持った5cm四方の紙に目を向けた。

 1班……ってことは、俺と同じか。女子と戦うのはやだなぁ、時雨を思い出しちまう。そういや、あいつが受けてる尋問科(ダギュラ)――逮捕した犯罪容疑者への尋問を学ぶ学科――はどんな試験なんだろうなぁ。 

 まあ少なくとも俺んとこよりゃ安全なんだろうなと思うと、思わずげんなりとしたため息が出た。

 担当教官である蘭豹の説明が終わったことで、現在俺を含む受験生たちは一人一人教卓の上に置かれた紙箱からくじを引いていた。

 今回行われる強襲科の試験内容は、端的に言っちまえばバトルロワイヤルだ。学園島内に建設された14階建ての戦闘訓練用の廃ビル(というのは見た目だけで、実際は強度や障害物の配置など考え抜かれて設計されているらしい)で、15人の受験生が互いに索敵しあるいは遭遇して、捕縛又は撃破を行うという内容らしい。

 使用可能武装は、なんでもあり(オールユーズブル)。といっても無論、死亡確率を抑えるために(あくまで可能性が下がるだけだけどな)、弾丸は非殺傷弾(ゴムスタン)、刀剣は刃無し(ノーエッジ)、致死性の毒や武器は禁止だ。防弾制服の着用も義務となっている。

 この試験内容を聞いたとき、俺は思わず卒倒しかかった。さすがは噂に()名高い強襲科、入学試験からしてぶっ飛んでやがる……。

 ちなみに、体育館が爆破される前は試験会場はもちろん試験内容も異なっていたらしく、当初の予定では、体育館内で行う一対一の模擬戦だったとか。で、どうせ変更するならもっと凝ったものにしようという方向で強襲科教師陣はまとまったそうだ。蘭豹の話じゃ受験生の総合力を見るためとかなんとか言ってたが、絶対試験官(あんたら)が楽しむためだろ。

 閑話休題。

 そんで、今行っているくじ引きは、つまりこの試験の組み合わせを作るためのもんだ。15人を一組として、それを3つ作り、順番に試験していくわけだ。

 この組み合わせ次第では、最悪瞬殺や無撃破(ノーキル)といった結果もあり得る。俺はもちろん、他の連中も自分と同じ班になる連中が誰か、注目していた。

 さてさて……どうなるかね?

 そんなことを思いながら、俺は頬杖をつきつつ、静かに第1班の完成を待っていた。

 

 * * *

 

「1斑、全員武装はできたな?」

 

 見た目は完全に廃墟と化したビルの入り口前、そこに俺たち1班は集まっていた。ちなみに、2・3班の姿はない。彼らはまだ探偵科棟で待機中だ。

 1班を横一列に整列させた蘭豹が無線でどこかと(おそらくは他の試験官と)連絡を取っている間、俺は武装の確認をしていた。

 任務前に行うこの行動はもう癖みたいになっちまってる。優秀な武偵は決して油断をしないし、事前の準備を怠らない。そして、中学時代に行動を共にしていた東京武偵高中等部十傑『10(ディエーチ)』は間違いなく優秀な部類だった。この習慣は間違いなくあいつらの影響だろう。

 1人……上手くいけば、2人くらいはいきてぇな。

 愛銃・グロック18Cをホルスターにしまい直しながら、俺は頭の中で算段を練る。

 ことここに至って、俺はすでに覚悟を決めていた。蘭豹が怖かったから、という情けない理由だけじゃねぇ。ここで逃げるようならばどのみち武偵なんて道は続けられないと思い至ったからだ。

 ……とはいえ、実際のところはただ状況に流されているだけってのが、なんともはや情けないところだが。

 と、武装確認を終えた俺に、隣に並んでいた遠山キンジが話しかけてきた。

 

「有明。お互い、頑張ろうぜ」

 

 おいおい……こんなめちゃくちゃ強そうな奴に頑張られたら、下手したら俺死ぬんじゃねぇか?

 よし、防護策を張っておこう。

 

「手加減してくれよ? 俺は弱ぇからな」

 

 ここは少しでも自分が弱いことを印象づけて手加減してもらおう、という実に狡い手に走る俺。

 間違っても頭とか撃たないでね、というニュアンスで俺が言うと、遠山はおもしろいジョークでも聞いたといった感じで軽く笑った。

 えー……なにその笑い。こいつ、手加減する気ゼロですか? あれか。獅子はウサギをなんちゃらってやつか。はい終わった。こいつと出会った瞬間、俺終わったな。

 そんな感じで若干諦めの境地に入っていると、通信が終了したらしい蘭豹から俺と遠山に叱咤が飛んできた。

 話しかけたの遠山(こいつ)なのになぜ俺まで、と思わなくはないものの、撃たれては堪らないので大人しく従う。

 それに満足した蘭豹は、腕を組みつつ受験生(おれたち)を見回した。

 

「チンタラやってもしゃあないし面倒やから、もう始めるで。説明終わったら、さっき配った棟内地図(エリアマップ)に従って、お前ら指定の場所に散れ。全員配置についたら、ウチがビル内のブザーを鳴らす。それ聞こえたら、あとはお前ら勝手に殺しあえや」

 

 なんつー説明だよ、オイ。

 最後の一言に呆れる中、同じく1班の……えーっと、理子だったか? が元気よく右手を挙げて発言する。

 

「はいはーい、りこりん質問があります! ん~とぉ、罠とかってアリアリのアリ?」

 

 口元に人差し指を当ててかわいらしく尋ねる彼女(あざとい気もするが)に、蘭豹は眉根を寄せながら答えた。

 

「あァん? 武偵やぞ、当たり前や。罠でも銃でも剣でもなんでもいいから、とにかく他の連中ぶっ殺したモン勝ちや」

「うーラジャー! これはやる気が出てきましたよぉ」

 

 今のどこにやる気でる要素があったのだろうか、と疑問が残るがここでそれを理子にたずねてまた怒られる愚を犯すほど俺は馬鹿じゃない。

 ごくりと唾と一緒に疑問も飲み込んで、蘭豹の言葉に耳を傾ける。

 蘭豹の方も伝えるべきことは消化しきったようで、ホルスターからM500を抜きつつ言った。

 

「質問はこれで終わりやな? なら、さっさと行かんかい! 武偵憲章5条『行動に疾くあれ。先手必勝を旨とすべし』!」

『はい!』

 

 蘭豹の命令に、俺たちは答えて。

 M500による号砲を背に、一斉に所定の位置へと駆け出した。

 いよいよ、強襲科の入学試験(イグザミネーション)が幕を開ける――

 

 * * *

 

「さて、と。まずはどうするか……」

 

 外付けされたいくつもの階段から俺らはバラバラにビル内に侵入し、配布された棟内地図に書かれた初期位置(スターティングポイント)に、俺は陣取っていた。

 ちなみにここは4階。俺の試験はここから始まるわけだ。

 太陽光以外の光源がない薄暗い室内で、コンクリート剥き出しの柱に背を預け、片膝立てで待機する。蘭豹が言っていた開始ブザーが鳴って、はや5分。すでに試験は始まっていた。

 しかし、だからといってすぐさま動きだす奴はバカか実力者のどっちかだ。が、俺はそのどちらでもない。

 俺はまず周囲に人が居ないことを確認すると、続いてこれからの方針を立てていく。どうせやんなら全力だ。

 さて、どうする? 罠を張って待ちに徹するか、打って出るか。

 ひとまず思いついた二択は、一長一短だ。前者ならば生存確率が上がる代わりに、大量撃破は望めない。後者ならば撃破するチャンスは増える代わりに、生存確率が大きく下がる。

 つっても、取れる手は多分後者だろうな。罠っつっても、手持ちがこれじゃあ、な。

 今俺が所持している装備は、グロック18Cに、ダガーナイフが2本、閃光弾(フラッシュ)が1発に発煙弾(スモーク)も1発、ベルトに仕込んだワイヤー、9mm×19の予備弾倉(スペアマガジン)が2つ。

 それと――

 

「……ま、()()()はいいだろ。ルール違反だし、中学でも使わなかったしな」

 

 一瞬制服の胸ポケットに手を当て、すぐに離す。()()は高校入試程度には過ぎた代物だ。

 その他の装備は標準的なものだ。ま、こんだけありゃ、とりあえずこの試験の間の戦闘には支障はないだろう。

 だが、これで罠を作れるかと訊かれれば、難しいといわざるを得ない。使えそうなものはちらほらあるが、それも技量あっての話だ。『10(ディエーチ)』の中には屈指の罠使い(トリックマスター)も居たし、それなりに教えてもらってもいたが、生憎と俺にそっち方面の才能はなかったらしい。てんで成長しなかった。

 となると……だ。進撃するしかねぇよな。

 ま、初めからわかってたことだけどな。どうせ俺程度が作った罠じゃ誰もひっかかりそうにねぇしな。

 ここはいっちょ――腹ぁくくるか!

 と、俺が決意した時だった。

 

 ――カツン、と足音が響き渡った。

 

「ッ!?」

 

 突然の事態に驚愕した俺の行動は、存外早かった。それが体に染み付いた経験ゆえかどうかはわかんねぇが、慌てて柱から離れて近くの物陰に身を潜ませる。

 クソ……ミスったな。こんなことなら、初めから身を隠すべきだった。武装を羅列するよりまえに、そっちのほうが先決だった。

 反省はあとでするとして……一体、誰だ? 足音も消さずに、堂々ときやがった。自信があるのか素人なのか……まあ、考えるまでもなく前者だろうが。となると、実力者か?

 相手にある程度当たりをつけると、俺は採るべき行動を思い浮かべていく。

 こっちから仕掛けるか? あるいはカウンターを狙うか? 逃走すべきか?

 考える時間は多くない。戦場での決断は迅速にしなければならない。

 どうする? と自問した次の瞬間、俺の耳に場違いな明るい声が届いた。

 

「くふふっ。かくれんぼ(スニーキング)は苦手なのかな? 足音を聞いてから慌てて隠れるなんて、ちょっと反応遅いよー?」

 

 甘い。そんな印象を持つ、幼い声だった。

 だがこれには聞き覚えがある。それも、つい先ほど。

 

「…………」

 

 俺は声の主を思い出しながら、物陰から離れ、その姿をさらした。口調からして、俺の位置はすでにばれているだろう。隠れっぱなしで催眠弾(スリープ)でも投げ込まれてもやっかいだ。

 そして、俺の目に映ったのは、この薄暗い廃ビルの中でさえ燦然と輝くハニーブロンドのツーサイドアップテール。この年頃の女子にしては幾分低い身長と、それと反比例するような成熟した体つき。おお……マーベラちょっと黙ろうか俺。

 無邪気に、しかしどこか妖艶に笑みを浮かべるのは……、

 

「理子……でよかったか?」

「くふっ。覚えててくれたんだ。理子の名前」

 

 そう。先ほどのくじ引きでもっとも目立っていたといっても過言ではない少女――理子だった。

 俺が名前を呼んだことが嬉しかったのか、小さく笑って理子は飛び跳ねた。

 その行動の幼さに苦笑しつつ、俺は言った。

 

「悪ぃけど、名字聞いていいか? 勝手に名前呼びってのもどうかと思うしよ」

 

 ちなみに、今現在俺は銃を抜いてない。というか、抜いたら多分撃たれるから抜けない。いや、抜かなくてもどのみち撃たれるか?

 ……あれ、俺詰んだ?

 

「んーん。理子でいーよぉ? もしくはりこりんで! あ、ちなみにフルネームは(みね)理子だよ」

「そうかい。じゃあ、俺も名乗っとく。有明錬だ、よろしくな」

 

 あ、乗ってきた、これが強者の余裕か。などと思いつつ、名乗られた以上は名乗るべきだと変に律儀なところを見せてみたりする。

 俺が名前を告げると、理子は何かを考えるようにうなり、急に思いついたように手を叩いて、

 

「じゃあ、レンレンだ! 理子、君のことレンレンって呼ぶ。ちなみに、答えは聞いてないっ」

 

 と、そんなことを言ってきた。

 レンレンって……まあ、なんでもいいけどよ。

 俺は理子に「あーそうかい……」と気だるげに返事を返し、そこでふと頭に浮かんだことを訊いてみた。

 

「しかし、お前……なんだってこんなバカ正直に歩いてきた? あれじゃあ、狙ってくれっていってるようなもんだぞ?」

「別にいーよ? 狙っても。りこりんはそんなことではやられたりしないのです!」

 

 きゃはー! という感じに笑いながら敬礼する理子。

 その挙動に若干イラッときつつも、さらに尋ねる。

 

「おいおい、そいつはまた随分な自信だな。先手を取らせても、自分は負けねぇって?」

「そーだよぉ、くふふふふっ。理子は()()()じゃ弱いけどぉ、それでも中学出たてのシロウトなんかには負けないんだぞっ。がおー!」

 

 人差し指で角を作りながら、理子は大口を叩いた。

 

「…………」

 

 今のは……今のは、少し()()

『あそこ』ってのはよくわからんかったが……素人とは、言ってくれるじゃねぇか。

 俺は確かにそんなに強くなんてないし、だからこそ強くなりたいとは思う。思うが、しかしそれは無理だと分かっていた。才能に恵まれた連中に囲まれた去年、自分の矮小さは十分に思い知らされた。

 ……それでも、俺にも意地ぐらいある。あの地獄みたいな1年間を生き延びてきたという意地が。

 それをその気がないとはいえ貶されて黙ってられるほど、俺は大人じゃねぇ。

 男の子なんでな、これでも。

 静かに闘志を燃やす。

 四肢に力がこもる。

 ――勝つ。

 ただその二文字を胸に、俺が眼光に力を込めたその時、

 

「実際、君で()()()だもん。みんなすぐに負けちゃうからちょっとつまんなかったかなー?」

 

 ジュワッ、と情けない音と共に心の火が鎮火した。

 ダラダラと何か嫌な汗が噴出し始めるのを、俺は確かに感じた。

 いやいやいやいや無理だってこの子めちゃくちゃ強いじゃんまだ開始5分しか経ってないのに3人撃破ってどゆこと!?

 こ、これはさすがにちょっと勝てねぇぞ。俺の試験、ここで終了ですか?

 い、いやまだだ。まだ終わらんよ!

 一瞬諦めそうになるが、なんとか立て直す。冷や汗で背中を冷やしながら、俺はとりあえず命乞いをしてみる。

 

「おー怖ぇ。そんだけ強いんなら、()りたくねぇなぁ。見逃してくんね?」

「ブッブー! これは強制イベントだから、スキップ不可なのです!」

 

 ですよねー。できるだけさらっと言ってみたけどダメでしたー。

 両腕でバッテンを作る理子は、どうやら逃がしてくれる気はないらしい。まあ、こうなるだろうなとは予想がついていたが。

 もはや勝機は消えた、と俺はのろのろと右手を持ち上げ、ホルスターに手を伸ばす。せめて、やれるだけはやろう。 

 しかしその手がグリップを掴むよりも早く、理子が言った。

 

「でも、レンレン理子とお喋りしてくれたからハンデくらいならあげてもいーよ」

「あん?」

 

 どういうことだ? と聞き返そうとした俺の目に、理子が()()()姿が映った。

 深く腰を落とし、左足を大きく前に出して、それと平行するように左腕も伸ばす。珍しい型。しかし、俺には見覚えがあった。

 視界が()()()。理子に重なるように、よく知る人物のシルエットが重なる。

 これは、絵馬(えま)の――ッ!? 

 瞬間、俺は悟った。ハンデとはつまり、拳銃を用いない打撃技(ストライキング)のこと。そして、あの体勢から繰り出される第一打は――

 

「――行くよ?」

 

 理子が告げた、刹那。

 

 ドンッッ! と。

 俺の両腕を衝撃が襲った。

 

「ぐ……ッ!」

 

 小さく呻く。ビリビリとした腕部の鈍痛を感じながら、やっぱりか、と自身の予想が正鵠を射ていたことを確認する。

 理子が一瞬で俺との距離を詰め、俺の胸あたりに鋭い掌底を放ってきた。

 それに対し俺はすぐさま両腕を胸の前で交差させ、その一撃を防いだ。小柄なだけあって、衝撃は少なかった。

 今の攻防の、それが正体だ。

 び、びっくりしたな……。

 自分の攻撃が失敗した理子は一度離れて、

 

「おーすごいぞレンレン! よく防げたね?」

「……知り合いに1人、使い手がいてな。活歩(かっぽ)……だっけか?」

「だーいせーいかーい!」

 

 やっぱな……。

 今理子が使ったのは、中国武術だ。日本ではなじみが薄く、実物を見るチャンスはせいぜいテレビや本の中くらいだろう。

 そして一足飛びに近づいてきた歩法は、活歩とかいうらしい。日本では縮地法と呼ばれ、八極拳や蟷螂(とうろう)拳においては箭疾歩(せんしっぽ)と呼ばれることもあるとか。

 しかし、危なかった。絵馬のやつがやたらと俺に使ってきてたおかげで、なんとか反応できた……。

 かつての後輩の一人が修行と称して行っていた模擬戦で見ていなければ、モロに喰らっていただろう。この反応速度をたたき出すまでに受けた拳の数は三桁に昇っただけに、俺はひそかに己の成長に涙した。

 つーか、だ……こりゃ、まずいな。理子はハンデとか言ってたが、全然じゃねぇか。俺にとっては普通に強敵だ。

 かといって、銃を抜くわけにもいかない。その場合も理子が素手でいてくれる保障はどこにもない。

 ……しかたない。ここは――逃げよう。

 さっきので確信した。こいつ強すぎ。絵馬より速かったぞおい、どうすりゃいいってんだよってことで逃げます。

 というわけで、善は急げだ。

 次の瞬間、俺は制服から発煙弾をすばやく抜き取って床に叩き付けた。

 途端、爆発のように膨れ上がった白煙が室内を白く染め上げていく。奇襲や逃走を主として使われるため、その展開速度は半端じゃない。あっという間に視界は白色に覆われた。

 

「うぇ!? レンレン躊躇無く発煙弾使ってきた!? ちょ、空気読もうよ! 今バトルパート突入の雰囲気だったよ?!」

 

 そうだな、俺もそう思う。

 まったくもって正しい理子の糾弾をよそに、俺は全力ダッシュでその場から離脱を始めた。

 わははは! 悪いな、理子! 三十六計逃げるにしかず!

 小物そのものの台詞を脳内で発しながら、俺は両足を駆動させる。

 そして、

 

 ガツッ、と廃ビルゆえの地面の亀裂につまずいて。 

 ズシャァァァッ、と思いっきり顔面からこけた。

 

「ぐぅ……ッ!?」

 

 は、鼻が! 鼻が!

 めちゃくちゃ痛い。ちょっと泣きそうだ。

 お、おのれ、天罰かこれは?

 痛みを堪え、なんとか立ち上がる。そのまま鼻の頭を押さえながら、俺はよろよろとふらつきながら歩く。その際に俺の耳はビーッというなんか変な音を捉えていたのだが、あいにくと耳よりも痛打した鼻の方に意識がいっていたために、全く気にすることはなかった。

 クソ。こんなところでタイムロスしてる場合じゃねぇ……! 発煙弾は煙が広まるのは早いが、代わりに晴れるのも早いってのに――

 

「いやぁ、なんていうかレンレンってすごく残念な子なんだね……」

「ッ!?」

 

 かけられた声に俺が振り返ると、そこには呆れ顔の理子がいた。

 そりゃ、そうだろ。逃走用に煙をたいたのに、晴れるときになってもまだ逃げ切れていないなんて間抜けもいいとこだ。

 ど、どうする。これはもう、チェックメイトをかけられちまったんじゃねぇか……?

 

「なんか、理子しらけちゃった。レンレンならちょっとは相手になるかと思ったのになぁー」

 

 ぶぅ、と頬を膨らませながら言う理子。

 か、勝手なことを言いやがって。何が相手になるかもだ。

 ――って、げっ!?

 

「そういうことなので、レンレンにはそろそろゲームオーバーになってもらいまーす!」

 

 元気のいい台詞と共に、艶かしい脚線美を見せ付けつつレッグホルスターから理子が取り出したのは――ワルサーP99。ワルサー社が生み出した初のポリマーフレーム拳銃で、ドイツの警察でも使われる自動拳銃だ。

 これは多分、宣告だ。

 拳銃(あれ)を取り出したってことは、本当にもう終わらせる気だ。間抜けにもこの段階に至ってさえ拳銃を抜かなかった俺よりも、すでに抜いている理子の方が確実に早く撃てる。 

 

「チッ」

 

 理子には聞こえないように小さく舌打ちする。

 どうする。どうする。どうする。

 ここからなんとか起死回生を図る俺の前で、理子は歩きながらゆっくりと銃口を俺に向ける。弾は……込められているだろうな。間違いなく。

 拳銃を抜く……ダメだ、さっき考えたろ、あっちの方が早い。じゃあ飛び掛る? 馬鹿か、俺は銃弾より早く動けんのか。

 必死で頭を回転させる。だが、俺は天才じゃないし、漫画の主人公的『土壇場の発想』もまるで思い浮かばない。

 

「おやすみ、レンレン」

 

 これでとどめだというように、理子は言った。その口調からは、勝利を確信していることが読み取れた。

 絶望的状況。

 終わり。

 まさしく最高潮に緊迫した場面……なんだが。

 ……つーか、ちょっと待って。こんなときになんだが、さっき思い切りぶつけたせいで鼻血が出そうだ。鼻の奥がむずむずして、ちょっと笑ってしまった。

 ――って、そんな場合じゃねぇだろうがよ! ええい、なんでもいい! とにかく行動しろ俺!

 俺は、せめてもの抵抗として、大きく後ろにバックステップした。

 瞬間、

 

 理子が、「わきゃ!?」と悲鳴を上げた。

 

 ……は? なんであっちが悲鳴?

 意味がわからん俺の前で、理子が大きく体を前に倒し始める。

 当然距離をとった俺にそれを止められるはずもなく、理子はそのまま――

 

 ゴツッッッ! と。

 割と洒落にならない勢いで地面に向かって頭突きをかました。

 

「うきゅ~……」

 

 と、まさしくバタンキューといった感じで、理子はうなる。

 動かないところを見るに……どうやら気絶しているらしかった。

 

「…………」

 

 ……え、なにこれ?

 

 * * *

 

 3月17日。

 この日行われる東京武偵高・強襲科の入学試験には、峰理子と呼ばれる少女が参加していた。

 1班から3班まで、それぞれ15人ずつに分かれて行われるこの試験において、彼女は1班に振り分けられた。そして今理子は、試験会場である廃ビルの4階にいた。

 いや、より正確には、対峙していたというべきか。

 理子の眼前には、ざんばらに切りそろえられた黒髪と、鋭い双眸が特徴的な少年がゆるりと立っていた。

 彼は、理子と同じく受験生の一人だ。試験前に集合したときに、顔は覚えている。

 少年は、軽い調子で口を開いた。

 

「理子……でよかったか?」

「くふっ。覚えててくれたんだ。理子の名前」

 

 理子もまた軽く(というか明るく)返して、その場で一つ跳ねる。

 その行動が少年にはどう映ったのか、彼は苦笑して、

 

「悪ぃけど、名字聞いていいか? 勝手に名前呼びってのもどうかと思うしよ」

 

 この質問に、理子は内心で首をかしげる。

 

(あっれー? この状況、結構向こうからしたらピンチなんだと思うんだけどなぁ? おまけに武器も出さないし)

 

 もしや暗器使いか、と思考を巡らせるが、すぐさまそれはないと思い直す。なぜなら理子は試験前に錬が拳銃を点検している場面を見ていた。戦う前からすでに情報戦と言う名の争いは始まっていたのである。

 となれば残るのは、余裕を見せているか罠かのどちらかになる。

 それを見極めるために、そして()()を見据えてさらに情報収集するために、理子は錬の会話に乗ることを決めた。

 

「んーん。理子でいーよぉ? もしくはりこりんで! あ、ちなみにフルネームは峰理子だよ」

「そうかい。じゃあ、俺も名乗っとく。有明錬だ、よろしくな」

 

 そんな錬の名乗りを聞いて、理子がわずかに眉を寄せた。

 

(有明錬……? それって確か、東中の……)

 

 心中で、自分が集めた情報と錬の名前を照合する。そして、ヒットした。検索結果は、『要注意人物』。

 理子の得意分野は情報戦だ。ゆえに彼女は今回の入学試験においても、あらかじめ有名な人材についてはある程度調べていた。もっとも、目的は()()()()()()()()のだが。

 それはともかくとして、そのうちの1つに有明錬の名があった。

 有明錬。

 一般中学から3年時に東京武偵高校中等部に編入、卒業するまでの1年間で頂点まで上りつめた天才。

 というのが、彼のパーソナルデータだった。これだけを鵜呑みにするならば、眼前にいる少年は少なくとも学生レベルで見るならば強者である。

 ――だが。

 

(んーおかしいなぁ。そんなに強そうには見えないんだけどなぁ?)

 

 どう贔屓目に見ても、そこまでの評価を受ける男には見えなかった。

 峰理子は知っている。本当の強者は、たとえ隠そうとしてもなおあふれ出る『強者のオーラ』を纏っていることを。()()()()では誰もが一騎当千の化け物ばかりだったから、比べるのは酷だが、それでもあるのだ。覇気とも呼ぶべき、そのオーラは。

 だが、有明錬にはそれがない。やはり、噂は噂でしかなかったということか。

 

(……いいや、どうでも。暇つぶしに遊んで、あとはテキトーに倒しちゃお) 

 

 錬に見切りをつけた理子は、あっさりとそう結論づけた。

 すでに()()()()()()()は上げているのだ。せいぜい他の参加者が潰しあうまでの時間稼ぎにでもなってもらうとしよう。

 理子は、そんな内心を一切悟らせることなく、今まで考え事してましたと言う風にポンと一つ手を打って、 

 

「じゃあ、レンレンだ! 理子、君のことレンレンって呼ぶ。ちなみに、答えは聞いてないっ」

 

 と、珍妙なあだ名を献上してやった。

 錬は脱力したように肩を落とし、

 

「あーそうかい……。しかし、お前……なんだってこんなバカ正直に歩いてきた? あれじゃあ、狙ってくれっていってるようなもんだぞ?」

「別にいーよ? 狙っても。りこりんはそんなことではやられたりしないのです!」

「おいおい、そいつはまた随分な自信だな。先手を取らせても、自分は負けねぇって?」

「そーだよぉ、くふふふふっ。理子は()()()じゃ弱いけどぉ、それでも中学出たてのシロウトなんかには負けないんだぞっ。がおー!」

 

 理子の言は、はたから見れば大口を叩いたように見えただろう。

 だが、本人からすれば大口でもなんでもない。武偵志望とはいえ所詮は平和な国の中学生、くぐってきた修羅場が違う。そんな連中に負けるはずがなかった。

 だからそれは至極当然の返答だった。恥じることない、遠慮などしない、理子の本心だった。

 理子は、さらに続ける。

 

「実際、君で()()()だもん。みんなすぐに負けちゃうからちょっとつまんなかったかなー?」

 

 ここに来るまでの3人の受験生たちを理子は脳内に浮かべる。が、総括して『弱い』という端的な酷評に落ち着いた。むろん一般的な見地から見れば彼らは弱いと一概に断じることはできなかったが、理子からしてみればお話にならないレベルだった。

 

(さて、君はどんなものなのかな?)

 

 少しは歯ごたえがあるかと期待して、理子は口元を薄く歪める。それはまるで、ハンターが獲物を見つけて舌なめずりしているかのようであった。

 そんな理子に、錬は軽薄に冗談を飛ばす。

 

「おー怖ぇ。そんだけ強いんなら、()りたくねぇなぁ。見逃してくんね?」

「ブッブー! これは強制イベントだから、スキップ不可なのです!」

 

 理子もまた簡単に返しながら、次いで、

 

「でも、レンレン理子とお喋りしてくれたからハンデくらいならあげてもいーよ」

 

 と、遊び混じりの提案を錬にした。

 いぶかしがる彼に向け、理子は構えを取る。彼女が得意とする格闘戦法、中国拳法の型を。

 そして、「行くよ?」と告げた次の瞬間、

 

 理子は一足飛びで錬に掌底を放った。

 

「ぐ……ッ!」

 

 呻きながらも、錬はしっかりと反応してきた。両腕を交差して防御(クロスアームブロック)によって、理子の攻撃は弾かれる。

 

(ヒュウ。やるぅ~) 

 

 理子はアタックチャンスを潰されたことをしっかり認識し、一旦距離を取り、

 

「おーすごいぞレンレン! よく防げたね?」 

 

 と、面白そうに笑いながら錬を賞賛した。

 これはお世辞ではなかった。正直理子としては今ので決まってもおかしくないと思っていたのだが、腐っても中等部最強ということか。

 

「……知り合いに1人、使い手がいてな。活歩(かっぽ)……だっけか?」

「だーいせーいかーい!」

 

 自らの技が看破されたことに焦ることもなく、理子は変わらぬ爛漫さで肯定した。

 しかしその胸中には、一つの疑問が浮かんできていた。

 

(今の、いくら知ってたからって、それだけで対応できるようなものじゃないんだけどなぁ。わっかんないなー、レンレンって強いの? 弱いの?)

 

 いまいち安定しない錬の実力に、理子の心証がゆれる。彼をどう位置づけすべきか、定まらない。

 しかし、一方でどこか楽しくなりはじめてもいた。

 理子にとってこの試験は()()もいいところである。例えるならば、幼稚園のお遊戯会に混ぜられた大人の心境。これで辟易するなという方が無理だ。

 が、ここにきて少しは骨のありそうな奴に会った。退屈のなかに飛び込んできた玩具。理子は錬をそんな風に思い始めていた。

 もし、理子が錬よりも先に同じくビル内にいる()()()()()()に出逢っていればまた違った展開になったのだろうが、これは現実だ。IF(もしも)は関係ない。

 そして、現実であるということは、絶えず状況は進むということだ。

 理子が錬の実力を疑問視している間に、彼は一手を放っていた。

 錬の手が制服に伸びる。それを視認した理子もまた、拳銃を取り出そうと動く。が、それよりも一刹那早く、錬は何かを掴み出し、それをコンクリートの地面へと投げ落とした。

 そして広がる白煙。理子はすぐにその正体を発煙弾だと見抜き、

 

「うぇ!? レンレン躊躇無く発煙弾使ってきた!? ちょ、空気読もうよ! 今バトルパート突入の雰囲気だったよ?!」

 

 と、口調だけはおちゃらけたままで錬を非難する。

 が、警戒は怠らない。これが逃走ではなく奇襲のための煙幕である可能性は十二分にあった。

 しかし予想に反して何事もなく、やがて煙は晴れていった。発煙弾は確かに展開速度においては確かな性能を誇っていたが、その反面煙が消失するのも早いという性質も兼ね備えていた。

 そして、理子の目に映ったのは……こちらに背を向けて歩く錬の姿だった。

 

(え、えー……?)

 

 理子は目を点にしつつ、ためしに声をかけてみた。すると、彼はあっさりと振り返った。いまだ、銃一つ抜かないままで。

 その姿を見た理子は、なんだか彼を警戒していた自分が馬鹿らしくなってきた。やはり噂など、蓋を開ければこんなものだったのか。

 

「なんか、理子しらけちゃった。レンレンならちょっとは相手になるかと思ったのになぁー」

 

 ぶぅ、と頬を膨らませながら言う理子。

 錬からすれば何を勝手なことをといったところかもしれないが、理子からすればちょっとどころかある程度の期待をかけていたのだ。その心境は、確実にマイナスのものだった。

 ――だから理子は、()()()()()ことを決めた。

 理子はホルスターから愛銃・ワルサーP99を抜きつつ、

 

「そういうことなので、レンレンにはそろそろゲームオーバーになってもらいまーす!」

 

 射線を錬の胸元に合わせながら、ゆっくりと彼に向かい歩いていく。

 一歩ずつ。しかし、確実に。

 

「おやすみ、レンレン」

 

 これでとどめだというように、理子は言った。その口調には、勝利の確信がにじんでいた。

 そして、理子は引き金にかけた指に、力を込めた。

 その力が臨界点に達し、トリガープルを迎える――その、直前。

 錬の口元が、小さく弧を描いた。

 

(笑っ、た……?)

 

 絶体絶命の中ふいに見せた有明錬の微笑。それを理子はいぶかしんだ。いぶかしんでしまった。

 そしてそれは決定的な隙を生み出す。

 錬の意味深な笑みに理子が疑問を抱き。

 それが解消するよりも早く、錬は大きく地を蹴り、後退する。

 そして、峰理子を倒す策が完成した。

 

 ビンッ、と足元で音が鳴り。

 直後、理子の両足を()()が拘束した。

 

(なんっ……!?)

 

 突如の事態に峰理子の思考が一瞬止まりかける。が、すぐに復帰させ、理子の脳細胞が与えられた情報から()()の正体を看破する。

 答えは、ワイヤー。

 武偵養成校の学生ならばほとんどが装備している、ベルト内蔵型のワイヤーが理子の両足首を縛る犯人だった。

 その刹那、理子は全てを理解した。

 錬が発煙弾を投げ、視界が煙ったあの時。彼はおそらく、ワイヤーのフックを地面の亀裂に引っ掛け、逃げるフリをしながら伸ばしていったのだ。その際にただ直進するだけではなく、『輪』が出来るように歩きつつ、理子が確実に弾丸を当てられるように近づかせるための距離を稼ぐ。そしてまんまと近寄ってきた理子の立ち位置が『輪』に重なった瞬間、錬が大きくバックステップを取ったことで、『輪』は一瞬にしてその面積を縮める。そして、『輪』は理子の脚を捕らえる足枷へと変貌を遂げたのだ。

 突然のことに理子は大きくバランスを崩す。思わぬ反撃を喰らったからか、さきほどの驚愕が抜けきれていないのか、珍しく理子はそれになんの対処も出来ないまま。

 ゴツッッッ! と、勢いよく地面にキスするハメになった。

 

「うきゅ~……」

 

 理子は、強者だ。

 だが、年齢的には中学出たての少女でもある。

 そんな彼女が頭部を襲った強烈な一撃(?)に耐えられるかと言えば……まあ、答えは見ての通りであった。

 

 * * *

 

「ん……」

 

 錬が4階を去って10分ほど経過したころ、峰理子の意識は浮上した。

 初めに感じたのは額にへばりつくような鈍痛。ズキズキと蝕む痛みに一瞬顔を歪めて理子は身を起こした。

 

「あー……たんこぶになってるよねぇ、これ」

 

 ぼんやりとした声色でそんなことを呟きつつ、理子は現状を認識する。両足には依然、ワイヤーが巻きついている。ペタンと下ろした臀部からは、コンクリートの無機質な冷たさが伝わってきた。

 だが、そんなものはどうでもよくて。結局、今の理子の状態は一言で言い表せる。

 敗北した。

 端的に言えば、それだけだった。

 

「ちょーっと、舐めてたかなぁ。あれが『東中最強』か……」

 

 脳裏に浮かぶのは、一つの顔。

 有明錬。

『東中最強の男』。

 油断がなかった、とは言わない。前述していた通り、理子にとってこの試験の参加者など雑魚も雑魚、敗北など埒外で苦戦すらも想定していなかった。

 だから足元をすくわれた、と言い張ることはできる。この負けはただの気の緩みからきたもので実力的には勝っていたと、遊んでいたら出し抜かれただけなのだと、そう言い切ることもできる。

 実際この戦いを見ているものがいたならば、納得してくれるだろう。終始ペースを握っていたのは理子だったと証言してくれるだろう。

 だけど。

 

「遊んでたのは、果たしてどっちだったのかなー……?」

 

 当の本人が、それをどこかで否定していた。

 ――謎がある。

 思えば錬は一度も自分に対して攻撃してこなかった。どころか、武器を抜きさえしなかった。蓋を開けてみれば、彼女があしらわれていただけだった。

 おまけに、一貫して見せていたあのおどけたような彼の言動。戦闘の場にそぐわない態度。

 

 あれも、ただ遊んでいただけだったとしたら――?

 

 だとすれば、有明錬はその実力の一端さえ露にしていないことになる。

 銃撃も、体術も、武装すらも理子は見ることさえ叶っていないのではないか?

 仮に、ここが命がけの戦場で。有明錬が峰理子の敵で。そして彼が本気で戦ったならば。

 自分は果たして、生きて逃げ帰ることができるのだろうか。

 

(……目標がそれな時点で、もう敗北を認めてるよねぇ)

 

 困ったように苦笑して、理子は――否。

 世界的犯罪集団『イ・ウー』。

 その構成員、『理子・峰・リュパン4世』は小さく、己を下した男の名を呟いた。

 

 * * *

 

 峰理子が誰にも聞こえぬ呟きを零した、その頃。

 

「これで8人目か」

 

 12階で、一人の少年が拳銃――ベレッタM92F――を静かにホルスターに戻した。

 辺りには、硝煙の臭いが漂っている。それはすなわちつい先ほどまで戦闘があったことを意味する。

 その証拠に、少年の足元には敗北者たる男子生徒が一人気絶して横たわっていた。

 ちなみに、これで少年が撃破あるいは捕縛した(ちなみに『撃破』が男子、『捕縛』が女子である。偶然ではない)人数は述べ8人に及ぶ。『内訳』は、受験生が5人、そして()()が3人である。

 

「まあ、さすがにモニタリングだけで全員の様子を見ることはできないだろうしな。監視役はある意味当然か。……というか、あれは倒してよかったのか? 向こうから仕掛けてきたんだから、問題ないとは思うんだが……」

 

 少年の推測は真実を射止めていた。今回の試験会場は14階建ての廃ビル。当然試験状況を見るために至る所に監視カメラが設置されてはいたが、さすがにそれだけで全域をカバーできるわけではない。

 そこで学園側が取った対応策が5名の教師たちによる、人間を用いた監視だった。カメラが映らず、なおかつ動きがあった受験生に貼り付け逐次採点をしていくわけである。

 が、ここは武偵校。さらにその中でも悪名轟く強襲科。それで終わるわけがなかった。

 なんと、教師陣には受験生に対する攻撃許可が出ていた。なんでも、想定外の事態による危機管理能力を試す、という名目で。まあ、実態はただ監視するだけの役割を退屈に感じた試験官たちの暴走なのだが。

 で、彼らはそれを行動に移したわけなのだが、相手が悪かった。

 その相手というのが、今ぶつぶつと悩んでいる少年なのだ。

 一人目の教師がしかけた強襲をなんなく撃退した彼は、そこから逆襲を始めた。受験生を倒す()()()に発見した教師たちをいぶり出し、沈めていった。

 こうして誰も予想しなかった『試験官狩り』を続ける少年は、ふと思い出したように、

 

「そういえば、有明の方はどうなったかな。生き残ってるといいんだが」

 

 そう言って、次なる獲物を求めて歩き始めた。

 

 ――激突は、近い。




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