偽物の名武偵   作:コジローⅡ

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新章突入。これより原作一巻の内容に入っていきます。


第一章 緋弾のプロローグ
7.それはきっと運命を


 ――俺、有明錬が東京武偵高校に入学してから、2度目の春がやってきた。

 つまり、生きて1年間を過ごしたということである。

 正直、今でも実感は沸かない。去年の嵐のような1年間で、俺は何度死地に立たされたかわからないほどだった。

 生きてるっていいね、すばらしい。

 それでもその代わりにいろいろな経験は積めたように思う。駆け抜けた日々の中には確かに大切なものはいくつもあって、それは俺を成長させてくれた……はずだ。

 出逢い、別れ、戦い、涙。目を閉じれば、今でも思い出すことができる。

 機会があれば語るのもやぶさかじゃないんだが、あいにくと今はそんな暇がねぇんだよな。 

 今日は始業式。新しい1年の始まりを告げる行事が行われる。

 さすがにそれに遅刻するのはまずいので、俺は自転車漕ぎつつ、この1年ですっかり見慣れた通学路を、一般校区(ノルマーレ)の体育館へと進路を取っていた。

 カラカラとタイヤを鳴らしながら、近代的なビル群――専門科棟――の間に敷かれた道路の端を、俺は自転車を走らせる。

 

「今年こそは……あんまり危なげなく1年間を過ごせるといいんだけどなぁ」

 

 ふとそんなことを口に出して、ペダルにかけた足に力を入れた。

 俺が現在住んでいる第3男子寮から一般校区までは、実は学園バスが出ている。毎朝寮の前に停まり、学生たちを呑み込んでいくその光景は、多分この学校にしては珍しく、ありきたりな風景なのだろう。

 で、学園まで直通の上に無料となれば、当然大多数の人間はそれを使う。武偵は奇襲に備えていつも同じ道は歩かないのがセオリー、とかいって学校側はあんまり推奨してないんだけどな。しかしそこはプロではない高校生、無駄に労力を費やそうなんてやつは、ほとんどいなかった。

 で、なんで俺がその通例に従ってないかといえば、アウトローを気取っているとかそんなかっこいい理由ではなく、単にあんまり人ごみが好きじゃないからだ。だから、こうしてチャリ通という選択を取っている。チャリとは言っても学園島は平地だから、のんびり行けるしな。まあ……さすがに雨の日くらいはバスで行くが。

 俺が人にそれを話すと、たいてい変わったやつだなとか言われるんだが……別に、チャリ通も結構悪くねぇんだぜ? 

 鉄の箱の中じゃ感じられないことだって、たくさんあるのだ。

 例えば、一例を挙げるならば。

 朝日を浴びながら飛ぶ、鳥のさえずりとか。いいな、実に平和的だ。ピチチチチ、という鳴き声には愛くるしさを感じる。

 他にはそうだな。

 キラッと輝く太陽とかいいな。陽光が燦々と降り注いで、地球を暖めているのを体感する。春だからな、ぽかぽかしてて心地いいぜ。

 あとは忘れちゃならないのが。

 

『その チャリには 爆弾 が 仕掛けて ありやがります』

 

 ふと後ろを見た拍子に目に映った、短機関銃(サブマシンガン)つきのセグウェイに追い立てられる友達の姿だな。お、あいつも自転車か。いい運動になってそうで羨ましいぜ。

 よし。

 

「明日から自転車通学をやめよう」

 

 鳥の鳴き声? 太陽の輝き? なにそれおいしいの?

 やっぱり文明の利器を頼るってのは大事だよな。

 俺は一つ頷いて、主義を変更することを一切の躊躇いなく決めた。

 ついでに、あいつと友達でいるのも今この瞬間からやめよう。グッバイ。お前と過ごした日々、悪くなかったぜ。

 さてと、それじゃあ進路を変えてっと――

 

「――錬! 聞こえてるだろ! おい錬!」

 

 ……遅かったか。

 背後から飛んできた呼びかけに、俺は危機回避が失敗したことを悟る。

 仕方なく振り返りつつ、大声で友達(仮)に返した。

 

「うるせぇぞ、キンジ! コンビ解消しても、まだ俺に厄介事を運んできやがんのか! 死神かテメェ!」

 

 あーあ……数分前の俺のお願い、もう崩れちまったよ。

 ほら見ろ、巻き込まれちまった。いつもこのパターンでトラブル(それも決まって荒事)が舞い込んできやがる。俺はなるたけ穏便に過ごしていきたいってのに。……まあ、悲しいことに慣れちまった自分がいるんだが。せっかく念願叶って探偵科(インケスタ)に転向することもできたってのになぁ。

 それにしても何だありゃ? と(かろうじて)友達こと遠山キンジの自転車に追走する物体を観察してみる。 

 一時期流行ったセグウェイとかいう乗り物が、人間の代わりに短機関銃――イスラエルのIMI社が生み出した名銃、UZI(ウージー)を乗っけていた。

 おい、いつから銃が乗り物を操縦する時代になったんだ。

 セグウェイってあんなに速く走行できるんだな、と益体もないことを考えつつ、俺が選ぶべき行動を脳内で取捨していく。

 ……決めた。

 これは――逃げの一手だな。助けられる手段があればどうにかしてやったが、あいにくとその手段が思い浮かばない。

 幸い、今ならばまだ距離がある。逃走は容易に思えた。

 せめて、お別れの挨拶くらいは残しておこう。

 

「悪ぃが、俺はおさらばさせてもらうぜキンジ! 短い付き合いだっ――」

 

 ――たな、と続けてこの場を即時離脱しようとした俺の耳に、ボーカロイドを使用した合成音声によるセグウェイの警告が入ってきた。

 

『お前 が 逃げたら 撃ち やがります』

 

 …………え?

 声に振り返ってみると……あれ、なんか銃口こっち向いてね?

 

「いやいやいやいやなんで俺を狙ってんだよクソッタレ!?」

 

 バカな、俺は無関係のはずなのに……!

 神様俺何か悪いことしましたかー! と心中で滂沱の涙を流す。

 とその時、スピードを上げたのか、キンジが俺の真横に並んできた。汗だくの顔が間近に迫る。寄るな、おい。

 しかも、殺人セグウェイのお供付きって。

 ふざけた真似をした同級生(ランクダウン)に俺は抗議の意を唱えた。

 

「おいキンジ! 何勝手に横付けしてんだコラ!?」

「よく聞け、錬。このチャリのサドルにはプラスチック爆弾(C4)が仕掛けられてる。しかも、俺1人だけじゃなく隣を走っているチャリがあれば、そいつもまとめて吹っ飛ぶくらいの容量だ!」

「何で今それ説明したのキンジ君?! 巻きこむ気満々?!」

 

 やめてくれよ、そういうの!

 

「武偵憲章1条に、仲間を助けよってあるじゃねえか!」

「よく読め、仲間を巻き込めとは書いちゃいねぇんだよ! つーか、4条はどうした?! 武偵なら自立しやがれ!」

 

 ガヤガヤ言い合いながら、俺たちは進行方向を体育館から人気がないであろう第2グラウンドに向けた。非常に納得いかないものはあるが、さすがにこの状態で体育館に突っ込むわけにはいかねぇからな。

 ……つーかさ、キンジ。お前、そういう配慮ができるなら、なんで俺にもそういう優しさを見せてくれねぇんだ?

 というか、

 

「そもそもお前、元・Sランク武偵だろうが! 自分でなんとかしやがれ!」

「お前だって元・Sランクだろ! 後でアメ買ってやるから何とかしてくれ!」

「小学生か俺はぁ! んなもんで釣られるかバカ!」

 

 この野郎、実は余裕あんじゃねぇのか?

 そろそろ拳の一発くらい出してもいいだろ、と思い始めたとき、キンジが顔を上げて叫んだ。

 

「なッ!? なにやってんだアイツ?!」

「あん?」

 

 つられて、俺も同様の方向に目を向ける。

 そこは、とあるマンション――第1女子寮――の屋上。その縁に、武偵高の制服姿をした、女の子がいた。

 風になびくは、長いピンクのツインテール。日の光を背後に背負いながら、彼女はただ泰然とその場に佇んでいた。

 なんだ、あいつ何しようとしてんだ?

 俺がそう疑問に思った――

 

 瞬間、その子は勢いよく飛び降りた。

 

「なん……ッ!?」

 

 落ちる。7階建てのマンションから。

 数秒後に訪れるであろう最悪の光景が脳裏によぎる。死を、予見する。

 しかし、それは現実になることはなかった。

 彼女はあらかじめ用意していたらしいパラグライダーを広げ、風を上手く捕らえてふわりと空に浮かんだ。

 あ、あっぶねぇ……。

 ほっと息をつく俺に構わず、彼女は俺たちに向かって滑空を始めた。ある程度の高度を保ちつつ、確実に近づいてくる。上手いな。

 というかあの子、俺たちを救助(セーブ)するつもりか……?

 だがどうやって、と俺が眉をひそめた横で、キンジが声を張り上げた。

 

「バッ、バカ! 来るな! このチャリには爆弾がしかけられてる! お前も巻き込まれるぞ!」

 

 おい! テメェ、俺のことは道連れにしようとしやがっただろうが!

 という抗議をしている場合じゃないので黙って漕いでいると、女の子が俺たちに頭を下げるよう指示し、従った瞬間二丁拳銃(ダブラ)による水平射撃で、セグウェイを破壊した。

 台座を打ち抜かれ、滑りながら後方へと消えていくセグウェイ。

 す、すげー、なんつー腕前(テク)だよ。俺にゃ、逆立ちしても無理だな。

 と、気流を捉えて俺たちの数メートル前方を飛ぶ女の子が、迷うように俺たちを交互に見た。

 どうした、といぶかしむのは数秒。すぐに理解する。

 なるほど、どっちを先に助けるべきか迷ってんのか。確かに、この状況で2人同時に救助はできねぇだろ。

 ……って、マズイ。キンジのほうを見てる。あの子、このクソ野郎を先に助けるつもりか。

 おのれ、そうはさせるか!

 

「気にすんな! 放っといて構わねぇ! 自分でなんとかする!」

「錬、お前……!」

 

 ふん、今更文句言っても遅いぜキンジ。

 そうだ、放っといてしまえ、こんな友達甲斐のねぇ野郎! 仮にも元・Sランクだ。自分1人でどうとでもできるだろ。俺は無理だが。

 俺の必死の願いが届いたらしく、女の子は一度頷き、

 

「死ぬんじゃないわよ、あんた!」

 

 威勢のいい声で女の子はキンジに警告する。

 ああ、いいんだよそんなわざわざ心配してやらなくても。自業自得だ。

 そして女の子は、クルッとパラグライダーのブレークコードに足を引っ掛け、逆さづりになる。曲芸師も真っ青の離れ業だ。

 ……あ、見えそう――じゃねぇ、彼女の狙いがわかった。一気にチャリで突っ込んで抱きつけってことか。随分と大胆な作戦を考えたもんだ。

 突飛な女の子の発想に感心する中、彼女は声優でもやっていけそうなアニメ声で指示を出す。

 

「武偵憲章1条! 『仲間を信じ、仲間を助けよ』――いくわよ! 全力でこぎなさいっ!」

 

 それに、俺も覚悟を決める。

 おっしゃあ! そんじゃいっちょやって「こんな助け方があるかよっ!」やるぜってええええええええええええええええええ!?

 加速しようとした俺の機先を制すように、キンジが文句を言いながら俺の横をものすごい速さで抜け出していった。

 おい待て、お前じゃねぇ! それは俺の役だろうが!

 とっさのことに声が出ない俺をおいて、キンジと女の子の距離がどんどん近づいていく。

 ままま待って! 俺をおいていくな!

 慌てて俺も加速するが、時すでに遅し。すでにもう致命的なほどキンジから突き放されていた。

 そして、止める間も無く2人は真正面から抱き合う形になり――勢いがつきすぎてしまった俺は、その横を通り過ぎていった。

 ちょっ……!?

 慌てて横に首を振れば、逆さになった女の子と目が合った。

 綺麗な、赤紫色(カメリア)()が、俺を視界に収める。

 俺は視線に「助けてください」というメッセージを込めて、アイコンタクトを送った。が、それが当然無理なことくらい俺にもわかっていた。さっき自分でも、2人同時には助けられないと判断したんだから。

 寸毫(すんごう)の間のすれ違い。どうにもならないその一瞬を経て、俺は彼女たちを追い抜いた。

 救助を望めなくなった俺が、若干泣きそうになりながら顔を正面に向けなおすと――すぐ目の前に、爆弾付きのキンジチャリがあった。

 

「あ、やべ」

 

 手遅れの事態に、思わずそんな間抜け極まる呟きをもらした。

 直後、ガシャンッ! とやたらと大きな音を立てながらチャリ同士が衝突した。スピードに乗っていたことでその衝撃は高まっていたのか、後ろから追突しただけでは飽き足らず、俺のチャリはキンジチャリを押しながらさらに前へと進んだ。

 が、これだけでは終わらない。

 なんと、ハイスピードでぶつかった反動を受けて、俺の体が宙に投げ出されてしまったのだ。

 

「おおっ!?」

 

 自分が飛んでいる、という事実に驚き声を上げる。

 なんとも言えない浮遊感の中、眼下にコンクリートで舗装された路面が見えた。このまま落ちたらすごく痛そうです、ハイ。

 俺は強襲科(アサルト)でやった対衝撃(ショック)訓練と受身の訓練を思い出し、空中で体勢をなんとか直しながら、両腕で頭をかばって地面に落下した。

 ドンッッ! という金属バットで全身を滅多打ちにされたような痛みを感じながら、俺はゴロゴロと道路を転がっていく。防弾制服じゃなかったら擦過傷のオンパレードだったろう。

 って、そんなことを考えてる場合じゃない。今この瞬間にも、自転車に仕掛けられた爆弾が爆発するかもしれねぇんだ。

 

「お、らっ!」 

 

 俺は転がりながらタイミングを計り、なんとか立ち上がることに成功する。全身をさいなむ鈍痛を無視して、俺は走り出した。

 おおおおおおおおおおおおおおッ! 走れ! 風よりも速く!

 視界が流れる。景色を置き去りにする。今まで感じたことのないほどの加速感を手に入れる。

 後ろは振り向かない。そんな暇はない。

 ただただひたすらに足を動かして、俺は後方に存在するであろう起爆式自転車から距離を取る。

 それがどれだけの間隔を空けることに成功したのかは、わからなかった。

 だが、次の瞬間。

 

 背後でとんでもない轟音とともに爆発が起こった。

 

「がッ――」 

 

 耳が痛い。鼓膜が震える。風圧が四肢を叩く。熱が背面を襲う。

 全身に感じる異常に怖気が走ると同時、俺の体がわずかに浮いた。

 熱波と爆風。2つの現象が俺の体躯を前面へと押し出す。

 

「ご、おおおおおおおおおおおおおおおおおッ!?」

 

 恐怖にか痛みにか、喉をこじ開けて叫びがあふれ出す。

 そして、俺の体は枯葉のように無残に吹き飛ばされた。重力に喧嘩を売るような、水平飛行。意識が飛ぶ。

 が、それは再びの地面との接触によって強制的に中断された。今度は自分の意思ではなく、またもやゴロゴロと地面を転げまわる羽目になった。

 しかしそれにも当然終わりはくる。回転するためのエネルギーを使い果たした俺は、仰向けになって、大きく息を吐いた。

 

「~~~~~~~~ぷはぁっ! ハッ……ハッ……し、死ぬかと思った……!」

 

 体中が発する痛みに顔を歪め、それでも命があることに安堵する。

 息を吐き、吸う。それだけの行為が、いやに幸せに感じた。

 あー……よく生きてたな、俺。 

 

「痛っ、つつ……!」

 

 身体の節々にダメージを感じながらも、なんとか上半身を起こす。倒れそうになる体は両手をつっかえ棒にすることで支える。

 煤で汚れた頬を拭い、俺は視線を下げて全身を確認した。

 あーあー……なんて有様だよ、おい。素肌の部分には血が滲んでるし、制服もボロボロだ。

 だけど、これでも大分マシなんだろうなぁ。防弾制服だったからこそ、この程度で済んだんだ。

 ま、今日のはまだ軽症な方だな。これ以上の怪我なら、何度か負ったことがあるし。

 それはそうとして、と俺は未だ粉塵漂う爆心地に目を向ける。

 無残にも俺とキンジのチャリが黒煙を上げているのが、遠目に見えた。あの様子じゃ、間違っても二度と乗ることはできないだろう。

 それにしても、よくあそこまで離れられたもんだな、俺。火事場のバカ力すげぇ。人間に眠る身体能力の底力を感じた。

 あークソ、しかしついてねぇなぁ今日は。なんだって俺は朝から爆殺されかけなけりゃなんねぇんだ?

 そもそもなんでこんな目に遭ったんだっけ、と思い出していると、

 

「――そうだ、キンジだ! あの野郎が俺を裏切りやがったからだ!」

 

 脳内に、あのクソ野郎の顔が浮かぶ。

 そうだ、全部あいつが悪かったんじゃねぇか。

 まず第一に、あいつは一切関係ないはずの俺を事態に引きずりこみやがった。……いや、これに関してはなぜかセグウェイは俺も狙ったから、百パーあいつが悪いとはいえんが。

 だが、俺を助けてくれようとした女の子の救援に割り込みやがったのは許せん。人の好意を横取りとはなんたる悪逆非道。

 この恨み、はらさでおくべきか。俺は自分からケンカふっかけるようなキャラじゃないが、こういう時には話は別だ。

 武偵高らしく、やられたらやりかえす!

 

「待ってろよ、遠山キンッ……あいてて!」

 

 勢いよく宣戦布告しようとして痛みに悶えるあたりがなんとも俺らしいと考えながら。

 俺はキンジに報復を敢行するため、鈍痛が残る身体を引きずり歩き出した――

 

 * * *

 

 東京武偵高・強襲科所属のSランク武偵、神崎(かんざき)・H・アリアは、学園島第2グラウンドのそばに建設された第1女子寮の屋上から、眼下を見下ろしていた。

 少女、というにはいささか幼い風体の娘であった。140cmをわずかに超えたばかりのその小柄さは、彼女をどう贔屓目に見積もっても中学生以上には見せない。しかしてその実態は高校2年生だというのだから、発育という名の個性は確かに十人十色だと教えてくれていた。

 ゆらゆらと、アリアの側頭部からはピンク色のツインテールが風に遊んでいる。容姿と同じく幼い顔立ちには、今は険の強い色が浮かんでいた。

 高度20mの断崖絶壁。地上よりも勢いを増した風が吹く中、しかし彼女は一切臆すことなく視線を対象に向ける。

 

(仕掛けてきたわね……『武偵殺し』)

 

 赤紫色の瞳に映るのは、道路を並走する2台の自転車――そして、それにさらに追従するセグウェイである。

 が、このセグウェイ、普通ではない。

 なぜなら、本来人が乗るべき操縦席には誰もおらず、代わりに短機関銃が備え付けられているのだ。

 本来なら見ることのできない異様な光景だが、アリアからすればまさかというよりもやはりかという感情の方が強かった。

 そして、彼女は爆走を続ける自転車のほうにも異常があると睨んでいた。

 アリアの予想が正しければ……おそらくどちらか(あるいはどちらも)の自転車には爆弾が仕掛けられているはずだ。()()を頼りにするならば、おそらくC4。人一人殺すには十分な爆薬が詰められているだろう。

 なぜならばそれこそが、近頃世間を騒がせた犯罪者『武偵殺し』の手口なのだから。

 

(でも、使ってるのがあんなオモチャなら、きっと本人どころか手がかりも出やしないわね。……だけど、救出(セーブ)はしなくちゃ)

 

 アリアは、とある理由からこの『武偵殺し』を追っていた。だからこそ、奴が犯行に及ぶ際に発信する電波をキャッチすることができたし、発生すら知られていないこの事件に駆けつけることができたのだ。

 全ては、そう。『武偵殺し』へと通じる何かを見つけるために。

 だが、アリアがやるべきことは、奴に繋がる手がかりを探すことだけではない。それは、神崎・H・アリアのプライベートな目的だ。その過程で被害者を発見したならば、それを助け出すのは武偵として当然やるべきことだった。

 

「――スウッ」

 

 大きく、息を一つ吸う。

 瞳を閉じて――開く。

 そして彼女は、ピンク色のツインテールを翼のように風になびかせ――飛んだ。

 ゴウッ! と耳元で気流がうねる音が聞こえる。全身に風圧を感じながら、アリアは自由落下を続ける。

 下で、アリアに気づいたであろう自転車の主……2人の男子生徒が、表情にありありと驚きを浮かべるのが見えた。

 落ちるとでも思ってるのかしら、とアリアは心外に思いながら屋上に用意していたパラグライダーを展開する。

 

(こんなに早く使うことになるなんて……結果的に、あかりの頑張りのおかげで助かったわね)

 

 胸中でパラグライダーを夜通し改良してくれた後輩の労をねぎらい、急激に速度を落として滑空に入ったアリアは、高度を下げつつ彼らに近づいていく。

 と、

 

「バッ、バカ! 来るな! このチャリには爆弾がしかけられてる! お前も巻き込まれるぞ!」

 

 被害者の内の一人――遠山キンジが、アリアに注意を喚起した。

 バカ、の一言に少しカチンときつつ、

 

「そこのバカたち! さっさと頭を下げなさい!」

 

 武偵は、一発もらったら一発返す。

 バカと呼ばれたのでバカと返しながら、アリアは左右のレッグホルスターから2丁のガバメントを抜いた。

 そして、それに少年たちが反応を返すよりも早く、彼女は水平射撃でセグウェイを破壊していた。

 残骸となって転がっていくセグウェイを尻目に、アリアはパラグライダーを操縦して今だ走り続ける自転車2台の前方へと躍り出る。

 その際に2人の自転車を観察してみたのだが、爆弾を目視することは叶わなかった。おそらくサドルの下に設置されているのだろう。

 

(爆弾が仕掛けられてるのは……あっちの1台だけ? ――ううん、違う)

 

 アリアは自身が立てた考えを、一瞬で否定する。

 先ほど叫んだキンジの言を鑑みるならば、一見彼の自転車にのみ設置されているように思う。が、だとするともう一人――有明錬がこの場から逃げない理由がなくなる。仮に、爆弾が無くセグウェイのみが脅威だったとしたら、その脅威が取り除かれた今、彼まで並走し続ける意味がない。まさか、そんなことにも気づかないほどのバカじゃあるまいし。

 よって、あの2人ともが爆弾に狙われているという推理が成り立つ。 

 が、だとすればそこには一つの問題が浮上する。

 

(どうする? 今あたしが思いついた方法じゃ、どちらか片方しか助けられない。強引に2人とも救出しようとすれば、絶対墜落する。この状態のあたしが、あいつら2人とも連れて危険領域から離脱できる方法がない……!)

 

 代替案が思いつかないアリアは、二人を交互に見る。

 キンジ。錬。キンジ。錬。

 どちらを選ぶべきか答えは出ない。当たり前だ。これは命の選択、簡単に決められるはずがなかった。

 そうして悩むアリアが、三度キンジに顔を向けたとき、

 

「気にすんな! 放っといて構わねぇ! 自分でなんとかする!」

 

 今の今まで沈黙を守っていた錬が、アリアに叫んだ。

 彼は、おそらく気づいたのだろう。アリアが、迷っていたことに。

 だからこそ、自分を犠牲にして仲間を助けてくれと、そう頼んだのだ。自分はいいからこいつを助けてやってくれと、アリアに頼んだのだ。

 武偵憲章1条の半分、『仲間を助けよ』。

 その武偵の理念に、彼は準じたのだ。

 

「錬、お前……!」 

 

 そして、キンジもまたアリアと同じ結論に至っていた。

 錬の決断に、キンジが声を漏らす。

 そうだ、思えばいつもこの少年はそうだった。「俺は、いつだって俺のことしか考えてねぇよ」。そう言いながら、彼はいつだって最後には自分よりも仲間を優先していた。その姿を、キンジは何度も見ていた。

 キンジは、元・パートナーとはいえ、軽々しく錬を巻き込んだことを今更ながらに悔やんだ。

 そして、一方アリアは錬の言葉を受けて、武偵憲章1条のもう半分――『仲間を信じよ』――を実行に移す。

 そこに、彼女は躊躇いを感じなかった。ただ、体が動いた。

 本来彼女は、そんな簡単に誰かを信じることができる性格ではない。だが、錬の顔が……まるで、「自分は絶対に助かる」と確信しているようなその表情が、アリアの背を押した。

 

「死ぬんじゃないわよ、あんた!」

 

 言葉でどうにかなるはずがないと知りつつも、アリアはそう言った。

 なぜなら今から錬に頼まれたとおり、キンジを助けなければならないからだ。

 

(あの表情、何か策があるんだわ! だったら、あたしはあたしのやるべきことをやる――!)

 

 一抹の不安を残しながらも、アリアは託された要請を果たすために、すばやく身体の上下を入れ替えブレークコードに両足をひっかけた。

 そして、声を張り上げてキンジに呼びかける。

 

「武偵憲章1条! 『仲間を信じ、仲間を助けよ』――いくわよ! 全力でこぎなさいっ!」

 

 その一声でキンジもアリアの狙いに気づき、また気づいたことで顔を引きつらせた。

 が、自分が助かるにはそれしかない。キンジは「こんな助け方があるかよっ!」と抗議しながらも、スピードを可能な限り上げる。

 見る間にアリアとキンジは接近していく。

 10m……5m……3m……。

 そして。

 その距離がゼロになるのに、そう時間はかからなかった。

 ドンッ! と、ほとんど正面衝突と言っていい勢いで2人は抱き合い、キンジは空中へとさらわれた。

 キンジの手を(あるいは足を)離れた自転車は、慣性の法則に従い前進を続ける。

 これにより、2人が爆発の直撃を受けることはなくなった。

 だが――

 

(ダメ……! 距離が足りない!)

 

 アリアの『直感』が告げている。未だ、被害距離(イン・レンジ)であると。

 論理的な根拠はない。だが、わかる。

 もう少し……もう少し距離がなければ、ダメージを受けてしまう。さらに、吹き飛ばされれば着地の如何によっては擦過傷を負う危険性もあるだろう。

 失敗した、とアリアが顔をしかめて。

 

 そして有明錬の操る自転車が、2人を追い抜いた。

 

(な……ッ!?)

 

 あり得ない行動に、アリアは大きく瞳を見開く。

 なぜ自分から爆弾に近づくのか、とアリアが困惑した瞬間、一瞬こちらを向いた錬と目が合った。

 少年の瞳は、この状況にあってなお静かな黒をたたえていた。

 そして同時に、アリアはその双眸から『メッセージ』を受け取った気がした。

 そう――「俺に任せろ」、と。

 

(まさか……自分の自転車ごと、あたしたちから引き離すつもりなの?!)

 

 信じられない判断であった。そんなことをすれば、自分に襲い掛かる爆薬の量は単純計算で2倍になり、それだけ死亡確率も跳ね上がる。

 が、それにもかかわらず、錬は取った。

 仲間を優先する道を。

 死の危険を、いとわずに。

 

(なんて、やつ……)

 

 心中でアリアは、そう呟き。

 直後、背後で爆発音が轟いて。

 アリアはキンジと共に、爆風に流されていった――

 

 * * *

 

 そして遠山キンジが目覚めて最初に見たのは、トランプ柄のブラだった。

 

「!?!?!?」

 

 キンジの口内から、声にならない叫びが溢れる。

 ブラ。つまり女性の下着。キンジが忌避する物の中でも確実にトップ3入りするであろう代物だった。

 それが突然目に飛び込んできたのだから、キンジの動揺は半端ではない。誰だって、自分が苦手なものを見たいとは思わないだろう。

 ただ不幸中の幸いがあるとすれば、サイズがかなり心もとないことだろうか。

 子供っぽい柄をした布を押し上げる程度には、()()。あるが、間違っても双丘と言えるレベルではない。せいぜいが更地に薄く砂を盛ってみましたという程度の質量しかそこには存在していなかった。

 

(せ、セーフだ! これなら――って、『65A→B』? ああ、『寄せて上げる(プッシュアップ・プランジ)ブラ』ってやつか。偽装失敗してるだろ、これ)

 

 なんとか危険な事態を避けて少し冷静になったキンジが、女性に隠された秘密を暴いて(かつ侮辱して)いると、妙な圧迫感を感じた。

 なんだと思い状況を確認してみると、なぜだか自分は跳び箱に嵌っているらしかった。しかもブラの装着者である少女と一緒に。おまけに、抱っこした状態で。

 爆風にあおられたパラグライダーは、その向かう先を第2グラウンドに併設された体育倉庫に決めた。それだけならまだしも、2人そろって倉庫内にあった跳び箱の一番上の段にぶつかり、それを弾き飛ばしながらすっかりその中へと入ってしまったらしい。

 んなアホな、と思いつつそれが事実だと認識したキンジは、次に爆発の影響か、気絶しているらしい少女に目を向けた。

 目の覚めるような、美少女。キンジの第一印象はそれで、そして次に感じたのが、

 

(ちっさいな、この子。中等部……いや、飛び級(インターン)の小学生か?)

 

 といった具合に少女の正体を推測し、そしてブラウスについた名札(武偵高では4月の間名札をつけるルールがある)を発見する。

 

(『神崎・H・アリア』……あれ、なんか)

 

 どこかで聞いたような名前だな、と思ったキンジ。

 すると連鎖的に、既視感がキンジを襲った。名前もそうだが、改めて見てみるとこの顔もどこかで……。

 脳内をチリつかせる、誰かの影。その姿をキンジが捉えようとした、その時。

 

「へ、ヘンタイ―――――――――――――――ッ!」

 

 と、大音声がキンジの鼓膜を直撃した。

 

「え、な……!?」

 

 突然のことに狼狽するキンジに、目を覚ましたアリアは羞恥に頬を染めながら拳を振り下ろす。

 その一撃が脳天にヒットしたことを確認し、アリアはまくれていたブラウスを一気に引き下げた。

 そして、逆襲の始まりである。

 

「ヘンタイ! チカン! 人でなし! 恩知らず!」

「ちょっ、待て! 待ってくれ!」

 

 キンジの制止などどこ吹く風で、アリアはポカポカとキンジを叩く。彼女からしてみたら、目覚めた時に服がまくれていた状態だったのだ。どう考えても、犯人はこいつしかいなかった。

 しかしキンジとしても故意ではない罪を押し付けられてはたまらない。暴れる彼女の両手を押さえ込み、反論する。

 

「だから、待てって! これは俺がやったんじゃなくて、ここに嵌った衝撃でこうなっちまったんだよ!」

「ウソ言いなさい! そんな都合いい話があるわけないでしょ!」

「いや本当なんだって!」

 

 アリアの眼前で、キンジが必死な顔を作る。

 あろうことか冤罪を主張するキンジに、アリアはついにキレた。

 こんなやつ助けるんじゃなかった、と後悔しつつアリアは自身が十八番(おはこ)としている台詞でキンジを糾弾する。

 

「風穴開けるわよ!」

「なんだその理不尽は!」

 

 負けじとキンジも言い返した。

 その、瞬間。

 

((――え?))

 

 キンジとアリアの脳裏に、同時に()()()の光景がフラッシュバックした。

 キュルキュルと、記憶が巻き戻っていく。一ヶ月、二ヶ月、もっと前。

 巡り、巡り、巡り、やっと辿りついた記憶の旅の終点。

 そう。そうだ。()()()も、自分たちはこうして言い合った――目の前の、相手と。

 そして。

 

「――キンゾー?」

「――アリカ?」

 

 2人は、同時に呟いた。

 

 * * *

 

 見ぃつぅけぇたぁぞぉ、キンジぃぃぃぃぃ。

 視界に収めた怨敵の姿に、俺は痛みも忘れて口角を上げた。

 敵は本能寺――じゃない、体育倉庫にあり。あいつとは逆方向にぶっ飛んでったから、やたらと距離が離されてしまったが、やっと追いついた。キンジは、第2グラウンドの隅っこに建てられた体育倉庫の入り口に突っ立っていた。見る限り、無事だ。まあ、だからどうというわけではないが。

 ようし、ここで会ったが100年目。今こそ我復讐せり。

 ――って、げっ!? なんじゃ、ありゃ?!

 なんか、キンジから10メートルぐらい離れたところに、6、7体ぐらいセグウェイが転がってやがる。あの殺人マシン、まだあんなにいたのか。

 しかし……キンジの奴、全部ぶっ壊してやがる。んだよ、あいつやっぱ自分でやれるんじゃねぇか。

 ……いや。

 今俺は見たぞ。あいつが、カッコつけるように前髪なんぞをかきあげたのを。

 普段のあいつはあんなキザったらしいマネなんぞしねぇ。つーことは……、

 

「ヒステリアモードか」

 

 去年教えてもらった(というか頼むから説明させてくれとキンジに一方的に教えられた)キンジの秘密を口に出し、その事実が示す意味に俺の額に井桁が浮かぶ。

 あの野郎、俺が死に掛けてる間に、(おそらくは)さっきの女の子といちゃいちゃしやがったな……!

 一瞬で俺は沸騰する。どこまで俺を怒らせれば気が済むんだ、あいつは。

 ふざけんな! もう許さん、ぶっ殺してやる!

 ついに報復のチャンスを得た俺は、キンジから7メートルくらいの位置まで近づき、

 

「キンジッ!」

 

 せめてもの情けとして、呼びかけてやる。もう遅いがな。

 それにキンジがこちらを向いた瞬間、俺はヒップホルスターから愛銃・グロック18Cを抜く。

 間髪を入れずに構え、そのままキンジ目掛けて発砲――

 

 ――する寸前で、射線上に()()()()()()()()()()が割り込んできた。

 

 まだいたのかよ!? 

 と驚きながらも、俺の指はすでに引き金を絞っていた。

 勢い余って3発ほど撃ってしまった弾丸が、割り込みをかけられたせいで、偶然セグウェイが搭載したUZIに全弾命中する。

 バガンッ! と激しい音を立てて、UZIはバラバラに破壊された。

 く、くそう……なんて邪魔な! 奇襲が失敗しちまったじゃねぇか!

 幸福の女神でもついてんのか、あの男には。

 だとすればこれは俺の運が悪かったんだなと自分を納得させながら、俺は拳銃をホルスターへと戻した。

 こうなった以上、もう攻撃のチャンスはないと見ていい。ヒステリアモードのキンジはハンパじゃない。俺じゃ絶対勝てない。

 恨みを晴らせなかったことに落胆しながら、俺はキンジの下へ向かう。その途中、UZIが転がっていたので、マガジンを引き抜いて中の9mm弾だけもらった。短機関銃だけあって、20発ぐらい入ってたな。何か一つぐらい得しないと、やってられねぇよ。

 

「悪いな、錬。助かった」

 

 ポケットにしまったUZIの弾丸をジャラジャラ言わせながらすぐ近くまで近寄った俺に、キンジは声をかけてくる。

 助かったってなんのことだ?

 つーか、何爽やかに笑ってんだこの野郎、ヒステリアモードでさえなけりゃ――いやまあ、そうでなくとも多分負けるが。

 

「まだ油断すんじゃねぇぞ」

 

 俺はまだお前への復讐を諦めたわけじゃないぞ、という意味を込めて、せめてもの反撃をする。小さすぎて、自分が情けなくなってくるが。

 

「ああ、わかってる。気をつけるさ」

 

 ……なんだこの返事。これは挑戦を受けるってことか?

 上等だ、いつか闇()ちしてやるよ。

 と、

 

「それよりお前、ずいぶん汚れてるな。大丈夫か?」

「ん? あー……ま、見た目ほどひどくはねぇよ。防弾制服の恩恵もあったしな。それほど大怪我にゃなっちゃいねぇよ」

「そうか……」

 

 ほっ、と心底安心したという表情のキンジ。その様子からは、心配していたという気配が伝わってくる。

 ……なんだよ、クソ。そういうことされたら、怒るに怒れねぇじゃねぇか。

 思わぬ態度に気勢を削がれた俺は、なんだか馬鹿らしくなって怒りを収めることにした。仕方なく、な。

 

「……で? さっきの女の子はどこ行った? 一緒じゃねぇのか?」

 

 頭の中を切り替えて、俺はキンジに尋ねてみる。

 こいつがここにいるってことは、あの子もいるってことだろ。助けてくれようとした相手だからな。気にならないわけがねぇ。

 ……って、

 

「おい、どうした? そんな苦虫を噛み潰したみたいな顔して。近くにいんだろ、あの子?」

「あ、ああ。まあ、そうなんだが……」

 

 と、キンジは困ったように体育倉庫の中にあった跳び箱に顔を向けた。

 つられて俺も眼を向けると、そこでは、なぜかさっきの女の子が隠れるように跳び箱の中から顔だけ出して、こっちを見ていた。

 状況が分からず、俺はキンジに説明を求める。

 

「おい、なんだよこれ。一体どうしたんだ、あの子」

「あー……それを説明する前にだな。お前に言うべきことが――」

 

 俺の質問にキンジが、何かを言いかける。

 だがそれが最後まで紡がれる前に、箱入り娘(上手くね?)が跳び箱から飛び出してこちらに駆け寄ってきた。

 彼女はキキッと急ブレーキをかけ、キンジにビシィ! と人差し指を突きつけた。

 

「い、言っとくけどね、お、恩になんて着ないわよ! あんなオモチャぐらいあたし1人でも何とかできた。これは本当よ、本当の本当! ……そ、それに今のでさっきの件をうやむやにしようったって、そうはいかないんだから! あれは強制猥褻(きょうせいわいせつ)! レッキとした犯罪よっ!」

「……ふぅ、よく聞いてくれ。さっきも言ったが、それは悲しい誤解だ」

 

 えー、なにこれ。またキンジのやつなにかやったの?

 ホント、次から次にトラブルを起こす奴だな、こいつは。

 というか俺もう帰っていいかな。

 

「誤解だろうが6階だろうが、あたしのむ、むむ胸を見たでしょ!? それは事実よ!」 

「それは……まあ、否定できないが」

「ほら見なさいッ!」

 

 一方的にまくし立てる女の子に、あまり強く言い返さないキンジの言い合いは、はたから見るとなかなか面白い見世物ではあった。

 俺は一つ息をつき、そろそろ仲裁すべきかもな、なんて思っていたんだが。

 続くアリアの台詞で、そんな考えは吹き飛んだ。

 

()()()()()()()()()()()()()、あんたいつの間にそんなヘンタイになったわけ? ()()()()!」

 

「…………」

 

 ……え?

 久しぶりに会った、だって? それに、キンゾーだと?

 おいおいお前、その名前は……。

 

「いやだから俺はヘンタイじゃ……はぁ、おい錬。お前からもなんとか言ってくれ」

 

 たじたじといった具合のキンジが、俺に辟易とした調子で助けを求めてくる。

 だが、生憎と俺はそれどころではなく。

 気づけば俺は、震える声でキンジに声をかけていた。

 

「お、おいキンジ……こいつ、今、『キンゾー』っつったか?」

「……気づいたか」

「ちょっと! なに無視してんのよ、キンゾー!」

 

 俺とキンジの会話に割り込んでくる女の子。

 だが俺の疑問には、図らずも彼女自身が答えをくれた。

『キンゾー』。正しくは、『金三(きんぞう)』。俺が知る限り、その名を知っている人間は3人のみだ。

 一人は当のキンジ、もう一人は俺、そしてもう一人は……。

 俺は、プルプルと微妙に振動させた人差し指で彼女を指差し、キンジにひきつった顔を向けた。

 

「…………マジ?」

「ああ、大マジだ。いいか、錬。この子は――」 

「まだ無視する気!? いい加減にしないと――」

 

 もう半ば以上、この子の正体を確信する俺に。

 キンジと女の子は。

 

「――アリカだ」

「――風穴開けるわよ!」

 

 同時に、言ってきたのだった。

 

 * * *

 

 有明錬がキンジたちと合流を果たす、その少し前。

 相も変わらず跳び箱に嵌ったままで、キンジとアリアは互いを呆然と見合っていた。

 

「き、キンゾー? 本当にキンゾーなの?」

「あ、ああ……。じゃあ、お前もアリカでいいんだよな?」

「うん……」

 

 交わす言葉も、どこか呆けている。2人が驚愕の只中にいることは、もはや疑いようもなかった。

 

「「…………」」

 

 どうすればいいかわからず、そして何を言えばいいのかわからず、2人は密着状態を維持したまま、お見合いを続けていた。

 永遠に続くかと思えるような静寂の間。だが永遠などというものが存在しない以上、それはいずれは破られる。

 今回は、突如2人が入る跳び箱を襲った複数の衝撃によって。

 

「ッ! まだいたのね!?」

 

 その正体に気づいたのは、アリアだった。次いで、キンジも悟る。

 今のは、着弾の衝撃。つまり今、自分たちは銃撃されているのだと。

 だが、誰が? 唯一心当たりになりそうなUZIはさきほどこの小さな女の子が破壊したはずだが。

 

「いたって……何がだ!」

「『武偵殺し』のオモチャよ! あのヘンな二輪! 数は7!」 

(ま、まだいたのかあれ……! しかも、7台も!)

 

 今のキンジには見ることができなかったが、確かに体育倉庫の外では、計7台のUZI付きセグウェイが襲撃をしかけていた。

 アリアはそれに拳銃1丁で応戦する。跳び箱の側面に空けられた穴から銃口を突き出し、反撃を開始した。

 が、圧倒的に火力が足りない。1対7。しかも相手はサブマシンガン。おまけにこちらはすし詰め状態。不利な要素しかなかった。

 だからこそ、アリアはキンジに助勢を請う。

 

「キンゾー、手伝って! 戦力が足りないわ! あんたも応戦しなさい!」

「む、無茶言うな! こっちはお前が乗ってるせいで身動きすら出来ないんだぞ!」

「うっさい! なんとかしなさい!」

 

 できるか! と内心で叫び、キンジは思考を巡らせる。

 アリアの命令はいくらなんでも無茶苦茶だったが、確かに火力負けしているのは事実。このまま押し切られれば敗北が必至であることは、キンジにも理解できた。

 しかし。

 

(だからといって、じゃあどうする!? ()()()じゃあ、こんな状況どうしようもないぞ!)

 

 情けないとは思うが、それは言い逃れできないことだった。確かに、()()()()()ではアリアの力添えにはなれない。

 だが。

 その状況を変えたのは、奇しくもアリアであった。

 おそらく無意識ではあろうが、彼女はより狙いをつけやすいように、顔を跳び箱の穴に近づける。すると当然それに連動して、彼女の体もまた前面に移動する。

 そしてさらに当然の帰結として、アリアの体――より正確に言うならば胸部が、キンジの顔面に押し付けられた。

 

(あ――――)

 

 その瞬間、遠山キンジは()()()()()()

 ブラまでは耐えられたキンジの性的興奮は、胸の柔らかな感触にあっさりと引き出された。

 ドクドクと血潮のうねりを感じながら、キンジは低い声でアリアに尋ねる。

 

「――やったか、アリカ」

「ううん、向こうは一時撤退してるだけよ。すぐに戻ってくるでしょうね」

 

 言葉通りにセグウェイを射程圏外まで追い払ったアリアに、キンジは薄く笑った。

 そして、

 

「強い子だ。それだけできれば上出来だよ」

「――は?」

 

 突如様子の変わったキンジにアリアがいぶかしんだ直後、キンジはお姫様だっこでアリアを抱え上げた。

 思わず声を上げるアリアに、キンジが微笑む。

 

「ご褒美にちょっとだけ――お姫様にしてあげよう」

「は、はう!? ど、どどどどうしたのよキンゾー!? おかしくなっちゃったの!?」

「そんなつもりはないんだけどね」

 

 跳び箱から跳躍で抜け出し、真っ赤に紅潮するアリアを重ねて置かれていたマットに座らせるキンジ。

 アリアにはもう、なにがなんだかわからない。わきゃわきゃと両腕を振りながら一体なんの真似だと詰問する。

 それにキンジは、ただ一言で答えた。

 君を守る――と。

 そしてその宣言は現実のものとなる。体育倉庫の外に出たキンジはセグウェイ全機をあっさりと撃破してみせた。

 それを見たアリアは、感嘆の声を上げて立ち上がる――と、ストンとスカートが落下した。

 どうやら先の爆発の煽りを受けて、留め具が壊れてしまったらしい。アリアは先ほどとはまた違った意味で頬を染めた。

 慌てて跳び箱に帰還したところで、キンジが戻ってくる。

 

「どうだったかな、お姫様?」

 

 その第一声がまたキザったらしくて、でもそれが妙に心をくすぐって、アリアはどもりながらもなんとか返した。

 

「ふ、ふん。まあまあね、き、キンゾーのくせに、やるじゃない!」

 

 それはどうみても照れ隠しだったのだが、それはさておきアリアはなんとかスカートのチャックをくっつけようと苦心する。

 その様子にキンジが事情を察し、彼は自らのベルトをアリアに投げ渡した。その意味を察したアリアは、大人しくそれをスカートに通していく。

 女性の着替え(というほどでもないが)をじっくり観察する趣味のないキンジは、倉庫から出る。もはや残骸と貸したセグウェイを眺めながら、そういえば錬は大丈夫なんだろうか、とぼんやり思う。

 そして、彼はチラリと振り返ってアリアの姿を視界に収める。

 その容姿に、キンジははっきりと覚えがあった。()()()()()()()()()ならば、交わした言葉すら思い出せるほど鮮明に。

 彼は困ったように一度髪をかきあげて、

 

(ああ……本当に、アリカなんだな)

 

 と、心中で呟いた。

 

 * * * 

 

 あー……アリカですか。そうですか。

 なるほどなぁ、言われてみれば確かにこんな顔だった。あん時とは髪型が違ってたからよく分からなかったが、このちっこさで赤紫色の瞳の女の子なんて、まさしくアリカだよなぁ。

 というか、

 

「で? なんだってそのアリカがこんなところにいんだよ?」

「わからん。武偵校(うち)の制服を着てるってことは、ここの生徒なんだろうが……」

「だよな」

 

 キンジと2人、このちんまい子がなぜここにいるのかを議論する。おかしいな、なんで日本にいるんだこいつ?

 と、その時アリカがギンッとこちらを睨みつけてきた。

 

「なによ、あんた。なれなれしくその名前であたしを呼ばないで」

「はぁ? 何言ってんだ、ちびデコ」

 

 いきなりの悪態に、思わず言ってはならないことを言ってしまった。

 や、やべー。ぶっ殺されるかも。

 が、予想に反して彼女が爆発することはなく、代わりに一瞬眉をひそめたかと思うとすぐにくりっとした両目を見開いて、

 

「そのふざけた呼び方……あんた、ひょっとして錬夜(れんや)!?」

「おう。なんだオメェ、気づいてなかったのか」

「ふん。今気づいたんだから問題ないでしょ? それよりあんた、また一段と目つき悪くなったわね。なんか髪も伸びてるし」

「まーな」

 

 この野郎、人のコンプレックスをあっさり指摘しやがった。

 言ってなかったが、俺の目つきは悪い。すこぶる悪い。昔からその傾向はあったんだが、最近は顕著になってきている。ただ見ているだけなのに睨まれたと受け取られることもしばしばあるほどだ。

 そして、俺は去年よりも髪を伸ばして後ろで一房にくくっていたりする。別にイメチェンとか狙ったわけじゃないんだが、まあ願掛けみたいなもんかな。俺は卒業したときにこいつを切ると決めている。つまり、生きてここを卒業するという誓いの表れなんだ、これは。

 つーか、なんか随分と弛緩した雰囲気になっちまったなぁ。始業式の朝っぱらから、なにを俺たちは同窓会みたいなことをしてんだか。

 ――っと、そうだ。

 俺は結局なんでアリカが怒っていたのかわからなかったことを思い出し、キンジに訊いてみることにした。

 

「でよぉ、キンジ。お前一体なにやってアリカを怒らせたんだ?」

 

 一切の遠慮なく、軽い口調で放たれた俺の問いかけ。

 しかしそれを聞いた2人の表情が、ピシッと固まった。

 あー……地雷踏んだか、これ?

 

「ばっ、馬鹿! せっかく流れそうな雰囲気だったのに……!」

「ふ、ふふふふふ……そうよ、そうだったわね。その話がまだ済んでなかったわよねぇええええええええ!」

「ま、待ってくれアリカ! だからそれは誤解――」

 

 再びこの話題に戻ってきてしまったことに、若干キンジざまぁと思っていると、アリカは左右のレッグホルスターから色違いの2丁拳銃――コルト社の名銃・ガバメントのカスタムガン――を取り出しキンジを照準(ポイント)した。

 ……え!?

 ば、ばばば馬鹿野郎! キンジにポイントなんてしたら、その近くにいる俺も危ないんだぞ!?

 外野気分のつもりだったのにいきなり巻き込まれて慌てふためく俺をよそに、キンジは慌ててアリカの両腕を脇でホールドする。

 すると、反射的にアリカが発砲した。ガガガガガッ! とフルオートかと疑うほど連続した銃声が轟く。

 

「うおっ!?」

 

 あ、危ねぇ! 今ちょっと当たりかけたよ!?

 このまま流れ弾が当たってはたまらないので、俺はすぐさまグラウンドからの脱出を図る。というか、そのまま学校まで逃走するつもりだった。

 が、

 

「ぐえっ!?」

 

 背後からいきなり何かがぶつかってきたことで、俺は潰れたカエルのような声を上げる。走っているときに後ろからそんなことをされたもんだから、俺はそのまま押しつぶされてしまう。

 と、その拍子にポケットからさっきの弾丸が10発くらい転がり出て行ってしまった。お、俺の9mm!

 チクショウ、一体なにが飛んできたんだと思って首を捻り背中を向くと、そこには想像通りキンジが乗っかっていた。

 

「すまん。ナイスキャッチだ錬」

 

 うるせーよ! どこまで俺を巻き込むんだお前!

 

「逃がさないわよ! あたしは逃走する犯人を逃したことは一度も! ない!」

 

 鬼の形相で追いかけてきたアリカが叫ぶのを聞きながら、俺は立ち上がる。

 おいキンジ。お前、なんか犯罪者にされてるぞ。ほら、さっさとあいつのとこいって鎮めて来い。ついでに捕まっちまえ。

 

「それから錬夜! あんたが怪我してたら救護科(アンビュラス)呼んであげるつもりだったけど、犯罪者を幇助(ほうじょ)するっていうんなら話は別よ! あんたもあたしの標的だわ!」

「んだとッ!?」

 

 いやホントふざけんな! 俺、何一つ悪くねぇのにいつもいつもこんな目に……!

 呪いでもかけられてんのか、俺は。

 

「覚悟しなさい、あんたたち! ひざまずいて泣いて謝っても許さない!」

 

 怖ぇよ! 何その性悪女王みたいな宣言!?

 アリカは背中からジャキジャキッと日本刀(ポンとう)を二振り抜き出し、構えながら俺とキンジに向かって駆け出した。

 あわや細切れか、と戦慄したのだが、

 

「――みゃきゃっ!?」

 

 どういうわけか、彼女は接近してくる途中でスッ転んでしまった。

 え……? どういうことだ? なにやってんの、あいつ?

 その光景を見てハテナマークを飛ばす俺に、隣で立ち上がったキンジが言う。

 

「さすがに元パートナーというかなんというか……考えることは同じだったってことか。お前がタマばら撒いてくれたから、俺がやる手間が省けたな」

 

 同じく立ち上がった俺は、キンジの台詞を噛み砕いて理解する。

 ……ま、まさかアリカのやつ、さっき転がってった9mm弾を踏んづけたのか!?

 ちょっ、じゃあ俺がスッ転ばせたみてぇじゃねぇか!

 また一つ理不尽な恨みを買ってしまい顔を青ざめる俺の肩を、キンジはポンと叩いた。

 

「ほら、逃げるぞ錬。あいつが冷静さを取り戻したら、今度こそあの二刀流(ダブラ)で八つ裂きにされちまう」

「あ、おい、待てよ!」

 

 せめて、弁解させてくれ!

 という俺の心の叫びも尻目に、キンジは飛び出した。

 当然一人でここに残ることがどれだけ愚かしいことかを理解している俺は、それについていくしかなかった。

 そんな俺たちの背中に、

 

「この卑怯者! でっかい風穴あけてやるんだからぁ!」

 

 アリカは、実に空恐ろしい台詞を投げかけるのだった。

 

 * * *

 

 ――後に、遠山キンジは述懐する。

「これが俺たち、『アルケミー』と。後に『緋弾のアリア』として世界中の犯罪者を震え上がらせる鬼武偵、神崎・H・アリアとの。硝煙のニオイにまみれた、最低最悪の『再会』だった」――だとよ。

 その意見にはまあ、俺もおおむね賛成しよう。

 だが、そこに一つ付け加えさせてもらうとするならば。

 遠山キンジ。

 神崎・H・アリア。

 有明錬。

 ――俺たちの、再会。

 それはきっと運命を。

 

 ――変えてしまう、再会だった。




アリアとキンジたちがすでに旧知の仲になってますが、「へー」くらいに思ってもらって構いません。あんまり重要なポイントではないので。

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