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「……どうしても、この提案は受け入れてもらえない――ということでしょうか」
問いかけるまでもなく、その答えを彼らの視線と表情が雄弁に語っていた。単純明快な非難の目、まるで聞き分けのない子供を見ているかのような目もある。中には一人、器用に目で語っていた将校が居た。『全く話にならない。君のような若輩が一体全体、何故……』云々と。
ひとしきり沈黙に責められた後、ようやくこの場を仕切る“お偉い方”が口を開く。だが、無慈悲にもそれは会議を締める言葉だった。
「以上で、新戦略による反抗手段の説明会議及び、“新任提督”の紹介を終える」
言葉を強めて視線を飛ばした先は、針のむしろに立たされたばかりの女性であった。つまり彼女こそ“新任提督”であり、『新戦略による反抗手段』において重要な役割となる人物でもある。
はっきりと美人と言える女性である。目元は優しげだが、この会議の場においては瞳に真剣さが宿り、やや表情も固く、敵意にも似た感情が見て取れる。食いしばった歯のことを感付かれまいとしているようだが、長年人を見てきた立場の人間なら分かる。彼女は今、解決できない悔しさに震えているのだ、と。理不尽といえる過酷な訓練の中で、自らの無力さと向き合うことになった青年も同じような顔をする。縦社会が全ての世界では、比較的よく見る顔であった。
海自――ではなく、“海軍”であることがすぐに分かる白地の軍服に身を包み、正式な場であるために髪も結い、軍帽の中へと収めている。そうして見えるうなじはうっすらと赤らんでおり、興奮しているのだとも分かった。
ぞろぞろと会議室を後にする軍上層部の――いわゆる“大本営”と揶揄できる――上官たち。その中で一人の気難しそうな男性が彼女の肩を叩いた。
もともとあまり口数の多い方ではないのだろう。しかしその将校は胸元の勲章をひけらかさないだろうし、若いころの武勇伝を語ったりもしない誠実で寛大な人だとすぐに分かる。失礼は承知で、横目にて一瞥するに済ませた。なんと答えていいのかが、分からなかった。
「……後の事は頼む」
勇猛な海軍大将の大きな背中もまた、去るために動き出す。
きっと彼は、全てではないにしろ、賛同できる部分があることを認めてくれたのだ。慰めになるのか励ましになるのかは彼女次第だが、それだけは言っておきたくなったに違いない。
会議中、意見具申と言える発言を始めた時は心臓が弾け飛びそうだった。今は心臓に穴が空いて、徐々に血の気が引いているような気がする。沈みゆく船に乗っているような気分だった。
軍帽を脱いで胸に当てる。そこに隠さざるをえない思いを、ここで封じ込めておかなければならない。でないと今後の職務に影響が出かねないから。
上からの命令は絶対。受け入れられなかった意見は、破棄しなければならない。封印しなければならない。そして、もしこの封印を解く時があるとすれば、それは千載一遇、一生に一度、絶対的な確信が全身を貫き、人生を賭けても良いと思える時しかあり得ないだろう。
諦めてしまいそうになっていたその時だ――本当に不思議だと後になって思う時が来るのだが、そのチャンスというのは、何もかもが始まってすらいない、ここなのではないかという天命のようなものがあった。小さくなってしまう、今にも扉を開けて消えてしまいそうになっているその海軍大将の背中を見て、何かが囁いたのだ。
『今だ』と。
自分が待つしか無いと思っていた千載一遇のチャンスは、ここでしか手に入れられないものなのだ、と。
だから――“提督”になるために。
「――あの!」
大将はドアノブに伸ばした手を止め、振り返った。
「折り入って――お願いしたことがあります」
その時の提督の瞳は、覚悟を決めた者の色をしていた。
――さあ、“提督”になろう。
1
横須賀鎮守府。かつて存在した同名同目的の施設を、現代的な要素の大部分を排斥した上で可能な限り再建し、“彼女たち”の生活に適した環境を生み出した施設群のことだ。端的に言えば昭和テイストで作られており、この施設群の中だけで、軍務を遂行しながら日常生活も謳歌できるようになっている。訓練施設からレジャー施設まで揃っているのだ。
……正しくは、そうなる予定になっている。
つまり、横須賀鎮守府は未完成だった。最終的な完成形はそうなる、ということである。
現在の横須賀鎮守府は、まさに軍の作戦拠点でありながら主要港でもあるという軍令向きの出で立ちで、施設のほとんどは工業的な施設。通称、『工廠』。そして立ち並ぶ寮――あえて昭和風に表すのであれば“寄宿舎”だろうか――があり、立派なレンガ造り三階建ての建物が鎮守府の司令部だ。埠頭に面しており、海を水平線の彼方まで眺めることもできるし、各施設へのアクセスも整えられているから、まさに鎮守府の心臓と言える場所である。今日からそこに勤務することになるのだ。
もちろん住み込みとなり、実質、このお金をかけた博物館のような鎮守府から外に出ることは滅多にないだろう。だから自分としてもここの生活に慣れていかねばならない。海自所属の自分が旧海軍の――素人目には同じだろう――眩しすぎる白い軍服をまとっているのにもそういった理由がある。今のところはまだ少ないレジャー施設で息抜きをし、庶民的な商店で買い物をし、夕ご飯を作って――布団で寝る。夜には蚊帳を使うのだろうか。それとも蚊取り線香くらいは使わせてもらえるのだろうか。
真夏。海辺は日差しが余計に強く感じ、眩しさに目つきが鋭くなっていることは自覚できた。
予定より随分と早く到着したので軽く施設を見学させてもらった。一時間ほど歩いたものの誰とも出くわさず、人の気配は無い。しかしどこからかは見られているような視線は感じた。話に聞いている通りならば、その視線は気のせいではないのだろう。視線は特に工廠の付近で多く感じたことも根拠となる。そういうものだと、聞いていた。
「品定めされているのかしら」
不快な視線ではないことが救いだった。その視線はひとえに好奇心で構成されていて、例えるならば、ピエロが目の前に現れた子供たちの視線――だろうか。ピエロは何をするか分からない。不思議がる。不思議がってじっと見つめ、次に何をするのかを見逃すまいとするのだ。
「…………」
コンクリートの埠頭から、海原を眺めていた。
こんなに静かで綺麗な海なのに。
波の音に合わせて陽光のキラキラが増す。海は輝いている。決してその神聖さを失ってはいない。まだ希望は残されている。この地に。この場所に。この海に。
そのはずだ。そうでなくては――戦わせる意味が無い。
独り身の荷物にしては大きかったと後悔していた革張りのスーツケースを持って、埠頭を離れた。
鎮守府に向き直った背中へ、海の輝きが無数に瞬いたことに彼女は気が付かなかった。
一人で背負うことになった責務に対する秘めた思い。そんな固い決意をしていた彼女に、海の声は聞こえなかった。届ききらなかった。“彼女たち”と共にある母なる海が『安心しなさい』と語りかけていたことは、知る由もなかった。
海は諦めていないのだ。
例えその水底に、決して照らし出せない深海の闇が広がっていようとも。
2
鎮守府本棟の玄関先には、二人の少女が立っていた。五段ほどのステップを上がれば屋根付きのアプローチ空間であり日陰でもあったのに、彼女たちは律儀に熱射の下で直立待機していて、提督の姿を見ると汗を振り切らんばかりに敬礼して見せた。脇を締め、地面とほぼ垂直とも言える角度の敬礼だった。
提督から見て左の娘はスラリと高めの身長に長い黒髪、眼鏡を掛けていて知的そうだ。衣服は標準的なセーラー服に見える。……待って、スカートのあの隙間は何……? 見えているのは地肌なのだろうか? いや、そんな設計のスカートは知らない……。
雑念を振り払って右の娘を確認する。こちらは目立つ髪色だった。まず目に入ったのはその芳しそうな桃色の髪で、左の黒髪眼鏡の娘と同じセーラー服を身にまとっている。品のあるおさげにまとめた二房が風に揺れ、快活そうな輪郭が見えた。目元もきりりとしていて、サバサバとしているように思う。
「提督、着任をお待ちしておりました。私は大淀と申します。艤装が無いため実戦には出られませんが、艦隊指揮、運営はどうぞお任せください」
落ち着いた声だ。印象通りの冷静な娘なのだろう。流れるように挨拶を済ませると、横目で桃色髪の娘を一瞬だけ見た。『次はあなたの番』というわけらしい。
それに応えるように笑顔を見せたもう一人は、フレンドリーに右手を差し出してきたのだった。
「どうぞよろしくお願いいたします!」
一先ず握手は交わした。……だが、名乗りはしないのだろうかと思った矢先、大淀と名乗った娘が眉を寄せて小声で指摘する。
「まずは名前からって、打ち合わせしたじゃない……」
「え? あぁそうでしたすみませーん! 工作艦、明石です! でも大淀と同じで艤装が無いので……えっと、しばらくは酒保とか、ちょっとした日曜大工とかでみんなを助ける便利屋だと思ってくださいね!」
明るい。思った通りの快活で磊落な性格なようである。笑顔は屈託なく、階級差や立場上の鬱屈とした諸々と軽く吹き飛ばし、一息に警戒心の内側に入ってくるようなタイプだ。気軽に話せる相手だと思った。しかし一方の大淀が話しにくいタイプなのかと問われれば、それも違う。事務的でありながらも優しさと真面目さを両立させている様子で、断言するが、仕事でのミスは無いだろうし、ミスをミスと思わせない解決力も持っていそうだ。きっと素晴らしい補佐であると同時に、相談役にもなる。
大淀と明石。実は、名前は聞き及んでいた。この鎮守府に何週間も前から住み込み、コツコツと準備を進めていたという。つまり、提督の着任を待っていた。
この鎮守府に住まう“彼女たち”。
“彼女たち”についてはもはや思い起こすまでもないほど何度も復習した。ここで全てを思い出す必要もないだろう。
“彼女たち”こそ、自分が提督に正式任命され、上層部に顔見せを行ったあの処刑場でいうところの『新戦略による反抗手段』である。そしてそれを“艦娘”と呼ぶ。
人のようでありながら、艦の名を冠した存在であり、“敵”に抗うことのできる存在。
彼女たち艦娘と提督。それがこの戦いに勝つための欠かせないピースなのだ。
「明石が失礼しました。お許し下さい」
頭を下げる大淀。しかし彼女が一番理解していそうだ。明石はきっと、どんな時でもこんな様子で、着飾らず、誰とでも仲良くなれるのだ、と。
だから自分も明石のことを失礼だとは思わなかったし、大淀の謝罪も必要なしと判断した。
一礼する大淀の脇腹付近に存在する謎の空間、スリットが再び目に入る。一体どうなっているのかしら……――。
「構わないわ。――執務室に案内を頼める?」
隠さなければならない内心を打ち消すと、自分でも驚くほど無愛想な声が出た。同時に、それが“提督”の第一印象になってしまったことを悟る。明石は面食らった様子で二の句が継げなくなり、大淀は一瞬口を真一文字に閉じて視線を床に落とし、一秒もしない内に口を開いた。
「はい。ご案内します」
――暑い中、ご苦労様。挨拶だって、執務室で構わなかったのよ。
心の中ではそんな労いの言葉が出てくる。だが自分が与えてしまった第一印象が早くも地球を一周して背中に伸し掛かってきたようで、明石以上に口が重くなってしまった。
明石もしどろもどろになりながら――当然だ。目の前の人間と握手を交わした瞬間は間違いなく『すぐ仲良くなれそう』と確信したのに、次の瞬間には裏切られるように冷たい人に変わっていたのだから。驚かないわけがない。失望しないわけがなかった。それでも何とか、執務室に着くまで後ろについてきていた。
――
明石は目の前を歩く提督の背中を、恐る恐るという様子で見た。視線を気取られないように、控えめに。
――どうして? すごくいい感じの握手だったのに……。
暖かくて、ふんわりしていて、それでいて力強さを感じて、これまでに全く会ったことのないタイプの、優しくて『いい人』だと思った。大淀ですらあまりかしこまらずに、小声で注意してきたくらいなんだから、彼女もきっと提督はいい人で、『礼節や立場などを必要以上に厳格に定めないような人』だと理解していたはず。そもそも提督とはそういう人が選ばれると聞いていた。
案内を頼んだ時の提督の顔は無表情だった。鉄の仮面のように。声にも、何の感情も入っていないかのようだった。握手とは正反対の印象。ついさっきまで談笑していた相手に突き飛ばされて転んだかのような理不尽さと不可解さが、明石の胸に渦巻いた。
きっと自分が失礼な挨拶をしたからだ。口ではああ言っていたけれど、やっぱり怒らせてしまったに違いない。大淀の注意がなければもっとふざけていたかもしれない。大淀はもしかするととっくに提督の性格を見抜いていて、これ以上失礼を重ねないように自然体を装って注意してくれただけなのかもしれない。
――あーぁ……やっちゃったなあ……。
明石の中に後悔が生まれる頃には、鎮守府本棟三階にある執務室へと到着していた。大淀が丁寧な言葉で何かを言っているが、明石の耳には入らなかった。
そのまま大淀と提督が執務室に入っていくのを見送ることしかできず、上の空ではあったが『私も自分の仕事に戻ります』とかなんとか、言えたような気がする。
仕事――といっても、大事な相棒である工作機械を載せた艤装が無い以上、やれることが限られてはいる。
特に鎮守府はまだ準備中であり、明石がやろうとしている酒保仕事も本営業はしていない。大淀とともに準備はしていたが、提督や他の艦娘たちの利用で賑わうのはまだまだ先になりそうだ。
特に今日は提督との顔合わせの日だ。大淀は提督のお相手で忙しくなる。これまで共に小さな準備を進めてきた無二の友達が居ない以上、明石は暇になってしまう。大淀には悪いけれど、今日は気分を晴らす息抜きが必要だと思う。
きっと提督に嫌われた。第一印象からしてそんなことでは、今後、ちゃんと戦えるようになった時、ちゃんと工作艦としての役割を果たせるようになった時に使ってもらえるか分からない。そんな漠然とした、いつ来るかもわからない事態の不安を抱えたままでは、仕事が始まってもきっと失敗する。それは嫌だ。
だから今日は、今日だけは、やりたいことをして過ごそうと決めた。
もちろん命令があればすぐに飛んで行くしかないが、本当に提督に嫌われてしまったなら、そんなこともないだろう――と思った。
提督も大淀もすぐに忙しくなる。早ければ今日中に、遅くとも明日か明後日には、戦力の拡充を図るに違いない。自分たちも、大淀と二人きりじゃなくなる。そして遠くない内に出撃が始まり、奴らとの戦争が幕を開けるのだろう。
“深海棲艦”。深海から現れ出ずる人類の敵。海の平和を奪い、孤島の秩序を奪い、世界の絆を破壊した。この国は孤立し、他国の情勢も分からない。海上線が使用不能になり、海原を通る空路さえも危険になってしまったこの世界のことは把握済みだ。
大淀と共にこの鎮守府に生まれて自分の足で立った時には、そういった事情の断片を、どことなく察知することができていた。例えるのならば、母体の中で聴いた音楽に聞き覚えがあるかのように。この世界は、かつて自分たちが艦船であった時代からはるか未来で、何かの呼び声に応えるようにこの世界に受肉した。そういったことは、本能であるかのように理解していたのだ。
後に人の口から直接、詳しい事情を聞かされた。今では、最前線に立つ者として申し分ない知識がある。大淀もその知識を前提に、今後の艦隊指揮を行っていくのだろう。
大淀は艦隊の指揮と鎮守府の運営に関する知識を。明石は鎮守府の構造と工廠技術、艦娘の知識などを中心に身につけていた。二人とも提督にとって必要な存在となることは明白で、必須だとしても過言ではない。
だからこそ自分たちが“最初”に選ばれたのだと分かった。素晴らしい艦隊司令部を持っていた大淀と、数々の艦艇の修理に携わった明石。提督だけでは知り得ない、行いきれないことを請け負える艦娘として。
その責任は理解しているし、恐らく、今後生まれてくる艦娘たちも全く同じはずだ。
自分たちには戦う意思が最初から備わっている。その中で自分に与えられた役割を果たさなければならないことも理解していることだろう。明石の場合は戦う意思よりも、本来の役割の影響が大きいようだが、大淀は今でも『いつか海に出て――』と語ることがあった。
つまるところ艦娘は、戦わせるための兵器だった。
それをあの提督は、完全に、完璧に、余すところなく理解している。
だからあれほど冷たい言葉を吐き出したのだ――。
あなたたちと必要以上に馴れ合うつもりはない――と言っていたのだ。
そのことを受け入れることができたのは、随分と後になってからだった。
大淀はきっと、挨拶を交わし、提督の言葉を聞いた直後の一瞬でそれを察知していた。
少なくとも、工廠の中にある自分の工房と化した倉庫の中で、レンチの柄で耳の裏を掻きながら『提督の頭をかち割って修理したら、さっきのことを忘れてくれるんじゃないかなあ』などと考えていた時には、思いつく由もなかった。
――
執務室は簡素であった。恐らく大淀明石の二人が触れずにいたのだろう。あるのは山積みの段ボール箱だけだった。机すら用意されておらず、机上演習に使えるスペースもない。床をそのスペースとして見るのであれば充分過ぎるほど有る、と言えるが。しかしこの部屋の空調は稼働していた。小さな気遣いを感じて、お礼を言おうと振り返ると大淀が口を開いた。非常に事務的で、実務的な内容。口を挟む余地も無かった。
――そうなってしまうわよね。でも、仕方がないこと。
自分の撒いた種だ。今は受け入れる他無い。
苦渋があからさまにならないよう下唇を噛んで内容を聞き取る。これから提督としてここで働くことになる自分に伝えておくべき事項を事前にまとめていたのだろう。それらしきひとまとめの紙束をどこかから手に取っていた。きっとこの部屋に自ら用意していたに違いない。手作りのマニュアル――のはずだ。そのようなものがあるとは聞いていなかったから。しかし当の大淀の言葉尻にはトゲがあるように感じる。心苦しいばかりだ。
「提督には、我々艦娘を“管理”していただき、敵勢力、深海棲艦への反抗を実施する責務があります」
責務は『敵深海棲艦への反抗』である。この『反抗』という言葉には多数の解釈の余地があると思っている。実際、上層部の望むことは間違いなく『勝利』であろうし、守るべき国民が望むものは『安寧』である。漁民や商人にとっては『護衛』であり、既に被害を受けた難民にとっては『奪還』なのである。価値観と立場によって無数に色を変える言葉だった。
では、自分にとってはどのような意味を持つのだろう。
たった二人の艦娘からさえも警戒されるようなダメな提督で、全うできるのだろうか。
大淀は説明を続けてくれていた。どうやら知っていて当然のことを聞き入っている提督に対し、内心では『知らないのですね』と、ほんの一瞬くらいは思ったに違いないが、それでも彼女の優しい真面目さがそうさせているのだと思う。提督の頭の中は別のことで一杯だった。
大淀は言っていた。『我々艦娘を管理していただき』と。それは、提督の第一声が『艦娘は兵器である』と言っているも同然だったからだ。責任はこちらにある。彼女たちは戸惑いながらも職務を遂行してくれようとしている。
本心では――そんなこと。
思えるわけがない。
実際の彼女たちを目にした瞬間思った。彼女たちは人間と違わないではないか。事前に聞いていたことなど、ほとんど全て嘘だった。兵器などとは思えない。『思え』と言われたが、できるわけがない。そこにいて、喋って、感情豊かに――今は、提督を『嫌っている』。
本来艦艇に意思はない。それが彼女たち“艦娘”は違う。その揺らがない事実が、提督の胸を抉っていた。
――
「次に、近日中に偵察と、可能ならば敵の排除をせよと指令の下っている海域についてですが……提督?」
大淀は、感じていた気まずさと直面しないよう、なるべく資料を見て話していたのだが、それでも、提督の気配がこの部屋から解脱してしまったかのような――空気になってしまったかのような気がして、提督の存在を確かめるために顔を上げた。
その目に入ったのは、思案にふける提督の顔だった。かなり思い詰めていて、悲しげで、何かを憂いている。大淀の中の提督の印象が、その表情を見ただけですぐさま塗り替えられた。それほどに提督は……鬱屈した何かを胸の中に抱えているのだ、と理解する。
途端に大淀は、肩の力が抜けた。手元の資料、夜なべして明石と一緒に作った『マニュアル』は、きっとこの提督になら伝わる。そう思えた。あまり深いことまでは分からなかったものの、この人は、今の態度や言葉の冷淡さの裏に何かを抱えている。悩んでいる。
気難しそうに見えるかもしれないが、それは仮面だと思う。彼女は努力を無下にはしないし、親切を捨てたりもしないだろう。そんな人であると理解が及んだ大淀は、少しだけ――小さな一歩を、踏み出してみることにした。
「提督」
そっと呼びかけ、自分の胸元で小さく手を振ってみる。
「提督? 聞いていらっしゃいます? ねえ」
その動きで気付いたらしく、ようやく瞳に力が宿って、この世に戻ってきた提督と目が合った。だが次の瞬間には無表情に近くなり、冷酷な一面が表に出てくる。しかしそれは、嘘。
無言で用件を促す提督に対し、大淀は口元に微笑を浮かべながら言った。ちゃっかりと、小首も傾げて。
「提督、今日のお夕食は何がよろしいですか。……お刺身、とか……?」
この鎮守府に今のところあるものは、明石が作った釣具で釣った魚と、近々着任予定の『給糧艦間宮』が使用予定になっている食事・甘味処の厨房くらいだ。簡単な厨房ならばこの本棟にもあるのだが、明石に『いざっていう時に使える人が多い方がいいって』と促され、大淀が根負けし、あえて開業前の間宮の厨房を使うことにした過去がある。だだっ広い鎮守府に二人で居た中でも、思い出は既にいくつもあった。
提督は呼気を漏らし、顔も微かな驚きを見せた。
狭量な人間ならば間違いなく怒鳴る。しかし大淀には確信があった。提督は、そんな人じゃない。
「……ええ、任せるわ」
提督の心は揺れるだろう。もちろん掻き乱すようなつもりはないけれど、これで提督は『嫌われている』と思わなくて済むはず。少しだけ。ほんの少しだけ考えを改めました。
だから、提督が抱えている悩み、いつか聞かせてくださいね。
――
「この資料をどうぞ。それから、執務室はどうぞご自由にお使いください。家具など何かご用命なら明石の方へお願いします。それ以外のご用は大淀にお任せください。……では、私は、そうですね、私も、仕事をさせていただきます」
大淀の仕事とは、明石が言っていたことと同じようなものだろうか。つまり、提督着任までにやっていたことの続きということ。実際の業務は提督である自分が動き出し、戦力となる艦娘たちが集まって初めて行うことになるはずだ。
「それでは後ほど」
一礼して大淀は部屋を後にした。手渡された資料に目を落とすと、大淀の急変した態度についての考慮がようやく追いついた。
彼女は見抜いたのだ。提督の胸中にある押しつぶされた思いを。
上層部に提案し、ぼろっかすに叩かれ、打ちのめされ、踏み潰されてしまった思いを。
『艦娘はただの兵器ではない』。あの時の自分は正しかった。それを認められないだけの圧力が自分には有る。しかしもう、表に出すわけにはいかなくなったものだ。
『兵器に感情移入など無意味だ』
『そのような甘ったれたものはマイナスにしかならない』
『何が絆だ。我々は危機的状況にあるのだぞ!』
あの会議の場で振りかけられた言葉が再び突き刺さる。
自分も訓練を受けてここまで成長した兵士の一人だ。だから理不尽に思えるような物言いも無数にかけられてきたし、人間扱いされないような過酷な時もあった。怒鳴られるのは慣れていたが、あの袋叩きは……違うものだった。少なくとも、受け止める自分側の考えでは。
自分が女だからではない。総意に異を唱えたから、出てしまった杭を全力で叩いたのだろう。
『これは決まったことなのだ』
『どれだけ訴えようとも我々の総意は変わらない』
『君はただ従っていればいいのだよ。分からないのかね』
確かに逆らうのは間違いだ。上の命令に従うのが兵士。
それが如何な“提督”と呼ばれる不可思議な地位にあっても変わらない。上司は存在し、部下として艦娘も従えていくことになる中間職だから。
その場だけならば、嫌々でも、折り合いをつけながら上手に従ったことだろう。
だが問題はその後だった。会議に参加していた誰かから聞き及んだのだろう“鬼”が、直接説教を行うとして呼び出し、恨み辛みを全てぶつけるかのように、暴力を振るってきた。
承知の上ではあった。どこかで、こんな目に遭うかもしれないとは思っていた。
『艦娘は兵器』、『戦争には勝たねばならない』、『自分は命令に従うだけの存在だ』。この三つを嫌になるくらい叩き込まれ、ここに立っている。血が出るまで殴られたし、まともな声も出なくなるくらい叫ばされた。相手も自分と同じ修羅場を超えてきた女であったから、容赦など全くなかった。だからこそ――辛かった。
「……っ」
眩暈と不安が起こって、ダンボールに手をつく。
“提督”という特殊な存在は、この鎮守府が『昭和である』ということと同じくらい、艦娘の指揮系統に必須の存在で、自分が選ばれた。経験や訓練過程など関係なく、ただ、何故か選ばれてしまった。それが――その結果を生んだ。
そのことに嫉妬していたあの人は、喜んでしていたに違いない。
あの時の怪我は完治したが、心には今も刻み込まれてしまっている。恐怖として。
大淀はそれを見透かしてくれた。頼りになる娘であることは間違いない。
微笑もうとしたが、できそうになかった。引き攣ってしまい、頬を揉んで誤魔化した。誰に見られているわけでもないというのに。ここまで来たのだから、もう大丈夫なはずなのに。
――明石を探して、謝ろう。
鎮守府の大部分を締めると言っていい工廠は、絶対に見ておくべきだと判断した。
3
工廠ですることは艦娘の『建造』と装備の『開発』だ。少し気色が違うが、『入渠』を行う建物もあり、さらに道一本挟んだ施設では、艦娘本人の身体を労ることができるようになっている。健康ランドと言ってしまえばそれまでなのだが、艦娘の要望に応える形で、今後改築や改装を重ねることにもなるのだろう。今のところは温泉と気持ち程度の療養設備が用意されているとだけ聞いていた。
かつての戦争で、無数の艦艇が海の底へと沈んでいった。その艦艇から艦娘を生み出す技術のほとんどは非公開であるが、提督である自分には、ある程度までは聞かされている。
なんでも、妖精と呼べる存在が重要であるとか。精霊と言い換えることもできる概念的な存在で、特に艦娘とは切っても切れない存在であり、消滅することはあっても死亡することはなく、消滅した個体も何かの拍子に復活するらしい。
深海棲艦の研究の副産物のように進んだ科学技術は魔法のように変貌し、妖精の発見に至った。鎮守府にやってきて見学したときに感じた好奇心の視線は、間違いなくこの妖精たちのものだろう。
そうして水底に沈んだ艦艇の残骸から、妖精という存在を人間サイズにしたような“艦娘”を生み出す技術が登場した。
深海棲艦の跋扈により海底が荒らされ、海流も激しく乱されたことにより、沈んでいた艦艇の残骸も粉々に砕かれ、その破片が世界中の海に散らばったと、とある専門家が研究結果を発表している。それがどういうわけか研究のきっかけになり、過去の艦艇の残骸を用いて妖精の力を借りると――“艦娘”になるということが分かったのだ。
理論の完成からしばらくして、艦娘の明石と大淀がこの世界に誕生した。
乱れた海流によって大時化となっていた海岸に、残骸が打ち上げられていたのだ。妖精に精査してもらうと、これが明石のもの、これが大淀のもの、と教えてくれたそうだ。艦娘の誕生までにも時間は掛かったが、彼女たちこそが“深海棲艦に対処できる存在である”ということの方が、重大なことであった。
そして妖精たちの力を借りて青天井的に進歩した我が国の技術は、ついに鎮守府を建設、艦娘を用いた反抗作戦を実施することになった。妖精によって『提督』が必要であるとされ、自分が選ばれた。
指揮系統が複数あると、彼女たちの行動にも支障をきたすそうだ。つまり、提督という存在を外の世界との緩衝材にすることで、負担をかけずに戦いに集中してもらうことができる、と。
それはつまり『艦娘は人間ではないため、外の人間と関係を持つことは望ましくない』ということだ。どちらの立場に立ってみても正しいかどうかは分からない。人間らしい生活を望むような娘も居るかもしれないし、兵器としてでも戦えるだけでいいというような武人然とした艦娘も居るのかもしれない。例外の話をすればキリはないが、ともかくそこには艦娘たちの意思は介在していない。そして提督の意見も握りつぶされている。
「――」
ともかく、海に眠っていた残骸から艦娘を生む――それはまさしく魔法だった。
それでも一端の造船所のような設備が必要で、こうしていくつも棟が並んでいる。それは、艦艇の残骸を実際に用いたその艦艇のレプリカが必要だから。
妖精たちが協力して『建造』するのは、艦艇のレプリカだ。明石と大淀は実際の残骸を使用して建造され、具現化した。技術が不十分で艤装までは再現できなかったらしいが。
後に改良され、『艦艇の残骸の有無』は関係なくなり、妖精たちの気分次第で、ある程度正確な建造も可能になったそうだ。もちろん精度を確定的なものにするためには艦艇の残骸が必要だが、そのほとんどは、世界の海に散らばってしまっている。もし確実にこの世界に呼び起こしたい艦娘が居るのであれば――その残骸を見つけなければならないということだ。
今では、妖精たちに必要な資材を与えれば、彼らの気分で作られるレプリカを元に、艦娘を呼び起こすことが可能だ。正確さに欠けるものの、急場の戦力増強にはもってこいだった。
ここまで仕組みが分かっていても、具体的にどうやって妖精がレプリカから艦娘を呼び起こしているのかは――分からない。だから、魔法だと言うしかないのだった。
十分の一程度のスケールで作られるレプリカから、艦娘が生まれる。そのレプリカを作るための工廠に辿り着いた。
明石ならきっと、ここに入り浸っているはずである。
提督としての初の業務も、ここで行わなければならない。
執務室に置かれたダンボールの一つから取り出して持ってきたのは、初手に必要な物品だった。
脇に抱えていたその“鉄片”を持ち直し、工廠の鉄扉をスライドさせ、中に入った。
――
上官たちは『初期艦』というような呼び方をしていた。『一番艦』というと紛らわしくなるため、新しく作った用語なのだろう。提督にとっての最初期の艦娘、という意味だ。提督が初めて生み出す艦娘。
その選択は、既に完了していた。提督に選ばれた自分の最初の選択だった。
簡単な流れとしては、海流に乗って流されてしまった船の残骸は、今や海と、海に面する至る所に存在しうる。研究者たちは、提督と艦娘を用いた戦法をより確実なものとするため、戦力として確保するべき艦艇がもう一つ必須だと判断した。
つまり、明石と大淀の実現には成功したものの、艤装の再現はできなかった。大淀の艤装が完成していれば実戦投入も可能だったろうが、それもできなかった。
『艤装を装備した艦艇』が、この計画には必須だった。提督に預けるための戦力として、必須だったのだ。明石、大淀、そして配備予定の間宮も含むとして、そこにもう一つ必要な枠ということ。
政府はそれを受け、艦娘艤装具現化技術の確立と並行し、近海の調査を開始した。深海棲艦の侵攻が現在のところ落ち着いている海域で、広範囲の調査を行ったのだ。その結果得たのは、五ヶ所の海底に未知の金属が流れ着いているということだった。
五種の残骸は全てが駆逐艦のものと判断されており、提督として最初の選択は、その五種の内一つを、深海棲艦の隙を突いて一つだけサルベージする――というものだった。
五ヶ所に分散して同時に引き上げ作業を行う余力は残っていなかったため、やるならば一カ所に集中しなければならないとのことだった。そうして全力の護衛をつけた状態で何とかサルベージされた残骸の内一つだけが――“一つだけ”という点で、おおよその結果は察せられるだろう――手元に残った。
この駆逐艦の残骸を用いて妖精にレプリカの建造を要請すれば、百パーセント、この残骸の持ち主が艦娘となって現れることになる。
駆逐艦一隻から始まる戦争というと、なんとも非力に思えた。
明石を探す前に仕事を済ませようと残骸を持ったまま工廠をうろついていると、頭上に突然ふわりと何かが伸し掛かってきた。クモの巣か何かが落ちてきたように感じて咄嗟に手を伸ばすと、引っ掴んでしまった。
「……」
何とも言えない憮然とした顔……にも見えるし、どこから来るか分からない自信に溢れているようにも見える、小さな人――妖精を捕まえてしまった。
ツナギと言うべきなのだろう作業服を着ており、青い髪を結んでいた。手のひらサイズのほぼ二頭身。言葉は話さないがこちらの意図を理解する知性はあるという。
握っていた手を押しのけられて妖精がジャンプし飛び乗った先は、脇に抱えた残骸だった。
引っ張って奪おうとしたようだが力の差の前に諦め、提督の顔を見上げ、今更ながらの敬礼を一つすると、小さな指先が道の先を指した。
「そちらが作業場なのね」
小さいながらも豪胆だった。しかしその剥き出しの無垢さのようなものは、提督にとってただただ癒やしとなったのである。
鎮守府に入ってから初めて微笑んだ彼女は、妖精に従って進んだ。大小様々の配管が見える天井とコンクリートの床。鉄筋の油臭さと、どこからか響いてくる蒸気の音。工廠は既に稼働を始めている様子だった。
いつの間にか、鉄くずに乗って道案内をしてくれる妖精の他にも、もう一つ二つ、頭の上に重みを感じていた。もういきなり掴むというようなこともせず、妖精たちの好きなようにさせておくことにする。きっと似たような作業服を着た船大工たちなのだろう。
彼らが指差す方向へ行き、青塗りの鉄扉を開いた先が、建造ドックだった。まさに造船所であり、船のレプリカが建造されるためのスペースだ。足を踏み入れたことを合図にでもしたのか、広大な工場の天井にあるライトが点灯される。それでも無人のドックは、ややもすると不気味と言うこともできたが、実際に目にしてしまった妖精たちが大勢隠れていると思えば、何の事はない、彼らの仕事場である。
見たことのない機械が目に入った。四枚のパネルとツマミで目盛りを調整するアナログな操作盤がある。その機械に目を奪われていた隙に脇から駆逐艦の残骸を奪われた。気づくとわらわらと、大勢――いや無数の妖精たちが出現しており、作業服を着た妖精たちが指示を出すと、働き蟻のように残骸を運んで、目の届かないどこかへと持って行ってしまう。
その代わりに非常に大きな、まるで帳簿のような大判の冊子を置いていった。本の虫としか表現できない、未知の生命体を大事そうに抱えた妖精が小さなお辞儀をして去っていった。屈んでその冊子を持ち上げ、近場のドラム缶の上で広げてみた。
購入したばかりのアルバムのような、空白の図鑑であった。ページ数は目測で千ページはくだらないだろうが、めくれるだけめくったとしても、全部白紙であった。
しかしよく見れば、まるで写真を貼り付けてくださいと言わんばかりのそれっぽいのりしろがあり、そのスペースに写真を貼ったとしても有り余る余白は、きっと補足でも書き込めと言っているのだろう。
これは間違いなく、艦娘図鑑だ。既に覚えただけでも百、二百は軽く越える数の艦船たちを、ひとまとめにできる。とても便利だろう。妖精からのプレゼントに満足気に頷いた。
図鑑を閉じると、今度は工廠が動き出した。まず、先ほど目についたスロットマシーンのような機械が動作を停止した。入力はもう受け付けないということらしい。それから作業開始を知らせる警告灯が回転し、黄色の明かりを振りまく。カンカンとなる鐘の音と同時にクレーンが動き出し、さらに周りではみるみるうちに足場が組み上がっていく。丸太小屋の解体映像を逆再生したような光景がしばらく見られた。そうして一分もしない内に足場が組み上がる。数歩離れて全景を眺めてみると、既に船のサイズを想像できることに驚きを隠せなかった。
船の形を、足場を組む時点で把握しているのだろう。仮に足場全てに布でも張れば、船らし形ができあがるに違いない。
そして工廠の造船スペース一つにつき一台存在する、鳩時計のようなギミックがあるらしい巨大な機関が蒸気を噴き出し――その演出とのギャップがひどかったが――小さな扉が開いた。そこからカタカタと音を鳴らしながら空中に階段ができあがっていく。巻物を広げるようにして完成した階段を、先ほどの作業服の妖精たちが駆け足に下っていった。その後ろから、小さな段ボール箱を抱えたヘルメットの妖精も駆けてくる。
そして堂々とした風情の、ボイラーのようなその巨大機関の中央部のパネルが開く。
――『00:22:00』
数字のパネルが、カウントダウンを始めたのだった。
ようやく妖精たちの作業が始まる――と興味をそそられていたのだが、次の瞬間にライトアップが強力になり、逆光となって造船所を見上げることができなくなってしまった。足場が形作るシルエットしか見ることができない。
さらに作業服妖精が何か飛び跳ねながら指示を出すと、奥の機関がカーテンを吐き出した。天井に吊られていて、レールにしたがってカーテンが伸びていく。すぐに視界を遮られた。強力な明かりに照らされているカーテンの中から、すぐにすさまじい音が鳴り出した。耳を塞ぎ、すぐに走ってドックを後にするしかなかった。あそこにいては耳が飛んでしまいかねない。
どの道、あれではどの船ができあがるのが、判別できなさそうだ。妖精は気分屋であり、恥ずかしがり屋でもあるらしい。ある意味職人気質を極めているようにも感じた。
不思議なことにドックを出て扉を閉めれば音はあまり気にならなくなった。今度こそ明石を探しに行けるだろう。
――
明石は、唐突に建造ドックが騒がしくなったことを察した。少し前に妖精の数が激減したため、何かしらの動きがあったのだろうとは思っていたのだが、どうやら提督が建造を始めたらしい。戦力の増強ではなく、初期艦の建造だろうと判断した。
明石は、妖精たちが自発的に集めてくれるガラクタを使って、生活に必要なものを作ることが現在の趣味であった。そのために、元は倉庫として作られた場所を借りて自分の作業場にしてしまった。提督の許可を得ていたわけでもないため、見つかれば怒られて追い出されるかも知れないなぁ、とどうしてもため息をついてしまう。
――大淀も一緒かなぁ、立ち会ったほうがいいのかも……。
手作りの、足踏みペダルで回転させるヤスリを使ってバリを取っていた木の棒に、ふっと息を吐きかけてくずを飛ばす。これで最後の一本だ。後は組み立てるだけ。
もちろん金属を主に扱いたい。いつもいつも、赤く溶けた鉄の熱気と、溶接するときの独特の匂いなんかに楽しさを覚えてしまう、そんなダメな子だと自覚はあるが、今日は木材を扱っていた。いや、ここしばらくと言うのが正しい。
立ち上がり、できあがった“足”を持って、今度はブルーシートを敷いてある床から、同じように完成していたもう一本の足を手にとって見比べる。左右対称にできていた。組み合わせて三角形になるようにすれば立派な足となって――。
鉄扉が突然、開かれた。明石個人の空間でもあるそこにノックも無しに入ってくるのは、現在のところ提督しか居ない。大淀は律儀にノックをしてくれるし、こちらから出て行くまで入っても来ないからだ。……ノックに気付かない時なんかは、扉一枚挟んだだけの近距離なのに無線を入れてくるあたりも、面白いのだが。
「へっ? うわぁぁ! ちょっと待ってくださいね!? 今片付けるからぁっ!」
ブルーシートの端を持って材料ごと丸めて簀巻きにして端に蹴飛ばし、慌てて敬礼をした。
提督の仏頂面は相変わらず、騒ぎで舞い上がった埃に目を細めていた。
「お、大淀に聞いたんですか? 私がその、ここで……ガラクタいじりしてるって……」
本当ならば二十畳ほどある大きめの部屋なのだが、明石がしばらく使っていただけで壁際が大型工具と棚で埋まっていた。加工前のガラクタの山と、加工した後の材料の山が入り口から見て左右にあり、各種作業台の上も散らばっているし、手で使う工具たちも至る所にある。同じ工具だって何個も転がっている。この惨状を見れば、提督が怒るのも当然で――。
「……」
提督はそうして部屋中を目だけで観察したが、視線は先ほど簀巻きにして蹴飛ばしたブルーシートに止まった。
「――」
その顔は『何を作っていたの?』という疑問が見て取れた。一瞬だけ提督の顔のこわばりが取れて、柔らかくなったのだ。その表情が如実に疑問を浮かべていた。
「こっこれはその、えーっと、試作品みたいなもので……なんでも……ないんです……」
気まずさに負けて視線が床に落ちてしまった。
――提督の外套掛けとして作っていたんだけど、衣装掛けになりそうなんだよねえ……。
縦に長い外套掛け、コート掛けだったはずなのだが、慣れない木材加工で失敗作を量産し、材料も底をつきかけた。思いついたのは、えもん掛けを使って衣装を並べる簡素な衣装掛けだった。執務室に置いてもらえれば、衣服を掛けておける。
大淀にも言っていない個人的な製作だった。というより大淀は、この部屋で明石のやっていることを監視もしないし、口出しもしないのだった。
少し気色が違うかもしれないが、大淀が艦隊指揮を得意とするのと同じく、明石はこういうことをやりたくなるのだった。それをお互い分かっているのかもしれない。
「そう」
提督はこれ以上ないくらいシンプルな反応で、明石の混乱をすり抜けた。
そうして、まるで何か、言いたいことを物理的に飲み込んだかのように唾を飲んだ提督は、心にもないことを言うように口を開いた。
「建造ドックを動かしたわ。初期艦が着任次第、正式に提督としてこの鎮守府を率いることになるわね」
「はい! よろしく、お願いします」
返事だけでもしっかりしないと……、と張り切ってしまった。
「……」
提督は明石の顔を見つめ、言いたいことを言うべきか逡巡しているようだった。
言ってくれないと、もやもやする……。
明石は焦れていた。だが、コワイ人であるという印象を持ってしまった以上、何をどうすればよいのかが分からなくなっていた。
混乱に錯乱が加わりかけて、明石は自分も修理したいと思った。しかし自分の身体の中に電線が張り巡らされているわけでもなし、この場で自分を修理できるのは、自分の心しかないのだと言い聞かせる。
――提督とはできれば仲良くなりたい。でも、聞いていたより全然優しくなさそうだし、厳しそうだし……。
今にもこの工房を解体せよと命令を出すのではないかと思うくらい、提督の表情は、険しかった。
提督はふいに目をそらすと、身体ごと壁の方を向いてしまった。無愛想な無表情が崩れて、途端に憂いが見えた気がした。その横顔は――苦しそうだった。
提督の様子がおかしい。やっぱり修理が必要――いや、違う。提督は艦娘じゃないのだから修理は……違う、はず。
じゃあ何が効くかな。甘いもの? それともバットで頭を殴ってみるとか?
いけない、どうしても叩いて直すという観念がついてまわる。
提督は初期艦の建造のために工廠へやってきたという。大淀も居ない様子だ。それがどうして、こんな人知れず使っていた倉庫にまでやってきて、『提督業を始める』なんて報告をしたのだろうか。
自分が執務室の前でさっさと帰ってしまったから? わざわざ言いに?
そんな人なのだろうか。気まぐれという性質でも絶対にないだろう。迷子? そんなバカな。
迷路にはまりかけた明石だったが、ここで、思考が飛んだ。
――そうだ。建造をしたのだから、次は開発だ。提督は開発の指示を私にご用命に違いない。
――
「提督! 装備の開発ですか!? だ、だったら明石の出番ですね! お任せください!」
明石の提案に驚いてしまった。面食らってしまい眉が上がり、一秒の停止のあと頷いた。
「ええ」
明石が先に歩き出し、鉄扉をすり抜けていってしまう。
先ほど咄嗟に彼女が隠したブルーシートの中には、加工済みの木材が巻かれている。しっかりと組み上がるように『ほぞ』も付けられていたし、組み立てれば何かができあがることは違いない。何かは分からなかったが、作業の邪魔をしてしまったに違いない。
左右の手足が一緒に動いている明石は一人でどんどん歩いて行ってしまっている。このままでは置いて行かれると思い、早足に部屋を出た。
それにしても、謝罪を言えなかった。言うべきかやめるべきか悩んだ挙句答えを出せず、それが心苦しくて仕方がなかった。
こんなことでは、提督などできない。
揺れ動きすぎている。やろうとしていること、その決意に、また火を付けなければ。
今は、小さなことを悩むのは厳禁だ。やるべきことをやってから初めて、未来が見えてくるはずだから。
明石には悪いが――このまま自分を嫌っていてもらうことが最善だと思った。
明石の案内で装備開発の工廠へとたどり着いた。建造ドックの裏手になるのだろうか。改めて、工廠はかなり広いことを実感した。
道中、緊張を紛らわすためか、明石はしゃべり続けた。そもそも明石の私室にノックもせずに入ってしまったのは自分のほうで、なし崩し的にこうなってしまっただけだ。彼女の緊張の理由はただひとつ、やはり提督に対する印象の悪さだろう。
「そういえば、初期艦を建造しているんでしたよね? 何分でした? というか、あの大きな機関が動いているところ、後で見に行きたいです!」
「何分……?」
呟いてから、思い出した。ドックの巨大機関のパネルには、フリップ時計のようにパタパタとした数字が『00:22:00』を指して数え下ろしていた。
「二十二分だったわ」
「あ! それだったら大体の目安ですけど、白露型か朝潮型の駆逐艦です! 工廠とか建造については、この明石の右に出るものはいませんよ! といっても比べる相手が大淀しかいないんですけど」
これが普段の明石なのか、ただテンパっているだけなのかの判断はまだ付かない。
しかし彼女はやはり明るいのだろう。自分は聞く専門のようになってしまっているが、それで彼女の気が少しでも晴れてくれれば構わない。
ふと見てみると、明石の手足の動きは直っていた。ちゃんと歩いている。
「白露型か、朝潮型か……」
特に意味のある呟きではなかった。明石にも届かなかったようで、建造時間と妖精について舌が回っていた。
「やっぱり早いですよねえ! 駆逐艦とはいえたった三十分足らずで完成しちゃうんですよ? これは明石の推測ですけど、戦艦級でも多分、一日は掛からないんじゃないかなあ」
作るのは十分の一のレプリカ。されど材料は鉄という本物そっくりのものだ。おそらく最低限、船としても機能するに違いない。妖精は、どんな艦種でも一日以内に作りあげてしまうという。凄まじい技術だ。
「ここの妖精さんたちとは仲良くしてますけど、でも、どうやっているのかは絶っっ対に見せてくれないんですよねえ……。あぁ、早く見たいなあ……造船ドックの妖精ボイラー……」
妖精ボイラー!? そんな呼び方をしているとは思わなかった。
確かに見た目はボイラーだと思った。蒸気を吹き出していたし、中身の得体が知れないという意味では“缶”のようにも見えた。
しかし個人の見立てでは、あれは『巣』だ。蜂の巣があの丸い土の塊の中に様々な部屋と階層があることと同じ。蟻の巣もまた廊下によって繋がった各部屋の役割が決まっているように、あの機関の中には妖精の何かが詰まっているに違いない。そうでもなければ、納得できなかった。
明石はやはり工廠では頼りになりそうだ。素晴らしい知識を持っているし、不可思議な存在である妖精たちとの橋渡し役にもなってくれる。
彼女のトークを聞きながら時計を見やった。
「……あと五分よ。好きにしなさい」
「ふえ?」
唐突の言葉。
竹を割ったような正確であるはずの明石が、本当の何の考えもなく口から可愛らしいリアクションを漏らしたことが、自分にとっても少しだけ救いになった。
明石はドックの機関を見たいと言った。明石の工房を見つけるまでに時間も掛かったし、徒歩での移動も少し長い。今から五分となると、急がなくては間に合わないくらいだ。
そう思って――思っただけのはずだったが、言葉となって口から出た。
すっ飛んでいた理性が戻ってきた明石は、すぐに顔を輝かせた。
「いいんですか!? あの、開発の方は……?」
「これで充分よ」
大淀が作ってくれたマニュアルがある。ひと通りの説明があるため、案内は無くても構わないのだった。
「でも、案内は私が言い出したことですし……」
「……今後、私は常に全部門を監督できるわけではないわ。そういう時のため、ドックのことを知り尽くしている誰かがいると、将来的な問題が一つ片付くのだけど」
遠回しになってはしまったが、明石には伝わるはずだった。
明石は目を丸くして言葉の意味を追い、頷いた。
「ありがとうございます! 行ってきますね!」
最初はきっと、気まずかったことだろう。だが、それでも彼女のアクティブさが自然と案内へと駆り立て、そしてマシンガントークを繰り広げる内、いつもの調子に戻ったということだ。
きっと彼女たちは、提督は非常に不器用で、無愛想で、真意が分かりにくい、どうしようもない人間だと思っていることだろう。
彼女たちは海に出て、人類の敵と戦わなければならない宿命を背負っている。背負わされている。
そんな艦娘たちにとって、それがたとえ人間一人の悩みであっても、余計な重りとなってはいけない。
だから打ち明けることもない。自分はただ、板挟みになって潰されてしまった、歪な人間であるという風に思われていればいい。
仕事はこなす。与えられた責務を果たすまで、提督の戦いは終わらない。
終りが来るその日まで、“彼女たちを使うしかない”呪縛が、提督の肩にはある。
「――」
歯噛みする。拳が固くなる。
――それが何故、“彼女たちと戦う”ではいけないのか。
4
装備の開発方法をひと通り確認した提督は、初期艦との対面を果たすために建造ドックへ戻った。明石が見てくれていたはずだし、呼び起こされた艦娘は実際に迎えに行くまで外に出られないとマニュアルに書いてあったから、行かなければならなかった。
明石は、建造ドックの青扉が開く音に反応してすぐに振り返って、明石らしい言葉で完成を教えてくれたのだ。『初期艦がもう完成したみたいです! たのしみですねー!』と。ドックにある妖精ボイラーの稼働状況をつぶさに観察したのであろう。抑えきれない様子の興奮状態は、提督に対する印象さえも乗り越え、普段通りの明石であった。
提督は満足な返答もできなかったが、妖精ボイラーの膝元に歩いていった。
艦艇のレプリカは背後に存在する。鉄の重厚感をカーテン越しに感じ、シルエットでも立派な船が存在することは明らかだ。中からの作業音も聞こえない。妖精たちも休養に入ったかのようである……いや、ここにいた。
妖精ボイラーの足元に行くと、ツナギを着た見覚えのある妖精たちが提督に向けてバンザイをし始めた。
――かわいい。
「……できたのね」
「白露型! 誰だろう? やっぱり一番艦かなあ? 煙突とか――装備は……ここからじゃ見えないかー……」
明石は明石でレプリカに興味津々のようで、ぴょんぴょんと跳ねたり、額に伸ばした手を当てて観察したりして、シルエットから分かる限りの情報で船を特定しようとしている。それができる人ももちろん居るだろうが、自分はそんな自信はない。よほど特徴的でなければ――例えば、とある戦艦などはひと目で見当をつけるくらいはできるだろうが――分からない。
現に明石は『白露型』であると特定しているらしい。明石の知識が本物かどうか、確かめてみようではないか。
「ここを押すのね」
妖精の一人がトンカチでボタンを叩いている。何故か英語で『GET!』とあった。
この工廠を設計したのは一体、どこの誰なのだろう。遊び心なのかミスなのか、それとも雑な作りなのか……よく分からなかった。
しかし妖精――おそらく棟梁と思われる青髪ツナギの妖精――のドヤ顔を見るに、もしかすると工廠の外側だけを人間が作り、中身は全て妖精が作ったのではないだろうかとさえ思う。
昔を思わせるスチームパンクさと、魔法のような効果を数えきれないほど実現する妖精の機械。……自分の推測は、もしかしたらかなり正確に的を射た可能性があった。
固そうなボタンだったため拳で押した。目測通り固いボタンだったが、カチリと押し込まれると同時にボイラーが少しだけ唸り、背後のカーテンの中身が凄まじい光を発した。背中を向けていてもなお目が焼けるかと思うほどの強い光。真っ白になったのは一瞬で、光はすぐに収まった。そしてさきほどまでバンザイしていた妖精も……消えている。
そしてGETボタンのすぐ横にあった、人一人が出入りできそうな扉の向こうに、気配を感じた。
背後のカーテンも消え、レプリカも消滅していた。明石もそれに気付いて声を上げる。すぐに振り向いて言う。
「いよいよご対面ですねー!」
「……そうね」
外からハッチを開けなければ出られないようになっているようだ。培養カプセルの液体を抜かなければならない行為と同じような気がして、個人的には気が引けた。
手をかけようとした瞬間、大淀が鉄扉を開いて駆け込んできた。
「大淀?」
明石もそんなに急いでどうした、と言わんばかりだった。
少しだけ息を切らしていた大淀は真面目な顔になって、義理堅さ溢れることを言う。
「大淀も、記念すべき初期艦の誕生の瞬間に立ち会うべきかと思いまして」
提督は大淀の言葉に小さく、本当に小さく頷き、今度こそバルブに手をかけて回し、扉を開いた。
扉はそれほど重くはなかった。触った感触は間違いなく鉄だったのだが、やはり何かが違うような気がする。そんな不思議に軽い扉を開けた先には小部屋があり、中に一人の少女が座っていた。
青く透き通るような髪はとても長く、小部屋の壁際にある腰掛けに居ても床に落ちてしまっているくらいだった。清楚で動きやすそうなセーラー型の制服を着ていて、腰元に鮮やかな彩色の宝玉のようなアクセサリーがあった。まん丸の瞳が小部屋を開けた提督の顔を見てぱっと輝くと、その場で立ち上がって――頭を打った。
「うわぁん! いたぁーっ!」
「大丈夫!?」
明石が駆け寄って、そっと寄り添いながら外へと誘導した。入り口にも頭をぶつけないよう、二人は相当腰をかがめて出てきた。中の小部屋は、改良の余地がありそうだった。
「うぅぅ……」
「あちゃー。たんこぶになっちゃいそう……」
新しい艦娘の髪をかき分けながら、ぶつけた頭頂部付近を観察して明石が言う。少し赤くなっていて、すぐにも腫れてしまいそうだった。
「明石」
大淀が心配そうに見ていて、提督は扉に手をかけたまま石像のようになってしまっていた。
それでも新しい艦娘の少女の姿はしかと見ており、二人よりも小柄であること、これが“駆逐艦サイズ”であることなどを考えていた。
内心では明石のように心配している。怪我をしたならすぐに入渠ドックに移さなければ――。
「痛いの痛いのー、飛んでけー! はい! 応急修理完了したよ! どう? 治った?」
明るく振る舞う明石だったが、対する青い髪の艦娘は涙目のままだった。
「治らないです……」
「えぇー? この明石さんの修理が効かない?」
おどけるように言う明石。しかし、見た目以上にしっかりしているのは艦娘の特徴なのだろうか。小学生か中学生という見た目ではあるが、彼女は潤んだ瞳のまま明石の手をそっと退かし、小さくお礼を言うと、提督に向いた。
「五月雨……っていいます! 護衛任務はおまかせください!」
敬礼と、健気な笑顔だった。
白露型駆逐艦『五月雨』。明石の予想は的中しており、駆逐艦であることも事前調査の通りだった。妖精の技術、艦娘の呼び起こしに関連する一連の全て――完成していた。
艦娘から見れば違和感のない出会いだったのかもしれない。
だが提督から見れば、十才前後の娘が、自分の頭にできたたんこぶのことも放っておいて、真っ先に提督への挨拶を優先した。この五月雨という少女――艦娘は、何か強引な手段でそうするように刷り込まれているのではないかという疑念が、ふっと湧いた。
そんなこと、あって欲しくはない。だが――大本営が望む提督像にとっては、こうすることこそが最も効率的だということも理解できる。
悲しみと納得が共存し、どんよりと曇りかけた心に、大淀が横からさっと風を吹かした。
「五月雨はいい子ですね。でも、艦娘にとって怪我は大事です。それは昔から変わりません」
少しだけ説教するかのような、教師のような風格を出して人差し指を立て、言う。
「提督、この子を入渠ドックに連れて行きましょう」
「えぇ!? いきなり……? あのっ」
五月雨も困惑するように大淀を見、提督を見た。
「私は大丈夫です! このくらい、へっちゃらですから!」
「提督はそんなことは望んでいません。怪我をしたままでは、満足な性能を発揮できませんから。提督、よろしいですか?」
提督が言えないことを大淀が全て代弁した。それと同時に、自分の怪我を押してまで立場や任務を優先しなくていい、ということも言い含めている。素晴らしすぎる補佐役だった。
「ええ」
そして何より、提督に対しても説明を兼ねていた。五月雨や他の艦娘たちには、何か『刷り込み』がされているのではないかと疑った提督に対し、目の前で五月雨を優しく諭した大淀は、やんわりとその事実を否定していたのだ。
『刷り込み』とは、洗脳に近い。だからこそ提督は嫌悪感を抱いたし、懸念した。しかし洗脳とは、優しく諭したところで解けるわけもない呪縛である。もし五月雨にそのような束縛が存在するのであれば、大淀が教師の真似事をするように茶化しながら言ったところで、五月雨は決して納得しないだろう。そこで、『ご自身でお確かめください』と提督に決断を迫ったのである。
それに対して提督は頷き、五月雨に呪縛があるのかどうかを確かめようとした。
もしそのようなものがあるのであれば、五月雨は意地でも挨拶を続けて、すぐに正式に配属しようとするだろう――と。
大淀は、そうならないことが分かりきっていた。そんなものは、無いからだ。
五月雨は健気に、自らそうしたにすぎない。艦娘として誕生したその瞬間から、まるでずっと人生を歩んできて、ふとその小部屋の中に待機していて、これから新しい場所での暮らしが始めると思ったから、じゃあ、これからお世話になる人には、まず元気に挨拶をしよう! と決めていただけである。ちょっとしたドジでたんこぶは作ってしまったが、挨拶を忘れていたことに気付いた五月雨は、慌てて口走ったに過ぎなかった。自己紹介のために教室に入ったまでは良かったが、そこで躓いて転んでしまい、でも強がって元気な挨拶をしてみせる――そんな微笑ましい光景だったに過ぎない。
逆に言えば、提督は、そこまで歪んでしまっていた。
そんな、他人から見れば不器用すぎる提督の扱いも、大淀は既にマスターしていると言ってよかった。彼女がいてくれてよかった。心からそう思う。
それは、五月雨の照れ笑いを見て、確信へと変わった。
「じゃあその……修理を、お願いします!」
隣で大淀が満足気に頷いていた。提督も目の動きで頷く。明石が五月雨の肩に手を置いて呼びかけた。
「んじゃ行こっか! こっちだよー!」
二人はそうして歩いて行き、やがて工廠を出て行った。
その背中を提督と大淀、二人揃って見送っていた。自然と、そうしていた。
無言。沈黙が続くと思われた。大淀としては提督の次の仕事を見越して何かアドバイスを……と思っていたのだが、ふと提督を横目で見た大淀は、ぞわりと、感じた。
提督が、かつてないほど真剣な顔をしていたのだ。それはこれまでの無愛想且つ無気力そうな、生気のない人形のような顔ではなかった。なまじ美人である提督がお面のような顔貌であると、寒気がするほど怖い顔となる。本人はそれに気付いているかは分からないが、あのままではこれから出会うだろう艦娘たちも絶対に怖がってしまう。そう心配していた。しかしその表情は、何かを抱えて悩んでいる提督に、新たな、そして確かな決意が生まれたことを表していた。
大淀は直感したのだ。そして自然と背筋が伸び、その頭の動きで眼鏡がズレてしまった。
そして提督はそんな大淀の様子を知ってか知らずか、口を開いた。
提督のクセであると思われた、言葉の前になにか考えるような間を置くことも無かった。
迷いなく、自信に裏付けされた決意がそこにある。
――ついに、この人が動き出す。
――“本当の”この人は、資質がある。だから選ばれたのだ。
――今はこんなだけど、この人は絶対に、私達を導いてくれる。
――暁の水平線、その彼方に、勝利を刻むことができるだろう。
大淀の確信は、少しばかり時間を掛けて、全員の知るところとなる。
その第一歩が、ここから始まった。
「これより明日にかけて、五月雨を含む六隻の水雷戦隊を建造にて編成、近海への訓練出撃を命じます」
「はい!」
「大淀は明石の手が空くまで工廠の監督を。明石と交代次第、艦娘による作戦要項をまとめて執務室へ持って来なさい」
「了解しました!」
5
初期艦として五月雨が着任した鎮守府は、立て続けに建造を実行し、戦力の拡充をはかった。その用意が整ったのは翌日の午後であった。あの後は、大淀の宣言通りに用意された刺し身を食べ、近況の整理を行い、五月雨と明石は入渠の縁からか相応に親しくなったようだった。
大淀は夕餉を四人で共にしようと提案していたが、提督は首を振った。代わりに、三人で集まって食べるよう提案をし、自分は一人で食事を終え、独りで諸々の準備を済ませていた。それが明るみになった時、大淀は当然、苦言を口にする。
「提督、本当に海へ? いくら演習海域とはいえ、海に出ることそのものが危険だと聞いています。無茶はなさらないでください。……いえ、はっきり言わせてもらいます。危険です。やめてください」
大淀の進言は尤もだ。提督はほとんど徹夜で建造された艦娘たちと顔合わせをしていて、夜中でも時折起きて工廠に顔を出す明石と共に最低限のことはしていた。それ以上に、朝になってみると埠頭には漁船を改装した船が一隻停泊していたのだ。大淀は提督が心配だったし、海のことは艦娘に任せて欲しいというプライドのようなものもあった。
「どうしても折れてくださらないのなら、私も同行しますよ。それでも構いませんか」
むしろその言い方では、一緒に行かせて欲しいと言っているようにも聞こえる。
「では鎮守府のことは明石に。私と大淀で演習に同行し、訓練を見学するわ」
「……分かりました。伝えます」
まだ心配そうに頷く大淀。海が危険であることは明白だが、提督はそれを望んでいた。
大淀にはまだ気付かれていないが、提督は海で、やりたいことがあった。
彼女は怒るだろうか。それとも、ただ驚くだけだろうか。呆れ返る可能性もある。
この提督は未だに何を考えているか分からない――そう失望するのだろうか。
騙すような真似をして、申し訳ない。しかしタイミングとしては、今しか無いのだ。
「……大淀、鎮守府の運営開始は大本営へ報告済みかしら」
「いえ、訓練出撃ということで正式稼働ではないと判断していました。報告しておきますか?」
頷いて答えておいた。午後の出撃を前に報告を入れておく。今後は、上から次々に指示が飛んでくることになるだろう。提督と大淀は漁船に乗り込み、艦娘たちの着水を待ったのだった。午前の内に最低限の基礎を見た。全員の顔と名前も一致させた。提督としては、準備は完了していた。
――
今朝の総員起こしの後、朝食の場で伝えた集合時間を前にして、艦娘たちが埠頭へと集まり始めた。水雷戦隊を編成すると決めていた提督はそれを有言実行していた。建造は、物言わぬ妖精たちの働きによって上手くいったと断言できる結果となっている。
計十二隻、十二人の艦娘が建造された。二つの戦隊を作ることができるよう、軽巡洋艦ニ、駆逐艦十となっている。非常にわかりやすく簡潔な構成となった。
明石と大淀によると、艦娘は呼び起こされてこの世界に受肉した瞬間には、この世界についての知識がある程度身についているという。
それは、建造されたばかりの駆逐艦『響』によると“海の記憶”のようなものらしい。
非常に詩的で、とても具体的な回答ではなかったが、艦娘の先輩である二人も、そして何より提督自身も、その回答で納得した。海が持つ記憶を付与されて、この世界に再び降り立つのだ。
海とのつながりが極めて強い艦娘たちの原型が――残留思念のようなものを蓄積した記憶ということなのだろう。
その仮説を元に、提督はその後建造された新たな駆逐艦『夕立』と『時雨』に質問を投げかけた。二人は白露型の姉妹艦ということで、五月雨とも仲良くできそうだ。
『コンビニとは何か、分かるかしら』
その質問に二人は思い思い首を傾げ、『分からないっぽい』『聞き覚えはないよ』と答えている。あまりにも近代的なことは伝わらない。だからこそ鎮守府は昭和でなければならない。それを確かめた提督は、次に生まれた軽巡洋艦『那珂』で、度肝を抜かれた。
彼女はしきりに『アイドル』という言葉を使っていたからだ。しかもその概念も理解しているようだった。残念ながら提督には『アイドル』という言葉がその当時にも広まっていたのかが分からなかったが、那珂の解釈は非常に現代的であった。
『アイドルはぁー、みんなの憧れで、みんなの太陽なんだよ! きらりーん☆』だそうだ。
確かにそのような趣はある。暗喩のプロパガンダを歌唱喧伝するような存在ではないと理解しているのだ。性格的に不安はあったが、那珂も那珂でしっかりとした艦娘であった。マイクは自身の指の一つかのように自然と持って、さらに主兵装の艤装に関しては『小道具』と言っていた。アイドル然としながらも、中身は他の娘達とそう変わらないようだった。
さらに、睦月型『如月』は不相応の大人っぽさがあった。その方向性はともかく、この時点で提督は、艦娘の個性があまりにも強いことに愕然としていた。個性の強い娘と出会う度に提督の心はざわついて、その度に揺れた。
『吹雪』『白雪』『初雪』『深雪』『磯波』は比較的統一性のある艦娘だと判断した。特型駆逐艦として世界を震撼させた艦型であり、同じデザインの制服を着て、みな心根は真面目で、明るく、頑張り屋なのだろう。……初雪だけは、例外かもしれないが。
最後に那珂の姉妹艦『川内』が着任を果たす時にはそろそろ夜も明けようという頃合いだった。川内曰く『朝……か。どことなく眠いね』らしく、寝ぼけ眼のままぼんやりと那珂に連れられていった。
十二人、二つの水雷戦隊を編成できるようになった。提督は迷わず二人の軽巡に旗艦を任せ、一方は初期艦五月雨を含む白露型の三人と響、如月に入ってもらった。もう一方は特型駆逐艦で固めることにした。
全員この世界に受肉したばかりだというのに、きっと一晩を通じて折り合いを付けられたらしい。一度に多くの仲間ができたことがむしろ効果的だったのだろう。
人数が少なければ、必然提督との関わりの密度が違ってくる。提督が大淀によるところの『難しい人』であることが知れ渡るまで、少しばかり猶予ができたということもできる。
提督はそれを避けたとも言えるし、早い内に鎮守府を戦力として稼働させるべきと判断したとも言える。
だがそれよりも、提督は、メトロノームのように揺れ続けてしまう自分自身に折り合いをつけるために、やるべきことがあった。
――
艦娘たちは海を走る。艤装を装着した彼女たちは氷上のように水面を滑走し、移動することができる。主機は脚部の艤装と、背負っている機関部だ。そこが海上での移動に関わっていると思われるが、詳しい原理は明石でさえも説明できないようだった。しかも艦娘によっては背負う機関部がない場合もあった。五月雨は背中に魚雷発射管があり、機関部らしきものは見当たらないためだ。同型の駆逐艦であっても、装備の違いがあるようだ。
提督と大淀を載せた改造船舶を輪形陣で取り囲み、演習海域への出撃を果たす。
漁船の左舷には仮称第一水雷戦隊。川内を旗艦とし、特型駆逐艦がメンバーに固められている。
右舷は同じく仮称第二水雷戦隊。那珂を旗艦とし、初期艦五月雨たち白露型が主なメンバーを務める。
川内と特型駆逐艦、那珂と白露型駆逐艦は相応に昔馴染みの記憶があるようで、埠頭にて顔合わせをした時から、まごまごするようなことさえなく、自然と馴染めているようだった。『久しぶり』や『また戦えるね』などの会話はあった。それは、艦娘が自分たちの役割を理解しているという明石の言と一致していた。彼女たちは呼び起こされたその瞬間から、戦う準備ができているのだ。
まだこの世界に呼び起こされて一日にも満たないとは思えないくらい、意志が強く、はっきりと自我を持ち、連携さえ取ることができる。
とはいっても五月雨は波に躓いてコケていたし、引き起こそうとした夕立を巻き込んで加速、止まりきれずに特型駆逐艦の列に突っ込んだりしていた。あやうく深雪にぶつかるというところだったが、磯波が引っ張って助けていた。小心者らしい彼女だが、やる時はしっかりとしている。
そんな様子を見て笑っていた川内を傍目に、吹雪が五月雨にコツを伝え、白雪が補佐に回って五月雨を立ち上がらせた。安定して航行できるように、午前を使って港付近で練習をした。その後艦娘たちに任せる形でお互いの連携を取らせてみた。大淀の助言もあって、そのほうがスムーズにいったことは明らかだった。
那珂はやや明るすぎる応援をしながらもちゃんと旗艦として先導していたし、響は教えることがないと那珂に言わしめるほど完璧な航行をし、如月も安定していた。むしろさっさと艦娘としてのコツを掴んでしまった彼女は、ノルマを終えるとすぐに提督のそばにやってきて、『ご一緒させて?』と迫っていた。提督が反応できずにいる内に大淀に追い払われたが、戦列に戻る時にもゆるやかに手を振っていた。
――
一度昼食のための休憩を挟み、演習用装備であることを再確認させ、補給をし、再度出撃となった。
演習海域が安全かどうかは、鎮守府にある基地電探で調べられる。その防衛用の電探に敵艦の反応はないようだ。港に一時帰投した際、明石がそう報告にやってきていた。昨夜の内に少々手を加えていたことは気付かれていなかった。しかし明石の責任にするわけにもいかず、提督はこの時明石にこう伝えていた。
『基地電探は設置時に歪があることが確認されているわ。不具合がないかどうかだけ、これから念のため点検をしなさい』、と。
明石が快活に答えた直後に出撃し、大淀はそれからになってようやく考えがまとまったのか、疑問を口にした。
「……提督、基地電探の不具合は報告されていません。大淀、見覚えが無いです」
「そう」
「提督、何をお考えですか?」
その質問には答えられない。だが、彼女たちを信頼しているからこそ、やりたい、確かめねばならないことがある。
提督は大淀に伝える。全艦へ通達させた。
「演習海域は最新の調査によってやや南方面に変更になっているわ。約十五キロ南へ目的地を変更、針路を修正しなさい」
言った通りのことを、漁船を操縦して行う。輪形陣がやや崩れかけたものの、しっかりと進路変更が行われた。
「……提督、“また”です。私が把握していない情報で、いきなり作戦に手を加えるのはやめてください。私たち艦娘も、混乱してしまいます」
「……」
提督は、無言だった。
――
「もうっ」
大淀は耐えかねたように海図を広げた。手早く距離を測って、提督が口にした南十五キロの目的地を算出し、声を上げる。
「えっ?」
大淀が事前に書き込んでいた演習海域を表す緑の円から離れ、南西方面にズレた中心点から、同じ直径の円を描く。円が重なっている部分は僅かしかなく、ほとんど別の海域と言える場所だったのだ。
演習海域とは、安全が確保されていて、地上からの防衛が届く範囲でもある。同じく描かれた地上基地による防衛範囲の円からも、わずかに離れている。
「提督。目的地は――安全ではありません。地上からの支援も届かない危険地帯です! 今すぐ目的地を再修正するよう意見具申致します!」
提督の頭のなかにも、大淀が描いたような海図が入っているのは間違いない。
演習用の計画を二人で立てたのだ。提督が知らないはずがない。
ならば提督の指示した進路変更は、提督にとって、計画通りということ……。
「却下よ」
「そんな――!」
しかし大淀の一存で全艦に忠告することはできない。ならばせめて、危険地帯であるということだけでも伝えたい。
「提督、彼女たちは演習のつもりでついてきています。装備も演習用で、実戦には使えません。このままもし安全ではない海域で演習を行うつもりなのであれば、彼女たちにはそれを知る権利があります、いえ、知っておかなければなりません。全艦に通達させてください」
「そうね。『海域は不安定で、安全と危険の緩衝地帯である』と伝えなさい」
言い方にごまかしを感じる。引き返すことも、提督の指示がなければできない。それに現状、提督が引き返すとは到底思えない。大淀は、言われたことをそのまま伝えるしかできなかった。
だが、伝える前に、提督に言う。
「提督、艦娘たちを沈めるおつもりですか。そうなのですか? だとすれば、私は、大淀は決して――」
「断じて違うわ!」
「っ」
提督が――怒気を露わにした。
決してそんなことはしない。
声にははっきりとした力が入り、大淀でさえ固唾を呑んで言葉が出せないままになるほど鮮烈な、決意だった。
提督は片手で舵を握ったまま、右手は手頃な高さの操作盤の端っこへと置いて、体重をかけた。それは思いつめている人が無理やり言葉を吐き出している時にする行為だ。
「――あの娘たちに渡した装備はね、私が夜の内に『塗り変えた』もの。だから演習用の橙色をしているけれど、中身は本物の装備。妖精に装填させて引き金を引けば、本物の弾頭が撃ち出される。――これは、演習ではないのよ」
提督は、五月雨の建造を開始したあと、明石の案内で装備開発を行うため開発工廠へと入った。明石は道中で建造ドックへと走って消え、提督は一人で装備を検めたのだ。
ひと通りの装備を開発してみた後、主に駆逐艦用の装備である12.7cm連装砲の弾丸を手にとった。普通の銃弾にも見えるが、妖精の力によって艦娘用のサイズへと圧縮された本物の砲弾である。威力は、申し分ない。そんな装備を見て、閃いたのだ。
艤装に装填する弾頭を演習用に偽って装備させる。そうして――初陣へと駆り出す。
提督がそうした、という意味。
「うそ……そんな――」
大淀は提督の考えを理解できず、固まった。どうして初陣でいきなり、実戦をさせるのか。
危険海域にまで出張って――何をさせるつもりなのか。
分からなかった。
練度も無く、戦闘訓練さえ行っていない十二人の艦娘たちをいきなり海へと連れ出した行動を、どう正当化するというのだろう。
全くセオリーに反している提督の行動は、大淀にとって、正気とは思えない沙汰だった。
それでも何とか大惨事を防ぐために、自分にできることを探る。そうだ、まずは『この海域は危険である』ということを全艦に伝達しなければ。
大淀は無線通信で周囲を航行する艦娘全員に危険を知らせる。そして余計なことだとは思いながら、命令にないことだということを理解しつつ、もう一言付け加えた。
「提督の判断が私には理解できない状況です。皆さん、何があっても、無事で帰ることのできるよう精一杯――」
今度は漁船に搭載されている無線機が声を受信した。大淀も声の相手が明石であることに気付いて、言葉を止めてしまう。無線機越しに明石が何を言うのか、願わくば平和ボケしたいつもの明石であって欲しかった。
だが――。
『提督! 明石です。提督に言われて基地電探の点検をしたんですけど、本当に歪んじゃってました。おかげで防衛網に一部観測不能な場所ができてたみたいです。今ちゃちゃっと修理しちゃいましたけど――って、えっ? どうしてその海域に? そこ、さっきまで観測できてなかった場所ですよ!?』
防衛網に穴が開いていた。明石はそれに気付いたのだ。
大淀は知っている。電探に不具合など無かった。その不具合を指摘したのは提督で――。
つまり、提督が自ら工作して私たち艦娘を裏切るような行為をしている。
昨日、提督に対して誓った信頼は――間違いだったのだろうか……?
大淀の中には解答が存在しなかった。この状況、提督が何をしているのかが、全く理解できない。考えるための筋道すら立てられないのだ。
何故そんなことを? 何故こんな危険なことを? 提督は、自殺でもするのではないか――。
「明石、そのまま海域の監視を続けなさい」
無線で短く指示した提督は、海原の向こう、水平線の彼方に双眼鏡を向け始める。
左手では舵を握り、右手で双眼鏡を使う。その顔は真剣そのもの。生気のないあの顔ではなかった。
大淀にとっては信頼できる顔のはずだった。
だが、提督がしていることは一体なんなのか。その疑念が晴れない以上、素直には頷けない。
「提督……」
その背中に、ぶつける。
「提督! 私を蚊帳の外にするのだけは、やめてください!」
互いに、見えにくい信頼の糸が繋がっていたはずだ。何か悩みを抱えていた提督のことを理解し、大淀は歩み寄り、提督もまた――少しだけ応対に変化があった。
もう相棒同士のように思っていた。それが、こんなにも訳の分からない状況に立たされることが、こんなにも不安だなんて。
提督が怖いのではない。提督の考えが読めない、自分が怖い。信じていた自分の力が、思ったよりも大したことのないものだったと突きつけられているかのようだ。
これはすごく、嫌だった。
大淀は提督を信頼しようと思っていたし、大淀自身、自らの力に疑いは持っていなかった。
だから、唯一無二の提督の考えを読み取ることのできない自分は、提督に必要とされていないのではないか――その考えが何より、怖いのだった。
提督にとって必要なことならば協力する。勝利のために必要ならば全力を出す。全身全霊を尽き果たす覚悟がある。それを――無駄にしないで欲しい。
「――」
提督は双眼鏡を置き、振り返った。鋭い目つきで、大淀をまるで睨むかのようだった。
しかし違う。それは分かる。大淀にとっての提督は今、怒っているのではないはずだ。
ただ――気が立っている。
まるで猫が、体毛を膨らませてハリネズミのようになってしまっている時のような。警戒心と闘争心、言うなれば戦闘態勢に入った人の顔だった。
提督は今、戦っているのだ。
何を隠そう、自分自身と。
――
奮い立たせるのだ。進化の過程で弱まってしまったはずの人間の本能というものを総動員して、自らの命を脅かす存在を感じ取れ。
それが、自らに与えた無理難題であることは承知だ。
艦娘の感覚には敵わないだろうし、目視では限界がある。
しかし、建造されたばかりの艦娘たちに電探装備はない。この海域が安全ではないと聞かされた彼女たちも、同じように目視で警戒行動を取っているはずだ。もしかしたら索敵能力は対等かもしれないし、そうではないかもしれない。
それでも提督は、自分が真っ先に敵を見つける覚悟だった。
着任初日、昨日の大淀との打ち合わせは途中で切り上げてしまったが、大淀も確かに認知していたではないか。
『近日中に偵察と、可能ならば敵の排除をせよと指令の下っている海域について』。
深海棲艦の侵攻は本当に静かだ。じわじわと忍び寄る影のようなのだ。既に、この国が把握できている中でも太平洋の大部分は敵の出現地点になってしまっている。
特に、鎮守府の建設が遅れたことで、『南方海域』と名付けられた太平洋南部の島々が戦禍に飲まれたばかりだ。つまり、そこにあった国もまた、絶望的な状況にあるということ。
こちらの戦力を鑑みれば、南方海域へ偵察を行うことさえも自殺行為だ。何をどうしようとも、南方の島々を“今”救うことはできない。
それは、提督として決断したことだ。南方海域への進出は、いくら上層部が望もうとも不可能だ。現在の鎮守府にそのような力はない。例え強行偵察などを行ったとしても、被害が出るだけである。
だが本当の問題はそこではない。問題は、南方の“島々”が飲まれたということ。
深海棲艦は、艦娘と同様、海の上で本領を発揮するとされている。特に確認されている深海駆逐艦イ級を始めとする異形の敵は、陸地に上がることがそもそもできなさそうなのである。
それは事実として、領土が深海棲艦に侵されていないことが証拠となる。
国内が、特に陸地が安全圏にあるのは、ひとえに深海棲艦が陸に上がれないからという説明ができる。もちろん侵攻という形で攻撃を受けた南部の島が存在するが、駐屯していた海外の軍と自衛隊が協力し、これを打ち破っている。
乗り上げたクジラのように無力だった、と報告がなされたとも聞いている。
深海棲艦は、陸の上からならば撃退できる。人類が海に出ることさえ諦めれば、防衛を固めるだけでも何とかなるかもしれない――。最終的にはそんな後ろ向きな意見を述べる者も居た。
だが、南方海域に点在する諸島が次々に占領されたという事実が、これを揺るがす。
もちろん我が国は最新鋭の軍事力を持っていて、当初は陸地の防衛も可能だったと言える。充分な戦力があったのだから。
だが、そのような充分な戦力を持たない、持てないような小さな島では、事情が変わった。
抵抗する軍隊はなく、市民の抵抗など蚊の威嚇であった。
深海棲艦は“島”を占領することができる。そこに根を張り、拠点とすることさえ可能になったということだ。
現に南方海域の情勢を聞きかじったところによると、人類の安全はもはや無いとさえ言われていた。
つまり島に居た人々は、救いのない地獄に居るということ。
未知の敵に侵攻され、すみかを奪われた。故郷を奪われたのだ。
深海棲艦はそうして、陸地へと侵出する手段を確立していくつもりなのかもしれない。
ノウハウを培い、いずれ大陸をも占領する心積りなのかもしれない。
――これは充分に有り得る話だ。
だからこそ、知っておきたい。
知らねばならないのだ。
信頼する艦娘たちよりもまず――人間である自分がやるべきこと。
それは――深海棲艦を、海の上で、人の手によって倒すこと。
それができなければ――――。
「提督! 私を蚊帳の外にするのだけは、やめてください!」
大淀の声に、何も繕わずに振り返ってしまった。大淀は一瞬だけ怯んだようだが、瞳は強く提督を見つめており、やはり揺るがない信頼を感じる。
「何なんですか! 演習用の弾に偽って本物を持たせたり! 明石には、あなたが壊した電探の修理をさせた! こうして海に出てからも、大淀を大淀として扱ってくれていません!」
申し訳無さの火種が燻る。鎮守府に来てからというもの、この火種が鎮火したことは一度もなかった。艦娘たちにとって、自分のような提督はどう映るのか。それを思うと、申し訳無さが消えることなどあり得なかった。
大淀には一際、辛い目に合わせてしまっている。
だから提督はただ、願っていた。
願わくば、人類にも、希望がありますように。
それを確かめることができれば、大淀にはすべてを話そう。
大淀の懇願するような瞳から逃げるように、提督は自動操舵に切り替えて、船の中へと入った。小さな階段を下って就寝用の狭いベッドのある通路を抜け、そこに用意していたケースを三つ、抱えて外へと戻る。
大淀はまだそこに立って、いじわるな提督がする次のいたずらを見る風に、何も言わず非難を続けていた。頬をふくらませ、肩を怒らせている。
三つのケースを漁獲作業用の台の上に置いた時、二人のもとに明石から無線通信が入った。
『提督、基地電探に小さな敵艦反応です。あまり確かじゃ無いかもしれないですけど――』
反応は弱いだろう。深海棲艦の数は、減れば減るほど見つけにくいと聞いている。実際の船舶でも同じことだ。
さらに輪形陣の進行方向、正面に展開する二人の駆逐艦、『五月雨』と『吹雪』からの報告も続いた。
『十二時の方向に、敵艦発見です!』
『司令官! どうすればよろしいですか!』
すぐに指示を出そうとする大淀を手で制する。
「第一、第二水雷戦隊、速度をこの船に合わせ、それぞれの隊列を単横陣へと変更。回避に専念させて」
「……了解です」
気落ちしている様子の大淀だったが、すぐに指示を飛ばす。遠くに見える艦娘たちが、やや戸惑いながらも手信号で意思疎通をはかり、そのまま、提督の乗った漁船を中心にして、両翼へ展開した。
提督はその間に三つのケースを抱えて、船首へと乗り出していった。船の速度は、なんと……ゼロであった。エンジンは稼働しているが、スクリューを動かしていない。
海上で停止した船の上で、大淀は提督を追う。そして目にする光景で、いよいよ、大淀は諦めることにした。
提督がケースから取り出したのは、陸自から貰い受けた最新式のミサイルランチャーだった。熱源誘導のミサイルを発射し、ロックオンした場所、機体、車体、船舶などを攻撃できる。
現代の戦争では極めて優秀な性能を誇る装備であり、兵器だ。人間が扱える中でも、特に際立っていることだろう。
「提督……それは一体……なんですか? 噴進砲でしょうか、大淀……はっきりとは見たことが……ありません……」
自信を失っているのが自分でもはっきり分かる。身体に力が入らなくなっているのを感じた。
これが、失望なのだろうか。
「後ろには立たないで。危ないわ」
大淀は慌てて提督の横へと並ぶ。船首から海を見れば、遠方に黒い艦影が見て取れた。紛れも無く敵艦であり、深海駆逐艦イ級であった。
この海域は危険であると散々言われた。確かに、危険だろう。
鎮守府近海ではあるが、昨今の南方海域の情勢からするに、深海棲艦は『本土上陸』を果たすために偵察艦を出す。それは充分推測可能だった。
島の占領手順を確立しながら大陸への進行方法を模索していると思われる深海棲艦と、その深海棲艦に立ち向かわんとする大陸側……厳密にはその前の島国にある鎮守府。敵にとって目下の敵は、紛れも無くこの国だ。この国に向けて偵察をしないわけがない。
仮にあれが『はぐれ艦』だったとしても、偶然にでも敵の情勢を偵察して帰還することができれば、向こうにとっては朗報となってしまう。
どちらにしても、叩かなければならない敵なのである。
電探に細工をして防衛網に穴を作り、それを敵側にも察知させた。罠を警戒したのだろう深海棲艦は、使い捨ての駆逐艦を投げて寄越した。そもそも陸地に近づけば痛い目にあうということは、彼らが一番よく知っているはずだ。防衛網に穴があったとしても、決して大群で押し寄せたりはしないと、分かっていた。だが索敵できるチャンスであることは間違いなく、最低限の戦力を送り出すことになるだろう、と。
「だから、実験に選んだのよ」
「……はい?」
「敵が駆逐艦一隻か数隻というだけなら、十二人の“未知の戦力”である艦娘を前にして、奴らも大きな手は出せない」
そう、深海棲艦にとっても初見であるはずなのだ。艦娘との戦闘は、この場所、今この瞬間が初めて。駆逐艦一隻とはいえ、深海棲艦も無闇矢鱈な行動はしないと思われる。
「……」
「自殺行為はしない。それは、大陸が侵攻を受けたという報告が無いことからも明らか。深海側は南方海域で大量の土地を奪い、資源を手にした。そこで一旦休止状態に入ったの。大陸を攻めるための確実な方法を見つけるまで、敵は主力を出さない」
「提督……?」
「私は今、艦娘を盾にしてでも、海の上で人類が戦う方法を考えているのよ。こんな悠長な実験ができるのは、本当に、“今”しかないのだから」
深海側の動きから、タイミングとしては、今しかない。遅くなればなるほど、敵に準備の時間を与えてしまうから。そしてもう一つ理由がある。提督個人の問題。大淀に投げかけた『今』という言葉は、彼女が思うよりも重い。提督にとっては、まさしく今しか無いのだ。
通信が届く。駆逐艦よりも視野が広い軽巡の報告だ。
『那珂ちゃんより報告でーす! 敵艦は移動を停止ちゅう♪』
『こちら川内。敵はこちらの射程ギリギリ外だよ。このままじゃ撃てない。なんで停まってるの?』
「――このタイミングを、待っていたわ」
肩に担いだランチャーのスコープを除く。起動しているシステムが熱源を探し、ロックオンをしようとするのだが――エラー音が鳴るだけで、ロックオンできない。
「報告通りね」
海上で深海棲艦に一方的に蹂躙される要因の一つはこれだった。
現代兵器の『熱源誘導』は、一切効かない。だからミサイル兵器は彼らにとって、取るに足らないものと化してしまったのだ。座標誘導ならば着弾までは可能だが、命中させることは至難の業となってしまう。つまり、大昔の大砲と変わらない命中率しか出せないといっていい。
このランチャーは想定通り無用の長物だった。次のケースから、もう一丁のランチャーを取り出す。
今度は、赤外線誘導。レーザーを照射し、照射地点への着弾を促すものだ。対深海棲艦ならば、まだこちらの方が使えると聞いている。
事前に望遠スコープもつけた。レーザーが敵駆逐艦の黒光りする巨体に照射されていることを確認し、発射した。
白煙がランチャーの後方へと噴出し、けたたましい音と共に、ミサイルが海上を滑るように走る。まるで艦上攻撃機の雷撃体勢のようだった。海面スレスレを飛行し、確実に船体をぶち抜けるように魚雷を撃ち込むため。
大淀の認識はそうだった。ミサイルという武器を知らなかった以上、提督がしていることが攻撃であるということしか分からなかった。その光景を目にできたのは、漁船に一番近い両舷に居た二人、如月と磯波だけだった。提督は漁船から何かをして、敵深海棲艦に自ら攻撃をした――と。
提督はレーザーの照射が外れることのないよう、膝をついてブレを抑えていた。それでもやはり射程が遠すぎたのか、照準のブレは避けられない。
「お願い――当たって――」
真っ直ぐに、白煙を吹き出しながら海上を突っ走るミサイル。敵もその接近に気づき、回避をしようと船体を右へ向けた。舵を右に切ったのだ。
だが、僥倖だった。敵駆逐艦は、実際の船と同じく、正面から見ると的としては小さい。横っ腹を見せてくれるというのは、的が大きくなったということ。
――当たる。
確信した。その瞬間、海の向こうで爆煙が上がった。遅れて爆発音も響き渡る。
二本目のランチャーは役目を果たした。提督はすぐに三つ目のケースに手を伸ばし、中身を組み立て始めた。しかしそれは、大淀もどこか見覚えがあるものだった。陸軍の所有物で詳しくは知らないが――確か“迫撃砲”というのではなかったか。
「大淀、船を最大船速に変更。戦隊ごとの単縦陣二列、複縦陣でついてくるよう伝えなさい。戦闘態勢!」
「了解!」
戦闘という言葉に呼応するように身体はすぐに動いた。操縦桿を握って手動運転にし、漁船が動き出す。
途端に安定しなくなった船上で、提督は迫撃砲を組み立てる。この射程は短いが、当てなければならない。手元に集中しながら、大淀に呼びかける。
「敵の動きを報告しなさい!」
イ級の姿は、ミサイルの爆煙から飛び出してきていた。現在も船体左から怨念を吐き出しているかのように黒煙が上がっている。ダメージを与えたと見て間違いないようだ。
イ級の行動を把握した提督は、ケースの中に緩衝材で固定された弾頭三つを見下ろし、生唾を呑んだ。
「距離二百で針路を左十五度へ変更!」
イ級は後退を始めようとしている。そのまま背中を向けて遁走するつもりのようだ。
だからそれを追うようにしてイ級の左舷に全艦を付ける。もしこの攻撃が無効であったとしても、同航戦へと持ち込むことで艦娘たちが一方的に攻撃を撃ち込める。
敵の駆逐艦の砲塔は正面に付いているからだ。逃亡するための背中を追えば、こちらに損害は出ない。
全艦の針路が折れ曲がり、イ級の左舷へ滑り込める位置まで来た。
「舵を零時に戻して! 同航戦に持ち込むのよ!」
大淀もそれは分かっていた。通信しながら舵を切り、特殊な陣形を敷いた艦娘一同が、イ級を射程内に捉えた。
「射撃待機! 私の指示まで待て!」
提督の指示を大淀が伝えている間に、提督は、迫撃砲の発射管に砲弾を落とし込んだ。
耳を塞ぐと、甲高い音を立てて砲弾が空を飛んだ。
高いアーチを描き、標的に近い海面へと落ちた。高い水柱が上がり、鈍い爆発音も届いた。
すぐに狙いを修正、二発目を発射する。
イ級がその音を聞いて警戒したらしく、急に速度を上げていく。
「――逃がさない」
提督は二発目の着弾を待たずに、三発目を発射した。これが最後だ。
偏差射撃を行った。一発目の着弾が思ったよりも正確だったのが幸いしたし、イ級が回避運動を取ることもなかったのが何よりの幸運だったのだろう。二発目は着弾前に夾叉すると確信があった。そして三発目は、速度を上げたイ級に合わせて、空へと舞い飛んでいった。
海上で使うことなど無いであろう迫撃砲弾が、イ級の頭部へと、直撃した。
悲鳴とも取れるような微かな声が残響のように聞こえてくる。
提督はそのイ級を倒したかどうかの判断だけに集中した。目を凝らし、固唾をのむ。
「――――」
たった三つの装備で二発の着弾を与えた提督の射撃能力に感嘆する余裕さえなく、大淀もまた、提督が望んでいるものを見極めようとした。
船の縁を掴んで船体の外へと身を乗り出している提督。さらに指示通り単縦陣を維持してついてきた二つの水雷戦隊は、砲塔を構えたまま待機している。
「――――」
イ級は、身体から吹き出す黒煙の量が見るからに増えていた。
この漁船と同じくらいかさらに大きい身体。先ほどまでは、海上を進むイルカかトビウオのように豪快に波をかき分けていたその身体が、沈んでいく。
速度も落ちていき、もはや正常な航行さえできない様子だった。
敵は航行不能であった。このまま放っておいても、消えることだろう。
だが、提督は感激に打ち震える身体を抑えるように俯き、満足気に何度も頷いた。
人類に、希望は残されている。海の上でも、それは変わらない。
そして、大淀に伝えた。
「――全艦、全砲門、斉射――!」
突き抜けるような夏の青空、その青空からやってくる光を飲み込み、深い群青色となっている広大な海。真っ更な空間に、無数の爆風と爆音が轟いた。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
第二幕へ続く