0
工廠から出た提督は駆け足で、外周を辿って建造ドックへと入った。その一区画に集められた鉄くずの山の前に行くと、停めてあったリアカーに積み始めた。重い物軽い物、大きさも様々で劣化具合も十個十色の鉄くずたちを可能な限り積載し、工廠を出て行く。全力を振り絞って運び、そして所定の場所にて載せたものを全て下ろす。リアカーを空にして、また工廠に戻り、そして鉄くずを集め、工廠の外、周りに何もない空き地から海の中へと鉄くずを投げ入れていった。
三度繰り返して充分な数だと判断した提督は、明石に渡されたケースを持って、やるべきことをするため、自分の周りで起こったすべての出来事に決着を付ける作戦を実行に移したのだった。
1
大音声の汽笛で敵の存在を知らせてくれた護衛艦だったが、海域を安全に脱出できる保証は無かった。実際に搭載されたレーダーが深海棲艦らしき反応を観測し、それを目視にて確認した直後から、深海棲艦には目をつけられていた。
遠すぎてはっきりと確認できなかったことが災いしたのだ。敵の戦艦が戦艦であるということが確定できず、護衛艦は不意打ち気味の至近弾を受けてしまった。
鎮守府の湾外で受けた重巡の至近弾とは比べ物にならないほどの威力で、装甲の薄い現代護衛艦は一時船体が傾いてしまうほどの衝撃に耐えねばならなかった。
歴戦の英傑の一人である艦長の的確な指示で夾叉を避けると、護衛艦は即時離脱を図る。第二斉射の狙いは大きく外れ、その装填の最中に最大出力による全力逃走が可能となった。
レーダーにある反応が追ってくる気配なかった。これは僥倖である。深海棲艦は目下の敵と判断したものを狙う傾向にあり、場合によっては追撃戦も厭わない。お互いの脅威判定もできるらしく、劣勢と見れば退避もするし、優勢と見れば追ってくる。しかし、それをしなかったということは、深海側には何か考えがあるらしいと判断するのが妥当だ。
現代の戦争では、見つかれば終わりというものが定説だ。そうするように技術が進歩していったとも言える。だが、深海棲艦との戦いはまたひと味違うことを海兵は身に沁みてわかっていた。結果的に『逃亡』が一番の選択肢であることが非常に多いのだ。
見敵必殺は通用しない。むしろ見敵逃亡が最善手であり、生き残ることを最優先しなければならない。そして深海棲艦もまた『見敵必殺を信条としているわけではない』のだ。彼らなりの考えがあって行動していることは明らかで、扱いとしては、非常に巨大な蜂の巣と似ている。
例えば深海棲艦の艦隊と鉢合わせしてしまった場合は、こちらがすぐに針路を変更して大きく回避するようにすれば、よほど怒らせたのでもなければ追ってくることはない。しかしそれでも、彼らのその時の目的が『警戒』であった場合は、領海内の標的を狙ってくることもある。
誰かが突っついた巣から出てきた蜂に追われるという理不尽も存在するが、こちらが彼らにとって脅威でさえなければ襲ってこないこともあるということ。
そして艦長の経験からすると、深海棲艦の主な目的は『通商破壊』にある。その次が『脅威の排除』であり、『偵察と哨戒』があり、最後に『殺戮』がある。
つまり人類の船で最も狙われるのはタンカーなのだ。だからこそ国同士の貿易が壊滅的になってしまった。これにより、深海側も油や鉄などを欲していると断定することにもなったのだ。
そして次は軍艦。深海棲艦に対して脅威であることに違いはないため狙われることになるのだが、こちらに攻撃の意志が無いことを明らかにすれば、先ほど述べたように逃亡できることもある。偵察隊に見つかった場合も同様で、すぐに海域を離れれば問題はない。最後の目的は滅多に見られない。特に、海が危険であると周知された現在においては起こりえないと見て間違いないものだ。つまり、客船が狙われる事態である。蜂の巣を突付いてしまった客船が沈没する悲劇は、艦長も何度か実際に目撃していた。乗員の救出も困難を極めるため、二度と経験したくなかった。
艦娘はこの序列の一番目と二番目を同時に保有する新たな輸送手段であり戦力でもあるため、深海棲艦の前に人類のタンカーと艦娘が現れれば、恐らく艦娘が最優先目標となるだろう。
だからこそ、艦娘たちが大勢で待機してくれていた現在の状況において、艦長は真っ先に逃亡を選択した。汽笛によって艦娘たちが気付いてこの海域にやってくるまで生き残ることができれば、すれ違いにやってきた艦娘たちが引き受けてくれる。
――そうせざるを得ないというのは、孫を持つ男としては心苦しい限りなのだが。
しかし、常に最善手を選ばならければならない立場である彼がこれ以上の無謀を犯すことは無かった。部下を信じて艦娘を信じているからこそ、生き残ることができるのだから。
艦娘は、対深海棲艦における最善手。それを駒としてみるか人としてみるか。
彼女たちを讃えることはあっても、奴隷のように扱うことだけは、心情が許さない。
艦長はそれでも、彼女たちを盾にすることを選ばなければならなかった。
彼女たちは希望でありながら、大事な尖兵だ。その二つを一緒に掲げ、彼女たちの意志で世界が救われることを何より望んでいる。
この戦いがその始まりになるのであれば、彼女たちの戦う意志に賭けよう。
それを導く、提督に賭けよう。
彼女たちを送り出す立場である提督が、彼女たちの戦う意志を引き出す。
それは人でも艦娘でも変わらない。
艦長である自分が奮い立たせなければ、兵士が立ち上がることはないからだ。
人と艦娘は紙一重で違うものだが、同時にその程度の違いしかない。
どちらとも言える曖昧な存在でありながら、確たるものはいくつも、数えきれないほどある。
人は人であり、艦娘は艦娘だ。
それを理解し、許容できなければ――艦娘との共存さえできなくなる。
それを知ってか知らずか是としてしまった上層部の信頼は失墜するだろう。
その駒として使われてしまったことを理解した我々兵士たちもまた、考えが変わるほどの大失態だ。
人類に対する裏切りとさえ言える鎮守府への攻撃計画が暴き出されれば、もはや提督と艦娘たちを目の敵にする者は居ない。
彼女たちが紛うことなき人類の希望であることを疑う者も排斥されていくだろう。
しかしそのまま、彼女たちを崇拝する者だけが残っても意味が無い。
メビウスの輪のように、この相反する二つの意見は、さらなる先の両端で繋がっている。
艦娘は希望だ。もっと戦わせて救ってもらわねばならない。
艦娘は兵器だ。もっと戦わせて勝ってもらわねばならない。
言っていることが同じになってしまうのでは、何の解決にもなっていない。
その輪を断ち切らなければ。そんな不毛な意見の争いは、消し去ることが望ましい。
――だから。
この希望は、提督に託す。
この熱望は、提督に託す。
その解決手段しかないのだろう。
彼女は揺るがない地位に身を置き、全てを受け止めなければならない。
だから彼女が“提督”なのだ。
この戦争において、絶対的な立場に居なければならない人間。
すべての意見を飲み込み、すべての解決を託される運命。
艦娘と人類双方が提督に負担をかけることで支えあうことができるようになっていく。
そう遠くない未来では、きっと、両者が尊重を覚えて、いつの間にか共に戦う運命の道を歩くことになるはずだ。
艦長はその未来を見届けるために、部下と共に、生きるのだ。
2
駆逐艦五月雨は初期艦として生まれ、必然出番も多く、いつの間にか経験と練度を蓄えて、艦娘の中では無意識的に一目置かれる存在でもあった。しかし駆逐艦は駆逐艦同士の繋がりがほとんど平等で、かつて所属していた駆逐隊や実際の姉妹艦であることを問わずみんな仲がいい。それは五月雨から見ても変わらず、別段、初期艦だからといって無理にいろいろ任されるようなこともなかった。
そして今日の出撃も、主力艦隊に盛り込まれるのではなく防衛線形成の方へと駆り出されていた。全力の対空戦闘を行ったものの鎮守府は戦火に飲まれ、黒煙を吐き出し続けている。
自分たちが守れなかった場所で、提督の命もどうなったのか分からない。
みんなからすると冷たく無機質な提督だという話だが、五月雨はそっと思うところがあった。
初期艦として生まれた自分を最初に迎えてくれたのは提督で、大淀と明石も居た。
自分のドジでできてしまったたんこぶを治すことを優先してくれた提督のことを、忘れてはいなかった。
後に明石が思い悩んで提督を糾弾する胸の内を吐露した後、自分たちは明石の部屋に行って話し合った。『提督の正体を暴いてしまおう』と。
その計画も動き出して、明石が告発したことでやってくる内部調査員から、提督のことを聞き出そうとしていた。しかし直前になって明石が『みんな少しだけ待機。作戦は中断。鎮守府にやってくる調査の人は、しばらく触っちゃダメ』と手回しの手紙で連絡してきたのだ。
明石が言うには『かなり怖い人』だという。さらに理由として『大淀が真剣な顔でそう言っていた』という凄まじい説得力があったため、駆逐艦たちは慄いてしまい、結局『調査員を捕まえる』という作戦は、呆気無く流れてしまった。
時雨は明石の悩みを真剣に捉えていたからこそ言い出したことであるし、不知火も事態が好転すればという思いで協力してくれた。そのため二人には申し訳ないことになったと明石も謝っている。だが、その代わりにと明石が提案していたことを、駆逐艦たちは忘れていない。
『提督は、少しだけ事情があってみんなに冷たくしてしまっていたけれど、本当は仲良くなりたいと心から思っている人だと分かったの。正体を暴こうって意気込んでいたけれど、そんなことするまでもなく、提督は自分から明石に歩み寄ってくれた。みんなが明石のことを心配して提案してくれたことは本当に嬉しかったし、本当に提督のことを丸裸にしてやろうって思った。でも、それはやっぱりなし。その代わりみんなでやりたいことがあるの』
五月雨は、明石の手紙を時雨たちと共に読んでしっかりと頷きあった。
提督との間にあった誤解が解けてよかったと喜んだのだ。
詳しいことは書かれていないけれど、それはきっと、明石の口から言うべきではないと判断したからに違いない。いつか提督自身から聞ける時が来るはずだから。
だから、明石が提案したことに協力しよう。そうすれば提督とも仲良くなれるはず。
そう信じて、出撃している。
潜んでいた敵主力を発見し、自分たちは潜水艦撃沈の命を妙高から受けた。難しいが、妙高たちが引っ張りだした潜水艦を横からなぎ払う作戦だ。そのため、一番練度の高い五月雨が先頭を行くことにした。これはみんなから任されたのではなく、五月雨がやるべきだと自ら言い出したことだった。
絶対に成功させなければならないことだから、少しでも経験が長い自分がやる。
過去に色々と失敗をしてしまった経験もあるし、艦娘となった今でもその傾向がある五月雨ではあるが、みんなを率いたかった。普段なら失敗はして構わない。だけど、失敗してはならない時に失敗することは、嫌だった。
だから一生懸命、頑張らないと――!
3
『綾波です! 戦線に復帰します!』
通信が入って、それを受け取った妙高は、すぐにこちらの座標を伝えた。戦闘海域であるため、綾波を待っている時間は残念ながら無い。しかし、一人でも戦力が増えるのは歓迎だ。
そして綾波の通信の後に、今度は作戦司令室から大淀の声が届いた。
『全艦に通達します。大淀が作戦指揮に戻りました。妙高さん、現状報告をお願いできますか』
相手との距離はギリギリだった。それに、右舷側遠方には既に味方の駆逐艦隊が見える。
「残念ですが、その時間はありません。すぐに深海棲艦と戦闘を開始致します」
『分かりました。敵主力艦隊の撃滅はそちらの指揮にて完遂してください』
「はい。必ずや仕留めてみせましょう」
通信を終え、妙高は気を引き締め直す。大淀は無事。きっと提督も無事ということだ。
無線封鎖を行う。深海棲艦とは離れた場所で既に打ち合わせは済んでいるため、後はこちらの行動だけ。深海棲艦がこちらの無線を傍受している可能性はいまのところ分からないが、それでも万全を期すものだ。
傷の増えていた護衛艦とのすれ違いを終え、敵の狙いは完全にこちらになっているだろう。護衛艦を追って来なかったことも幸いし、敵主力は、そこに留まっている。
海の只中にまるで取り残されてしまったかのように。
すれ違いざま、護衛艦とのモールスでのやりとりによれば敵戦艦の攻撃を受けたという。それでも追ってこなかった深海棲艦は恐らく、警戒状態にある。近づくものを排除しようとしているのだ。
無力になってしまった空母を守ろうとしているのか、それとも孤立してしまってどうしようもなくなってしまっているのか。
どちらにせよ叩くなら今。潜水艦を排除さえしてしまえば戦艦と殴り合うことで勝利が近づく。戦力だけなら、こちらが圧倒的有利だ。
目を凝らしていた妙高は、敵戦艦の主砲が火を吹いた瞬間を見た。
「回避!」
何が、などという言葉は要らない。この状況で撃ってくるものは戦艦しか居ない。
単縦陣がS字を描くように曲がる。自分たちが通過したばかりの海面に着弾し、巨大な水柱が吹き上がる。海の飛沫を全身に浴びながらもターンを続け、敵の狙いを混乱させ続ける。
さらに戦艦は気付いたことだろう。自分たちの左舷方面から別働隊が近づいていることに。距離のある主力艦隊を叩くべきか、近くから奇襲を狙っている駆逐艦を狙うのか。
駆逐隊の狙いを見破ったならば、狙いは駆逐艦たちに向くことになる。だが、その頃にはこちらが射程に入っている。妙高は部隊に直進を命じ、ほとんど同時に、主砲を構えた。
「駆逐隊を援護します! 全重巡、主砲用意!」
「了解!」
妹たちの重なる声の後、はっきりと三隻の水上艦が見える距離になって、ついに砲撃戦が開始となった。
「撃ちます!」
妙高が引き金となり、全員の主砲が火を吹いた。狙いはこの際外れることを前提にしても構わない。敵戦艦の狙いを定めさせないことが目的だからだ。
反動が腹を打つ。衝撃が駆け抜ける。発射音の方は不思議と気にならないのだが、発射の衝撃が身体を抜ける感覚は、まるで至近距離で花火が炸裂したかのようだ。しかしそれが好きだという艦娘も居る。
「これよこれ! この時を待っていたの!」
そう、例えば――足柄とか。
妙高は自弾の着弾を確認し、敵戦艦の脇に控えていた軽母ヌ級が直撃弾を受けて爆発したことを見て取る。
「軽空母一隻大破! 再度回避運動を!」
敵に損害を与えたということは、こちらが敵にとって脅威になるということ。戦艦の主砲がやってくるはず。
予想通り、装填を終えた第二斉射もこちらを向いた。しかし狙いは外れ。左側で水柱が立った。
「潜水艦への警戒を開始! 軽巡前へ!」
龍田と多摩の二人が単縦陣の先頭へ。潜望鏡か、それとも魚雷の航跡を見逃さなければ、回避もできる。潜水艦相手の索敵は、専門家とも言える軽巡に任せる。ソナーは無いが、経験で物を言わせるしかない。
艦娘の動きの素早さは、こういう時にこそ真価を発揮するものだ。船ではどうにもできないタイミングでも、艦娘であれば間に合う。
直進をする単縦陣。敵戦艦は、より接近してきた駆逐隊を狙う。第三斉射はそちらに向いた。駆逐艦たちが素早い動作で回避を終え、難なく水柱を置いてけぼりにしていった。駆逐隊も牽制の砲撃を行いながら、さらに加速していった。
同時に、深海棲艦に動きがあった。すぐ隣で駆逐艦隊の直撃弾を受けて軽空母が爆沈したのを見た空母ヲ級が、戦艦さえも置き去りに単艦で逃亡を図ったのだ。それが逃亡であるとは断定できないが、とにかく味方から離れ始めた。
予想外の動きではあるが、こちらがやることはまず、潜水艦の撃退だ。
もう充分に近付いた。さあ、いつ仕掛けてくる――?
――
五月雨は艦隊を率いて単横陣を展開。敵戦艦の主砲がこちらに向いたことを見逃さず、隙のない回避行動で危険な攻撃を無駄なく避けきった。さらに一回限りの砲撃も放つ。大破していた軽空母が音を立てて爆発した。
「回避に集中しながら、爆雷投下準備をしてください!」
今後の砲撃戦は重巡のお姉さんたちに任せる。戦艦を倒す装備は持ってきていないから、そうするしかない。
「探信儀に感有り! 潜水艦を発見したよ!」
時雨が声を上げる。足元の艤装から水中に音波を発信、潜水艦をついに捉えた。
提督が警戒していた潜水艦を仕留める時が来た。
その数、三隻。潜水艦の反応は三つだった。
計六隻の編成は、艦娘にとっても深海棲艦にとっても都合が良い。何より実際の艦隊よりも直接的な指示を出しやすく、役割分担を明確化することでどんな場面でも対応可能でありながら、さらに活躍の場もできる。まだまだ練度不足の艦娘たちにとってもありがたいのだった。いずれ全体の練度が上がれば、もっと人数を増やした行動もできそうではあるが。
深海棲艦にとっては、六隻以上集まった場合、人類側に察知されることを知っている趣がある。事実として現在南方海域に集中している深海棲艦側の戦力は人類の知るところとなっていて、深海棲艦相手に本来の性能を発揮できないような大型レーダーでも検知できるほど『違和感』を発信してしまうのだ。大きく展開すれば位置が発露する。そのため小さな編成で細々とした行動を執ることで、自分たちの優位を取ろうとしているのだろう。
さらに、その海域全体でどれだけ力を持った深海棲艦が集まっているかという脅威の測定結果があるように、個々の艦隊の動きは分からないが、深海棲艦が巨大艦隊を展開している海域は把握できている。だから提督はそれを元に、現在は南西諸島海域、沖ノ島に向けて侵攻を開始しようとしていたのだ。そこに強力な深海棲艦の溜まり場あると、知っていたから。
この敵主力も、そして鎮守府のある半島に近づいてきた艦隊も、どちらも六隻だった。十二隻――天龍たちが遭遇した艦隊を合わせれば十八隻――の艦隊だった時は護衛艦にも察知できる戦力だったが、それを二つの隊に分けたことでレーダーから消失。充分に近づかなければ発見できないように、隠れたのだろう。
さらに時雨が声を上げる。
「魚雷の発射音! 釣られたみたいだね!」
時雨の感知した潜水艦は妙高たちの方へ向かって魚雷発射した。
通信で伝えている間はない。こちらはこの隙に潜水艦の頭上を通過し、爆雷を撒かなければならない。
「爆雷投下――今です! 撒いてください! やぁっ!」
駆逐艦の速力を活かした突撃。潜水艦の頭上を間違いなく通過しながら、艤装後部に装備している爆雷投射機を使って広く展開。単横陣による、水中への絨毯爆撃だった。
鎮守府が受けた空爆と同じような密度の攻撃で、魚雷発射直後の隙を突くことができた。目前に敵戦艦が居てこちらを睨みつけているようだが、未だにその主砲はどこを狙うのか迷っている。そして迷った挙句、戦艦は恐らく、潜水艦の存続を諦めた。駆逐艦への攻撃は止め、狙いを重巡艦隊に向ける。
足元の水面が振動し、潜水艦への着弾を身体で感じることができた。これが、手応えというものだろう。
「このまま戦線を離脱します! みんな、ちゃんとついてきて!」
背後で沢山の主砲の音が鳴った。残念ながら、もう役目は果たした。あとは、火力で押し通すだけ――!
――
駆逐隊が潜水艦を発見したと同時、潜水艦の機微に目敏い龍田と、同時に多摩も声を上げた。
「魚雷よ~!」
「今にゃ!」
すぐさま、打ち合わせ通りの針路変更を執る。全員が急ブレーキを掛けるように身体を捻って傾け、急激な角度の変更でも倒れないように耐える。海水が舞い上がる中、全員はほとんど同時に針路を真横へと変更。速力を落とさないままのドリフトカーブを行って魚雷を一斉に回避した。バランスさえ崩さなければ、無茶な行動でも許容できる。それが、艦娘の強みだ。
三隻の潜水艦から放たれた大量の魚雷だったが、こちらが単縦陣であったこと、そして敵の想定を越える真横への転進が功を奏し、魚雷のすべてを回避することに成功した。
回避を確認する頃には駆逐隊が通過、爆雷の鈍い発破音も微かに聞こえた。駆逐隊が全速力で離脱すると同時、こちらはやや取舵へと方向を変えてから直進、敵戦艦に対し、丁字戦へと持ち込むことに成功した。
敵は既に単艦であるため丁字戦ということもおかしいが、こちらの主砲すべてを敵戦艦に向けられる絶好の位置取りに成功したのである。
「全砲門、斉射始め!」
「撃てえぇぇー!!」
足柄の声を掻き消すように、重巡四人、軽巡二人、駆逐艦四人の全力斉射が巻き起こった。
敵戦艦は不利をようやく悟って、先に逃げ出していたヲ級同様、移動を開始する。すらりとした身体に、まるで礼装でもしているかのような恰好のル級が、艦娘同様に海上を滑りだす。
ル級を追うように、その背後から次々に水柱が弾けていく。ル級の背中側に至近弾。バランスを崩したところに、その眼前に着弾した爆風が船体を、殴り上げたかのように吹き飛ばした。
容赦なく巻き起こる凄まじい物量の爆発に為す術がなかったのか、水しぶきの中にル級は吹き飛んだ。
その刹那、那智の至近に一発、敵戦艦のものと思われる着弾があった。こちらの砲撃音にかき消されていたが、向こうも一発反撃をしていたのだ。
「ぐはッ……!」
那智が後ろ向きに吹き飛ばされ、妙高は背中側から衝撃を感じ、足柄と羽黒は水柱を慌てて避けた。那智は浮いた身体を何とか制御して受け身を取るようにして海面に着地、すぐに航行を再開することができた。
「大丈夫だ! 敵は!?」
那智の声を受けてル級が居た方を向く。目を凝らして、舞い上がった蒸気の白煙の中にル級を確認しようとするが……できない。
――しかも、肝心の直撃弾の確認ができなかった。
「誰か当てた!? 確認したかしら!?」
「いや……」
「分からないわ! でも、損傷は与えたはず!」
「私も分からないです……! ごめんなさい!」
軽巡二人も首を振っていた。駆逐艦たちも各々首を振ったりバツを両手で作ったりして否定していく。
「相手は戦艦……至近弾だけじゃ倒せない……!」
見た目よりも硬い、というのが定説だ。艦娘と同じような人型になればなるほど強い傾向にあり、特に戦艦級は脅威。確実に直撃させ、装甲を破り去らなければ沈めることができない。
それに現状ではル級だけでなく、先に逃亡したヲ級の行方も気になる。艦載機は持っていないはずだが、それで一体何をしようというのか……。
「煙晴れます!」
羽黒が言った通り、海面の視界が回復した。その向こう、海面に膝をついているル級が霧の中から現れた。その主砲と両の瞳が、こちらを向いている。
「回避……!」
三連装砲が順に火を噴く瞬間を見もせず、速度を上げて避けることを祈る。
全て至近だった。妙高の目前、足柄と羽黒の間、そして駆逐艦の隊列にそれぞれ着弾し、二人がバランスを崩した。駆逐艦は装甲も体重も軽いため、至近弾ですら致命的になりうる。
防御態勢を取っていた妙高に変わって那智が振り返って損傷を確認する。より着弾地点に近かった深雪が大破、装備を吹き飛ばされてしまい無力化された。その前にいた初雪も中破といったところか。先頭にいた吹雪が深雪を支えにいって戦列は維持。妹二人の損傷は、自分より軽いくらいだ。
単縦陣を形成し直すと同時に、四姉妹と軽巡二人による魚雷の一斉射で追撃する。魚雷の発射を見て取ったらしいル級も、再び速力を上げて移動を開始、黒煙を吐き出しながらこちらの進行方向に向けて迫ってくるつもりだ。想定以上の加速で魚雷も避けられてしまった。この後は同航戦、しかも敵は捨て身。接近される前に当てなければ――!
この状況では誰かが貧乏くじを引く結果になるのは避けられない。お互いどんどん接近しながら主砲を撃ち合うなど、ただの泥仕合だ。
その時――戦線を離脱したはずの駆逐隊が向かった先から、支援砲撃があった。ル級の背後から駆逐艦の小さな砲弾がいくつか襲いかかる。対潜装備以外を装備した駆逐艦たちが戻ってきてくれたのか。
ル級は直撃弾を受けたらしい。駆逐艦の砲弾とはいえ、相応に効いたはずだ。わずかに身体が揺らいで航路が蛇行した。そして――。
『オラオラぁ! 天龍様の攻撃だぜぇ!!』
「へっ? 天龍ちゃん?」
龍田が通信で流れてきた声に機敏な反応を見せ、目をぱちくり瞬かせた。
『待たせたな龍田ぁ! ったくよ、オレのこと忘れてたわけじゃないよなぁ?』
「天龍さん……!?」
『チビ共もう一発だ! よっしゃぁ!!』
妙高も驚きの声を上げた直後、再びの支援砲撃がル級に降り注いだ。それがついにル級の動力を止めるに至る。大戦果であった。
ル級は足に力が入らなくなったらしく、膝をついて倒れるように、海上で停止した。
しかしまだ主砲は生きている。
「撃たせません――!」
妙高はこれまでにない速度で主砲を構えた。狙いは運良く極めて正確だった。ル級が発射した砲弾が砲塔を飛び出してくる瞬間に着弾したのだ。ル級の眼前で自分の砲弾が暴発。大火力に焼かれることになった。
妹たちも同様に、妙高に続いて同じ座標に向けて射撃。ル級が居た場所から、一段と大きな爆発が発生。誰の目にも明らかだ。ル級は、轟沈した。
「やったわ! やったわよね! ねえ妙高姉さん!?」
「ええ、間違いありませんわ」
「あっははは! 当然よね! だってこの足柄がいるんだもの!」
胸を張って一番晴れやかに笑う足柄。長い髪に海水が滴っていて、バンザイと共に水しぶきが輝いて舞ったのが印象的だった。
だが、羽黒は冷静だった。
「あ、あの、まだヲ級が行方不明です!」
「そうだったな。……姉さんどうする? 探してみるか?」
「そうですね……何かがあってはいけませんから、万全を期しましょう。……龍田さん、天龍さんにヲ級の心当たりはないか聞いていただけませんか?」
妙高の気遣いだった。ようやく再会できた姉と、少しでも会話させてあげたかったのだ。
「天龍ちゃん? 今どこなの?」
『オレか? 五月雨たちと合流して反転しただけだぜ? だから、後ろの方に居るってことになるな』
龍田は思わず振り返った。本当に遠くだが、豆粒より小さな点の人影を見ることができた。
「良かったぁ。天龍ちゃんったら、連絡途切れちゃうんだもの。途中で鮫にでも食べられちゃったのかと~」
『バカ、おっかねえこと言うなよな! で? 何か用じゃなかったのか?』
「そうだったわぁ。ヲ級が一隻逃げたみたいなの。天龍ちゃん何か知らなぁい?」
『ちょっくら聞いてみっから、待ってろ』
天龍の周りには駆逐艦が集まっているのだろう。龍田から見える豆粒でもそれが分かる。
少しして、天龍から返答があった。
『一人水上電探で捕捉したのを見たってのが居るぜ。どっちに行ったって? 言ってみ?』
天龍の面倒見の良さから、敢えて駆逐艦本人に報告をさせるつもりのようだ。きっとこういったことの積み重ねが、経験として身についていくことになりそうだ。
『アタシ、綾波型駆逐艦、朧です。その、実は……居ました、はい』
『気にすんなって。それで? 潜水艦倒した後に電探に感があったんだろ?』
『はい。気のせいかと思うくらい小さな反応でした。ですけど、ル級ではなかったと……思います。敵は単艦だったので、誤動作の可能性も、あります、たぶん……』
「いいえ、ちゃんと聞かせてください。どちらに向かっていましたか?」
例えそれが本当に誤動作でも、追ってみる価値はある。もし逃してしまったのだとしても、また敵が撤退を選んだのであれば……仕方ない。
単艦の深海棲艦は、深海側の編成が六隻に最適化されていることと同様に、非常に見つけづらくなる。だが、ル級ではないものが映ったというのであれば、それがヲ級である可能性は非常に高いだろう。
『それが……その、自信はないんですけど、たぶん、鎮守府の方じゃ、ないかと……思います』
「……本当ですか?」
『はい……。西か北……もしかしたらその合間くらいの方角に、二回引っかかっただけですけど、方角は、間違いないと思います』
確かに鎮守府の方角らしい。護衛艦を狙っている可能性もあるが、艦載機のないヲ級がわざわざ狙う理由は分からない。いやそれを言うなら、鎮守府に単艦で突撃していく理由も分からないのだが。
敵が撤退するのであれば南方面に向かうはず。南方の基地を目指して逃げるはずだから。
だがどうやら、違うらしい。
まだ深海棲艦は、諦めていないというのか。
まだ鎮守府を狙うというのだろうか。
一体……何故?
『報告は、以上です。ありがとうございました』
礼儀正しく終えた朧。天龍が引き継いだ。
『じゃあ鎮守府に向かうか。連戦で疲れてるしな』
「あぁ……それがね、天龍ちゃん。落ち着いて聞いてね~?」
『ん? 何だよ龍田』
「鎮守府はね、焼け野原になっちゃったからぁ……」
『はぁぁ? 風呂は!? 風呂は無事か?』
「まず心配するのは、お風呂なのね~……」
提督も信用が無いわね~、と戯ける龍田。
「焼け野原は言い過ぎです。見たところ、入渠ドックは無事そうでしたよ」
妙高が付け加えると、天龍は一先ず喜んだようだった。
『よっしゃあ! じゃあさっさとヲ級も片付けて、風呂入らなきゃな!』
見ると、豆粒の艦娘たちが一斉に動き出していた。きっと天龍が号令して早速動き出したのだ。
「私たちも参りましょう。艦載機のないヲ級が何をするつもりなのか、胸騒ぎがします」
「そうだな。まだ祝杯には早いか」
「どうせなら完全勝利を目指さないとよね! 行くわよ羽黒!」
「ま、待って足柄姉さん! ちゃんと敵の装甲を回収しないと……!」
羽黒は律儀に、深海棲艦から剥がれ落ちた装甲の一部を拾い上げていた。どの敵から落ちたものかは分からないが、それはイコールで、自分たちの原型の一部だとされている。深海棲艦に取り込まれていた装甲は暫くの間海面を漂うのだ。それは深海棲艦が海上に浮いていられることと関係がありそうだが、詳しくは分からないままだ。再び沈んでしまう前に回収できなければ、諦めるしかないのである。
見たところ羽黒が拾い上げたのは船体の一部で、滑らかな表面をしていた。重みも相応で、羽黒は結局足柄に助けを求めていた。
「仕方ないわねぇ羽黒は。ほら貸しなさい! はぁんっ? 意外と重いのね……生意気じゃない!」
「だから言ったじゃないですかぁ!」
「貴様らはまだヲ級と戦う任務がある。……悪いが、白雪、これを頼めるか?」
那智が言いながら鉄片を奪い取って、白雪に向けて差し出す。軽巡二人もまだ戦えるし、ここは駆逐艦に任せるのが妥当だと判断した。吹雪は深雪を曳航しているし、初雪はブツブツと『帰りたい……』を連呼しているので近寄りがたかった。だから白雪に白羽の矢を立てた。
「は、はい。お任せください」
白雪が丁重に受け取り、両手で抱えることで何とか持ち運べそうだった。
「では残党のヲ級を追って、鎮守府方面へ向かいます!」
妙高の先導で、戦いは最終局面を迎えたのだった。
4
「ふー…………」
提督は一人、静かに待ち構えていた。
提督だけで組み上げた理論。そして大淀にも『きっと上手くいきます』と太鼓判を押された計画。これまでに得た協力と、行った実験と、手に入れた情報と、的確な推察があって初めてここまでこぎつけた。
本来であれば、提督が出撃するという衝撃を与えたあの時と同じように、更なる実験をしておきたかった。確証を持って挑みたかった。
大淀も非常に堅実な性格で、この推論と計画の全貌を話した時には、半日の熟慮を自ら行ってくれてから、先ほどの『上手くいきます』という返答をしてくれたくらいだ。提督が思っている通りであるならば、それを確かめておきたい。大淀も同じ気持ちであったため、その機会を二人で待っていた。
静かに、艦娘たちと提督の間を辛うじて繋ぎ止めながら、提督が再び実験を行えるチャンスが来る時を待ってくれていた。しかしその機会を待つよりも先に、向こうがそのチャンスを与えてくれたようなものだ。そして状況は、やらなければならないという極限状態。実験でありながら、結果を出すための王手を出す事態になっていた。
また提督が暴走したと思われても構わない。都合一度の暴走でこの計画が上手くいくかどうかの追証ができたのだが、もはや実験を省略して結果を取りにいかなくてはならなくなった。
明石に用意してもらったものも、まさか一晩で完成品が上がってくるとは思ってはいなかった。調査員である彼女と和解し、提督に対する内部調査が終わった辺りにでも試製品ができてくれれば、くらいに思っていたものだ。
提督もすっかり設計図を徹夜で作ったと思っていたのだが、明石は完成品を持ってきてくれた。明石の才能が想像よりも素晴らしかったことが、今回、計画の前倒しを実現するに至った一番の要因だ。そうでなければ、提督は現在の敵の侵攻を押し留めるだけにしておいたことだろう。
明石に依頼したこの品の完成がまだ先の話であれば、調査員の彼女と和解したことで生まれる、権力剥奪までの僅かな間隙に、再び実験の機会が訪れる計算だったから。
そして本来の計画ならば、その実験の結果で確実性を高めた状態で、計画の練り直しや別の方法を検討することになっただろう。実験が思った通りの成功ならば精査するだけ。失敗ならば別の方法を。……そうしたさらに後、いざ『大本営』がこちらへの妬みを暴走させ、提督の地位を脅かそうとした日が来た時に、三度目の暴走を以って完遂、計画は達成する予定だった。
しかし明石に話した通り、『結果同じことはできそう』だった。『せっかちな提督の敵』を打ち負かすという結果を得るために、やはり今日この時、やらなければならないことができた。
「さあ、お願いだから……こちらの推理通りであって頂戴」
海原に向けて祈る。
工廠の建物の屋上で、提督はうつ伏せに寝そべっているのだ。望遠のレンズを覗き込みながら、ただ祈る。
「……来なさい……深海棲艦……」
提督は明石を救って目を覚ました後、工廠から鉄くずを運び出して、工廠すぐそばにある海に沈めている。
ではその鉄くずは何だったのか。
それは艦娘の原型のレプリカを製造する際に使う、『艦船の一部』だった。
艦娘たちが出撃し、倒した深海棲艦から剥がれ落ちたものを見つけて持ち帰ってきてくれるものだった。海の底に眠っていたはずの船の残骸。深海棲艦の登場とともに荒れ狂った海流によって世界中の海に散らばったとされていた欠片たち。同時に、艦娘からの報告で、どうやら深海棲艦が装甲として身体に取り込んでいるらしいことが明らかになっていたものだ。
跳梁跋扈する深海棲艦を叩くことで取り返すことのできる鉄くず。それを使って艦娘を増やすことができる。それが鎮守府の戦力拡充方法だった。
だが……一つの船から生まれる鉄くずの数は、その劣化具合や現存率で数も大きさも違い、無数に存在する。つまり艦娘たちは、既に『吹雪』、『陽炎』、『五月雨』など代表的な駆逐艦の鉄片も複数回収しているのだ。
提督はこの『重複した鉄片』に目をつけていた。既に現世に顕現した艦娘が居て、そこに同じ鉄片を用いて再び建造をするとどうなるのか――。
結果は、建造妖精の首振りだった。
『できない』。はっきりとそう宣言していたのだ。
仕組みを明らかにしたかった提督は妖精にそっと問いかけた。
『では、既に生まれた艦娘が――再び海に沈んだ場合はどうなるのかしら』
その答えは、頷きだった。
艦娘はこの世に一人。しかし、海に還った後ならば、また呼び起こすことができるということ。
恐ろしい発想をしたと自分でも後で深い後悔をした。誰も沈めるつもりはないし、沈んで欲しくはない。彼女たちが帰りたいと望んでも、提督はきっと拒否してしまうだろう。
そういったやりとりの後、艦娘たちが回収してきて、妖精によって『重複している』と判断された鉄くずを保管するか解体するのかを妖精に問われた。提督は少しだけ考え、保管することを選んでいたのだ。
工廠の隅、母港の貯蔵庫を圧迫しかねないほどの量が集まっていたそれを、提督は一時的に海へと投げ捨てた。鉄くずを海へと落とし込み、半分は工廠に置いたままだ。海中と地上の二箇所に貯められたことになる鉄くず。その両方を、『餌』に使う実験。
提督の考えはこうだ。
まず、なぜ深海棲艦が鉄くずを装甲として融合するように取り込むのか、という疑問が糸口だった。
では仮に、深海棲艦の目的そのものが『鉄くずを取り込んで、より強い装甲を手に入れようとしている』というものだったらどうだろうか。
これまでの深海棲艦の動きが、それを裏付けていたのだ。
深海棲艦が現れ始めた十年以上も前。世界各地で起こり始めた襲撃は散発的で、海流の乱れも少なく、海底に眠っていたものまで流されているとは思いもよらなかった時代。深海棲艦という存在そのものが都市伝説的だった時代だ。その頃の深海棲艦は装甲の弱い駆逐艦級がほとんどで、空母や戦艦が確認されたのは五年以上経ってからだった。
しかし駆逐艦級でも客船やタンカーを沈めるには充分過ぎる力を持っていた。海は恐慌状態となり、貿易はすぐさま死にかけになってしまった。
そんな時分に、深海棲艦に本気の反抗をしようと立ち上がった軍隊が、世界中で撲滅に乗り出した。最終的には、『着弾すれば損害を与えられる』という結果だけが残った。
その内人類は、海の上を渡ることを諦めてしまうようになった。
深海棲艦はより一層強くなり、海流は万華鏡のように変化して至る所に渦潮が発生するなどの危険もあり、思いもよらない漂流物が船底を荒らし回る。そんな海の上は、もう人類の縄張りではなくなってしまったのだ。
その後艦娘の技術が発見される。
対して深海棲艦の研究は全く進んでいなかったが、艦娘を生み出すことに成功した。
そして提督は実際に深海棲艦に接近して戦い、勝利することのできる艦娘の力を借りて、誰もやろうとしなかった深海棲艦の研究を、実地にて行ったのである。
この鎮守府こそ、戦争の最先端を行かなければならない場所だったから。
だから艦娘の力を借りて、深海棲艦に関する報告書を常に作成するよう指示した。そして掴んだ事実が、『深海棲艦の装甲』に関する事実だった。
深海棲艦が跋扈して十数年。深海棲艦は目覚ましい進化を遂げている。海上から人類を追い払い、自分たちがより強くなるために、『艦娘の材料でもある鉄片』を集めている。
その仮定を裏付けていると思ったのは、南方海域が急速な侵攻で陥落したことだった。かつてあった戦争で、その海域に沈没した船舶の一覧を調べた提督は愕然としたのである。
『深海棲艦の狙いは艦艇の鉄』であり、『艦艇の鉄を取り込みたい』から『それが無数に存在している南方海域』で、『さらなる力を手に入れようとした』のであれば――。
南方は――言うなれば餌の宝庫だ。栄養豊富なプランクトンが水中を覆い尽くしているかのような、凄まじい規模の餌場だったのだ。
そして海流の変化が著しい現在において、どの船の残骸がどこに沈んでいるかという正確な情報は、一切役に立たなくなってしまった。
さらに目付きの悪い彼女も言っていたように、南方海域には『大和』の実在が確認されている。場所だけでいえば『武蔵』の可能性の方が高かったが、そこに大和が居る。これは事実だ。
よって沈んだ場所と、現在に現れる場所に整合性は一切ないと見て間違いない。
むしろ深海棲艦が海流を操って積極的に集積している可能性さえ出てきた。南方海域というおぞましい敵棲地に、絶大な力を持った深海棲艦が現れたことも事実であるし、提督はその絶大な深海棲艦こそ『大和』の装甲を手にした、現状最強の深海棲艦だと思っている。
このいくつもの事実と推論から、『深海棲艦を釣る方法』を考えてみた。
南方海域に眠る大量の鉄を手にするために集まったように、自らの力を強化していくために、積極的に鉄くずを集めようとするのではないか、と。
しかも普通の鉄ではダメなのだろう。艦娘を生み出すことに――当初は――実際の船の鉄片が必要だったように、深海側もきっと同じものを求めている。
そこにどんな関係があるのかは、考えたくない。提督の中にあるぼんやりとした推測は『海が持つ善と悪の概念』というものだったが――この説は表には出したくないものだった。
ともかく、工廠の隅で母港のスペースを圧迫していたこの鉄片こそ、深海棲艦を呼び寄せる餌足りえるのではないか――。
孤立させ、圧倒的不利の状況に陥った深海棲艦が、手っ取り早く自らを強化できそうな鉄くずの集積場があると感知したら――引き寄せられる可能性があるのではないか。
それを確かめるための実験方法を用意していたが、それと同じ状況を今この瞬間実現するだけの条件は整っていた。だから、この場でやってみせる。
艦娘たち本人のことを思えば、彼女たちの――母親と言ってもいいかもしれない鉄くずを、このようにして扱うことは気が引けたが……。
やはり自分は、腹黒いのだろうか……。
いや、迷っている場合ではない。
近海のどこかに潜んでいるという主力は、南方から離れすぎて孤立してしまっている。その数隻の深海棲艦の内一隻でもいいから、この鎮守府にある“餌”に食いついてくれることを願おう。
人類は、深海棲艦と戦うことを諦めた。
一方で艦娘を生み出し、彼女たちに頼って、戦わせて、そして他力本願で勝とうとしている。
人類と艦娘は、深海棲艦という存在で結びつき、三角形を描く。
人類は『艦娘しか戦えない』と思い込み、艦娘たちを酷使してしまうだろう。その結果もし……艦娘たちの意志に何かが起こって、反逆を起こしたら。
深海棲艦とは違う別の勢力に、また人類が狙われることになってしまったなら。
そんな結果は誰も望まない。深海棲艦がこの地球を征服してしまうだけだ。人類を滅ぼした後は、艦娘と深海棲艦の終わらない戦いが――なんて、そんなことは絶対にさせない。
人類は何もせず、安穏とした陸地で生きていけるつもりかもしれない。だが、深海棲艦はそんなこと待ちはしないし、彼らは着々と力をつけている。これも明らかだ。南方海域が征服されたことは、人類の生息域が簒奪された状態なのだ。
人類は決して諦めてはならない。そしてその人類の支えとなり、力となってくれる存在こそが艦娘。二つの勢力が同時に深海棲艦を叩くことで初めて、勝機が見えるのだから。
人類はあらゆる手段で艦娘を支援し、艦娘は人類の代わりに戦って敵を倒せる。深海棲艦の情報の全てを艦娘に渡せば、彼女たちもより一層強くなれる。艦娘たちが戦って勝つことで、人類は再び生活を取り戻すことができる。人類はそうやって粘り強くなければならない。艦娘たちもそれが生きがいであって欲しい。
人類が艦娘を愛することができれば、艦娘もそれに応えてくれるはずだから。
だから、『艦娘は兵器』だなんて、そんな冷たいことは、絶対に許さない。
そんな人類のどうしようもない甘えを、打ち砕く。
必ず人類は勝利を得る時が来る。必ず艦娘は平和を得る時が来る。
――私が、そうしてみせる。
「――――――っ――」
提督の目の先に、空母ヲ級が映ったのは、その時だった。
5
『司令室へ、こちら綾波です! 敵空母ヲ級がこちらに向かってきています――!』
その報告通り、作戦司令室の電探に反応が現れた。非常に弱い信号だが、未確認の物体だ。そして大きさからすると明らかに――人型の深海棲艦。
「見つかりましたか?」
『いいえ、気付いていないみたいです! 動力を切って、姿勢を低くして隠れてます』
綾波の囁くような声。駆逐艦一人でヲ級に挑むべきかを問うてきたのだ。
「ではそのまま待機を。いいですか、待機してください」
『は、はい。応援を待ちますね……!』
綾波には安全策を取らせた。さすがに一対一は無謀だ。
作戦司令室の双眼鏡で湾内を確認し、大淀に伝えた。
「頭がでかいヤツ……あれが空母か。……綾波に叩かせたほうが良かったんじゃねえのか。このままじゃ鎮守府が――」
「艦載機は全滅したはずですから……ふむ、安全ですね」
「――――は?」
大淀は澄ました顔で言い張る。
「何言ってんだお前? 敵だぞ? 深海棲艦だ。すぐそこまで来てやがるんだぞ! 何が安全だってんだ!?」
「そちらこそ、どうしてです? ヲ級が攻撃をしようとするなら、もうしてきているはずです。綾波も無事ではなかったでしょう。その攻撃が無いということは、艦載機も無いまま打つ手がなくなったということです」
「いやだから、そんな場合じゃねえっつってんだよ!!」
敵襲だろうが、と怒鳴る。
だがやはり大淀の表情は変わらなかった。むしろ眼鏡を直す余裕さえ見せて、再度口を開く。
「そういえばヲ級には、申し訳程度の対空砲もありましたね。あれは脅威です。射程内に入ってしまう前にどうにかしなければなりませんね」
「そう! そうだよ! すぐに艦娘を呼び寄せて排除させる!」
通信機を取ろうとした手を叩かれた。
「んだよてめぇ!!」
「怒鳴られましても、大淀怖くはありません。無駄です」
澄ました顔は変わらない。こいつ、もしかして――あの提督の影響受けまくりなんじゃないのか。
「ちくしょうが! なんで地上基地からも攻撃が無いんだよ! 対空砲火はやったんだろうがよォ!?」
「提督が命じられたからですね。この戦闘が始まる前――丁度、あなたが無線電話で本部と通話していた、その後です。あなたの忠告で作戦を切り替えた提督は、周辺のすべての地上基地に通達しました。『深海棲艦の艦載機空襲から市街地を守る以外の一切の行動、攻撃を禁止する。また深海棲艦が湾内に侵入した場合も、同様の措置を厳命する』と。この命令は、あなたの上司が強行したらしい命令とは衝突しないはずです。『鎮守府への攻撃を見逃せ』という命令が下っていたとして――の話ですが」
実際にはそのような直接的な言い方ではないはずだ。例えば『鎮守府には防衛手段があるが、地上基地の支援が邪魔になる場合があるため、所属の基地を守る以外は必要ない』などと。
それと提督の命令は辻褄が合い、結果的に鎮守府は空襲の被害を一挙に引き受ける形になった。提督は鎮守府そのものを犠牲にして、本土までも防衛していたのだ。
そしてその一つの命令が、提督の望んだただひとつの状況を生み出していたことに、大淀は気付いている。だから余裕を持って、ただ心のなかでは『良かった』と思った。
「これでようやく――提督の願いが叶います」
「……あぁ?」
この状況が生まれたということが、提督の存命も証明している。大淀にとっては、もう戦いは終わっていた。
「大淀より全艦に通達。鎮守府湾内に深海棲艦が侵入しましたが、脅威ではありません。繰り返します。脅威ではありません。こちらで対処しますので、皆さんは是非――各々の好きな場所で、待機していてください」
「どういうことだよ……」
通信機器を取り外してしまった大淀が立ち上がり、無言で『ご一緒にいかがですか』と誘う。何もかもが分からない状況だったが、その答えを得るために、行くしかない。
あの腹黒女が一体何を仕掛けたのか、見てやろうじゃないか。
6
埠頭で敷波は一人だった。間宮は介抱を続けてくれようとしていたが、敷波から断った。間宮も間宮でやることがあるはず。自分は大丈夫だから……と。
そうして呆然と眺めていた海から、深海棲艦、しかも空母ヲ級が静かにやってくることに気付いた。
「敵艦見ゆ……ってか……。………………えっ? うそ! マズイじゃん!」
冷静になってみるととんでもない状況だった。敷波はひどい打ち身のようになって痛む身体を立ち上がらせて、何とか歩き出す。
海の上を滑ってくるヲ級の姿は徐々に大きくなる。鎮守府に向かって真っ直ぐだ。迷いなくこちらに突っ込んでくる。目的地は少しだけ違って、もしかすると、工廠の方?
敷波はお腹を押さえて右足を引きずるようにしながらも駆け足で、司令官か大淀に伝えなくてはならないことがあると走った。
しかし、作戦司令室から大淀ともう一人見知らぬ女性が出てきた背中を見て、足が止まる。
「なんで……? なんで作戦指揮……してないのさ……?」
敵が湾内に侵入して鎮守府に到達しようとしている。さながら宇宙人との遭遇のように、ただ立ち尽くすしかできない絶望的な状況だということだろうか。
そんなのいやだ。綾波がまだ帰ってきてないのに。友達もたくさん、海に出てるのに。鎮守府と一緒にやられるなんて絶対にいやだよ。
でも、見つかるほうがもっと危険だ。敷波は、大淀たちに大声で呼びかけることは避けた。
ヲ級に見つからないまま、なんとかして二人に追いついて、何でなにもしないのか、聞かなくちゃ。
ヲ級が、光のない瞳で工廠の方を見た。手に持っている杖を動かして、何かを探すように。ダウジングのようにも見えた。そんな風にしてから、さらに方向を工廠の方へ向ける。
どうやら目的地を確定したみたい。工廠までやられたら、鎮守府がもっと壊されちゃう。
「だめだって……イヤだよ……! そんなのは……っ」
こんな状況で何もしない――というか、姿のない司令官は、一体何なの。
これまで敷波たちを散々こき使ってさ、それでいて宿題は沢山出すし、でも何にもお返しはないし、冷たいし、司令官からお礼言われたこと無いし、そもそも話したことも全然ない。それでも綾波が真面目に頑張っているのを見て、敷波もちょっとは頑張ってきたつもり。
だけど、なんであそこに司令官が居ないのさ。
なんで、こんな時に、何もしてないのさ。
――司令官のヤツ……もうほんと、意味が分かんない。
なんで敷波たちを見捨てるようなこと――してるのさ。
敷波の顔がぐにゃっと歪んでしまい、涙が溢れだした。
司令官のバカ。そうやって叫べたら、どれだけ良かったか。
艤装のない艦娘には見向きもしない様子のヲ級は、悠々と、工廠まであと数十メートル、埠頭まで数メートルというところまで、近付いてしまっていた。手を伸ばせば陸地に乗れるという近さ。そこで立ち止まって、ふと目線を、足元に。
そこに、何かがあることを感じ取っているようだった。
ヲ級は、杖を振りかぶって――まるで、そこに、突き刺そうとしたかのようだった。
そのヲ級の頭部――人の形をした方の頭部で、突然爆発が起こった。
ほとんど同時で気が付かなかったが、聞き慣れた発射音も聞いた気がする。そして、やはり、ヲ級の顔で起こった爆発も、どこか見慣れた、馴染みのある発破だったように思う。
ヲ級は両の手のひらで顔面を押さえてうずくまる。あれは実際の戦闘でもかなりの損傷だ。海上戦闘だったら間違いなく中破と判断されるだろう。膝から崩れるように――海の上にへたり込むヲ級。杖を支えにして何とか浮いているようだが――。
でも一体、誰がヲ級を撃ったのだろう。綾波じゃないはず。だって、正面からだったから。
正面ってことは――工廠から? 一体、どういうこと?
ヲ級が大きく呼吸すると、頭部が上下に揺れて見える。大きな、被り物のような頭部が。
その真中心に、二発目の着弾があった。
そして今度こそ敷波は確信する。
これは、駆逐艦に配備されている12.7cm砲の発砲音だ。
だから爆発も同じなんだ。道理で、見慣れているはずだった。
――でも、あれだけ正確に狙い撃てる駆逐艦なんて――。
「いない……よね」
そんなに練度の高い駆逐艦は、知らない。綾波だって再出撃したし、五月雨だって今は出撃中だし、艦隊行動中。だから、鎮守府に残っていた駆逐艦に心当たりは、無かった。
空母としての機能の大半を担っている大きな方の頭部が破壊されたヲ級は、海面にうつ伏せで叩きつけられた。脱力して浮いている人のように。
だがそれでも杖を突いて、強く握って、立ち上がろうとしていた。両足に力はほとんどはいっていない様子。もう、沈みかけていた。明らかに分かる。
顔からは黒煙を上げ、杖と両手の力だけで、身体を起こそうとしていた。
最後の力を振り絞って、巨大な方の頭部の側面にある対空砲が、照準を定めようとした。
きっと、どこから撃たれたかも分かっていないんだ。一方的に撃たれて、それで、その敵を倒そうとしている。でも――。
ヲ級の心臓部に、最後の着弾があった。砲弾が身体を突き抜けてヲ級の背後の海面へと着弾。大きな水柱が上がって、ヲ級は完全に倒れた。前に向かって吹き飛ばされ、埠頭に激突しながら、沈んだ。
大淀が、隣に立っていた人の顔を見て頷いていた。その相手の方も、呆れるように両腕を広げて、大声を張り上げた。
「オイ!! 姿見せろよ!!」
人の声とは思えないくらい大きな威圧の声だったが、その声を掛けた方向を、敷波も見遣った。そこは、工廠の屋上だ。――余談だが、勇敢な駆逐艦が備え付けのはしごを使って上り、屋上から高さを実感するという度胸試しをしていた話を聞いたことがある。ちなみに深雪であり、真っ青になって帰ってきた。他の娘たちは誰も登らなかったという。
そんな屋上で立ち上がったのは――。
「し、司令官……!?」
見慣れた白色の制服が、工廠の屋上で少しだけはためいていた。
帽子が飛ばないように押さえてはいたが、そのポーズがなんだか……すごく……カッコよく……ない。よくなんてないし! サボってた司令官なんだから。
それに、司令官が持っているあの長いものは一体、なんだろう。
見たことのない武器だった。ヲ級を倒したのが司令官だというなら、あの武器は一体……。
敷波には、わからないことが多すぎた。
――
『試製12.7cm単発銃』。明石は格好良くそんな名前をつけていたが、一本限り、一回限りの特注品だ。
艦娘の技術が発掘されてからしばらくの間、艦娘に与えられる艤装の技術を人類が使うことはできないのか、という研究が当然成された。深海棲艦の研究と違い、こちらに関しては実用化を目指して日夜研究に明け暮れる者たちも居た。
だが、彼らがそれを実現しようとするためには、大きな――そして無慈悲な壁が一つ存在したのだ。
妖精である。
妖精は艦娘技術の立役者でもあり、艦娘が生まれてからも必須の存在だ。この鎮守府の大半も、妖精が居なければ成り立たない。提督も助けられた経験があるし、逆に見捨てられているようなこともあった。
彼らは、極めて気まぐれでありながらも、自分たちの信条は決して曲げることがない。
究極の職人気質であるという表現をした覚えがある。
そして妖精の中にある『絶対に譲れない信条』も判明していて、その中の一つが、『艤装は人類に使わせない』というものだ。ちなみにどういうわけか『猫には屈しない』という信条があるらしいが、提督はこの意味を未だに測りかねている。
ともかく妖精は、絶対に艤装とその技術を人類に使わせることがない。これは、建造途中のレプリカを見せないようにしていることと繋がりがあるようだ。
そのため、いくら人類が使えるように兵器をデザインしたとしても、妖精がその武器を作ってくれないのだ。
作ってくれない上に、その武器で発射するための砲弾も絶対に提供してくれない。
だから形だけ人類が作ったとしても意味がなく、妖精が居ないことには何も始まらない艤装技術――主に、大口径の砲弾を圧縮して弾丸サイズにまで変化させる技術――は、日の目を見ることがなかった。
しかし、艦娘は違う。
提督のことを信頼すると決めた明石は、提督のために一本の武器を拵えたのだ。
提督は『艤装の技術を使った武器、狙撃銃が一つ作れないかと思っているの』と明石に相談を持ちかけた。明石にとって狙撃銃として使える銃とは、海軍にも配備されていた四式小銃くらいだったため、その武器を元に設計を請け負い、有り余った材料を使って、工房にて一晩で作り上げてしまった。
将来的に艤装の改修をしてみたいと決めていた明石は、妖精が練習用にちょくちょく持ってきてくれるジャンク品、艦娘用の装備の中から砲弾を見つけて隠し、五発だけ用意してくれた。
その上で完成させた試製12.7cm単発銃は、弾丸を一発ずつ装填して発射しなければならない不便さはあるものの、ちゃんと艤装の単装砲と同じ技術が盛り込まれており、威力も性能も申し分ない『人間用の艤装』となっていた。
ただ、実のところ明石はこんなことを言っていた。
『正直かなり無理のある設計なので、本当に五発撃てるかも分かりません。それに、このことが妖精さんたちにバレたら――まあバレますけど、ちょーっと機嫌損ねちゃうかも……』
明石の言う『ちょっと』が少しも『ちょっと』ではないことは明らかだった。
しかしそちらは提督が何とかすると約束した。明石に頼んだのは自分で、嫌われるのは自分でいい、と。
それに忘れてはならないが、妖精は気まぐれなのだ。『ごめんなさい』と謝罪して、その時には頬を膨らませて怒るかも知れないが、次の日に新しい鉄片を持ち込んだとしたら『よこせ』と言わんばかりに寄って来てくれる。
ある意味では、自分に厳しいだけなのかもしれない。
色々と明石に苦労をかけた銃だが、この銃を頼んだ理由ももちろんある。
一つ、深海棲艦には銃弾も有効である。これはつまり、地上戦において銃による斉射を行い、蜂の巣にすることで倒すこともできるということだ。
しかし銃の威力は、艤装のサイズに圧縮された砲弾とは比べ物にならず、銃が軍隊規模での乱射が必要なのに対し、艤装の砲弾は一発から数発で深海棲艦を倒せる威力を持っている。
提督は一人しか居ない。それに目的を達成するためには、普通の銃では意味がなかった。
さらに一つ、人類もまだ戦えるのだと証明したかった。
これは初出撃の日に提督が証明したことでもあるが、かなり奇跡的な状況が重なったことによる偶発的なもので、確実性に欠けたものだった。
だがしかし、あの時の反省点を踏まえ、今度こそ確実に、人類側に『未来』を提示することができると確信したのだ。
つまり、将来的に人類と艦娘の友好的な共存が実現しようとしたとき、今回は明石だったが、いずれは妖精の扱う艤装の技術が、彼らの了承を得て人類の側にも提供されるようになりさえすれば、必ず人類も戦うことができるようになる、と。
人類と艦娘が共に戦える未来。そして深海棲艦を撃滅する未来。
二つの勢力が協力しなければ、堅固な三角形の頂点に君臨する深海棲艦の座を、決して崩すことができない。
だから、共存した先にあるはずの『未来』を、ここで実現してみせたのだ。
『艦娘は兵器』などという戯言は捨てろ。我々は平等に、深海棲艦の敵だ。
艦娘は、人類の救いとなれる存在だ。彼女たちを支援して共に戦い、そして艦娘だけでなく妖精たちからも人類が信頼に足る存在だと示せるようになった時、初めて――深海棲艦に対する本当の『反抗』が始まるのだ。
提督に課せられたただひとつの任務。それは『敵深海棲艦への反抗』だったのだから。
終幕へ続く