女傑提督の戦績   作:Rawgami

6 / 6
終幕

  0

 

 「よぉし! やっと完成したー!」

 明石が最後に手を加えて宣言すると、手伝ってくれた駆逐艦たちから拍手が湧いた。

 いつの間にやら軽巡洋艦たちにも話が回っていたらしく、軽巡組も端の方から見守ってくれていた。ここには居ないが、軽巡に伝わったということは間違いなく重巡にも伝わっていそうだった。

 「後は夜を待つだけ。一旦解散! みんなありがとう!」

 明石の号令を受けて駆逐艦たちはがやがやと移動し始めた。『楽しかったね』や『ちゃんとできたかな』など口々に感想を言い合っていたり、『司令官って本当はすごい人だったんだね』や『私も見たかったなぁ』など、提督に関するイメージがはっきり変わった雰囲気も感じられた。

 大淀、敷波と綾波、それからもう一人の目撃者が居た提督の戦い。その話は、大淀に『各々待機』を命じられた艦娘たちの疑問を解決するために、すぐさま知れ渡ることとなった。何故大淀、いや提督は待機を命じたのか。比較的鎮守府に近い場所にいた綾波を始め、目がいい艦娘や偶然に双眼鏡を持ち寄っていた駆逐艦なども、かなり遠い場所から鎮守府で何があるのか見てはいたが、詳しくはやはり敷波に聞いたことで判明している。待機していた艦娘たちは、精々ヲ級らしき影が爆沈したことくらいしか分かっていなかったのだが、敷波の話で真実を知り、瞬く間に『提督はすごい』という論調になってしまった。

 敷波いわく『すっごくカッコよかった! あっ、いや……敷波がそう思ったんじゃなくて、こう、画になってたっていうか。私がもしキネマ監督だったらそう言うかなぁ……みたいな……』という言が決定的だったのだろう。

 さらに言えば、提督の敵として知られていた人物が、敷波の言う『カッコいい提督』を写真に収めており――大きな狙撃銃を手に、軍帽の鍔を押さえて立ち上がった瞬間の提督の姿だ――それを現像したものを横流ししたことで確たるものとなっていた。

 本人は面白がっていたようだが、提督はそんなことになっているとは知る由もないだろう。

 さらに、口が堅く遠い存在だった艦娘、大淀の口もついに開かれ、これまでの主な経緯を明かすことになっていた。提督の計画が達成された以上、もう隠すことも無かったからだが、大淀としては、本人の口からみんなに説明させてあげたかった。

 しかし駆逐艦のキラキラした目と明石の後押し、さらにこれまでの提督の無機質さの説明を求める艦娘全員からの圧力に屈したとも言えた。特に妙高の表情は真剣で、隠し事はもう無しにしましょう、と語っていた。

 全てが語られた鎮守府は、まるで息を吹き返したばかりの人が見る光景のように、コントラストの強い鮮やかな色へと変わったように思う。

 色めき立って、謎も無くなり、提督が示した未来が明るかったから。

 もし外の人たちが今回のように何かを企てたとしても、提督が解決してくれる。そして自分たちに問題が起こっても同じだ。そうしている内に中と外の軋轢が縮まっていって、いつか必ず、お互いが理解し合える時が来るはず。そのために提督は自ら戦ったのだから。

 「完成したのかしら?」

 間宮が店の暖簾を潜って入ってくる。甘味処間宮の厨房を借りていたが、大人数で押しかけてしまったこともあり、間宮が身を引いて好きにやらせてくれたのである。駆逐艦たちが出てきたのを見計らって戻ってきたらしい。

 まだ店内には川内型三姉妹や睦月型など代表的な姉妹艦が残って、それぞれ雑談に興じていた。他の駆逐艦の中にも居残りが居て、こちらもやはり何かを話していた。色鮮やかな髪が集まっている辺り、長女組と何人かという組み合わせだろう。駆逐艦の長女たちは数の多い駆逐艦を纏めるためにもああやって集まっていることがよくある。頑張り屋が多いのだ。間宮の帰宅に気付いて挨拶を欠かさない辺りからも、いい娘たちなのだと分かる。

 「間宮さん、おかげで美味しいのができました!」

 「そう、良かったわ。提督もきっと喜ばれるはずよ」

 「間宮さんも忘れず来てくださいね?」

 「ええ、もちろん。用意して参加するわね」

 厨房の明石とカウンター席越しの間宮。完成品の数々を見て微笑んだ。

 「提督はたった今、大本営に乗り込んでいったそうよ。例の怖い目の人から連絡があったわ」

 通称“怖い目の人”。鎮守府内でも有名人だったし、提督の前任者だったということで、もしかすると自分たちの提督になっていたかもしれない人。遠征に行っていて彼女を知らなかった天龍が何も言わず会釈をした辺りに、その目つきの怖さを推し量れる部分があると思う。

 そんな彼女だが、すっかり提督に丸め込まれて――明石がそう言った――、鎮守府にやって来た時とは別人のようになって、鎮守府を去っていった。元々快楽主義的な性格らしく、楽しいと思うことには加担するタイプである彼女は、提督の写真を渡した後、ほとんど誰とも交流などせずに鎮守府から姿を消していた。しかし間宮はそんな彼女とも連絡先の交換を果たしていたらしく、こうして間諜役になっているのだった。

 「あの映像を見たら、上だって納得しますよ。提督の邪魔をしている暇なんてないって、分かってくれるはずです」

 明石はできあがったものにそっとフタをした。提督とする夕餉の時間まで冷蔵庫で保管だ。

 「そうねえ。凄かったわ。私たち、艦娘なのに海に出ないから、みんながああやって戦っているんだ、って感心してしまったの。もちろん、提督の考えが素晴らしかったというのもあるけれど」

 提督は、事前に現代のカメラを使って狙撃の様子を余すところなく撮影していた。それを持って、目付きの悪い人と共に、人類の城へと乗り込んでいったのである。ちなみに映像は、大淀にねだり続けた駆逐艦たちの手柄で公開されたものである。

 「だから提督に、お疲れ様って早く言ってあげたいです」

 「あらあら。明石さんもすっかり提督好きね」

 「うへぇ!?」

 「なあに、その変な声、うふふふ」

 間宮は明石をからかいはしたものの、楽しそうだった。鎮守府に立ち込めていた霧が晴れるのと同時に、みんなの心の霧も晴れていったからだろう。

 「早く帰ってくるといいわねー」

 「もう間宮さん! そういうんじゃないですからぁ!」

 「そうよねえ、提督は女の人だものねー」

 「だから違うんですってばぁー!」

 「衣装掛けもようやくプレゼントできるのよねー」

 「ああもう! 間宮さん意地悪ですー!」

 明石は真っ赤になっているが、大淀と似たところがあると間宮は思っていた。

 提督への信頼度というか、親しみ方のようなものがそっくりに思えたのだ。

 「あなたたち二人、姉妹艦ではないのによく似ているわね」

 間宮は、厨房の奥の方で分厚い資料を読みふけっていた大淀にも呼びかけた。

 「そうですか? ありがとうございます」

 明石は素直に喜び、大淀は何やら含みのある謎めいた笑みで応えたのだった。

 間宮と大淀の間には、内緒の出来事があった。

 大淀は成熟した精神の持ち主で、大抵のことには冷静沈着に対処できる。しかし、提督の口から全てを聞き及んだ大淀は、その日の実に半日を消費して悩んでいた。即断即決が望まれる立場でありながらその時間を浪費したというのは、後にも先にも無かったのでよく覚えている。間宮に全てが伝わることはなかったが、それでも大淀はここで間宮に相談をしていたのであった。

 もし本当にそんなことを実現できたなら、自分は、自分でもおかしいと思うくらいに彼女のことを崇拝してしまうかもしれない、と。提督が考えていた理想は魅力的で、傍から見たら夢見がちの世迷い言だと言われてもおかしくなかった。それでも大淀は信じたいと思っていたし、実現して欲しいと心から思っている、と。

 大淀は、明石とともにこの世界に呼び起こされてからしばらくの期間のことを思い起こしていたのだ。

 彼女たちは実のところ、人間として、そして女の子としても扱われた記憶が無かった。

 最初から『人ではないもの』、『思考をする兵器』として見られていたから。

 最初に聞いた言葉は『やったぞ、これで人類の未来は安泰だ』だった。

 明石と一緒に顔を見合わせている内に、『君たちにやってもらわねばならないことがある。拒否権はない』と言われ半ば監禁状態に置かれ、深海棲艦と人類の戦いの歴史と、研究されてきた艦娘技術を叩き込まれた。でもその時自分たちは、艦娘として呼び起こされた時から何となく感じていた役目が、これなのだと思っていた。人類のために身を挺して戦うための知識を頭に詰め込むことが、今の役割なのだと思うことにした。

 互いに得意分野が違うことに気付いたらしい先方は、明石には鎮守府の設計や、工廠技術と妖精との交流の仕方を。大淀には艦隊指揮と提督に関すること、及び鎮守府の運営に関する全ての事柄を分け与えるようになった。

 自分たち二人には艤装がない。『だから君たちは戦闘面ではなく支援の役目がある』。『艦娘を率いて人類を救う役目だ』、と。

 よって『提督には服従せよ』、『提督の意見は人類の意見だ』とも言われた、と。

 自然と大淀と明石は『何かがおかしい』と気付いていったし、まるで捕虜のような扱いだという現実に耐えるため、絆を深めた。励まし合い、むしろ自分たちがしっかりしていないと、いずれ出会う仲間たちまで同じような目に遭うかもしれない、と。だから熱心に勉強に励み、自分たちの役目を理解したと思わせることにした。

 そうしてようやく解放されてからは、鎮守府での二人の生活が始まった。初日はどちらともなく手を繋いでいたっけ、とぼやくように言っていたのを間宮は見ていることしかできなかった。

 『礼節や立場などを必要以上に厳格に定めないような人』が提督に選ばれるとは聞いていた。

 それもそのはずだ。彼らにとってみれば、『提督は上層部の傀儡であり、艦娘は礼儀など必要のない兵器』なのだから。整備や点検はするが、機嫌を取る必要はない――そう言っていたのである。

 だから――初めて提督に会った時。

 『もしかしたら提督は、研究者たちに聞いていたような人ではないんじゃないか、って思いました。明石なんかは希望が湧いたような顔をして、挨拶に自己紹介を忘れるくらいでしたから。私もきっと、緊張が解けてしまっていたんです。そんな明石に対して、戯けてみせたりなんかして……。その後の、“裏切られた”っていう明石の顔が……本当に辛かった』

 ウイスキーと共に沈んでいく大淀は本当に珍しく、間宮が見た限り、その日が一番辛そうだった。

 大淀たちと同じ目には遭っていない間宮には、残念ながら助言することができなかった。自分も同じように半監禁状態に置かれて料理の知識を詰め込まれていたなら事情は変わったのだが……。

 提督の仕事振りに対する評価として、上層部は秘蔵の鉄片を使用して間宮を呼び起こした。決して艦娘たちの舌を幸福で満たす目的ではなく、あくまでも艦娘の行動を食事で持続させるため……だったのだろう。元々、艦娘による深海棲艦狩りが上手くいった暁に間宮を顕現させる計画ではあったようだ。

 同じ経験をしていない以上、間宮が言えるのは一つだけだった。

 『このお酒を持って、提督と少し、話し合ってみてはいかがでしょうか』と。

 ウイスキーを好んでいた大淀に日本酒を勧めたのは、きっと提督の好みが日本酒だと思ったから。根拠は残念ながら無かった。何となく、勘で。それに、絆を深めるという意味では、日本酒で杯を交わすのがいいと思ったから。

 二人で飲み潰れてみれば……もしかすると、新しい道が見えるかもしれない。そんな期待をしていたのだろう。

 大淀は、すべてを聞いた直後とはいえ、提督に酒を勧めるのは気が引けた。それに自分もまだ答えを出せていなかったから。でも……ちょっとだけ勇気を出してみたのだ。後に提督の正体を暴こうと立ち上がった、明石と同じように。大淀も似たような悩みを持って、そして自力で解決していたのである。

 執務室で飲み明かしたその日、提督は蕩けそうになっている目と顔を精一杯引き締めて、『自分も逃げてきたから』と言った。提督が覚えているかどうかは知らない。

 『友達のお父様が海で亡くなってしまって……その友達は、提督になって仇討ちするって意気込んでいたわ。でも……最終的には、私が選ばれてしまった。彼女、ものすごく怒ってて……ひどく殴られたし、でも……解決できなくて……それで、逃げてしまったのよ……』

 提督になれば何かが変えられると思った。友人も自分が立派な提督になればいつか分かってくれる――そんな風に考えていた。でも日に日に嫌がらせは増えるし、上と仲がいいから締め付けが強くなっている。このままではいつか、一番親しかった人に潰されてしまう、と。

 それが怖い。提督は酔いの勢いで零したのだ。

 一番の友人に――つまりあの目付きの悪い人に――殺される日が来るのではないかと怯えていた。

 そんな怯えている提督を見て、大淀は、自分たちと同じようなものを感じたのだ。具体的には違うが、似たような不安だった。だから、一度だけ、今だけでも信じてあげたいと思った。明石と助け合っていた時のように、一度だけでもいいから、この人を信じてあげようと思った。確実に、絶対に信用できるのだと断じるのは、もう少し後でもいいから。

 だからまず、大淀は妖精に依頼して、その友人が仕掛けた罠のようなものがあるのではないかと探してもらった。すると、カメラとマイクが無数に発見されたのである。

 提督は攻撃を受けていた。鎮守府も同様に。味方に背中を狙われているような状況にあったのだと知った。提督も提督で、極限状態に立たされていたのだ。

 それでも一刻も早く事態を収拾するために、自分が立派な提督であると上に示さなければと思った。だから艦娘たちに対し、冷たく融通の効かない提督を演じた。

 そうしている内に立派な提督だと認められれば、友人とも和解できると思ったから。

 だが、そうはならなかった。

 明石が引き金を引き、その憤怒に燃える友人が鎮守府に来るとなった時、提督はそれまでで一番、取り乱していた。怯えていたから。直接乗り込んできて撃たれるかもしれないとさえ、思っていたのかもしれない。

 でも、大淀が支えた。かつて間宮に言われて提督と飲み明かすことができたように、明石にも同じことをさせてあげる機会を設けた。それも、かなり手早く。

 提督は辛うじて平静を取り戻した様子で、明石との和解が上手くいったと笑った。

 大淀がしたこと、明石にしたこと――どちらも腹を割って話しただけだ。

 『だから今度も、そのご友人と腹を割って――殴り合ってでも、話してみてください』

 大淀はそうして提督を説得した。自信を獲得した提督は、再び、友人との和解を目指そうとしてくれたのだ。

 それが今度は、上手くいった。この上ないくらい完璧な形で上手くいったのだ。

 提督はかつての友人を少々強引な手段で暴き倒し、自分がやっていた異常な行為の数々と向き合わせることで正気を取り戻させた。元から熱しやすく冷めやすい性格であった彼女が、ここまで長い間恨みを燃やし続けていたのは、半ば引き下がれなくなっていた何かがあったからだと調べて知っていたから。

 彼女もまた、上層部に操られていたことを知った。

 提督が武器を陸軍から取り寄せた方法とか、提督の友人がしていた不正行為の証拠を集めた方法なども含めて。

 その答えは――最初からずっと、提督が持っていた。

 

 

  1

 

 静寂の会議室が暗転し、スクリーンに映像が流れ始めた。

 提督はまず『艦娘に依頼して製作してもらった』と紹介した狙撃銃に、12.7cm砲で使う艤装用の砲弾を装填し、構えに入った。映像はそこで早送りされ、時間が進む。うつ伏せで熟練のスナイパーのように海に向けて構える提督の先に、ヲ級が映し出される。

 充分にカメラにも映る距離まで引き付けた時、提督が一発目を発射する。

 銃とは思えないほどの発砲炎が吹き出し、提督の身体は反動で屋上を滑った。発射の瞬間提督の苦しそうな呻き声も含まれていた。想像以上の反動があり、それに熱気が髪を焼くのではないかとさえ思ったくらいだったからだ。

 しかしすぐに二発目を装填し、今度も命中させた。二発目の発射と同時に甲高い金属音が鳴っており、映像でも金属片が弾き飛んでいる様子が見て取れた。

 この時点で銃は崩壊寸前だった。しかしヲ級を仕留めきれていないと判断した提督は、折れて飛んでしまったコッキングレバーを足で蹴ることで装填、三発目を構える。

 だがこの時、この試製単発銃の本体温度は、高温だった。提督は肩が焼けていることを自覚していた。映像にも、生々しい音が録音されていた。

 そして三発目の発射と共に、提督の身体は爆風を受けて一時画面から消えてしまうほど吹き飛んだ。しかし命中はしており、ヲ級が居た埠頭で爆発も起こっていた。

 提督が手にしていた単発銃は三発の発射で完全に壊れてしまった。銃身がまるで花弁のように開いてしまっており、あまりの高温に蒸気が立ち起こっている。四式小銃という銃をモデルにしていることから木製の銃床ではあったが、そこに金属板を埋め込むことで強度を上げていた。だがそれが仇となったのか、木製の本体から煙が上がってしまっていたのだ。

 金属板がないグリップ部分は何とか持つことができていたし、提督は達成感もあって銃を手放すことはできなかった。そこで映像は止まり、会議室に明かりが戻る。

 「――以上が、今回の私の戦果です」

 映像の余韻が会議室に立ち込めていた。素直な驚嘆と、これまでの自分の思い込みをすぐに反省する聡い者、そして――敵意をむき出しにして顔を真っ赤にしている者。

 さらにもう一人、全く正反対の澄ました表情で全体を眺める者が居る。

 提督は肩の火傷を治療するため片腕を吊っていたし、飛んできた破片で怪我をした顔には縫合用のテーピングをして、服の下でも何箇所かガーゼを貼っている場所がある状態だった。むしろその見た目こそ、彼女が戦ったのだという証となり、堂々とした立ち居振る舞いが自信を表していた。

 提督はそのまま、持論を展開する。かつてこの会議の場で提案し、袋叩きに合い、二度ほど挫折しかけた理想を語った。

 提督のことを信頼してくれた艦娘が作製した武器で、深海棲艦を倒すことができた。

 その証明映像もあり、艦娘が作ったというその武器の現物も持ち込んでいる。ただ、もはや原型は留めていないため、残骸と言って差し支えなかったが。

 つまりこの技術はまだまだ未完成だし、実現は遠い遠い先の話になるということを示している。

 だが、そこには可能性が秘められていた。

 人類が諦めてしまった光が差したのだ。

 彼女はそれを自ら証明し、そして――信頼を勝ち得た。

 会議の場は、かつてとは真逆で――拍手の中終えられた。

 「っ――」

 提督は深い一礼をし、顔を隠した。

 そして全員がこの場を後にしようとした瞬間、会議室の扉を開けて入ってきたのは、提督の友人その人であった。兵士二人を伴って、お迎えに来たのだ。

 「まだ一つ、用があります」

 立ち去ろうとしていた将校たちを前に、逮捕状を掲げる。

 「――お分かりですね」

 まだ席から動けずに居た一人の軍人が、恨めしげにその書状を見ていた。

 「そんなことをして、君もただでは済まんだろう」

 低く唸るような声。顔には血管が浮き出て、今にも心臓が止まりそうなほど。哀れな顔だった。

 提督は、顔を上げることができないままだった。必死に、感情を抑えていたから。

 全てが終わる瞬間は、提督にとってはもう迎えたものだ。ここで今起こっていることは、自分ではなく、友人にとっての完結劇だから。

 「そうですね。ただ、くたばる時は道連れにしてやるつもりでしたから」

 兵士に指示を出すと、その将校は直ちに拘束され、部屋を後にした。

 提督が暴いた真実には、紛うことなき反逆の痕跡があった。その動かぬ証拠を軍令部に提出した人物こそ、彼女。さらに――その反逆を提督に伝えた人物が居る。この場に。

 静かに連行された男の背中を見届けてから、ようやくその人は立ち上がった。

 あの日、打ちのめされた提督にたった一人声をかけた大将殿だ。

 彼は提督を叩くこともなく会議を静観していた。そして最後には、『後の事は頼む』と託してくれた人物だ。彼は自らの意見をひた隠しにしながら、腐ってしまった上層部を嘆いていた。

 そこに提督があの提案を持ち込んで針の筵に立たされた光景を見て、心苦しく思っていた。しかし、どうすることもできなかった。あの場では。

 だが彼女は折れず、会議の直後大将を呼び止めて協力を仰ぎ――こうして戻ってきた。そして、確かな未来を見せてくれた。

 人類が目指すべき未来を。忘れかけていた未来を取り戻させてくれたのだ。

 提督が明石の離反を知らされたあの時、提督は『あの人が調査員としてやって来る』という事実に取り乱した。決して『告発状が提出された』ことに驚いたのではなかったのだ。

 何故なら、事前に知らされていたから。

 ゴミ収集車の職員が鎮守府内に手紙を持ち込み、それを誰かに拾わせる。宛名を見れば誰でも提督に届け出ることは当然だったため、必ず手紙は提督に届けられた。そうして提督は、彼による軍内部の告発を受け取ったのだ。

 『鎮守府内の艦娘から提督の不信を訴追要請する告発状が届けられた。宛先は、君をずっと睨んでいる将校だ。お気に入りの部下に鎮守府を監視させている上、あらゆる不正行為を是としている。鎮守府と君を狙った謀略があることは事実だ。警戒したまえ』

 差出人は当然書いていなかったが、提督は知っていた。唯一の、鎮守府外部の協力者だったから。

 『やはり狙われている』という不安を掻き立てられた。

 だからこそ、鎮守府がもし直接狙われるようなことがあれば――多少無茶でも、鎮守府に艦娘を残すわけにはいかなかった。護衛艦が深海棲艦を連れて鎮守府にやってきた時、既に出撃していた遠征組を差し引いて全ての戦力を用いたのは、鎮守府に万が一のことがあっても彼女たちを守れるようにとの配慮だったのだ。

 さらに言えば、狙われたのが提督なのだということを明確にできた。艦娘の居ない鎮守府を深海棲艦に襲わせるなどという奇抜なアイデアで提督を殉職させようとしたようだが、その証拠は実に何日も前に集めきっていた。告発状の受理から調査員の派遣まで一週間もの期間があったことが何よりの救いだった。明石に話した証拠の隠し場所には、数日以内に将校の不正の証も追加されていたことなど言うまでもない。

 さらにこれは別件だが、不正を行った将校は、事前に『深海棲艦が鉄を始めとする資源を求めている』という事実を掴んでいた。長年の経験からか自ら推察したのかは不明だが、かなり確実性の高い事実として把握していたのである。だからこそ鎮守府の側には、『回収した鉄くずを保管させる』という役割も担わせていたのだ。つまり今回の攻撃は、なるべくしてなったという恐ろしい計画の結果だったのである。鎮守府が狙われたのには、ちゃんとした根拠があったのだ。

 大将はただ立ち上がって、まだ顔を見せまいとしている提督に対し、静かに言った。

 「よく耐えた。感謝する」

 寡黙な大将はそうして、騒然と終わった会議室を後にした。

 残ったのは提督と――その友だけ。

 「……泣いてんのか? ザマ無えな」

 「そうよ……悪い?」

 袖で涙を拭い去って、何とか顔を上げた。

 友人……悪友は、急に改まった。背筋を伸ばし、敬礼を一つ。提督が驚く間もなく、その場に膝をついた。そして、頭を下げる。

 「――すまなかった。これまでの――全部」

 提督もまた、一呼吸置いてから頷いた。

 「……ええ。許すわ。そして――ありがとう」

 「ああっ……。こっちこそ、ありがとう……!」

 悪友の声が変わる。

 「……泣いているの?」

 「クソッタレ…………海水だ! 浸水しやがったんだ、ちくしょう!」

 「ふふ……」

 気づけば二人とも充血した目で握手を交わしていた。

 悪友は言う。

 「……深海棲艦はお前に任せる。……あたしは田舎に帰って、親父への恩を、お袋に返す」

 「それがいいわ。……連絡はしてね」

 「ああ。時折電話する」

 そこで、気付いたように早口で続けた。

 「電話と言えば携帯落としたんだった……。おかげで有線探したんだよなクソめんどくせぇ」

 「ちゃんと探しなさいよ?」

 それだけ言っておいて、こちらも言いたいことを言うことにした。

 「あの娘たちも、あなたのこと嫌いじゃないと思うわ」

 時折、会いに来るのはどうかと誘ってみる。

 しかし彼女は首を振った。

 「いや……もういいんだ。艦娘の活躍は、新聞で見ることにする」

 でも、と続けた。

 「たまには海を見たくなる時が来るかもな。……その時は、艦娘よりも、お前と話したい」

 「そう」

 「……軽いな」

 「それ以外に何と答えればいいのよ?」

 「……それもそうだな。忘れてくれ」

 内心、もう少し何かあってもいいんじゃないかと思っているのがありありとわかった。

 折角仲直りしたのだし、と。

 だが、これも彼女らしいか。

 「そうだ。……早く鎮守府に帰ってやれ」

 「急に何?」

 「鎮守府の復興が第一だろ。それに、あいつらにはお前が必要だ。寂しさで死ぬ艦娘とか居たりするんじゃねえの?」

 「否定したいところだけど……どんな艦娘が出てきてもおかしくないのよね……」

 「だろ? だから早く帰ってやれよ。……あと、もう一つ」

 時計を見て何やら一、ニ、三……と五まで数えた。

 「あと少しで、建造ドックにプレゼントができるな」

 「……あ」

 「思い出したか? 言っただろ、『戦艦をプレゼントしてやる』って。置き土産だ。しっかりやれよ、提督」

 「ありがとう」

 「じゃあな」

 提督の火傷をしていない方の肩を叩いて、悠然と出て行く。

 悪友の背中には、もう迷いや霧は存在していなかった。誰かのところに繋がっていた糸も、綺麗さっぱり消え去ったようだ。

 もう一度、悪友の背中に礼を言った。

 提督は軍帽を被り直し、因縁の場所にけりを付けた達成感を胸に、鎮守府へ帰ると決めた。

 

 

  2

 

 こっそりと鎮守府に帰ってきた提督だが、執務に戻る前にやっておかなくてはならないことがあった。工廠へと向かって、ロープと滑車装置を持ち出す。

 そして……新入りの艦娘の協力を仰ぐことにした。

 「司令官……。イムヤの初仕事が、これなの……?」

 言いながら海に向かって手に持った小さな板切れでシャッターを切っていた。

 「スマフォ……どうして?」

 お互いの疑問が口に出てしまったが、まずは提督が答えることにした。

 「まあ、いいわ。これも、そのままにしておくわけにはいかないから、助けてもらいたいのよ」

 「潜って、このロープを結びつければいいの?」

 「そう。ここの海底に落ちている船の欠片。みんなに言わないまま捨てたみたいになってしまっているから……気分が悪いのよ」

 「それはさっきも聞いたわ。司令官は潜らないの?」

 「ダイビングスーツがあればよかったのだけれど……」

 二人の背中に、新たな声。艶やかな声色の“戦艦”がリアカーを持ってきてくれていた。伊168、イムヤと同時に着任した『陸奥』だ。友人の置き土産。彼女は長門を作ると言っていたが、やはり妖精の気分までは思いのままにできなかったらしい。

 「荷車、持ってきたわよ」

 「ありがとう。ここに」

 提督が位置を指定し、滑車装置にロープを渡した。

 「じゃあ……イムヤ、お願いするわ」

 「はーい」

 係留した浮き輪の上から勢い良く飛び込んだイムヤは、素潜りの要領でロープを持って海底まで進んだ。

 「提督って、こんなことまでするの?」

 やや間延びしたような喋り方をする陸奥は、露出の多い服で水面を覗きこんでいた。両手は腰元で組んで、やや胸元を強調しているようにも見える。

 「……」

 視線が自然と自らの胸元に……。

 「提督? ねえっ聞いてる?」

 「え? あ、えっと……礼儀みたいなものよ」

 「ふうん……?」

 ロープが結び付けられた合図として、ロープが大きく揺れた。提督はそっと滑車の下に行き、ゆっくりと引き始めた。片腕は火傷していたので、足と自分の体重を上手く使って引く。

 「うんっ」

 意外にも重い。もしかするとイムヤは、何個も纏めて縛ったのかもしれない。

 「手伝ってあげるわ」

 陸奥もしなを作りながら歩み出ると、提督の後ろにつく。曲がりなりにも戦艦であり、鎮守府の艦娘の中でも大人の身体をしているため、力は提督と同等かそれ以上はあるのかも知れない。提督も最低限鍛えていたつもりだが、イムヤの頑張り次第で、今は辛かった。だから陸奥が居てくれたことが素直にありがたい。

 そうしていざ吊り上げられた鉄片は五つだった。これは重いわけだ。何とか滑車まで上げてリアカーに載せた。

 それに合わせたのか、イムヤも一旦顔を出す。

 「司令官、重くない? イムヤも手伝う?」

 「これくらいなら何とかなりそうよ。一つ一つやっていても日が暮れてしまうし、この調子でお願い」

 「下、すっごく大漁なんだから。どうしてこんなに投げ入れちゃったの?」

 「色々あったの。……まあ、他の娘からも聞けるかもしれないわ」

 二人には最初から素顔で接している。もしかすると少しばかり戸惑いが生まれてしまうかもしれないが、些細な問題だとも思う。

 金具付きのロープをそっと投げ入れると、またイムヤがそれを持って潜水を開始した。

 ロープは勝手に沈んでいくので、イムヤが毎度のように顔を出す必要はないのだが。

 彼女はかの伊号潜水艦だ。長時間の潜水もお手の物である。

 そうやって次々にテンポよく鉄片の回収を済ませた提督たちは、リアカー一杯になったそれを見てまた溜息をひとつついた。

 「大丈夫、お姉さんがついてるわ」

 言いながら陸奥はリアカーを後ろから押してくれる。かなり力強かった。

 「……私とあなたって、どっちが年上なのかしらね」

 「さあ? 私は……生まれたばかりよ? それとも艦齢で言ったほうが良いの?」

 「やめて……それはやめて……」

 「そうよね。私だって嫌よ」

 「だったら金輪際、艦齢の話は無しにしましょう。その方がいいわ。そうに決まってる……」

 「司令官はいくつ? 何歳?」

 イムヤも同じく後ろから問いかけてきた。

 三人でリアカーを押しながら、雑談も始まってしまう。

 「提督としては若い自信がある……と言っておくわ」

 「あら。あらあら。誤魔化すの?」

 「“若すぎる”とも言われてるのよ。だから……少しサバを読んだわ。上に」

 カシャ、とシャッター音。……って、そのスマートフォン、まさかとは思うが、見覚えがあるようなないような……。

 「ちょっとイムヤ……? どうして撮ったの?」

 「色んな娘に聞いてみようかなーって。司令官がいくつに見えるか」

 「……。二十代って回答じゃダメなのかしら……」

 そんな辱めは受けたくない。

 「上にサバを読むくらいの、二十代なのね?」

 「そうよ……」

 「司令官、すごく若いんだ」

 「……恥ずかしいわ」

 リアカーを引いて工廠にたどり着くと、元の鉄くずの山に中身を戻した。

 想定よりも大変だった。イムヤがいなければ作業はもっと難航していたに違いない。本当に助かった。

 鎮守府襲撃の際羽黒が回収、白雪が持ち帰った鉄片は、イムヤのものだった。鎮守府初にして唯一の潜水艦であった。そして戦艦陸奥も。

 後日談になってしまうが、最新の観測で、南方海域に現れていた『大和』の残骸は、残念ながら捕捉不能になってしまったらしい。つまり、行方不明になってしまった。提督としては、『大和』を確実に保有するチャンスを失ったことになっていた。

 「それじゃあ私も、年齢、“それくらい”ということにしてあげるわ」

 「まだその話題続くのね……」

 「いいじゃない。ややこしくなるよりは、大体でも決めちゃったほうが楽よ」

 しかし、悪くない話ではある。戦艦の中でも最大級の長門型戦艦が同い年くらいであると主張してくれるのであれば、鎮守府内の形式だけの年功序列も明確化される。

 「いいわ。……そういうことにしましょう」

 「うふふ。でも、私はお姉さんよ?」

 「長門でしょう。姉は」

 「提督のお姉さんになら、なってみたいわ」

 「同い年と言ったばかりじゃないの……?」

 「同い年“く・ら・い”よ♪」

 「……イムヤ、写真撮って、写真」

 首元に絡んできた陸奥の腕を掴んで押さえると、必死にアピールした。イムヤも慌てながら一枚撮影する。しかしその頃には陸奥もノリノリで、華麗にウインクとピースを決めていた。

 「いつか長門が来たら長門に見せるわ。きっと叱ってくれる。そうよ……姉だもの。国民レベルのビッグセブンなのだから……!」

 「あらあら。どうかしら? 分からないわよ?」

 「ど、どうして?」

 まさか長門がどんな艦娘なのか分かっていたりするのだろうか。

 「うふふっ。だってぇ、私の姉よ? もーっと積極的かも……?」

 「…………くぅっ」

 耳元で囁かれてしまう。如月の積極性に似たものがあるが、駆逐艦と戦艦では……なんというか、物量だけでなく、あしらいにくさも段違いのように思えた。

 誰か助けてほしい。

 その願いが通じたのか、工廠の鉄扉を開けてやってきてくれたのは、明石だった。

 「あれ? 提督? いつの間に帰ってきてたんです……か?」

 「明石! 丁度よかったわ!」

 明石は提督と陸奥が絡み合っている姿を見てどう思ったのだろう。一方的に陸奥が絡んでいただけだったが。……というより、イムヤに撮らせた写真も、思惑通りの働きをするものなのだろうか?

 必死で手招きして呼び寄せると、まだ呆然としてる様子の明石に陸奥を紹介した。

 「こちら鎮守府初の戦艦である……陸奥よ。明石もきっと、興味あると思って」

 「えっと……どうも」

 明石は提督と陸奥の姿を見て何を言えばいいのか分からなくなってしまっていた。

 「よろしくお願いするわね」

 陸奥の華奢な手が明石と握手を交わす、が、陸奥は提督に後ろから抱きついたまま離れようとしなかった。

 「あと、同じく鎮守府初の伊号潜水艦伊168も」

 「イムヤでいいわ。よろしくね」

 イムヤが明石に向かって手を差し出す。明石は紺色の水着姿に面食らいながらも応えた。どちらも、駆逐艦に負けず劣らない強い個性を持っているようだった。というより……印象か。

 「あーっと……提督、明石はその……別の用事が」

 両手を胸の前に持ってきて意味のない指の動きであらぬ方向を指している。完全な混乱状態であるようだった。しかし明石はどんどんと後ずさっていってしまう。

 「逃げないで! 助けて」

 「おっ、大淀に言いつけちゃいますからぁっ!」

 「どうして!?」

 耳元で陸奥が含み笑いを鳴らし始めた。楽しいのは陸奥だけだ。間違いない。

 明石はそのまま工廠を飛び出して行ってしまった。

 「そんな……」

 耳元でずっと笑っている陸奥だったが、ひとしきり笑った後、ようやく提督を開放した。

 「提督、ごめんなさい。謝るわ。ちょっと意地悪しすぎたわね」

 「はぁぁ……」

 陸奥に絡まれてからの十分で一日分の体力を奪われたような気がした。

 「あなたがどれくらいみんなに好かれているのか、ちょっと知りたくなったのよ」

 「どういう意味かしら」

 「さっきの娘の反応だけで充分だわ。提督、あなたいい人なのね」

 陸奥は小首を傾げるようにして微笑んだ。後ろ手にしてしなを作るのが陸奥の癖なのだろうが、やはり様になっている。非常に美しい戦艦だった。

 さらに可憐に一礼をすると、畏まった声で言った。

 「艦娘としてこの鎮守府に呼び起こされたこと、非常に嬉しく思うわ。初仕事が出撃じゃなかったというのも、面白かったし。ウフフ」

 陸奥はそのまま提督に向かって小さく頷いた。

 「あなたの“初めて”の戦艦として全力で戦えること、光栄よ。私に手伝えることがあるなら、いつでも言ってね」

 最後のウインクはともかく、なぜそこを強調したのか。

 聞く人が聞けば間違いなくドギマギしてしまう色気のある言い方だ。

 駆逐艦だけでなく、戦艦さえも個性豊かであるらしい。

 艦娘との生活は、やはり全く飽きないものになりそうだった。

 毎日が絶対に忙しく、騒がしくなる。

 新たな仲間イムヤも加えて一層――鎮守府は…………。

 「……イムヤ?」

 こちらに背を向けて何かしていた。声をかけても反応がないので少し気になり、肩越しに覗きこんだ。工廠のライトが影を作って、イムヤの持っていたスマフォ周りが暗がりになったことで気付かれる。

 「はっ!」

 「使いこなしているようね」

 「あ、遊んでたんじゃないからね!?」

 「別に怒っているわけじゃないのよ。ただ……」

 「ただ……?」

 「艦娘と“現代”は……別に切り離さなくてもいいのかも……知れないわね」

 提督はそれだけ呟いて、イムヤに言った。

 「もしそれの調子が悪くなったりしたら私に言って頂戴。分からないことばかりだろうから」

 「分かったわ。司令官が言うなら……そうする」

 「あとひとつだけ聞かせて。それ、誰かから貰ったもの?」

 心当たり通りなら……そのスマフォは……。

 「ううん、落ちてたの。あっちの方で」

 建造ドックの方を指して言うイムヤ。それで興味を惹かれて使っていたということらしい。

 最後に建造ドックに入って、スマフォを持った人間とは……あいつしかいない。『携帯をなくした』と言っていたのを思い出す。

 「そう……まあ……仕方ないわ。とにかく、何かあったら私に任せて」

 恐らく電池切れが起こり、動かなくなったら持ってきてくれるはず。そうすれば、同じ製品の新品と交換してあげようと思った。何故なら、あれを落とした本人が一番困っていそうだから。

 「カメラ……なのよね?」

 後ろから陸奥が問いかけるが、その説明は省きたかった。

 「その辺りは、これから時間を掛けて知っていきましょう。今は、私も執務に戻りたいから」

 二人を大淀と会わせて寮に案内させよう。やることは沢山あるのだった。

 

 

  3

 

 明石と艦娘、そして妖精たちに鎮守府の修繕を頼んでいた提督は、その日は一日中外での作業に追われた。工廠で陸奥たちと戯れていたのも束の間、日中の全てが潰れてしまった。

 妖精と明石は鎮守府の設計を熟知していて、こういった事態には土木建築業者顔負けの活躍を見せる。

 それに……妖精の手に掛かれば、建造と同じ要領のカーテン一枚隔てるだけで、人間がやるよりも数千倍早い時間で建物をも組み上げてしまう。明日には鎮守府の本棟も復興し、執務室に戻ることもできそうだ。後の損害は修繕費用と資源と相談しながら、明石指揮の下で少しずつ直していけばいい。

 どこかの誰かが戦艦を作るために消費していた資源量を思うと、財政難の市町村並みの修繕速度になってしまいかねなかったが……。時間はある。のんびりやっていこう。

 

 残暑の頃、提督はとてもじゃないが制服姿で居られずに、トレーニング用の恰好で帽子は木綿のバンダナという、軽やかで涼しげな恰好へと変貌していた。提督のそんな姿を見ることもまた初めてだった艦娘たちも、最初の内は遠目に見ているだけだったが、綾波を始めとする何人かが差し入れの麦茶を持っていくなどのきっかけを経て、徐々に慣れ親しむことができていた。

 艦娘たちは任務もあり、ローテーションも組まれていたため顔ぶれは頻繁に変わったが、提督はずっと鎮守府のために身を粉にしていた。

 夕方、藍色の帳が空に降り始めた頃、妖精が笛を吹いてお得意のカーテンを宙に舞わせたのを見て、ようやく提督も一日の終りを実感した。これで一晩経てば、鎮守府本棟は再建だろう。

 工廠にあったクレーンを使って一時的に空き地へ集められていた瓦礫に座り込んだ。夏場の一日続いた肉体労働の疲労は正直言って尋常ではなく、既に猛烈な眠気に襲われていた。

 「提督? お疲れみたいですね」

 大淀が隣に腰を下ろした。

 大淀には、被害の無かった重巡寮の一室で通常業務を最低限の範囲で任せていた。一日、提督の代理を務めてくれていたのだ。

 「ええ……もう……このままここで寝てもいいくらいよ……」

 言いながら、堅いコンクリートの上に寝転がってしまう。自分が脱ぎ捨てていた服を枕に、目も閉じてしまう。

 「ダメです。風邪を引いてしまいますよ」

 「眠るところ……無いわ……。考えるのを忘れてた……」

 執務室か、そこに隣接された空き部屋で眠ることがほとんどだったし、鎮守府内に一応建てられていた一軒家に帰宅する習慣もなかった。何より、空襲で木っ端微塵になっていたし。

 「そういう時に大淀が居るんです。間宮さんがお座敷を貸してくれるそうですよ。夕食と朝食も付きます。また本日に限り、お代はいただかないそうです」

 「……そう」

 寮の部屋ではなく敢えて間宮というところに、思いやりを感じた。あそこは、提督と艦娘の中立地帯だ。言い方は物騒だが、とにかく艦娘たちに余計な気遣いをさせたくなかったのだろう。また、逆に艦娘たちが疲れている提督を煩わせないように。

 「なら……お邪魔しようかしら……」

 提督はのっそりと身体を起こして、一呼吸置いて立った。

 「司令官! 間宮さんが待ってるって言ってたぜー!」

 通りがかった特型姉妹の中から、深雪が手を振っていた。白雪は肝を冷やしていたようだが、提督も手を振り返したのを見て、彼女も小さく一礼していた。

 「きっと今日は、みんな疲れているはずですから。間宮さんも繁盛しそうですね」

 「そこに私が行ってしまったら……やっぱり迷惑じゃないかしら」

 「あぁ……それは、きっと大丈夫ですよ。甘いものでも食べながらなら、もっと仲良くなれるはずです」

 最初だけ大淀が言い淀んだ理由は分からなかったが、疲れている提督は特に気にしなかった。

 「いいわね……甘いもの……」

 亡霊のように呟いた提督が歩き出したのを見て、大淀は提督の軍服を持って追いかけていった。

 

 ――

 

 「みんなー! 司令官呼んでおいたぜー!」

 深雪が姉妹と共に元気よく飛び込んできたが、ほとんど全員から『シー!』と怒られ、吹雪たちに連れられていった。

 「ごめんごめん……! 悪かったって」

 そこに間宮が姿を表し、手を叩いて注目させた。

 「大淀さんから秘密通信がありました。提督とこちらに向かっているそうです。準備はいい?」

 『はーい』という声と『了解』の声が交じり合った大勢の声。

 ――これだけの娘たちが提督のために集まってくれましたよ。

 間宮は満足気に笑みを零す。

 本日最後の遠征に出ている娘たちの中にも、手紙を残していった娘もいる。

 みんな提督ともっとお話したかったのだ。

 提督は自分たちのために必死に戦ってくれた。そのことが余計に拍車をかけたのだ。

 きっと提督自身が思っているよりもずっと、艦娘たちはしっかりと見抜いている。

 自分たちが戦う時、長い間一緒に過ごした“海”に願うように。

 海が教えてくれる。暖かくて、優しくて、安心できる場所を。

 それがきっと――“ここ”なのだ。

 提督があらゆる全ての敵から守り抜いてくれた、この鎮守府なのだ。

 

 ――さあ、提督。みんなで作った食事がお待ちですよ。

 

 

 Fin.




お読みいただき誠に恐縮、ありがとうございました!

_/_/_/_/_/

※第一幕の前書きに記載した通り、他サイト(Pixiv)からのマルチ投稿作品です。同名アカウントにて活動しております。
※上記サイトにて長編小説として投稿したものを、当サイトの投稿形式に合わせる形で分割したものです。不自然な箇所が残ってしまっている可能性もあります。その際はお教えいただければ幸いです。

_/_/_/_/_/

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。