「やった!やったね大鳳ちゃん!」
バシバシと背中を叩く瑞鳳。だが大鳳は陰鬱な表情だ。
大鳳の視線は赤トンボを追っていた。
発艦したばかりの赤トンボの機体が残像のごとくその姿をブレさせていく。
ブレは次第にひどくなり、最後には赤トンボは消え、矢がコロリと草原に落ちた。
滞空時間およそ18秒。しゃぼん玉のような呆気なさ。
「また…」
装甲空母は下唇を噛み締めた。
軽空母はその言葉を聞き逃さなかった。
「また?」
「報告書にありませんでしたか?何度か発艦だけならば成功したことがあるんです」
問題は発艦成功確率と発艦後の持続時間だ。
一番よかった時で16本中1本が発艦成功。持続最長記録は62秒。
実戦では到底使い物にならない記録。
求められた事をする際 、実現化最低限の能力が無くては能力があると判断されない。
「ああ知ってたけど?」
あっさりとした返答。
「知ってた…!?ではどうしてこんなことをさせたのですか!?」
「ふむ…」
今となっては疑問しか湧かない瑞鳳の提案。悪意があったならば許さない。
口に人差し指をあて思案する瑞鳳。
「そうだね…。少し長くなるけどいい?」
「かまいま…(グ~~~~)
唐突な腹の虫の鳴き声。
体力も機力も消費し気づかない内に大鳳の胃の中は空っぽだ。
「~~~~!!」
顔を紅く染め、腹を押さえつつ前のめりになった。
「ははっ食堂に行こうか」
「………はい」
瑞鳳の後をトボトボと肩を落としながら道場を後にした。
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訓練所は旧官舎があった場所であるから所々その面影を残す。食堂がそれにあたった。
黄色の防水シートを敷いた床。一部消えたままの蛍光灯。木工の角張った四人がけの机と椅子。食堂と厨房を繋ぐカウンターから湯気が漏れだし天井を這う。
二隻は厨房近くの椅子に腰をおろした。カレイの煮付け、鶏の唐揚げ、ひじき、中盛りの白米が大鳳の前に並ぶ。瑞鳳は持参した弁当に箸をつける。桜でんぶと肉そぼろがかかった白飯、ハムを挟んだ卵焼き、ツナと玉ねぎサラダとミニトマトとブロッコリー、ウサギ形のりんご。可愛らしい中身に大鳳は目を奪われた。自作だと言われさらに驚く。
気を良くしたのか卵焼きが大鳳の皿に置かれた。冷えて固くなった卵焼きとハムの食感は実によくあい、ハムの塩分と油の旨味を引き出す。
「おいしいです」と賞賛すると瑞鳳はくすぐったそうに照れた。
瑞鳳が話し出さないから大鳳は先の謎について聞きたがらなかった。
その代わりに最近読んだ本、授業でわからなかったところ、瑞鳳の失敗談、料理、提督、流星の美しさ、九九艦爆の可愛さ。とりとめもなく、くだらない話をした。
照れて、からかって、驚いて、うなずいて、笑った。
今日は箸がよく進む。空腹は最高のスパイスという言葉は本当だと大鳳は納得した。
本当に今日は箸がよく進む。
だからだろうか、時折現れる瑞鳳の苦渋に満ちた表情に気づけなかった。
食事が終わり、2隻の前に2つの湯飲み。ほうじ茶の香ばしい苦味が口に広がる。
「そろそろ話してもらえませんか」
大鳳は湯飲みを置き、姿勢を正す。
その言葉を受けて瑞鳳は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「わかった」
この夜より長い夜を大鳳はまだ知らなかった。
瑞鳳がお茶うけに出された大判焼きの皮をかじる。
「と、その前に問題を出すよ。空母は発艦方式で2つに分類できるんだけど何と何かな?」
「ええと、弓式と陰陽式ですか?」
「そうそう」
瑞鳳は答えに満足げだ。
「2問目、ここに陰陽式の空母がいます。この空母が弓で発艦しようとしました。発艦できた回数は100回中何回?」
「それは…」
「0。絶対に発艦できない。」
答えに詰まるとすぐに正解が発表された。
「このことが今回とても重要だった」
大鳳がうなずくと瑞鳳は話を続けた。
「このことからあなたは陰陽式ではないことがわかる。そして第三の方式、つまり新種の方式でもない。間違いなく弓式だよ。機力を分析してもそうだったから、これはワタシが保証する」
「では、どうして道場で引かせたのですか?」
「龍鳳さんの報告が正しいかどうかわからなかったからだね」
よくわからない。どうして信用できないのか。もしかして仲が悪いのか。
大鳳が訝しげに眉をひそめたのを瑞鳳は読み取った。
「龍鳳さんの艦種が何か知ってる?」
「軽空母ですよね」
「今はね。昔、ほんの一年前は違った。龍鳳さん、いや大鯨さんは潜水母艦だった」
潜水母艦。潜水艦への補給を担当する補給艦である。
母とついているが空母とは何の関係もない。
大鳳は湯飲みを落としかけた。
「そんなことがありうるんですか!?」
「ありうる。ちょっとした騒ぎにはなったけどね。改装したことで機力が変質したらしいよ」
瑞鳳はぬるくなった残りのほうじ茶を飲みほす。
「だから龍鳳さんが大鳳ちゃんに会った時は軽空母になってから半年ちょっとしか経ってなかった」
「ということは…龍鳳さんは空母としての経験が乏しかった?」
「そういうこと。言っては悪いけど弓もまだ上手じゃなかった」
「……もしそうなら不満があります」
そんな未熟者を寄越したという訳だ。報告書が間違っているかもしれないと考えられる程の。
大鳳は眉間に皺寄せ、瑞鳳を上目使いで睨む。
うっと言葉につまった瑞鳳は空になった湯のみの底に溜まった茶の残りかすへと視線を逸らす。
「ごめんなさい。言い訳になるけど、あなたが建造された時はちょうど深海悽艦が活発化した時だったの。正規空母や熟練の軽空母はほとんど戦地や重要拠点に駆り出されてた。派遣する時期を遅らせたけれど、それでも空母会は新人の龍鳳さんを送るしかなかった」
それにね、と続ける。
「今は昔と違って分析機がある。艦娘が診るというのは慣習でしかないの。だから…、その…、そんなに重要視していなかった。あなたを苦しめる原因になるなんて考えもしなかった」
瑞鳳はもんぺを握りしめ喉奥から出ようとしない真実を無理矢理吐き出した。
「まさかあの大鳳が弓式の亜種だったなんて」
時が止まった。
考えられない。ただただ瑞鳳の言葉が脳内で乱反射する。
理解出来ない。なぜそんな結論に至ったのか、なぜ誰も気づかなかったのか。
認めたくない。始まりから私は間違っていたと。
「うそ…」
やっと出てきた二文字。これ以上続けられない。
瑞鳳は何も言い返せなかった。
大鳳の秘密を解明した時は知的興奮の熱に包まれていた。だが、熱が冷めるほどその真実がいかに残酷なのかを気づいてしまった。
知ってしまっていたのだ。目の前の少女がどれほど尽力、苦悩、葛藤、疲弊、逃避、覚悟、渇望したかを。
聞いているかわからないが瑞鳳は持論を展開する。
「あなたが弓式なら例え適当に引いても6割は発艦できるはず。さっきの20本はまだまだ拙い所もあったけれど最低7割以上は発艦できて当然の射形だった。だからあなたの技量は問題ない、原因はもっと根本的なところにあると考えたの。そして弓に似ている何かがあなたの発艦器具なのだという結論に行き着いた」
一旦息をつく。大鳳からはまだ何の反応もない。
続けて何故誰も気づかなかったのかの憶測を話そうとして躊躇した。
もしこの憶測が正しければ海軍という組織がいかに形式と思い込みに縛られているかを暴露するようなものだからだ。
だが、言うしかない。
「何故誰も気づかなかったか。その原因はあなただった」
その言葉にピクリと大鳳の髪が揺れる。
「でもあなたは悪くない。悪いのはワタシ達」
そんなはずはないと大鳳が首を振ろうとしたが、瑞鳳は「そうなの」と押し止めた。
その実、瑞鳳は自身の仮説をここまで肯していいものか悩んではいるがこのまま続けると決めた。
「まず龍鳳さん。龍鳳さんは大鳳ちゃんを診たけれど、曖昧に弓だと判断したのだと思う。低い発艦成功率はあなたと龍鳳さん2隻の練度の低さにあると結論づけた。そして空母会つまりワタシ。少し変だなと思ったけれど、特に疑わなかった。この国には正規空母が6隻いる。そのいずれもが弓式。あなたの前級となる翔鶴型も弓式。空母会はあなたを大鳳型としてではなく改翔鶴型と捉えていたの。測定器の結果も弓式だったから、これは弓式で確定だと」
今にして思えば何と根拠のない思考だろう。しかし、この考え方はずっとなされてきて、今まで支障がなかったのだ。だから疑問を呈する者は誰もいなかった。
大鳳は何も言わなかった。それが瑞鳳には嵐の前の静けさのようで少し怖さを覚えた。
「そして…研究所。まだまだ改良の余地が残されているけれど画期的な発明品、機力測定器。これを皆は絶対視する風潮がある。もちろん提督や上層部も」
机を作る時に寸法を間違えたと気づいたら人はまず自分を疑う。次に設計図を疑う。材料を疑う。だが最後まで物差しを疑わない。
「あなたの機力と弓式の機力は同じに感じるけれど確かに違う。龍鳳さんは気づかなくてワタシは気づくレベルだけど」
「……しかしその程度なら数値に出るのでは?」
やっと大鳳の口から出た疑問は当然のものだった。瑞鳳は大鳳が今までの話を聴いていたことに安堵すると同時に自分もわからなかったところを指摘され少し驚いた。
「そう、他の艦娘ならわかっていたかもね」
自分と他の艦娘に決定的な違いがあるというのか。大鳳はつい両手を机につけ前のめりになった。大鳳の反応が瑞鳳には苦々しい。
「それは…運」
運つまり運搬異常値。機力測定時に表示される異常値の頻度を表す。
大鳳に電流が走ったような、パズルのピースがはまったような閃きが浮かんだ。
「異常値の頻度の多さが他の空母との機力の違いを塗りつぶした…」
機力の不安定さゆえに機力の違いすら誤差と認識されてしまったのだ。
十年の歳月が艦娘の特定をマニュアル化していたということもある。
艦娘についてわかっていない部分はまだまだある。しかし時間が麻痺させていた。
瑞鳳はコクリと頷くのみ。
「そんな…」
大鳳は椅子の背もたれに身体を預ける形で背を反らす。
食堂の調理師は休憩に入ったのか食堂内には2隻だけ。ここだけ別次元にあるようだ。
ただただうつむくばかりの瑞鳳の耳に届いたのは小さなすすり泣き声。
「どうして…どうして…」
呪文のように何度もポツリポツリと呟きながら、右腕で目元を覆う大鳳。
やはり言わなければよかったのだろうか。いや、大鳳の周りの何かしらに異論を唱え変えなくては大鳳はこのまま腐り果てていくだけだろう。
だがやはりつらいものはつらい。この仮説が正しかろうが誤っていようが大鳳が純粋な弓式でないことは確定であり、大鳳のこれまでの努力はほぼ灰塵に帰した。燃やした犯人は瑞鳳だ。
「つらい思いをもう一度させることになるかもしれない。いや一度だけじゃないかもしれない。本当にごめんなさい。何でも言うことを聞くよ。気の済むまで殴ってもいい。恥をかくことも何でもする」
「……では教えて下さい」
泣き腫らし、しゃがれた声で大鳳は問う。
「どうして私は泣いているのですか?今すぐにでも暴れたいくらい、ひどい言葉をぶつけたいくらい思考は荒れているのに。心が暖かいんです。何故か嬉しくて嬉しくて涙が湧いてしまうんです。どうしてなんでしょうか?」
本気でわからない様子の大鳳を見て、瑞鳳も又涙を浮かべた。
強い。大鳳は努力を厭わない。終わりのない平坦な道に立たされた不幸に憤るよりも未知に繋がる悪路を見つけた幸運を喜ぶ。平凡な終わりより新たな始まりを欲しがった。それなのにワタシは弱いと、誰かの助けが無ければ歩くことさえ覚束無いと侮っていた。
この仮説には証拠が無いとか合っている間違っているなどどうでもいい。
目の前の雛鳥に翼を持たせたい。立たせるためだけについたでまかせに等しかった約束を守るとここで誓おう。全力を尽くす。ワタシが親鳥となる。
「大丈夫。あなたなら」
そう呟いたのは紅白の鉢巻をつけた亜麻色の親鳥か、聞き耳をたてていた白色の親鳥か。
三日後、雛鳥は翼を広げ空に飛び立った。
又自分の論理力の無さを披露してしまいました…。
次回が最終話となりそうです。一旦今までの話に修整をいれてから公開しようかと考えたのですが、最終話を先に公開してから修整をいれることにします。