なにしおはば   作:鑪川 蚕

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23話 大鳳

懐かしい思い出を夢に見ていたようだ。

目を開くと白の天井が大鳳を迎えた。

日の光が窓から射し込み、掛け布団を温めていたのか、背中にしっとりとした感触。

ふと自分の胸元がゆるやかになっていると気づく。

元々無かった胸がさらに無くなった…というわけではなく、ぴったりとした制服からゆったりとした寝間着に着替えられていた。

腕にチクリとした痛み。裾を捲ると1cm四方の絆創膏が貼られている。

いつの間に着替えたのか。眠りにつく前の記憶が曖昧だ。そしてこの傷はなんなのか。

確かあの時は…と何かを思い出せないかと部屋を見回すと違和感を覚えた。

散らかっていないし、腐臭もしない。それに家具の配置さえも違う。まるで違う部屋のようだ。

とりあえず制服に着替えるためにベッドから降りようとすると、扉が開いた。

扉から現れたのは夢にも現れた艦娘。

 

「瑞鳳さん……?」

 

呼ばれた艦娘は答えることもせず大鳳へと走り、突っ込んできた。

そのまま押し倒される形でベッド上で2隻が重なりあう。

 

「よかった~!よかったよ~~!」

 

頭を大鳳の胸元にぐりぐりと押し付ける。痛い。

ぐずぐずと鼻を啜る音も聞こえる。汚い。

 

「どうしてここにいるのですか!?」

「ん?」

 

鼻と頬を紅く染め、瞳が揺れる瑞鳳が怪訝な顔をする。が、それもすぐ一転した。

 

「あれ?…あー、そっかそっか。知らないのか」

 

勝手に納得されている。大鳳は何も納得していないというのに。

 

「小規模作戦が発令されたの。舞鶴主体で。で、ワタシも召集されたって訳。作戦も無事成功したし、大鳳ちゃんの顔を見たかったから大坂支部に来たら…、来たら…」

止まったと思ったのに又決壊した。大鳳は胸に頭を押し付けられるがままでどうすることもできない。

「いきなり大鳳ちゃんが倒れているって聞かされたんだよー!?ワタシも倒れそうだったんだから!なんで!?なんで倒れるかなー!?」

「なんでと言われましても…」

 

そうか、私は倒れたのか。ろくに食べてもいなかったし栄養失調が原因だろう。艦娘といえど栄養失調になるのか。この腕の絆創膏も点滴の跡なのだろう。あまりにも自分の部屋が汚かったから空いている別の部屋に移されたというわけか。

いきなりのことであるにもかかわらず意外にも大鳳は冷静に分析していた。

 

私は何故部屋に閉じ籠っていたのかしら?

 

瑞鳳の問いを受け湧き出たその疑問は危険だった。

大鳳の知らぬ内に今まで脳がその解答に封をしていたくらいに。

そして大鳳はその封印を解放してしまった。

 

蘇るあの光景。沸き立つ黒煙。広がる炎海。消え行く希望。迫り来る絶望。

そしてウサギ耳の少女の輝く笑顔。

それらは神経毒のように高速で全身に染み渡った。

 

「ああ…あ…うぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「ど、どうしたの?!」

 

瑞鳳を突飛ばし突如頭を抱えベッドの上でのたうち回る大鳳を前に瑞鳳はおろおろとするばかり。

 

「私がコロシタ。私が。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。許して許してゆるしてユルシテユルシテユルシテユルシテ…」

 

自分に呪いをかけるようにただひたすらに謝罪の言葉を繰り返す。

瑞鳳は眼前の奇行を一瞬でも止めようと

叫び問いかける。

 

「ねぇ!誰に謝っているの?!提督に?!陸奥さんに?!まさかタンカーに?!」

「ごめんね。ごめんね。ごめんね」

「落ち着いて!ワタシの話を聞いて!」

「ごめんなさい。コロシテごめんなさい。コロシテごめんなさい。…………島風」

思ってもいなかった名前が出て来て瑞鳳は呆気にとられる。

「殺した?」

「ああ…私がでしゃばったばかりに…貴方を、貴方を」

「生きてるけど…」

「そう…貴方を生かしてしまった…………え」

 

大鳳は固まり首から上だけを回転させた。

目が点になるというのはなるほどこんな顔なのかと瑞鳳は感心する。

 

 

 

「は?」

 

 

 

実に間の抜けた声だった。

10秒だろうかそれとも10分だろうか、2隻は見つめあった。

眼球の動きは正常か、本当に本艦か、何かたくらんでいるのか、今日は何かあっただろうか。

そんな探り合いが両者の間で執り行われた。

大鳳が顔を傾げる。瑞鳳は首を縦に振る。すかさず大鳳が首を横に振る。一瞬の間をおいて瑞鳳も首を横に振った。

又2隻は見つめあう。

 

 

 

「「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!!!」」

 

両者は手を高速で振りあい否定しあう。

そして大鳳はポンと手を打ち合わせた。

 

「わかりました」

「やっとわかってくれた?」

「まだ夢の中なんですね。それなら納得です。さて起きないと…」

「わかってないっ!」

 

ふとんに潜り込もうとする大鳳を寝かさないように瑞鳳はガクガクと揺する。

寝付くに寝付けず大鳳は仕方なしに起き上がり瑞鳳に嘆息する。

 

「瑞鳳さん。お気持ちは嬉しいのですが、そういう慰めは結構です。それに死者に対する侮辱と捉えてしまいます」

「ほんとなんだってば。もー、会った時から感じてたけど思い込みが激しすぎるよー」

 

頑なに信じようとしない大鳳に瑞鳳は文字通り頭を抱えた。

そうこうしていると入り口付近から足音がした。

 

「何してるの?」

 

その声の主は頭に大きな黒のウサギの耳を着けて…おらず、代わりに角が生えたようなカチューシャをつけていた。

この支部の秘書艦、陸奥である。

 

「「陸奥さん、いいところに!」」

 

唐突に2隻から指をさされ陸奥は目を白黒させる。

 

「ど、どうしたのよ、いきなり?!というか大鳳、起きたのね」

 

瑞鳳と違い、さして驚いた様子もなく、大鳳の目覚めを確認する。

その落ち着きようは秘書艦ゆえか、それとも

 

「はい。あの…ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。しかるべき処置を受けます」

 

大鳳が島風を殺した張本人であるがゆえか。

血が滲み出そうなほど下唇を噛み締める。

 

「そんなに畏まらなくても、不問になったから楽にしていいのよ。で、何の話してたの?」

「それが陸奥さん…」

 

瑞鳳が呆れながら大鳳を指さし、話しかけた。

大鳳は唖然とする。

不問になった?あれだけのことをしでかしたというのに?

何かの間違いだと陸奥に問いただそうとしたが陸奥の発言に妨げられた。

 

「は?生きてるわよ、島風」

 

嘘をついているようには見えなかった。陸奥の気まぐれな悪戯とも思えない。

だが、

 

「……嘘です。嘘に決まってます 」

 

大鳳はそれでも否定した。目を合わせずに布団のすそを皺になるくらい固く握る。

 

「提督と陸奥さんとの話を盗み聞きしました。私は確かに聞いたんです。島風が死んだって」

「あら、となると提督が本部から召集令を受け取った時かしら。気づかなかったわ。やるわね」

 

盗み聞きに関して咎めもせず褒めさえする陸奥の懐の大きさに感嘆しそうになるが今はそれどころではない。

 

「提督がおっしゃったこと、はっきり聴きました。大きな損害を被った、抜けた穴の埋め合わせは必ずすると。抜けた穴とは島風のことですよね?!」

 

瞬きもせず陸奥の姿を逃がさぬようにしかと見据えた。

そして陸奥は逃げも怯みもせず答える。

 

「そうよ」

「やっぱり……!」

 

大鳳の視線はさらに鋭いものへと変わった。

やはり嘘だったのか。あっさり白状したあたりからかいたかっただけなのだろう。

許せない。轟沈を、死をネタとして弄ぶなんて。瑞鳳も陸奥も尊敬できる艦だと思っていたのに。

布団を掴む手に力がこもり、白亜の渓谷のような皺が広がっていく。

 

「それにさっきからなんなのですか!暁は部屋に閉じ籠って泣くくらい落ち込んでいたというのに、貴方は一向にそんな素振りを見せない!秘書艦だからですか!何故もっと私を恨んだり憎んだりしないのですか?!」

 

「え、えぇ~……」

 

大鳳の狂ったような言及に対し陸奥は一歩か二歩引いた態度を示した。

犬が自分の尾を追いかけ回して早一時間、「可愛い」から「こいつ何がしたいんだ……?」という目で愛犬を眺める飼い主のように。

 

「あの…瑞鳳、魚雷を食らったショックでこんな風になったってことはない?」

「残念ながら……。初めて会った時から研修最終日まで所々ポンコ……真面目が過ぎる一面が表れてました」

「大鳳……可哀想な娘……」

 

2隻から憐れみ溢れる視線を投げ掛けられ慌てる大鳳。

 

「な、なんですか、その眼は!では、島風が生きてるってことを証明してみてください!」

「わかったわ」

 

出来るはずがないと高を括り言ってみたが、陸奥は素っ気なく出来ると答えた。

眼を丸くする大鳳の横に腰掛け、絵本を読む母のように柔らかに話し始める。

 

「とりあえず最後まで聞いてね。あの深海悽艦達が撤退した後、つまり貴方が気絶した後なのだけど、支援艦隊が到着してアタシ達は無事帰投出来たわ。そして墨野の報告を受けて舞鶴鎮守府本部が急遽中規模作戦、敵潜水艦掃討作戦を発令した。で、一度作戦の詳細を決定、指揮するために各支部の提督は本部に集合したの。もちろん対潜能力を有する艦娘もね。ただその前に鎮守府海域に潜伏する残党の潜水艦を警戒するため先発隊が組まれたの。その先発隊には始め暁が投入される予定だった。うちの艦隊で損傷が小さく、対潜能力があるのは暁だけだったから。それにあの娘、2ヶ月前くらいに稿知で対潜特別訓練受けたばっかりだし」

「ワタシがいるのもその作戦のためだよー」

 

瑞鳳が横からはいはーいとばかりに手をあげる。

なるほどと合点がいった。

軽空母も対潜能力をもつ。だから瑞鳳がここにいるのだと理解できた。

それにしても目まぐるしい展開に秘書艦も巻き込まれたことだろう。その苦労を思い出したのか一旦秘書艦は溜め息をつく。

大鳳は黙っていた。疑念を露にせず、先を促す。

 

「とてもはりきっていたわね。潜水艦狩りは軽巡、駆逐艦が主体となるし、駆逐艦がMVPをとることも多い作戦だからかしら。提督もアタシも暁を行かせるのに文句はなかった。でも暁を見送る際に止めにきた艦娘がいた」

陸奥は又途中で切り、大鳳に困ったように眉尻を下げた顔をする。

 

「島風よ」

 

大鳳は息を呑んだ。

 

「島風はこう言った。『島風が行く』ってね」

 

大鳳は島風の言葉を知り、顔が強ばった。島風が自分の知らないところで命を投げ捨てようとする。信じられなかった。

「仮に今までの話が正しかったとしても無茶です……、島風は一番損傷が酷かったはずですから。出撃できるわけがありません」

「ええその通り。あの時の島風はようやく中破状態にまで快復したかどうかくらい。足どりは覚束ないし、呼吸も荒かった。閉じかけた傷口が開いて血が滲み出してもいた。戦える身体じゃなかったのは確かよ。アタシも提督も反対した。もちろん暁も。木曾だけは何も言わなかったけど」

 

木曾が反対しなかったことが不満なのか口を尖らせながら状況を語る。

陸奥と同意見だった。自分がその場にいたとしたら必ず反対していただろう。

 

「ですがそれでしたら島風はここにいるはずではないですか?」

「結局行かせちゃったからね。高速修復材を使っちゃった。おかげで残量カツカツよ」

 

高速修復材。機力生産力を一時的に急速増幅させる薬剤。主に艦娘の自己治癒力を増大させ回復までの時間を遥かに短縮するために用いられる。希少な原料を複雑な製法で加工し製造されるから生産数が少なく貴重な代物だ。

 

やっぱり嘘じゃないか。そう問い詰めようとした矢先に現れた嘘のような話。

嘘であれば良かった。しかし、大鳳は薄々気づいていた。

陸奥の話は事実であると。

奇跡的に島風は生きていた。なんと嬉しいことか。

だが今は素直に喜べない。今、生きているとは限らない。

 

「……あまりにも非効率的選択です。暁に行かせるべきだったかと」

 

高速修復材にも欠点がある。肉体的疲労は取り除かれても精神的疲労は残されたままになる点だ。大破寸前から無理矢理回復させて健常な身体にしても心が疲弊していては注意散漫になり又被弾してしまうだろう。

 

「アタシもそう思ってた。でもね島風に説得されちゃったのよ。アタシも提督も」

「説得?」

「『大鳳の嫌いな潜水艦なんて吹っ飛ばしたいから』」

 

息を呑んだというより息を忘れたといった方が正しいのかもしれない。

大鳳はその言葉の真意を測りかねた。

 

「わかりません。なぜ私なんかを……」

「守ったからじゃない?アナタが、島風を」

「聞いたよ。もう少しで島風ちゃんに魚雷が到達しそうだった時、飛び込んで代わりに喰らったんだって?装甲が厚かったから良かったけど大鳳ちゃんそんなこと考えずに行ったでしょ」

 

呆れ顔で溜め息をつく瑞鳳。が、すぐに口角を上げ笑う。意外にも尖った犬歯が覗く。

 

「さすがだね」

 

でもこれっきりにしてよねーと付け加える。本気で怒っていない。誇らしさ、嬉しさを隠すために付け加えた忠言。瑞鳳の本心はどちらでもあるのだろう。

誇りを持って死ぬこと、ただ生き残ること。どちらが正しいかなど決められるはずがない。

 

「島風は……島風は今どこにいますか」

 

大鳳は真っ直ぐな瞳で陸奥に訊ねた。

最後の質問。これに答えられなければ今までの話は全て無駄だ。

そして嘘ならば……!

 

「それは……」

 

陸奥はうつむく。

その態度は真実を物語っていた。

 

「もう終わったでしょうね。アタシたち自慢の駆逐艦へのMVP賞授与式」

 

左腕につけた腕時計を見つめながら呟いた。

全身に張りつめた神経は解れ、大鳳はつり上げていた糸が切れたようにベッドに仰向けに倒れた。

陸奥の話は全て正しかった。もう疑いはしない。

大鳳は震えた。自分の身体を抱きかかえた。そうしておかないと何かが弾けそうだった。

だが弾けた。溢れたのは笑い声と涙の滴だった。

 

「そう……そうだったの……ふふふ」

 

いきなり意味不明な発言に陸奥と瑞鳳は戸惑う。

大鳳はかまわず続けた。瑞鳳の言葉を噛み締めながら

 

ー大鳳ちゃんは思い込みが激しすぎるよー

 

「ぜんぶっ、思い込みだったのね……!」

 

島風が死んだことも

艦載機が飛ばせないことも

「大鳳」の名に相応しくあることも

解答用紙に何も書けないことも

自分は何も守れず沈んでいくことも

 

「ふふっ、はははは」

 

喜びが言葉に乗って次々と飛び出していく。

それでも尽きることなく内から生み出される。

久しぶり、いや初めてだ。こんな気持ちは、感覚は。

生まれ変わった気分だ。

身体に熱がこもり全神経が鋭敏に反応し、全筋肉が活発に運動する。

今まで縛っていた鋼の鎖が千切れおち、自由を謳歌するように。

聴こえる。草木が掠れる音、窓が揺れる音、陸奥と瑞鳳の呼吸、鮮血を送る心臓の拍動、

そして下の廊下から聴こえる。兎が跳ねるような一足飛びの軽やかな少女の足音。

 

「帰って来たみたいね」

 

陸奥もその音が聴こえたようで注意をそらす。

瑞鳳が膝を折り心配そうに覗きこむ。

 

「それじゃワタシ達は墨野提督のところに戻りましょうか。大鳳ちゃん、いいかな?」

「は、はい。大丈夫です!ありがとうございました。」

「そう?良かった。じゃ、また今度ね」

 

バイバイと手を小さく揺らし、陸奥と共に背中を向け歩きだす。

起き上がった大鳳は感謝を敬礼に込めてその背中を見送る。

陸奥が扉のレバーに手をかけた時、瑞鳳はあ!と叫び大鳳のもとへ戻ってきた。

 

「忘れてた!はい、これ」

 

差し出されたものは木のお札2枚。それぞれ「彗星」「天山」と筆で勇ましく書かれていた。

空母が用いる召喚苻。大鳳は理由がわからず首を傾げる。

 

「流星と烈風じゃなくてごめんね。でもそれワタシが改造した時から一緒に戦ってきたから頼もしいよ!」

「……そんな貴重なものを、どうして」

「初戦祝いも込めてだけどね。ってあれ?今日が何の日かわかってない?」

 

瑞鳳も首を傾げた。師弟2隻の姿に陸奥は吹き出しつつ教えた。

 

 

「今日は4月7日。アナタの推進日(生まれた日)




一旦ここで区切りとなります。
ここまで読んでいたただいて本当に嬉しいです。
とりあえずこれからは今までの話の修整というか書き直しをします。そして後日談を書く予定です。

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