問題は無い。
アリアは、自分にそう言い聞かせていた。
実際、何も問題は無いのだ。
ホームステイ先のエヴァンジェリン達は、家族のように接してくれる。
修学旅行先でスクナを拾ったり、学園祭の時に工学部のイベントで田中さんをゲットしたりとハプニングがあったりはしたが。
学園の同僚との関係も良好だし、3-Aの生徒達全員と顔を合わせるのは久しぶりで楽しみだ。
夕方には、数ヵ月ぶりに両親が来てくれる。
問題など、あろうはずもなかった。
とても幸せで、ずっとこの時間が続けば良いと願うくらいに。
それでも・・・。
「おはようアリア、今日も良い天気だね!」
「あ、おはようございます、ネギ兄様。本当に良い天気ですね」
「シンシアさんも、おはようございます!」
「うん、おはよう」
それでも何故か、心のどこかに違和感を感じる。
アリアの口はよどみなく「いつものように」、兄に対して言葉を紡いでいる。
そしてそれすらも、アリアにとっては戸惑いの材料になる。
自分はどうして、こんなにも戸惑っているのだろう?
「どうしたのアリア・・・具合、悪いの?」
「いえ、大丈夫です・・・兄様は優しいですね」
「え、そ、そうかな。でも僕、お兄ちゃんだから。母さんからも言われてるし」
照れたように笑う兄に、アリアも少し笑った。
確かにそう言うことに関しては、母は厳しい。
「今日は、明日菜さん達とは一緒じゃないんですね?」
「うん、職員会議のある日に一緒に来たら、早過ぎるから」
ネギは、何故か女子寮の部屋に居候、もといホームステイしている。
何故女子生徒の部屋に・・・とはアリアも思うが、良く考えてみれば自分のホームステイ先も生徒の家なので、ネギに対して何かを言う資格は無かった。
本当はネギもエヴァンジェリンの家に行くはずだったのだが。
「あの人、怖いもん」
と言って、一応の血縁である明日菜(伯母)の所に行ったのである。
ちなみに伯母様と言うと怒られるので、「明日菜さん」と兄妹は呼んでいる。
「キミ達は学校までだよね?」
校門に着くと、シンシアがそう言った。
アリアとネギが頷くのを見ると、シンシアは軽やかに微笑んで。
「じゃ、ボクはまだ見回りがあるから。せいぜい、楽しむと良い・・・まったねー」
「あ、はい、また・・・って、行っちゃいましたね」
「同じ場所にいない感じだよね、シンシアさんって」
「・・・確かに」
シンシア・アマテル。
アリアも良くは知らないが、ウェスペルタティアから「ゲート管理」を任されているらしい。
本人曰く、「図書館島の地下って、隠れるのに良いんだよ」とか。
「わ、アリア、時間無いよ」
「え・・・あ、本当ですね、急ぎましょう」
「うん!」
兄と共に駆け出しながら、アリアは思う。
とても、幸せだと。
違和感など・・・感じるはずが無い、気のせいだと。
自分に、言い聞かせて。
◆ ◆ ◆
職員会議の後は、3-Aで生徒達との再会である。
「おはようございます、皆さん!」
「「「「おはようございまーすっ!!」」」」
3-Aの生徒達は、今日も元気だった。
ネギの挨拶に、全身から声を出して応えている。
しかしネギもアリアも慣れた物で、両耳を手でふさいで、耳がキーンとなるのを防いでいた。
何人かの生徒も、同じような体勢を取っている。
「幸い、欠席者は無しですね。皆さん、夏休みは楽しめましたか?」
「はーいっ!」「いやっほーっ!」「小学生かっつの・・・」「アホばっかです」
アリアの言葉に裕奈やまき絵が元気良く答え、それを千雨と夕映が冷やかに見つめている。
ただ、3-Aの大半は裕奈達と同じようなテンションだった。
ネギなどは、主任教諭である新田が出てこないかとソワソワしている。
「えーと、じゃあ、宿題を提出して貰いましょうかー?」
話題を転換しようと、ネギがそう言った。
その瞬間、火が消えたかのように静かになる3-A・・・。
「あからさまだね、アリア先生」
「そうですね、ネギ先生」
半ば予測していたことではあったが、ネギとアリアは苦笑した。
はたして、何人の生徒が夏休みの宿題をやっているのか・・・。
「情けないですわよ皆さん! ネギ先生の教え子ともあろう者が、夏休みの課題程度、涼しい顔で提出できないでどうするのです!」
「そうですよー、宿題の未提出者は僕が直々にお仕置きしちゃいま「このあやか、一生の不覚! 宿題を忘れるとは・・・っ!」すよって、えええ!?」
「ネギ先生、逃げてー!」「あからさまだな、オイ!」
再び騒がしくなる3-A。
しかし、アリアは何も言わなかった・・・あやかがアリアの名前を出さなかったことに、少しばかり傷ついているだけである。
「ささ、ネギ先生、さっそくお仕置きを・・・!」
「させるか、この変態―――――っ!」
何故か脱ぎ出したあやかの後頭部に、明日菜の拳が直撃した。
「何ですか明日菜さん! 人の後頭部をドツくなど乱暴な・・・!」
「うっさいわね! ネギとアリアに手ぇ出したら承知しないって前から言ってるでしょうが!?」
「何の権利があって!? と言うか、アリア先生には何もしていませんわよ!」
「ちょっと故郷の姉的存在に頼まれてんの! あと変態行為を見せるだけで、アリアのじょーそーきょーいくに悪いのよ!」
「ぬぁんですってぇ!?」
明日菜とあやかの喧嘩はそのままヒートアップし、何故か賭けを始める者も出てきた。
それを見ながら、アリアはふと最前列のまき絵と風香に声をかけた。
「ちなみに、まき絵さんと風香さんは宿題の方は・・・?」
「え? えへへ・・・できてないです」
「やってるわけが無い!」
まき絵は可愛く、風香は軽やかに笑って、そう言った。
苦笑しながら、アリアは理由を聞いてみた。
部活とかが忙しかった、などの理由を期待していたのだが・・・。
ゴニョゴニョと何かを話し合ったまき絵と風香は、にっこり笑って。
「「アリア先生のお仕事を増やしてあげたくて、日頃の感謝の気持ちです」」
「なら、仕方ありませんね」
「いえ、あの・・・ダメだと思いますけど」
「アリア先生って仕事好きだからねー、苺とどっちがって感じ」
風香達の後ろの席の刹那と円が、そう突っ込んだ。
教室の真ん中では、明日菜とあやかの決闘(喧嘩?)もクライマックスに突入していて・・・。
アリアは教室の壁の時計に目をやった、そろそろ・・・。
「はい、皆さん、そろそろ静かにしないと・・・」
「ちょっと待ってなさいアリア、すぐ終わるから」
「ふふん、返り討ちにして差し上げますわ・・・!」
「あうぅ、明日菜さんもいいんちょさんも、ストップしてください―――!」
明日菜は弟分、妹分であるネギとアリアにとても良くしてくれるが、滅多に言うことは聞いてくれないのである。
本格的にネギが止めに入ろうとした、まさにその時。
「静かにせんか――――――っ!」
ガラリッ、と教室の扉が開き、新田が姿を現した。
彼は教室内の惨状を見ると、カッ、と目を見開いた。
「全員、正座――――――――――――ッ!!」
全員が怯える中、何故かアリアだけが嬉しそうにしていた。
◆ ◆ ◆
「あはは、そっか、また2人とも新田先生に怒られたのか」
「うう、はい・・・」
「私は別件でも怒られました」
「え、何だい?」
「有給を使いなさいって言われました」
「あはは・・・」
アリアの言葉に苦笑したのは、同僚教師陣の中で2人に一番年齢が近い瀬流彦だった。
麻帆良の教師であり、魔法先生でもある。
最近、新田にお見合いを勧められているらしい。
「まぁ、それはそれとして、お昼休みの内に今日の分の仕事をしなければ」
「そうだね、アリア」
ネギとアリアは空になったお弁当箱をしまうと、職員室の自分達の机に座った。
ちなみにお弁当は、ネギの分は同室の木乃香が、アリアの分は茶々丸が作っている。
毎朝早起きして、作ってくれているのだ。
2人はそれに、とても感謝している。
なので、嫌いな物も残さず―――たまに交換したりしつつも―――食べている。
「あ、そうだアリア」
「何でしょう、ネギ兄様」
「それ、僕の分だから」
アリアの机から、ネギが書類を奪っていった。
アリアは、親の仇でも見るような目でネギを見た。
今、この兄は妹の生きがいを奪ったのだ・・・。
「ははは、相変わらず仲が良いネ」
その時、一人の生徒がアリアに声をかけてきた。
長い髪をシニョンでまとめた少女の顔を見た時、何故かアリアは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
3-Aの生徒の一人・・・超鈴音。
「英語のノートを集めてきたヨ・・・って、どうしたアルか、アリア先生。幽霊でも見たような顔をして?」
「え、あ、いえ・・・ありがとうございます」
「日直だからネ。構わないヨ」
その後、二言三言話してから、超は職員室から退室して言った。
それを、何とも言えない顔で見送った後・・・アリアは机の上に乗せた英語のノートを見た。
夏休みの宿題である。
つまり、仕事である。アリアは、にっこりと微笑んだ。
そしてそれに手を伸ばしかけた、その時。
「あ、コレも担任の僕の仕事だよね」
ネギが、アリアの机からノートの山を奪っていった。
アリアは、七代前の先祖を殺した相手の子孫を見るような目でネギを見た。
今、この兄は妹のアイデンティティーを奪ったのだ・・・。
しかし、睨んでいても始まらない。
「ネギ兄様・・・いえ、お兄ちゃん」
「何?」
「お仕事・・・ください?」
「ダメ」
「お願い、お兄ちゃん」
「ダメ」
「おし「ダメ」・・・」
メルディアナの後輩の真似をしてみたが、まったく効果が無かった。
その後輩の兄ならば、「お願い、お兄ちゃん」と言われただけで世界を滅ぼしに行くだろうに。
どうやらネギには、そう言う性癖は無いようだった。
「ちょっとで良いんです! 少しだけ!」
「ダメだよ、自分の分は自分でしないと。母さんもそう言ってたでしょ?」
「ちょっとくらい良いじゃないですか!」
「アリアが僕の分まで仕事しちゃったら、僕の修業にならないでしょ!?」
「じゃあ、私は何のためにここにいるんですか!? 存在価値が無いじゃないですか!」
「そんなこと、僕に言われたって困るよ!」
「・・・!」
「・・・・・・!」
席が近いためにその会話を聞いていた瀬流彦は、傍にいたしずなの方を向いて。
「・・・兄にお小遣いをねだる妹・・・みたいな会話だけど、お小遣いじゃ無くて仕事をねだるあたりが、アリア君らしいですよね」
「可愛らしいですわね」
「好意的な意見ですねー・・・」
「うふふ」
瀬流彦としずなの会話は、2人には聞こえていなかった。
ちなみに、ネギはアリアに仕事を渡さなかった。
アリアは、まるで世界征服直前に自分を裏切った部下を見るような目でネギを見ていたと言う。
◆ ◆ ◆
終了のベルが鳴り、その日の授業は終わった。
新学期初日からフルで授業があると言うのは辛かったのか、生徒達は皆、疲れているようだった。
だがそれで元気が無くなるかと言えば、また別である。
「じゃあね~、ネギ先生、アリア先生」
「あ、はい、帰り道に気を付けてくださいね」
「柿崎さん、釘宮さんもさようなら」
円と美砂を皮切りに、他の生徒も次々と教室を飛び出していく。
元気良く駆けて行く生徒達の顔は、どれも晴れやかに輝いていた。
教師としては複雑だが、生徒達が楽しそうにしているのは、嬉しい物だ。
「ネギ君、今日は時間あるの? 一緒にお茶でもしようよ」
「あっ、良いね良いね!」
「す、すみません、今日はちょっと都合が・・・」
「「ええ~っ!」」
ネギが裕奈とまき絵に捕まっている時、アリアの所にはエヴァンジェリンと茶々丸、さよが来ていた。
話題は、今日の予定についてだ。
「それで、お前はこれからナギ達を迎えに行くんだろう?」
「あ、はい・・・シンシア姉様と、あとアルさんにもご挨拶したいですし」
「シンシアはともかく、アルはいらん」
アルビレオ・イマの性癖を心配しているエヴァンジェリンだった。
個人的に苦手意識(つまり、からかわれる)を持っている相手だからかもしれない。
「寝床はうちで良いだろう。魔法球を使えば半月くらいは一緒に過ごせるしな」
「・・・ありがとうございます、エヴァさん」
アリアがお礼を言うと、エヴァンジェリンは少し顔を赤らめた。
傲然と腕を組み、ふんっ、とそっぽを向く。
「か、勘違いするなよ、私は時間をかけてナギを篭絡したいだけなんだからな!」
「エヴァさんが、デレてる・・・」
「ツンデレなマスター、録画中、録画中・・・」
「巻くぞボケロボ、そしてさよ、お前は今日バカ鬼抜きで訓練してやる」
「え」
さよが固まった。
冷や汗をかいている・・・死刑執行書に誤って署名してしまった囚人のような顔だった。
ちょうどその時、ネギがやってきた。
彼はエヴァンジェリンに気付くと、さよと同じように固まった。
「あ、エヴァンジェリンさん・・・こ、こんにちは」
「顔色が悪いな、ぼーや・・・私と話すのが嫌なのか?」
「い、いえ、そう言うわけじゃなくてその・・・」
「なら、どう言うわけなんだ、うん?」
「え、えーっとですね・・・!」
ネギは助けを求めるような目で、アリアを見た。
アリアはそれに対して、悲しげに首を振った・・・Sモードに入ったエヴァンジェリンを止める術は、アリアも持ち合わせていなかったからだ。
基本的に、エヴァンジェリンの「地獄の基礎訓練・何、死にはしないさ、死ぬ気で頑張ればな♪」を受けたことがある者は、ネギと同じような反応になる。
◆ ◆ ◆
「アリア、早く早く!」
「ちょ、待ってくださいネギ兄様・・・っ」
夕方になり、仕事が終わった後、アリアはネギに手を引かれて学校から出た。
そのまま、手を引かれるままに図書館島、正確にはオスティアと麻帆良を繋ぐゲートに向かう。
「ちょ、もう! ゲートが開く時間は決まってるんですから、急いでもしょうがないですよ!」
「う、そ、そうだね。でも早く父さん達に会いたくて」
「まったく・・・」
アリアが無理矢理に立ち止まってそう言うと、ネギは顔を赤くして止まってくれた。
嘆息しつつ、アリアは掴まれていた手を軽くさする。
「・・・それにしても、やっぱりエヴァンジェリンさん、怖いや」
「訓練以外は優しいですよ?」
「その訓練が問題なんじゃないか」
「・・・・・・」
否定できない面もあると、一瞬だけ思ってしまったアリアだった。
兄と2人、トボトボと歩く。
のどかな時間。
すれ違う人々の顔も、幸福に満ちているように見える。
とても平和で、幸福な日常。
守るべき日々、願い、そして望む毎日。
1学期から変わらない。
大きな事件も無く、かといって同じでもない日々。
「・・・?」
だがアリアはそれに、言いようも無い違和感を感じていた。
言葉には出来ない、だが確かにそこにある「違和感」。
今朝からずっと、ことあるごとに感じている。
だがそれが、何に対する違和感なのか。
それが、アリアにはわからない。
いや、わからないフリをしているのか・・・。
「おおぉ―――? やっぱいたじゃねーか、おーい、ネギ、アリア!」
「バカ者、往来で大声を出すでない」
「あん? 声出さねーと聞こえねーかもだろ」
突然、聞き覚えのある声がアリアの耳に届いた。
世界樹広場の階段の上に、その2人はいた。
ゆっくりと降りてくるその2人を見て・・・アリアは、固まった。
「おーおー、久しぶりだな、元気にしてたかー2人とも」
「む・・・そ、息災であったか?」
一人は、黒のシャツとパンツに身を包んだ赤毛の男性。
もう一人は薄桃色のワンピースドレスを着た金髪の女性。
男性はネギに、女性はアリアに似た容姿をしていた。
ネギとアリアが大人になれば、「おそらくは、このようになるだろう」と言う容姿だ。
「父さん!」
「おおー、元気か息子よ」
アリアが何故か動けずにいると、先にネギが駆けだした。
ネギは父親の姿を見て破顔すると、父親・・・ナギに飛びつこうとして、かわされた。
盛大に空振りしたネギは、ナギの顔を見て涙目になった。
「おーいおいおい、情けねーな息子よ。男の子だったら何があっても泣くんじゃねーって言ったろ?」
「う、な、だって数ヵ月ぶりでっ・・・!」
「何をやっておる・・・」
金髪の女性、アリアとどこか似た容貌―――と言うより、アリアがこの女性に似ている―――の女性、アリカは、夫であるナギをジト目で睨んだ後、固まっているアリアを見て微笑んだ。
アリアは、その顔を凝視している。
「我が娘よ、ではなくっ、アリアよ、息災であったか?」
「・・・」
「風邪や夏バテなどはしておらぬか・・・?」
「・・・お」
「・・・ぬ?」
不思議そうに首を傾げるアリカ。
アリアは、己の「母親」を見上げながら、何度か口をパクパクとした後・・・。
「・・・お、かぁさま・・・」
ようやく、それだけ言った。
◆ ◆ ◆
「おーい、何を固まってんだーアリア、ん?」
ポンッ、ポンッとナギに、父親に頭を叩かれるアリア。
しかしそれでも、呆然とナギの顔を見上げるばかりである。
ナギは怪訝そうに片眉を上げると、ポンポンポンポンポン・・・と、まるで目覚まし時計でも叩くようにアリアの頭をはたき続け・・・アリカに殴られて地面に沈んだ。
「・・・何をしておる、ナギ」
「い、いや、反応がねーから、ついぅるのびぃっ!?」
「と、父さ―――――んっ!?」
再びアリカに顔を殴られ吹き飛ぶナギ、そんな父を案じてネギが悲鳴のような声を上げる。
しかし、しっかりと着地して見せるあたりは、流石と言うべきであろうか。
「と、父さん、大丈夫なんですか!?」
「おう、流石に王家の魔力を込められて殴られたから、かなり痛いけどな」
それでもキランッと星を飛ばし(ているように見える)、親指を立てて見せるナギに、ネギは憧れの眼差しを向ける。
それを見て嘆息した後、アリカはアリアに目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
どこか心配そうな目で、アリアの瞳を覗きこむ。
「まったく、女子の頭を何だと思っておるのじゃろうな、あの父は」
「え、あ、はい・・・」
「・・・大丈夫か? どこか調子でも悪いのかの・・・?」
相変わらず反応の鈍いアリアに、アリカはいよいよ心配そうな表情を浮かべる。
そっと、アリアの頭に手を乗せ・・・優しく撫でる。
慣れない手つきだったが、それでも優しい。
さっきの父の手も、雑ではあったが乱暴では無かった。
目の前に、父と母がいる。
それだけのことで、アリアは・・・言葉が出ない程に、胸を締め付けられて。
気が付くと、ポロポロと・・・涙を流していた。
それを見たアリカが、衝撃を受けたような表情を見せた。
「ど、どどど、どうした!? どこか痛いのか!? お腹が痛いのか・・・それとも、頭か!? ナギが頭を叩き過ぎたか!?」
「マジで? あんなの、ただのスキンシップだろー?」
「死ね! 死んで詫びろ! アリアは主(ぬし)と違って繊細なのじゃぞ!?」
「いや、俺あんたの夫だから。死んだらダメだろ」
「娘(アリア)の敵は死ね!」
「酷ぇよ!?」
アリカの言葉に、ナギはショックを受けたようだ。
そんなナギに、ネギは言う。
「ぼ、僕は父さんの味方だよ!」
「お? だよなだよなー? よっしゃネギ、久々に稽古をつけてやるぜ!」
「うん!」
「こんな場所で暴れるでない!」
ナギとネギが、じゃれあい始める。
じゃれあいと言うには、いささかレベルが高いが・・・。
アリカは2人に怒鳴った後、再びアリアの方を向いて。
その頃にはもう、アリアは涙を拭き終えていた。
「アリアには、苦労をかけてばかりじゃからの。何か辛いことがあるなら・・・」
「・・・いえ、辛くは無いです、お母様」
「そうなのか?」
「はい・・・むしろ、幸せすぎて」
アリアは、幸福だった。
ナギとネギが、楽しそうに組手をしている。
加減しているのか、遊んでいるのか・・・一般人レベルの組手だ。
おそらく、ナギが上手くコントロールしているのだろう。
そして、目の前の母を見る。
頭を撫でてくれている、アリカを見る。
幸せだった。
肉親がいて、エヴァンジェリン達がいて、生徒達がいて、同僚達がいて、友人達がいて。
これ以上、欲しいものは無かった。
幸福に満たされた、暖かな世界。
完璧な・・・完全な、世界。
幸福すぎて、逆に違和感を覚える程に。
幸せすぎて・・・。
「逆に、本物じゃ無いことに気付いてしまうんです」
ガチリッ。
何かが嵌るような音と共に、世界が止まった。
アリアの右眼に、紅い五方星が浮かび上がっていた。
髪からは色素が抜け、金から白へと変わる。
背も少し伸び・・・服も、スーツから軍服へと変化する。
左腕にはブレスレット、左耳にはイヤーカフス。
「気付きたくは、なかったんですけどね・・・」
「でも、気付かなくちゃ、だろう?」
停止された世界の中で、アリアの他に動ける人間がいる。
それが誰なのか、アリアにとっては考えるまでも無い。
「もう少し、気付かないフリをするのかと思ったけどね」
「実を言えば、もっと前に気付いてました・・・でも、楽しむと良いって言ってくれたじゃ無いですか」
「言ったっけ?」
「今朝、別れる時に」
アリアが広場の階段の上を見ると、そこに、いた。
金の髪を靡かせて、階段に腰掛けている女性。
頬杖をつきながら、階下のアリアを見下ろしている。
シンシア・アマテルが、そこにいた。
◆ ◆ ◆
「どこから、おかしいって気付いてた?」
「姉様が迎えに来てくれた時からですよ」
「嘘ぉ、だったらその時点で言ってよね。その後も演技してたのに、恥ずかしいじゃん」
「他にも、いろいろ・・・違和感しかありませんでしたから」
数え上げればキリが無い程に、アリアは繰り返し違和感を感じていた。
もちろん、最大の違和感はシンシアだ。
次点で、ちゃんと「兄」をしているネギ。
とにかく、見逃すには違和感が多すぎた。
「しかしまぁ、アレだね。古今東西、あらゆる物語で主人公達が拒絶した『幸せだけど偽物の世界』を、キミも否定するんだね」
「そうですね・・・ここには、全てがありました」
シンシアの隣に腰掛けて、アリアは階下の家族を見下ろした。
もし、全てが上手くいっていれば実現したかもしれない可能性の世界。
どう言う設定で構築されたかは知らないが、とにかく、全てがある世界。
最初からこう言う世界に産まれていれば、どれほど幸せだっただろう?
「シンシア姉様だって、私の立場だったら否定するでしょう?」
「さぁ? ボクはどちらかと言えば、製作者側の人間だからね」
「製作者?」
「うん? まぁ、たぶんすぐにわかると思うよ」
それだけ言って、シンシアは多くを語ろうとはしなかった。
こう言う時、シンシアが絶対に教えてくれないことを、アリアは知っていた。
「・・・じゃあ、もし私が否定しなかったら、その時は許してくれたんですか?」
「ううん? ボコボコにしてでも外に叩き出したけど?」
悪びれた風も無く、シンシアは笑う。
「ボクが言えた義理じゃないけど、こんなの、ただの自慰行為だもの」
「じ、自慰って・・・」
「もしくは自主製作のゲームみたいな物だね。自分が考え付くキャラクターしか出てこないし、予測できるイベントしか起こらない。極端な言い方をすれば、妄想に引き籠っているに過ぎないのさ。残念ながらここは、カオス○ッドの世界じゃ無いからね」
自慰と言う言葉に、アリアがかすかに顔を赤らめる。
しかしシンシアは気にもせずに、話を続けた。
ふと、その内容が気になって・・・アリアは言った。
「えっと、シンシア姉様は2000年前からこの世界・・・つまりその、転生してるんですよね?」
「うん」
「その割には、知ってるはずの無い物語を知っている様子なのですが・・・」
「話を戻すけどね」
シンシアは、あからさまに話題を変えた。
「まぁ、僕としてはキミに、そんな不健全な生活に堕ちてもらいたく無いのさ。じゃなきゃ、死んだ意味が無いしねー」
「あ・・・」
「はいはい、落ち込まない。鬱陶しいから話を進めるよー?」
「・・・釈然としない物を感じますが、どうぞ」
「まだ後ろ髪を引かれているだろうキミのモチベーションを、上げてあげようと思う」
「・・・は?」
怪訝な表情を浮かべるアリアに、謎めいた微笑みを浮かべるシンシア。
彼女は、右手を上げて・・・パチンッと指を鳴らした。
◆ ◆ ◆
気が付くと、アリアは見知らぬ場所にいた。
それも、地面に足をつけておらず・・・まるで幽霊のように半透明だ。
『おいクリス! そっちに回り込め! ザイツェフの旦那、盾になってくれ、盾に!』
『任せといて! クレイグ!』
『ふふ・・・初めてだぜ、俺をここまでコケにしてくれた奴は・・・!』
『アイシャ達が来る前に、片付けるぜ!』
薄暗くジメジメとしたどこかの洞窟の中で、戦闘が行われている。
アリアの見たことが無い男達が、雷の塊のような物を相手にしている。
ここは、『
アリアには知りようも無いことだったが、彼らはアリアが探している村人達の回収のために、この迷宮に潜っているのだ。
パチンッ、と指が鳴る音と共に、また場面が変わる。
次は、オスティア市街のようだった。
市街地にも召喚魔が侵攻してきているらしく、各所で兵士や騎士が戦っている。
『遅れるんじゃないよ、アンタ達!』
『お嬢様、もう少しです!』
クママさんを先頭に、アリアドネーのアリアの教え子達が路地裏を必死に駆けていた。
彼女達は子供を抱えており、最後尾にトサカがいた。
彼は後ろを気にしていて・・・どうやら、追われているようだ。
『サヨ達の方は、大丈夫かな!?』
『喋るな、舌噛むぞ!』
コレットの言葉に、トサカが怒鳴る。
目の前を通り過ぎ行く―――だが、アリアのことは見えていないらしい―――生徒達に、アリアは手を伸ばしかける。
だがその手が届く前に、再び指の鳴る音。場面が、変わる。
そこは、どこかの避難所のようだった。
薄暗いはずのそこは、激しい炎で照らされていた。
壁際にへたり込んでいるのは、アーニャだ。
近くに、ロバートやシオン、高音や佐倉も見える。
そしてアーニャの目の前には、一人の少年が立っていた。
見覚えのある詰襟姿、だが、髪型と目つきが少し違う気もする。
何よりも違うのは、操っているのが土や石ではなく、「火」だと言う所だろうか。
『あ、あんたは・・・?』
『・・・
少年が両手を広げると、凄まじい炎の嵐が吹き荒れた。
それが、周囲の召喚魔を飲み込んで行く・・・。
パチンッ、場面が変わる。
そこは、旧王都の上空だった。
多くの軍艦が戦っているが、小回りのきく敵召喚魔に翻弄されているようだ。
1隻の軍艦が、『
帝国艦隊の旗艦、『インペリアルシップ』だ。
しかし突如、全ての召喚魔が無数の光によって撃ち抜かれた。
光・・・いや違う、あまりにも速すぎて、光に見えただけだ。
『あん? てめぇは・・・』
『・・・
ジャック・ラカンの前に現れた少年は、やはり見覚えのある詰襟姿。
しかし当然のごとく、髪型や目つきが異なる。
操っているのは、雷だった。
パチンッ・・・さらに場面が変わる。
そこは「墓守り人の宮殿」・・・アリア達が眠っている場所。
『やるポヨね・・・だが、確信したポヨ。あの子の進む道の先に、超鈴音がいる・・・!』
『・・・キミがどんな未来を知っているのか、僕は知らない』
『なら、教えてやるポヨ・・・アリア先生は、不幸になる!』
『・・・・・・そう、教えてくれてありがとう』
フェイトの姿が掻き消え、ポヨの懐に入る。
ポヨがそれを知覚した時には、彼の右拳がポヨの腹部に突き立っていた。
ゴプッ・・・と、ポヨの身体が九の字に折れる。
『せいぜい、目を離さないことにするよ』
◆ ◆ ◆
「はいはい、ご馳走様ご馳走様~っと」
妙にぞんざいに、シンシアは言った。
突然、映像が途切れたので・・・アリアは戸惑っている。
だがもちろん、シンシアは別に気にしている様子は無い。
「あの子が、キミの王子様?」
「え、ええ? いえ、そのぉ・・・」
「ふぅん、あの子がねぇ~・・・あの子か」
シンシアは一瞬だけ興味深そうな表情を浮かべて・・・目を細めた。
それは、どこか陰のある表情だった。
頬を染めて俯いているアリアは、それを見ることができなかった。
「・・・あの子も、ロクなことしないな・・・」
「え? 何か言いましたか、シンシア姉様?」
「いやいや、シンシア姉様は何も言っていないよ、アリア」
ポンッ、とアリアの頭に手を置いて、シンシアは笑った。
それから、クシャクシャとアリアの頭を撫でる。
「・・・で? 戻る気になった?」
「・・・はい」
頭に乗せられたシンシアの手に、アリアは自分の手を重ねた。
そして、気付く。
・・・あるはずの温もりが、無かった。
シンシアは微笑むばかりで、何も言わない。
アリアは一瞬だけ、泣きそうな顔をした。
これが夢だからか、それとも・・・?
「・・・シンシア姉様」
「うん、何?」
「また、会えますか?」
「うん、無理♪」
笑顔で断るシンシア。
アリアの顔が、いよいよ泣きそうに歪んだ。
「もうわかってると思うけどさ、ボクがキミに会うには、キミの意識と言うか、魂と言うか、まぁそんな感じの物がかなり無防備にならないと無理なんだよね」
「・・・」
「端的に言えば、死にかけでもしないと無理なわけ、だから二度と来ないでくれる?」
ニッ、と笑うシンシア。
アリアの両目から、また涙が溢れる。
「泣き虫だねぇ」と、シンシアは苦笑した。
指先でアリアの涙をすくって・・・言う。
「そうだね、じゃあ、こうしようか。キミがシワシワのお婆ちゃんになったらさ、またおいで。ボクは若いままだから、せいぜい笑ってあげるよ、年取ったねぇって。それでさ、キミの人生の自慢話でも聞かせて頂戴」
「・・・はい」
「困った時には、ボクじゃ無くて他の人を頼ろうね。ボクはあんまり、出番とかいらないし」
「はい・・・!」
いろいろと、聞きたいことはあった。言いたいことも。
だが、今は先にやることがあった。
「皆が・・・頑張ってくれています。なら私だけが寝ているわけには、いきませんよね」
「ん」
「・・・行きます」
スッ・・・と、アリアは立ち上がった。
それからもう一度だけ、階下の「家族」を見る。
そこから、目を逸らした後・・・。
「このアーティファクトの解除ワードは、わかるよね?」
「はい、大丈夫です」
「そ、ちなみにこのアーティファクトの持ち主は、キミの生徒じゃないよ。姉だってさ」
「は、はぁ・・・そうなんですか」
アリアの右眼、『複写眼(アルファ・スティグマ)』はすでに、『幻灯(げんとう)のサーカス』の解析を終えていた。
座ったまま、自分の足に両肘を置いて頬杖をつくシンシア。
彼女はアリアを見上げるようにして、言った。
「・・・キミが、幸せになれると良いな」
静かな、それでいて多くの感情が込められた声音で、シンシアはそう言った。
空中に浮かび上がりながら、アリアはシンシアを見た。
シンシアは、頬杖をついたままの体勢で、アリアを見上げている。
どこか無機質な瞳が、アリアを見つめていた。
・・・6年前にも、言われた言葉だ。
6年前のアリアは、その言葉に対して何も答えることができなかった。
精神的にも、肉体的にも・・・。
ただの言葉として聞いていた。
アリアは、目を細めて・・・小さく微笑んだ。
「もう、幸せです・・・きっと」
こんな術に頼らなくとも、十分に自分は幸せだと、アリアは思う。
辛いことも苦しいこともあるけれど、でも、もう一人では無い。
安直だが、それ故に嬉しくて、貴重なのだと思う。
だからもう、幸せなのだと。
そんなアリアの言葉を聞いたシンシアは、きょとん、とした表情を浮かべた。
予想だにしていなかった、そんな表情。
それから・・・それまでの快活な笑顔とは違う、嬉しそうな、子供のような笑顔を浮かべて、言った。
「そっか」
次の瞬間、アリアの『複写眼(アルファ・スティグマ)』が紅く輝いた。
ギシ・・・と、世界が軋むような感覚。
アリアは、深呼吸するように息を吐くと、キッ、と前を見据えた。
「『
解除ワードを唱えた瞬間、世界が光で満たされた。
◆ ◆ ◆
「行ったか・・・」
消えて行く夢の世界で、シンシアは呟いた。
元々、アリアの意識が沈むのに比例して浮きあがる人格だ。
だから、すぐに眠りにつく。
「素直だねぇ・・・ボクが嘘を吐いてるかも、とか考えもしないんだからさ」
言ったはずなのに、とシンシアは・・・いや、シンシア「だった」魂は思う。
「ボクは、全てをキミに押し付けた・・・そう言ったはずなんだけどね」
すでに半ば以上、同化してしまった魂は言う。
眠るように、眼を閉じながら。
「・・・ゴメンね、アリア」
アリア:
アリアです。
今回は、私の夢のお話でしたね。
皆がいて、私がいる。
何も問題は無くて、だからこそ寂しい、そんな世界でした。
私はもう少し、現実で戦わなければならないようです。
アリア:
次話は、ネギの夢の話です。
さて、ネギは抜け出せるのでしょうか・・・?
では、またお会いしましょう。