魔法世界興国物語~白き髪のアリア~   作:竜華零

6 / 101
第4話「オスティア難民」

Side ジョリィ

 

オストラ伯爵領は旧ウェスペルタティア王国建国時、当時の有力な地方官が爵位と領地を賜ったことで誕生した歴史を持つ。

その範囲は広大で、最盛期には王国東部の大半を領地として保有していた。

現在はいくつかの分家に分裂し、東部の一部を構成する貴族領に過ぎなくなっているが・・・。

 

 

しかしそれでもなおオストラ伯爵家の影響力は大きな物があり、幾人もの宰相を輩出した名家である。

王都オスティア崩落時、オストラ伯は領地内に50万人もの難民を受け入れた。

これは、オストラ伯爵領が王都東方の比較的近い位置に存在したこと、また領主であるクリストフ様が積極的に受け入れを表明したことが大きな要因であっただろう。

伯爵の20年に及ぶ支援により、50万人の難民のうち半数は自立することに成功している。

だが・・・。

 

 

ここには、未だに20万人以上の難民が存在している―――――。

 

 

「・・・ようこそ、おいでくだされた・・・」

 

 

伯爵は城(伯爵の居城、ノイエ・ファランベルク城)の応接室で、王女殿下をお迎えされた。

顔色は悪く、本来であれば横になっているべき体調であることが、一目でわかる。

 

 

「本来であれば、こちらからお伺いすべきであるのに、ご足労いただき・・・」

「・・・」

「・・・強引な手段になってしまったことを、まずお詫びしたい」

 

 

王女殿下は、伯爵の言葉に特に答えることもなく、その透けるように美しい白髪を靡かせて、すすめられたソファに腰掛けられた。

宝石のような瞳を物憂げに細めて、初めて出会うであろう旧ウェスペルタティアの重鎮の姿を見つめておられる。

 

 

「殿下のお母君には、大変多くの恩寵を賜り・・・」

「前置きは良いです」

 

 

初めて、王女殿下が発言された。

前髪の長さが気になっておられるのか、指先に巻き付けるなどしておられた。

本来であれば、その仕草は不快な印象を相手に与えかねない物であったが、少なくとも私の目には、優美にこそ見え、不快な気分などにはなろうはずもなかった。

 

 

アリカ陛下の血を色濃く受け継ぐご息女、ウェスペルタティアの王女殿下の行動に、不満の持ちようなどあるだろうか!

 

 

「私の母が貴方とどんな友誼を結んでいようと、それは私の関与する所ではありません。用件だけ聞きましょう」

 

 

王女殿下の言葉は、簡潔な物だった。

それに対して、伯爵は目を細めて王女殿下を見つめた。

何かを考えた後、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「・・・王女殿下には、ご自身の正当なる権利を回復していただきたいと・・・」

 

 

正当なる権利。

旧ウェスペルタティアの・・・統治権!

すなわち、王女殿下がその身に相応しい権力と義務をお持ちになること。

 

 

アリカ様、あるいはアリカ様の血族がウェスペルタティアに戻られること。

それは、我々オスティア難民の多くが願い、望み、縋っていること。

 

 

「つまり?」

 

 

王女殿下は、おそらくは伯爵の考えをすでに洞察しておられるのだろう。

表情をわずかに変え、伯爵を見つめた。

 

 

「・・・我が領地を殿下にお返しする故・・・その上で、我が民と難民の未来を守ってもらいたい」

「嫌です」

 

 

王女殿下の返答は、どこまでも簡潔で。

しかも、数秒の溜めも無く発せられた。

 

 

 

 

 

Side アリア

 

目が覚めた時、そこはどこかのお城でした。

天蓋付きの大きなベッド、清潔なシーツ。

少なくとも、アリアドネーの私の部屋ではありませんね。

身体を起こすと、何となく気だるさを感じました。

これは、睡眠薬を使用した際に感じる物のような気もしますが、単に久しぶりに寝たからな気もします。

 

 

まぁ、それはそれとして、それ以上に気になるのは、服装がいつの間にかシルクの寝間着に変わっていることでしょうか。

アリアドネーでは、基本的に麻帆良と同じスーツ姿ですから・・・着替えさせられてますね、確実に。

 

 

「おはようございます、王女殿下。良くお休みになられましたでしょうか」

 

 

私がベッドの上でぼんやりと考え込んでいると、部屋の扉が開き、見覚えのある顔が入ってきました。

黒髪の騎士、ジョリィさん。

彼女は、幾人かの幼い女の子を連れていました。10歳前後くらいの年頃の・・・。

彼女達の手には黒い大きな箱があり、その中に、おそらくは着替えと思われる衣服が見えました。

 

 

「・・・良く、私の前に姿を見せられましたね」

「お怒り、ごもっともな事と思います。その罪、この命をもって償わせていただく所存」

 

 

私の目の前で片膝をつき、跪くジョリィさん。

しかしこの人、私をアリアドネーから誘拐したわけですよね・・・。

 

 

「・・・ここは、どこですか」

「旧ウェスペルタティア東方、オストラ伯爵領の中心都市オスフェリアでございます。王女殿下の滞在されていたアリアドネーより数千キロを隔てた場所なれば・・・」

「数千キロ・・・」

 

 

ウェスペルタティアと言うことは、むしろクルトおじ様のいる新オスティアの方が近いですね。

さらに聞いてみれば、アリアドネーの監視網を現地のオスティア人の協力を得て潜り抜け、転移魔法をいくつか使い、数千キロ離れたこの地に連れて来た、とのことです。

あの鷹竜(グリフィン・ドラゴン)はこの人達が・・・?

 

 

「王女殿下・・・」

 

 

跪いたままの体勢で、ジョリィさんが囁くように私を・・・「王女殿下」とやらの言葉を待っていました。

その態度自体が、私を苛立たせました。

私は、王女なんかじゃ、無い。

 

 

本来なら、今すぐに帰りたい所ですが。

しかし、繰り返されても面倒ですしね・・・。

 

 

「・・・それで、私に会わせたい人とは誰ですか?」

「は・・・」

 

 

その時、ジョリィさんに従うように跪き、顔を俯かせていた幾人かの女の子達が、何かを囁き合い、こっそりと私を見上げて来ました。

その目には、何か・・・不快な感情を見てとることができました。

何かを、期待しているような。

 

 

「とりあえず、貴女をどうするかは後で決めます。案内なさい」

「は、ではお着替えを・・・」

「「「お、お手伝いさせていただきます」」」

 

 

その後、自分で着替えると主張するも不毛なやり取りが続き、仕方無く着替えを手伝ってもらいました。

まぁ、こちらの世界のドレスの着方など知らないのは確かですが・・・と言うか、私のスーツを返せ!

肩と背中を露出させた、見るからに高級そうな生地でできた薄桃色のワンピースドレス。

それを着せて見せた時、ジョリィさん達の目が、さらに輝くのを感じました。

 

 

期待、歓喜、畏敬・・・そんな感情を、何故か感じることができました。

不快な、気分。

 

 

その後応接室とやらに案内されました。

どうもこの城は、要塞と言う程大規模な物では無く、平均的な西洋様式のお城のようでした。

そして、伯爵とやらに会って、私は・・・。

 

 

「嫌です」

 

 

と、簡潔にお答えして差し上げました。

この場には私と伯爵、そして扉の所に控えているジョリィさんの3人のみ。

伯爵は顔色悪く、老けこんだ顔は、生気が少ないように見えます。

長くは無い・・・そんな印象。

 

 

老いによる焦りか。

けれど、それを私が受け入れてやらなければならない理由にはなりません。

誘拐と言う・・・いえ、拉致と言う最悪の手段を取って来た以上、譲歩の必要などありません。

 

 

「彼ら難民にはもう、行く場所が無いのです」

「大変ですね」

「このままでは、彼らは連合の二級市民・・・いやそれ以下の扱いを受けることになるのです」

「頑張ってください」

「20万余の民の命、どうか・・・」

「私に無関係な20万人がどうなろうと、知ったことではありません」

 

 

事情を聞いてみるに、なかなかに切迫した状況である様子。

第一に、彼、伯爵は老衰と病でもう長く無く、20年前の戦争と、その後の難民政策の中で妻子を失い、後継者を持たないこと。連合との協定では、彼亡き後はこの土地は連合(特にメガロメセンブリア)に併合されてしまう。一方でこの協定により、連合から多くの支援物資を受け取ってこれたのだとか。

第二に、協定によれば、領地の継承には伯爵家の血縁か、またはウェスペルタティア王家の血族にしかその権利を与えられていないこと。王家はすでに絶えているため、事実上伯爵家の血縁にしか相続権が無い。そして今、伯爵家最後の一人であるクリストフ氏。

 

 

彼は、王家の血筋である私を見出した、と言う訳です。

・・・こう言う話に限って、ネギ(元兄)の方に話が行かないのは何故でしょう・・・。

 

 

「・・・残念なことに、私は王家の責務とやらを知らずに育ちましたので」

「は・・・存じております。しかし先代のアリカ女王陛下も、幼い頃は・・・」

「思い出話に関心はありません」

 

 

席を立ちたい衝動をこらえながら、私は言いました。

そろそろ、お暇させて頂きたいので。

 

 

「あえてはっきりと言わせて頂きますが、私は貴方達が嫌いです。憎らしいくらい」

「・・・そうでしょうな、このような形では・・・」

「おわかりいただけたのなら幸いです。なら、貴方達の願いも聞き入れる必要はありませんね? ・・・いえ、ありません伯爵」

「・・・されど、あの民達はアリカ様の・・・殿下のお母君の」

「その母が、私に何をしてくれたと言うのです?」

 

 

私の声は、むしろ冷厳に響いたやもしれません。

ですが、事実ではあります。

学園祭で幻の母に出会ったからと言って、事実は何一つ変わらない。

 

 

加えて言えば、私から「母親」と言う貴重な物を奪ったのは、その難民・・・民では無いですか。

我ながら、倒錯した思考ですが。

 

 

「私は・・・」

 

 

その時、どこかから、話し声が聞こえてきました。

・・・話し声と言うより、何でしょう・・・。

 

 

「・・・!」

「・・・こま・・・様方が・・・」

「・・・ぜひ・・・りたい・・・」

「・・・らのひ・・・に・・・」

「だ・・・す・・・!」

 

 

ガタ・・・ガタタンッ!

 

 

その声と、足音は段々と近付いて来て・・・。

部屋の大きな扉が、両側に開き。

そして。

 

 

そして私は、「それ」を見ることになりました。

 

 

 

 

 

Side オストラ伯クリストフ

 

最初にその娘を見た時、正直言って難しいと感じた。

長年人を見て来たが・・・これは難しい。

 

 

先のアリカ陛下は、ご自分の民を愛しておられた。

しかし、この娘・・・アリア王女殿下は、そうでは無かった。

仕方が無いことだとわかってはいても、勝手ながら、多少気落ちした。

そもそも、殿下はオスティアの民を知らないのだから。

 

 

「オスティア難民など、私には関係が無い」

 

 

そう言う思考になっても、それは当然のことだ。

だがしかし、もはや殿下にお縋りするしか無いのも事実。

先ほど、アリア殿下について部屋の外まで来ていた侍従の娘達を見た。

彼女達の目は、期待に輝いていた。

 

 

理解している・・・いや、期待しているのだろう。

目の前のこの方が、自分達を救済してくれる誰かだと。

自分達ウェスペルタティアの民を導き、救い、全ての不安を消し去ってくれるはずだと。

期待している。させてしまったのは私だ。

 

 

彼女の容姿が、アリカ様に似ているのもあったのだろう・・・本当に良く似ておられる。

年配の者は直に、そうではない幼い者は、絵画や物語として、アリカ様を知っている。

アリカ様の幼い頃の衣服を纏ったアリア殿下は、そのような者達にとって、どれほど縋りやすい存在になるのだろう・・・。

 

 

それを知っていて強引な手段でお連れした私は、どれ程の卑劣漢なのだろうか?

 

 

「おお・・・あれが」

「本当だ・・・本当にそっくりだ」

「アリカ様・・・ありがたや、ありがたや・・・」

「助けてくだせぇ・・・」

「・・・王国の復興が・・・」

「ミルクが、子供のミルクが足りないんです・・・」

「・・・王女様だ・・・」

「王女様」

「王女様」

「王女様」

「王女様・・・」

 

 

そして今、それが、最もわかりやすく図式化されている。

この城の大半は、広間や大部屋などに難民を受け入れている。場所によっては廊下まで使って。

我が領内の内、このオスフェリアの街には、8万の難民がいる。

とてもではないが、外のキャンプだけでは・・・とにかく。

 

 

今、そうした者達が、この応接室に押しかけて来たのだ。

オスティア難民が。

 

 

「き・・・貴様ら! 無礼であろうがっ!」

 

 

慌てて、ジョリィが難民達を押し返そうとする。

しかし、もう遅い。

見てしまったのだ、彼らを。

 

 

アリア殿下は、最初の内は単純に驚いているようだった。

ソファから腰を浮かせて、難民達を凝視している。

みすぼらしく、薄汚れて、ひたすらに助けを請う民達を。

奴隷になることもできず、20年もの難民生活に疲れた者達を。

おそらくは、生まれて初めて。

 

 

驚愕の次に殿下の顔を彩ったのは、嫌悪感。

異質な物を見るような目。そして恐怖。

ただ無条件に、出会ったことも無い者達から縋りつかれる事への、恐怖。

ひたすらに「王女様」と縋る無力な彼らを、ひきつったような表情で、見ていた。

よろめくように立ち上がり、両手で顔を覆う。

私が口を開こうとした、次の瞬間。

 

 

「いやあああああああぁぁぁぁぁぁ―――――――――――――っっ!!」

 

 

悲鳴を。

 

 

 

 

 

Side 茶々丸

 

アリア先生が姿を消して、すでに一晩が経過しました。

この時点で、私はアリア先生の誘拐を疑ってはいませんでした。

生存していることは、マスターの仮契約カードが生きているため、わかります。

 

 

「こちらでも、心当たりを探ってみるわ」

「お願いいたします」

 

 

セラス総長の執務室を辞した後、私はアリア先生の部屋へ向かいます。

出立の準備をしなければなりません。

さよさん達の出発に便乗させていただきましょう。

アリアドネーから軍艦に乗って新オスティアへ向かうため、途中人口密集地を通るのです。

 

 

3つの大都市に寄港する予定もありしますし、アリア先生の捜索にも都合が良いのです。

スクナさんやさよさんは、それぞれすでに準備を始めています。

 

 

・・・ただ・・・。

 

 

「ご苦労様です、姉さん、田中さん」

「・・・オウ」

「・・・(ガション)」

 

 

アリア先生の部屋の扉の前に佇む田中さんは、どことなく落ち込んでいるように思えます。

頭の上に乗っている姉さんも、あまり元気が無いようです。

 

 

「マスターは・・・」

「ナカダヨ」

 

 

ノックをしても反応がありませんでしたので、数秒の後、中へ。

部屋の中は、当然ですが、昨日と何一つ変わってはいませんでした。

魔法具と、そしてそれを上回る蔵書の数々。

 

 

そして普段はアリア先生が腰かけている椅子に、今は金色の髪の少女・・・マスターが、座っておりました。

どこか惚けたように、虚空を眺めています。

 

 

「マスター」

「・・・茶々丸か」

 

 

お傍に寄っても、マスターは体勢を変えませんでした。

机の上には、水晶やカード・・・石や地図が。

探索の占いや、魔法の痕跡が。

マスターは千キロの距離でも、影を使った転移(ゲート)で任意の人間の場所に転移できます。

しかし・・・それにも、限界があります。

 

 

「・・・見つからないんだ」

「マスター、アリア先生はきっとご無事です。ですから・・・」

「なら何故、戻ってこない? あいつの力なら、今すぐにでも戻ることができるはずじゃないか」

「・・・きっと、何か事情が」

「だから、それはどんな事情だと言うんだ!?」

 

 

怒鳴り、机の上の物を床に弾き落とすマスター。

乾いた音を立てて、石や水晶が砕けました。

ドンッ・・・と、机を叩いて、マスターは叫ぶように。

 

 

「以前・・・そう、京都の時だ。私は何故治癒魔法を使えないのかと、自分を責めたことがある」

「マスター・・・」

「そして今度はこうだ。何故私は、もっと探索魔法の修行を積まなかったのか・・・と!」

 

 

マスターは、単体戦闘であれば、比類なき力を発揮します。

ですが逆に治癒や探索など、細かいこと・・・極端に言えば、「自分以外の誰かのための魔法」の使用は、マスターにとって苦手分野になります。

しかし、この魔法世界は地球の3分の1とは言え・・・広大です。

 

 

マスターでなくとも、探索は困難でしょう。

むしろ、不可能です。通常の方法では。単体では。

 

 

「・・・マスター」

 

 

肩を震わせて俯く、マスター。

不安。それが私には良く伝わってきます。そしてそれは・・・。

私も、同じ。

 

 

アリア先生は、今どこで何をしているのか?

未だ戻られないのは、その身に何か起こっているのではないか?

悲しんでおられるのではないか?

傷ついて、苦しんで、泣いていらっしゃるのではないか・・・。

 

 

「マスター!」

 

 

だからこそ、私達はここにいるべきではないと、思います。

 

 

「アリア先生が今どこにいるのかは、私にもわかりません。レーダーにも反応がありません・・・」

「・・・」

「ですが、アリア先生がどこに向かうのか、それはわかります」

「どこだ!?」

「新オスティアです」

 

 

アリア先生は、よく申されておりました。

新オスティアでの平和式典で、全てが動き始めると。

ここに戻られないのであれば・・・後は、新オスティアのみが候補として残ります。

それに、あそこには・・・。

 

 

「クルト・ゲーデル議員と合流すべきかと思います」

「・・・何故、あんな奴と」

「あの方だけが、アリア先生を私心無く助けてくれるはずだからです」

 

 

クルト・ゲーデル新オスティア総督。

正直、信用も信頼もできない方だと思います。

しかし・・・。

 

 

「おそらくあの方の組織力が、アリア先生の助けとなるはずです」

「私では、アリアの助けにはならないと言うのか」

「違います。そうではなくて・・・その・・・」

 

 

上手く言えませんが、きっとアリア先生には必要となるはずなのです。

クルト議員は、私達に無い物を補ってくれると思います。

でもそれは、私やマスターがアリア先生に必要無いと言うわけではなくて・・・その。

 

 

「・・・わかったよ・・・」

 

 

口ごもる私を見ながら、マスターが力無く笑みを浮かべました。

私から目を逸らし、片手で両目を覆い、俯きます。

 

 

「わかった・・・いや、わかってはいたさ・・・けど」

 

 

けれど、そんなの、寂し過ぎるだろう・・・マスターは、そう言いました。

そんなマスターの言葉に、私は答えることができませんでした。

 

 

 

 

 

Side アリア

 

嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。

部屋を飛び出し、人を押しのけて、走った。

 

 

応接室の外の廊下には、いつの間にかたくさんの人がいました。

その人混みをかき分けて、走る。

その中に、先ほど私の着替えを手伝ってくれた子達がいました。

彼女達は、突然飛び出してきた私を見て、驚いた様子で。

 

 

「王女殿下!?」

「・・・っ」

 

 

私を・・・。

 

 

「王女様?」

「王女様だ・・・」

「王女様だって?」

「王女様」

「王女様」

「王女様」

 

 

私を。

 

 

「私をそんな風に呼ぶな・・・!!」

 

 

私は、王女でも何でも無い!

それなのに、この人達は私を王女と呼ぶ。

縋るような目で私を見る。無条件に助けてくれると思っている。

私のことなんて、知りもしないくせに!

 

 

「・・・あっ」

「むぉっ・・・?」

 

 

角を曲がった時、誰かにぶつかりました。

私は俯き気味に走っていたため、気付きませんでした・・・。

 

 

顔を上げると、そこには2m近い身長の男性が立っていました。

所々に黒髪の混じった白髪に、閉じられた目。年齢は、60歳前後でしょうか・・・。

盲目の方・・・? 司祭のような服装をした方です。

その男性は、閉じたままの目で私を正確に見つめると、私に手を差し伸べて。

 

 

「おお、これは困りましたな・・・大丈夫ですかな?」

「あ・・・えと、どうも・・・」

 

 

ただ、差し述べられた手に、指先を乗せた途端、その男性は眉をかすかに動かして。

 

 

「・・・アリカ様?」

「・・・! 違う!」

 

 

反射的に、手を払ってしまいました。

驚いたような顔をする男性に、かすかに罪悪感を感じます。でも。

私は、お母様では無い。

お母様とは、違うのです。

 

 

「王女殿下・・・ドミニコ殿!」

「む・・・ジョリィ殿?」

「・・・っ」

 

 

ドミニコと言うらしいその男性の横をすり抜けて、私はまた走りました。

角をいくつも曲がり、出口を探します。

 

 

一つ角を曲がる度に、また別の・・・そして同じような人達がいました。

誰も彼も・・・疲れたような、気力の無いような・・・そんな様子でした。

痩せた身体、薄汚れた服装。擦り切れたような目・・・。

こんな、こんな人達を?

 

 

こんな人達の面倒を見ろと言うのですか、あの人達は?

私に、私にしかできないからと?

・・・嫌だ。

 

 

「・・・さっ・・・エ、ァさっ・・・エヴァさんっ・・・!」

 

 

こんな場所、今すぐに出て行きたい。

こんな所・・・!

 

 

気が付いた時、私はどこかの倉庫に迷い込んでいました。

食料が入っていると思われる大きな木箱が積み上げられている場所なのですが、無人のようです。

階段を上がったり下がったりしていたような気もしますが・・・。

いつのまに発動していたのか、『千の魔法』を胸に抱いていました。

大きく息を吐いて、登録した転移魔法のページを探します。その時・・・。

 

 

「だれ?」

 

 

ビクッ・・・と、身体が震えました。

見た所、無人だと思ったのですが・・・どうやら、誰かいたようです。

カタ、コトッ・・・と、音がして・・・。

 

 

木箱の間から、薄汚れた服を着た男の子が姿を見せました。

煤けた黒髪と、くりっとした黒い瞳が印象的な、5歳くらいの男の子。

両手一杯に、食料や野草を持っています。

彼は、壁に背中を預けるように座る私を見ると、不思議そうに首を傾げて。

 

 

「おねーちゃんも、おかーさんのご飯探しに来たの?」

「え・・・?」

 

 

な、何の話ですか?

その時、倉庫の外がガヤガヤと賑やかになったのを感じました。

誰か来る・・・!

 

 

「おねーちゃん、こっち!」

「え、え・・・?」

 

 

いつの間に近付いてきたのか、男の子が私の手をとって駆け出しました。

倉庫の奥の方に行き、いくつかの木箱をどかします。そこには・・・。

 

 

「はやくはやく、見つかっちゃうよ!」

「え、えええ?」

 

 

そこには、子供一人が通れそうなサイズの、抜け穴がありました。

 

 

 

 

 

Side フェイト

 

カチ・・・。

自分でも何故かはわからないけれど、腕のブレスレットに手を添えた。

・・・?

 

 

「廃都オスティア・・・かつて千塔の都と称えられた空中王都も、今やこの有様か」

「・・・感傷かい。あなたらしくも無い」

「ふ・・・」

 

 

僕達の目の前には、旧ウェスペルタティア王国王都跡がある。

かつての崩落の中でも生き残った建造物が、浮き島だった岩の上に屹立しているのが見える。

今や、強力な魔物の巣窟で、冒険者以外は誰も来ない。

せいぜい、観光客が船を飛ばせるギリギリの高度で、遠望する程度だろう。

 

 

ここには僕だけでなく、デュナミスと・・・もう一人。

 

 

「・・・」

 

 

<墓所の主>と呼ばれる彼女は、ローブを深くかぶったまま沈黙している。

これはまぁ、いつものことだ。

彼女は、僕の手元を見た後、すぐに視線を逸らした。

 

 

・・・カチ。

まただ。また無意識の内にブレスレットに触れている。

 

 

「魔力の対流は予定通りだ。あと3週間と言った所か?」

「・・・まぁ、僕達はそのためにこそ、作られたわけだからね」

 

 

順調すぎるのも、つまらないけど。

まぁ、僕のような人形が気にすることでもない・・・。

 

 

「フェイト様」

 

 

ざっ・・・と、僕の傍に姿を現したのは、長い髪の少女。

調君。僕が紛争地帯で拾った子供の一人。

今は暦君達と一緒に、僕を手伝ってくれている。

 

 

「ご報告です。<黄昏の姫御子>を発見。オスティアに向かっているとのこと」

「そう・・・」

「栞の準備は完了しているとのことですが・・・フェイト様?」

「・・・」

 

 

何だ・・・?

この胸の内に広がる、ザワザワした感触は。

凄く、不快だ。

 

 

カチ・・・また。

僕の手は、ブレスレットに触れている。

 

 

「フェイト様・・・?」

「・・・何?」

「い、いえ、あの・・・」

 

 

かすかに怯えたように、調君は身をすくめた。

 

 

「あの、それとネギ・スプリングフィールドなのですが・・・」

「どうでも良いよ」

「は・・・?」

「サウザンドマスターの息子など、どうでも良いよ」

 

 

・・・近くに、いるのか?

僕がそう考えちた時、ズシンッ・・・と音を立てて、僕達のすぐ近くに黒い竜が降り立った。

このあたりを縄張りにする、竜のようだね。

どうも腹を空かせているらしく、僕達を威嚇してきた。

 

 

シャギャアァ―――――ッ!

 

 

「なっ・・・野生の竜!?」

「ほぅ、なかなか大きいな」

「・・・」

「・・・調君、下がっていて」

「え、あ・・・は、はいっ」

 

 

調君を背中に隠すように立ち、竜を見上げる。

・・・運が悪かったね。

竜に向けて片手を掲げながら、僕はそう思った。

 

 

なぜなら・・・。

 

 

「僕は今、苛々しているんだ」

 

 

 

 

 

Side ラカン

 

「何、あの子供に修行をつけるだと?」

「おぅ、面白そうだろ?」

 

 

酒場でカゲちゃんと酒を飲みながら、そんな話をした。

内容?

今言った通りさ・・・ナギの息子にちょいとちょっかいをかけてみようと思ってな。

 

 

ありゃあ父親と、ナギとは全然違うタイプの奴だけどよ。

でも才能はあるみてぇだし? 最近面白いことも少なくて暇だしな。

適当にラカン印の必殺技でも考えて伝授しようかってな。

金は貰うがな。

 

 

「・・・私は、あまり勧めんがな」

「んぁ? どうしてだよ、再戦を誓い合った仲だろー?」

「お前が勝手に話を進めたんだろうが」

 

 

そう言うなって、男には「倒すべき敵」ってもんが必要だろうよ。

この間の勝負は、結局カゲちゃんの圧勝だったしなー。

んで、俺がオスティアの大会で戦えってセッティングしたわけよ。

特にあのガキ・・・ネギとか言ったか?

 

 

なかなか、染めがいのありそうなガキじゃねぇか。

ナギとあの姫さんのガキだ。

才能はありそうだしな。今は病院のベッドでぶっ倒れてんだろーけどな。

・・・そう言えば、なんかもう一人、いるんじゃなかったっけか、ガキがよ。

 

 

「大体お前、きちんとした修行などつけられるのか? あの小僧、基礎から叩き込む必要があると思うが」

「あー・・・めんどっちぃな」

「お前を見ていると、本当に40年かけて奴隷から這い上がった男なのかと疑いたくなるな」

「は・・・昔のことは忘れたね」

 

 

でも確かに、めんどっちぃな。今さら基礎修行の面倒とか見んのか。

そこは考えてなかったぜ・・・。

 

 

「ジャック・ラカン。話があります」

「あん?」

「お前は・・・」

 

 

いきなり、声をかけられた。

後ろを見てみれば、黒髪赤目の刺青女がそこにいた。

ぼーずの相方の女・・・エリザとか言ったか?

 

 

何か、血ぃドバドバ吐いてなかったかこいつ。

そいつが、手に持っていた物をテーブルの上―――俺とカゲちゃんの間―――に、何かを置いた。

何かと思って見てみりゃあ・・・札束だった。それもいくつも。

こいつぁ・・・。

 

 

「500万ドラクマあります」

「ほぅ・・・で?」

「依頼があります」

 

 

だろうよ。

でなきゃ俺に札束を渡したりしねぇだろ。

エリザは、感情の無い瞳で俺の目を覗き込みながら。

 

 

「お父様の依頼です。受けなければ殺します」

「はっ・・・」

 

 

言うねぇ、お嬢ちゃん。

 

 

 

 

 

Side アリア

 

抜け穴の先は、粗末な家でした。

いえ、薄い板と粗末な布で構成されたこの小さな部屋を、家と呼んで良い物かどうか。

外を見ると、すでに夕方のようでした。

 

 

「ここ、ぼくのお家」

 

 

私をここに連れてきた男の子・・・名前は、ウィル君。

彼は、照れくさそうに笑いました。

ウィル君はパンや野菜などの食料を両手でしっかりと抱えていました。

・・・ここまで来れば、彼が食料泥棒であることは明白です。

 

 

まぁ、だからと言って私が伯爵達にこの子を引き渡す必要はありませんが。

と言うか、私、何をやっているのでしょう。

 

 

「おかーさん・・・また食べて無いんだね」

 

 

狭い部屋の片隅の小さなベッドに、ウィル君は何事かを語りかけていました。

お母さん・・・?

その割に、ん・・・。

 

 

その時、私は部屋の中に漂う異臭に気付きました。

何、この匂い・・・。

 

 

「ダメだよ。ちゃんと食べないとびょーきが治らないって、お医者さんも言ってたよ」

「・・・っ!」

 

 

ウィル君の後ろから、ベッドの中を覗き見ました。

驚き、声を上げそうになるのを、手で口元を押さえて止めます。

吐き気を抑えるための行動です。

2、3歩後ろに下がり・・・しかし視線は変えず、その人・・・いえ、それを見ます。

 

 

半ば白骨化した遺体を。

 

 

ベッドに横たえられているのは、おそらくはウィル君のお母さん「だった」物。

それを、ウィル君は甲斐甲斐しく世話をしています。

 

 

「おねーちゃん?」

 

 

私の挙動に気付いたのか、ウィル君が不思議そうな顔で私を見ました。

私は、どんな顔をしていたのでしょうか?

自分でも、わかりません。ただ・・・。

 

 

トン、トン。

 

 

その時、何かを叩く音がしました。

何かと思えば、部屋の入口(抜け穴じゃない方)らしき布をめくって、一人の女性が現れました。

20代後半の、白衣のような服を着た女性。

 

 

「こんばんは、ウィル君。今日検診に来なかったでしょう・・・あら?」

 

 

栗色のボブショートのその女性は、垂れ気味な青い目で、私を見ました。

それから、特に何を感じた風でもなく。

 

 

「お客様ですか?」

「え、いえ、その・・・」

「あ、セレーナ先生だー!」

 

 

ウィル君が、私の横を擦り抜けて、セレーナと言うらしいその女性に抱きつきました。

・・・聞けば、その女性、セレーナ・ブレシリアさんは、難民キャンプで医療のボランティアをしているのだとか。

そうだろうとは思っていましたが、ここ、難民キャンプなんですね・・・。

 

 

「ここは衛生状況があまり良くないので、病気も流行りやすいんです」

 

 

単純な風邪から感染症まで。

栄養失調やビタミン不足などから来る栄養欠乏障害・・・。

そうした物を防ぐため、毎日できるだけ多くの人、特に子供を診て回っているのだとか。

 

 

「お城から出る配給だけでは、栄養が絶対的に足りないので・・・」

「そう、なんですか」

「お城の人、酷いんだよー」

 

 

セレーナさんの膝の上で、ウィル君が不満そうに唇を尖らせました。

 

 

「おかーさんの分の食べ物、くれないんだ」

 

 

その言葉に、私もセレーナさんも沈黙してしまいました。

セレーナさんと視線を合わせるも、返ってくるのは力の無い笑み。

その後、少しの間話しましたが、セレーナさんは特に私を怪しんだり、意識したりはしていませんでした。知らないのか、知らないふりをしているのか・・・。

 

 

「セレーナさんは、どうしてここでお医者さんなんてやっているんですか?」

 

 

だからと言うわけではありませんが、別れ際に、そう尋ねてみました。

彼女自身は難民では無いと言うので、とても不思議で・・・。

 

 

「私は、医者の娘ですから」

「・・・」

「目の前で助けを必要としている病人を見捨てたりしたら、両親に顔向けできません」

 

 

それが、答えでした。

医者の、娘だから。両親にとって、誇れる娘であるように。

・・・私とは、正反対。

 

 

ふぅ、と、セレーナさんを見送ったままの体勢・・・床(と言うより、ほとんど地面ですが)に座ったまま、息を吐きます。

・・・疲れる。

不意に、膝に柔らかな感触が。ウィル君が私の膝に顔を摺り寄せるようにして、眠っていたのです。

 

 

「え、ちょ・・・」

「・・・おかーさん・・・」

「・・・」

 

 

はぁ・・・。

今日、何度目かの溜息。

溜息を吐くと幸せが逃げると申しますが、だとすれば、私はどれほどの幸福を逃がしたのか。

エヴァさん、茶々丸さん、皆・・・怒ってるかな。

 

 

「・・・私、身体的には10歳なんですけど・・・」

 

 

埒も無いことを、言いました。

 

 

 

 

 

Side ジョリィ

 

王女殿下が姿を消した翌朝、殿下はあっさりと見つかった。

なんと、城の外の難民キャンプ(の一つ)におられると言う。

 

 

危険だと思った。

我がウェスペルタティアの民は誇り高い民族ではあるが、難民の中には不貞な輩もいる。

警備の兵も巡回しているが、王女殿下の身に万が一のことがあっては、アリカ陛下に顔向けができない。

急ぎ人を集め、お迎えに向かった。

 

 

そしてそこに、なんと言うか、意外な・・・予想外な光景が広がっていた。

な・・・?

 

 

「・・・はい、皆一緒に読んでみましょうね、まず、『空』!」

「「「「そら~!」」」」

「はい、次です。これは『海』!」

「「「「う~み~!」」」」

「はーい、大変良くできました! じゃあ、次は自分達で書いてみましょうね!」

 

 

ガリガリと、木の枝で地面に何事かを書いている王女殿下。

そしてその周りを、難民と思われる子供が何人か・・・。

 

 

「ふむ、どうやら子供達に文字を教えているようですな」

「文字を?」

 

 

傍のドミニコ殿の言葉の意味が一瞬、わからなかった。

ドミニコ殿は、かつてオスティアの教会の司祭だった方だ。

難民からの信頼も厚く、彼らをまとめるのにも協力してもらっている。

 

 

「なぜ、殿下はそのような・・・」

「子供達が知識を身につけるのは、悪いことではありますまい?」

「は、はぁ・・・それは、わかっていますが」

「先代のアリカ様も、民との交流を好まれたと聞きます・・・いや、流石はアリカ様の御子ですな」

「・・・そう、ですね」

 

 

子供達だけでなく、周囲の難民の大人達も、次第に殿下に興味を持っている様子だった。

あまりに長い難民生活で、彼らは自分が養われるのが当然だと思っている節がある。

だが今は、殿下の・・・「授業」に興味を引かれているようだった。

 

 

本来であれば、すぐにでも城にお帰り願う所なのだが・・・。

だが、これは・・・私の一存ではどうにもできそうにない。

それに私自身、いささか戸惑っている。

昨日、あれほど取り乱されていたのに・・・。

 

 

何が、どうなっているのか。

しかしそれでも、最低限のことはしなければなるまい。

 

 

「・・・ライラ殿!」

「は、ここに」

「この一帯のキャンプの警備を厳重に願います。私は伯爵閣下にご報告申し上げる」

「了解」

 

 

私の後ろで警備兵を統率しているのは、ライラ・ルナ・アーウェン殿。

魔法世界では名の知れた傭兵で、白い肌に茶色の髪の女性。

女性兵士と言うことでもあるし、王女殿下の警備人員には最適だろう。

 

 

「ジョリィ様!」

 

 

その時、部下がやってきて、ある報告を持ってきた。

慌しく私の耳元で囁かれたその報告に、私は足元が崩れ落ちるような錯覚を覚えた。

 

 

「伯爵閣下がご危篤だと・・・!?」

「は、今朝方より意識が無く、セレーナ医師の治癒魔法も効果が・・・」

「ぐ・・・他の者にはまだ知らせるな、連合に介入されては・・・」

「そ、それが、連合駐屯軍の参事官がすでに」

「何だと!?」

 

 

私は思わず、王女殿下の方を見た。

子供達に囲まれ、文字を教えているアリア様を・・・。

 

 

 

 

 

Side 刹那

 

「このちゃん?」

 

 

私がリビングに顔を出した時、このちゃんはソファに座って、虚空を見つめていた。

このちゃんの艶やかな黒髪が、かすかに輝いて見える。

『念威』だ・・・そう思いつくまで、時間はかからなかった。

このちゃんは今、どこかを見て・・・いや、「視て」いるのだ。

 

 

でも、どこを?

不思議に思って近付いてみれば、膝に白髪の小さな式神、ちびアリアを抱いていた。

いつもは元気一杯なこの式神が、今はどう言うわけか、目を閉じて大人しくしている。

 

 

8月に入ってから、このちゃんはこうしてどこかを視ていることが多くなった気がする。

それを見つける度に、私は何故か胸を締め付けられるような感覚に陥る。

 

 

「このちゃん?」

「・・・せっちゃん」

 

 

ぽつり、と、このちゃんが呟いた。

 

 

「アリア先生、いつか、うちに言うたよね」

「な、何をですか?」

「逃げずに、自分のことは自分で決めなさい・・・って」

「ああ・・・」

 

 

京都でのことだ。

まだ、あの修学旅行からそれほど時間は経っていない。

なのに、もう随分と昔のことのような気がする。

 

 

「覚えとる?」

「ええ・・・ええ、覚えています、このちゃん」

「血筋でも無い、家でも無い、ただうちのしたいことをしぃって・・・」

 

 

このちゃんの目が、悲しげに伏せられる。

こういう時、何を言えば良いのかわからない。

 

 

「・・・アリア先生、大丈夫かな・・・」

「大丈夫です、きっと」

 

 

反射的にそう言ったが、どうやらそれは、このちゃんの求めている答えでは無いようだった。

悲しそうな笑顔が、それを物語っている。

私は・・・。

 

 

私は、このちゃんの心を、支えられているだろうか?

 

 

私はこの人のために剣をとり、この人だけを守ると誓った。

けれど、いつも肝心な部分で私は、この人の力になれていないのではないだろうか。

・・・アリア先生。

このちゃんと同じように虚空を見つめるも、私にはやはり何も見えなかった。

 

 

アリア先生に、会いたい。

エヴァンジェリンさんや、茶々丸さん達にも、会いたい。

 

 

無性に、そう思った。

 

 

 

 

 

Side レオナントス・リュケスティス(旧ウェスペルタティア将軍)

 

「旧王国東方に、エンテオフュシアが戻った」

2日ほど前から、我が陣営にそんな噂が流れている。

 

 

『どう思うリュケスティス、本当だろうか?』

「さて、どうだろうな。連合や帝国の流言にしては、いささか露骨過ぎるが・・・」

 

 

旧式の通信機の画面には、王国士官学校時代からの付き合いである戦友、ベンジャミン・グリアソンが映っている。彼もまた旧ウェスペルタティアの将校で、彼の率いる竜騎兵部隊は、20年前の大戦において幾つもの戦功をあげている。

おさまりの悪い蜂蜜色の髪に、30代後半になろうかと言う年齢を感じさせない若々しい顔つき。

 

 

王都崩壊の後に連合の使い走りに成り下がり、辺境を転戦していてもなお、我々はこうして連絡を取り合っている。さて、何のためかと自分でも不思議だが・・・。

今、俺は旧王国領の東端で帝国の国境軍と睨み合い、そしてグリアソンは北方で賊退治に従事している。

 

 

「しかしだグリアソン。事実だとして、我々に何ができると言うのだ?」

『無論、もし事実だとするなら、ウェスペルタティアの碌を食んだ者として推参するのが筋だろう』

「筋。筋と来たかグリアソン。だがな、我々に果たすべき筋があると、そう思うのか?」

『アリカ陛下のご息女が起つと言うのであれば、それを助ける。そして相応の恩賞を貰い、退役するまで軍人として働く。そうではないか、リュケスティス』

「ああ、そうだな。その通りだグリアソン、お前はいつも正しいことを言う。だが・・・」

 

 

以前から、各地の難民の間で「アリカ様のご息女」とやらの噂があることは知っていた。

連合や帝国の流言で無いとすれば、おそらくはあのクルト・ゲーデルが流しているのだろう。

オストラのご老体や、先代アリカ陛下を「聖女王」と崇めている民にとっては、それは良いことだろう。

だが。

 

 

「だがなグリアソン、俺は思うのだ。はたして先代アリカ女王は、民が言うような聖君だったのか、とな」

『おい、リュケスティス・・・』

「あの女王は何をした? いや、クーデターを起こし父王を倒したまでは良い。権力を奪うこと自体は何も問題は無い。だがそれを使って女王は何をした。紅き翼などと言う非正規戦力に依存し、英雄などと言う偶像を生み、あげく自らの誇りと信念の巻き添えに王都と国を崩壊させ、最後には元老院に殺されるなど・・・思い上がりも甚だしい。俺の言うことは何か間違っているか、グリアソン」

『いや・・・それは無論、その通りだとは思う。だがそれは先代女王の罪であって、王女殿下の罪ではあるまい』

「ふん・・・グリアソン、お前には言わずともわかると思うが、あえて言うぞ。この世で最も愚劣で卑劣なことは、実力も才能も持たない人間が、血統や相続によって権力を持つことだ」

『リュケスティス』

「・・・だがそれは、権力を継承する当人にもどうしようも無いこと、か」

 

 

だがいずれにせよ、俺は先代の女王が名君だったとは思わない。

後先も考えず独断で行動し、方策も立てず感情で判断するなど、愚王の振舞い以外の何者でも無い。

 

 

そして何よりも許し難いのは、もし王女なる者が真実いると言うのであれば、あの女王は民の窮状を放置して、どこぞの男と子供を作って安穏としていたと言うことになる。俺はそれがどうしても許せない。

統治者としての責務を放棄した、唾棄すべき行為ではないか。

俺の部下達は何のために、今まで戦い死んでいったと言うのか。

戦場で兵達が、誰の名を叫んで戦い死んでいったと思っているのか。

 

 

「・・・いずれにせよ、もう少し様子を見るべきだろう。もし事実だとすれば、近く何らかの宣言か呼びかけがあるはずだ」

『・・・ああ』

「俺もそろそろ、帝国の小娘と国境を挟んで遊ぶのも飽きてきた。準備だけはしておこう・・・」

 

 

ウェスペルタティアの民が、いつまでも無条件に従順であると思っている連合の犬共に。

身の程を思い知らせてやる、その時のために。

 

 

 

 

 

Side アリア

 

「「「アリアせんせー、さよーならー!」」」

「はい、気を付けて帰ってくださいねー・・・って、はぁ・・・」

 

 

何をやってるんだろう、私・・・。

何が悲しくて、青空教室なんて開いているんだろう・・・。

まぁ、ウィル君には一宿の恩があると思えば。

 

 

周囲を見渡します。

難民キャンプとやらは、言ってしまえば、とても不衛生な場所でした。

何年も使っているのであろう薄い板と布の家に、無気力な大人達。

・・・彼らの何人かは、私を見てかすかに目を見開いたりしていますが。

 

 

襲われても面倒ですし、縋りつかられても面倒です。

ウィル君には悪いですが、アリアドネーに戻ると・・・。

 

 

「王女殿下・・・!」

 

 

しようと思った所で、またもや邪魔が。

またぞろ、ジョリィさんが警備兵らしき人々を引き連れて、私の下へ。

 

 

「王女殿下、このジョリィ、身命を賭してのお願いがございます・・・!」

「聞く価値もありません」

「伯爵閣下がお倒れになったのです!」

 

 

ご愁傷様です、とでも言えば良いのでしょうか。

えーと、転移魔法のページはどこでしたかね・・・『千の魔法』のページをめくります。

 

 

「このままでは、無辜の民達が! どうか・・・」

「無辜の、民・・・?」

 

 

周囲の人達は今の会話で確信したのか、「王女様」と連呼しつつ、近寄ってきつつあります。

気持ち悪い。心の底から嫌悪します。

自分の意思もなく、ただ援助されることが当然と考えているような連中です。

私の母様は、このような人々を救おうなどと、良く思えましたね。

 

 

私には、とてもとても・・・。

 

 

「王女殿下!」

 

 

悲鳴のような声を上げるジョリィさんを無視して、私は・・・。

ピクッ・・・と、手を止めました。

突然動きを止めた私に、ジョリィさんが不審そうな表情を浮かべます。

しかし、それはどうでも良い。それより、何か・・・。

 

 

その時、ドォンッ・・・と音を、そして火柱を上げて、キャンプの一角が炎上しました。

な、何ですか!?

 

 

「始まってしまった・・・!」

「せんせーっ」

 

 

ジョリィさんの声よりも、私を「先生」と呼ぶ声の方が大事です。

見れば、先ほどまで私が文字を教えていた子供の一人が、駆けて来ました。

息を切らせて、泣きながら。

 

 

「・・・どうしましたか?」

「怖い人たちが、きたー!」

「怖い人達・・・?」

「連合の駐屯兵です! 彼らは、この難民キャンプを排除して、恒久的な基地を造ると・・・!」

 

 

それで、焼き払うと。建物だけでなく、人ごと。

それは、虐殺ではないですか。

 

 

「これは・・・クルトおじ様の兵がやっているのですか」

「いえ、オスティア総督はあくまでも新オスティアの総督なのです! 旧ウェスペルタティアに展開している駐屯兵は、メガロメセンブリアの指揮下に・・・」

「なるほど。それで、貴女達は何をしているのですか?」

「は・・・」

「昨日から聞いていれば・・・私に助けを求めるばかりで、貴女達は何をしているのかと、聞いているのです!」

 

 

これは、ジョリィさんだけに言っているわけではありません。

周囲で私を縋るような目で・・・おそらくは母を見るような目で私を見ている人々にも。

貴方達のその目が、きっと私の母を殺した。

 

 

国だか女王だか知りませんが・・・それらが自分に何をしてくれるかを考える前に。

自分が何をできるのかを、考えたらどうなのです!

纏わりつくな、鬱陶しい!

しっかりしろ、大人!

 

 

「せんせー、ウィル君がね、んとね」

「大丈夫、だから早く逃げなさい・・・そこ! ぼうっとしてないで、今すぐ動きなさい! 消火と避難誘導!」

「え、あ・・・は、ははっ!」

「そこで情けない顔をしている人達も・・・働きなさい! 子供の方がよほど役に立っていますよ!」

 

 

子供を呆然としている警備兵に押し付けて、私は瞬動でその場から消えました。

『千の魔法』№83『天挺空羅』・・・詠唱破棄、発動!

魔力を網状に張り巡らせ、対象の位置を捜索・捕捉します。

状況を、把握しました。

何度か虚空瞬動を繰り返し、そして――――。

 

 

私は、自分の身勝手さを知ることになります。

幻滅しますか?

シンシア姉様―――――――。

 

 

 

 

 

Side ガルゴ・ラム(オスティア難民)

 

「おかーさんを、殺さないで!」

 

 

ウィル坊が、ワシの腕の中で暴れておる。

おりもしない母親を守ろうと、戦おうとしておるのじゃ。

その姿が、20年前の王都崩落で生き別れた孫の姿と重なる。

連合の奴らがこのキャンプを焼き払っておるのを、ワシは見ていることしかできん。

80年近くも生きていて、またこんな光景を見ることになろうとは・・・。

 

 

「いよーし、今日中に汚物を消毒するぞぉ~!」

 

 

連合兵の厚い壁に囲まれた士官らしき小柄な、それでいて腹回りは大きい男が、そんなことを言う。

汚物じゃと・・・ワシら難民を汚物と言うか。

好きでこうなったわけでは無い、それもこれもアリカ様が王都を滅ぼさなければ。

 

 

「やめてぇ!」

「しまっ」

 

 

引きずってでも連れて行こうとしたウィル坊が、ワシの腕から逃れて、自分の前に駆けて行った。

しかしそれに一切構うことなく、連合兵は火炎魔法を放った・・・な!?

 

 

「怖くなんか無いぞ・・・おかーさんは、僕が守る!」

 

 

お前の母親は、もういないんじゃ!

そう叫ぶ間もなく・・・ウィル坊!

ドォンッ・・・と、爆発音。

じゃが・・・火柱は、上がらなんだ。

 

 

その代わり、そこに立っていたのは、10歳くらいの幼子。

白い髪の、童女じゃった。

目の錯覚じゃろうか、左眼が、燃えるように紅い輝きを放っておる。

 

 

「おねーちゃん・・・?」

「・・・偉いですね、ウィル君は。お母さんを守って、カッコ良いですよ」

「え、えへへ・・・」

 

 

優しげに、ウィル坊を見つめるその表情。

少し遠目じゃから、これこそ錯覚じゃと思うが・・・。

・・・アリカ様・・・?

 

 

「な、何だ小娘、難民か!? 何で僕の別荘・・・じゃない、基地造りの邪魔をする!?」

「・・・うるさい豚ですね」

「な、な・・・ぼ、僕は元老院議員の息子だぞ!?」

「ああ、はい・・・結構なことですね。貴方が権力をどう弄ぼうと、悪魔と契約しようと好きにすれば良い、けれど・・・生徒の教育に悪いんですよ―――――」

「う、撃てぇっ!」

 

 

再び、火属性の魔法が放たれるも・・・なぜか、その童女の目の前で、掻き消えてしまった。

何じゃと・・・? あれはまさか、王家の・・・。

 

 

「な、なななな・・・!?」

「今すぐ出て行きなさい、さもなければ・・・」

「さもなければ!? 難民風情がどう言う法的根拠で言っているんだ!! こっちには協定書があるんだ、滅んだ王家かオストラ伯爵家の血族がいない場合、この土地をどうしようと僕達の勝手だ!」

「・・・それは」

「だいたい、お前は誰だ、名前を言ったらどうなんだ!」

「・・・私は・・・私は、アリア・スプ・・・」

 

 

アリアと言うらしい童女は、何故かそこで口ごもった。

連合の士官が自慢げに掲げてみせる協定書を、まるで親の仇か何かのように見つめる。

ん、待てよ、アリア・・・じゃと?

 

 

アリアと言う童女は、自分の背中に庇うウィル坊を見た。

ウィル坊は、童女の腰にしがみついておる。

顔歪めて、今度はウィル坊が守ろうとした家を見る。

母親の遺骸しかない家を。

彼女は、ますます顔を歪めた。

 

 

そして、何かを思い出したような表情を浮かべた後・・・。

 

 

「私は・・・」

 

 

泣きそうな程に顔を歪めて、葛藤を振り切るように。

言った。

 

 

 

「私は、アリア・アナスタシア・エンテオフュシアです!」

 




アリア:
アリアです。非常に面倒なことになっております。
次回、続きます・・・私は、王女になんてなりたくない!

投稿キャラクター。
詳しい設定などは、本編か、またはいつかまとめてさせていただきます。
司書様よりガルゴ・ラム。
旅のマテリア売り様よりセレーナ・ブレシリア。
リンクス様よりドミニコ・アンバーサ。
二重螺旋様よりライラ・ルナ・アーウェン。
伸様より、レオナントス・リュケスティス。

魔法案は、「BLEACH」から、『天挺空羅』。司書様提供です。
ありがとうございます。

アリア:
では、次回は・・・。
ウィル君達を守るために、ある儀式をせねばなりません。
王女・・・それは、逃れ得ない私の運命なのでしょうか?

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。