今日は土曜日。学校は休みのため、駅伝部は朝の9時から学校のトラックで練習を行っている。
春から夏にかけては、中学生は全日中、高校生はインターハイ、大学生は関東インカレや日本選手権などといったトラックレースの季節である。
他にも、大学主催の記録会やあらゆる地方で行われる陸上競技会などが頻繁に開催されている。
駅伝部は明日、東京体育大学主催の記録会の5000mに出場する。
記録会のことを聞いてから部員たちは、目先の目標に向けて俄然やる気になっており、積極的に練習メニューをこなしていた。
今日は、明日が記録会ということもあり40分程のジョグと1500mを1本といった軽めのメニューで終わった。
練習が終わるとハイジがみんなを集める。
「明日はいよいよ今年度最初の東体大記録会となる。今月末からはインターハイ予選も始まるから、それに向けて自分たちの力を見極めるのが目的だ。1年生は初めてのレースになるから、まずは陸上の試合に慣れることから始めよう。春から夏にかけてはインターハイ予選に出場しないかわりに、どんどん記録会に出場させる予定だから、少しずつレースに慣れて確実にタイムを縮めていければいい。だが、王子はまだ記録会に出るレベルには至ってないから、申し訳ないが明日はサポートに回ってくれ」
「わかりました」
ハイジが申し訳なさそうに王子に伝える。
そして、部員一人一人にプリントを配った。それには春から夏にかけて行われるインターハイ路線の大会や出場予定の記録会の日程が書かれていた。部員たちは全員目を通す。
内容は以下の通りである。
4月15・16日・・・東京体育大学記録会
4月29・30日・・・高校インターハイ予選(支部予選) 東京体育大学記録会
5月13・14日・・・高校インターハイ予選(都大会) 東京体育大学記録会
5月20・21日・・・高校インターハイ予選(都大会)
6月4日・・・世田谷競技会
6月16・17・18・19日・・・高校インターハイ予選(南関東大会)
6月24・25日・・・東京体育大学記録会
7月15・16日・・・国武館大学記録会
7月29日~8月2日・・・高校インターハイ
「あれ?でも予選と記録会がかぶってる日がありますけど、どうするんですか?」
プリントに目を通し終えたジョータがハイジに聞く。
「その日はインターハイ組と記録会組に分かれてそれぞれの試合に行ってもらう。記録会組というのは1年生3人とカケルのことだ」
ハイジが説明する。
「え?カケルさんはインターハイ出ないんですか?」
今度はジョージだ。
「カケルは転校生だからな。転校生は転校初日から半年間は高校体育連盟主催の大会、これでいうインターハイ路線のような大会には出場ができないという決まりがあるんだ」
ユキが説明する。
「だからカケルはその日は1年生と記録会の方に出場してくれ」
「わかりました」
ハイジに言われカケルは返事を返す。
カケルはインターハイ予選に出られないことに関しては、前から承知していたので特に問題はなかった。それに、前の学校で例の事件を起こしているので、インターハイのような注目される大会に出るのはためらいがあったので、かえってちょうどよいと思った。
「それじゃあ明日は、朝6時に秋葉原駅に集合だ。遅れないように。各自、明日に向けてしっかり体を休めるように。以上!」
「「「お疲れ様でした!!」」」
挨拶を終えると、部員たちは各々運動場を後にした。
「いよいよ明日か」
「ワクワクしますね」
「カッコいいところ見せてやるぞ!」
明日の記録会に向けて意気込んでいる部員たちを見つめながらカケルは茫然と立ち尽くしていた。
カケルは再び明日の記録会に関して不安な気持ちを抱えていた。
脳裏にはかつてのチームメイトの顔が浮かんだ。一足早く梅雨の時期に入ったかのように憂鬱な気分になった。
記録会に出たらきっとまた、みんなと顔を合わせることになる。その時みんなはなんて言うか。今の俺はみんなに勝てるのだろうか?
するとハイジがカケルの横に立った。カケルは少し待ったがハイジは無言のままなので、自分から切り出した。
「きっといやな思いをしますよ。いろいろ言われて」
「なぜだ?」
ハイジは穏やかな口調で聞いた。
「だってハイジさんは知ってるんでしょう。俺の過去の評判を・・・」
「カケル」
ハイジはカケルの言葉を遮って言う。
「いいか?過去や評判なんて関係ない。今の君自身が走ればいいだけだ。もっと強くなれ」
そういってハイジはカケルの肩をポンポンと叩きながらその場を後にした。
「強く・・・」
カケルはハイジの後ろ姿を見つめながら呟いた。
カケルは学校から帰る途中、雑貨屋により座布団をいくつかと奥の部屋に敷くためのカーペットを買った。
みんなが家に訪ねてきた時のために、早めに買っておくことにした。
少し量が多くかさばるため、少しよろめきながらもカケルは帰路につく。
家に戻ると、早速部屋にカーペットを敷いた。
固い床の上に柔らかいカーペットを敷くことでだいぶ過ごしやすくなったとカケルは思った。
その後は座椅子に座り座卓の上で勉強を行った。
カケルは、やることがなくて暇な時はだいたい勉強をしている。
学生の本分は勉強であり、ある程度の成績を修めないと試合に出場できなくなりかねない。
それに、こういった姿勢こそ競技力向上に必要だと思っている。
だからカケルは学校の授業も眠らずにしっかり受けていた。
やがて夕方になり、勉強を終えて一息ついたその時
ピンポーーーン
玄関のチャイムがなった。
カケルは立ち上がり玄関へと向かい、ドアを開けると穂乃果がにこにこしながら立っていた。
「やっほーカケル君。また来ちゃった~」
カケルは穂乃果を中へと招き入れ、奥の部屋へ案内した。
穂乃果は先程模様替えをした部屋にびっくりする。
「カケル君。部屋変わったね~」
「床にカーペットを敷いただけだろ」
驚く穂乃果にカケルがツッコむ。
「これなら安心してくつろげるよ~」
そういって穂乃果はカーペットの上に寝っ転がりゴロゴロし始めた。
「おいおい。いきなり人の部屋でゴロゴロするやつがあるか」
「だってこのカーペット気持ちいいんだも~ん」
穂乃果は起き上がると、座卓の上に積まれた問題集の山を見つけた。
「カケル君、さっきまで勉強してたの?」
「ん?ああそうだが」
「カケル君って本当に真面目だよね。カケル君だけじゃなくて、高志君もムサ君も駅伝部の練習であんなに走りながら勉強もして、そんな中私たちの手伝いまでやってもらっちゃって・・・海未ちゃんが言ってたよ。もっと駅伝部のみなさんを見習いましょうって」
「そ、そうか・・・///」
カケルはそう言われて少し照れくさくなった。
以前海未にも言われたが、別に意識しているわけじゃないのに俺たちってそんな風に見られてたんだなと、少し意外な感じがした。
ただ自分としては当たり前のことをやっているつもりだった。
陸上とは縁のない人から見ると、長い距離を走るというのはとてつもなくすごいことのように見えるのかもしれない。ほとんどの人がすごいと思っていることを俺たちは毎日必死になって追求している。
そう考えるとカケルは少し愉快な気持ちにもなった。
「それより穂乃果。μ’sの方はどうなってる?」
カケルは穂乃果に聞いた。
「うん。今日はカケル君が考えてくれたトレーニングに加えて、基本的なダンスの振り付けを考え合ったんだ」
「そうか。でも、本格的な振り付けは曲が出来なきゃ考えられないよな。西木野さんがいい曲作ってくれるといいけど」
「そうだね。今度学校でまた会ってみる」
カケルと穂乃果は昨日の西木野のことを考えた。無理言ってお願いしたけど、今は彼女の曲に賭けるしかないと思った。
「その前に明日は日曜日。あ~明日は一日中お店手伝う約束してるんだった~」
穂乃果は憂鬱そうに言う。
「お前も大変だな」
「うん・・・あ、そうだ!カケル君も手伝ってくれる?この際人手が多い方がいいし」
穂乃果は期待の眼差しでカケルに頼み込む。
「いや、明日は無理だよ。試合あるから」
「ええっ!?試合あるの!?」
「うん。東京体育大学で行われる記録会にね」
「そっか~・・・じゃあ応援いけないね。カケル君の試合での走り、見たかったなぁ~」
穂乃果は応援に行けないことでシュンと落ち込んでしまった。
しかしすぐに立ち直り、今度は笑顔を向けて言った。
「でも今度は絶対応援に行くから、予定教えてね。明日はファイトだよ!」
穂乃果の言葉は、まるでカケルに力を与えてくれるようだった。
先程までカケルの中にあった怖れと怯えを吹き飛ばすように。
「おう!頑張ってくるよ!」
カケルも力強く返事を返した。
記録会に出ることへの恐怖やためらいは薄らいでいった。逆にどれだけ自分が走れるのか楽しみにもなってきた。
何より、こんなに精一杯応援してくれる穂乃果のためにも頑張ろうと思った。
「よし!じゃあ夕飯の準備をするか。よかったら穂乃果、また食ってくか?」
「いいの!?やったー!またカケル君のお料理食べられるよー!」
穂乃果は嬉しくなりピョンピョン飛び跳ねながら喜んでいた。
おいおい喜びすぎだろ、と思いクスクス笑いながらカケルは準備に取り掛かった。
今日の献立は、ごはん・ポークソテー・レタスとトマトのサラダ・なめこの味噌汁、そして今日もひじきの煮物をつけた。
ひじきは鉄分・食物繊維が豊富で、色んなアスリートが好んで食べているものの一つなのである。
ポークソテーはあらかじめ肉を細かく切ってデミグラスソースをかけておく。穂乃果には特別に肉を少し多めにしておいた。
「うわぁ~今日も美味しそう~」
座卓に並べられた料理を見て穂乃果は目を輝かせていた。
「あと、デザートにいちごも用意しておいたから」
「やった~嬉しい~!穂乃果いちご大好き!」
ドキッ///
「いただきまーす」
二人は向かい合うように座って食べ始めた。
穂乃果はとても笑顔で美味しそうに食べている。
「う~ん美味しい~」
ドキッ ドキッ/////
カケルはその様子を見て心臓の鼓動が早くなるのを感じた。まただ、と思いながら。
(本当にこいつのこういうとこ、かわいいよな///)
食事が終わると、しばらく二人でゲームで対戦した後穂乃果を家に帰し、明日の試合に向け早めの眠りについた。
【4月16日 午前7時】
音ノ木坂学院男子駅伝部一同は、東京体育大学に到着した。
東京体育大学は世田谷区深沢にあり東急田園都市線の桜新町駅から徒歩10分のところにある。
広々とした敷地内には整備の行き届いた立派な400mトラックがあった。
他にも、他競技のグラウンドや体育館らしき建物が見えるだけでも3つはあり、まさに体育大学らしくスポーツ設備が充実した環境だった。
カケルや2・3年生は何度か来ているが、初めてきた1年生、特に双子が「やっぱ大学ってすげえなあ」と感心しきりだった。
一同は持ってきたシートを敷き自分たちの陣地を作り、その上に荷物を置いた。
ハイジは双子に、試合時間が近いからユニフォームに着替えるよう指示を出した。
双子は事前に渡されていたランシャツランパンのユニフォームに着替え終えた。
「うぉ~かっこいい」
「なんかスースーするね」
二人ともランシャツランパンは初めてだったようで、感心したり若干戸惑ったりした。
音ノ木坂学院のユニフォームは、上下が茄子紺色で胸部には桜色の文字で「音ノ木坂学院」と書かれていた。
「開会式とかってないんですか?」
「記録会は運動会ってわけじゃないから、自分をベストの状態にもっていけるように、自分が出場する時間に合わせて行動すればいいんだよ」
ジョータが質問すると高志が説明する。
「みんな。今日の記録会のタイムテーブルを伝える」
ハイジはプログラムを見ながらみんなに声を掛ける。
メンバーのタイムテーブルは以下の通りである。
ジョータ・ジョージ・・・1組目(8時30分スタート)
平田・・・8組目(11時10分スタート)
高志・ユキ・・・11組目(12時10分スタート)
ムサ・・・14組目(13時10分スタート)
カケル・ハイジ・・・25組目(16時50分スタート)
大学主催の記録会は通常土日の2日工程で行われ、1日目は800m・1500m・10000m、2日目は5000mのみという競技日程である。
東体大記録会では5000mだけでも8時30分から18時30分までに30組のレースが行われる。
「カケルさんとハイジさん、ずいぶん時間が離れてますね」
ジョージが言った。
「記録を出すための大会だから、選手のレベルごとに組が分けられているんだ。有力選手の組は、良い記録が出るように気温などの条件が良い夕方などの時間帯に組まれるんだ」
「えっ?じゃあ俺たちは一番条件の悪い遅い組ってわけですか?」
ハイジの説明を聞きジョージが憤慨する。
「公式記録ないんだから当然だろ」
カケルの説明で双子は、そうか、と納得したようだった。
「ってことは、勝って記録作ってもっと上の組へ進めばいいんですね」
「よっしゃー勝つぜー」
双子は更に試合に向け張り切りだした。
「別にランキングを争うものではないんだが・・・」
「いいじゃないデスか。二人ともやる気なのですから」
「初めての試合だってのに、緊張を知らんようだな」
双子の様子を見てハイジ・ムサ・平田が呟いた。
いよいよ第1組目のスタート時間が近づいてきたため、双子はスタートラインより後ろのトラックの直線をウォームアップのために走っていた。
やがて係員に呼ばれ他の選手と共にスタートラインに立つ。
「よっしゃ、いっぱい抜いてやろうぜ」
「狙うは一等賞でしょ」
ジョータ・ジョージが意気込む。
他の部員はスタート付近のコースの外側で見守っている。
「位置について!」
係員の掛け声で選手はスタートの構えをする。
パーーーーーーン
スタートの号砲が鳴り各選手が一斉に飛び出した。
一番遅い組とはいえ双子は揃って積極的に先頭集団の中にいた。
まず最初の1周を通過しようとした。
「76、77、78、79! 79秒! 二人ともそのまま付いていけ!」
ハイジがタイムを計測しながら双子に声を掛ける。
ジョータは他の選手が時計を見ながら走っているのを見て思った。
(ああやって、常にペースを確認しながら走ってるのか。けっこう考える競技なんだな)
二人はまだ時計を買っていなかったので、ジョータは早めに買っておかなきゃ、と思った。
やがて最後の1周に差し掛かり、それを知らせるベルの音が鳴り響いた。
双子はしっかり先頭争いに残っていた。
そしてジョータが力を振り絞りスパートをかけた。
それに負けじとジョージも付いてくる。
先頭は完全に双子の争いになった。
「いいぞジョータ、ジョージ!そのまま逃げ切れ!」
ハイジが檄を飛ばし、他の部員も声を掛ける。
「ジョータ!ラストファイトー!」
「ジョージ負けるなーファイトー!」
そして二人はそのままフィニッシュした。
二人のタイムは以下の通りである。
ジョータ:17分04秒
ジョージ:17分05秒
二人は初めてのレースながら組のワンツーを飾り、しかも陸上歴はまだ1週間ちょっとだというのに17分切り目前のタイムで走り切るという強心臓ぶりを見せた。
「二人ともよくやった!」
「お疲れさま」
「やるじゃねえか」
部員たちは口々に双子を労い、双子はハイタッチを交わし喜んでいた。
カケルも二人の潜在能力の高さに驚いた。鍛えようによっては、行く行くは全国レベルの選手にだってなれるかもしれないな、と思った。
次の試合まではまだ時間があるため、部員たちは一度自分たちの陣地へと戻った。
カケルは途中でトイレに寄ってから陣地へと戻るところだった。
そして周りをキョロキョロ見渡した。
そろそろ来る頃かな?やっぱりまだあいつらには会いたくねえな・・・
ハイジさん以外のみんなは俺の過去を知らないからな・・・
とにかく目立たないようにしよう。
そう思った時だった。
「蔵原!!」
誰かのカケルを呼ぶ声が聞こえた。
カケルはその方向へ振り向くと、上下スカイブルーのウィンドブレーカーを着た人物が立っていた。
そしてキッと睨みながらカケルのもとへゆっくりと近づいてきた。
カケルにとって、今最も会いたくない人物だった。
彼はかつてカケルが所属していた、千葉県の駅伝強豪校である船橋第一高校駅伝部の同級生
榊 浩介 だった。
「何でお前がここにいるんだ!?蔵原!!」