デアラの画集を見てたら絵を描きたくなってしまった……
そんな訳で、申し訳程度の挿絵を今回入れてみました。ちょっと明るさを調整してるので見やすいとは思いますが……シャーペン描きなので、消した後とか筆跡も見やすくなっているんですよね……それさえなければなぁ……
それでは
——ある日、少女はそこにいた
公園の一角、周りで同年代の子達が遊んでいる中……少女は離れたところで座り込んでいた
木陰の下、時に何をする訳でもなく座り込んでいる少女を気に掛ける子など周りにはおらず、ただただ一人、少女はその場に座り込んでいる
——そんな少女の元に、一人の少年がやってきた
『何してるんだ?』
『——え?』
それは純粋な疑問だった
少年は少女の事を知らなかった。だから勿論、少女が周りの子達から仲間外れにされていることなど少年には知りようもなかったのだ
そんな少年の問いかけを前に、少女は呆気に取られてしまう
他の子にはない特徴を持っていただけの事で、周りの子達は少女に寄り付こうとしなかった
だから少女は今日もまた、何をする訳でもなくただ一人で過ごすのだと思っていた。……人から話しかけられるなんて思っても見なかった
そんな少女の心中も知らず、少年は自然体に少女へと接していく
例え少年が少女の事情を知っていたとしても、少年がすることは変わらなかっただろう
だから……この二人の出会いは、来るべくしてなったものだった
『俺は————————って言うんだ。君は?』
『私は————————』
この日を境に、少女は一人ではなくなった
それと言うのも、少女の傍にはいつも少年がいたからだ
頼まなくても来てくれる。いつもと同じ場所、同じ時間に少年はやってくる
時折少年の妹もやってきて、三人で遊んだりすることが多くなっていった
楽しかった。何の変化もなくただ過ぎ去っていただけの時間を、少年は簡単に変えてしまった
周りから距離を置かれ、孤独だった自分の手を引いてくれた少年
そんな少年と、その妹と過ごす時間が何よりも心地良く、ずっとこんな日々が続けばと少女は願っていたのだった……
——”あの日”が訪れるまでは——
————————————
————————
————
「ふあぁ…………ん、まだ4時か……」
先日早めに就寝したせいか、いつもよりも早い時間に起きてしまった
妙に意識が鮮明で、二度寝をする気にはなれそうにない。まぁ今日の事を考えると、心構えをする時間があるのは喜ばしいが……
俺こと五河士道は——今日、妹とデートします
……文面が酷いな。いや間違いではないんだけどさ? もっとこう……控えめな言い方はなかったのだろうか? これでは妹に欲情する変態兄貴みたいじゃないか。決して違うからな? 琴里は確かに可愛いとは思うけど、だからと言って妹に欲情する訳がないじゃないか。妹に手を出すなんて兄として失格だ。……妹とデートするってところには突っ込まないでほしい。これも琴里の為なんだ
先日、令音さんとの密談を終えた俺はすぐに床に就いた。今日の為にも寝不足になんてなってられなかったからな。疲れを残していたせいでデートに支障をきたすなんてしたくない
今日のデートは必ず成功させなければいけない。前回の狂三とのデートは結果的に失敗に終わってしまったが、今回ばかりは何が何でも成功させなくてはいけなかった
今日の内に琴里の霊力を再封印しなければ、琴里は自身の霊力に耐え切れなくなり破壊衝動に呑み込まれてしまうだろう。そうなってしまえば、琴里が琴里でなくなってしまう可能性があるんだ
後はない。今まで以上のプレッシャーが身に降りかかってはいるが、そんなことで根を上げてなんかいられない。俺は琴里を救うんだ、絶対に……
「待ってろよ、琴里……」
窓のカーテンを開け、その先に見える晴れ渡った空に視線を向ける
そこにいるのかはわからない。目に見えない以上何とも言えないが、きっと今も空にいるのであろう〈フラクシナス〉に……そして、その中にいるであろう琴里を見据え、静かに決意を固めていくのであった
決意改め、今日の支度をする為にベッドから出て着替えていると——
…………———、——…………
「…………ん?」
着替えている最中、俺の耳に何かの物音が届いた
耳を澄ますと僅かに聞こえてくる何かの物音。微かにしか聞こえないのでそれが何の音なのかはわからないが……その物音に、俺は眉をひそめるのだった
(おかしい……今は俺しかこの家にはいない筈……?)
俺は微かに聞いた物音に違和感を感じた
琴里は〈フラクシナス〉にいる。十香だって今は精霊マンションにいるし、詠紫音も昨夜は四糸乃の方に行っている。だから今、この家にいるのは俺だけの筈なのだ。決して何の脈絡もなく物音が響くなんてことはあり得ない
「……確かめてみるか。気のせいだといいんだけど……」
早々に着替えを済ませた俺は音の発信源へと静かに向かった
あまり考えられないが、もしかしたら空き巣かもしれない。もしもそうだったらこのまま放置なんて出来る訳がないだろう
流石に俺だけで何とか出来るとは思っていないが、上手くいけば隙を見て令音さん達に連絡を取ることぐらいは出来るし、運が良ければ不意をついて撃退できるかもしれない。ともかく、見す見す見逃す理由は無いのだ
「全く……なんで今日に限って……」
これから琴里とのデートが控えているというのに、何故俺はこうもトラブルに巻き込まれやすいんだ? ……なんか世界の理不尽さを感じるよ
そんなことを考えつつも、辺りを警戒しながら俺は音の発生源——一階の洗面所へと歩みを進める
その道中には特に変わった様子はなく、荒された形跡は一切ない。玄関や窓も鍵が閉まっているところを見るに、空き巣ではなかったのだろうか?
目立った形跡がない事で、俺の警戒は多少なりとも下がっていた。もしかすると、棚の上に置いてあった物がたまたま崩れ落ちただけなのかもしれないな。そう考えてしまったところで、俺はすっかり安心してしまった
そして、俺は物音が聞こえた洗面所の扉を無用心にも開けてしまう。その時には既に、誰かが中にいるだなんて考えもしなかった
「————は?」
この時……俺はもう少し気を引き締めるべきだったのだろう
起きたばかりでまだ目が覚めきっていなかったのか、それとも単に気が緩んでいただけなのか……
扉を開ける前に気づけることだってあった筈だ。何より、何故確認する前に誰もいないと確信づけてしまったのかを自分自身に問い質したいところだ
「……え? ——あっ、い、五河!? もう起きて……っ」
扉を開いた先にあった光景に、俺は暫し呆気に取られてしまった
風呂場へと繋がる扉の前——そこに”彼女”はいた
洗面所には風呂場から流れてきたであろう湯気がこもり、ほのかに漂う石鹸の香りが俺の鼻孔をくすぐってくる
そして、反射的にその香りが漂う発生源へと視線を向ければ……そこには麗しい肢体を晒す少女の姿があった
肌は上気し、濡れた体から滴り落ちる雫が光に照らされ、そのスラリとした体躯を惹きたてている
その
そんな、健全な男子高校生にとって目の保——ゲフンゲフンッ! 目に毒な姿を晒している彼女——
「な、ななな——っ、なんで千歳がここにいるんだ!?」
——千歳が、一糸纏わぬ姿でそこにいた
あまりの事態に頭が追い付かない。一体全体なんでこんな状況になっているのかわからない。……と言うか考えるだけの余裕がない
以前にも風呂上がりの彼女とは会っているが、今回はそれの比ではないだろう。あの時は軽装とはいえ服を着ていたのに対し、今は何も身に纏っていない
ヤバい。この状況は俺の精神衛生状よろしくないっ! なんか以前にもこんなことがあったような気がしなくもないが、今はその時の事を思い出している暇なんかない! 寧ろ思い出したら思い出したで今の俺には追い打ちだよ馬鹿野郎!!
「あー……すまん、事情は後で話すからさ……あんまジロジロ見ないでくれないか? 流石に見られ続けるのは……その………ハズイから」
「——ッ、す、すまんっ!!」
俺が頭を混乱させていると、そこに千歳から声をかけられた
その内容から、頭を混乱させつつも俺の視線が千歳の裸体を見ていたことに気づかされ、慌てて洗面所から退散するのであった
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————————
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「とりあえず……お風呂、お借りしました」
「あ、はい……って待て待て、他に言う事があるだろ」
「あー……うん、そうだよな。ははは……」
五河家のリビングにて、士道と千歳は先程の件について話し合い始めるのだった
あれから千歳は早々に身嗜みを整え、いつものパーカー姿になっていた。普段なら色気のない服装だと思うところだが、風呂上がりな事もあって千歳の肌は未だに上気している。それによって服に隠れていない首元や手足などがほのかに赤く染まっていて、それがどうにも色気を惹きたてていた
その上今日は十香達を監視する役目がある為か、視界を広げる為にヘアピンで前髪を上げている。つまり、普段から前髪によって隠れている素顔が表に現れているという事だ。加えてその頬は他と同様ほのかに赤く染まっているのが伺えるだろう
そんな千歳の姿を前に、士道は時折千歳から視線を逸らす事でどうにか気持ちを落ち着かせているのが現状だった
それに対し、流石に先程の件を誤魔化す訳にもいかないなと考えた千歳は、普段からあまり使う事のないヘアピンの位置を正しつつ、気まずそうに士道から顔を背けながら口を開くのだった
「この時間帯なら五河が起きる前にお風呂を済ませられると思ったんだけどなぁ……まさか五河の主人公補正がここまでとは思わなかったわ」
「いや、なんでそこで主人公補正の話に繋がるんだよ?」
「そりゃあお前、主人公補正にはこう言ったスキルがあるからだろ。——ラッキースケベって奴がよ」
「そんなスキルあってたまるかっ!!?」
「……心当たりが無いと?」
「…………」
ありすぎて否定できなくなった士道なのであった
千歳の指摘によって黙り込んだ士道の反応から、千歳は「やっぱりかぁ」——と言った感じの顔を士道に向ける
別に嫌味ではない。ただ千歳が面白がっているだけだった。……まさか自分も被害にあうとは思っていなかったと、内心で何とも言えない気まずさを秘めながら
「と、とにかく! なんで千歳は家の風呂を使ってたんだ? 別に帰る家がないって訳じゃないんだろ?」
「それは……あー……」
千歳の言葉に反論出来なかった士道は、無理矢理に本題へと移る事にした。これ以上話していたら、千歳がなんでここにいるのか、なんで風呂に入っていたのかを誤魔化されると思ったからだ
そんな士道の言葉に対し、今度は千歳が言い淀み始めた。あまり話したくないのか、それとも話しずらい内容なのか……千歳の反応から、士道は急かし過ぎたかと不安になってくる
しかし、数秒の間を置いた後、千歳は士道の求める答えを述べ始めるのであった
「まぁ……あれだ。昨日、夜遅くまで出歩いてたからお風呂に入ってなかったんだよ。それでその……魔が差したっていうか、なんていうか……」
「だからって他人の家の風呂を無断で借りるか?」
「そこはほら、俺が自重するとか似合わねーし」
「少しは自制心を持った方がいいと思うのは俺だけか?」
「五河は間違ってねーぜ? だって俺もそう思うもん」
「ならなんで自制しようとしないんだよ!?」
「それが俺だからだよ!!」
「理由になってねぇのになんでこんな説得力あんの!?」
いざ話が始まったと思えばすぐに脱線する。今日も千歳は平常運転のようだ
とはいえ、千歳が最初に言ったことは本当だ
昨日。千歳は折紙の家を後にした後からつい先刻まで、とある場所に足を運んでいた。その為、千歳は昨晩入浴する事が出来なかったのだ
そんな千歳が足を運んだところと言うのが——
「まぁなんだ……オーシャンパークに行ってたんだわ。ついさっきまでさ」
「……はい?」
「要は下見だよ。五河は令音さん達の支援があるから問題は無いのかもしれねーが、俺はオーシャンパークの中を全く知らねーんだ。十香達の事を見ているとは言っても、行く先にどんな施設があるのか知ってねーと何かと不便だろ? 誰かがはぐれた時なんかも、何処に何があるのか知ってるだけで結構違うもんさ」
そう。千歳は昨晩、オーシャンパークに赴いていたのだ
その理由も今しがた千歳が述べたように、施設内部の構造を知る為だ。その全てを把握するのに、千歳は一晩を費やしてしまったせいで風呂に入れなかったという訳である
千歳は令音から今回の事を頼まれたことにより、そこで初めてオーシャンパークの存在を知った。だから千歳は、オーシャンパークがどういった構造なのかを全く知らないのだ
施設内がどうなっているのかもわからないのに、率先して十香達を先導出来るほど千歳は万能ではない。千歳だって知らない事は知らないし、出来ないことは出来ないのだ。精霊になったとしてそれは変わらない。そう考えると、当日に予備知識もなく向かうのは流石に無謀だと考えたのだ
だから千歳はオーシャンパークの予備知識を蓄える為、実際に行って確認する事にしたのだ。【
水着を買いに行ったという事は、今日千歳達が赴くのは主に屋内のウォーターエリアだろう。そう予想した千歳はウォーターエリアを中心に見て回り、念のためにと屋外にあるアミューズエリアも一通り見て回っていたのだ
施設の規模から考えても、一晩で全てを見て回るのには流石に無理があっただろう。しかし、それは千歳に対しては当てはまらない事だ。【
「——そんで、一通り確認が終わったのがついさっきなんだよ。正直時間をかけすぎた感が否めねーけど……まぁ、やらねーよりはマシってもんだ」
「…………」
「……あれ、どうしたんだ五河? そんな素っ頓狂な顔なんかして」
「いや、なんつーか……千歳がそこまで考えてるとは思わなくてさ。正直意外だった」
「……それは普段から俺が何も考えてない奴だって言う認識だったってぇことで、いいんかねぇ?」
「あ」
あまりに珍しい行動をした千歳に対してつい本音が漏れてしまう士道。自身の失言に気づき、思わず言葉に詰まってしまった
そんな士道の反応から、千歳は溜息をつきながら再び言葉を紡いでいく
「……まぁ間違っちゃいねーさ。俺はあんまり考えて行動するってことをしねーからな。考える暇があるなら動けってやつだわ、ははは」
千歳は士道の失言に怒りを感じた訳ではないらしい。寧ろそれを肯定し、あっけらかんとしている様子から別に気にしていないことが伺えるだろう
……しかし、注意深く千歳を見ていたのならある事に気づく筈だ。——一瞬、千歳の顔に陰りが差したことを……
「…………」
「なんだよまた黙り込んで。別に気にする事でもないだろうに」
「……まぁ、千歳が気にしてないんならいいんだけどさ」
一瞬の事ではあったが、その陰りを見逃す士道ではなかった
先程の会話の中に、千歳は何かしらの悩み、もしくは不安を抱いてしまったのではないだろうか? そうでもなければあのような……思いつめた表情をする訳がない
しかし、それに俺が踏み込んでいいんだろうか? ——そう士道が考えたところで、士道は先日の令音との会話を思い出すのだった
『……今後しばらくの間、チサトに深入りするのは控えた方がいいだろう。例え気になる言動があったとして、下手に踏み込めば最悪チサトは反転してしまうかもしれない。幸い、霊力値は下がるが
令音の忠告を思い出した士道は、喉まで出かかった追及の言葉を飲み込んだ
令音が言う様に、千歳が何をきっかけに反転するのかはわかっていない。それがわからない以上、士道はどうすることも出来なかった
——しかし、それでも聞いておかなければいけない事が士道にはあった
それは士道が今現在、最も気になっている事である。おそらく今聞かなければ、今後それを聞く機会がなくなってしまうであろう
士道は意を決し、千歳にそれを追及する。覚悟を持って聞いたその案件とは——
「下見はともかくとして……なんでそこでうちの風呂に入る事になるんだよ」
「うぐっ」
——千歳が何故五河家に赴き、勝手に風呂を利用したのかだった
それは割とどうでもいい事ではあるのだが、流石に疑問のままにしておくことも出来なかった
下手をすれば、今後も千歳は五河家の風呂場を利用するかもしれないのだ。もしもそれを知らず、また今日みたいなことが起きたとして……士道は理性を保てるだろうか?
士道も男だ。例え千歳にその気はなくとも、あんな姿を見せられては堪ったものではないのだ。我慢するこちらの身にもなってほしい
だからこそ士道は千歳に理由を問い詰めたのだ。何かの拍子に……間違いが起きてしまっては遅いのだから
「えーと……その……それはだなぁ……あー…………」
そんな士道の追及に、千歳は本日最長の言い淀みを見せたのだった
それを言う事に一抹の不安を感じているのか、千歳は一旦士道から顔を逸らしてしまう
まさかそこまで答えにくいものなのか? そんな疑問に首をかしげつつ、士道は千歳の返答を待つのであった
「……五河、お前に伝えないといけない事があるんだ。……お風呂はそのついでだ」
「え? 俺に?」
「あぁ」
ようやく言う決心がついたのか、千歳は改めて士道に向き直り……先程までにはない真剣な表情で語り掛けてくる。……そっと付け加えるようにして風呂を使用した訳も話すが、最早士道の耳にその言葉は届いていないだろう
急に雰囲気が変わった事で、士道は一瞬怯んでしまうも、その真剣な表情を前に士道も気を改める。どうやら真面目な話らしい
そして二人がお互いに気持ちを切り替えたところで、千歳の話は再開する
「詳しくは言えない。これは実際に会ってから、”あいつ”と向き合った方がいいからな…………だから、警告だけしておく」
「警、告……?」
千歳が一体誰の事を言っているのか、士道が知る事になるのはまだ先の事だった
千歳は”彼女”の事を士道には言わない。今日、おそらく士道達の元にやってくるであろう”彼女”が、何を目的にし、何を成すのかを千歳は士道に告げることはないだろう
何せ、もしもそれを士道が聞いた場合、士道はきっと琴里の事を優先するだろう。”彼女”との接触を望まないだろう
しかしそれでは”彼女”が抱く、長い年月によって膨れ上がったあの感情を晴らすことが出来なくなってしまう。そうなってしまえば、”彼女”が抱える闇はこれからも徐々に膨れ上がっていき、いずれは——自壊する
最早千歳にとって、”彼女”は他人ではなくなっている。本人に自覚はまだないが、千歳は無意識の内に”彼女”の事を——受け入れていた
だから千歳は”彼女”の為に動いている。自分なりのやり方で、”彼女”の心を救おうとしているのだ
例えそれが——
「五河は……五河妹とは別に、向き合わなければいけない奴がいる。もしもそいつが五河の都合が悪い時に現れたとしても——絶対に目を逸らすな」
——士道達を利用する事になったとしても
一切の揺らぎを感じない、まっすぐな言葉が士道へと突き刺さる
最早それは警告ではない。その言葉に帯びた威圧からして、千歳は士道を脅しているようなものだった
逃げるな。どんなことがあろうとも、”彼女”に背を向ける事は許さない。——そう千歳が言っているようで、思わず士道は息を呑んでしまう
もしもここで逃げてしまえば、千歳との関係はここで終わってしまうだろう。……そんな予感が脳裏によぎり、士道の緊張は最大にまで高まっていく
千歳は微動だにすることなく士道を見据えている。あまり見る事のない千歳の深緑色の瞳には、緊張に固まる自身の姿が写っていた
その瞳に映る自身の姿を見た士道は……一泊おいて、答えた
「……あぁ、約束する」
「……いいんだな? いざその時になって後悔しても——」
「後悔なんてしない。例えその子が俺に無関係な子だったとしても……俺にしか出来ない事なら、見て見ぬふりをするなんて、俺には出来ない」
「…………」
きっと士道は、千歳が誰の事を言っているのか分からないだろう
しかし、そこに士道の助けが必要であるのなら……士道が手を伸ばさない理由がない
士道は迷わず手を差し伸べる。誰とも分からない者に対しても、士道はきっと相手を救おうとするのだろう。——それが五河士道なのだから
士道の答えに千歳は確認を取る
士道が約束するのであれば、最早後戻りは出来ないだろう。この先に待ち受けるであろう”彼女”との衝突を回避することが出来なくなってしまう
しかし、士道の考えは最早変わる事が無いだろう。そうすると決めてしまった士道に、撤回の二文字は存在しない
「……あいつを救ってやってくれ。頼んだぞ——
「————っ!」
五河の決意を前に、その決意を感じ取った千歳は士道に改めて頼み込む
満足のいく答えは得た。それに満足した千歳の顔には————慈愛に満ち溢れた微笑みが浮かべられていた
まるで慈母を思わせるかのような千歳の微笑みに、士道の胸の高鳴りが跳ね上がっていく
その上、同時に自身の名前を自然に呼ばれた事で士道の動悸は激しさを増した。もしもこれを千歳が狙ってやっているのだとしたら、中々にあざとく感じる事だろう。……まぁ実際は無自覚であろうけども
士道は目の前にいる千歳に、千歳が見せた微笑みに見惚れてしまっていた。十香達とは違ったその魅力に慣れていない士道が、思わず見惚れてしまうのも無理はないだろう
——しかし、今はその感情に身を任せる時ではない。千歳の言葉に対し、明確に返答しなければ示しがつかないと言うものだ
だから士道は高鳴る胸の動悸を抑え込み、千歳の頼みに返答を返すのだった
「——あぁ、任せとけ!」
その力強い返答は、しっかりと千歳の胸に響いたことだろう
彼になら”彼女”を任せられる。他人任せになるのはどうにも口惜しいが、これで”彼女”の心が救われるのであれば……誰が救ったなど些細な事だろう
どうかその真っすぐな心が”彼女”の心に届きますように————そう柄にも無く願う千歳なのだった
以前に投降した千歳さんの人物像と今回の挿絵に差があるというね……まぁいいか
とりあえず、私が思い浮かべる千歳さんのイメージ像は今回の挿絵に固まっています
勿論皆様方のイメージを尊重してもらって構いません。ただ参考に、というものです