斯くして、一色いろはの日常は巡りゆく。   作:あきさん

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少しだけ、一色いろはと比企谷八幡は立ち止まる。

  *  *  *

 

 今日から、新学期だ。

 時間的には長いようで体感ではあっという間だった夏休みは、すごく楽しかったけど、ときどきちょっぴり切なくもあって。だからこそ、思い出としての色は今までよりも、ずっと濃くて。そのぶん、終わってしまったのがやっぱり寂しくて。

 そんな余韻を引きずりつつ、わたしは一人、駅の出口横で恋人の到着を待っていた。

 だいぶ早い時間に家を出ていても、朝の駅はどこも大混雑。東京方面へと向かう京葉線がやってくるたび、改札からたくさんの人たちが勢いよく吐き出されてくる。同時に、減った密度を埋めるかのように、あちこちから集う別の人たちが絶えず駅内へとなだれ込んでいく。

 きっと、わたしが乗ってきた電車と同様に、今も車内はひしめき合っているのだろう。満員電車は前から煩わしく思ってはいたが、まだ感情は抑えられていた。しかし、せんぱいと付き合い始めてからは、どうにも我慢できなくなっている。

 ……だって、わたしはもうわたしだけのものじゃないし。や、何言ってるんだわたし。気が早いでしょまだ。

 うん……まだ。

 でも、いつかは……。

 ……えへへ。

 なんて具合に、にへらにへらとだらしなく緩む頬を隠さずにいたら。

「…………あっ、ちょっと! なんで今見なかったことにしたんですか!」

 恋人の気配を感じはっとそちらに目を向けた直後、視界を見慣れた自転車がすいーっと横切っていった。それはそれはもう見事なスルーっぷりだった。とても恋人に対する扱いとは思えない。

「こらーっ!」

 慌てて叫びながら追いかけると、せんぱいはすぐにブレーキをかけてくれた。うんうん、そういう甘っちょろいのはとても殊勝な心がけというかすごく恋人に対する扱いっぽくて超いい感じですよ!

 追いつき腕をえいっと掴めば、自転車にまたがったままのせんぱいがなぜかため息を吐く。

「……だから声でけぇっつーに」

「別に減るもんじゃないのに……」

 すっかりお約束となってしまったこんなやりとりも、じきに、もうすぐ。

 たぶんその瞬間も、約一か月間の青春と同じで、あっという間にやってきてしまうのだろう。

「んー……」

「……なに、どしたの」

 いつものように鞄を差し出すこともせず、いつまでたっても後部座席に乗ろうとすらしない。そんなわたしを見た恋人は、やたらと神妙な面持ちで尋ねてきた。心配しているというよりかは、何企んでんだこいつと言いたげな感じ。……相変わらずマジでわたしのことなんだと思ってるんだ。

「なんですかその超めんどくさそうな顔……」

「いや、だって嫌な予感しかしないし」

「やだなー、何も企んでませんってー………………今回は」

「最後に不穏な単語が聞こえたんだけど……」

 そりゃわざと聞こえるように言ったんだし。ほら、やっぱり心の準備って大事だしね! 全然準備できてないわたしが言えることじゃないけど!

 ……はっ! あぶないあぶない、取り返しのつかない痴態を晒すところだった。

 口から出ていきかけたご都合主義の妄想は一旦引っ込め、代わりに一つ、こほんと咳払い。

「ところでせんぱい、今日はゆっくりめな感じで行きません?」

「あ? まぁ時間は全然あるからいいけどよ」

「さっすがー」

 それを合図にして、わたしはようやく自転車の荷台に腰掛けた。そのまま前に腕を回し抱きつくと、安全確認の後、せんぱいがぐっとペダルを力強く踏み込む。

 最初は、乗せてほしいと頼んでもだめだったのに。

 今じゃ、これが当たり前になっているのが嬉しくて。

 でも、今は、あの時みたいな感情任せじゃなくて。

 素直に、そうしたいからって気持ちで。

「むふふー……」

 もう離さない、離してあげないと主張するように。

 自分よりも大きな身体を、両手でめいっぱい抱きしめながら。

「んだよ……」

「わたし、ちゃんとせんぱいの特別になれてるんだなーって……」

「……やめろ、手元狂っちゃうだろ」

 そしてそのまま、居心地悪そうに丸まった背中へ、自身の頭もそっと預けた。

 

  *  *  *

 

 通学路の途中にある、コミュニティセンター。

 海浜総合高校との合同クリスマスパーティーに、二月のバレンタインイベント。鬱陶しくて忌々しいだけだった会議に、当時では重すぎた責任。そして、陽乃さんの投じた一石により生じた関係の波紋や、いくつもの道に分かれたわたしのスタートライン。

 そのどれもが、今のわたしへと繋がっている。その一つ一つ全てが、わたしの刻んできた青春の証だ。

「ここ、懐かしいですよねー……」

 買ったばかりのあんまんを片手に、目前の風景に残した軌跡を愉しむ。

「……だな。懐かしさのあまりつい意識が高くなっちまいそうだ」

「や、それはさすがにちょっと……」

 苦笑を交えつついやいやと手を振れば、せんぱいも口元に小さな笑みを宿す。かつての大惨事もこうして笑い飛ばせるようになったのは、たぶん、わたしたちがあの時よりも大人になったからこそなのだろう。

 だからわたしは、隣の恋人へちらりと横目で意味深な視線を送る。

「……今だったら答えてくれるのかなぁ」

「ん、何をだ」

 昔、当事者の両方に濁されたこと。あの頃はそこで満足して、それ以上知りたいと思わなかったこと。また、そこ止まりで、それ以上興味もなかったこと。

 けど、今だからこそ、それを聞くのがどうしようもなく怖くて。でも、好奇心や嫉妬が心の中で引っかかったままになるくらいには、やっぱり知りたくて。

「……なら、聞いても?」

「いや、だから何を……」

 ただ、いまさらというのも否めなくて。ましてや、干渉のできない部分なわけで。それでも、知りたい、わかりたい、わかっておきたいと諦めのつかない自分がいて。

「…………覚えてます? 前に、わたしが聞いたこと」

 空いているほうの手を伸ばし、今度は制服の袖ではなく、恋人の指先をちょこんとつまむ。冬のワンシーンを再現するように。

「前にって…………あー、そのことか」

 すると、わたしが回想している部分へ辿り着いたらしく。せんぱいは頭上を見上げながら、物憂げに息を吐く。

 過去をほじくり返しても、現在に何かあるわけでもない。昔何があった、前に何をしたという詮索自体が藪蛇なのだとも今は理解している。それが興味本位となれば、なおさら。

 わたしの場合、褒められた過去なんて、全然ない。あるのは、そうしてきたことが今でも後ろめたくなるくらいに、間違いだらけの世界ばかり。どんなに素敵な思い出で塗り潰そうとしても、過去は消えない。真っ白な状態に戻ることは絶対ない。

「聞いてどうすんだ、んなこと。……今、お前にもそう言えれば楽だったんだけどな」

「そんなの、わたしだって同じですよ。いっぱい恥ずかしいところも見せましたし、他の人には言えなかったことだってたくさん書きましたし……」

 でも、それを受け止めることならできる。痛みを拭うことならできる。せんぱいにどんな過去があっても、どれほど深い傷痕があっても。そして、お互いがお互いにと心から願い続けられるのなら、一緒に傷つくことだってできる。

「……だから、その、無理にとは言いませんけど」

 あんまんにかぶりつき、いじけたようにあむあむ口元を波打たせつつ。

「……聞いてて面白い話じゃないと思うぞ」

「別に面白さなんて求めてないですよ? 二人の雰囲気的にそんな感じはしてましたし……」

「そういう意味じゃないんだが……まぁいいか」

 はてなの浮かぶわたしをよそに、せんぱいは少し目を細めて空を仰ぐ。どこから話したもんかと言いたげな瞳から察するに、話はそこそこ長くなるみたいだ。

「……俺もあいつも、最初を間違えたんだろうな。だから……こうなっちまった」

 そうして、恋人の口から最初に紡ぎ出されたのは、具体性のない曖昧な一節だった。

 

 誰とでも分け隔てなく接するその姿勢が、優しさの表れだと当時は勘違いしてたからな。

 昔の俺はそれすらわからずに、上っ面だけでもいいからと会話を捻りだそうとしてた。話が終わらないよう必死に次の会話を考えてた。メールが返ってくるたび、突然返ってこなくなるたび、何度も一喜一憂した。

 そりゃもう、周りからすればさぞ滑稽だっただろうよ。ちょっとでも目立つことすりゃ、いちいち話題に出されるくらいだったし、俺。……もちろん悪い意味で、だ。

 でも、浮かれるあまり見失ってたんだよ。誰とでも分け隔てなくって部分をな。

 周囲のやつらからどれだけ馬鹿にされても、自分だけはあいつにとって特別だって、自分だけがあいつに選ばれたって、疑いもしなかった。んなもん、あいつにとっては一過性の気まぐれでしかないってのに。

 だから、あいつに対するそんな認識の違いが、一人で舞い上がっていた俺の中で身勝手な勘違いを生んだ。当然、昔の俺はそんなことにも気付かずに……まぁ、その……あいつに告白、的なもんをしちまった……わけなんだが。

 …………。

 ……まぁ、俺と折本の間にあった出来事はそんな感じだ。

 

 ときどき、自転車や自動車がわたしたちの横を通り過ぎていく。直進、あるいは右へ左へと曲がり、それぞれが進むべき道を進んでいく。まるで、人と人の交わりを表しているかのように。

 聞いた話を統括しながら、改めて、わたしは思う。

 平塚先生と話した時のように、もし、出会い方が違っていたとしたら。そこからの始め方も、これまでの築き方も、全部、繋がらなかったとしたら。

 ……やだ。

 でも、こっちもこっちで……うん、やだ。

 とにかく、やだ。

 どっちも、すごく、やだ。

「んにー……」

 残り一切れ分となったあんまんを口に含むと、わたしは必要以上に唇と舌を動かす。

 今の巡り合わせを喜べばいいんだか、昔の告白にやきもちを焼けばいいんだか。こちらに関してはなかなか整理がつけられず、できたのなんて、やり場のないもやもやを一時的な甘さで濁すことくらい。

 だが、所詮は間に合わせの付け焼刃。餡はすぐに溶けてしまった。

「なーんか……なーんかなー……」

「だから言ったじゃねぇか……」

 面白くないって、そういう意味かといまさら納得する。……確かに面白くない。うん、超面白くない。とはいえ、自分から聞き出したことなので文句は言えるわけもなく。

 なので、わたしは暇になった指先でスカートの裾をくりくりといじり始める。しかしすぐに飽きてしまい、ちっとも甘さの代わりにはならなかった。

「はぁ……いいからほれ、機嫌直せ」

「わたし別に不機嫌じゃありません」

「んじゃその複雑そうな顔はなんなんだよ……」

「だって……」

 聞けてよかった、言ってくれて嬉しいという気持ちは充分ある。他には、今現在に対する安心だとか、せんぱいへの愛情を再確認できただとか。でも、嫌なものは嫌だ。面白くないものは面白くない。

 ただ、そのプラスとマイナスが入り乱れる感情を、わたしはうまく言語化できなくて。

「これは……そう、あれですよあれ」

「どれだよ」

 結果、ほとんど指示語だけで構成された返答をしてしまった。しかも冷静に指示語のみで突っ込まれた。ちょっとつらい。

 まとまらない言葉の代わりに、わたしは観念したような吐息を一つ。

「とにかく……いろいろ複雑なんですよ。嬉しいとか羨ましいって気持ちももちろんあるんですけど、それ以上に悔しいというか……」

「……悔しい?」

 言葉の核が掴めず、せんぱいがわたしの吐露を復唱する。まぁ、相模先輩の時は純粋なやきもちだったし、噛み合わないと思うのも仕方ない。

「はい。……わたし、好きな人のほうから告白されたことって、実は一度もなかったんですよ。それだけじゃなくて……こんなに人を好きになったことも……」

 けど、そういう意味でも。

 せんぱいとの恋は、どうでもいいものばかり手に入ってきた時と全然違ってて。

 どこかで諦めてるんじゃなくて、何度諦めようとしても全然諦めきれなかったくらいに。

 それは、今も、今でも変わらない。

 全部、一つ残らず、欲しい。

 せんぱいの過去も、未来も、わたしが丸ごと独り占めしたい。

「だから……折本先輩に先手を取られていたことが、どうしようもなく悔しいです」

 本当に、醜くて酷い独占欲だと我ながら思う。でも、これが誰にも隠しようのない、今のわたしなんだ。言葉は軽くて、中身も薄っぺらい。そんなのは、とっくにやめたんだ。

 だって、もう、他の男の子にどう見られてるかを気にする必要なんて、どこにもないから。たとえ、強引でも、むちゃくちゃでも。どれだけわがままだらけでも、これだけめんどくさくても。

「……言ってやれてたらよかったんだけどな……悪い」

 わたしには、こうして、甘やかしてくれる大切な恋人がいる。全部、ちゃんと受け入れてくれる大好きなせんぱいがいる。

「や、せんぱいが謝ることじゃ……あ、そうだ。じゃあ、代わりといってはなんですけど……」

 きっと、それはどこにでもあることじゃない。他の人からすれば、綺麗事や理想論、あるいは絵空事や夢物語だと吐き捨てられるかもしれない。叶うことのない幻想や、欺瞞に蓋をした理想だとバカにされるのかもしれない。

 でも、わたしとせんぱいはそんな“本物”を願い合い、信じ合ってきた。相手を知って、次は向き合って。理解したら、今度はぶつかり合って。求め合って、お互い押しつけ合ってきたから。

 もちろん、言ってくれなきゃわかんないことだってまだまだあるし、言われてもわかんないことだっていっぱいある。言わなくてもわかってることだって、たくさんある。

 それでも、どうしてもってなった時は、ちゃんと。

「わたしが言ってほしくなった時は……せんぱいも、ちゃんと言ってくださいね?」

 返事を待たずに、半歩、距離を横に詰める。そのまま恋人に寄りかかると、瞳の行き先が自然な形で空へ移った。

 穏やかな時間を感じさせる心地のよい風が、わたしの肌を撫でていく。

 夏休みと同様に、夢のような時間はあっという間に過ぎていくのだろう。二学期はイベントが盛りだくさんで、きっと楽しくなる。でも、ときどきは切なくて。だからこそ、濃密な時間は素敵な思い出となる。そのぶん、寂しさや名残惜しさも強くなってしまうけど。

「まぁ、お膳立てくらいはしてあげますので……よろしくですっ」

「……はいよ」

 わたしは、優しい温もりに全身を委ねながら。

 せんぱいは、本当にしょうがないやつだと言いたげな声で。

 お互いにそんな会話を交わし合った、新学期の始まりだった――。

 

 

 

 

 




お久しぶりです(震え
更新遅すぎてごめんなさい、本当。

さてさて、この場をお借りしまして、宣伝を二つほど。
Pixivでも作品を読んでくださってる方は既にご存じだと思いますが、「俺ガイルバレンタイン2017文士絵師コラボ企画」に引き続き、「一色いろは誕生日文士絵師コラボ企画」のほうにも参加させて頂くこととなりました。
こちらには絵師様の関係上、転載は致しません。他にも転載していない作品がいくつかあります。なので、興味があればわたしのPixivのほうも覗いてみてくれると嬉しいです。

もう一つ目は、オリジナルについて。
少し前から、カクヨムにて連載を始めました。こちらも更新に関する報告などは引き続きついったーのほうでしますので、併せてぜひぜひ。

宣伝のほう、長々と失礼しました。
ではでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!

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