斯くして、一色いろはの日常は巡りゆく。   作:あきさん

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だから、一色いろはは約束する。―い―

  *  *  *

 

 二学期は、始まってすぐに文化祭という大きな行事を迎える。

 そのため、クラスの出展内容や各係などを早々に決めなきゃいけなかったりと、スタートからとにかく慌ただしい。しかもそれだけじゃ終わらず、文化祭の次は体育祭、その次は修学旅行と行事のラッシュが続いていく。

 なので、生徒会の活動やテスト期間も含めれば、詰め込みすぎと思わず突っ込みたくなるくらいにスケジュールは超カツカツ。

 ……や、ほんとマジでどれか一つくらい別学期にずらしたほうがよくない? 一学期なんかはわりと暇だし。あ、でもそうしたら今度は一学期が忙しく……うわぁ、どっちにしろ忙しいとかなにそれ超ブラック。

 なんて感じに、指摘なんだか文句なんだかなことを内心でぐだぐだ垂れ流しつつ。わたしは自習の息抜きも兼ねて校内をぶらぶらと散歩していた。

 通りがかった教室の中、階段の上、廊下の向こう側やわたしの背後。案の定、いろいろな場所から同じような話ばかりが聞こえてくる。出展内容に関するあれこれ、今年の有志バンドについてのあれこれ、当日一緒に回る予定の人へのあれこれ……などなど。

 それくらいに話題性があり、イベント性なんかも強く含む文化祭は、青春の記録として特に存在感のある行事の一つだと思う。

「文化祭、かぁ……」

 ふと足を止め、周囲の喧騒と輪唱するように改めて呟いてみた。しかし、去年までのわたしは今以上にろくでもなかったせいで、素敵な思い出どころかもはや黒歴史と化した記憶ばかりが頭の中で再生されていく。

「……ぅぁあぁ……」

 なぜわたしはあんな無駄な時間を……と思わず大音量で叫びたくなってしまったが、なんとか小声の領域で留める。

 いけないいけない、息抜きしに来たのに自分から息苦しくしてどうするんだ、わたし。

 ぺちぺちと自分の頬を軽く叩きながら、思考の方向転換を図った。とはいえ、一度でも考えないようにと考えてしまった以上、しばらくの間はこの悩みに付きまとわれることになりそうだ。

 なんとなく、本当になんとなく、手をきゅっと丸めてみた。けど、そこにあるはずの大好きな温もりが、今はなくて。たとえそれが一時の、一過性の冷たさだとしても、わたしだけがここに置いていかれてしまったような――。

 

 ……なんか、あの時みたいだ。

 ちょっぴりのデジャヴを感じながら。また、今は感じることのできない温かさの名残を求めるように。

 気づけば、ひときわ特別な思い出の生まれたあの場所へと向かうわたしがいた。

 

  *  *  *

 

 通称、ベストプレイス。

 何がどうベストなのか実は未だによくわかっていなかったりもするけど、紆余曲折を経て、この場所はわたしにとってもお気に入りの場所となった。

 だから、思い悩んだりした時なんかは、マッ缶ともどもよくお世話になっているのだが。

「……売り切れとか超意味わかんないんですけど。マジでありえないんですけど」

 気分転換セットのもう片方を求めて自販機へ寄ったわたしが目にしたのは、ボタンに赤字で点灯する「売切」の無慈悲な二文字だった。

 マッ缶なんてわたしとせんぱい以外に誰が飲むっていうんだ……。おかしい……こんなの絶対おかしいよ……。

 しかし、八つ当たりやないものねだりをしたところで、留守なままの手が勝手に埋まってくれるわけもなく。

 ……仕方ない、帰りにコンビニかなんかで買って飲もう、そうしよう。わたしはこれ見よがしにずずーんと落ち込みながら、鬱陶しさたっぷりの長々としたため息を吐く。

「一色さん」

「……ふぇ?」

 一呼吸ほど置いた空白の後、覚えのある声に呼ばれたのでそちらへ瞳を合わせてみると、テニスバッグを背負った戸塚先輩がにこにこ笑顔で歩み寄ってきた。

「あ、戸塚先輩。こんにちはですー」

「こんにちは。気分転換の邪魔しちゃったならごめんね」

「や、全然大丈夫ですよー」

「そっか。ならよかった」

 気にしないでくださいとわたわた両手を振って応えつつも、わざわざどうしたんだろうと内心首を傾げる。

 一人、もしくは先輩と一緒に、テニス部の練習光景をぼーっと眺めていた時は何度もあった。でも、戸塚先輩は嬉しそうに手を振ってきてくれただけで、わたしたちとそれ以上のやりとりを交わすことはなかったから。

 きっと、言葉どおり邪魔をしないよう気遣ってくれていたのだと思う。もちろん、部活中だったからという至極当然な理由もあるだろうけど。

「それより、どうしました? せんぱいなら今日は……」

「あ、ううん、八幡に用があったわけじゃなくてね。たまたま近くを通ってたら、一色さんがすごく落ち込んでるの見ちゃったんだ」

「あー……」

「それで、いつもと雰囲気が全然違ったから、どうしたのかなって思って。……余計なお世話かもしれないけど、ぼくでよかったら、話、聞くよ」

 ……言えない。こんなガチの心配されちゃったら、実は超しょうもない理由で落ち込んでましたなんて言えるわけない。せんぱい相手にならともかく。

 や、まぁ、悩んでるってのは嘘じゃないんだけど。でも、こちらに関しては悩みというほどのレベルではなくただの愚痴である。

「え、えっと……その、わたし的にあれがあれしてあれなだけなので……だから、そこまで悩んでるってわけではなくてですね……」

「一色さん、なんか八幡みたい」

「……ううっ」

 戸塚先輩の配慮を台無しにしないよう言葉を選んだら、心底おかしそうにくすくすと笑われてしまった。

 あう……すごくむずむずする……。でもでも、せんぱいみたいってことはわたしもすっかりせんぱいに染められちゃってるってことだよね? なにそれ超幸せ……じゃなくて!

 どちらの感情に従えばいいのかわからなくなってしまったわたしは、うにうにと唇を波打たせながら次の言葉をうやむやにする。

 そんな様子に戸塚先輩は再び敵意のない笑いを残した後、瞳の先を前方のテニスコートへ移す。

「一色さんが羨ましいなぁ……」

「……へ?」

 追って届いたのは、あまりに意識の外すぎた言葉。

 理由を視線で尋ねてみると、戸塚先輩は過ぎた思い出を懐かしむように瞼を閉じる。

「だって八幡があんな顔するようになったの、一色さんと付き合い始めた頃くらいからだし」

「あんな顔……?」

「うん、あんな顔。ぼくが相手じゃ絶対見れなかった八幡の一面だと思う。だから、羨ましい」

 戸塚先輩の語る『あんな顔』とは、わたしと一緒にいる時の顔だろうか。なら、そこまで印象が変わって見えるほど、せんぱいもわたしの影響を受けているということに。……えへへ、わたしもせんぱいのこと染めちゃってるんだぁ……っていやいやだからそうじゃなくて!

 みっともないくらい頬が緩みそうなのを咳払いで誤魔化しつつ、そのことについて少しだけ言及してみることにする。

「……そんなに違って見えるんですね」

「ぼくも八幡とは付き合い長いほうだから」

 両手を腰に添え、むんと胸を張る戸塚先輩。得意げな表情は、自分もただの惰性で付き合ってきたわけじゃないと確かに主張していて。

 もしこれが戸塚先輩じゃなかったら、心底呆れて何も言えなくなっていたところだ。けど、この人も、奉仕部の二人や平塚先生に負けないくらいあの人の近くにいて。そして、あの人のことを近くで見てきて。

 それを、わたしは充分すぎるほどに知っている。

「……まぁ、あの人も戸塚先輩のこと話してくれますしねー。それも、すごく、たくさん」

「あ、あはは……」

 加えて、まだ続くのかと耳を塞いでしまいたくなるくらい、戸塚先輩とのことを延々聞かされたりもしたから。自分じゃない相手、しかも同性との惚気みたいな話を聞かされる彼女ってマジで一体なんなの……。まぁ、最近はわたしがやきもちを焼くので自重してくれてるっぽいけど。

「あ、でも八幡もね、最近は一色さんのこととか結構話してくれるよ?」

「どういうことですかそれぜひ詳しくできれば一字一句間違えずにお願いします」

 もはや脊髄反射と呼んでも過言ではない速度で反応したわたしに驚き、戸塚先輩がびくっと肩を震わせた。それを視認したところでようやく思考が現状に追いつく。

「すいません……つい……」

「……ううん、ちょっとびっくりしただけだから気にしないで」

 困惑の色をまだ表情に残しつつも、戸塚先輩はすぐにフォローを入れてくれた。その優しさが逆につらい……。

 なんて感じに、またしても一人であうあう身悶えていたら。

「一色さんは八幡のこと、ほんとに好きなんだね」

「ふひゃっ!」

 心が落ち着く前に追い打ちが飛んできた。思わず身体が跳ね、変な声も出た。

「……なっ、なな、なんですか急に……そんな……そりゃ、好き、ですけど……」

 慌てて顔を逸らし、ぽっと赤く染まった頬を隠す。

 やだ……そういうのほんと困る……。ていうかなにこれすごく恥ずかしい。なんだこれ……なんだこれ……。

 相手が小町ちゃんでもなく、はるさんでもなく、戸塚先輩だったからだろうか。誰にも言っていないはずの好きな人を、ふと言い当てられてしまったような感覚に陥ったのは。

 ふわふわぽわぽわと妙な気まずさを心に抱えながらも、未だにないリアクションが気になったわたしはそちらを横目でちらり。すると、戸塚先輩は嬉しそうに口元を綻ばせただけで、それ以上は言わず語らずのまま。

 察したような沈黙にますます羞恥心をかき立てられてしまい、たまらず再度顔を背けるわたし。

 戸塚先輩も、そんなわたしに微笑みの声を残すだけ。

 となれば当然、聞こえてくるのも環境音ばかりとなる。中でもひときわ目立つのは、やっぱり、テニスボールをぱっこんぱっこん打ち合っている音。

 だから、わたしも戸塚先輩も、自然と意識がテニスコートのほうへ流れていく。

 そうして、壁打ちやラリーの練習を遠巻きながら眺めていると、こちらの存在に気付いた部員の人たちが手やラケットを振ってきた。正確には、元部長である戸塚先輩へ向けて。

 完全な外野であるわたしにもわかるくらい、みんなすごく嬉しそう。

 微笑ましい挨拶の先を追って視線をついっと戻せば、何回もぶんぶん手を振ってしっかりと応える戸塚先輩の姿。

「慕われてるんですね」

 温かみ溢れるやりとりに、つい、そんな一言がこぼれ出た。

「最初は慣れないことばっかりで大変だったけどね。……でも、今のみんなを見てると、頑張ってきてよかったなぁって思うんだ」

 はにかみながらも、戸塚先輩の視線はテニスコートの一点から外れることはなく。

 きっと、他の人には見えない裏方の部分でたくさんの種を蒔いてきたのだろう。その種は易々と芽吹いてくれるはずがないとわかっていても、それでも。

「行ってあげたほうがいいんじゃないですか? わたしは大丈夫なので」

「うん。じゃあ、そろそろ行こうかな」

 ……そろそろ? あー、そういうことかー。戸塚先輩がテニスバッグを背負い直したのを見てようやく、いまさらながら納得する。

「またね、一色さん」

「はい、またです」

 返事と共にぺこりと軽く会釈し、戸塚先輩の後ろ姿を見送りながら。

 途中でわたしを見つけたのは、本当にたまたまなのだと思う。偶然じゃないのは、戸塚先輩が近くを通りがかったことのほうで。

 テニススクールに通っていることも、昼休みに自主連をしていることも知っていたせいで、特に違和感は抱かなかった。

 けど、巣立っていった鳥が、ふとした時にそこへ帰ってくることがあるように。役目を終えたからといって、全てが終わることとは必ずしもイコールじゃない。

 前方に広がる光景も、戸塚先輩が目に見える形でそれを実現したもの。わたしも持っている、大切な居場所と呼ぶにふさわしいもの。

 しかし、それは、あくまでも限りなく狭い輪の中でだけの話だ。

 そうじゃなくて、それとは違う形で。みんなにとっては無理でも、せめて、親しくしてくれる人たちにくらい。

 ふとした時に帰りたくなるようなところを。

 いつでも思い出の中へ戻ることができるようなところを。

 この学校の生徒会長として、わたしは作れているのだろうか。

 また、一人の先輩として、この背中に残せているのだろうか。

 そして、なにより、一人の後輩として――。

 

 ここへ来た目的どころか、考えないようにという自戒すらも、すっかり頭から抜け落ちていることに気づけないまま。

 結局は、意思の空回りを繰り返すわたしがいた。

 

  *  *  *

 

 引き続き上の空気味ながらも、せめて最低限のやることだけはやってしまおうと別口の勉強をしていた、その日の夜。

 机の上に置いていた携帯が突然ぶるると震え出し、着信を知らせてきた。画面を見れば、そこには『はるさん』と表示されていて。……時間的に暇つぶしの相手かな?

 わたしのほうも気晴らしになればと通話ボタンを押し、深慮することなく携帯を耳に当てた。

「……もしもし?」

 すると、繋がった先から雑踏のノイズ。

『いろはちゃん、ひゃっはろー』

「はーい。……ていうかはるさん今外にいたりします?」

『うん、お出かけ中。もしかして周りの音うるさかった?』

「や、別にそういうわけじゃないですよ。なんていうか、ちょっと意外だっただけで」

『意外?』

「ほら、はるさんって基本、電話かけてくる理由が暇だーとか眠くなーいとかばっかりじゃないですかー?」

『まるでわたしが暇人みたいな言い方だなー。お姉さん、こう見えて結構忙しい人なんだぞー?』

「冗談ですよ、冗談。……たぶん半分くらいは」

『もー、次会った時覚えてなさーい』

 なんて調子にからかいの応酬を重ねていたら、その最後でわざと引っかけるような言い回し。

「え、次って……」

『……っと、もうそろそろ来ちゃうな。じゃ、おしゃべりはこれくらいにして用件言うね』

 だが、こちらの問いかけを相手はそこで強引に打ち切って。

『明日からしばらくの間、勉強見てあげられなくなるの』

 けど、その小さな引っかかりだけは、今ここでほどいていくように。

 普段と変わらない声色で、いつもとは少し違った内容を、わたしは告げられた。

「……そうですか」

『ありゃ、拗ねさせちゃった』

「だって寂しいものは寂しいですし……」

『ま、今は比企谷くんともなかなか一緒にいられないだろうしね』

 ……せっかく人が必死に考えないようにしてることを。しかもさらっと。

「なんで言わなくていいことわざわざ言っちゃうんですかね……はー、ほんとにもう……」

『言わなくていいことなんてわたしは一つも言ってないんだけどなー』

 一体どの口が言うんだ。

 思わずへっと笑ってしまったわたしに、電話口の向こうからもくすくすと笑う声。

『でも、いい機会でしょ? ……だから頑張りなさい』

 直後、こちらの返答を待たずに陽乃さんはじゃあねと通話を切ってしまった。

 嫌味ったらしくもあの人らしい一方的なエールを反芻しながら、心の詰まりを吐き出すように重く深いため息を吐く。

「……その頑張り方がわかってたら、今こんなに悩んだりしなくて済むのになぁ」

 解き方を知っていても、そもそもの問題自体が曖昧なら、輪郭の定まらないぼやけた答えしか浮かんでこない。それこそ、解答の末尾に疑問符がつくような手応えのない結論しか出てこない。

 たった一日で、全部が大きく膨れ上がりすぎた。また、そんなつもりはなかったのに、終わってみれば感情がまったく逆の方向へ進んでしまっていた。

 何をしても、うまくいかない。うまくいってくれない。嫌なうじうじが止まらない。

 だからこそ、会いたくなる。触れたくなる。包んでほしくなる。

 けど、今それをしたら、だめなんだ。

 やっと迎えられるその時のために、今は我慢しなきゃいけない時なんだ。

 それでも、せめてと。

 せめて、終わらない夢を願うくらいはと。

 

 無音だけを返す携帯は一旦そのままに、部屋のカーテンを開く。

 二つの季節に挟まれた空に浮かぶ月は、今日も変わらず地上を照らしている。暗い夜が明けるまで、一人一人を優しく見守るように、静かな光を放ち続ける。

 そんな輝き方をする月に、自身の心境を重ねながら。

 メールの作成画面を開き、愛情をたっぷり込めた『おやすみなさい』を入力し終えたわたしは。

「……寂しいけど、頑張らなきゃ」

 唇をきつく結びつつ、送信したばかりのメールを追うように。

 もう一度、窓越しの月と夜空を眺めるのだった。

 

 

 

 

 




お、おひさしぶりです……(小声
今回は長くなりそうなので、ひとまずの分割を投稿ということで。

ではでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!

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