斯くして、一色いろはの日常は巡りゆく。   作:あきさん

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だから、一色いろはは約束する。―へ―

  *  *  *

 

 割れ窓理論というものがある。割れた窓を放置していると、それが誰も関心を向けていないことの証明になり、他の窓も割られやすくなる……といったものだ。

 そういった同調の心理は、一人からみんなへ、そして大衆へと伝染していく。つまり、うまく利用できたら、プラスのほうにも働いてくれるということ。実例だっていくつもある。

 結局のところ、どんな形であれ、まずはアラートやNGを出すことが大事なように思う。誰もがまぁいいかと見ないふりを繰り返した末にあるものなんて、間違った馴れ合いと終わりのない後退だけ。わたしはそれをよく知っている。

 だから、わたしも。

 わたしなりに、わたしのやり方で――それだけだったのに。

「……難しいなぁ」

 金色とピンク色と水色が淡く溶け合う空の下、自分の言動が生んだ空席を憂い、空中廊下で一人こっそり青息吐息。

 仕事なんてめんどくさい。やりたくない。わかる。

 何を偉そうに。何様だ。それもわかる。上からみたいでムカつくもんね。

 言われるたびにもやもやが積み重なって、やってらんないとか、付き合ってらんないとか、そういうこと思っちゃうのは仕方ないし別にいい。思うなとも言わない。

 ……だからこそ、真正面からちゃんとぶつかってきてほしかったな。支離滅裂でもいいから、納得できるまで。今みたいに、もういいやってなっちゃう前に。言い方とかやり方とか、わたしも失敗だらけだけど……それでも。

 という感じにモノローグでうだうだ愚痴っていると、屋内側から足音が。

 そして間もなく、かららとガラス戸がスライドされると。

「……川崎くん?」

 いつもなら直帰しているはずの川崎くんが、今日はなぜか学校にいて。

「どしたの? なんかトラブった?」

「あ、いえ、そういうのじゃないっす。俺、会長さんにちょっと話があって……」

「……話? わたしに?」

「はいっす。それで一旦こっちに戻ってきたっす」

 なんだろ……やっぱり文実のことかな。

 と、思わず困ったような顔になるわたしを見て、彼があっと声を上げる。

「すんません、まだ仕事残ってるっすよね……手伝うっす」

「や、だいじょぶ。もう片付けて終わりだし。ありがと、気持ちだけもらっとくね」

「……っすか」

 あ、あれ……? あれれー……? なんでかどうしてか、わたしの言葉に川崎くんは残念そうな吐息を漏らした。文実の仕事に妹ちゃんの送り迎えにと毎日大変な彼を気遣っただけなのだが。

「え、えーっと……それで、話って?」

 微妙な空気になってしまったので話の軌道を元に戻そうと試みる。

 すると、またしても、なんでかどうしてか、川崎くんは頭を下げてきた。

「バックレの話、聞いたっす。……嫌な役まで押しつけっぱなしですんません」

「……ちょっ、ちょちょちょちょ! そういうのいいから!」

 突然の謝罪にわたしは思いっきり慌てふためく。謝るのは慣れてても謝られるのには慣れてないどうもわたしです。……慣れないんだよなぁ、この感じ。むずむず。

 身体をもじっとさせつつ、彼の言葉に乗っかる形で、わたしはこちらこそを返す。

「ていうか、あやまんなきゃいけないのはむしろわたしのほうだし……」

「会長さんが? え、なんでっすか?」

「……ちょっとでしゃばりすぎたなって」

 仕事の領域にしても、口出しの範囲にしても、わたしがパラーバランスを崩してしまった。そのせいで川崎くんを肩書きだけのお飾り委員長にしてしまった。

 どれだけ言い繕おうとも、大義名分を振りかざそうとも、それは変わらない。

「だから……わたしこそ、川崎くんの文化祭を台無しにしちゃって、ごめんなさい」

 今度はわたしが頭を下げた。不甲斐ない先輩だ、ほんと……。

「いやいやいや、台無しなんて、そんな。思ったことないっすよ」

「でも、ほんとのことだし……」

「元は俺の力不足が原因なんすから、会長さんが責任感じる必要ないっす」

「……そう言われてもなぁ」

「変なところ強情っすね……」

 唇をつんととがらせ納得できないアピールすると、苦笑気味に笑われた。これじゃなんだかわたしのほうが後輩みたいだ。ぐぬぬのぬ……。

 なんて謎の対抗心を意味もなく無駄に燃やしている間に、わたしから夕空へと視線を移した川崎くんが、思い出したように言葉を落とす。

「そういえば……ちょっとわかった気がするっすよ。会長さんが前に言ってたこと」

 前……あー、あの時言ったことかな。それしか心当たりないし。

「あれって……」

「まぁまぁ、いいじゃん細かいことは」

 彼の言葉を途中で遮り、かき消すように声を重ね、笑顔で断ち切った。

 川崎くんが今言おうとしたこと。あの時わたしが語らなかったこと。それらはたぶん当たらずとも遠からずで、そう食い違ってはいない気がした。じゃなきゃ、嫌な役とか力不足とか、そういう言葉自体、彼の口から出てくるはずがなくて。

 けど、こんなの、所詮はただの綺麗事だ。理想論だ。絵空事だ。夢物語だ。それらは全て実現を伴わなければ、聞こえのいい嘘で固めただけの張りぼてで。希望的観測へと成り下がった空虚な論で。まさしく絵の中にある空で。もう許されることはないおとぎ話で。

 だから、こんなの、正しくなんてない。

 バカげていて、間違っていて、ちっとも正しくなんてない。

 だからこそ、これは、わたしが抱えてなきゃいけないものだ。

 失敗も、否定も、失笑も、責も、わたしが背負っていかなきゃいけないものだ。

 これから先の、わたしのためにも。

 最後まで諦めずに、折れることなく、貫くためにも。

「……さー、文化祭まであともうちょっとだよ。最後まで頑張ろうねっ」

「……本当に強情なお人っす」

 話を無理やりぶった切った挙句、今もなお意地を選ぶバカな先輩を見て。

 とてもとても仕方なさそうに、わたしの後輩が、ふっと笑う。

 

 そんなやりとりの結び、わたしは、遥か遠くで眩しく輝く斜陽へ瞳を向けた。

 今日もまた、心地よく揺らいでは滲んで、地平線の彼方へ音もなく溶けていく夢の残滓みたいな光を――今日もまた、追いかけるように。

 

  *  *  *

 

 ……さて。意地張った以上はがんばんないと。

 申し訳なさそうに帰っていく川崎くんを形式だけの笑顔で見送った後。長めの吐息で気持ちを切り替えたわたしは再び、独りきりの戦場へと、一人。

 なんかあったら言ってください……か。どう考えてもバレてんだよなぁ……。

 別れ際の一言に内心あはーとお世辞笑いしつつも、空気読んでくれて助かるなーとか、わたしにはもったいないくらいよくデキた後輩だなーとか、そんなことを思ってうんうん頷いたりなんかもしつつ、夕焼け小焼けな廊下を歩くことしばし。

「おーい、いろはすー!」

 背後から、聞こえないふりしたい声ぶっちぎり一位の声ががが……。

 しかし聞こえてしまったものは仕方ない。超しぶしぶ振り向くと、秒で後悔した。

「やぁ、いろは」

 ははっ、お呼びじゃねー。

「……葉山先輩もご一緒でしたか」

「そんな嫌そうな顔しなくてもいいだろ、ひどいな」

「あー、すいません、つい」

「もっとひどくないか、それ」

 や、だってほんとにお呼びじゃないし……。

「それなー。隼人くんほんとそれだわー。いろはすってばマジひでーわー」

 いやいやいや、平常運転ですけど。まぁ、戸部先輩のほうは、いつもどおり放っておくとして。

「………………えーっと、それで、わたしに何か?」

「ああ、いや、たまたま見かけたから」

「はぁ」

 つまり、ただのコミュニケーションで、他意はないと。……えぇ~、ほんとにござるかぁ?

 と、ジト目になるわたしに、葉山先輩が微苦笑する。

「手厳しいな……」

「仕方ないかと」

 なんてやりとりをしていたら。

「……ん~? んん~? あんれ~?」

 空気化していた(させた)戸部先輩が突然やかましくなる。ちっ、うるせーな。

「二人とも、またなんかあった感じ? 雰囲気っつーの? 前と違くね?」

 あーうるせ……おっと。

「いや、何もないよ」

「……ですねー」

 これ以上余計なこと言う前に黙らせなきゃと思ったけど、それよりも早く葉山先輩が戸部先輩を黙らせにかかっていた。さすはや!

「んー……じゃあ気のせいなんかなー」

「まぁ、いろはと話すのは俺も久しぶりだしな……。だからじゃないか?」

「あー、あるわー。それあるわー。いろはす部活やめちゃったもんなー」

 違和感の理由がそういうことなら確かに納得できる。葉山先輩、っべー。

 と思ったのもつかの間、戸部先輩はすぐにあーと口を開いて。

「っつーか、なんで辞めたん?」

「……戸部」

「え、え? もしかして聞いちゃまずかった系……?」

 や、じゃなくて、単にデリカシーないこと聞くなってだけでしょ……。そういうとこだぞって、わっかんねーかなぁ。わっかんねーだろうなぁ。

「ごっめ、いろはす! なんでなんかなーって思っただけなんよ! いやマジで!」

「いまさらなんで大丈夫です」

「お、おう……いやそれひどくね!?」

「だって戸部先輩ですし」

「……っかー、いろはすマジきっついわー……」

 それもいまさらなんですけど……。まぁ、全部戸部先輩が悪い。いや全然悪くないけど。

 なので、小さく、くすっと笑ってから。

「まぁ、別にいいんですけどね、言っても」

「あ、そうなん……。それ、先に言ってほしかったわ……」

 がっくり肩を落とし、「っべー……」と静かにうるさい戸部先輩の横で、葉山先輩がいいのかとでも言いたげに見つめてきた。

 癪だなぁ。でも、嫌いじゃない。

 わたしは大きく息を吸って、ふーっと吐く。

 

「――どうしてもやりたいこと、見つけたから」

 

 始まりはどうしようもなく不純で、けど、今じゃ、どうしようもないくらい純粋な想いを、詰まることも余すこともなく、わたしは言い切った。

 ほんとバカだなって思う。ほんとアホだなって思う。

 逃げちゃえば楽になるのに、諦めちゃえば楽になれるのに、また転んでる。

 向いてないな、らしくないな、何やってんだろって惨めになりながら。

 なのに、ほんとバカの一つ覚えみたいに。

 向いてないのに、らしくないのに、ほんと何やってんだろって呆れながら。

 どうせまた転んじゃうのに。どうせまた傷ついちゃうのに。

 

 それでも、こうやって、わたしは手を伸ばすんだ。

 だって、ほしかったものは、ずっと、そこにあるから――。

 

「……なにそれ超よくね? めっちゃいいやつだべ! うわー、アガるわー!」

 一言ではあったが、一言以上のものを込めた。それはちゃんと伝わったようで、ぱちんと指を鳴らし、ガチのマジでうるさくなる戸部先輩。

「そういうのってなかなか見つかんねーっつーか、探して見つかるもんでもねーわけじゃん? それ見つけちゃうとか、いろはす、パなくね? やばくね? これもうマジリスペクトするしかないでしょ!」

「……うるっさ……」

 戸部先輩のこういうところは憎めなくはないと思わなくもないけど、借りももうないし調子に乗られると余計鬱陶しいので照れ隠ししておく。あーうるせー……。

 わたしは、面白くなさそうに、それでいてほんのり赤くなってるっぽい顔をふいと逸らす。すると、視界の端で葉山先輩が目を閉じて微笑んだ……ような気がした。

「見習わないとな」

「だべ……。でも俺こんなだしなー、見つけられるんかなー」

 困ったようにわっしわっしと襟足を掻き上げる戸部先輩を横目で見つつ、改めて思う。わたしはだいぶ『普通』からズレた高校生になったんだって。

 けど、不純で純粋なこの『特別』は、決して正しくなんてなくて。

 それでも、後悔なんて、どこにも、ひとつも、これっぽっちだってなくて。

「わたしが見つけられたくらいですし大丈夫かと。たぶん。知らんけど」

 だから、その形容動詞の代わりとして、らしくてそれっぽい添え言を、ぽしょりと二つ。

「そっかー。んじゃ、これからの俺に期待ってことでいいべ」

「はぁ、まぁ、戸部先輩がいいんならいいんじゃないですか、それで」

 相変わらずだな、この人……。と、適当におざなりに雑に戸部先輩の相手をしながら、その隣で意味深な反応をしているもう一人をちらと見る。

 そのもう一人、葉山先輩は、無機質な虚空を見上げたまま。

「見つけた……か」

 やがて、そっと呟いた。

 わずかに細められた瞳と憂いを帯びた横顔は、何もない空間へ向けているようで、そこではないどこかへ向けられているように思う。

 

『昔はさ――』

 

 一瞬だけ、もしかしたらが頭をよぎった。

 でも、それは、わたしが言うことじゃない。わたしが言うのは違うから。

 だからわたしは、代わりに、別のもしかしたらを口にする。

「……もしかしたら、違うとこばっかり見てるからかもしれませんね、見つかんないのって。ふと思いました」

「あー、それあるわー。絶対あるわー」

「でしょ?」

「俺もこのパターンだべ?」

「いやそれは知らないですけど」

「だべー……」

 いつもどおり、お約束どおり、こっちは置いといて。

「葉山先輩もそう思いません?」

 ついでに、ばちこーん☆といろはすウインク。すると、葉山先輩は何度かぱちくりまばたきをした後、ぷっと吹き出した。

「いろはがそれを言うのか……」

「逆です。わたしだから言えるんですよ」

 お互いにどこか挑発的な表情で再び軽くやり合い始めたわたしと葉山先輩に、やっぱりか、戸部先輩もまたうーんと唸り出す。

 しかし、当然、葉山先輩がその機先を見逃すはずもない。

「さて……俺らはそろそろ行くか」

「え? な、なんか話途中っぽいけど、いいん?」

「ああ、これ以上引き止めても悪いしな」

 言われてみれば、確かにちょっと時間を使いすぎた気もする。けど、まぁ、たまにはこんなことがあってもいいだろう。それなりの刺激になったし。

「じゃあ、お言葉に甘えて、わたしもこれで」

「……頑張れよ、いろいろ」

「言われなくても」

 くすっと意地悪く微笑み返すわたしに、葉山先輩は肩をすくめつつも。

 あの頃から変わらない笑顔で、あの頃と同じように。

「またな、いろは」

「あ、えーっと……いろはす、またなー?」

 戸部先輩は未だ困惑しながらも。

 あの頃から変わらない調子のよさで、あの頃と同じように。

「はい。お二人とも、またです」

 ――また、そのうち。

 続けて小さく呟き、くるっとふわっとスカートをはためかせたところで――。

「そうやって、みんな変わっていくんだな……」

 そんな小さな独り言が、ふと、背中越しに聞こえた。

 

  *  *  *

 

 ため息を吐く。これで何回目だろう。四回目かもしれないし、五回目かもしれないし、六回目どころじゃないかもしれない。

 文実の間はそれなりの密度になるこの会議室も、わたし一人だけになると、ずいぶんと広く感じてしまう。本来なら集中できる環境ではあるのだが、今日は立て続けにいろいろなことが起きたせいで、誤魔化していた疲れをただ実感させられるだけの状況にしかならなくて。

 最後にもう一回ため息を吐くと、わたしはスマホで時間を確認する。

「……帰ろ」

 ここまで散漫な集中力じゃ、いくら粘ったところで結果なんてお察しだ。最終下校時刻も近いことだし、さっさと家に帰ってやるなりしたほうが全然いい。

 そうして、帰り支度やら消灯やら戸締りやらを済ませ、廊下に出たところで。

「あ……」

 青みがかった黒髪をポニーテールにした、川崎くんのお姉さんとばったり。相変わらず怖そうな人だ。ていうか怖い。なんでいるの?

「お疲れさまですー……」

 くんしあやうきにちかよらず……。というわけで、わたしはぺこりと軽く会釈し、絡まれる前にそそくさとすたすたとクールに去ることにする。クールとは。

「ちょっといい?」

「ひえっ」

 しかし回り込まれてしまった! 思わず肩もびくっと跳ねた!

「……わ、わたしですか?」

「いや、あんた以外に誰がいんの」

「で、ですよねー……」

 なんか今日はいろんな人に捕まるなぁ……。

 まぁ、なんとなくそんな気はしていたし、ここで逃げるつもりもなかったので、川崎先輩に手の鍵を見せつつ。

「えっと、先に鍵、返してきてからでもいいですか?」

「……じゃ、あたしも行くよ」

「は、はぁ……わかりました……」

 できればそれはご勘弁願いたかったでござるなぁ~……。なんて内心でだらだら嫌な汗をかいていると、別の方向から、かつかつかつ。この足音はどうせ平塚先生だ。

「おーい、そろそろ時間だぞー」

 やっぱり平塚先生だった。ここ最近は毎日わたしが時間ぎりぎりまで残っているから、気を利かせてくれたのだろう。

 と、川崎先輩の姿に気づいた平塚先生が、ぱちくり目を見開く。

「……おや? 奇妙な組み合わせだな」

「あたしがこの子に用あったんで」

「そうか。なら、その用とやらを早く済ませたほうがいいな」

 平塚先生がふっと含んだように笑うと、居心地悪くなったのか、川崎先輩が眉根を寄せた。わたしのお腹が痛くなるだけなのでやめてほしい……。

「鍵は私が返しておくよ」

「……お願いします」

 ちょっぴり恨みがましくほっぺたを膨らませつつ、会議室の鍵を手渡した。けど、それだけでは終わらずに、平塚先生はなぜかわたしの顔をじっと見つめてきた。

 え、なに……?

「川崎。ついでに一つ頼めるか」

「なんですか」

「君が可能なところまででいい。一色と一緒に帰ってやってくれ」

「へ……?」

「……まぁ、別にいいですけど」

「え、ちょっ……」

 なんか勝手に話が進んで勝手に終わったんですけど……。あとあと、さすがのいろはちゃんでもそれはさすがにきついかなー、なんて……。とはさすがに言えなかったので、代わりにうえーと表情で抗議した。

 そんなわたしをなだめるように、平塚先生が頭をぽんと軽く撫でてくる。

「……では、二人とも気をつけてな」

 先生のことだから、理由、ちゃんとあるんだろうけどさぁ……。でも、もっと、こう……。と、不満たらたらなわたしをそのままに、平塚先生はひらひら手を振って職員室のほうへ歩いていってしまった。

 となれば、必然、微妙さ極まった気まずい空気が流れ出す。そのせいで、遠ざかっていく平塚先生の足音がやたら虚しく聞こえ、無慈悲に思えた。

「と、とりあえず、よろしくお願いします……?」

「……はいよ」

 うーんこの愛想なしめ。……あ、今のオフレコでお願いしますね? バレたら怖いので。なんて感じで、いちいちビビり散らかしながら、なんとかどうにか歩き出したものの。

「あー……」

 っべー。何話したらいいか全然わかんねー。

 せんぱいの数少ないお知り合いということで、わたしも何回か顔合わせてるし、川崎くんのお姉さんだしで、悪い人じゃないってのはわかってるんだけど……。

 落ち着けわたし。普段、あんなにめんどくさい人たちの相手をしてるんだ。この人とお話するくらいできるはず。がんばれわたし、できるぞわたし。

「その……なんでわざわざ待ってたんですか? 別にこんな時間まで待たなくても、声かけてくれたら済んだ話ですよね?」

「あたしもクラスの準備あったから。それだけで他意はないよ」

「あ、そうですか……」

 困った。ほんとにそうなんだろうから困った。おかげで会話が続かない。お話したいのにお話にならないとかやめてほしい……。

 たまらず口とか眉とかがもにょっちゃったけど、バレてるのやらスルーしてるのやら、お隣さんは何も言わないまま。……話が進みません誰か助けろください。

 なんて切実に訴えていたら、神様に願いが通じたのか、昇降口を抜けたところで。

「……あのさ」

 おもむろに、ぶっきらぼうに。それでいて、タイミングはきちんと見計らっていたように。川崎先輩が吐息と共に口を開く。

「あんた、大志になんかした?」

 その問いかけに思わず足が止まった。

 自然、川崎先輩も足を止めて振り返る。

 変わらず目つきは鋭くて怖い。けど、そこに敵意は感じられない。

 なら、わたしも、ちゃんと尋ねることにする。

「と、言いますと?」

「あの子、文実に入ってから……いや、あんたと関わり始めてからって言ったほうがいいか。あたしにやたら気を遣ってきて、なんでもかんでも自分がやろうとすんの」

 心当たりがある。というより、心当たりしかなかった。

「……あー、妹さんの送り迎えとか、それでなんですねー」

「そ、俺がやるから自分のことだけ考えろって。最近は毎日そればっかり……」

 うんざりしているような言葉とは裏腹に、川崎先輩の目元や口元はとても優しい。そしてその表情は、せんぱいたちがときどき見せてくれるあの表情にとてもよく似ていた。

 そういう顔をされてしまったら、わたし的にはお手上げというほかなく、下の子的にはもどかしさを感じてしまう。

 だから、わたしはふっと自虐的に笑って、目を細める。

「なるほど、だいたいわかりました。それは確かに、わたしのせいかもです」

 

  *  *  *

 

 学校を出て、ちょっと歩いて、公園の中。休憩スペースの柱を背にしつつ。

 誰かに影響されるのは悪いことばかりじゃない。それは同時に、いいことばかりでもないということだ。

 以前にあった平塚先生との一幕を、空中廊下での川崎くんとの会話を、思い出しては照らし合わせながら。言ってもいいことと言っちゃまずいことを、都度、頭の中で振り分けながら。

 わたしは、ぽつりぽつり、言葉を紡いでいた。

 

 もらってばっかじゃなくて、返したくて。

 もらってばかりなのを、変えたくて。

 だから、きっかけが欲しくて。機会が欲しくて。

 なんでもいいから、どんな形でもいいから。

 

 けど、やっぱり、うまくいかないことだらけで。

 そんなできない自分に、余計、無力さを感じてしまって。

 

 でも、できないなりに、できることをやっていくしかなくて。

 だから、たとえ、非効率でも。合理的じゃなくても。そこに気持ちしかなくても。

 

 けど、あの人たちも、おそらくこの人も、みんな優しくこう言ってくれるのだ。

 自分がやりたくてやったことだと。だから、恩なんて感じる必要はないと。

 

 ――それでも、やっぱり。

 もらってばっかじゃなくて、返したいから。

 もらってばかりなのを、変えたいから。

 だから、なんでもいいから、どんな形でもいいから。

 どれだけ強引でも、むちゃくちゃでも、めちゃくちゃでも。

 

 自分にとっての、誰かにとっての、大切な人のために。

 そして、大切にしてもらった自分のために。

 

「……という感じで、わたしが変な発破かけちゃったかなーと」

 ひととおり説明し終えたものの、正しく伝えられたかどうかは怪しい。あくまでそれはわたしの話で、かもの話で……ということにした上、ぼかしたり省略したりもしたから。

 誤解を避けるためには包み隠さず全て伝えるのが正解なんだろう。けど、本人の気持ちなんて結局は本人しかわからないし、なにより、本人が隠したがっていることをわたしが勝手に全部ぺらぺら話すのはもっと違う。だったら、そういうことにしておいたほうがいい。

 川崎先輩はそんなわたしの自分語りを黙って聞いてくれていたが、余白をもって話に終止符を打つと、静かにため息を吐いた。

「バカだね、あの子も……。そんなこと気にしなくていいのに……」

「あ、えっと、ですから今のはあくまでわたしの勝手な推測……」

「大志も同じでしょ。前からそういう傾向ある子だったし」

「……本人から聞いたわけでもないのに、そこまで言えちゃうんですね」

「言ってはくれないけど、わかるよ。だって、今まで見てきたから」

 見てきたから……か。一応、わたしとせんぱいも、お互いがお互いに言葉にしなくても、意思疎通的なことはできるようになった。けど、小町ちゃんや川崎先輩と比べたらまだまだだろう。

 そうやって、自然に、当たり前に。時にはぶつかって、削れて、丸くなって。長い年月をかけて繰り返して、積み重ねて。

 それもまた、わたしのとは、別の形の――。

「なんか、伝わります。弟さんのことちゃんと見てきたんだなーって感じというか」

「ま、まぁ、家族だし……。これくらい、別に……」

 たまらず微笑みを漏らすと、川崎先輩は顔を俯かせて、ものっそ小さい声でぽしょぽしょ返してきた。わたしの反応で恥ずかしくなったらしい。なんだこの人、可愛いかよ。そういうギャップはずるいと思います!

 なんて感想を胸の内で抱いていたら、頬にほんのり朱を残したままながらも、川崎先輩がいつものぶっきらぼうめな感じで切り返してくる。

「……それより、あんたは大丈夫なの?」

「はい? なにがですか?」

「文実。このままだとやばいんでしょ」

「あー……」

 そこを突かれると弱い。言葉に詰まってしまう。

 スケジュール遅れの数々は、川崎くんや小町ちゃんがフォローやリカバリーに回ってくれたおかげで、なんとかなっていた。

 しかし、フォローやリカバリーなんて余計な仕事は、もともと二人の仕事じゃないのだ。本番当日までの日数が減っていけば減っていくほど、本来すべきだった仕事に追われ、二人もリソースを割けなくなる。最初のミーティングの時点でそんな予感はしていたし、織り込み済みだった。

 そんな中、わたしは自分で自分の首を絞めてしまったわけだけど……。

「……なんとかします」

「なんとかって、あんた……」

 結局、口から出てくれたのは曖昧もいいところな言葉だけ。当然、川崎先輩には呆れたようなため息を吐かれてしまう。

 でも、これは、わたしが一人で解決しなきゃいけない問題だから。

 こんな独りよがりを、こんな自分勝手な自己満足を、こんな拗ねた子供の意地張りを、他の人に責任ごと渡すなんてできっこないから。

「とにかく……わたしが、なんとかするんです。わたしがなんとかしなくちゃいけないから」

「言ってることむちゃくちゃなんだけど……」

「自覚してます」

 だって、それがわたしだから。

 そんなニュアンスを込めて誇らしげに胸を張るわたしに、川崎先輩がふっと笑う。

「……やっぱり大概だね、あんたも」

「あの人の後輩ですから」

 同じように笑み返すと、川崎先輩も納得がいったように「ああ……」と吐息を漏らした。

 そう、わたしはあの人の後輩なのだ。ド腐れの目と根性で、バカなことばっか言って。普通そこまでする? ってくらい、バカなことばっかやって。

 そのくせ、ほんとは誰よりも優しくて、わたしには誰よりも甘くて。でも、ときどきちょっぴり厳しくて、めんどくさい時はめっちゃめんどくさい。それが、わたしのせんぱいなのだ。

 

 ……だから、余計に。

 悔しいけど。

 認めたくないけど。

 許せないけど。

 諦められないけど。

 

 だから、せめて、今は……。

 代わりに、最後まで考えて、悩んで、もがいて、じたばたしよう。

 苦しくなっても、思い詰めても、しんどくなっても、嫌になっても。

 そしたら、今度は、甘えて、吐き出して、泣いて。

 まだ泣いて、また泣いて、精一杯、泣ききったら。

 立ち上がって、それを糧にして、また前を見て、少しずつ、進んでいこう。

 きっと、いつか、なんて。

 夢を見ては夢に焦がれる子供みたいに、いつまでも、ずっと。

 

「だから、やります。誰に何を言われても、わたしがなんとかします」

 ――心の中でそんなことばかりぼやいていたせいかもしれない。

 わたしは、今になって、ふと。わたしは、今となって、ようやく。

「そこまで言うならちゃんとなんとかしなよ。大志のためにも。……無理しない範囲でさ」

「お気遣い、どうもです。守れるかどうかはちょっと自信ないですけど」

 はるさんの不可解な言葉の意味を。平塚先生の意味深なお願いの理由を。

 ちょっとだけ、理解できた気がした。

 

 

 

 

 




半年まではいかなかったけど、うーんこの体たらく……。
というわけで、また期間空いちゃってごめんなさいでした。いつも待っていてくれる方々にはマジで頭上がらないです、ほんとに。


ではでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!

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