「んで、その最高のアイデアが、まさかのアイドル活動……か」
廊下を歩く静流は学食のパン屋が1日20個限定で販売しているというホットドッグを頬張りながら呟いた。
「……天宮君もやっぱり反対なの?」
一方、その隣を歩く穂乃果は昨日の昼食と同じランチパックを口にしていた。海未とは口論の末に喧嘩別れしただけに、昼休みに彼女と行動を共にするのは躊躇われたのだ。おまけにヒデコ、フミコ、ミカの三人も別の用事で都合がつかず、そこで白羽の矢が立ったのは自身と同じく学食のパンを買うため行列に並んでいた静流だった。よってこうして教室に着くまでの間、横に並んでそれぞれの昼食を堪能するようになったわけである。
「そんなつもりじゃないけどね。まあ、そりゃあ驚きはしたけど、断固反対ってわけでもないかなーとか」
お茶を濁すように答えながら、静流はホットドッグの最後の一欠片を口に放り込んだ。
本来なら、歩き食いは行儀が悪い行為である。それも会話をしながら。もしもこの場に海未がいれば、二人はキツいお説教を受けていたことだろう。しかし、今現在海未とは別行動中。マイペースを地で行くこの二人組は思う存分モグモグと口を動かしていた。
「クラスメイトにいきなり『アイドルやりたい!』と言われて戸惑わない人がいたら、その人はとんでもない鋼メンタルの持ち主だね」
穂乃果の語った『廃校を阻止するための最高のアイデア』とは、『アイドルになって学校を有名にして入学希望者を増やそう計画』という一見破天荒かつ無謀極まりないものであった。
しかし、可能性がゼロ、というわけではない。穂乃果のアイデアの発端となったUTXは実際に学校お抱えのアマチュアアイドルグループ『A-RISE』を看板係として起用し、周辺地域はおろか全国レベルでその名を轟かせていた。おかげで秋葉原近辺の女子中高生は皆A-RISEに憧れ、その人気にあやかろうと必死に地獄のような合格倍率と戦っている。
さらにはUTXを真似して同じくアイドルグループを結成する女生徒達が全国の高校から出現。この学校を拠点に活動するアマチュアアイドル、通称スクールアイドルはもはや社会現象と言えるレベルまでに世間一般に熱を帯びているのだ。
すぐ近くに成功例があるのだから、決して全否定すべきではないだろう。問題は自分達が同じマネをしても上手くいくとは限らない、ということだ。もっとも、そこが一番の難点なわけだが。
「でもでも!海未ちゃん、あんな言い方しなくても良いと思う!穂乃果だって真剣に考えたのに!」
それを言ってしまったら、喧嘩別れした際の穂乃果の言い草も中々に酷いレベルではないだろうか。それに海未としても穂乃果のことを真剣に思って反対してるに違いないはずなのだから、お互い言いっこなしという奴だろう。穂乃果の日頃の不摂生を十年以上目の当たりにしてきた海未なら余計に難色を示しても仕方ない。
と内心で思いつつも、穂乃果の機嫌を損ねるのを避けるため余計なことは口にしない静流であった。
「まあ園田さんってすごく真面目そうだし、芸能活動で学校宣伝して入学希望者倍増計画なんて少し安直過ぎると考えるのは仕方ないんじゃないかなーって」
遠回しな表現でやんわりと諭したつもりだったのだが、穂乃果はますます不機嫌そうに口を尖らせた。昨日はあんなにも美味しそうにしていたランチパックをやけ食い気味に口の中へと詰め込んでいく。
「……安直じゃないもん。ちゃんとライブやるし、練習だって頑張るつもりだもん」
意外なまでの頑固ぶりを見せる穂乃果。どうやら説得するのは骨が折れそうだ。一先ずこれ以上機嫌を損ねないようにしばらく黙っておこう。
そう決心した静流は新しく焼きそばパンの袋を開けて口に放り込もうとする。が、その寸前で手は止まった。
「あれ?何か聞こえない?」
キョロキョロと周囲を見渡し始めた。
「もー!話逸らさないでよ!」
「いや、ほんとほんと!」
「えー?そうな……の?」
訝しげだった穂乃果の表情がみるみると柔らかくなっていく。
「本当だ。ピアノの音と……女の子の歌声?」
穂乃果の言う通りだった。耳を澄ましたことで、今度は女性のややハスキーな歌声と合わせて奏でられるピアノの伴奏がはっきりと聞こえてくる。
「……上手い」
音楽に関する教養の無い静流でもわかる。この女性の歌唱技術はかなりの物だ。
「でも、聞いたことない曲……」
「えっと……あそこは……音楽室なのかな」
静流が指さした場所はいわゆる音楽の授業用の実習室だ。どこの学校にも設けられている、ピアノと偉大な作曲家達の自画像でお馴染みのその部屋には、音楽には欠片も興味の無い静流にとって昔から縁の無い場所である。前に通っていた学校にも音ノ木坂より遥かに設備が充実した音楽教室が存在していたが、芸術科目は美術を選択した彼には関係無い話だった。
と、そこで今まで隣にいたはずの穂乃果の姿が消えていることにようやく気がつく。音楽室に視線を戻す。穂乃果が窓に顔をくっつけて変顔を晒したまま拍手をしていた。
「歌、上手だね!」
「うぇえ!何よ!あなたいきなり!」
「ねえねえ!聞いた事ない曲だけど、もしかしてあなたが作ったの?」
「この人、話聞いてない⁉︎」
穂乃果はズカズカと遠慮無く音楽室の中へと入っていく。中から聞こえるやりとりを察するに、歌声の主は戸惑っているようだ。それも当然なんせ今は昼休み。もしかしたら誰かが気分転換にピアノを弾いてるのかもしれないというのに、よくも遠慮なく踏み込めるものである。
遅れて静流も顔だけ出して部屋を覗き込んだ。この学院における、非常に数少ない顔見知りがそこにいた。
「やあ」
「うげっ!天宮先輩!」
昨晩知り合ったばかりの赤毛の少女、真姫の姿がそこにあった。静流を目にした途端、人形のように整った顔を台無しにする程引きつらせてしまった。
「驚いたよ。まさか君がピアノが得意だなんてね。でも……うん、ちょっとビックリしたけど、すごく似合ってる」
「べ、別に趣味くらい何でもいいじゃないですか。それに小さい頃から続けてきたからそれなりに弾けるだけです。わざわざ自慢する程じゃないですから」
ニヤニヤとほくそ笑む静流の視線に耐えられなかったのか、真姫は顔を赤らめながら目を逸らした。
「いやー、僕は音楽全くわからないから。こういう人に誇れる特技を持ってる人って尊敬するんだ」
「なにそれ意味わかんない!」
「あれ?もしかして二人って知り合いだったの?」
真姫の両手を握りしめていた穂乃果は、キョトンとした様子で静流と真姫の顔を交互に見つめる。
「んー……知り合いというかなんというか……微妙な間柄?」
「え?何それ?」
「少なくとも知り合いよりもよっぽどディープな関係だね」
「うわっ!なんだか凄そう……」
「ちょっと先輩!変なことを言わないでもらえます⁉︎」
真姫は立ち上がるとピアノの鍵盤の蓋を手早く閉めてしまう。
「ねえ、お願い!さっきの話を……」
「私、息抜きにピアノ弾いてただけですから!」
「待って!せめて名刺だけでも!」
バタンッ!
真姫はそれだけ言うと一切振り返ることなく、そそくさと音楽室を後にした。残された穂乃果は落胆したと言わんばかりに肩を落とす。
「あー、行っちゃった。あの子なら絶対アイドルになれると思うんだけどな〜」
「確かに、西木野さんてすごい美人だよね。しかもピアノも弾けて歌も唄えるのか……」
「ふーん、あの子……西木野さんって言うんだね」
昨晩理事長が言っていたが、あの少女は今年度新入生の中でもトップの成績で入学したのだ。まさに才色兼備と言ったところか。何も将来をアイドルに限定する必要は無い気がするが。
「うん!あの子が入ってくれれば音ノ木坂スクールアイドルグループは百人力だよね!きっと!」
「……それにしても君、本気でアイドル始めるつもりだったんだね」
「だから穂乃果は最初から本気だって言ってるじゃーん!あの西木野さんって子にだって絶対スクールアイドルになってもらうんだから!」
「だったら園田さんを説得するところから始めなきゃね」
海未の名前が出てきた途端に、穂乃果の顔があからさまに引きつった。
「な、なんでそこで海未ちゃんが出てくるの⁉︎海未ちゃんは関係無いでしょ!」
静流はハアと深いため息を吐いた。穂乃果と海未の諍いはしばらく放置しようと考えていたはずだが、どうにも放っておけない。
「あのね……はっきり言わせてもらうけど、幼馴染で気心が知れてるはずの彼女すらも説得できやしないのに、今の女の子をアイドル活動に参加させるなんて夢のまた夢としか到底思えないよ」
「……なんだかんだ言って、やっぱり天宮君も反対なんじゃん。いいよ別に!穂乃果一人でもやってみせるもん!」
「一人で?」
頬を膨らませる穂乃果を前に、静流は小馬鹿にしたような笑いを漏らした。
「何がおかしいの!何度も言ってるけど、私は本気なんだから!」
「音楽の知識も無い。ダンスの経験も無い。自己管理もろくに出来ないのに?」
本人に聞いた限り、この少女は音楽に関する専門教育は受けていない。カラオケは幼馴染二人と共にしばしば利用してはいたようだが、それを経験に含めるわけにはいかないだろう。ダンスもせいぜい学校のイベント位が関の山だろう。文字通りゼロから始める必要があるわけである。
「そ、そうだよ!私一人だけになっても必ず学校を守るの!」
「へえ、園田さんから不貞腐れながら逃げた君がねえ」
「そ、それは……」
歯切れが急に悪くなる辺り、痛いところを突かれたらしい。根拠の無い自信があっという間に崩れ去ったようだ。
「だいたいこの学校の会長さんて厳しそうじゃない?もしもこの学校でアイドルをやるのなら、いずれはあの人も説得しないといけない。園田さんを味方にしておいた方が良いんじゃないかなー」
「でも海未ちゃんはスクールアイドルは駄目だって……」
「アイドル『が』駄目だって言ってたわけじゃない。君の本気が見えないから、中途半端な気持ちのままアイドルを始めて君が傷つくのが嫌だから彼女は反対したんだと思う」
穂乃果が登校する前に見せた海未の姿は、まるで過保護なまでに娘を心配する母親のそれだった。性分で長いお説教になってしまったが、おそらくそれも過剰ながら穂乃果が心配ゆえの愛情の裏返し。静流が見た限り、少なくとも嫌がらせや鬱憤を晴らすために怒りをぶつける不躾な人物ではないはずだ。
「他者の本音を知れば、きっと自分が知りたくなかったことだって知ってしまうと思う。それは誰だって抱えてる恐怖だよ。だけど、アイドルってのは人と触れ合わなきゃいけない存在でしょ。大勢の観客達が最初から君に好意的なわけじゃないんだ。彼らの無関心や嘲笑にも逃げるのかい?」
アイドルに限らず、古今東西大衆の無自覚な悪意に晒されて身を滅ぼした人間は数多に存在した。海未は『お人好しで心優しい穂乃果』が同じように大衆の無自覚な悪意によって傷つけられるかもしれない未来に耐えられなかったのかもしれない。
ゆえに穂乃果は否定しなければならない。そんなことで傷つくような弱い幼な子ではないと。海未から逃げ出しては逆に弱いままだと肯定しているようなものだ。
「だから本気でアイドルになって学校を救いたいなら絶対に逃げちゃだめだ」
静流は穂乃果の肩をポンと叩く。
「園田さんからじゃないよ。自分が傷つく事を恐れる『自分自身』から逃げたらだめだ」
「え?」
穂乃果は目を丸くした。
「君の願い……アイドルになって廃校を阻止したいっていう想いが本気だって園田さんに見せつけるんだ。君は彼女が思っているような弱い人間じゃないって」
穂乃果は何も答えない。あまりにも長く続く沈黙に、もしや余計なお説教のせいで完全に機嫌を損ねたか、と思ったのだが、どうやらそういうわけでもないようだ。ただ惚けた顔でしばし固まっていたのだ。
「どうしたの?」
「ううん……なんだか懐かしい気分になって」
穂乃果は静かに笑っていた。
「懐かしい?」
「小さい頃にね。誰かに同じことを言われたの。それが誰なのかは思い出せないんだけどね。大人の人だったのは確かなんだけど」
その幼い時分を回想しているのだろう。穏やかな笑みを浮かべたこの少女は、窓の外を向いて過去に思いを馳せているようだった。
「誰だったのかは全然思い出せない。でも、穂乃果に『自分自身から逃げるな』って。その時のこと……不思議とそれだけは今も覚えてるんだ」
静流も穂乃果と同じく窓の外に目を向けた。入学シーズンを迎えたばかりの校門では、満開に咲き誇る桜並木が春風と共に花びらをヒラヒラと舞わせている。その光景は思い出に耽る穂乃果だけでなく、静流さえもノスタルジックな気分に浸らせた。
「……うん、決めた!私、もう一度海未ちゃんを説得してみる!」
穂乃果は拳を握りしめ、自分自身に言い聞かせるように断言した。
「海未ちゃんと一緒にアイドルやりたい!ううん、やるっ!絶対っ!」
もはや、その青い瞳に迷いは見えない。
「よし、その意気だ」
「うん、ファイトだよっ!」
「はは……頑張るのは君の方なんだけどね」
教室に戻った二人を待ち受けていたのは憤怒の面を被ったかのような形相の海未であった。
「穂乃果!数学の先生から聞きましたよ!この前忘れていた宿題をまだ出していなかったそうですね!明日の朝一番までに提出しなかったら夏休みに補習を受けてもらうそうですよ!」
「うげっ!海未ちゃんその話いつの間に聞いてたの⁉︎先生には海未ちゃんだけには黙っておいてって言ったのに〜!」
「逃げようったって無駄です!そんなにアイドルをやりたいなら補習なんて不様な真似は許しませんよ!」
「わーん!やっぱり海未ちゃんの鬼だよー!悪魔ー!ベルゼブブー!」
「そこまで罵られる覚えはありませんよ!人を蠅の王呼ばわりするんじゃありません!こら待ちなさい!話は終わってませんよ!」
「二人とも落ち着ついてよ〜」
今度は逃げられないようにがっしりと穂乃果を抑え込む海未と、二人を宥めることりを尻目に、静流は完全に無関心な態度を決めながらポテチを口に運ぶのだった。