つま先立ちのアクトレス ~ Story of Eli   作:Kohya S.

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この作品はフィクションであり、登場する人名、団体名等は全て架空のものです。


1. 廃校の知らせ

「生徒会役員の絢瀬(あやせ)さん、東條(とうじょう)さん。理事長がお呼びです。理事長室までお越しください。繰り返します……」

 放送委員の声が放課後の学院に響いた。

 

 生徒会室にいた絢瀬絵里(えり)は書類から目を上げた。突然の呼び出しにそこはかとない胸騒ぎを覚える。ちらりと隣の東條(のぞみ)に目をやると彼女も同じように見返してきた。

 

 絵里は音ノ木坂(おとのきざか)学院の三年生で、生徒会長をつとめている。今日も副会長で同じく三年の希とともに生徒会の仕事で学院に残っていた。

 

 書類が片付くまでにはまだまだ時間がかかりそうだったが――新年度にともなう手続きは多い――理事長の呼び出しとなれば最優先だ。

 ふたりは生徒会室を出て理事長室に向かった。

 

「しかし、なんやろね、急に呼び出すなんて」

 学院の廊下を歩きながら希が首をかしげた。日中の喧騒が嘘のように静かだ。二人の足音だけがこだまする。

「さあ、心当たりはないけど……。気になるわね」

 絵里の端正な顔に不安が浮かんだ。

 

 絵里は背が高くメリハリのある体形で、腰まである長い金髪と碧眼は普段から人目を引いた。白い肌とあいまって日本人離れした印象を与える。いまは髪はポニーテールにまとめていた。

 

 去年の秋に絵里が生徒会長に就任してから、校内行事の運営や施設の利用など、理事長と話す機会はすくなくなかった。ただ、理事長から事前の連絡なしに呼び出されるのはこれが初めてだろうと思う。

 

「生徒の事故とか、不祥事(ふしょうじ)とかじゃ、なければいいけど……」

 三年生へ進級してそうそう、そんなことがあってはたまらない。

 

 すぐに同じ階にある理事長室についた。扉は他の教室とは異なり重厚な木製だ。

 

「どうぞ」

 絵里のノックに扉越しのくぐもった声がこたえた。

「失礼します」

「突然呼び出して、ごめんなさいね」

 扉を開けると声の主、南理事長はピンと背筋を伸ばし、やはり木製の大きな机の向こうに座っていた。

 理事長はふたりに笑いかけた。いつものように優しそうな笑みだが、どこか硬いものを感じるのは絵里の気のせいだろうか。絵里の不安は弱まるどころかますます強くなった。

 ふたりは机の前まで進み一礼する。

 

 理事長はベージュがかった長髪が特徴的な三十代の女性で、絵里の目から見ても美人だった。ライトグレーのスーツに身を包んでいる。

 彼女は軽くうなずいてからしばらく逡巡(しゅんじゅん)するようすをみせた。いつの間にか笑みは消えている。

 

「……学院の生徒が毎年、減っていることは知っていますね」

「はい」

 理事長の言葉に絵里と希はうなずく。

 音ノ木坂学院は女子高だが、三年生は三クラス、二年生は二クラス、一年生に至っては一クラスしかない。

「急な話でショックだと思いますが……」

 理事長はいったん間を置いた。絵里はごくりと唾を飲む。

「……音ノ木坂学院は本年度をもって、生徒の募集を中止することになりました」

 

 しばらく三人とも無言だった。部活動をしているのだろう、校庭からの生徒たちの声が唐突に絵里の耳に聞こえてきた。

 

「それって、どういうことですか、理事長」

 絵里は静かにたずねた。言葉の意味は理解していたが確認せずにはいられなかった。

「音ノ木坂学院は、来年から生徒を募集しません」そう繰り返す理事長。

「……それはわかりました」

「つまり、三年後、音ノ木坂学院は廃校になる、ということです」

 

 生徒がいなくなれば廃校――当然の結果だろう。いよいよ来たかという思いと、なにも今でなくてもという思いが交錯する。卒業まであと一年、なのに――。

 

 下を向いて黙り込んだ絵里に、理事長は表情を和らげ(さと)すようにいう。

「先日の理事会で方針が固まったのよ。少子化と再開発による生徒の減少、予算の削減……これ以上、ここで高校を続けていくことには無理があるって」

 

 無理がある、それはうすうす感じていた。ただでさえ空洞化の進む都市部の高校。特に他の高校と差別化できているわけでもない。さらにはピカピカの私立の新設校がすぐ近くにできた……。

 ただ、台詞の一部が絵里の頭に引っかかった。

 

 方針……ということは……まだ決まってない、のかも。

 

 絵里は顔を上げる。

「それは、決定事項なんですか」

 理事長は絵里の視線を受け止めてから――すっと目をそらした。

「……まだ決定ではありません。このままいけば、ということです」

「それでは、望みはあるんですね」

「大幅に希望者が増えるようなことがあれば、ですが」

 うなずく理事長。絵里の心にかすかな希望が宿る。

 

「……生徒会としても、生徒募集のために活動してもいいでしょうか」

「それはいけません」理事長は鋭く答えた。まるで絵里の発言を予期していたかのように。「生徒会の存在意義は、生徒の学院生活をサポートすることです」

「そんな……」

「絢瀬さんの気持ちはわかります」やや口調をおさえて理事長は続ける。「でも、来年の、くるかどうかわからない生徒より、いまいる生徒を大切にしてちょうだい」

「でも、学院がなくなったら、生徒会だって……」

「絵里ち、そのくらいにしとこ」

 さらにいい(つの)ろうとする絵里を希が制した。

「希……」

 希は絵里の視線を受け止めて、かすかに首を振った。

 

「絢瀬さん、東條さん」

 ふたりは理事長に向きなおる。

「近日中に校内に掲示します。先にふたりには知らせておこうと思ったの。きっと生徒たちには、すくなくない動揺があると思うけど……」

 理事長はふたりに微笑む。

「すぐに廃校になるわけではありませんから、生徒会としても、生徒たちを安心させてあげてね」

「……はい、わかりました」

 

 絵里と希は一礼し、理事長室を出た。

 

        ・

 

 ふたりは無言で生徒会室に戻った。絵里はゆっくりと椅子に座り込んだ。希は絵里のわきに立ち、窓から外を眺めた。

 窓からは春の光が柔らかく室内に差し込んでいた。

 

「まさか、廃校なんてね……」

 絵里は机に目を落としてぽつりともらした。

 ここを十数分前に出たときには、思ってもいなかった事態だった。

 

 絵里は昨年秋に生徒会長に就任したが、自分から立候補したのではなく先生たちに頼まれてのことだった。誰も立候補者がいなかったため、成績優秀で地元()()きの絵里に白羽の矢が立ったらしい。

 そんな事情だから学院にはたいした思い入れはない。それなりに学業をおさめて卒業できれば十分だ。そう思っていたのだが――廃校の話は意外なほどにショックだった。

 

 私、どうしたのかしらね。生徒会長になって、学院に愛着でもわいたのかしら。たしかに後輩たちは可愛いけど……。

 

「そんなに気ぃ、落とさんといて」希が絵里の肩をぽんと叩いた。「理事長も、決定ではない、っていっとったし」

「希……」

 顔をあげた絵里に希はにっこりと微笑む。

 

 希は絵里ほどではないがやはり長身で、豊満な胸の持ち主だった。やや緑色めいた瞳に、長い髪がよく似合っていた。

 

「まだまだわからへん、って」

「そうよね……。でも、どうしたらいいのかしら」

「いまからあんまり考えすぎるのも、よくないんと違う? 決まるのは先みたいやし、それまでになんか変わるかもしれへん」

「でも……生徒会としても、なにかできることはあるはずよ」

「それはそうやけど……。理事長には、止められてしもたし」

「そこよ。どうしてかしらね。廃校阻止の力になるなら、なんでもやらせてくれていいと思うんだけど……」

「うーん、まあ理事長のいうことも一理あるやん。ただでさえ生徒会、忙しいんやし」

「それは、そうよね。でもこのままなにもしない、っていうのもね……」

 

 絵里は唇に指をあてて考え込む。隣で希も腕組みをして首をかしげた。

 

 中学生にアピールする? 説明会は、毎年やってるわよね。進学実績はそれなりだし、今から改善するのは正直にいって無理よね。部活動も目立った活動はないし。アピールできるのは、歴史、くらいかしら。

 

 しばらく考えたものの妙案は出そうになかった。

 

 希は腕組みをといてどこからかカードの束を取り出した。器用にシャッフルしてから、一枚を取り出し裏返す。

 

「ふーん」

 右手の人差し指と中指でつまんだカードを見ながら、希は面白そうに唇をゆがめた。

「……カードはなんて告げてるの?」

 絵里は片眉をあげてみせる。

「それはうちの台詞やん、もう」

 希は笑って絵里にカードを示した。そこにはふたりの恋人たちが描かれていた。

「新たな出会い、絆。みんなで作るなにか。……もちろん、恋も」と希。

「……出会いに絆、か」

「悪くなさそうやん?」

「そうね」

 絵里は希に微笑み返した。

 

 絵里は机の上の書類を簡単にそろえて、立ち上がった。今日はこれ以上、作業を進める気にはなれなかった。

 ふたりは生徒会室を出て帰路についた。

 

 昇降口を出て学院の門まで一緒に歩く。インターロッキングの通路の両側に植えられた、桜の若葉がまぶしかった。理事長室でも耳にした運動部員の声が聞こえてくる。

 

「絵里ちがそんなに落ち込むなんて、意外やね。もっとさばさばしとる、思ったけど」

 希が絵里の顔をのぞきこんだ。

「そうなのよね。自分でも意外だわ……。会長になって、先輩としての自覚ができて……後輩のことを考えるようになったから、かしら」

「うんうん、新一年生、可愛いやんね」

 希は大きくうなずいている。

「そういうんじゃないけど……」絵里は苦笑する。「来年、後輩ができないなんて、かわいそうじゃない」

「そうやね。うちらががんばらないと、やね」

「ええ」

 

 学院前の道路を渡ると長い階段が伸びている。

 

「……絵里ち、昔にくらべると……すいぶんかわったと思うん」

「え、なによ、急に……」

 希は階段を見つめながらゆっくりと足を進めていく。

「一年生のころは、もっとこう、とんがった感じやったやん。まわりなんてどうでもいい、って雰囲気で……」

「え、そうかしら……」

 

 絵里は当時を思い出した。入学初日の教室中の生徒をにらみつけるような自己紹介。今思えば恥ずかしい。どれだけ自意識過剰だったのだろうか。絵里は顔を赤らめた。

 

「それが今は、廃校のことを、そんなに真剣に考えてるやん」

 希は絵里に視線を移して微笑んだ。

「まあ、そうね……」

 絵里も苦笑いでこたえる。

 

 どうして私、変わったのかしら。……希のおかげ、かもしれないわね。

 

 小学生、中学生とずっと地元で、友人こそ多いものの、親しく話せる相手はいなかった。ハーフのような金髪も――実際にはクォーターなのだが――その理由のひとつだったかもしれない。

 そんな絵里に初日から話しかけてくれたのが希だった。

 希は誰に対しても如才(じょさい)なく振る舞える人間関係の達人で――占いを武器に誰とでも仲良くなってしまう――希を媒介(ばいかい)として絵里も教室の人間関係になんとか溶け込むことができた。

 希の存在で高校生活は充実したものになったのだと、絵里は思う。

 

 ただ、あらためて口に出すのは照れくさかった。

「いろいろあったし、ね」そう言葉を濁した。

 希は絵里を興味ありげにながめてから続けた。

「余計なお世話かもしれへんけど……うち、そんな絵里ちも、悪くないと思うんよ」

「そうね。……ありがと、希」

 絵里は自分の言葉に内心の想いを乗せる。

 

「いやいや、照れるやん」希は笑いながらかぶりを振った。そして「でも、もっと変わってもよさそうやね」と茶目っ気たっぷりにウインクする。

「それってどういうことよ」

「まだまだ優等生かなって。もっとはじけても、いいやん。高校生なんやし」

「もう、希はふだんからふざけすぎなのよ……。それに生徒会長だし……体面ってものがあるわ」

「考えすぎやと、思うけどなあ」

 絵里はすこしぷりぷりしてみせると、希もわざとらしくため息をついた。

 

        ・

 

 数日後。絵里はある方法を思いついていた。実行する前にまずは希に相談してみよう、と思う。教室で話すのはすこしはばかられたので放課後まで待つ。

 

 いつものように希と生徒会室についたところで絵里は切り出した。

 

「廃校阻止について、ひとつアイデアがあるんだけど……」

「お、なんか思いついたん。さすが、かしこいかわいいエリーチカやね」

「もう、やめてよ」

 

 昔は祖母からそういわれていたと、以前ちょっとしたはずみに希に話してから、なにかあると、からかわれていた。

 

「ごめんごめん。それで?」

 希はペロッと舌を出してあやまり、絵里は気を取り直して続けた。

「……この前、理事長は、理事会で決まったって、いってたでしょ」

「うん」

「ということは、理事がいるわけよね、この学院にも」

「そういえば、そうやね。考えたことも、なかったけど」

「私もよ。……理事長はあんな感じだけど、ほかの理事にお願いすれば、ひょっとしたら、なんとかなるんじゃないかしら」

 

 絵里はいいアイデアでしょ、というように笑ってみせる。

 

「うーん、どうやろ……。存在を忘れるくらいだから……あまり、あてにならないんと違う?」首をひねる希。

「あら、でも、試してみる価値はあると思わない?」

「まあ、そうやね。で、理事って誰なん?」

 

 沈黙が流れた。

 

「……学院のホームページに、書いてないかしらね……」

 絵里はこころもとなそうに微笑んだ。

 

 しゃーないなあ、というように苦笑いしながら、希が生徒会室の隅に置いてあるPCを立ち上げる。しばらく操作していたが――。

「あかんね。理事長挨拶はあるけど……理事については、なんもないみたい」

「となると……」

 絵里は生徒会室のキャビネ、段ボール箱を見渡す。

「……きっと、どこかの書類に、書いてあると思うわ」

 

 それからしばらく、ふたりは生徒会室のなかを探し回った。

 

「……あった、これよ」

 絵里が段ボール箱の奥から取り出したのは理事会の報告書だった。年に数回、掲示板に張り出され、生徒は誰も読まないまま回収されてしまうような書類だ。

 机の上に広げて希と確認していく。

 

「えーと、理事は……まずは理事長やね」

「そうね。それから……校長先生も理事なのね。校長先生は、きっと理事長と同じで、廃校容認でしょうから、難しいわね」

「そうなると、あと三人っと。えーと、ひとりは……テーラー森田の森田さん?」

「ああ、あそこね」絵里には心当たりがあった。「老舗の洋服屋さんよ」

 希はふんふんとうなずく。絵里は先に進んだ。

 

「次は、神田橋女子大の田中教授だそうよ。どういう関係かしら……」

「さあ……? 女性みたいやし、卒業生かな」

「ありそうね。……そして最後はジーラスシステムズ専務、黒田(くろだ)さん。どこかの会社ね」

 

 ふたりは顔をあげた。

「さっそく、連絡してみるん?」と希。

「そうね。でも、連絡先がわからないわね。どんな人かもわからないし……すこし調べてみましょう」

 今度は絵里がPCの前に座った。希は絵里の肩越しにのぞきこむ。

 

 最初にテーラー森田を検索してみた。昔ながらの店らしく、ホームページは簡素なものだった。しかし連絡先はわかった。どうやら商店会の会長をつとめているらしいので、理事はその縁かもしれない。

 

 続いて教授を調べてみると、大学と研究室のページが見つかった。臨床心理学が専門らしい。電話番号はなかったもののメールアドレスは記載されていたので、そこから連絡できるだろう。

 

 そして最後の会社は秋葉原に本社のあるIT企業だった。数年前の創業だが規模はそれなりで、ネット関係などのサービスをおこなっている会社らしい。代表電話の記載もある。また役員一覧には黒田の名前と写真があった。鼻梁の(とお)った好青年風でにっこりと微笑み、思いのほか若い。

 

「善は急げっていうし……さっそく電話してみるわ」

 希はうなずいた。

 

 絵里はまずテーラーに電話をかけた。

「……音ノ木坂学院で生徒会長をつとめております、絢瀬と申します。あの、哲郎(てつろう)さんはいらっしゃるでしょうか……」

 絵里は簡単に事情を説明する。

「……はい、ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

 絵里は電話を切り、ふうっとため息をついた。

 

「どうやった?」希が聞く。

「話を聞いてくれるそうよ。今日の閉店後、来てくれていいって」

「やったやん」

「ええ、まずは幸先いいわね。教授にはあとでメールするとして……次は専務ね」

「今度は、うちがかけようか、絵里ち」

「……いいわ。やっぱり生徒会長がかけたほうが、いいでしょ」

 

 絵里はもう一度、スマートフォンを耳にあてた。

 すぐに電話はつながった。最初に出た愛想のいい女性に名乗り、要件を伝えると、どこかに転送された。しばらく待つ。

 

『お待たせいたしました、絢瀬様。秘書室、アライです』

 次に出た女性は事務的な口調でそう告げた。

「あの、学院のことで専務にお話しがあるのですが……」

『はい、うけたまわっております。ただ、黒田はあいにく予定が詰まっておりまして、いつお会いできるか、お約束できません。都合がつきましたら、こちらからご連絡する、ということでよろしいでしょうか』

 すこし早口でそういわれて絵里は圧倒された。

「……はい、それでかまいません」やっとそれだけこたえる。

 

『ご連絡先は、こちらのお電話番号でよろしいでしょうか』

 女性は絵里の携帯電話の番号を読み上げた。

「はい、それでお願いします」

『かしこまりました。黒田に確認いたします』

「よろしくお願いいたします」

 絵里は電話を切った。

 

「うーん、いまいちって感じやね」

 絵里の顔色を見たのか希が苦笑いをうかべる。

「ええ、いちおう都合がついたら連絡するっていわれたけど……。あまり期待できそうにないわ」

「まあ、しゃーないね」

 

 森田との約束にはまだ時間があったので、生徒会の仕事をこなしてから下校した。ふたりはその足でテーラー森田へ向かった。

 

        ・

 

 テーラー森田は神田須田町、山手線のガード下にあった。

 

 店の表側(おもてがわ)はシャッターが下りていたので、裏口へまわり呼び鈴を押すと、初老の女性があらわれた。絵里が名乗ると彼女はふたりをなかへ案内した。

 

 二階への階段やいくつかの扉が並ぶ狭い廊下をすぎて、通された場所は店舗の一角、打ち合わせ用のコーナーらしかった。店内には生地のサンプルやトルソーなどが並んでいる。

 女性が持ってきたお茶――日本茶だった――を飲みながら、絵里はそれらを物珍しく思いながら眺めた。

 

「……わざわざご苦労さまです」

 廊下からさきほどの女性と同年代の男性があらわれた。彼が理事の森田だろう。絵里と希は立ち上がって頭を下げる。

「いやいやお構いなく」

 彼はふたりに座るようにと手を振った。自分もふたりの向かいに腰を下ろす。

 

「急にお邪魔して、すみません」と絵里。

「いや、これも地元のためですから……」

 森田は優しげに笑った。

 

 絵里はそれに勇気づけられて、あらためて自分たちが学院の生徒会役員であることを話し、廃校に反対してもらえないかとうったえた。

 

 森田は腕を組む。

「……うーん、お気持ちはわかりますが、なかなか難しいですね」

「それは、どうしてでしょう……」

「廃校の方針は、学校機構のほうから来たので……反対するには、よほどの説得材料がないと……」

「機構、ですか」

 

 その名前は絵里も耳にしたことはあったものの詳細は知らなかった。希を見ると彼女も首を振った。

 

「はい」森田はうなずく。「それに……そもそも私たち理事は、理事長から出される議題を、確認して了解するだけ、なんですよね。予算とか行事とかなら、意見を出すこともありますけど……」

「そうなんですね」

 想像していた通りだわ、と絵里は思う。

「理事長も、廃校の方針には意義がないようでしたし」

 先日の理事長のようすからもその通りだろう。

「うちの娘も、音ノ木坂なので、残念ですが……まあ、これも時代の流れかな、って思いますよ」

 森田はお茶を飲んだ。

 

「……わざわざお時間をとっていただき、ありがとうございました」

 絵里と希は一礼した。これ以上話しても、なにかしてもらうのは難しいだろう。

「こちらこそ、すみませんね。力になれなくて……」

 

 ふたりはテーラーを出た。靖国通りを学院のほうへ向けて歩く。あたりはすっかり暗くなっていた。

 

「うーん、残念やったね」と希。

「……まあ、予想していたけど……やっぱり厳しいわね」

「あとは教授と専務、やね。教授へのメール、うちが送ろうか?」

「……そうね、お願いしようかしら」

「りょーかい。……それで、機構ってなんやろね」

「聞き覚えはあるけど……よくわからないわね。ちょっと調べてみるわ」

 

 ふたりは中央通りとの交差点で別れた。

 

        ・

 

 その日の夜、絵里は自宅で機構について調べてみた。

 正式名称は国立高等学校機構で、全国の国立高校の運営をおこなっている独立行政法人、とのことだった。設立、統廃合などは機構が決めているらしい。

 高校生が機構に直接、要望を出すのは無理がありそうだった。

 

 また、田中教授へのメールも希から同報(CC)で届いていた。希は端正な言葉遣いで要望を簡潔にまとめていた。もし教授が力になれるなら、きっとこたえてくれるだろう。

 

 翌日の放課後、絵里と希は生徒会室へ向かった。

 絵里は機構について希に話した。機構になにか働きかけることは無理だろう、というのは希も同意見だった。

 

「残る頼みの綱は、教授ね……」

 絵里がそういったとたん、絵里と希のスマートフォンがほぼ同時に鳴った。取り出すと、メールの着信。教授からだ。

 期待しながらロックを解除してメールを読む。

 

 読み終えて顔を上げると、ちょうど希と目があった。彼女は残念そうに苦笑いする。

 教授からのメールは丁寧な文章だったが――内容は森田の話とほぼ同じだった。絵里は肩を落とした。

 

「これは、理事会の線は、望み薄ね。なにか考えないと……」

「そうやね。……まあ、時間はあるし、ぼちぼち考えよ。それに、生徒会の仕事、片付けんとね」

 新年度で作業はもともと多いうえに、廃校のことでだいぶ(とどこお)っていた。

 ふたりは書類と格闘を始めた。

 

「んーっ」

 一時間ほどあと、ようやく作業に一区切りついて絵里は伸びをした。いつの間にか窓から差し込む光もオレンジの色彩を帯び始めている。

「そろそろ終わりにしよっか」と希。

「そうね」

 

 そのとき、ふたたび絵里のスマートフォンが鳴り始めた。今度は電話の着信で、相手は見覚えのない番号だった。……いいえ、違うわ、と絵里は気付く。昨日、電話した理事のひとり、黒田の会社からだ。

「例の専務だわ」

 絵里の言葉に希はうなずいた。

 

 一呼吸してから絵里は受話ボタンをタップした。

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