つま先立ちのアクトレス ~ Story of Eli 作:Kohya S.
絵里が黒田と会った週の週末、音ノ木坂学院ではオープンキャンパスが開催された。
μ'sは絵里と希が加わってからの初の新曲「僕らのLIVE 君とのLIFE」を披露した。来場者の反応は上々で絵里たちメンバーは手ごたえを感じたのだった。
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「お姉ちゃん、おっきな荷物、届いてます」
翌週、学院から帰宅した絵里に、妹の
「え、誰からかしら……」
そういってからすぐに思い至る。
「えーと、ふぉーみだぶる……さん?」
「わかったわ。ありがとう、亜里沙」
亜里沙のいう通り、大きなふたつの箱が届いていた。どちらも白い無地で、ひとつは小さめのスーツケースほど、もうひとつもミカン箱くらいのサイズだった。
自室までひとつずつ苦労して持っていき、開ける。
ひとつ目の箱の中から出てきたのは、薄青いワンピースドレスだった。もうひとつの箱からは、共布のパンプス、レースの手袋、バッグ、それに髪留めなどいくつかのアクセサリ。さらにはご丁寧にトワレの瓶まで入っている。
ドレスを広げてみると袖なしのイブニングドレスのようだった。手触りからもその上質さが伝わってくる。
絵里はその豪華さに驚くとともに――頭が痛くなった。
まったく、ここまでする必要、あるのかしら。ちょっと大げさすぎるわよね。これ、絶対にうちから、着ていけないわ……。
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土曜日の夕方。絵里はパンプス以外は私服のまま、着替え――スーツケース大の箱と、小物を入れた白い帆布地の鞄――を持ってカローデンで待った。髪だけは髪留めにあわせて行き付けの美容室で整えておいた。
時刻通りに黒い車が店の前の通りに止まった。あわてて会計を済ませる。また払ってもらったら、気分が悪いわ。
運転手は絵里を後部座席へと案内した。そこにはすでに黒田が乗っていた。
「やあ、絢瀬君。いや、絵里」
「こんにちは」
絵里は硬い表情でこたえた。
黒田は白いシャツに黒いディナージャケット、カマーバンドに蝶ネクタイという姿だった。
車は音もなく走り出した。すでに行き先は告げてあるのだろう。
すこし街中を走ってから首都高に入る。意外に遠いのかしら、と絵里は思った。車は防音壁越しに見えるビルの間を抜けていく。
「……ドレスは、気に入ったかね」
絵里はあのあと一応、ドレスをあわせてみていた。心がまったく踊らなかった、といったら嘘になる。
「……まあまあね」
「それはよかった」
黒田はふふっと笑った。
「……それで、今日のパーティだが……主催は
絵里は首をかしげてみせる。
「まあ、こういう服装になったってことさ」
黒田は自分の体を示した。
「今回は、英語は気にしなくていいから……気楽に構えていてくれればいいよ」
まだ覚えてるってわけね。絵里はつんと顔をそらした。黒田は笑みをかみ殺したようだった。
車は十分ほどで首都高を降りた。街中をしばらく走り低層の建物が並ぶ緑の多い通りへと入る。
やがて右手に白いタイル張りの壁が見えてきた。壁の上には意匠の凝らされた灰色の柵が続いている。すぐに門があらわれた。門柱の上には角灯が光る。車はその門から敷地へと入った。
絵里と黒田がおろされたのは二階建ての洋館の前だった。
洋館は白い石造りで、軒下には浮彫が施され、一階には四角、二階にはアーチ状の窓が並んでいる。横幅は音ノ木坂学院の講堂ほどもあるだろうか。
二階建てとはいっても普通のビルの三階以上の高さはありそうだった。
なんていうか……馬車が似合いそうな建物ね。絵里はすこし呆然としながら見上げた。
「うん、ありがとう。おそらく九時ごろになると思う。また連絡する」
運転手との会話を終えた黒田が絵里の横に立った。
黒田のディナージャケットは彼の長身にぴたりとあい、一分の隙もなかった。ともすれば
まあ、一般的にはこういうのが格好いい、っていうのかもしれないわね。絵里は思った。
「……例の社長の趣味でね。こういう場所を選んだってわけさ」黒田は肩をすくめる。「そもそもこっちは裏側だ。さっさと入ろう」
「……え、ええ。そうね」
絵里は黒田のあとについて玄関からなかへ進んだ。
洋館の内部は漆喰の白い壁と磨き上げられた木の床が鮮やかなコントラストを見せていた。入ってすぐ左は受付で、黒田はいくつか会話を交わしてから進んだ。
その先は吹き抜けの大きなホールだった。右手には濃い茶色の木製の階段があり、ギリシア風の化粧柱がその左右に立っていた。
またホールの正面と左手にはそれぞれ部屋があるようだった。
凛なら喜んで滑りおりそうだわ。絵里はつややかに光る手すりを見て笑みを浮かべた。
黒田はそちらではなく左手に迷わず進んでいく。
「黒田さん、ここ、来たことあるわけ?」
「ああ、二度ほどね。……どちらもうちの主催じゃないよ。わざわざこんなところでやって、金をかけるのは馬鹿げてるからね」
私の衣装はどうなのかしら、と絵里は思う。
そもそも、会社のお金なのかしら。それとも黒田さんのポケットマネー? まあ、私の知ったことじゃないけど……。
「それと、ここでは名前で呼びなさい」
「わかったわ……
よろしいというように、黒田はうなずく。
その先にはふたつの扉が並んでいた。
「左側が控室だ。着替えられるから、行ってくるといい」
黒田はそういってさっさと右側の扉から入っていった。絵里はもう片方の扉からなかへ入った。
控室には、
絵里は箱からドレスを取り出した。ため息をつく。大げさだと思ったけど……この場所なら、ふさわしいかもしれないわね。
覚悟を決めて着替えを開始した。
いったん下着姿になり、ペチコート、ドレスを着る。バッグから化粧品を取り出してメイクし、トワレを軽くつける。そして青い石のついた銀色のイヤリングと、幾何学的なモチーフに複数の透明な石があしらわれた同じく銀色のネックレスを身に着けた。
鏡の前に立ってみる。
ドレスはシンプルなラインで、光沢のあるペールブルーの生地だった。袖なしで襟ぐりは深く、胸下からウエストにかけては金糸の入った同色のレースで飾られている。スカートはふわりと広がり、
上品な青色は、絵里の金髪と碧眼、そして首元と肩からのぞく白い肌に、よく映えていた。
絵里はなぜか恥ずかしくなり、ほんのりと頬を赤らめた。
「お荷物はクロークでお預かりいたします。お名前をお伺いしてよろしいですか」
背後からの声に絵里は我に返った。さきほどの女性だった。
「……絢瀬です。よろしくお願いします」
「ウェイティングルームはあちらになります」
女性は絵里が入ってきたのとは別の扉を示した。さきほど黒田が先に行った部屋に通じているようだ。
クラッチバッグだけを手に絵里は次の部屋に進もうとして――扉の前で深呼吸し、背筋を伸ばした。
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扉を開けると、そこは一転して華やかな部屋だった。天井からはシャンデリアが下がり、カーテンや調度は山吹色で統一されている。壁際にはソファ、それに向き合うようにテーブルと椅子が置かれている。カーペットも同系色だ。
さきほどの女性がいっていたように、会場が開くまでのウェイティングルームとして用意されたらしい。絵里が着替えいてるあいだに会場は開いたのか、室内はすでに空になっていた。
ひとり待っていた黒田が絵里に近付く。
「ほう、よく似合ってる」
黒田は単に感想を述べただけ、というように感慨を込めずにいった。
「……ありがとう」
絵里もすました顔で答える。
「うん、これなら申し分ない。行こう」
絵里は黒田の横についた。
「オムニア、アメジストだな。悪くない」
絵里はあえて送られてきたトワレは止めて自分で選んだものを付けてきていた。ぴたりといい当てられて鼻白む。もう、なんなのよ。こいつは。
ホールから見て右手、控室とは反対側にある部屋が会場だった。扉はすでに開いている。黒田はそちらへ進んだ。
その部屋はいままでとはまた違った雰囲気を帯びていた。
壁は濃い茶色の木製で窓枠も同様だった。窓は床までの高さで、開ければ外に出られるようになってるらしい。その窓にはドレープの付いたカーテンが――いまはタッセルで留められ外が見えるようになっている――かかっている。一層高い天井からはいくつもの
パーティは立食形式のようで、フラワーアレンジメントの飾られたテーブルがいくつも並んでいた。白い食器に銀のカトラリーが輝く。また、部屋の右手奥には料理の並んだテーブルがあった。
この前の会場も豪華だったけど……今回は、なんというか、方向性が違うわね。
室内にはディナージャケットとイブニングドレスの男女が数十人、パーティが始まるのを待っていた。
新しく入ってきたふたりに視線が集まる。黒田がそうなるのは当然なのかもしれないが――絵里は自分にも注目が集まっているのを感じた。
黒田はそのうちのふたりに近付いた。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
にこやかに微笑みかける。
「ああ、黒田さん、わざわざすみませんね」
初老で白髪交じり、小太りの男性が答えた。おそらく主催者だろうと絵里は思う。
「
「いやいや、とんでもない。黒田さんに来ていただけて、光栄ですよ。……それで、そちらの方は?」
「ご紹介が遅れてすみません。弊社の絢瀬です。絵里、こちら朋栄ソフトの深田さんご夫妻だ」
「絢瀬です。よろしくお願いいたします」絵里は優雅に上半身を傾けた。「この建物、とても素敵で……見学して回りたいくらいです」
「ああ、そうでしょう。私も一目見て、気に入りましてね。記念のイベントには、ここを借りてるんですよ」
深田と紹介された男は上機嫌で笑った。
「まったく、素晴らしいですね」黒田も微笑む。「ああ、そろそろお譲りしたほうが、いいようです……」
黒田は次の来客に軽く挨拶して深田夫妻の前から離れた。
「絵里、上出来だが……やりすぎるなよ」
「わかってるわ」
にこにこ笑っていればいい、ってわけね。まあ、そのほうが気楽だわ。
開始の時間が迫ってきたのか部屋の人口密度が上がってきた。それでも前回のパーティよりはこじんまりとしたものになりそうだった。
黒田はときおり来客たちと言葉を交わしている。
そのとき入り口から真っ赤なイブニングドレスのひとりの女性があらわれた。前回のパーティにいた岡本だった。
彼女は黒田に気付き、ゆったりとした歩調で近付いてくる。あと数歩というところで絵里にも気付いたようだった。表情が硬くなり目がすっと細められる。
「こんばんは、黒田さん」
「こんばんは、お世話になります」
黒田は丁寧に礼をした。岡本は絵里には視線を送らず、完全に無視を決め込んでいる。
「……サイドグラム、また性能問題が出てたみたいだけど、どうかしら。解決した?」
「ええ、うちのスタッフは有能ですからね。当分は大丈夫ですよ」
「あら、当分ってことは、そのうち危なくなるのかしら?」
岡本は唇の端を上げてみせる。
「……スクールアイドルブームは、予想できませんからね」
黒田は苦笑しながら肩をすくめた。絵里は眉がわずかにひそめられたのを見たような気がしたが、次の瞬間には、その気配は微塵も残っていなかった。
「まあ、そういうことにしておきましょ。それでは、また」
「失礼します」
黒田は岡本に背を向けた。かすかに首を振る。
絵里はなにか声をかけるべきか考えたが、黙っていることにした。まあ、おふたりのあいだの、問題よね。
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社長の深田のスピーチは長かった。内容は会社の歴史についてで――絵里はまったく興味をひかれなかった。あくびをかみ殺して待つ。
とはいえ、ようやくそれも終わったようだった。
「乾杯の音頭を取らせていただきます。乾杯!」
絵里は右手のグラスを掲げた。会場にほっとしたような空気が流れた。
それからのパーティは前回と似たようなものだった。黒田は来客たちと会話を――ほとんどは仕事に関するものだった――続け、絵里はそれについて回った。
もうすこし楽しい話題ならいいんだけど……。そうは思いながらも、これも廃校阻止のため、と極力笑みを絶やさないように努力した。まったく、我ながら見上げたものよね。
やがて会話が途切れ黒田が聞く。
「絵里、疲れたかい?」
「あ……いえ、平気よ」
そうはいったものの、さすがに表情に出ていたのだろうか。スクールアイドルの練習のおかげか体力的には問題なさそうだったが――。
「……ちょっと外に出るか」
「あら、いいの?」
「私も疲れたよ。それに、ほら」
たしかに部屋で立ち話やしている客は減り、壁際の椅子がかなりうまっていた。
黒田は一番端の窓へ――そこだけ前に椅子もテーブルも置かれていない――近付いて引き開けた。
外に出るとそこは半円形のバルコニーになっていた。アーチ状の柱が天井を支えている。さわやかな夜風が抜けていった。絵里は思いのほか体が火照っていたことに気付いた。
わきを見ると黒田は思い切り伸びをしていた。絵里はくすりと笑った。
バルコニーからは前の庭に階段でおりられるようだ。庭は芝生敷きで、中央に丸い噴水がある。噴水はどこからかの光で明るく輝いていた。その先には広い日本庭園があるようだった。そちらも何か所かライトアップされている。
庭に出ても大丈夫よね。絵里はスカートを引っかけないよう注意して階段を下りた。
噴水まで行って水に触れてみる。水は冷たくて心地よかった。
洋館を振り返ると一階と二階、それぞれの窓からオレンジ色の光が漏れていた。バルコニーの柱が影になり美しい陰影を見せている。
黒田さんが、さっき裏側だっていった理由がわかったわ。こっちのほうがずっと素敵。
そうね、PVとか撮影したら、人気が出るんじゃないかしら。そう思って絵里はふたたび笑みを浮かべた。
バルコニーからは、逆光で表情はわからないが黒田が絵里のほうを見ているようだった。
絵里はもうすこし新鮮な空気を味わってから、バルコニーへ戻った。
「多少すっきりしたかい」
「ええ、おかげさまで」
「あと半分、というところかな。頼むよ」
「はいはい」
ふたりは室内に戻った。