つま先立ちのアクトレス ~ Story of Eli 作:Kohya S.
ランチタイムのライブの数日前、ジーラスシステムズの専務室。
黒田はスマートフォンを耳から離し絵里との電話を切った。その顔には笑みが浮かんでいた。
絢瀬君がスクールアイドル、とはね。どういう風の吹き回しだか……。
この専務室に来たとき、そしてパーティ会場での絵里は、まずまず大人っぽく振る舞っていた。ただ、
スクールアイドル……歌って踊る、ってやつか。
絵里が可愛らしい衣装、振り付けでステージを飛び回るのは、どうにも想像できないのだった。
黒田は内線電話を手に取った。
「荒井さん、まだ大丈夫かな」
ほどなくして荒井があらわれる。
「定時後にすまないね。……どうも、音ノ木坂学院のスクールアイドルグループが、来週水曜日の昼、ライブをやるらしい。どこでやるか、調べてもらえるとありがたい」
「了解しました。明日まででよろしいですか」
「うん、それで頼む」
荒井は一礼して去った。
翌日、荒井から報告があった。学院のグループの名前は「μ's」で、ライブは御茶ノ水駅に近い複合施設でおこなわれるとのことだった。時刻は十二時から午後一時。グループの演奏順からして十二時半くらいになるらしい。水曜日の食事会の予定はちょうど一時からだった。
ふむ、神楽坂に近いな。この時間なら見られるかもしれん……。
音ノ木坂学院のグループはともかく、絵里には――どういった格好でどう踊るのか――興味があった。それに、あとから絵里に話したときに、どんな顔をするのかも――。
黒田はにやりと笑った。
・
ライブの当日。黒田は運転手にいって車を複合施設に回した。車は屋内の駐車場に止まった。
「すぐに戻る」
黒田はそういってライブの会場へ向かった。駐車場から続く通路を抜けると、吹き抜け状の空間に出た。ガラス張りで開放感がある。
外はうだるような暑さだったが屋内は冷房が効いており、ダークスーツの黒田にはありがたかった。
早速、ジャズらしい演奏の音が聞こえてきた。ひとつ上のフロアらしい。黒田は階段を上った。
そこはちょっとした広場になっていた。一角にすこし高くなったステージがあり、その周りに人垣ができている。黒田は人垣の一番端、ステージを斜めに見る場所へ立った。
数人のグループの演奏が終わり拍手が上がった。
「ありがとうございました。続きましては……」
アナウンサーがμ'sの名前を告げた。ちょうど良いタイミングだったな、と思う。
女の子たちが走り出てきた。全員で九人いる。スクールアイドルグループとしてはかなり多いほうだろう。黄色いパイピングの施された赤いジャケットとベスト、白いミニスカートいう格好だった。襟もとには赤い蝶ネクタイ。
真ん中の明るいオレンジ色がかった髪の女の子が、ぴょこんと礼をしてから話し始めた。
「えっと、突然すみません……」
絵里は、とみると高坂と名乗ったその子の向かって左にいた。まっすぐに前を見て頬をすこし上気させている。
ほう、なかなか似合ってるじゃないか。
高坂が挨拶を終えると曲が流れ始めた。聞き覚えのない曲だった。どうやらオリジナルらしい。全員が踊りはじめる。
意外にも歌と曲、踊り、いずれもレベルは高かった。遊びではなく本気だ、ということが伝わってくる。スクールアイドルにはあまり興味がない黒田だったが、これが標準とはとても思えなかった。
特に絵里は――九人のなかでも、ひときわダンスに切れがあるように見えた。そういえばパーティのときの立居振る舞いも、妙に堂に入っていたことを思い出す。
ソロパートを歌うときの歌唱もたいしたものだった。
衣装も凝っていて、よく見るとメンバーによって何種類かのバリエーションがあるようだった。
次の曲も聞き覚えはなかった。さきほどの元気一杯な曲から今度はすこし落ち着いた曲だったが、やはり夢と希望にあふれていた。
やがて九人は歌い終え、ステージ上で礼をした。会場から大きな拍手が上がり、黒田も加わった。
ステージ裏に下がっていくメンバーたちは笑い合い、喜んでいて、そうしていると年相応に幼く見えるのが面白かった。
黒田の唇にはいつの間にか笑みが浮かんでいた。黒田は
音ノ木坂学院のμ's、か。もしかすると、廃校の
そして、絵里の姿を思い出す。
絢瀬君、急に部活を始めたというから、なにかと思っていたが……。なかなかどうして、たいしたものじゃないか。それに、どう見ても本気だ。
その姿は、絵里を利用しようとした彼の心に
・
複合施設を出て、黒田を乗せた車は神楽坂の早稲田通りから細い脇道に入った。すこし進んでから黒田を下ろす。
黒田はそこからさらに石畳の路地を歩く。路地は両側に白い壁が続いていた。すぐに格子戸、銅板葺きの屋根の門があらわれる。そこが今日の接待の舞台の料亭だった。
黒田は門をくぐった。十二畳ほどの座敷に案内される。
「やあ、黒田君」
そこにはすでに
「遅くなりました」
時刻は一時に近い。
床の間には掛け軸がかかり、
すぐに外人の男女、それに日本人の男女が案内されてきた。アロガンテックのグールド夫妻と山根夫妻だった。
「
グールドは膝を折り正座して深く頭を下げた。黒田たちもそれにならう。
今回は来日した夫妻のたっての希望で、料亭で昼食をともにすることになったのだった。
どうも日本かぶれ的なとこがあるからな、グールド氏は……。
全員が席につくとほどなくして料理が運ばれてきた。
「
「
「
グールドは首を振った。
うん、確かに残念だ、と黒田は思う。どうせだから、和服でも着せてやろうかと思っていたんだが……。いや、かわりに面白いものが見れたから、よしとするか。
食事は美味だった。グールド夫妻も満足したようだった。
さて、これからが本番だぞ。水菓子――柑橘のゼリーだった――を食べながら黒田は思った。これからジーラスの本社に場所を移して、業務提携のための最終調整をおこなうことになっていた。
「
グールドも意識したのかジーラスの話題になる。
「
榛沢が照れたようにいった。
「
「
さすがによく見ているな、と黒田は思う。
これまでの協議で、だいたいのところは決まっているし、エンシュアルの評判もよさそうだ。なによりサイドグラムが落ち着いたのが大きいな。このぶんならうまくいくだろう……。
「
「
黒田は笑って答えた。
「
榛沢も笑う。
「
グールドは大げさに肩をすくめてみせた。
・
その日の夜。黒田は自宅で一息ついていた。無事に業務提携の交渉は終わり、近日中に正式に締結することになった。ジンのオンザロックを傾ける。
そういえば……と思ってノートPCを立ち上げる。
μ'sについて検索してみると、サイドグラムを始めとしていくつものサイトがヒットした。
まずサイドグラムで確認すると、どうやら中堅どころといった位置らしい。それでも急速に人気を上げているようだった。
そこにはいくつかの動画へのリンクも張られていた。絵里が加わってからのものも、それ以前のものもあった。ひとつずつ再生してみると歌も踊りも急速によくなってるのがわかった。
ほう、たいしたものだな。これだけの期間で、ここまでレベルを上げるとは……。
ただひとつ、すべての動画で変わらないのは――彼女たちがまっすぐに取り組んでいること、心から楽しんでいること、そしてそこに元気を与えてくれるなにかがあること、だった。
ノートPCの小さなウィンドウからでも彼女たちのひたむきな想いが伝わってくるのだった。
次にメンバーが運営しているらしいブログを開いてみる。
今日のライブについての記事もすでに公開されていた。アップロードされたステージの写真には絵里も写っていて――輝くような笑顔を浮かべていた。
そういえばステージではこんな顔だったな、と思う。それは絵里の意外な側面を――大人ぶるのではなく、素直でまっすぐな絵里をあらわしているように思えた。
パーティで絵里が笑顔を浮かべることはあったが、それは常に硬いものだったり、すましたものだったりで、心の底からのそれを黒田は見たことがなかった。
うん、いつかこの笑顔を見てやろうじゃないか……。
黒田は笑みを浮かべた。その笑みは決して冷たいものではなく、どこか温かみを帯びていた。
・
九月に入り音ノ木坂学院は新学期を迎えたはずだった。次の理事会の予定も近付いていた。
黒田は荒井に命じて学校機構の東京地区担当者との面談を取り付けていた。
約束の日、黒田は社用車を自分で運転し機構へ向かった。
機構は都心ではなく東京の西のほうに位置していた。首都高速から中央道に入り一時間ほど。機構の本部は緑の多い住宅街のなかにあった。
いかにもお役所らしい三階建てのシンプルなビル。その前の駐車場に黒田は車を止めた。
受付で担当者の名前を出すと近くの応接室に案内された。硬いソファに座ってしばらく待つ。
「お待たせしました」
やがて中背で小太りの中年男性があらわれた。
黒田は立ち上がり頭を下げた。
「突然、押しかけてしまい、申し訳ありません。ジーラスシステムズ、黒田と申します」
名刺を交換する。
「どうぞ、おかけになってください」と担当者。
「失礼いたします」
女性職員がお茶を持ってきた。それは薄くあまりおいしくはなかった。
「こちら、つまらないものですが……」
黒田は笑顔とともに、荒井に用意させた菓子の詰め合わせ――秋葉原近くの
「はあ、ありがとうございます。……ところで、今回のお話ですが」
「はい、単刀直入に申し上げますと……音ノ木坂学院の廃校の件です。どのような状況になっているのか、お伺いしたいと思いまして……。今回、お邪魔させていただいた次第です」
「はあ、その件ですか……。なにぶん、予算も限られておりますので、統廃合を進めざるを得ないのが、現実なんですよね」
「来年度の入学希望者についてのアンケートは、届いているかと思いますが」
「はい、受け取りました。たしかにそれなりの生徒は、見込めると考えております。ただ、ほかの学校もありますので、今の時点ではなんとも……」
「廃校になるかどうかわからない、と」
「はあ、音ノ木坂学院だけ優先することは、できかねるわけでして……」
担当者は下を向いた。
やはりまだ決まっていない、ということか。となると、望みはあるか……。
黒田はソファに座りなおした。
「弊社は秋葉原に本社を置いており、地元への貢献として、数年前から学院の理事をつとめさせていただいております。……スクールアイドルはご存知でしょうか?」
担当者は突然の話題の変更に戸惑ったようだ。
「はあ。知っております。部活のひとつですね。なかなか盛り上がっているようですが……」
「弊社はスクールアイドルに関連した事業をおこなっております」
「はあ」
話の行方が見えないのか担当者はあいまいにうなずいた。
「実は、音ノ木坂学院のグループがそれなりに人気を博していまして……。弊社としても学院が廃校になるのは、地域貢献と事業、双方の面からたいへん都合が悪いのです……」
黒田は困ったことだというように首を振ってみせた。
「どうでしょうか、廃校について、ご一考いただけませんでしょうか」
「はあ、そういわれましても、私の一存ではなんとも……」
担当者はどこからか取り出したハンカチでしきりに汗をぬぐった。
黒田はお茶を一口、飲んでから続ける。
「……機構では寄付を募集していらっしゃいますね」
「はい、いつでも受け付けております」
担当者は目をぱちぱちとさせた。
「弊社といたしましても、節税対策としてさまざまな団体に寄付をおこなっております。当然、機構もその候補のひとつとなります」
「あー、それは願ってもないことですが……」
「今年度の使途はほぼ決定しているのですが……もし、ご一考いただけるなら、こちらとしても再検討したいと考えております」
「えー、そうですね」
ふたたび汗をぬぐう男。
「……いかがでしょうか」
黒田は唇の端に笑みを浮かべて、担当者をじっと見つめる
「……えー、上にかけあってみます」
「ありがとうございます」
黒田は深々と頭を下げた。
「はあ、いえ、なにもお約束はできませんが……」
「いえ、ご検討いただくだけで十分です。……今回はお時間を取っていただき、ありがとうございました」
黒田は立ち上がった。担当者もあわてて立ち上がる。
担当者は玄関までついてきた。
「それでは、よい知らせをお待ちしております」
黒田はもう一度お辞儀をしてから機構を出た。
都心に戻るために車を走らせながら黒田は考える。
さて、榛沢さんの肝いりもあったし、このくらいのことはしてもいいだろう。多少は力になれたかどうか……まあ、自己満足だな。これでどう転ぶかは、μ's次第、というところか……。
英語は雰囲気です。