つま先立ちのアクトレス ~ Story of Eli 作:Kohya S.
夏休みが明けて音ノ木坂学院は二学期に入った。
μ'sの人気はその後も上昇傾向でランキングも順調に上がっていた。「ラブライブ!」への出場も夢ではないとメンバーたちはより一層、練習にはげんだ。
そんななか目の前に迫った一大イベントが学園祭だった。μ'sも当然、ライブをおこなう予定だった。
残念ながら講堂はくじ引きで他の部活が使うことになったため、μ'sは屋上をライブの会場に選んだ。
・
学園祭当日。天気は朝からあいにくの雨だった。
昼を過ぎてメンバーは部室に集合した。この日のために用意したステージ衣装に着替える。
「ぜんぜん弱くならないわね」
絵里は部室の窓から空を見上げた。
ライブの予定時刻が近付いても雨は弱くなる気配を見せなかった。
「ていうか、さっきより強くなってない?」
にこが嘆く。
メンバーたちは不安そうに顔を見あわせた。
「やろう!」
沈黙を破って穂乃果がいった。
「せっかくの学園祭だもん、やりたいよ、私」
「穂乃果……」
絵里にも穂乃果の気持ちは痛いほどわかった。ここまで練習してきた成果が無駄になるのは忍びない。
それはメンバー全員、同じ気持ちだったのだろう。確認するようにうなずきあった。
ただ――絵里は穂乃果の態度に違和感を感じてもいた。登校してきたのはライブ直前のようだったし、顔色も優れなかったように思う。
ちらりと穂乃果を眺める。今はライブを直前に控えてか張り詰めた顔をしていた。
なんとか大丈夫そうね。絵里は内心の不安を押し殺した。
絵里たちは時間にあわせて屋上へ移動した。仮設ステージの裏で待機する。
絵里はすでに馴染みになりつつある緊張感を覚えた。しかし今回のそれは前回と異なり、心地よいものではなかった。雨でぬれたステージ、そしてどこか気掛かりな穂乃果。
なにもなければいいんだけど……。場合によっては、途中で切り上げたほうがよさそうね。
「それではμ'sの学園祭限定ライブ、スタートです!」
穂乃果のクラスメイトがアナウンスする。彼女たちはいつもライブのたびに協力してくれていた。
絵里たちはステージに走り出た。屋上には悪天候ながらかなりの観客が来ていた。色とりどりの傘の花が咲いている。
左右に広がりいったん客たちに背を向ける。
短いイントロのあと絵里たちは歌い始めた。ステップを踏みながら徐々に中央に集まり、くるっと正面を向く。そして全員で手をつないで大きくジャンプ。
学園祭のために作った新曲「No Brand Girls」だった。
今までのどの曲よりもハイテンポなロックナンバーで、自分たちで考えた振り付けもサビ以外は各員でそれぞれ異なる。難易度は高かった。
絵里は、そしてメンバーたちは滑りやすいステージの上、懸命に歌い、踊った。
なんとか無事に歌い終えて全員で最後の決めポーズを取った。スポットライトが落とされ、仮設ステージの幕を背景にメンバーのシルエットが浮かびあがった。
観客から拍手がわき起こる。
よかった、なんとかなったみたいね。ほっと胸をなでおろす絵里。
しかし、そこで悲劇は起こった。
絵里のすぐ右にいた穂乃果が突然、倒れたのだった。
「穂乃果、大丈夫?」
絵里は穂乃果の肩に手をかけて呼びかける。しかし穂乃果からの返事はなかった。ほかのメンバーも駆け寄ってくる。
「次の曲……を……」
穂乃果はつぶやいた。かろうじて意識はあるようだったが、絵里の手に伝わる熱さは、穂乃果が高熱を出していることを告げていた。
海未とことりが穂乃果を助け起こす。
「すみません、メンバーにアクシデントがありました。少々お待ちください」
絵里は観客たちに不安を与えないようアナウンスした。
海未とことりが穂乃果を保健室に連れていく。
残りのメンバーは顔を見あわせた。雨は容赦なく降り続き、髪から、腕から
「これは、中止にするしかないわ」
絵里はいった。悔しそうな顔、悲しそうな顔――しかし誰も反論はしなかった。
絵里はマイクを戻しふたたびアナウンスした。
「……申し訳ありません。この雨のため、メンバーのひとりが、足を滑らせてしまったようです。お集まりいただいた皆さんには、たいへん申し訳ありませんが……」
観客が去り始めるなか、最後に深くお辞儀をしてから絵里たちはステージを下りた。
・
穂乃果はそのあと学院の先生が出した車で病院へ連れていかれた。診察の結果は風邪で、今は熱は高いもののしばらく安静にしていれば治るだろうとのことだった。
その結果を聞いてメンバーはひとまず安心し、その日は解散した。
翌々日、月曜日の放課後。穂乃果を除いたメンバーは部室に集まった。みな暗い表情だった。
「私が悪かったのよ。くじ引きで講堂が取れなかったから」
部長としてくじを引いたにこがいった。
「いいえ、穂乃果はいつもあの調子ですから……。たとえ講堂でも、結果は同じでしたよ」と海未。
「それは、そうかもしれないけど……」
「穂乃果ちゃん、ラブライブ出場できそう、って、ずーっとがんばってたもんね」
花陽が漏らした。
「わたし、穂乃果ちゃんがちょっとやりすぎてるな、って思ってたんだけど……。でも、止められませんでした……」
ことりが目を落とす。一粒の涙が目の端に光っていた。海未が優しくことりの肩を抱いた。
「凛も、一緒に盛り上がっちゃって……」
「仕方ないわよ、学園祭で、みんなお祭り気分だったから……」
凛と真姫も悔しそうに話した。
「穂乃果ちゃん、いろいろ無理してたんやね」と希。「そして、うちらはそれに気づいてあげられなかったんや」
重苦しい沈黙が流れる。
絵里は悩んだ。
部活動として参加した学園祭であんなトラブルを起こしてしまったのは、ひとつの部としては由々しき事態だった。
また、穂乃果があそこまで無理をしてしまったこと、それに気付けなかったこと、穂乃果を止められなかったことは、メンバー全員の責任なのだろうと思う。
決着をつけるには、どうしたらいいのかしら……。
しばらく考えてから――絵里は静かにいった。
「残念だけど……ラブライブは、辞退しましょう」
「そんな、ここまでがんばってきたのに……」
にこが立ち上がって訴える。
「もうすぐそこなのよ、見えてるのよ!」
「ニコちゃん……」
花陽はにこを見上げる。
「でも……あんなことになったのは……うちらのせいなんよ」
希がぽつりぽつりといった。
「それは……私だって、感じてるわよ……」
にこはすとんと腰を下ろす。
「仕方ないのかもしれませんね」と海未。
「残念だけど……」
「そのほうがいいと思う」
「私も」
一年生の三人がうなだれる。
ことりは無言でうなずいた。
「それじゃ……穂乃果が回復して、会えるようになったら……話しましょう」
絵里の言葉に全員が同意したのだった。
絵里は心苦しかったが――ここで無理をしても決していい結果にはならない、そう感じていた。もし穂乃果がこのまま突っ走ったら、いつかもっと悪いことが起きそうな気がしていた。
もし、穂乃果が自分をかえりみるようなことがあれば――ここでラブライブに出場できないとしても、別の道が開ける。そう思ったのだった。
・
数日後、μ'sのメンバー全員で穂乃果の自宅まで見舞いにいった。穂乃果の母によると、彼女は起き上がれるくらいまで回復しているとのことだった。二年生のふたりと、三年生の三人が部屋まで上がらせてもらう。
「穂乃果」
「あ、海未ちゃん、ことりちゃん」
海未の呼びかけに、ベッドの上の穂乃果は顔を上げた。
「よかった、起きられるようになったんだ」とことり。
「うん、風邪だからプリン三個、食べてもいいって」
穂乃果は思いのほか元気そうで、絵里はすこしほっとした。
「心配して損したわ」そう茶化すようにいう。
「お母さんのいう通りやね」
希がうなずいた。
「それで、足のほうはどうなの?」
にこが気遣わしげに聞いた。
「うん、軽くくじいただけだから、腫れが引いたら大丈夫だって。……本当に、今回はごめんね。せっかく、最高のライブになりそうだったのに……」
「穂乃果のせいじゃないわ、私たちのせい」
絵里は首を振った。
「でも……」
「はい。……真姫がピアノでリラックスできる曲を弾いてくれたわ。これ聴いてゆっくり休んで」
絵里はCDを手渡した。
「わあ……」穂乃果は起き上がり窓から顔を乗り出した。「真姫ちゃん、ありがとう!」
そういって路上の一年生組に声をかける。
「なにやってんの」
「あんた風邪ひいてんのよ」
絵里とにこは、あわてて穂乃果を引き戻した。
「ほら、病み上がりなんだから無理しないで」
海未が上着をかけた。
「ありがとう。でも、明日には学校行けると思うんだ」
穂乃果は全員を見渡すようにいった。
「だからね、短いのでいいからもう一度ライブできないかなって。ほら、ラブライブ出場グループ決定まで、あとすこしあるでしょ。なんていうか、埋め合わせっていうか、なんかできないかなって」
穂乃果の反省と空元気は残りの全員に伝わってきた。沈鬱な雰囲気がその場をおおう。
そんな穂乃果に事実を告げるのは心苦しかったが――絵里は覚悟を決めた。まっすぐに彼女を見つめる。
「穂乃果。……ラブライブには出場しません」
「えっ」驚く穂乃果。
「……理事長にもいわれたの。無理しすぎたんじゃないかって。こういう結果を招くために、アイドル活動をしていたのかって。……それで、みんなで相談して、エントリーを
「……そんな」
「私たちがいけなかったんです。穂乃果に無理をさせたから……」海未が静かにいった。
「ううん、違う。私が、調子に乗って……」
「穂乃果ちゃん……」
押し黙ってしまった穂乃果に、ことりが思わずいう。
「誰が悪いなんて話してもしょうがないでしょ」
絵里はベッドに座った。
「あれは全員の責任よ。体調管理をおこたって、無理をした穂乃果も悪いけど、それに気付かなかった私たちも悪い」
「絵里ちのいう通りやね」
希の言葉に全員が黙り込んだ。
明らかに落胆したようすの穂乃果を見て絵里の心は痛んだ。ただ、それ以上、穂乃果にかける言葉は見当たらなかった。
「それじゃ、すっかり良くなるまでは、無理しないでね」
「……ありがと、みんな」
絵里は後ろ髪を引かれる思いで穂乃果の部屋をあとにした。
・
翌日には穂乃果は学院へ復帰した。表面上は明るく振る舞っていたが、その実、深く落ち込んでいるのは絵里の目には明らかだった。
μ'sは練習を再開したもののラブライブという目標がなくなったこともあり、どうしてもモチベーションは上がらないのだった。
ある日の夕方。生徒会室。
生徒会の役員の任期切れが近付いて、絵里は希とともに遅くまで書類の整理を続けていた。今月末には新生徒会役員の選挙――立候補者が複数いれば――が予定されている。
絵里には新しい生徒会長についてひそかに考えていたことがあったのだが、このところの情勢で、どうもそれは微妙になりつつあった。
廃校についても、まだ結論、出てないし……と思う。
ようやく区切りがついて絵里と希は生徒会室を出た。
ふたりで一緒に帰路につく。九月になり、日が落ちたあとは多少涼しさが感じられるようになっていた。
「それでね、絵里ち……」
絵里の鞄から着信音が鳴った。
「あら、電話だわ。ごめんなさい、希」
絵里はスマートフォンを取り出した。黒田からだった。すぐに夏休みのライブのことが思い出されて、微妙な顔になる。
絵里は希に目であやまると、数歩離れてから希に背を向けて受話ボタンをタップした。
「絢瀬です」
『絢瀬君。元気だったかな?』
「ええ、元気よ」
『それはよかった。いま、大丈夫かね?』
「忙しいんだけど……すこしだけなら。手短にお願いするわ」
ちらっと希のほうを見る。
『そうか。実は、重要な話があるんだ。明日の夕方にでも、会社に来てもらえるかね』
今日のμ'sの練習は、絵里と希が休みということで中止になってしまった。明日はそのぶんも出席したい――しかし、重要な話というのが気になった。
「すこし遅くなるかもしれないけど、行けるわ」
『部活かい?』
「ええ、そうよ。……ていうか、あなたには関係ないでしょ」
黒田は笑ったようだった。なによ、もう。
『たしかにそうだ。それでは、待ってるよ』
「わかったわ」
黒田は電話を切った。
絵里は希のところに戻る。
「ごめんね。その、お友達からで……」
「ええよ」
希はにっこりと笑った。
そのあとふたりは無言で歩いた。
絵里は心は黒田のいったことに流れていった。
重要なこと、ってなにかしら。まさか廃校が決まったとか……。それとも、またパーティ? でも、それならもったいぶらないわよね……。
やきもきした気持ちは明日まで続きそうだった。