つま先立ちのアクトレス ~ Story of Eli 作:Kohya S.
九月の初旬、学園祭のころ。黒田は
「……どうだろう、なかなか良さそうだと思わないかい?」
ホワイトボードを前に榛沢が目を輝かせた。黒田と中西は打ち合わせ用の椅子に座っている。
「そうですね……。基本的な部分は、実現できそうです」
黒田はうなずきながらいった。
黒田と中西は突然、榛沢に呼ばれていた。会社の創業当初からよくあることで、榛沢はなにか新しいことを思いつくとすぐにふたりに相談するのだった。
榛沢のアイデアは突拍子もないことも多く、それが使い物になるのか、技術的に可能なのか、検証するのは黒田と中西の役割だった。
そのほとんどが、実際には不可能なもの、どうやって収益を上げるのかわからないものばかりだったが、まれに宝石の原石のようなものがあって――サイドグラムもエンシュアルもそうして生まれたのだった。
さて、今回はどうだろうな……。黒田は思う。
ひとつずつの要素はありきたりだが、組み合わせは……面白いかもしれないな。ただ、もし実現するとなると、相当なリソースが必要になるが……。
考え込む黒田を横目に中西が発言した。
「うーん、どうでしょう……。お話は面白いですが、実現するの、厳しいんじゃないでしょうか」
「ええ、どうしてだい、中西君」と榛沢。
「これだけのシステムを作るには、かなりの初期投資が必要ですよ。それに、ランニングコストも高くつきます」
「うーん、なるほど……。黒田君はどう思う?」
「そうですね……」
黒田は腕組みをした。しばらくしてから口を開く。
「基本的には中西がいう通りだと思います」
そうはいっても……否定するだけではなく、代替案を考えて提案するのが優れた技術者だろう、と思う。
「そうか……」
榛沢は目に見えて落胆した。まるで先生に答えが間違っているといわれた子供のようだった。
黒田は立ち上がりホワイトボードに近付く。
社長室は基本的には専務室と同じ大きさ、同じデザインで、そもそもビルの同じフロアに線対照で配置されていた。違うのは大きなホワイトボードが鎮座していることくらいだった。
「だから……この部分は最初は諦めませんか。コミュニケーションの要素をすこし削れば、だいぶ軽くなります」
「うーん、ちょっと残念だけど……それなら行けそうかな?」
「大丈夫ですかね、それでもかなりの機能、ありますけど」と疑わしそうな中西。
「ここをなくすと、ほかの部分の独立性が高くなります。それぞれ処理できるようになるので……リソースは当初から現実的な範囲に収まるはずです」
黒田は椅子に座り直した。榛沢の顔が明るくなる。
「じゃ、そこはコア機能から外して、あとから作ろうか。……どうだろう、ビジネスプランの検討と、技術的なフィージビリティスタディ、始めてもらえるかな」
「そうですね……」
黒田が、都合をつけてみますと発言しようとしたとき、中西がきっと黒田をにらんだ。すぐに榛沢へ向き直る。
「私は、難しいと思います」
「ええ、どうしてだい、中西君」と榛沢。
「実現可能性はともかく、うちの会社はサイドグラムと……ほかのサービスで手一杯です。新しいサービスに手を出す余裕なんか、とてもありませんよ」
「しかし、みすみす見送るのは惜しい。検討くらいなら、いいと思うがね。サイドグラムも落ち着いただろう」
黒田はそういいつつ椅子に背をもたせかける。
「そんな……実運用していると、他にもいろいろ、あるんですよ」
中西は床を見ながら続けた。
「……いつも黒田さんはそうなんです。面白そうな新しいサービスに熱中して……派手な宣伝に飛び回って……あとは私とか、ほかのメンバーに押し付けるんだ」
「いや、そういうつもりはないが……」
「実際にそうなんです。……とにかく私は反対です。失礼します」
中西は勢いよく立ち上がると扉を開けて部屋を出ていった。
しばらくのあいだ社長室に沈黙が流れた。
「……すみません、私が怒らせてしまったようです。……思った以上に、中西は忙しいようですね」
黒田はやれやれというように首を振った。
サイドグラムを中西に任せていたのは、彼に責任感を持ってもらうためなんだが、と思う。そこまで余裕がない状況だとは気付かなかったな……失敗した。
榛沢も椅子に座った。
「いや、あれはまあ、仕方ないよ。彼もサイドグラム担当してから、長いからね。それでこのトラブルだろう。いろいろ思うところがあるんじゃないかなあ」
はあ、というようにため息をつく。
「……私もサイドグラムにコミットして……かわりに新しいことや、対外発表も、すこし中西にやらせましょうか」
「うーん、宣伝とかは、私が苦手なので、勝手知ったる黒田君にお願いしてるところも、あるからね。そこが減るのは、困るなあ。中西君は……もうすこし部下が育ってくれると、手が空くだろうから、頼めるんだけど」
「そうですね……」
「まあ、とりあえず今回は、私のほうからあとでとりなしておくよ」と榛沢。
「すみません、ありがとうございます」黒田は頭を下げた。「新サービスのほうは、私がひとりで検討を進めます」
「ああ、ゆっくりでいいから」
「わかりました」
黒田も社長室をあとにした。
専務室への通路を歩きながら黒田は考える。
榛沢さんもいろいろ考えてるな。ありがたい。ただ、中西のやつ、あのようすだとまだまだサイドグラムで手一杯、という感じか。対策を施した、とも聞かないしな。
前回の取締役会のあと、中西とサイドグラムの対策について話し合ったことを思い出す。
「……とりあえず今回は乗り切ったが……一時的な対策だということは、君も気付いているだろう」
「でも、実際、パフォーマンスは改善しました。それに、キャッシュを使うのを提案したのは、黒田さんじゃないですか」
「それはそうだが、データ構造の欠陥、改善しないとリコメンデーション以外もどんどん重くなるぞ」
「そんな、心配し過ぎですよ。キャッシュについて提案してくれたことは、感謝しますけど……あんなの、単なる思い付きじゃないですか。思い付きさえすれば俺だって……」
「思い付きでない解決策を取るべきだ、ということだよ」
「……わかりました。対策については検討します。ただ、他の機能追加も上がってて、そっちで手一杯です」
「機能追加は、前野さんとかに任せられないのか?」
「私が見ないとぜんぜんダメですよ。とにかく……もうすこし落ち着いてからで、いいですか」
「……まあ、君が見ているシステムだからな。任せるよ」
「わかりました」
……ああはいっていたが、やっぱりそのままか。中西はどうしても抱え込む傾向があるな。そういえば、機能追加と話していたが、榛沢さんはなにもいってなかったな。独自に動いてる、ってことか。とにかく、いずれ、なんとかしないと……。
・
数日後の午後。
専務室の扉にノックがあった。黒田が応答すると荒井が入ってくる。
「専務、十六時から音ノ木坂学院の理事会です。……ご自分で運転されますか」
「そうだな」
「わかりました。それと、中西さんとの打ち合わせ、明日の午前中に設定しておきました」
「ありがとう」
サイドグラムの状況についてふたたび話すため、中西との予定の調整を頼んでいたのだった。
黒田は出かける準備を始めた。荒井はなぜか出て行かず立ったままだった。
黒田は目で問いかける。彼女は珍しく躊躇していたようだったが、やがて口を開いた。
「……中西さん、最近、副社長とよく会っているようです。それも、おふたりだけで……。それでは、失礼します」
ふむ、中西が、北尾さんとね。私のことを、なにか文句でもいいにいったのかね……。そういえば取締役会も今月か。またいろいろいわれると、面倒だな。
明日はすこしじっくり話す必要がありそうだ……。
・
黒田は社用車を運転して音ノ木坂学院へ向かった。二学期最初の理事会だった。
いつものように応接室へ。誰もいなかったものの、すぐに森田と田中教授があらわれた。今日は全員参加のようだ。黒田はふたりに目礼した。
先月、機構までわざわざ行ったことを思い出す。会社には機構から直接の連絡はなかったが……さて、どうなったかな……。
「お待たせいたしました」
理事長と校長が応接室に入ってきた。理事長は相変わらず一分の隙も無くスーツを着こなしていた。
議事概要が書かれた紙が配られる。黒田はあえてそちらには目をやらず理事長の発言を待った。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。理事会を始めたいと思います。……今回の議題ですが、まずは廃校について。大きな動きがありました」
理事長は各理事に目をやった。黒田を見ていた時間だけが長かったようなのは気のせいだろうか。
まさか、寄付の話が、理事長に伝わっているとは思わないが……。この人のことだから、なにがあっても驚かないな。
「……つい先日、機構からの連絡があり、来年の生徒募集については今年と同様とし、来年度以降に再検討する、とのことでした」
それを聞いて黒田はふっと気が楽になるのを感じた。思いのほか緊張していたらしい。
「それはつまり……廃校はなくなった、のですかな」と森田。
「来年については、ですが……そう考えていただいて、いいと思います」
「おお、それはそれは」
「まさか回避できるとはね。運がいいわね」
田中も安堵したようにいった。
「……アンケートの結果が、よかったのですか?」
黒田はなにも知らないふりで聞いてみる。
「はい。思った以上に反応が良く……。また先日の学園祭も盛況でした。それらが総合的に判断された結果だと思います」
「そういえば……学院のスクールアイドルグループ、μ'sでしたか。人気のようですね」
理事長はどうしてそれを、というように眉を上げた。
「ああ……弊社ではスクールアイドル関連のサービスも運営しておりまして」
黒田が笑ってみせると理事長はうなずいた。
「……μ'sも、ある程度の影響は、あったのではないかと思います」
「我々もすこしは役に立てましたかな?」
森田が嬉しそうにいった。
「ええ、そうですね。……委員のみなさんには感謝、申し上げます」
理事長は笑みを浮かべて頭を下げた。その笑みはいつもクールな彼女にしては温かみがあるように、黒田には感じられた。
理事会が終わり、黒田は学院から出た。耳を澄ましてみるがスクールアイドルのものらしい声は聞こえてこなかった。
学園祭が終わったばかり、といっていたから、部活も休みなのかもしれないな。学園祭か……見に来ればよかったかな。絢瀬君はどんな顔をしたことやら……。
黒田は唇の端をつりあげた。
さて、廃校も無事に回避できたことだし……。あとは絢瀬君にどう、恩を売るか、だな。
黒田は会社に戻ると絵里に電話をかけた。