つま先立ちのアクトレス ~ Story of Eli   作:Kohya S.

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16. 自分を見つめて

 黒田から絵里のもとに電話があった翌日。絵里は練習後、ひとりで秋葉原のジーラスのビルまで歩いた。

 制服、着替えたほうがいいかしら……。そう思ったものの絵里はあえてそのままで向かった。

 九月も半ばを過ぎ、街路を吹き抜ける風には秋の気配が感じられた。

 

 ビルの裏口にIDカードをかざしてなかに入った。役員専用のエレベータで十七階へ。そのまま専務室に向かおうとして――思い立ってトイレへ行くことにする。

 すこし迷いながら共用スペースに出ると螺旋階段のわきにトイレが見つかった。

 個室に入り制汗剤をスプレーする。

 

 私服に着替えるのはわざとらしいと思ったけど……。やっぱり、多少は気を使ったほうが、いいわよね。

 

 あらためて専務室へ。途中で社員にも出会ったが軽く会釈してすれ違った。

 

 高校生がいるのはおかしいかもしれないけど……きっと、会社見学とかなにか、勝手に考えてくれるわ。

 

 扉をノックすると黒田の声が聞こえた。

「どうぞ」

「失礼します」

 絵里は室内へ入る。黒田は机上のPCへ向かっていた。

「すまんね、ちょっと手が離せないんだ。すぐ終わるから……。座って待っていてくれ」

 絵里はうなずいて端の椅子に腰を下ろした。

 黒田は内線電話を手に取る。

「ああ、すまない。絢瀬さんがいらっしゃった。紅茶とコーヒーを頼む」

「そんな気遣いは無用よ」

 電話を置いた黒田に絵里はいう。

「いや、私が飲みたいんだよ」

 

 やがて秘書の荒井が入ってきてテーブルに紅茶とコーヒーを置き、一礼して出ていった。

 それからすぐに黒田は一区切り付けたようだった。立ち上がりテーブルへ移る。

 

「部活、お疲れさま」

 黒田はにやりと笑った。絵里はふんと顔をそらす。

「どうぞ」

「……いただくわ」

 絵里はポットから紅茶を注ぐ。一口含むと良い香りが鼻へ抜けていった。なんかいい茶葉、使ってるのよね……。

 

「そういえば……この前、御茶ノ水のWへ行ったよ」

 Wはライブがおこなわれた複合施設だ。

「やっぱり来てたのね……」

「おや、気付いてたのかい」

「だって……」

 黒田さん、目立つじゃない、といおうとして、それも腹立たしくなり言葉を濁す。

「……その日は食事会かなにかだったんじゃないの」

「ちょうど場所が近くてね。行く途中に寄らせてもらった。……ああ、食事会は、無事終わったよ。グールドさん、君に会えなくて残念がっていたよ」

「あら、そう」

 絵里はつんと顔をそむけた。

 黒田は面白そうに笑みを浮かべた。

「……μ's、だっけ。みんな可愛いじゃないか。……それに、歌も踊りも、大したものだ」

「それは……その……ありがとう」

 絵里はうつむき気味に黒田を見つめた。黒田の会社ではサイドグラムを運営している。黒田にそういわれたことは、喜んでもいいのかもしれなかったが――。でも、なんか素直に喜べないわ……。

 

「音ノ木坂学院の理事としても、会社の人間としても、μ'sには期待している。……私、個人としてもね」

 それは黒田の本心のように感じられた。さきほどの称賛の言葉が多少なりとも価値を増したように感じた。

 

 黒田はコーヒーを口に運ぶ。

「それに……絢瀬君も、衣装、なかなか似合ってたよ。歌もすばらしいが、特にダンスは頭ひとつ抜けているね」

「……」

 絵里はいよいよ恥ずかしくなり頬を赤らめた。

 

 覚悟してきたけど……そこまでまっすぐにいわなくても、いいじゃない。ああ、もう、せめてもうすこし露出のすくない衣装ならよかったのに……。

 

 絵里は気を取り直す。

「……それで、重要な話って、なんなのよ」

 そのために来たんだから。

「ああ、そうだな、すまん。……悪いニュースといいニュースがある。どちらから聞きたいかね?」

「……そういうべたべたなの、止めてよね」

「そうか。せっかくなのにな……」

 黒田は芝居がかって肩をすくめた。

「では、悪いほうのニュースからだ。……残念ながら、君との契約は、終わりにせざるを得ないようだ」

「え、それって……」

 

 廃校が決まった、ってことなの。でも、それならもうひとつは、いいニュースのはず……。そうね、黒田さんにとっては、廃校はいいことなのかもしれないわ……。

 

 なぜか廃校が回避されたという可能性は頭に浮かばなかった。

 

 絵里は戸惑いの色を浮かべた。黒田は面白がるように続ける。

「それで、いいニュースだが……。音ノ木坂学院の廃校は、延期になった」

「ほ、本当なの……?」

 絵里の表情は驚愕のそれに一変する。

「本当もなにも……先日の理事会で決まったよ。来年度も、今年と同じく生徒を募集するってね」

 黒田はにこりと微笑んでみせる。

「オープンキャンパスのアンケート結果が、思いのほか、よかったんだそうだ。……μ'sも一役(ひとやく)買ったらしい」

 

 廃校が避けられた――ようやく絵里の心にも、それが現実感を持って染み込んできた。

 

 よかったわ……。春からいろいろ、やってきた甲斐があったわね。μ'sも役に立ったなんて……こんなに嬉しいことはないわ。

 そう、黒田さんは……。

 

「あの、ありがとうございました」

 絵里は深々と礼をした。本当は……どこまでなにをやってくれたのか、わからないけど。

「いや、大したことはしてないよ」

 黒田は首を振った。喜色が表にあらわれている絵里を見たのか、続ける。

「ただ……正式発表までは、黙っていてくれよ。ばれるといろいろと、理事長がうるさいからな」

「そうなのね……わかったわ」

 誰よりも喜ぶであろう穂乃果に伝えられないのは残念だったが、きっとすぐに発表があると思って待つしかなかった。

 

「私にとっては、絢瀬君にもう付き合ってもらえないと思うと、残念だがね」

 

 それを聞いて、廃校がなくなったなら黒田との関係も終わりになるのだと、絵里は思い出した。

 

 私……どうしてかしら。すこし忘れてたわ。……でも、まだ付き合うわ、というほどお人好しじゃないわよ。

 パーティとか、本当に面倒だったんだから……。

 

「おあいにくさま」

 絵里がそういうと、黒田はやれやれというように天井を見上げた。

 

 ただ――パーティはともかく、もう黒田に会えないのかと思うと、ほんのすこしだけ寂しいような気になるのも事実だった。

 黒田さん、意外に優しいし、気がきくのよね。押しつけがましいところは、好きになれないけど……。

 

 黒田は立ち上がり窓際まで歩いた。しばらく外を眺めたかと思うと、くるりと振り返る。

「どうかな。あと一回だけ、付き合ってもらえないか」

「えっ……契約は終わりでしょ」

「まあ、それはそうだが……。せっかくここまで努力したんだ、一度くらい、(ばち)は当たらないんじゃないか。……君の良心に付けこむようで恐縮だが」

 黒田はじっと絵里を見つめた。

 絵里はその顔にどこか不安そうな気配があるように思った。

 

 しばらく前に行った彼の部屋が思い出される。殺風景で生活感のない部屋――そこから感じた孤独。

 もし、私が希に、μ'sに出会っていないとしたら……どんな感じだったのかしら。そう思う。

 

 そうね、一度くらいなら……いいかも。パーティにひとりだけじゃ、いろいろ大変でしょうし、ね。

 私がこんなことを……同情めいたことを考えてるって、ばれたら、なにかいわれちゃいそうだけど……。

 

「そうね……わかったわ。あと一回だけなら、いいわ」

 絵里は仕方なく応じたと見えることを期待して、ため息をつきながらいった。

「そうか、ありがとう」

 黒田は笑みを見せる。そこから絵里は何かを読み取ることはできなかったが――。

「……日付はまた連絡するよ」

「はいはい」

 絵里は肩をすくめてみせた。

 

        ・

 

 数日後。

 学院に来年度も入学者を募集する旨の掲示が貼り出された。この間、廃校がなくなったことをメンバーに黙っているのは、絵里にとって本当に辛かった。

 喜びを共有できるようになって、絵里はほっとしたのだった。

 

 ただ、絵里のもうひとつの秘密――廃校の回避に絵里が果たした役割――については誰にも話すことはできなかった。どこまで影響があったのかはわからないが、黒田と個人的に交渉をしていろいろと動いたことは事実で――もしそれを話したとしたら、希が、穂乃果が、そして他のメンバーが絵里になにをいい、どう接するのか。それを考えると絵里は怖くて仕方なかった。

 

 へんに感謝されたり、逆に軽蔑の目で見られたりしたら、耐えられないわ。廃校が回避できたら、希には話そうと思っていたけど……やっぱり難しそうね。

 

 せめてメンバー全員が卒業するまでは、黙っていなくてはならないだろう。そのころには笑い話になっていればいいんだけど、と絵里は思った。

 

        ・

 

 その日の夜。黒田からの電話があった。

 

「学院に、来年度生徒募集のお知らせ、貼り出されたわ」

『ほら、嘘じゃなかっただろう』

 別に疑ってなんかいないわよ、と思う。

「ええ、そうね」

 でも、あらためてお礼はいわないわよ。

「……それで、今日はなんの用なの?」

『次回の予定を相談したくてね。……今度の土曜日は、どうかな。できれば午前中から一日、お願いしたい』

「ずいぶん急ね」

『……まあ、いろいろあってね』

 黒田の口調からは詳しく話したくないような、そんな雰囲気を感じた。

 とはいえ、μ'sの練習は最近あまり気が入っていないから、一日くらいは休むこともできるだろう。

 

「……わかったわ、なんとかする」

『ありがとう。……朝の十時ごろ、迎えに行く。カローデンでいいかね』

「そうね」

『わかった。それでは……楽しみにしているよ』

 電話は切れた。

 最後の黒田の台詞は――妙に親しみがこもっているように感じられた。

 

 ま、最後だし……付き合ってあげましょ。

 

 絵里は自分の顔に笑みが浮かんでいることに気付いていなかった。

 

        ・

 

 学院の存続が決まったメンバーの喜びはひとしおで、翌日には部室でパーティが開催された。

 

「ほっとしたようすね、絵里ちも」

 すこし離れて一年生組と穂乃果、にこたちの騒ぎを眺めていた絵里に、希がいう。

「まあね、肩の荷が下りたっていうか……」

 絵里は笑ってみせる。

「μ’s、やってよかったでしょ?」

「どうかしらね……。正直、私が入らなくても、同じ結果だった気もするけど……」

「そんなことないよ。μ’sは九人。それ以上でも以下でもダメやって、カードもゆうてるよ」

「ふふっ。そうかな……」

 

 自分が加入したことに意味があるのか。それは――黒田との件もあって――絵里の本音だった。ただ希にそういってもらえるのは嬉しかった。

 

 それに……私にとっては、やりたいことをやる、っていうのはすごく素敵だった。そういう意味では、やってよかったっていうのは、本当よね。

 

 しかしお祭りのような雰囲気はすぐに一変した。ことりが来月から海外留学することが、そこで明らかになったのだった。

 穂乃果は、自分がひとりで突っ走り、学園祭で倒れてしまっただけではなく、ことりの悩みに気付けなかったことに、強い衝撃を受けたようだった。

 

 翌日。ことりが留学する前に最後のライブをやろうというメンバーたちに、穂乃果はスクールアイドルを止めると告げた。

 

 絵里はどうするべきか悩んだ。

 

 学院の存続が決まったいま、なんのためにアイドルをやるのか……。中途半端に続けるよりも、一度、立ち止まって考え直してみるべきかもしれないわ。そう絵里は思う。

 また、穂乃果とことりがいなくなれば、残りは七人。幼馴染のふたりがいなくなると、きっと海未も思うところがあるだろう。

 

 花陽とにこは、きっとアイドルについて思い入れがあるはずよね。もしかしら、凛や真姫も。だらだらと続けて、それを縛りたくない。

 それに……やっぱりμ'sは、穂乃果がいてこそ、なのよね。穂乃果がいなければ、μ'sじゃないわ。

 

 絵里はμ'sの活動休止を決め、メンバーに告げたのだった。

 

 ただ――絵里は自分の心がわからなかった。

 

 私は……私はどうなのかしら。穂乃果に誘われてμ'sに入って、スクールアイドルは本当に楽しかったわ。私がやりたいこと。それは間違ってない。

 学院の存続も決まって、卒業まであと半年。わずか半年、なのよね。……スクールアイドルを続ける意味って……あるのかしら。

 そうね、私は、私の意志で、スクールアイドルを続けるかどうか、決めなくちゃ。

 

 それに、もしも……もしも穂乃果が復活したら……。そのとき、私は……穂乃果に流されるんじゃなくて、自分で出した結論で向き合いたいわ。

 

 ふと、黒田のことが頭に浮かんだ。彼は絵里のことをまっすぐに()めてくれた。

 

 あれは……嘘じゃ、ないわよ、ね。私……自信を持って、いいのかしら……。

 

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