つま先立ちのアクトレス ~ Story of Eli   作:Kohya S.

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17. ひとつの結論

「本日の予定ですが、十時から定例ミーティング、午後三時から取締役会です」

「ああ、わかった。ありがとう」

 予定を確認した荒井は専務室を出ていった。

 

 黒田は今週初めに絵里に電話して土曜日の約束を取り付けたものの、当日はパーティの予定などがあるわけではなかった。

 黒田は個人的に、絵里と一日、一緒にいるつもりだった。

 

 先日、契約が終わることになり、もう一回だけ付き合って欲しい、となかばその場の勢いで絵里に告げたときには、すでにそう考えていた。

 

 どうしてだろうな……。今までの女には、こんなことは思わなかったのに。

 

 ただ、なんとなくわかってはいた。絵里のまっすぐな瞳、精一杯大人ぶった振る舞い。素直で純粋な絵里を見ると、どこか心が温かくなるのだった。それに、あのライブのときの笑顔。あの笑顔をもう一度見てみたい。

 

 黒田自身にもわからないのは、この想いが愛玩物を見るようなものなのか、それとも――なにか別のものなのか、だった。

 

 取締役会の書類の準備はすでに終わっていた。サービスの動向も落ち着いている。

 中西ともサイドグラムについて相談し、このままでも大丈夫だという中西を説得して、彼の手が()き次第、対策に取りかかることになっていた。

 

 まあ、今回の取締役会もなにもないだろうな。黒田は根拠なく、そう考えていた。

 

        ・

 

 午後。社長の榛沢(はんざわ)と黒田、中西、経理部長、それに副社長の北尾が会議室に集まった。

 

 社長付の秘書がお茶を配る。

 

 今回も社長の簡単な挨拶から取締役会は始まった。

 最初に経理部長が九月までの四半期の見通しを説明した。そのあとに黒田が話し始める。

 

「会社で社会貢献(C S R)として参加している、音ノ木坂学院ですが、廃校は無事に回避されたようです」

「おお、良かったね。黒田君、なにか動いてくれたのかい」

 榛沢は嬉しそうだ。

「いえ、特になにも……。ただ、寄付枠の設定を見直して、今年度から新たに学校機構への寄付をおこなうことにしました」

「そうだね、いいと思うよ」

 そこで北尾が口をはさんだ。

「……それは、黒田さんの独断で、ですか」

 北尾は目を細める。

「専務としての決済の範囲内です。特に問題ないと思いますが……?」

 黒田は眉を上げてみせる。

「……わかりました」

 

「それでは、サービスの状況です。……」

 黒田はそれぞれの状況を説明した。今回は前回とは異なりトラブルの気配はない。

「……以上のように順調に推移しています。なお、サイドグラムについては、予防的な対策を近日中におこなう予定です」

 黒田はいったん言葉を切った。北尾は、そして中西もなにかいうかと思ったが――意見はないようだった。

 

「続いて、検討中のプロジェクト……プロジェクトWとしておきますが……ビジネスプランとフィージビリティスタディをおこないましたが、悪くないようです」

 黒田は資料をプロジェクターで映し出し説明する。

「……このように潜在的なニーズは高いと思われます」

「うん、いいじゃないか。進めようよ」

 アイデアを出した榛沢は嬉しそうだ。

「はい、よろしければ人員を張り付けて具体化を始めようかと」

 

 全員を見渡した。中西はどことなく不満そうな顔をしていたものの黙っている。さすがになにもいわないのは、榛沢さんの肝入りだからか、と思う。

 

「……それでは進めさせていただます。……私からは以上です」

 

 それから中西が進行中のプロジェクトの状況を説明した。こちらも問題はないようだった。

 

「ほかにはなにかあるかな」と榛沢。

 いつもならここで終わりになるところだが――北尾が切り出した。

「えー、重要な提案があります。当社はいくつものサービスを抱えていますが、決して収益性は高くありません。これは、会社としては、どうなんでしょうかね」

 またその話か……。黒田は辟易(へきえき)する。北尾は続けた。

「そこで提案ですが……プロジェクトWでしたか、それは中止して、サイドグラムに注力しませんか。そろそろ、収穫の時期でしょう。もうすこしタイアップや広告やらも増やして」

 北尾は笑う。黒田はそこに、なにかいやらしいものを感じた。極力、冷静に指摘する。

 

「……新プロジェクトは新しい柱になる可能性を秘めています。限られた人員のアサインならコストも抑えられます。また、サイドグラムについては……時期尚早かと。ラブライブの開催も近付いています」

 

 ここで無理に機能を増やすと、またトラブルのもとになるしな、と思う。抜本対策、中西はまだ手を付けていないだろう……。

 

「私は賛成です。またわけのわからないサービス、増やしてどうするんですか」

 その中西が軽蔑するような口調でいった。……そうか、この件で北尾と会ってたんだな、と黒田は気付く。榛沢に目をやった。

「うーん、私はやっぱり、進めたいなあ。サイドグラムもエンシュアルも、収益は上がってるんだろう」

「そうですね。エンシュアルも今月から黒字化しています」

 黒田はうなずく。

 

 これで賛成と反対は二対二……となると、続けるかどうかは経理部長の判断か。珍しい展開だな。

 

 今まで黙っていた経理部長は急に注目が集まったのにびっくりしているようだった。目をぱちぱちとさせる。

「えーと、そうですね。……私は、社長に賛成です」

 まあ、そうだろうな。黒田は安堵した。

「新プロジェクトの見直しは随時おこないます。……基本的には、さきほどの方針通りに進めます」

 中西と北尾さんの件、あとで榛沢さんと話す必要がありそうだな……。

 

 気まずい雰囲気のまま取締役会が終わるかと思ったとき。北尾がふたたび口を開いた。

「……やっぱりそうなりましたか。うちの会社……元の会社とも相談したんですがね、ジーラスのやり方はぬるすぎます」

「しかし、いまのところ会社は順調ですよ、北尾さん」

 榛沢は戸惑ったようにいう。

「もっと拡大できる、というんです。会社の目的は、なんですか。究極的には、収益を上げることでしょう。その機会をみすみす見逃すなんて、もったいない」

 サイドグラムのことか、と思った黒田は一言、いっておくことにする。

「とはいえ……前回も話しましたが……長期的な視点に欠けた策では、金の卵を産むガチョウを殺すことになるかと。それに……」

 ちらりと中西を見る。彼は緊張したようすでテーブルを見つめていた。

「システムは潜在的な問題を秘めています。このまま機能を追加すれば問題が表面化する可能性があります」

「……さきほどは順調だと、おっしゃっていたようですが」

「それは……今の機能のままなら、です」

「そうですか。しかし中西君の話では、システムには問題ないということでした。そうですよね、中西君」

「……はい。サイドグラムは私のシステムです。黒田さんなしでも大丈夫です」

 中西はうわずった声でいった。黒田はその言葉に引っかかりを覚える。

「だそうですよ」

 北尾はにやりと笑った。

「それに、音ノ木坂学院、でしたっけ。理事を引き受けるなんて酔狂にもほどがあります。そういうのは大企業に任せておけばいい……」

 

 黒田は反論しようとして――今まで感じていた違和感が収束するのを感じた。中西のやつ、さっきからおかしいと思っていたが……そういうことか。……北尾についたんだな。

 

 北尾は続けた。

「……黒田さん、次の株主総会で、あなたを取締役から解任するつもりです」

 

 会議室は水を打ったように静まり返った。

 

 北尾の出向元の会社が持っている株は三分の一未満。榛沢と黒田、中西が残りだ。北尾だけならなにもできないが――持ち株の比率は、中西と北尾の出向元をあわせると半数をわずかに超えて、取締役を解任できる。

 

 黒田は天を仰いだ。

 

 榛沢もそれに気付いたようだった。うろたえたようすでいう。

「し、しかし……それは無茶ってもんじゃないかな。黒田君なしで会社が回るか……」

「幸いどのサービスも安定しているようですし、中西君がいれば大丈夫でしょう」

 北尾は嬉しそうに話し続けた。

「黒田さんのところは彼に引き継いでもらうとして……。榛沢さんは、ぜひ新しいサービスの検討を続けてほしい。ただ……実務からはしりぞいて……そうですね、会長あたりがいいかと」

 それに対して中西は青い顔をして座っているばかりだった。

 榛沢も黙り込む。

 

「……話はそれで終わりですか?」

 黒田は冷たい声でいい放った。北尾はびくりと体をふるわせてから、こくりとうなずく。

「それではプロジェクトWは凍結しましょう……。よろしいですね、社長」

「そ、それは仕方ないが……」

「ほかに議題がないようなら、私はこれで失礼します。……あまり歓迎、されていないようですから」

 黒田はテーブルに手をついて立ち上がった。書類とノートPCをまとめて部屋を出ようとする。

「株主総会までは取締役ですからね。しっかり仕事、してくださいよね」

 北尾が神経質な声をあげた。黒田はそちらに顔だけを向ける。

「ええ、わかってますよ」

 彼は唇の端をゆがめると扉を開けて部屋を出た。

 

        ・

 

 専務室に戻ろうとして思い立って螺旋階段に足を向けた。屋上まで上がる。

 

 非常時を除いては外には出られないものの、広い階段室からは北側の上野方面から西の大学キャンパスやドーム球場、南側の秋葉原駅周辺などがよく見えた。

 書類とノートPCを窓枠に置いた。

 たばこを――と思ってから大学時代に止めたことを思い出した。

 黒田は大きくため息をついた。

 

 中西のやつ、あそこまで思い詰めていたとは思わなかったな。よかれと思って彼に任せていたが、かえって重荷だったか……。

 

 そこまで考えて、彼が自分のシステムだといっていたことを思い出す。

 

 となると……逆に任せすぎたということか。中途半端に改善したのもまずかったな。私の言葉も耳に入らなかったんだろう。

 もっと腹を割って話せば説得できたかもしれないが……へんに遠慮しすぎたな。私らしくもない。

 

 ただ――仮に今回のトラブルを乗り越えたとしても、中西が自分でやりたいと考えている以上、いつかは衝突が起きてしまっただろう、そう思うのも事実だった。

 

 それに北尾さんだ。前回の取締役会から、北尾さんの言動がおかしいことには気付いていたが……。中西はうまく利用された、ってことだな。

 それでも北尾さんにつけいられる隙を作らないように、中西に花を持たせて……私がすこし引くこともできたはずだ。

 ジーラスは甘すぎる……たしかにその通りかもな。

 

 黒田は唇をゆがめた。

 ふと御茶ノ水のほうを見やると、ビル群の先、高台に建つ音ノ木坂学院の校舎が見えた。

 

 今まで気付かなかったが。あんなに近くなんだな……。

 

 μ’sの、絵里のライブを見て、そのひたむきさにうたれたことを思い出す。それは黒田の学生時代の記憶を呼び起こした。

 

 榛沢さんと中西と三人で会社を始めたときは、世の中を変えたいと思ってたっけな……。たしかに、いいところまで来たが、そのせいで本当にやりたいことを、見失っていたのかもしれない。

 

 黒田が中西と肩を並べて作業することも、いつからかなくなっていた。会社を設立してからずいぶん経つ。そろそろ潮時か、と思う。

 

 会社は大きくなりすぎたな。そう、パーティだって昔はほとんどなかったじゃないか。

 

 そのとき内ポケットのスマートフォンが鈍い振動音を立てた。こんなときに間が悪い……。そう思いながら取り出してみると、絵里からの着信だった。

 黒田はふっと表情をゆるめ受話ボタンをタップした。

 

『黒田さん?』

 黒田は絵里の声を聞いて心が安らぐのを感じる。

「……絢瀬君。元気だったかね?」

『ええ、おかげさまで……』

「今日はなんの用事だい」

 もしかして土曜日は行けなくなった、なんていうんじゃないだろうな……。ごくりと唾をのむ。

『あの、土曜日のことなんだけど……なにを着ていけばいいかしら?』

「ああ、そうか……」そういえばなにも伝えていなかったことを思い出す。「ドレスじゃなくていい。私服で来てもらえれば」

『また服を押し付けられるのは、嫌よ』

「いや、それはないよ。君の好きなようにしてくれていい」

『そう……? それならいいけど……』

 絵里は言葉を切った。なにか逡巡(しゅんじゅん)しているようだった。しばらく沈黙が流れる。黒田はなにもいわずに待った。

 

『……あの、黒田さん、この前、私のことを……その、褒めてくれたけど、どこまで本気なの?』

 絵里は心細そうな声だった。黒田は珍しいなと思う。

「……私は自分のことを(いつわ)ったりしないよ。君は本当に輝いていた。まぶしいくらいにね」

 優しくいう。それは黒田の本心だった。

『もう……()めてよね。……でも、ありがとう』

 一転して恥ずかしそうな声。絵里が赤くなっているのが目に見えるようだった。

 

「なにか迷ってるのかい」

 おせっかいかと思ったが聞いてみる。

『別になにも……。会ったときに話すわ』

「わかった。ところで、君は今、学院にいるのかい?」

『ええ、そうだけど……。放課後、生徒会も一段落して、これから帰るところよ。それがどうかしたの?』

「いや、別に。……話はそれだけかな」

『ええ、それだけよ』

「それでは、土曜日に」

『わかったわ。……楽しみにしてるわ』

 電話は絵里から切れた。

 

 黒田は最後の言葉に驚きを覚えていた。まさか、絢瀬君のほうからそんなことをいってくれるとはね。頬がゆるむのを感じる。

 

 そういえば北尾さん、絢瀬君のことはなにもいわなかったな。気付いていれば絶対に口にしただろうし……。まあ、服やらなにやらは、ポケットマネーだし、直接会ってるのも榛沢さんと中西だけか。

 荒井さんには当然、関係を気付かれてるだろうが……。

 

 絢瀬君に迷惑がかからないのは、不幸中の幸いだな、と思う。

 

 もう一度、外を見ると、暮れていく夕日のなかで学院の校舎が輝いていた。

 あそこに絢瀬君がいるんだな……。黒田はもうしばらく外を眺め続けた。

 

        ・

 

 夕日の残光が消えるころ、黒田は階段を下りて専務室へ向かった。

 

 通路を歩いているとうしろから足音を立てて誰かが走ってきた。

「榛沢さん……」

 振り向いた黒田の前には顔に不安を浮かべた榛沢の姿があった。

「ああ、ここにいたんだ。……ねえ、黒田君。やはり君がいないと会社は回らないよ。サイドグラム、やはりまずいんだろう」

「……はい、そうですね」

 

 根本的な対策がいつか必要なことは話してあったものの、中西が抱え込んでいたこと、それで先日のトラブルが大きくなったことは、榛沢には報告していなかった。あまり細かいことで榛沢をわずらわすこともないだろう、と判断した結果だったが、すこし後悔する。

 

「ねえ、北尾さんと中西君に話せば、取締役の件は、なんとかなると思うよ。私と君とで、頭を下げれば……」

 榛沢は上目遣いで懇願するようにいった。彼とは長い付き合いだ。黒田の心は揺れたが――意志は決まっていた。

「いえ、そこまでして、会社に残りたくはありませんよ」

 肩をすくめてみせる。

「やっぱり残ってくれないのかい。ここまで一緒にやってきたのに……。取締役から退(しりぞ)くにしても、せめて助言でもくれれば、と思ってたんだけど……」

「北尾さんと中西が、あの調子ですからね。解任されたら……いや、むしろ辞任して、同時に会社も辞めますよ。……すみません、榛沢さん」

 黒田は深く頭を下げた。

「黒田君……」

「失礼します」

 黒田はふたたび通路を歩き始めた。

 

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