つま先立ちのアクトレス ~ Story of Eli   作:Kohya S.

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19. ふたりの距離 (2)

 ふたりは遊園地を出た。

 黒田は左手の時計を気にしたようだった。それを見て絵里は、そろそろ帰りの時間かしら、と思う。そして同時に胸がちくりと痛んだ。

 

 あれ、私、もうすこし一緒にいたい、って思ってるのかしら……。

 

「絵里、疲れたかい?」

「……そうね、すこし」

 

 ふたりは商業施設のなかの手近なカフェに入った。絵里はカフェオレを、黒田はコーヒーを頼んだ。

「今日は何時ごろまで大丈夫かな?」と黒田。

「そうね……いつものパーティの時間くらいまでなら、大丈夫だけど」

「それはよかった。すこし時間があるから……買い物でも行こうか」

「ええ、いいわよ」

 

 カフェを出る。てっきりこのビルで買い物をするのかと思ったら、別の場所まで行くらしい。

 外に出てすこし歩いた。日はかなり傾いていた。九月の日差しにはまだ暑さが残っていたものの、風は涼しさを感じさせた。

 

 その施設はシンプルな方形の建物にロゴの看板というごく普通の外見だったが、なかに入ると雰囲気は一変した。屋内に海外の街並みを再現するというコンセプトらしい。それもなんとなく中世ヨーロッパ風だ。

 

「……すごいわね、ここ」

 絵里はきょろきょろとあたりを見渡した。天井も青く、雲まで浮かんでいた。

「初めて来るが、なかなかのものだな」

「あら、隆司さんには、ちょっと子供だましなんじゃない」

「いや、そうはいっても……」

「見せ方は参考になる?」

「そうだな」

 黒田はにこりと笑った。

 

 ふたりはゆっくりと店内を歩いた。ときどき足を止めて――主に絵里が――商品を眺める。

 

 あるアクセサリの店を見ていたとき、同じモチーフのシリーズが並んでいるのに気付いた。それらは音楽記号をかたどっていて――絵里は、以前希の誕生日に贈ったシュシュを思い出した。

 あのときは、二連の八分音符にしたのよね……。

 

 同じものはないようだったが、八分音符のブローチが目をひいた。5センチほどの大きさで銀色に輝き、パールがはめられている。

 値段は数千円ほど。お小遣いでもなんとか買えそうだった。

 どうしようかしら。絵里は悩んだ。

 

「……買ってあげようか」

 突然、背後から黒田が声をかけた。絵里はびっくりして振り返る。

「そんな、悪いわ」

 絵里はすまなそうな笑みと一緒に首を振った。

「いや、ほら、君にはいろいろ世話になったから……。それに、せめてもの記念として、君にもらって欲しいんだ」

 黒田はいつになく真剣に、そしてすこし照れ臭そうにいった。

「隆司さん……」

「だめかい」

 不安そうな気配が混じる。

「……わかったわ」

「それはよかった」

 彼は明らかにほっとしたようだった。

 

 店員を呼んで包んでもらう。彼が黒いクレジットカードを出すのが、ちらっと見えた。

 

「はい、ささやかだけど」

 黒田は包みを差し出した。

「……ありがと」

 絵里は両手で受け取った。きっと今までもらったドレスやアクセサリにくらべれば、ずっとずっと安いものだとは思うが、それでも絵里はこれが一番嬉しかった。

 

 それからそのフロアと、ひとつ上を一通り見てまわった。絵里はいくつか小物を買ったものの、黒田はなにも買わなかった。

 

「さて、そろそろかな」

 フロアの端まで来て黒田がちらりと時計を見た。絵里の心にまた動揺が走る。

 

 ううん、さっきプレゼントももらっちゃったし、もう十分、楽しかったじゃない……。

 

 黒田はそんな絵里の心には気付かなかったのか、即物的な台詞を口にした。

「おなか、空かないかい?」

「……そうね、そういえば」

 もう、私のどきどき、返してよね。あら、でも、いわれると急に、すいてきたような気がするのは、どうしてかしら。

「レストランが予約してある。行こう」

「え、でも……」

 絵里の心はもう一度、どきりとする。

「ここまで来て遠慮は、なしだよ」

 

 ふたりは建物の外に出た。日は西に傾き夕日が街を照らしていた。

 

「すこしあるから……タクシーを拾うか」と黒田。

「そんなの、もったいないわよ。どうせ歩いても十分くらいでしょ」

「まあ、そうだね」

「ほら、さっさと歩く」

 絵里は黒田を追い立てるように歩き出した。

 

        ・

 

 道路をすこし歩いて、途中からは歩行者専用の、公園のようなプロムナードを通っていった。見晴しのよい通りは心地よかった。

 いつしか通りは高架になり、首都高速の上を超える。目的地は車を止めた施設らしい。

 

 その施設はどうやら高層のホテルのようだった。アトリウム、ホールを抜けてエレベータに乗る。

 三十階で降りると、そこは落ち着いた雰囲気のフロアだった。

 壁と天井はシンプルなベージュ、床はダークブラウンの石張りで輝くほどに磨かれている。

 エレベータホールを出るとクロークがあり、係員がふたりに頭を下げた。

 黒田は軽くうなずくようにしてそのまま通路を先に進んだ。

 

 うーん、やっぱり、こういうところなのね……。絵里は緊張を感じるが、今までのパーティ会場にくらべれば、と思って胸を張った。

 

 突き当たりがレストランだった。

「予約している黒田だが……」

「承っております。こちらへどうぞ」

 

 給仕はふたりを隅の席に案内した。店内は照明が抑えられ、広い窓には一面、東京湾の景色が広がっていた。夕日はすでに落ちて、空はオレンジから濃紺へと変わりつつあった。

 夕食の時間にはやや早いのか、空席が目立った。

 

 黒田は「私も彼女も酒は飲めないので」と、食前酒がわりにガス入りのミネラルウォーターを頼んだ。

 

「ねえ、隆司さん、私、こういうところ、苦手なんだけど」

「まあ、ふたりだけだから、気にすることはないよ。適当でいい」

「それは、そうだけど……」

 そういいながらも、絵里は多少、気が楽になるのを感じた。

 

 あらためて窓の外に目をやる。

 暗い水面にライトアップされた吊り橋が美しいコントラストを見せていた。その先には東京タワーも見える。

 

「きれいね……」

 絵里は思わずつぶやいた。黒田も窓の外に視線を送ったが、なにもいわなかった。

 

 やがて料理が運ばれてきた。

 えーと、カトラリーは外側から使えばいいのよね……。絵里は気を付けながら食べていった。

 料理はたしかにおいしくて――絵里はいつの間にかマナーのことは忘れて、リラックスして食事をしていた。

 

 絵里と黒田は、今日行った場所のこと、昔遊んだゲームのこと、子供のころのことなどを話題にした。ロシアにいた子供時代を話すと黒田は興味深そうに聞き入った。

 

 やがてコーヒーとデザートが出てきた。

 

 ふと会話が途切れ、絵里は日中は楽しくて忘れていたこと――でも今はふたたび気になることを口にした。

 

「隆司さん……そういえば、私のダンス、褒めてくれてありがとう」

「ああ、この前の電話のときの……」

 黒田は問いかけるようなまなざしで絵里を見つめた。それにうながされるように絵里は続ける。

「実は……私たちのグループが……μ'sが、いろいろあって、活動休止になったの」

 黒田は驚きを浮かべたがなにもいわず、先をうながすようにうなずいた。

「それで、私は……その、スクールアイドル、どうしたいのかなって。続けるべきなのか、すこし悩んでるのよ。ほら、もう、三年生じゃない……」

 絵里は目を落とした。

「……君自身は、スクールアイドル、やりたくてやってたんじゃないのかい。それとも、友達に頼まれたから、なのかな?」

「それは、もちろん、やりたかったから、だけど……」

「スクールアイドルとして、なにをやりたかった? 廃校を止めたい、というだけ?」

 黒田は優しい声で続けた。絵里は顔を上げる。

「廃校は、理由のひとつだけど。それだけじゃないわ。みんなを笑顔にしたかった。楽しんでもらいたかった。……穂乃果の受け売りっぽいけど。でも、本音よ。それに……」

 

 絵里はいいよどんだ。続きをいうのは恥ずかしい。でも……彼にならいってもいいかも、と思えた。

 

「……私、さっきもすこし話したけど、昔、バレエをやってたの。コンクールでは、いつもいいところまで行ったのよ。でも、どうしても優勝できなかった。だから、バレエやダンスからは遠ざかって……ちょっと(はす)に構えてたのよね。大人ぶっちゃって」

 絵里は照れ隠しにコーヒーを一口、飲んだ。

「でも、スクールアイドルに出会って……順位にこだわらずに、打ち込めるものを見つけたの。自分がやっていて、本当に楽しいことを」

「……そうか。すくなくとも、みんなを笑顔にしたい、っていうのは、もうかなってるな。……私が元気と笑顔をもらったよ。君からね」

 黒田は目を細める。

「ばか……」

 絵里は顔を赤らめて視線をそらした。

 

「……続けるかどうか、もう、答えは出てるんじゃないかな。あと半年しかない、じゃなくて、まだ半年もある、ってことだよ」

「そうよね……」

 

 なによりも自分のために、やりたいことをやる。それは三か月前に穂乃果が、μ'sの皆が気付かせてくれたはずなのに、と絵里は思う。私、忘れてたんだわ……。

 

「ありがとう」

 絵里はまっすぐに彼を見つめた。彼の目を見るのはまだ恥ずかしかったけれど――。

「いや、なにもしてないよ」

 黒田は笑った。

 

 黒田はしばらく絵里を見つめていたが、ふっと窓の外に目をやった。その顔には逡巡(しゅんじゅん)と苦悩が浮かんでいるように、絵里には思えた。

 

 その顔を見て、今日の黒田の行動が思い出された。まるでデートのような一日、妙に不安そうな表情、それに元気をもらったというさきほどの台詞――。

 

 なにか言葉をかけようかと思ったものの、適切な言葉は見つかりそうになかった。

 

 黒田は絵里に視線を戻してふたたび笑みを浮かべた。

「そろそろ出ようか」

「わかったわ」

 

 先に外で待っていた絵里のところに会計を済ませた黒田がやってくる。

「あの、ごちそうさま。おいしかったわ。……ありがとう」

「どういたしまして」

 

 エレベータを待ちながら絵里はいう。

「海岸、出られるのかしら?」

「ああ、すぐそこだよ」

「ちょっと散歩してもいい?」

 帰る前に、と心のなかで付け加える。

「いいとも」

 

        ・

 

 外に出て一本、広い通りを渡ると、そこはすぐに海辺の公園だった。

 

 絵里は水際まで歩いていった。手すりにもたれかかる。さきほどのレストランからみたのと同じ夜景が目の前に広がった。さすがに遠くまでは見えなかったが。

 水面を渡ってくる風は涼しくてすこし寒さを感じさせた。

 

 すぐ隣に黒田が来て同じように景色を眺めた。

 

「今日はありがとう。その……楽しかったわ」

 絵里は夜景を見ながらいう。

「罪滅ぼしになったかい」

「ええ、十分すぎるくらい。……それに、私、パーティも……ほんのすこしだけど、楽しかったわ。ああいう体験をさせてくれて……ありがとう」

「それはどうも」

「でも、もう嫌よ。ほんのすこし、だけなんだから」

 黒田は肩をすくめた。

 

 絵里は次の言葉をいうべきかどうか、ためらった。なにより自分の心がわからなかった。今日のような体験をしたあとで、それをいうのは安っぽいような気もした。

 ただ――それをいわないと後悔する――それだけは確信が持てるのだった。

 

 絵里は黒田の顔を見つめた。遠くの街と街灯の明かりが、彼の顔に複雑な陰影を投げかけていた。黒田は問いかけるようにわずかに首をかしげる。

 

「ねえ、隆司さん。……また、会ってくれるかしら。今回が最後、じゃなくて」

 絵里の頬は赤みを帯びていた。

「……嬉しいことをいってくれるね。でも……難しいかな」

 黒田は視線を落とした。暗くてあまりよく見えないものの、その顔はなにかに悩んでいるように、絵里には思えた。

「……どうして? 私……」

 

 そこまでいいさして、絵里ははっと気付いた。

 この気持ち……私……彼のことが好きなんだわ……。

 

 絵里は真っ赤になって顔をそむけた。

 

 しばらく気まずい沈黙が流れた。

 やがて黒田は――絵里の想いに気付いたのか、気付いていないのかはわからなかったが――口を開いた。

「実は……会社を辞めることになったんだ」

「えっ……」

 絵里は驚きとともに彼を見た。

「いろいろあってね」軽く肩をすくめる。「……それでも、同じことをいってくれるかい?」

「それは……」絵里は自分の心に問いかけた。答えはひとつだった。「もちろんよ」そこに迷いはなかった。

「ははっ、嬉しいじゃないか」

 黒田はそういって手で顔をおおった。

 

 また静かな時間が流れる。

「だから……その……」

 絵里は続けようとした。

「すまない」黒田がさえぎった。「でも、それはできないよ」

「どうして……。私が高校生、だから?」

「そんなことはないよ。そんなこと気にしてたら、パーティなんか誘わない」

「それじゃ、どうして……」

 

 黒田は大きくため息をついた。

「絵里。君に契約を持ちかけたとき、私は……パーティに出たとき、ほかの女に話しかけられるのが面倒で……君と一緒なら避けられると思ったんだ。そして、それは事実だった」

「それは……私も気付いてたわ」

「それだけじゃない。私は、廃校について、なにもする気はなかったんだ。君に嘘をついていた……すまない」

 黒田は大きく首を振った。

「でも、実際に廃校はなくなって……音ノ木坂学院は存続したけど」

「μ'sの……君の姿を見て、いても立ってもいられなくなってね。すこし機構にかけあったんだ。……どこまで効果があったか、わからないがね」

「それなら、約束、果たしてくれたんじゃない」

「結果論だよ。最初のとき……たしかに私は、君を利用することしか考えていなかった」

「でも……」

 絵里はふたたび自問する。

 黒田の話はショックだった。利用されただけなんて、と思う。しかし、結果的に彼は動いてくれて、廃校がなくなった。それは感謝していいのだと思う。

 

 それに……こうして今、話してくれたし……。

 

「……あなたが動いてくれたのは、事実でしょ。私、やっぱり隆司さんに感謝しなくちゃいけない。そう思うわ」

「……そうか。ありがとう」

 黒田は柔らかく微笑んだ。

「私も……君のことが好きだ」

 

 その一言は絵里の心に深く響いた。温かさが広がっていく。

 

「隆司さん……」

 絵里の瞳は潤んでいた。

「……それでも、君にはもう会えない」

 彼は微笑みを浮かべたまま、悲しそうに続ける。

「もうすぐ日本を離れることにしたんだ」

「そんな……」

「すまない、絵里。ここまでいうつもりじゃなかった。さようならだけいって、いなくなるはずだったのに……みっともないな」

 黒田は自嘲するように笑った。

「どうして? 会社、辞めるからって、なにもそこまでしなくても……」

 絵里は思わず問いかける。

「いや、残ったら、絶対にジーラスのことが気になってしまう。それに、いろいろと噂されるだろうからね。……ほら、例の彼女とか」

 

 たしかに――黒田のような立場ならそんなこともあるのかもしれない。

 

「いつから?」

「引継ぎを終えて、だから、来月かな。本当ならすぐにでも離れたいんだが……」

「どうしても、行くの?」

 絵里はまさか自分が彼を引き止めることができるとは思っていなかったが、そういわずにはいられなかった。

「ああ、未練を引きずるよりは、すっぱり諦めたほうがいいさ。……ん、今日、未練がひとつ増えたのか。笑ってしまうな」

 

 黒田は絵里から目をそらした。その顔には深い悲しみが浮かんでいるように、絵里には思えた。

 彼はポケットを探るようなそぶりをしたが、途中でやめて、また肩をすくめた。

 

 ふと、絵里は寒さを感じて体を震わせた。

 

「ああ、ずいぶん長話になってしまったな。帰ろうか……」

 黒田はジャケットを脱ぐと、絵里の肩にかけた。そのジャケットは温かく、森の香りがした。

 

 駐車場まで歩いて車に乗った。黒田は静かに車を出した。

 

 夜の街を抜けて首都高速へ入る。車はふたたび吊り橋を渡っていった。車窓を流れていく街灯が美しかった。

 

 黒田は無表情で車を走らせた。

「ねえ……日本を離れるって……どこに行くの?」

「シリコンバレーかニューヨークにでも、行くさ。ああ、グールドさんのところにも顔を出すかな」

「そう。……なにかあてはあるの」

「そうだな、しばらくぶらぶらして……スクールアイドルのサービスでも、また始めるかな。榛沢(はんざわ)さんも呼んで」

 黒田はようやく笑みを浮かべた。

「だから、君は……アイドルを続けてくれると、ありがたいな」

「そんなの関係ないじゃない……。でも、考えておくわ」

「嬉しいね」

 

 しばらくして黒田が独り言めいてつぶやいた。

「今日は、君の笑顔が見られた、それだけで嬉しいのに、望外なお願いまでされた。……君に会えて、よかったよ」

 絵里は窓の外を眺めながらいう。

「……私も、あなたに会えてよかった」

 黒田がふっと笑うのが、絵里には感じられた気がした。

 

 やがて車は高速を降りた。そろそろ目的地だろう。

 絵里は自分の荷物のなかを探した。

 

 車は静かにカローデンの前に止まった。自宅でないのは、黒田の気遣いなのだろうか、と思う。

「ありがとう」と絵里。

「うん、気を付けて」

 絵里は小さな包みを差し出した。

「これ……。ミュージアムショップで売ってたの。電子部品のカフリンクス。安物だし、パーティには無理だと思うけど……。こんなものしか渡せなくて、ごめんなさい」

「いや、嬉しいよ。ありがとう」

 黒田は包みと一緒に、絵里の手を包んだ。彼の手は大きくて、いつかと違い、温かかった。しばらくそうしていたが――やがて黒田は手を離した。

 絵里は黒田の目に光るものを見た気がした。

 

 絵里は助手席から降りてドアを閉めた。車は音もなく走り出し――夜の街に消えていった。絵里は車が見えなくなってからも、しばらくそのままたたずんでいた。

 

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