つま先立ちのアクトレス ~ Story of Eli   作:Kohya S.

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2. 学院にて

 絵里たちが廃校の話を聞くしばらく前、四月初旬。ある日の午後。

 地下鉄の末広町駅に近いビルの一室で、黒田は秋葉原の街並みを見下ろしていた。右手にはスマートフォンが握られている。

 

「……だから、それは無理だよ」

 黒田はスマートフォンに向けて話す。

『どうしてよ。私たち、付き合ってたんじゃないの?』

 感情的になった女の高い声が耳についた。黒田は内心でため息をつく。

「勘違いしてもらっては困る。君とはもともと、そういう関係じゃないんだよ」

『……でも、あんなにいろいろ贈ってくれたじゃない』

「それは、私との交際に必要なものだからだ」

 ゆっくりと室内を歩きながら黒田はあくまでも静かに応じる。

『そんな……ねえ、隆司(たかし)。私のどこが嫌いになったの? なんでもいってよ……』

「嫌いもなにも、もともと君のことは、好きでも嫌いでもないよ。とにかく契約は終わりだ」

『待って……』

 黒田は電話を切った。スマートフォンを上着のポケットにおさめ外を眺める。

 

 まったく、いつもこうだ。贈り物は愛の(あかし)、か。笑わせる。すこし見目がよいからといって、すぐ勘違いする……。ひとりだとなにかと面倒だから、こちらから契約を持ちかけただけだというのに……。もうすこし早く切り上げておくんだったな……。

 

 ビルの最上階の専務室からは、秋葉原駅周辺の背の高いオフィスビルやUTX高校がよく見えた。

 

 黒田は長身ですらりとした体格だった。髪は自然な黒でショートカットに整えている。高い鼻梁とやや細めの瞳が気品を感じさせたが、それはともすれば怜悧(れいり)な印象を与えることもあった。

 彼はホワイトのシャツにグレーのスーツ、ダークオレンジのネクタイという、いわゆるビジネスマン的な服装だった。ただ、見る人が見ればその仕立ての良さに気付くだろう。

 

 窓から離れて椅子に座る。クロームのフレームに革張りの椅子は音もなく黒田の体を支えた。

 

 専務室はワインレッドのカーペット敷きで、黒田の前にはマホガニー色の広い机がある。向かいの壁は全面が同色の木製キャビネになっており、その一部に大型のディスプレイがはめ込まれていた。残り三方の壁には、わずかに明るい色の腰板が張られている。

 部屋の中央には会議用の楕円のテーブルがあり、周りに六脚ほどのローバックの椅子が備えられていた。

 

 黒田が机に向き直りPCのキーボードに手を伸ばしたとき、扉がノックされた。

 

「黒田さん、中西(なかにし)です。いま、よろしいですか」

 黒田は舌打ちをした。また面倒ごとか、と思う。しかし無視するわけにもいかない。

「……ああ、いいよ」

「失礼します」

 

 扉を開けてひとりの男が入ってきた。中西は中肉中背、髪は茶色に染めやや長めのマッシュにしている。黒いチノパンにグレーのシャツで、上着は着ていない。

 

「例のサービスの件ですけど……」

 中西は椅子には座らず、立ったまま話し出した。

「うん、ずいぶん伸びてるみたいだね」と黒田。

「そうなんです、それはいいんですけど……」

「千客万来、いいことじゃないか」

「パフォーマンスが出てないんです。レスポンスタイム、どんどん悪化してて」

「この前の報告では、なんとかなりそう、という話だったと思うが……」

 

 黒田がじっと中西を見つめると、彼はすこし気まずそうに続けた。

 

「ええ、なんとか乗り切れると思ったんですが、思いのほかペースが速くて……」

 中西は手にしたタブレット型PCを机の上に置いた。黒田はそれをみてつぶやく。

「……たしかにずいぶん増えてるな。ただ、これほど悪くなるのは、なにか理由がないとおかしいが……」

 

 中西はしばらく躊躇(ちゅうちょ)していたようだが、意を決したのか口を開いた。

「……黒田さん、ちょっと、見ていただけないですかね?」

 

 黒田は中西をちらっと見てから、またタブレットに目を戻した。

 

 問題であることに間違いはないが……このままのペースで悪化しても、まだしばらくは許容範囲だろう。

 

 タブレットを中西のもとに押しやる。

「すまないが、次のサービスの検討が佳境なんだ。君も知ってるだろう」

 うなずいた中西に続ける。

「発表会は再来週だ。内容次第でアロガンテックとの提携にも関わってくる……。こっちは君に何とかしてもらわないと困る」

「そうですか……」

 中西は顔をゆがめ肩を落とした。ただ、すぐに退席するつもりはないようで――しばらく沈黙が流れた。

 

 扉がふたたびノックされた。

「専務、そろそろお時間です」と女性の声。

 

 中西は顔を上げた。黒田はいう。

「とりあえずインスタンスはいくつ増やしてもいい。それで時間を稼いで、原因を突き止めるんだ」

「はい、わかりました」

 

 中西はタブレットを手に取り扉を開けて出ていった。入れ替わりに女性が入ってくる。秘書の荒井だ。

 

 荒井は扉を静かに閉め、片手のクリップボードを確認する。

「専務、十六時から音ノ木坂学院の理事会です。お送りいたしましょうか」

「……いや、いい。自分で運転する」

 荒井は一礼して出ていった。

 

 中西は黒田の部下で、この会社――ジーラスシステムズの共同創業者のひとりだ。会社は黒田と中西、それに社長の榛沢(はんざわ)が、大学時代に三人で立ち上げたものだった。

 ビジネスセンスはあるが技術にはうとい榛沢のアイデアを、技術に明るい同期の黒田と後輩の中西が現実にする形で、会社はスタートした。最初のWebサービスは大当たりで、その後もいくつかが成功し、それから数年がたつが会社は成長を続けている。

 

 中西もできるやつなんだが、と思う。

 

 すこし拙速(せっそく)気味なところがあるな。それに、トラブルになると目の前のことに気を取られすぎる。もうすこし広く見ないと……。

 

 黒田は鞄を手に部屋を出た。部屋の手前で控えていた荒井から書類挟みを受け取る。

「ありがとう」

「いってらっしゃいませ」

 

 荒井に見送られ、役員専用エレベータへ向かった。地階の駐車場まで下りるあいだに、書類にざっと目を通しておく。前回までの理事会の資料と学院の基本情報。とはいえ、いつも理事会は形式的なものだ。今回も時間通りに終わるだろう。

 

 まあ、ボランティアみたいなものだな……。

 

 地階の扉にIDカードをかざしてロックを解除する。

 車まで歩きながら、黒田は、そういえばマンションのキーのIDも変えなければ、と思い出す。まったく、面倒なことだ……。

 

        ・

 

 都内の通りはいつも混みあっているが幸い音ノ木坂学院はごく近い。数分ほど運転して、車を来客用駐車場に止めた。車は国産の白い高級車だ。

 

 職員用の入り口で事務職員から来客用カードを受け取り、案内を断ってすこし先の応接室へ向かう。何度か来たことがあるので迷うことはない。

 

 応接室には低いテーブルといくつかのソファが置かれていた。壁にはガッツポーズをした髭の男性の肖像画がかけられている。いささか古ぼけているとはいえ、この学院の内装は妙に豪華だ。

 先客はふたり。中年でやせぎすの女性、たしか田中と、誰だったか初老の男性だ。軽く会釈をして末席に座る。

 

 すぐに扉が開き、新たにふたりの人物があらわれた。

 

「お待たせしました」

 微笑みを浮かべつつ先に入ってきたのはグレーのスーツの女性。南理事長だ。つづいて小太りの校長。

 

 理事長はあいかわらず美しいな。黒田はそう思う。

 

 南理事長ならこちらからお願いして、お付き合いしていただきたいくらいだが……。残念ながら身持ちは固そうだな……。

 

 事実、しばらく前にさりげなく理事会のあとで食事に誘ってみたのだが、丁重にお断りされてしまっていた。

 

 理事長はいちばん奥のソファに、校長はその隣に座る。

 事務職員が入ってきて各理事の前にお茶を置いていった。

 

 理事長は手元の書類ケースから数枚の紙を取り出して配った。

 全員の手元に渡ったのを確認して話し出す。

「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。20XX年度、最初の理事会を始めたいと思います」

 なんとなくうなずく理事たち。

「お手元の書類をご覧ください。最初の議題は……本学院の廃校に関する議題です」

 いよいよ来たか――というような雰囲気が理事たちのあいだに流れた。

 

 廃校については昨年度も何度か議題のひとつに上がっていた。いままでは将来の選択肢のひとつ、という位置づけだったが――とうとう現実になるらしい。

 

 黒田は他のメンバーをちらりと眺める。理事長は硬い表情を崩しておらず、そこからはなにも読み取れない。校長はしきりに汗をぬぐっていた。男性――そう、森田だ――と田中は、悲しみと諦めとが混ざったような顔をしている。

 

 理事長は学校機構からの方針であること、特別な事情がなければ来年度の生徒を募集しないことを説明した。

 

「仕方ないんですかねえ……」

 森田が首を振る。

「……昨年度から何度か、存続の要望書は出しましたが……」と理事長。「やはり都心部の空洞化と少子化で入学希望者が減っている現実に加えて、予算の問題は大きいようです」

「うちの大学も、いつも予算は厳しいわね」

 田中がため息交じりにいう。

 

 黒田自身は学院の存廃にはまったく興味はなかった。音ノ木坂にはスクールアイドルもいない。とはいえ、雰囲気にはあわせておいたほうがいいだろう。

「地元に国公立の高校がなくなるのは、生徒たちにはかわいそうですね」

 なるべく沈痛な表情でいう。

 

 一、二数年前、機構から理事就任の打診がジーラスにあったのは、秋葉原に本社がある関係だったらしい。前向きだったのは社長で――地元貢献と広報になるといっていた――ふたつ返事で引き受けたのだが、肝心の理事には黒田がつくことになった。

 理事会は面倒なだけだったが――利点は南理事長に会えることくらいだろうか――年に数回と思えば我慢できた。

 

「……それでは、理事会としては異議なし、ということで」

 校長が見渡す。黒田をふくめて全員がうなずいた。

 この理事会もあと数回か、と黒田は思う。

 いや、違うか、生徒がいる限り残るから……あと三年か。来年度は中西か誰かに変わってもらおう……。

 

「……では、次は、今年度の行事計画について、お話しさせていただきます……」

 理事長の声に黒田は注意を戻した。

 

 それからの議題はいつも通りで、理事会はとどこおりなく終わった。

 黒田は理事たちに挨拶してから最初に退席した。

 

 応接室から廊下に出ると、学院の授業はすでに終わっているらしく、部活動の生徒たちの声が聞こえてきた。

 ちらりと左手の時計を見る。すでに定時に近いが、再来週の発表会のことを考えると会社に戻らないとならないだろう。軽くため息をついて廊下を歩き始めた。

 

 廊下の途中でひとりの女生徒とすれ違った。金髪に青い目。彼女は黒田に会釈して通りすぎた。おや、珍しい。ハーフだろうか、と思う。気位の高そうな瞳が妙に印象に残った。

 

        ・

 

 数日後。この日も黒田は専務室で新サービスの検討を続けていた。発表会は間近に迫っている。

 作業が一段落して黒田はPCから顔を上げた。窓の外は暗く沈み、秋葉原のネオンが輝いている。

 

 資料はこんなものだろう。あとは榛沢さんと中西に確認してもらうとして……。リハーサルは明後日だな。例のトラブルもすこし確認しておくか……。

 

 椅子に座りなおしたとき控えめに扉がノックされた。

「荒井です。よろしいですか」

「ああ、構わんよ」

 

 荒井がクリップボードを手に入ってきた。

「そろそろ失礼させていただきます」と一礼する。

「ああ、もうそんな時間か……」

 机上の時計は定時をかなり過ぎていた。

 

「明日の予定ですが……」彼女は続ける。「九時から定例の経営執行会議です。おそらく主な議題は新サービスと、例のトラブルの件になるかと。昼食はアロガン日本支社の山根様と、丸やまです」

「わかった」

「それと……音ノ木坂学院の生徒会長、という方から、面会の申し込みがありました。学院理事へのお願いがあるそうです。……お断りしてよろしいですか?」

「そうだな」

 学院のことなどに、さく時間はない。――そう考えたが、ふと理事会のときのことが頭をよぎった。

 

 廃校になるというなら、その学校の生徒に会ってみるのも面白いかもしれない。話を聞いたとなれば、理事長の心証もよくなるだろう……。

 

「……いや、会ってみよう。今週、適当に空いてる時間に入れてくれ」

 荒井はわずかに驚きを浮かべ、すぐにそれを飲み込んだ。シルバーフレームの眼鏡の位置を直す。

「わかりました。セッティングします」手元の書類になにかを書き込む。「私からは以上です」

「……わかった」黒田は頭のなかで確認する。彼女に依頼することは特にないようだ。「お疲れさま」

 彼が手を振ると荒井はふたたび会釈して退室した。

 

 さて、帰るか……いや、明日のこともあるしな……。

 

 黒田は一瞬迷ったが、PCに向き直り、中西の担当しているサービスのレポートを確認し始めた。

 

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