つま先立ちのアクトレス ~ Story of Eli   作:Kohya S.

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3. つながる希望、つのる不安

「はい、絢瀬です……」

『ジーラスシステムズ秘書室、荒井です。音ノ木坂学院、生徒会長の絢瀬様、でよろしいでしょうか』

 昨日と同じ声がスマートフォンから聞こえた。

「はい、間違いありません」

『お話しいただいた弊社、黒田との面会の件ですが、今週の後半、日付にもよりますが一時間程度なら可能です。絢瀬様のご都合はいかがでしょうか』

 

 荒井はあくまでも丁寧だったが、その口調はどことなく冷たさを帯びているように、絵里には感じられた。

 

「……すみません、すこし、お待ちいただけますか」

『はい』

 

 絵里はスマートフォンを保留し「今週、会ってくれるそうよ」と希にいう。

「へえ、意外やね」

「いつでもいいかしら?」

「ええよ」

 

 絵里は保留を解除して続けた。

「あの、夕方でしたら、いつでもかまいません」

『では、木曜日、十六時からでよろしいでしょうか』

「はい、お願いします」

『弊社の場所はおわかりでしょうか』

 

 ホームページに書いてあった場所を思い出す。たしか末広町駅の近くで――絵里にも土地勘のある場所なので大丈夫だろう。

 

「わかると思います」

『それでは、十六時に弊社受付までお越しください』

「はい、ありがとうございます。あの、ふたりで伺います」

『かしこまりました。お待ちしております』

 電話は先方から切れた。

 

 絵里は深呼吸する。意外なほどに緊張していたようだ。

 

「お疲れさま、絵里ち」

 希がいたわるように話す。

「ありがと。木曜日になったわ」

「まさか会ってくれるとは、思わんかったね」

「ええ。ほかの理事より、ずっと若いみたいだし……これは望みがあるのかしら」

「うーん、どうやろ。あまり期待せえへんほうが、いいんと違う?」

「まあ、そうね……。でも、話を聞いてくれるだけでも、ありがたいと思わなくちゃ」

「そうやね」

 希はにこりと微笑んだ。

 

 ほかの理事は残念な結果だっただけに、面会が実現できそうなことは、絵里にとって暗い雲間から一筋の光が差すようだった。

 

        ・

 

 数日後、とうとう廃校の知らせが学院内に張り出された。校内は大騒動になるかと思われたが、絵里が拍子抜けしたことに、意外なほどに静かだった。年々減っていく生徒数に生徒たちもうすうす覚悟していたのかもしれなかった。

 

 木曜日、放課後。絵里と希はジーラスのビルまで歩いた。学院からは十数分といったところだ。四月も中旬になり散歩にはちょうどよい季節で、ふたりとも距離は苦にならなかった。

 

「えーと、ここかしら」

「みたいやね」

 ビルは中央通り沿い、秋葉原駅周辺から続くにぎわいがすこし途切れるあたりにあった。

 絵里は全面ガラス張りのビルを見上げる。UTX高校やベルサールほどではないが、かなり高層のオフィスビルだ。

 

「なにか圧倒されるわね……。まあいいわ。入りましょ」

 

 正面入り口から中に入る。二重になっている自動ドアが通りの喧騒を外に締め出した。

 

 エントランスホールは天井が高く、床は白い大理石張りだった。正面には数基のエレベータ、その横には螺旋階段があり上層に伸びている。

 隅には警備員がひとり立っており、入ってきたふたりにちらっと視線を送った。

 ふたりはなんとなく会釈する。

 

 ビルのフロア案内板にはジーラスシステムズの名前があった。最上層の数階を占めているらしい。

「えーと、受付は……十五階ね」

 絵里はなぜか小声になっていた。

「そうやね」

 

 警備員の目を気にしながらエレベータに乗った。

 

『Going up. 上に参ります』と自動音声が流れる。

 絵里は突然の英語に不意を打たれた。

「はいはい、おっけー」

 希はそういいながら閉じるボタンを押した。希らしいわね、と絵里は思う。すこしだけ緊張がほぐれるのを感じた。

 

『Fifteenth floor. 十五階です』

 

 エレベータから出ると、そこは両開きの扉が並ぶホールになっていた。それぞれの扉は大きな明るい茶色の木製で、天井近くまであった。扉の横にはカードリーダらしき機械が取り付けられている。

 ひとつだけ機械のついていない扉があり、そこには『ジーラスシステムズ Zealous Systems Inc.』と書かれた銀色の金属板が掲げられていた。

 絵里は「失礼します」とささやきながら、その扉を開けた。

 

「いらっしゃいませ、ご用件を(うけたまわ)ります」

 カウンターの向こうの女性が絵里たちに深々と頭を下げた。かなりの美人だ。いわゆる受付嬢ってことね、と思う。

「音ノ木坂学院の絢瀬と申します。十六時から、黒田様とお会いする約束で……」

「はい、承っております。担当の者が参りますので、そちらにかけて、お待ちください」

 

 女性は手ぶりで絵里たちの背後、扉の横にあった数脚の椅子を示した。

 

 床は濃紺色の毛足の長いカーペットに変わっていた。受付の前はすこし広くなっており、ふたりが座っている椅子や、なにかのパンフレットが立てられた棚などがある。受付の左側から奥に通路が伸び、いくつかの扉が並んでいた。カウンターや扉はみな木製だった。

 

「絢瀬様が……おふたりです。……はい。よろしくお願いいたします」

 受付の女性が電話で話す声が切れ切れに聞こえてきた。

 

 しばらく待つと別の女性が通路からあらわれた。シルバーフレームの眼鏡が知的な雰囲気だ。ふたりは立ち上がる。

 

「こちらへどうぞ」

 女性に案内された先は扉のうちのひとつだった。そこは応接室らしく、低いテーブルとその周りに革張りのソファが並んでいる。窓にはブラインド。奥の壁にはどこかの風景画がかけられている。

 

「黒田はすぐに参ります。おかけになってお待ちください」

 女性は一礼して退室した。

 

「なにか緊張するわね」

 正直なところこのビルに入ってからというもの、絵里は雰囲気に圧倒されていた。

「そうやね。まあ、なにか悪いことしてるわけでもないし……。気楽に構えれば、いいやん」

「まあ、そうなんだけど……」

 絵里は落ち着きなく部屋をうろうろした。

「こういうときって、座って待ったほうがいいのかしら……」

 

「お、学院が見えるよ」

 希がブラインドの隙間から外を眺めていた。絵里も横に立つ。広がる秋葉原の街並みの向こうに学院の校舎が見えた。それは実際の距離よりもずいぶん遠く感じられた。

 

 扉がノックされた。数瞬おいて扉が開く。書類挟みとノートPCを手にした男が入ってきた。

「お待たせしました。どうぞ、おかけください」

 絵里と希はすすめにしたがい腰を下ろす。男もそれを確認して絵里の正面に座った。

 

「初めまして、ジーラスシステムズの黒田隆司(たかし)です。絢瀬さん、東條さん」

 黒田は白い歯をみせる。彼は白いシャツに、ネイビーのスーツ、シルバーグレーのネクタイを締めていた。

 絵里は、どうして希の名前を知ってるのかしら、と疑問を抱く。

 電話をした私はともかく……。あ、でも理事なら知っていても当然かしら。

 

「音ノ木坂学院、生徒会長の絢瀬絵里です」

 

 黒田の視線は、そう挨拶した絵里の金髪と瞳に注がれ、彼の目には驚きと興味が浮かんでいるようだった。絵里はこの対応には慣れっこだった。悪目立ちする自分の外見がすこし嫌になる。

 ただ、黒田の視線は妙に粘っこく――絵里は黒田の鋭い目と引き結んだ唇に冷たいものを感じた。

 

「同じく、副会長の東條希です」

 黒田は希に視線を移した。

 

 扉がふたたび静かにノックされ、黒田が「どうぞ」というと、ここまで案内してくれた女性がトレーを手に入ってきた。

 彼女は三人の前に緑茶の茶碗と和菓子を置き、一礼して出ていった。

 

「どうぞ、召し上がってください」と黒田。

「ありがとうございます」

 

 絵里がすぐには手を付けないとみたのか黒田が水を向ける。

「それで、今回のご用件ですが……」

「はい、黒田さんが学院の理事をされているとお伺いして……」絵里の言葉に軽くうなずく黒田。「相談したいことがあって、まいりました」

「相談、ですか」黒田は目を細めた。

「はい」

 絵里は落ち着かない心持ちで身じろぎする。

「音ノ木坂学院の廃校の件は……すでにご存じでしょうか」

「ええ、前回の理事会で議題になりました」

「それで、黒田さんのお力をお借りできないかと思ったんです」

 

 絵里は廃校を阻止したいこと、もし理事会でなにかできるなら、そのために力を貸してほしいことを説明した。

 

 絵里の話を聞き終えると黒田は腕を組んだ。

「……そうですね。残念ですが……難しいと思います。なにしろ話は、学校機構のほうから、来てますからね……」

 黒田は目を閉じ、わざとらしくため息をついてみせた。

「なにしろ理事にできることは、限られてますから」

「そう、ですか」

 やっぱり難しいのね、と絵里は思う。

 

 希と目をあわせると彼女はかすかに首を振った。

 

「ただ……」

 黒田がぽつりといった。絵里は向き直る。黒田は絵里の視線をとらえて続けた。

「場合によっては、なにかできるかもしれません」そういいながら目を細めてわずかに唇をゆがめた。

「本当ですか?」

 絵里は思わず語気を強めていた。

「……あまり期待されても困りますが……」

 黒田は茶碗を口に運んだ。

「うちは機構とも若干の関係がありますし……。すこし考えてみましょう」

「よろしくお願いします」

 絵里と希は頭を下げた。

 

 ふたりが顔を上げると黒田は微笑みを浮かべた。ただ、絵里にはその瞳は笑っていないように見えて――なにか底知れぬものを感じさせたのだった。

 

 黒田の左手首からかすかに低い音が聞こえた。ちらっとそちらに目をやり「ああ、そろそろか」とつぶやく。

「すみません、次の予定がありまして」

 黒田は大げさに肩をすくめた。

「絢瀬さんの連絡先は……秘書の荒井が知ってますね」

「はい」

「それでは、なにかあればこちらから連絡します。……いちおうお渡ししておきますね」

 

 黒田は胸元から白い紙を二枚取り出し、絵里と希の前に置いた。名刺だ。専務取締役、Chief Technical Officerと書かれている。

 

「今日はありがとうございました」

 あらためて礼をいうふたりに黒田は鷹揚(おうよう)に手を振り、部屋を出ていった。

 

「せっかくやし、もらってこ」

 希はお茶を飲み菓子を食べる。絵里はどちらも喉を通りそうになかった。

 

 やがて入ってきたさきほどの女性にエレベータまで案内された。エレベータの扉が閉まるまで女性は深々と頭を下げていた。

 

「どうなのかしらね。考えてくれる、っていってたけど」

 数を減らしていく階数表示を眺めながら絵里はつぶやく。

「うーん、そうやね……」

 希も言葉すくなだった。

 

 ビルを出るとようやく人心地(ひとごこち)がついた。息を大きく吐き出す。

 

「ふう、やっと終わったわね」

「お疲れさま、絵里ち」

「なんとなく、落ち着かなかったわ」

「ああいうたいそうな会社なんて、あまり行かへんもんね」

 希は肩をすくめた。

「それもそうだけど……。どうしてかしら。雰囲気かしらね」

 

 それも、会社のよりもむしろあの人の雰囲気、かしら。

 

「そうやね……それは同意、かな。……でも、お菓子はおいしかったやん」

「あら、私もいただけば、よかったかしら」

 絵里の顔にようやく笑みが戻る。

「穂むら、ほどやなかったけど」

 希も微笑んだ。

 

 ふたりが別れる交差点が近付く。

「……まあ、今日はここまでにしとこ。また明日、ってことで」

「そうね。それじゃ、またね、希」

「うん、ばいばい、絵里ち」

 

        ・

 

 翌日の放課後、絵里と希は生徒会室で落ち合った。自然に話題は昨日のことになる。

 

「黒田さんだけど……期待していいのかしら」と絵里。

「うちは……あまり期待できへんと思うん」

「あら、どうして?」

「やっぱり、理事はお飾りっぽい感じがするんよ。ほかの理事も、そんな感じやったやん」

「……とりあえず断るかわりに、言葉を濁した、ってことかもね」

 嘆息した絵里に希はうなずく。

 

「それに……」

 希がいいさした。絵里は続きをうながすように希を見つめる。

「……なんかこう、あの人の視線がな、いやらしい感じがしてな……」

「まあ、そうね……」

 絵里も黒田に親近感を抱けないのは同感だった。ただ、いやらしい、はいい過ぎではないか、とも思いつつ――。

「でも、わずかな望みよ」と続ける。

「それは、そうやけど……」

 

 希ほど突き放して見られないのは、彼が廃校阻止へのわずかな手掛かりだからだろうか――。

 

 微妙な雰囲気になり、絵里は思い出したようにいってみる。

「……それで、カードはどうなの?」

「それな……」

 希が示したのは馬に乗った騎士が描かれたカードだった。ただその騎士の顔は髑髏(しゃれこうべ)だ。

「死神……? 黒田さんが死神ってこと?」

「必ずしも悪いカードではないんよ。破壊と創造、移り変わり。……転機が訪れる、ってことやね」

「……とりあえず、連絡、待ってみるわ」

「そうやね」

 希は安心させるように微笑んだ。

 

        ・

 

 翌週。

 二年生の高坂(こうさか)穂乃果(ほのか)が同級生の園田(そのだ)海未(うみ)(みなみ)ことりとともに、生徒会にアイドル部を結成したいと申し出てきた。スクールアイドルになり廃校阻止のために学院をアピールしたい、と彼女は熱弁をふるった。

 絵里にはそれは荒唐無稽(こうとうむけい)な考えにしか思えず――理事に頼むよりも非現実的だろう――問答無用で却下したのだった。希には、なにか含むものがあるようだったが――。

 

 その日の夜。

 絵里が入浴を終えて自室に戻ると、ちょうどスマートフォンが着信音を立てていた。画面に表示されているのは、無機質な数値の並びだ。まったく覚えがない。

 

 こんな夜に誰かしら……。

 

 絵里は不思議に思いながら受話ボタンをタップした。

 

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