つま先立ちのアクトレス ~ Story of Eli   作:Kohya S.

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5. 契約

「はい、絢瀬です……」

『黒田です。夜分遅く、すみません』

「黒田さん……」

 

 絵里は本人から直接電話が来たこと、そしてこんな夜遅くであることに驚く。

 

『……日中だとかえってご迷惑かと思いましたので』

 絵里の沈黙に彼はすまなそうな口調でいった。

「あ、はい。お世話になっております」

 絵里は思わず電話口で頭を下げた。

 

『今、大丈夫でしょうか』

「はい、大丈夫です」

『……実は、廃校の件でお話ししたいことがありまして』

「廃校ですか」

 絵里は繰り返す。たしかに電話が来るとしたらそれしかないだろう。

「なにか進展がありましたか」

『ええ。詳細は、直接お話ししたほうがいいと思います。よろしければ、明日にでもお会いできますか』

 

 黒田の声は丁寧だが、有無をいわせない雰囲気が漂っていた。もちろん会うにやぶさかでないが――ふたつ返事で同意するのも癪だった。あえてわずかに間を置いてこたえる。

 

「……はい、結構です」

『それは幸いです』

 言葉と裏腹に、やはりそれが当然だといった口調だった。

 

『……夕方でよろしいですか』

「そうですね……」明日の予定を頭のなかで確認する。生徒会の仕事がすこしあったはずだ。「五時ごろでお願いできますか」

『五時ですね。学院まで車を回します。……あ、そうだ』

 黒田は重要なことを思い出したというように続ける。

『まだどう転ぶかわからないので、まずは絢瀬さんだけに話したいと思います。おひとりでお願いできますか』

 

 つまり希には来てほしくないということだ。不確実な内容なら相手を限定するのはわからなくはないが、わざわざ希にまで秘密にするのには疑問を感じる。

 

 とはいえ、ここで反論するのは、あまりよくなさそうね……。

 

「……わかりました」

『それでは、お待ちしております』

 電話は切れた。

 

 廃校についてなにか展望が開けそうなのはありがたかったが――先日の黒田の雰囲気とさきほどの電話の内容に、そこはかとない不安を感じるのは否めなかった。

 

        ・

 

 翌日の放課後、生徒会室で事務作業をこなす。新年度の仕事もようやく落ち着きつつあった。

 

「んー、今日も疲れたなあ。絵里ち、そろそろ帰ろっか」

 希が伸びをしながらいった。

「悪いけど、ちょっとこのあと、用事があるのよ……。もうすこしで切りがつくし、お先にどうぞ」

「ん、ええよ」

 希はにこりと微笑む。こういうとき、希は決して理由を聞いてこない。きっと希のポリシーなのだろうと絵里は思っていた。

 

「それじゃ、お先に、絵里ち」

「ええ、気を付けてね、希」

 希はひらひらと手を振り生徒会室から出ていった。

 スマートフォンを見ると時刻は四時四十分。あとすこしだ。

 

 そういえば、車を回す、っていってたわね。校門にいればいいのかしら……。

 

 気もそぞろに書類を片付けるうちに約束の時間は近付き、絵里は生徒会室を出て校門へ向かった。

 

 校門を出ると、すこし離れた路上に一台の黒い乗用車が止まってるのが見えた。国産の高級車でウインカーを点滅させている。車のわきには黒いスーツ姿の男性が目立たないように立っていた。白い手袋をはめている。

 

 まさか車って、あれかしら……。

 

 絵里が近付くと彼女に気付いた男性が一礼した。

「失礼ですが、お名前をお伺いしてよろしいでしょうか」

「絢瀬です」

「お待ちしておりました。ジーラスシステムズの黒田様から承っております。どうぞ」

 男性は深々と頭を下げた。車のドアを開ける。

「……ありがとうございます」

 絵里は面食らいながら車に乗った。

 

 絵里に続いて男性が運転席につき、無線機でどこかに連絡を入れる。

 車は音もなく走り出した。

 

        ・

 

 運転手の男性は終始無言だった。

 ジーラスのビルの前で車は止まった。絵里が降りようとすると先回りした男性がふたたびドアを開ける。

 深くお辞儀をする男性に見送られて絵里はビルの中に入った。

 

 エントランスホールには警備員と、ひとりの女性がいた。前回ここに来たとき案内してくれた女性だった。

 

「お待ちしておりました、絢瀬様」

 絵里へ向けて一礼。

「あ、はい……。よろしくお願いします」

 あわてて絵里も返す。

「こちらへどうぞ」

 大理石の床に女性のヒールの音が響いた。

 

『Seventeenth floor. 十七階です』

 

 女性の身振りにしたがってエレベータから外に出る。

 エレベータホールには前回の訪問と同じく大きな木製の扉が並んでいた。カードリーダとおぼしき機械も一緒。ただ扉はダークブラウンの重厚なもので、床もワインレッドのカーペットだ。

 

 絵里は右端の扉からなかへ通された。女性のあとをついていく。広い通路からは、別の通路がときおり枝分かれしていた。また、いくつかの扉も並んでいる。17-B応接室、17-B会議室、秘書室、そして突きあたりに専務室。また、その手前の右側には、簡素なテーブルと四脚ほどの椅子が並ぶコーナーがあった。

 

 女性は突きあたりの扉をノックした。

「専務、絢瀬様がいらっしゃいました」

「ありがとう」

「失礼します」

 女性は扉を開けて絵里をうながした。

 

 窓際に立っていた黒田が振り返った。

「わざわざお呼び立てしてすみません、絢瀬さん」

 

 逆光気味で彼の表情はよく見えなかった。にやりと笑った気がしたのは絵里の気のせいだろうか。

 

「いえ、こちらこそ、ありがとうございます」

 黒田はブラインドの角度を調整した。外が見えなくなる。彼はにこやかに微笑みながらいった。

「なにか、お飲みになりますか。コーヒー、それとも紅茶ですか」

「……紅茶を、お願いします」と絵里。

「荒井さん、紅茶と、コーヒーを」

「かしこまりました」

 荒井と呼ばれた女性は一礼して出ていった。

 

「どうぞ、おかけください」

 黒田は部屋の中央、大きなテーブルのまわりの椅子を示して見せた。絵里は浅く腰かけた。黒田も向かいに座る。

 

「どうですか、学校生活は。生徒会長、お忙しいのでしょうね」

「はい、そうですね。……でも、新学期になってもうすぐひと月なので……かなり落ち着いてきました」

「部活動とか、なにかされてるんですか」

「いえ、なにも……」

「おや、スタイルがよろしいので運動部とか、されているのかと思いました」

 

 なんなのよ、この当たり障りのない会話は……。絵里はいらつき始める。

 

「それで、廃校の件ですが」

「ああ、すみません。そうでしたね」

 

 扉にノックの音がした。

「失礼します」と荒井。

 

 荒井は絵里の前にトレイを置いた。黒田の前にはコーヒーカップを置く。トレイにはカップと茶葉の入ったガラスのポット、それにチーズケーキの乗った皿、カトラリー。

 一礼して去ろうとする彼女に黒田が声をかける。

「これから絢瀬さんと重要な話があるので、しばらくふたりにしてくれないかな」

「かしこまりました。……失礼いたします」

 荒井が出ていき静かに扉を閉めた。

 

「どうぞ」と黒田。

 絵里はありがたくいただくことにした。まさかこんなところで本格的なリーフティが出てくるとは思わなかったが――。

 ストレートで口に含むと馥郁(ふくいく)とした香りが広がった。黒田はコーヒーを飲む。

 

「さて……」

 沈黙を破って黒田がいった。いつの間にか笑みが消えていた。

 

「廃校の件ですが……。個人的に、動いてもいいと思っています」

 肘をテーブルにつけ、両手を組んでその上に顎を乗せる。

「本当ですか。ありがとうございます」

「ただ……条件があります。かわりに、といってはなんですが……絢瀬さんにも、ちょっとした仕事を、お願いしたいのです」

「仕事……。もしかして、アルバイト、とかでしょうか。生徒会長との両立は、難しいと思いますが……」

「アルバイト。その発想はなかったなあ」

 黒田はなにがおかしいのか手を口にあてて、くっくと笑った。絵里は今度こそ、本当にイラッとする。

 

「ああ、すみません。アルバイト、それもいいなあ。……ただ、お金を出すつもりはないんですよ。私に協力してほしいんです。いろいろと」

「協力、ですか」

 絵里には話の行方(ゆくえ)が見えなかった。

「ええ。いわば……友人になってほしい、ということですかね。残念ながら、今、私には、パートナーがいません」

 彼は、なにをいっているかわかるだろう、というように眉をあげてみせた。

 

 パートナー……お付き合いしてる女性、ってことよね……。

 

「ただ、こういった仕事をしていると、誰かと一緒でないと都合が悪いこともある……。卑近(ひきん)な話では、パーティとかね」

 ようやく絵里にも黒田のいっていることがわかってきた。それとともに怒りが沸き上がる。

「そういったときに、一緒にいてほしいんですよ。絢瀬さんはとてもお美しい。エキゾチックな雰囲気だ。それに、黙っていれば高校生には見えない……」

「お断りします。そんなこと、考えられません」

 絵里は語気強くいった。ただ黒田にはいささかも(こた)えなかったようだった。

 

 彼は同じ調子で続けた。

「悪くない話、だと思いますけどね。私は友人として廃校阻止に動く。絢瀬さんは友人として私に付き合う。まったくなんの問題もない」

 首を振る黒田。

「……それって、友人っていえるんですか」

「友人でなければ、契約、といってもいいよ。それに……性的な関係も迫るようなこともしない」

「……!」

 絵里の顔にぱっと赤みが差した。

 

 なにをいっているのかしら、この男は。そんな話、聞けるわけないじゃない……。

 

 黒田はじっと絵里を見つめた。

「……やっぱり難しいかな。……それでは、東條さんに頼もうかな。彼女なら面白がりそうだ」

「そんな……希は関係ないじゃない」

「私としては誰でもいいのでね。彼女も見栄えがする。……個人的には、絢瀬さんのほうが好みだが」

 黒田はにやりと微笑んだ。

 

 廃校が回避できるかもしれない。それは事実だろう。ただ、好きでもない――むしろ嫌悪を覚える――男と、かりそめとはいえ一緒にいて、そういった目で周りに見られるのだ。

 

 割り切って付き合うなんて、そんなことができるかしら。それに、希。希がこんなこと、受けるとは思えないけど……。でも、もし、この男が私の名前を出したりしたら……希はどうするかしら……。

 

 絵里の心は揺れ動いた。

 

「もちろん、学院でなにか用事があれば、そちらを優先してかまわないよ。そこまで束縛はしない。それが友人、でしょう」

「……私より、もっといい人が、いるんじゃないですか」

 黒田はしばらく押し黙った。

 

「……まあ、いろいろあってね。ただ、君なら……ちょうどいいんじゃないか、と思ったんだよ」

 それは――今日初めて聞く黒田の本音のように、絵里には思えた。

 今度は絵里が黙り込む番だった。

 

 黒田は辛抱強く絵里の反応を待っていた。

 

「……今までの話、本当なんでしょうね」

「本当、とは?」

「廃校阻止に向けて動く。束縛しない。それに……」

 ふたたび顔を赤らめる絵里を黒田は面白そうに見つめた。

「……強制しない。どうなの?」

「もちろんだ。約束する。ただ……君も、できる限りのことはしてほしい」

「……もし私が、全部断って、それができる限りよ、っていったらどうするの?」

「まあ、仕方ないね」黒田は首を振った。「それは君を信じるよ」

 

 当然、廃校阻止に向けて動くこともしない、ってことよね……。

 

「それで、黒田さんが動いてくれる、って保証はあるのかしら」

「それも信じてもらうしかない。ただ……理事長から、なにか話は聞けるんじゃないかね。私がちゃんと働いているかどうか」

 

 理事会や機構との話を、理事長に聞けるだろうか。生徒会には関係ありません、といわれるのではないか。ただ、ほかの理事に聞くことはできるかもしれない――。

 

「もちろん、廃校が決まったら、契約は破棄でいい。廃校が回避できても、まあ終わり、だな。ボーナスは欲しいがね。……悪くない話、だと思うが」

 

 絵里は唇に指をあてた。

 

 この男がどこまで信用できるかわからないけど……。すくなくとも、今より悪くなることは、ないのかもしれないわ。……私がすこし、我慢すればいいだけで。それに、いつでも元に戻れる……。

 

「……条件があるわ。希には、この話はしないでちょうだい」

「ああ、構わない。もともと君が聞いてくれればいいだけの話だ。……それでは、契約は成立、ということでいいのかな」

「ええ。まったく嬉しくはないけど」

「うん、そのくらいのほうが、こちらとしてもありがたい」

 

 黒田が右手を差し出した。絵里はその手を握る。その指は男性としては細く冷たかった。

 彼は一瞬、力をこめてすぐに手を放した。

 

「それでは……なにかあれば連絡するよ、絢瀬君。メールアドレスを荒井さんに伝えてくれ。私の連絡先も、彼女から教わるといい」

「わかったわ」

「楽しみにしていてくれ……。まあ、そんな気分ではないかもしれないが」

「……」

 絵里はふんと鼻で笑った。せめてもの強がりだったのかもしれない。

 

 黒田は机の上に手を伸ばして内線電話を取った。

「絢瀬さんがお帰りになる。……うん、頼む」

 絵里に向けてにこやかに微笑んだ。

「紅茶、よかったらどうぞ」

「いただくわ」

 絵里は紅茶を口に運んだ。今度は香りはまったく感じられなかった。

 

 やがて扉にノックがあった。荒井があらわれる。

「荒井さん、私の連絡先を、彼女に」

「かしこまりました。……どうぞ、絢瀬様」

「それでは、気を付けて、絢瀬君」

 絵里はなにもいわず振り返りもしなかった。専務室の扉は絵里の背後で音もなく閉まった。

 

 絵里は荒井にメールアドレスを伝えた。かわりに名刺を受け取る。先日のそれとは異なり社名もロゴもなく、書いてあるのは黒田の名前と電話番号、メールアドレスだけだった。

 荒井は表情を変えず、必要最低限のこと以外なにもいわなかった。

 

 荒井に連れられてエントランスを出ると、そこには来たときと同じく黒い車が止まっていた。運転手がドアを開ける。

「お疲れさまでした」

 深々と礼をする荒井に見送られ車は走り出した。

 

        ・

 

 絵里は翌日も生徒会室で希とともに作業をこなした。

 書類を片付けながらも、絵里の思いはどうしても昨日のことに流れていった。

 

 承諾しちゃったけど、本当によかったのかしら……。それに、どんなことを頼まれるのか……気になるわ。

 

「絵里ち、なにぼーっとしとるん」

 希の声に我に返る。

「あ、ごめんなさい」

「手が止まっとるよ。それに、昨日から、ずっと静かやね。……なにか、あったん?」

 希は気がかりそうな瞳でまっすぐに絵里を見つめた。

「……別に、なにもないわよ」

「そっか。ならいいけど……」

 希は優しく微笑んだ。

 

 絵里はその微笑につられるようについ口を開く。

「それでね、希。廃校の件だけど……すこし、希望が見えてきたかもしれないわ」

「ん、もしかして、なにか思いついたん?」

「……ちょっと、その、アイデアがあるのよ。もし、うまく行きそうなら……また話すわ」

「さすが、KKEやね。期待しとるよ。……でも、無理はせえへんといてな」

「ええ、わかったわ」

 

 やっぱり希には、なにか悩んでるのが、わかってしまうのかしら。そんな希だからこそ……もし昨日のことをいったら、心配させちゃうわ。当分、本当のことはいえそうにないわね……。

 

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